初めての友達
初めて出来た友達の顔を覚えてますか?
どうも、紫芋です。私は小中高と初めて出来た友人の顔は今でも覚えていますが、連絡は取っていません。
しかし、不思議な事に初めて出来たからといって一生涯仲の良いとは限らない、それが友人というものです。
彼彼女等がどういった人生を辿っているか、想像の域を出ませんが、幸せであることを切に願っています。
では、本編どぞ〜。
それは母親が近所付き合いの延長で街の東地区へ子供二人を連れて行った時に訪れた。
大人からすれば必要な時間ではあっても、子供にとってはそうではなく、結局暇潰しに辺りをフラフラしていた時に見つけた小さな遊び場。
初めはブランコで暇を潰し、砂場で山を作って、ボール等の道具がない為、鬼ごっことなり、時間を潰していた時、声を掛けられた事が全ての始まり。
「あ、あの、その。一緒に⋯⋯⋯⋯っ。あ、遊ぼ」
その言葉は少年少女の出会いである。
少年にとってすれば暇潰しだったのものが少し楽しいものになるだけの事であり、少女からすれば、背後に居た姉の支え込みとはいえ、一世一代のお誘いであった。
「うん!はーーっ舞喜ーーッ!よくわかんない子が遊んでくれるってさぁ〜!」
「へぇッ!」
始まりはよく分からない子認定から始まった関係。
まだ無垢である少年の悪気のない一言は少女の心をほんの僅かに痛めさせた。
そして、そんな少女の後方で大笑いをかます者が一人。
「あっはははっはっは!よくわかんない子って!はっはっはっは〜。良かったね、奏海。遊んで貰えるってさ」
「お姉ちゃん〜。かなみ、絶対に変な人に思われたぁ」
「良いのよ!最初はそんなんで、ほら、遊んで来な!気付いたら夢中になってるっての」
その女子高生の予想は大当たり、ど真ん中。
結果的には、すぐに仲良くなり、その日の夕方頃まで三人は学校の話をしたり、友達の話をしたり、鬼ごっこだったりと、少年達にとって楽しい時間はあっという間、新たに遊ぶ約束を取り付け、お開きとなった。
当時、少年達兄妹の住む自宅は少女と共に遊んだ自宅近辺ではなく、少し離れた地区に住んでおり、バスに揺られて二十分程、そこから更に歩いて十分程、とても気軽に行ける距離ではない。
約束した日に行けない日もしばしばあり、スマホのような手短に連絡する物はなく、駅近くにある公衆電話を使い、別日に変更の旨を伝える時もあった。
半年後、兄妹と少女と遊んだ回数は四回程ではあったが、少女にとってはかけがえのない時間となりつつあり、少年も駄々を捏ねて連れて行かせようとする妹にせっつかれる形で向かうものの、最終的には楽しい時間だったな、程度に収まるものになっていた、そんなある日。
「じゃあ、まきと一緒にまた来るから!」
何時もの時間、何時ものフレーズで、声を掛けてさよならの合図を伝える少年は妹の手を握りながら手を振る。
夏休みはもう間近、砂と汗で服を濡らしていた三人は夏休みにも遊ぶ予定を既に立てており、準備も万端。
だが、その日──少女が何時もと違っていた。
「うんっ。あ、あのね⋯⋯かな、話したい事があるの」
「なに?」
「え、とね。その⋯⋯かなの──」
「准、何してるの?!あなたって子は!」
公園の出入口、車一台分の幅しかないその細い道から公園の中に入る一人の女性。
「母さん⋯⋯」
何時もは夜遅くに帰ってくる母親が、今日は偶然、早くに予定を終え、近くを通った事によるアクシデント。
均衡が崩れる──。
「ママー!」
妹が嬉しそうに近付き、母親の元へ駆け寄り、それを抱き留めようとするも、その腕はピタッと止まり、突き放すような動作をして、少年を睨む。
「全く、あなた、舞喜をこんなに泥んこにして!遊んでる暇があるなら、勉強していい学校に行けるようにしたり、家族の為になるような事をしなさい!」
「⋯⋯ごめん、なさい」
少年に驚きはなかった。自宅に帰れば似たような言葉を掛けられている毎日である。
今更なところもあり、何時ものように謝るのみ。
「帰るわよ!宿題終わるまで、ご飯抜きだからね!お父さんだって頑張ってるのに、あなたは本当にもうっ!嫌になるわ⋯⋯。舞喜?来年の受験に向けて、あなたも頑張るのよ?ウチの子なら、やれて当然、出来て必然なんだから」
「えぇぇ、いやだ〜〜」
「嫌じゃありません。ご近所さんの評判だって良くなるし、お父さんが褒めてくれるのよ?」
「パパ、いっつも遅くに帰ってくるから褒めてくれないよ?」
「大丈夫よ、お母さんが話すから」
「⋯⋯うん」
当時の妹の年齢は六歳。まだ父親がどんな役職に就いているのか、母親が何をしているのか、何も知らなくても不思議ではない歳頃であり、純粋無垢に近かった。
そんな妹すらも、内心では嘘臭いとすら思っていたが、それを口にする事は決してない。
母親は妹を睨み付けるように観察し、大して汚れていない左腕を掴み、公演を出ようとする。
その後を追い掛けるように少年は駆け出して行く。
そして、そんな少年の足音が聞こえた母親は一瞥すると車に乗り込む。
「准もよ?しっかりしなさい。中学受験までもう二年よ?」
「別に僕は行きたくない⋯⋯」
シートベルトを付けながら、何気なく本音を吐露する。
「⋯⋯あなた、本気で言ってるの?もし、受験しないなら、家から出て行って貰うからね?」
バックミラー越しに映る母親の顔は憤怒の形相で染まっており、少年は先程の発言が完全に地雷であったと、即座に理解し俯いてしまう。
「⋯⋯⋯⋯分かった。やる」
少年の家族関係は『普通』ではないのかもしれない。
母親は家庭に関心のない父親に振り向いてもらう為に試行錯誤の末、子供達に託す選択をした。
『家族の出来は子供の出来で決まる』
母親の口癖であり、近所付き合い、PTAを通じて得た母親の思考。
父親は子供に関心がない訳ではなく、母親に関心が湧かなかった。
子供の世話は母親の世話という『亭主関白』を母親直々に言い渡されて、その通りに従っている。
気が楽だったというのもあり、それが当たり前となり、次第と子供と接する時間を取る事を止めた。
そんな歪な家庭に生まれた少年にも夏休みは当たり前のようにやってくる。
歯車が狂い始めた日にちであり、少年が家族を見限り始めた切っ掛けの日。
「確か、十四時半からだったよな」
時計を見つめ、出掛ける準備に入る少年。
既に母親から言い渡されている家事は全て済ませており、今日の分の宿題も嫌々ながら早く終わらせていた為、文句を言われる術も筋合いも全くなかった。
出掛けるなという言伝もなく、遊びに行くだけならばやる事をやれという方針には従っていた為、意気揚々と準備を始める。
「母さんも今日は遅くなるって言ってたし、遅くまで遊べるかな?」
前回以降、何度か予定をキャンセルしてしまった事による負い目は、少年の思考回路では『遊べなかった分、長く遊べば均等になる』というのに変換され出た言葉。
悪気もなければ、決して相手を軽んじている訳でもない善意のみの言葉を、妹は確かに聞いた。
「お兄ちゃん、舞喜も行くぅ!」
「だって舞喜、お前連れてっても後になったら母さん怒るんだぞ?連れて帰る時、おんぶだし⋯⋯」
母親に叱られるよりも、おぶって徒歩十分の方が苦労すると知ってしまった少年は、あからさまに嫌そうな表情をしつつ外出の準備を済ませていく。
だが、妹は臆さない、めげない、挫けないを地で行くのみであり、少年が着たTシャツを適当な位置で掴み、引っ張り出す。
「ヤダヤダヤダ!一人で居たくない!舞喜も行くの!」
「えぇ、でもなぁ⋯⋯」
「ん〜〜、行きたい!行きたい!行きたーーい〜ッ!!」
駄々を捏ね始めた妹は、世界中に居る同い歳の子供相手、歳上の男性、女性ですら敵わない程の駄々っ子であり、我儘街道まっしぐら。
最近は特にそれが酷くなり、手を焼き始めていた少年は、遂に諦めてしまう。
「わかったよ。ボールだけでも取ってこいよ。遊んでくれるぞ?」
「うん!わーい、やったーー!」
廊下を走り、庭にある物置き場へ向けて走り出す。
そんな背中を一瞥し、玄関先で妹の颯爽なる登場を待つ事とした少年は靴を履いて、考え耽る。
「はぁ〜、夏休みか〜。読書感想文、だるぅぅ。あ、そうだ!本の内容、コピれば済むじゃん!僕って天才!」
実際、クラスで一人は必ずやっている手法なのだが、少年はそんな事を知る余地がなかった。
『〜は〇〇だと思いました。』と書くのが定例の読書感想文に自身を鼓舞する意味も込めて一人玄関で胸高らかにしていると、予想外の言葉が耳に届いてしまう。
「あ、ママ!おかえり!」
「え?!なんで?」
驚きで声がした庭方面へと顔を向けてしまう。
聞かされていた話では夜まで帰ってこない、という予定であった。
舞喜が来ないのは別に問題はなかった。
少年からすれば、帰り際の疲れが減少傾向になるだけなのだから得ですらある。
しかし、問題は少女に対する負い目の方。
ただでさえ、二回キャンセル時にすら電話越しで悲しそうな声を受話器越しから聞こえてきていたというのに、これ以上はマズイと感じ始めていた少年。
物を購入して謝罪をしようにもお小遣い切り崩して予定のキャンセルを伝える公衆電話の料金とバス代に消えてしまっている為、物を買う金は既になく、今日の予定で使うバス代と余った三十円が少年の全財産であった。
一方、母親は自転車を停めるべく庭まで来ていた。
少年が聞いた母親の今日の予定は確かに間違ってはいない⋯⋯だが、夜遅くまでとなる予定はあくまでも夕方頃からの事であり、先程までの母親は別件で家を出ていただけの事であり、決して昼頃に帰ってこないとは言っていない。
「舞喜?なんでボールなんて持ってるの?」
じわじわと近寄ってくる母親。冷ややかな視線に怯えた妹は、庭を踏む際に履いたサンダルを蹴る勢いで部屋へと戻ろうとするも、母親に服を掴まれて一気に後方に投げ飛ばされる。
恐怖心は募り、弾けないまま膨らんでいき、身体を疼くまり、震えながら口は自然と動く。
「お、お、お兄ちゃんと⋯⋯、一緒に遊びにい、行きます。いつもの公園に⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
母親の視線は妹には向いておらず、徐々に距離が離れていき、近くに落としたボールへ。
風船よりも弾力があり、サッカーボールよりも柔らかいその子供用のピンク色のボールは母親の手に掴まれ、そのまま部屋の中へと直行。
しばらくして戻って来ると、ボールの他に持っていたのは鋏だった。
「舞喜ちゃん」
呼び掛けは何の為か?見せ付ける為であり、分からせる為。
親に逆らう事の意味、怖さを植え付ける為の強行。
呼び声に顔は前を向き、その瞬間に鋏はボールへ向けて一直線。
小さく破裂音を鳴らしつつ、一気に空気が抜けていく。
そして、僅か数秒で見るも無惨なボールだったピンク色の何かは庭に落とされて、それを踏み付ける。
「うわぁぁッ!うぅ、ボールが⋯⋯。舞喜の、うぅ、うぇぇぇぇん〜〜ッ。ボールがぁぁ〜〜」
二年前から使っていたお気に入り。
それが一瞬で使い物にならなくなり、泣き喚く妹の泣き声に少年は急ぎ駆け付ける。
何が起きたか?それは少年は見ていなかった為、把握出来ない。
しかし、先程まで駄々を捏ねていた妹は大泣きし、その正面には鋏を片手で持っている母親の背中があった。
言葉にならない動揺と困惑が渦巻いていき、舞喜へ近づくこうとする。
しかし、その少年の足音に気が付いた母親は振り返ると同時に鋏を持つ手とは逆の手で少年の胸ぐらを掴み、壁端へと叩き付けた。
「准ッ!!あなたって子は!勉強もしないで!!!何しようとしてるのぉぉぉッ!」
真に迫るその狂気地味た母親の表情に一瞬、動揺と恐怖が目紛しく心を動かしていき、心音として表現されていく。
「今日の分は終わった。洗濯も干したし、ご飯も作った」
文句を言われた際、定型文にも似たその言葉を使えば、大概は収まる。
だから、この時も同じ事を言い、不安感を払拭しようとしていく──しかし、母親の鬼気迫る形相は一向に変化せず、肩を強く掴まれて、逃げられない状態のまま睨み付けられる。
「掃除は!」
「したよ⋯⋯。トイレも風呂も⋯⋯」
ヤケに執拗いと感じつつも、母親からは逃げられない。
逃げようとして、右手に持たれた鋏が身体を貫かれるのが怖くて、言い出せる訳がない。
双方、息が荒くなる。
庭では空気の抜けたボールを悲しそうに両手で掴みながら、二人の動向に臆する妹が壁に隠れるように眺めていた。
「そこまでやるんなら、勉強に集中しなさいよ!だから何時まで経っても駄目なのよ!あなたは!」
唾が飛び、壁に背中は打ち付けられていく。
「なんで、なんで、駄目なんだよ!良いじゃんか!遊ぶ約束してるんだから、行ったって!」
「言い訳しない!」
「言い訳じゃない!皆、夏休みに一回くらい外で遊ぶ約束はするし、どっかに行ったりもするじゃ──うぐっ!⋯⋯⋯⋯ってぇぇ」
銀色に鈍く光る先端が少年の頬を裂いて、ついでとばかりに頬を叩かれた。
壁に頭を打ち付けてしまい、倒れ込んでしまう少年にのしかかり、鋏を右眼にチラつかせながら暗く落ちた瞳が見下ろされる。
「どこまでダメになるのよ。私を困らせないで。⋯⋯いい?あんな子と遊んだら、あなただけじゃなくて、その遊んでる子も駄目になるのよ?どうしてだか分かる?あなたが駄目だからよ?伝染するの。駄目な奴は駄目な奴同士でもっと駄目になっていく。准はそうなって欲しくないのよ?お母さんの言う事、信じられない?」
床と母親の板挟み、のしかかった重さに悲鳴を上げようにも顔を上げるような動作一つで鋏と接触し、失明のリスクが増す。
そんな中、母親の発言に脱力していく。
「⋯⋯⋯⋯僕は駄目な子なの?」
「そうよ、だから、いい子になるの!その為にいい学校に行って、いい人を見つけて、いい人生を送るの!お父さんもそうしたら、ちゃんと見てくれるから、ね?」
「⋯⋯⋯っ!⋯⋯⋯⋯」
少年は気付いてしまった。その日、初めて──。
母親が求めているのは父親であって、自身ではない事を。
母親の中で家族という枠組みに真に入っているのは父親と母親の二人のみで、自身と舞喜は家族という枠を支える支柱的役割でしかないのだと、悟ってしまう。
普段から母親と父親が家で話す事はない。
冷めきった空気は吹雪く世界へと色付いていき、氷河期にすら突入しているというのに、それでも離婚の類は話題にも上がらない事に幼い頃から疑問があった。
しかし、その理由は単純明快で簡単だった。
『子供が居るから別れない』
ただそれだけの話であり、それ以上も以下もない。
(『駄目な奴』と付き合えば『駄目』が伝播する⋯⋯)
少年はジッと、母親を見つめた。
「ほら、感謝は?お母さんに何時も、ありがとう、って。言いなさいよ。産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。何時も頑張って偉いね?って言いなさい。あなたの為になる事しかお母さんしてないでしょ?」
この日、初めて母親を母親ではなく、怪物に見えた少年は何も出来ず、鋏を片手にチラつかせた脅迫に屈して、感謝を告げさせられた。
頬に付いた傷は一ヶ月もすれば傷跡も残らずに済んだが、その日の少女の予定はキャンセルとなり、外出は禁止となってしまう。
少年の夏休みは自宅での移動のみとなった。
少女との約束は完全に忘れてしまう要因、それは母親の束縛と圧倒的な恐怖感から来る身体の震えが全てである。
部屋の扉を僅かに開けて、瞳だけを覗かせる母親。
食事中に聞いてくる話も勉学についてのみの母親。
ポストの中を確認しようと玄関近くまで行こうとすると、外へ出ないようにと確認しに玄関まで立っている母親。
それらの行動一つ一つ、足音、息遣い、動作、所作一つに至るまで、少年にとって母親は恐怖の対象となった。
その年の一年、何時ものように笑う母親。
壊れたのではなく、既に壊れていただけであると、その時理解し、以降もその考えは揺らいですらいない。
十七歳間近となる少年──桐江准は両親という存在を『【人生の汚点】』と表現し、今日も生まれた事に後悔する。
⋯⋯⋯⋯龍と出逢うまでは。
━ ━ ━
相も変わらず駄々を捏ねられた結果、一周目とは違い、蒼太だけではなく、舞喜を連れてやって来たコンビニ。
夕焼けは冷めて、暗い道筋となっていく中、曲がり角を通り、その先の道は淡く光っていた。
店舗のすぐ傍に佇むその存在に、視線は釘付けとなる。
コンビニ店内、そして屋根の側面に点いた明かりに当てられて、不気味な雰囲気を醸し出しながら居る富宮奏海を。
(行かなくちゃ⋯⋯。ちゃんと、受け止めないと)
勇気が必要だった──。
准は謗りの一つ二つ、甘んじて受けるつもりだったが、肝心の『かなちゃん』と遊んだ記憶は思い出せていない。
つまり、言葉選びを間違えると、ただ怒らせるだけで終わってしまう可能性もあった。
それでも行かなければいけないと、確信はしていて、騒つく心臓は不安感が募りに募った結果による影響。
逃げてしまいたいと思う気持ちもなくはなかったが、それでもその後が尾を引いて、更に悪化した結果、明日、桐江准、並びに大洲藍莉は亡くなる。
他人事では、もういられない。
「舞喜、悪いけど、蒼太連れて、先に店に入っててくれないか?」
「え、なんで?トイレ?」
「だったら中に僕は居るじゃねぇか⋯⋯」
スラッと解答を外す舞喜クオリティが炸裂し、准は思わず溜め息を零してしまうものの、一切その様子を見る事はない。
既に奏海は准の方へと視線を向けて訝しんだ顔付きに変わっており、舞喜は交互に目線を送り、何かを察した。
「⋯⋯⋯⋯はは〜ん。成程ね、藍莉さんが居ないからって、ナンパ業に勤しもうとしてるって事だね。了解!ごゆっくりね?後で報告するけど」
恋人公認、彼氏監視委員の名を受けて、スマホを片手に意気揚々と画面をスワイプして送信ボタンをタップまでの流れをスラスラとこなすであろう舞喜は浮ついた笑みを浮かべる。
そんな悪意のある笑みに呆れてしまいつつも、尻ポケットにある財布へと手を伸ばす。
「違ぇーよ!ったく⋯⋯ほら、財布渡すから、僕の分も頼む。後、買い物終わったらこっちに来てくれ」
「え?ごゆっくりしてていいんだよ?」
「⋯⋯⋯⋯良いから、来てくれ」
「うーん。分かった」
准と繋いでいた蒼太の手は離れて、舞喜の方へと誘導、そのままの流れで店内へと歩いて行く二人を見送った准は奏海の方へと進んで行く。
そんな少年の動向は意外なものだったのだろう。
奏海はズボンのポケットに突っ込んでいた手はアタフタしたようになり、組んだ状態で平静さを保とうとしていた。
凭れ掛かるように隣へ座った准は悩む。
自分の意思で自ら奏海へ声を掛けた試しがない事が発言する内容、そしてそのタイミングまでを。
しかし──。
(マズイな⋯⋯。意外と思い付かないぞ⋯⋯)
何をどう話せば安心安全の会話が成立するのか、准には思い至らなかった。
ただの世間話一つで琴線に触れる事すらあるのが二人の普段の会話状況であり、そんな中で好転を目指して言葉選びをした記憶もない。
つまり、地雷が沢山埋まった地面の中心に立たされているのと、同じなのだ。
気付けば、唸り声が口から漏れ始めてしまい、そんな状況を隣で一人、四苦八苦している様を見せられれば、嫌でも反応してしまう。
「あんた、何しに来たの?」
籠った敵意にも似た感情はありったけ、言葉に詰め込んで、練り合わせて投げつける。
「っ!あぁ、えぇと⋯⋯」
しかし、どうも調子が狂う奏海。
それもその筈だ。たとえ准がどれだけ、あんぽんたんであろうとも、数々の罵倒にいち早く察知して口論を繰り広げてきた。
だというのに、今回に限って言えば、反応はしているが、それに堪えた様子はなく、何処か遠い目をしている准に若干動揺してしまう。
「はぁ?用がないなら、店入れば?妹さんでしょ?さっきの女の子。私に構ってまで何したいのよ」
「今日は構いたい気分なんだよ」
「きっっしょ。死ねばいいのに」
多少、上から目線な発言が鼻についた奏海は声を大にして言う。
けれど、准は抵抗をしない。何かしらのアクションを起こしそうなものだが、それがない。
いよいよ様子がおかしいと勘付いた奏海は座り込んで、今尚、立ったままの准を見つめて観察する。
自身は決して、間違わないように⋯⋯。
「今日さ。ちょっと色々あってな。話し相手が欲しかったんだよ。付き合ってくれ」
「なんで?藍莉にでも聞かせてあげれば?」
「お前がいいんだよ」
改めて、奏海の言葉を深く胸に刻み込む。
これは誰の為か、自分の為であり、他人の為では決してない。
明日、奏海によって准は殺される。
その理由を明確化した時、思い浮かぶのば、普段の彼女の口癖。
仮に他の誰かなら、冗談程度のもので済む言葉でもある。
けれど、それを向けてくるのは何時も奏海だ。
真に受けた訳が一度としてないその言葉は、准以外には決して発さない言葉であり、そういう意味では本当に望んでいる事だったのかもしれないと、耳に残ったその言葉を何度もリピートする。
「僕は今、藍莉じゃなくて、お前に聞いて欲しいんだ」
意味深な何かがある。そう感じ取った奏海は眉を顰めさせて、考える。
普段、互いに平行線を辿った価値基準を進んでいると奏海自身も理解していた。
それが何故か今日に限っては交わろうとしてくる事に疑問と余念が尽きずにいる。
(なに、なんで、今更⋯⋯⋯⋯。っ!)
歩み寄った事は決してなく、しかし、歩み寄られた記憶もない。
何時までも、ずっと互いに一定の距離と間隔を空けた上で生涯を終える──そう感じてすらいた奏海に一つの転機が訪れた。
「⋯⋯イヤ。私が聞いたって意味ないじゃん」
しかし、それを自ら棄てる選択を取った奏海の顔には後悔が滲む。
意地があって、苦渋があって、悲しみがある。
それは一朝一夕でトントン拍子に収まり、落ち着くようなものではない。
彼女は孤独を知っている。
少女は悲しみと失望を知っている。
富宮奏海は友人から裏切られた過去を体験している。
隣で鎮火されかけた熱のような少年の顔を窺う。
元気に友人と話している姿が嫌い。
仲良く誰かと話している姿を憎み。
何かしらで一生懸命になれる少年を妬む。
誰かと新しく関係を築ける隣に居る桐江准を心底、恨んでいる。
それを──確認するように再認識されていく。
そうでなければならない、そうでありたい。
自身を奮い立たせる為には⋯⋯。
「今日さ、色々あって⋯⋯此処の事、ちょっと聞いたんだ」
語り始める少年。それに訝しんだ奏海は苦い顔を浮かべて悪態をつく。
「コイツ、信じらんないんだけど⋯⋯。逃げたらいいじゃない。あんた、知らんぷりするの得意でしょ?」
「多分そうだろうな。けど、それを毛嫌いする自分もいるから、そっちを優先したい、だけだ⋯⋯⋯⋯」
眉間に寄せていた皺は途端にさっぱり消えた。
思い詰めるように俯いて、膝を抱えるように腰を曲げる。
そんな彼女の様子を窺う素振りもなく、淡々と話を進めていく。
そうでなければ、甘えた自分が出てきて、言い訳を作りそうになっていたからだ。
今、この時だけでも、甘んじて受けなければならないというのを忘れてはならないのだから。
「この場所さ、昔は公園だったらしいな?」
「っ。⋯⋯⋯⋯そうよ?まぁ、コンビニになる前は不味い料理出す中華屋だったけどね」
「詳しいんだな」
「別に、偶に近くを寄ってただけ。だから、一回しか行ってないし」
奏海の現在の住居はここから北側にある中央地区。
此処は南東方面の少し真ん中に寄った地区だが、それでも数キロ以上離れている位置にある。
近くを通っただけでは済まされない距離を来た事になるのだが、准にはその済まされない理由が今なら、分かるのだ。
一周目とは明確に違う知識の差が浮き彫りになる。
「それで?公園が何?今更」
「僕さ、正直言うと、あんまし覚えてないんだけど、ここが公園だった頃に知らない子供と遊んでらしい」
「へぇ〜、そのまま攫われれば良かったのに」
優しい微笑みを表に出しながら口にする奏海とその言葉の意図を詮索しようとする准、しかしその答えは見つけられない。
切り返すように、別の解釈で言葉を投げた。
「細い道だったからなぁ。ワゴン車みたいなのが前から来たら、多分僕なら壁と一体化するぐらいにピッタリくっ付くな」
車一台分の細い道、電柱やカーブミラーのような物ですら歩行者だけでなく乗用車側も思わず舌打ちしたくなる程の狭さだったその道、その不便さ危険性を考慮した近隣住民は使いたがらない程の道だった。
しかし、今はその道は存在しない。道だけでなく、その周りにあったあらゆる過去の痕跡は綺麗さっぱり消えて、広い車道と歩道、チェーン店等が建ち並ぶ光景に変わっている。
しかし、懐かしむようにコンビニの入口側へと目を向けて、そっと指を差す奏海は確かに覚えているのだ。
もう、十年にもなろうとする変わり切ったその街の一部分とその風貌を明確に。
「あそこってね、家が多く建つ前は田んぼだったのよ。そこを舗道していって、あんな感じになったの。今も近くには残ってる」
「へぇ〜。この辺通らないからなぁ⋯⋯。知らなかった」
「あんた、どんな風にここに通ってたの」
少し見渡し、コンビニの入口側に指差して、『つ』の文字を少し下に傾けて斜めの曲線を描くようになぞる。
「確か⋯⋯、そこの道から、ぐぅぅっと迂回してたかな?初めてここに来た時、後ろからバイクが通って来て、危なかったからさ。だから迂回して広い道使ってた」
「じゃあ、私の前の家の横、通ったかもね」
少し嬉しそうにする奏海とは相反して准は少し、ほんの少しだけ怪訝そうにしてしまう。
仮に、もしも、そんな可能性の追求をしてしまえばきりのない人生を現在進行形で送っている少年。
その情報を前もって知れていれば、こんな事にはならなかったのかもしれないと、恥じるばかり。
「そっか、今は中央地区だったな」
「まぁ、もっと言うなら、少し南に外れた住宅街。いい暮らしよ?」
そう、微笑んで見せる。自慢したような口振り、だというのに徐々にその均衡は崩れさるように笑みは消えていき、正面に広がる綺麗に舗装された道や店、家屋やアパートを見つめる。
やがて、目を細めていき、閉じ切ってしまう。
「この場所、変わらなきゃ良かったって思ってる。古臭い店とか多くてそんなに人気の良くない場所だったのは知ったけど、それでも⋯⋯前の方が良い」
「⋯⋯なんでだ?」
疑問、というよりも聞かなければならないに近いものだった。
桐江准は改めて知らなければいけない。
隣で憂う気持ちを溢れさせる富宮奏海の事を。
懐かしむ彼女の横顔には哀愁があり、悲壮感があり、そして慈しみが確かにそこにあるのを准はしっかりと見つめていく。
見落としは、一切許されない。
「自分の居場所が街から消えて行ってる気がするから⋯⋯」
そこは彼女の居場所であり、大切な過去の残滓が残っていた。
けれど、街自体が姿を変えれば垣間見る機会は無くなり、次第に思い出に昇華されていく。
姉との記憶、家族と過ごした家とその内部で過ごした記憶。
現在の富宮家は中央区にあり、かつてはこのコンビニがある場所付近にあった。
けれど、八年前まで住んでいた家は既に取り壊されて別の建物に変わってしまっている。
影も形もなく、懐かしむのが精一杯の思い出となった現在、奏海は憂うのみ。
そんな横顔を見つめる准も思い出そうとする。
彼女に比べればちっぽけなぐらいにボヤけた記憶であるのは細い道と、舞喜を背中でおぶり帰る苦労と、小さな公園の入口付近で母親に叱られた記憶だけ。
元々、八年前の准が公園を訪れる際も決まったルートを歩く事しかしなかった事も相まって、付近については殆ど知らないのが真実だ。
田んぼが付近にあった事も、奏海の自宅が近かった事も、公園から歩いて二分先には自販機が三つ並んで置いてある事すら知らない。
「ここにあった公園、小さかったよな⋯⋯」
「⋯⋯そうね」
小さかった頃は公演をめいいっぱい使って遊び倒した過去の思い出。
身体が大きくなり、見ている視点が高くなると同時に大人になっていくと、そんな場所も次第と小さく思えてしまえる。
八年という時間の経過は二人を子供から大人へと変えていくには充分な時間であった。
「あんたは覚えてないんでしょ?」
「覚えてない。今日人に会って、その時に何となく気になって、帰って舞喜に聞いただけだ」
「⋯⋯⋯⋯そう」
准自らの意思や力で思い出せた事なんて一つもなくて、当時既に高校生だった加鍋と偶然記憶が残っていた舞喜がいなければ、背凭れ代わりに使っているコンビニがある場所が公園であった事なんて知る由もなかった。
それが桐江准の限界。
暗くなっていく空を奏海は見上げて、憂う。
(やっぱり⋯⋯⋯⋯この人は⋯⋯)
失望感が募る。ほんの僅かにでも期待した。
隣で未だに立って俯いた様子の准は自身の記憶を自らの力で呼び起こした訳ではないという事が、深く心に刺さる。
「この公園ね、あっちにブランコ、あっちに砂場、あっちに出入口があって黄色くて丸いのがあったの」
促すように語り出す。何かに気が付いて欲しくて、欲するように懇願と切望にも似た瞳は准を見つめる。
「そうなのか⋯⋯」
「っ⋯⋯。此処でね、よく三人で遊んでたの!私と男の子と女の子。それと偶にお姉ちゃんとその彼氏さんとで。皆優しくて⋯⋯、それで⋯⋯」
目が訴えていた──『初耳だ』と。
「鬼ごっこ、したりとか⋯⋯⋯⋯隠れんぼしたりとか⋯⋯ボール遊び⋯⋯も」
口元が震える中、察していく彼女の視線が自然と准から離れていく。
込み上げる懐かしさだったものは、悔しさと悲しさに埋め尽くされてしまい、諦めた。
(なんで、私、こんな奴に⋯⋯。私、なんで期待したんだろ⋯⋯)
求めている事はたった一つ。それ以外は何も要らない、変わらない、替えられない。
八年前まではしっかりあった筈が、今では空白となってしまっているその存在は、一向に欠けたまま。
何時までも埋まらない。傍に居て、明確に知っているのに、ピース自体がそうではないかのように振る舞う。
(ちゃんと居るのに⋯⋯、ちゃんと覚えてるのに⋯⋯。薄情者、嘘吐き、嘘吐き、嘘吐き、嘘吐き)
口には出せば良かったものを、敢えて出さなかった。
気付いて欲しかった、自らの力で⋯⋯。
けれど、その願いは叶わないと折り紙を折るように丁寧に形を作り、また内側にしまい込む。
「私さ、約束を破る奴⋯⋯嫌いなの」
言葉を選ばず、口は動く。拍子抜けにも近い程、軽く口にしたその言葉は無駄に重く感じた准は拳を握る。
「だって、辛いじゃない。⋯⋯何時まで経っても来なくて、一人でぼ〜と待ってて、近くを通った人を見る度にキョロキョロするのよ?そんで悲しくなる⋯⋯」
夏休みの昼過ぎ、姉が居なくなってしまい、発見される一日前。
沈んだ家族を他所に少しでも姉の願い通りでありたいと願った少女は自宅を出て──八時間強にも及ぶ待ち惚けにあった。
連絡の類はなし、近くを通る子供からは不審な目で見られて、声を掛けて来る人物は誰一人としていない。
ひたすらブランコを独占して、もう一人分を健気に空けた状態にして待つものの、結局は姿を見せず、孤独に帰るのがオチ。
泣く事よりも疑問が湧いて、連絡を掛けようともしたが、連絡先を知らない⋯⋯少年が使っていた連絡手段は公衆電話であり、自宅も当然のように知らない。
結局、その待ち合わせとなっていた公園は撤去されてしまい、今では建物が一つ、ポツンと建っている。
そんな当時の事なんて、聞かされていもいなければ、聞く勇気もない少年は一言。
「ごめん」
目を見開いた奏海は立ち上がり、胸ぐらを掴む。
「ごめんじゃないっつの!」
怒声が飛び、車でコンビニにやってきた三人家族の内の子供は店内に入ろうとするものの、その声に驚き動きを止めてしまう。
それに怪訝そうな表情をする両親は子供の手を掴んで店内に入って行く。
「あんたさ!忘れられた人間の気持ち、分かる?」
「⋯⋯⋯⋯分からない」
仮にこの質問を常盤美羽がされたのならば答えようもあったのだろうが、准は美羽とは同じ経験をしていない。
姿が消えた事はあっても存在ごと消えた試しはないのだから、結果が違っても経緯が違えば意味も変わる。
だから、『分からない』──そう答えざるを得ないのだ。
一方の奏海は悔しそうな顔をしながら、語り始める。
自身の受けた屈辱にも似た悲壮さ、心傷、苦しみを纏めて全て准に与えようとする。
「最初の一日、二日は我慢出来るのよ?だって、誰にだって勘違いとか間違いはあるって思うじゃない?でも、それが一週間、二週間、一ヶ月、半年、一年って経ってくと、その忘れた奴にとって、私は要らない存在と同じなの!」
八年前以降、再会したのは中学に上がってからであり、余白は二年程にも及ぶ。
普通ならば、また友人を作り、自然消滅した関係として割り切る事が通例なのだろうが、彼女に限って言えば違った。
当時の彼女は友人作り一つに艱難辛苦する質であり、姉の助言が必須事項だったが、その姉も居なくなり、一人で模索しなければならなくなってしまう。
その結果、今の富宮奏海が出来上がった。
唯我独尊の如く我儘で過剰なまでの贔屓をして、気を許した人物の頼みは基本的に断らない──異常者の完成である。
率先して自分から話し掛けるというのは僅かでも勇気がいる彼女には重くのしかかった重圧であり、何が正解かなんて、誰にも分からない。
友人作りなんてものは千差万別故に。
友人になってからの接し方は多種多様の為。
友人の相談の解決策は無数に存在するにも拘わらず、合っているかどうかの一覧は存在しない。
攻略本なんてものはなく、ネットでも簡単には見つけられず、人に相談しようにも元は他人事。
だから、変わらなければならないのは彼女自身であり、富宮奏海本人が本質や気質を捻じ曲げてでも生きやすく、心の安定と安寧の為、模造した加虐的にも似た性質。
それが、今の富宮奏海。
そして、准の胸ぐらを掴み、必死さを噛み締める彼女は──どちらなのか。
「ちゃんと遊んでくれる友達だって思ってた」
「っ!」
「なのに、連絡もくれなくなって、中学同じ所になったら、あんた私の事なんて綺麗さっぱり忘れてたでしょ?!あんたにとって、私ってなんだったの?!」
准の身体が大きく揺れる。シャツは皺だらけになるのも厭わない、その攻撃的な姿勢に目を背ける事は本来許されない。
だが、少年は目を逸らしてしまう。
「ねぇ!答えなさいよッ!!」
「⋯⋯⋯⋯分からない」
「ッッ!言い訳ぐらいしろよォォォ!お前ぇぇぇ!なんかあったんだろ?!どうせ!」
地面に倒されてしまう准。起き上がる事はしなかった。
「⋯⋯」
言い訳──出来るものならば、少年もしたかった。
しかし、事実として自身が彼女を苦しめたという証言が多くあるというのに、それをしてしまった記憶が一切ない。
あるのは母親による暴力性に屈した苦い記憶のみ。
塗り替えられた記憶、純白とオレンジ色の絵の具に真っ黒に染まったペンキを被せられて上書きされたようなもの。
少年は待ち合わせに来れなかったその後、一度だけ公園に向かったが、工事が進んでしまって奏海と会う事は叶わなかった。
更にその後、その行いがバレてしまい、母親のキツイ『お叱り』が身体を抉り、結果として顔も声も思い出せない程に塗りたくられてしまう。
けれど、忘れるという結果は自身の問題である。
准は少なくてもそう考えてしまい、言い訳なんてものが一切、見当たらなかった。
「信じらんないんだけど⋯⋯⋯⋯あんた、何しにここに来たの?」
僅かな渇望があった。昔の話をすれば、少しは何か思い出してくれるのかもしれない。
そう願ったが、結局は何もならず始末。
「⋯⋯話せば何か思い出せる。⋯⋯そんな期待もしてた。けど、駄目だ。やっぱり思い出せないんだ!⋯⋯ごめんッ。本当にごめんッ!」
蹲りながらの謝罪。今更塗り替えられた記憶はそう簡単には剥がせない事の示唆。
悔しそうに目元を震わせて、何かを拒絶するような、そんな瞳はジッと少年を見下ろしていく。
叶わず、願っても訪れず、懇願は無駄に過ぎる可能性は大いにある中、それでもと、心を揺さぶる。
「っっ。⋯⋯⋯⋯待ってたのに──」
准の耳には啜り声が聞こえた。
それがまた少年を苦しめる。
「待ってたのに!お姉ちゃんに言われた通り、ちゃんと友達が出来て!大丈夫だって、信じて⋯⋯待ってたのにっ。ずっと、ずっとーー!!なのに、あんたは⋯⋯最低よ」
「⋯⋯⋯⋯そうだな、最低だ。何も間違ってない」
「だから!言い訳しろって!」
「言い訳なんか、あるかよ⋯⋯。本当に間違ってないだろ?僕はお前の期待を裏切った。約束も反故にして失望された薄情者、それが僕だ。言い訳の余地があるかよ」
自身を苦しめる言葉を自らに言い聞かせていく。
気持ちが悪い程の自暴自棄。
けれど、それが少年の取った選択であり、彼女が望んだ行動と言葉の顛末。
「っ⋯⋯そうよ。あんたは薄情者よ⋯⋯。そんな事分かってる!失望もしてる。私ばっかり、こんな目にあって、そんな切っ掛けは全部、全部、全ッッッ部──お前なのッ!!!」
蹲り、悲観に暮れる少年を見下ろす奏海の声色は徐々に強くなっていき、言葉の端々まで噛み締めるように口元を強く閉じていく。
「でも────」
強烈だった言葉は和らいだ。ボルテージは急激な落ち着きをあらわにして言葉に籠められる。
それは准にも聞き届いて、下に向きっぱなしだった顔を見上げさせた。
涙を溜めて、僅かに潤んだ眼。
そして、ほんの少しの微笑みを見せる奏海。
准にはそれが理解出来なかった。
「中学で一緒になった時、嬉しかった。それと同じぐらい、忘れられてたのが悲しくて⋯⋯⋯⋯。体育会で一緒になった時、あんたなんて言ったか覚える?」
「⋯⋯覚えてない」
中学一年にあったリレーは、准にとって奏海との初邂逅。
男女混合リレーという閉会式を除いた最後の種目。
准と奏海は三番手であり、次の走者がラスト。
既に一番手の人間は走り終えて、次の二番手の走者が半分辺りを過ぎた頃、当時の准は隣に居る奏海を見て察して一言。
「疲れてそうだけど、大丈夫か?って。あんたそう言ったのよ⋯⋯。笑えてくる、ホント」
薄ら笑いにも似たその笑みは苦しみが籠められていて、憎さも見え隠れしていた。
准にとっては初めて出逢う女子生徒に投げ掛けた心配の言葉──けれど、奏海にとってはそうではなく、久方ぶりに出会った友人。
言葉一つで覚えてくれていない事はすぐに感じてしまい、すぐに目を背けてしまった彼女であったが、それでも背けた後は少しだけ──。
「中学で出来た友達は皆、私の体調が悪い事に気付きもしなかったのに、よりにもよってあんたが最初に気付いたの。ホント、どうかしてる!私が半年掛けて作った友人よりも、一方的に捨てて、忘れて、関係がリセットしてる奴の方が私の事知ってるなんて⋯⋯⋯⋯」
「ごめん⋯⋯」
「それが、嬉しかったから、だから、嫌なのよ⋯⋯。私は⋯⋯」
「えっ?」
驚きで小さく声が出てしまう。
薄ら笑いは消えて、何処か柔和にも見える笑みを浮かべた奏海に准は唖然とする。
「また、戻れるって思ってた。否定したかったけど、ホントに嬉しかったから。でも、嫌われてるかもって思ったら、言い出せなくて⋯⋯っ。それが、嫌で⋯⋯」
奏海目線では一方的に切り捨てられたという認識。
だが、何故そんな事をしたのか、何かあったのか、どうしてそうなったのか、それを聞く勇気は湧いて来ず、真実を知る事を恐れてしまい、今まで接してきてしまった。
けれど、その時間は閉幕を迎える──。
「どうしたら良かったの?私、こんなんだから、こうなっちゃったから⋯⋯だから、どうして良いかも分かんないの。ねぇ?教えてよ⋯⋯きーくん」
「っ⋯⋯」
全て、思い出した訳では決してない。
目の前で悲壮感に胸を募らせている彼女に比べればちっぽけな記憶量⋯⋯だが、僅かに思い出せたものもある。
━ ━ ━
複数人の声、そして幼い頃の舞喜。
そして、その時の空気感を回帰させた。
「あだ名大会〜開幕ぅぅぅぅ!へい!パチパチパチ」
自身よりも大人の女性は盛大に盛り上げようと手を叩き始めたのが全ての始まり。
ただの戯れか、それとも何かの意図があったかは准には分からない。
けれどその日、春頃になり始めて、桜が咲いた時期で、まだ奏海と遊び出して二回目という時、姉とその彼氏である加鍋を連れてやってきた。
「あだ名ってニックネームだよね?」
准がそう問い掛けると笑顔で受け応えをする。
「そ!私は詩香だから、うっちゃんでいいや」
自身を指差し、自慢げにそう口にする詩香だが、隣に居た加鍋は首を力なく横に振る。
「いやいやそれだと、なんちゃん居るじゃん」
「芸人じゃねぇよ!あ、でも加鍋の『な』から取れば──」
無理くりに通そうとするあだ名。
そんな彼女に溜め息混じりに一言。
「ある訳ないだろ?」
「ないかー」
大して悔しそうな訳でも、諦めた様子もなく、飄々とした詩香は近くにあった小石を蹴っ飛ばす。
一方、准は隣に居る奏海へ視線を向けた。
「なんて呼ばれたいの?」
「⋯⋯⋯⋯なんでも、良い」
照れ臭そうに俯いてしまう奏海に首を傾げた准だったが、そんな少年達の間に入るように詩香が割り込み、准の首へ腕を回す。
「可愛い名前付けてくれよ?妹なんだからさ」
「ポケ〇ンかよ」
加鍋がツッコミを入れると、豹変したように睨む詩香は立ち上がり、近寄って行く。
「あぁ?!誰が野生のモンスターを瀕死まで追い込む鬼畜なゲームだって?!」
「言ってねぇよ!」
そんな二人の会話を置いて、准は考えた。
元気満点かつアグレッシブな詩香が何時自身に牙を剥くか分からない為、しっかりと可愛らしい名前を考えて、考えて、結果──。
「『とみやかなみ』だから、『かなちゃん』!」
「安直ぅ〜。⋯⋯⋯けど、良いんじゃねぇの?」
初めは小馬鹿にしたような口振りだったが、詩香は途端にそのような態度を止めて、准の傍に行くと指を差す。
「え?」
「ほれ、コイツ見てみろよ」
その方向には可愛らしい柄が刺繍された水色のTシャツを着てスカートを履いている少女が俯きながら、少し照れていた。
それを見た准は少し照れて、そっぽを向くようにすると、途端に背後から舞喜がやって来る。
「じゃあ!私は『きーちゃん』!」
「お前はまーちゃんとかじゃないの?」
「やー!お兄ちゃんは『きーくん』ね?」
「なんで?!准って名前だぞ!?それじゃあ苗字でニックネーム付く事になるじゃん!」
「良いんじゃねぇの?呼びやすさも大事だって、『きーくん』」
北叟笑む彼女の顔は全ては見えず、けれど⋯⋯馬鹿にしているのは確かなのだ。
機嫌を損ねた准は頬を膨らませて、傍に居る詩香を見る。
子供ながらのプライドに火がついた。
「お姉さん、煽ってるでしょ?」
「お!やるか〜?言っとくけど私は強いぞー?」
「なんで、小学生に喧嘩を売るかなぁ?気にしなくて良いぞ?コイツ、ちょっとハッチャケてるだけだから」
加鍋のフォローが入るものの、それに異議を唱えるように拳作り、関節を鳴らしながら近付いてくる。
「おい、テメェ!言ってくれんじゃねぇか!表出ろよ!」
「ここが表だ」
軽いチョップで詩香の頭を叩き、「あひぃ!」とみっともない声を上げてしまう。
そんな様子に馬鹿馬鹿しい目で見る准は再度、奏海の方へと視線を向けてみると、何処か嬉しそうにしている少女が目に留まる。
「『きーくん』『きーちゃん』⋯⋯うん!」
「ん?なに?どうしたの?」
「私の事、これ、から⋯⋯『かなちゃん』って呼んで!きーくん!」
「分かったよ、かなちゃん」
その言葉は少女に笑みを齎し、呼応するように少年も笑って見せた⋯⋯。
思い出せた記憶はここまで。
決して、皆の顔を鮮明に思い出せた訳でもなく、服装も朧気であり、合っているのか明確なものはない。
齟齬や解釈も違う事もあったろうが、准はそれを信じた。
信じたくて、間違っていないと自身に投げ掛けて、鼓舞する。
蹲っていた身体は起き上がり、立ち上がって、真っ直ぐ、奏海の方へと視線を向ける。
かつては奏海の方が背が高くて、何処かオドオドした印象が拭えずにいた。
そんな少女だった彼女は泣いている。
間に合っていない記憶の回帰、初めて見せた笑顔は遠い昔のように色褪せて、ボヤけた輪郭であるものの、目の前に居る彼女が少女であった事実は覆らない。
あの時の微笑みを失わせたのは誰か?
その微笑みを蘇らせられるのは誰か?
愚か者、薄情者と謗りを受け続けてでも、少年は一向に少年のままであろうとも、それでも口にしなければならなかった。
「お前の初めての友達の枠、空いてるか?」
「⋯⋯え?」
「僕がなるよ。初めての友人って、別に一生仲良くする必要はないだろ?ドラマや漫画じゃないんだ。むしろ、居たなぁそんな奴、ぐらいの都合が良い風に扱えるまである。だから⋯⋯空いてるなら」
言葉の意図は何一つ、理解が及ばない奏海。
自身を棄てられても構わない枠に置いてでも友人になろうとする少年の意図は暗雲のように先が見通せなかった。
だが、枠ならば既に空いていて、未だに欠番。
その枠はただ一人の者と理解していて、目の前にはそれを求める者が居る。
「⋯⋯⋯⋯空いてる」
小さく頷く奏海に僅かに微笑んだ准は、ほっとした様子で口にした。
「じゃあ、なってくれ。お前の初めて、僕を選んでくれ」
「⋯⋯⋯っ。でも、ホントに良いの?私、面倒臭いって自覚、かなりあるけど⋯⋯」
どんな理由であれ、見捨てたのは少年側だというのは揺るがない。
また、棄てられる可能性だって大いにある。
それでも繋がりを持とうとする意味、必要性は何処にあるのか、純然な疑問だった。
「知ってる。煩いのも、喧しいのも、鬱陶しいのも全部知ってる」
「っ?!?⋯⋯そこまで言う?」
「言えるさ。一応、高校に入ってからは、見てるつもりだ。⋯⋯まぁ、僕が言えた義理じゃないのは承知で言う」
准は自ら──奏海の友人である事を容認する。
決して、元には戻らず、決して、過去の行いを辿ってはならない。
棄てる事よりも、棄てられる事を選び、彼女が変わるのではなく、自身が変わる事を促す自己強要。
奏海が望んだ結果には決してなり得なかった。
記憶は結局、朧気であるまま。
それでも、少年は再起させなければならなかった。
「僕も、そんなお前と友達になりたい。なってください。また、一から⋯⋯」
見開かれた、瞳。唇を閉めて、噛む。
下へ向けた顔は潤んだ涙を零して、願いは叶う。
止まっていた針は動いた。
消えていた枠は再び、はまる。
悪態の数だけ願わずにはいられず、視線を向ける度に過去を馳せる日々は終わりを迎えた。
「うん。おかえり、きーくん。私の初めての友達」
記憶を全て思い出せた訳ではない筈の少年に、かつての面影を見た奏海。
満足そうに微笑み、それを見て微笑む。
少年は次に棄てられるのは自分だと容認した気持ちで──。
彼女は、ようやく掴んだ関係を離さない気持ちで──。
二人はまた、すれ違う。
途端、彼女の身体は熱を帯びる。
「っ!!ぁぁぁ、あ、熱い⋯⋯」
「え?」
疼く気持ちは抑えられず、蹲り膝は地面に着く。
「⋯⋯っ!!ぁぁぁッ!」
「富宮?!どうした!?」
「背中、が⋯⋯」
ジャージ越しに見せられるその黄色い光。
淡く照らされたその背中に近付いて触れようとするも、熱さは感じず、不審感が増す。
「なんだこれ?!⋯⋯脱がすぞ?」
ジャージを上から捲り、中に着ている体操服を更に捲る。
肩甲骨辺りから四つの小さな光がギラギラと光だしており、その形を口にする。
「四葉?」
四つの葉はそれぞれ斜めに位置しており、その内の左上の一枚は徐々に光を失っていき、電池切れ寸前の懐中電灯のように、発光、消失を繰り返して、最後には光を失った。
「⋯⋯⋯葉が一枚、欠けた?」
そう口にした時には、残りの三枚は透明となり、准からも完全に視認出来なくなってしまう。
『現象』だと即座に理解した准は訝しむように奏海の背中をなぞる。
「ひゃあ〜っ!く、くすぐったい!」
「今までこんな事、あったのか?」
「初めて⋯⋯⋯。というか、何時まで見てるの⋯⋯」
状況だけを見れば、同い歳のクラスメイトの女子生徒の体操着を捲って背中を擦る男の子という構図。
しかも野外である。双方の変態性が高くなければできない芸当であろう。
だが、奏海は顔を赤らめているし、准もそんな客観的な視点にようやく気付いて、慌て始める。
「え?⋯⋯⋯あっ!ごめん!いや、わざとじゃないぞ?!誓って本当だ!」
「⋯⋯⋯っ。別に怒ってないっての。心配してくれてたのは分かってんだし」
体操服を慌てた様子で整え出した。
中の服はズボンに入れ込み、ジャージは迷った末にファスナーを開けたままにする。
「あ、あはは。そうか」
事なきを得た。そんな気持ちにほっと胸を撫で下ろしていた准だが、忘れてはならない。
そもそも、このコンビニに准が向かった際、たった一人だったか?否、残り二人、まだ居る事を⋯⋯。
「お兄ちゃん⋯⋯遂に、そこまで⋯⋯。はっ!蒼くん見ちゃダメ!あの人、変質者だから!同じになっちゃう!!」
コンビニでお買い物を済ませた舞喜と蒼太が入口からやって来た。
女性の背中見つめ、擦りながら呆然としているそんな兄を見た舞喜の心象は如何に⋯⋯。
「え?あ、違う!なに勘違いしてんだ!あんぽんたん!」
「勘違い?!そんな訳ないよ!アタシ見ちゃったもんね!ジャージを脱がせて、中の服を捲る所!」
大声で訴え掛ける舞喜に奏海は申し訳なさそうに准を見る。
しかし、准は聞き逃さなかった。
ジャージを脱がせている所まで見ていたのならば、背中が光出した事も見えていなければならないという事を。
問い詰めるように舞喜の方へと歩き出す。
「だったら、黄色い光と模様も見てたろーが」
「うん、見えてたよ」
「こいつ、情緒が⋯⋯怖っ」
先程の威勢は途端と瞬間冷凍されたように冷えていた。
そんな兄妹の問答を聞いていた奏海は微笑む。
「相変わらず、仲良いんだ⋯⋯」
八年前も似た光景を見ていた。
今もそれが続いている。それが嬉しい気持ちに溢れて、口元が緩む。
「で?お兄ちゃん。この人は?紹介してよ!」
「あぁ、富宮奏海っていうクラスメイトで──」
「かなちゃんだ!」
「え?」
答えをすぐに当てられた。唖然として奏海の方へと向いたが当の本人も意外そうな顔をしている始末だった。
「かなちゃんだよ!家に居る時に話したでしょ?昔公園で遊んでいた子供が居るって?その人だよ!」
「ちょっと待て、お前⋯⋯見ただけでわかるのか?」
「うん。見た目全然違うけど、名前で分かるもん!」
当時の奏海は芋っぽく、パッとしない印象が強く、目立たない様相だった。
中学に上がりだして、ようやく化粧や服の頓着に気が付き、今のビジュアルに近付いたのだが⋯⋯。
八年前は、おさげにぱっつん、俯きがち、オドオドに引っ込み思案。
現在は、お化粧有り、ポニーテール、活発、陽気に暴言過多。
准が気付かないのは仕方ないのだ。
「なっつかしい!かなちゃん元気だった?」
「う、うん。よく覚えてた⋯⋯ね?」
「お兄ちゃんは覚えてないかもだけど、アタシは忘れないよ!どやさ〜!」
「そうなると、あんたの記憶力が気になるわ〜」
訝しむ視線が一気に准へと向かう。
怖気た様子ですぐ近くに居る蒼太の小さな背中へ隠れて耳元でそっと救難信号を送る。
「⋯⋯⋯⋯蒼太、助けて」
「当たり前じゃないよ?」
「⋯⋯薄情者ッ!」
今回の奏海の件に関しては私の実体験が元です。
数年ぶりに再開した友人の事を、私は忘れていました。
学童という所に通っていたのですが、その時な知り合い、再開したのは高校です。
いやぁ、完全に忘れてましたね。えへへ。
当時も遊んだ記憶ってあんまり覚えてなかったんですよね、他の友人とは遊んでいたのは覚えてたんですけど⋯⋯。
今では定期的に連絡を取って、酒を飲み合う仲になりましたが、結局、当時の記憶を私は思い出せていません。
誰かにとって大切な記憶は自分にとってはそうでもない、そんな当たり前の事を気付いたのが高校の時です。
私は怠っていましたが、皆様は大事にしてくださいね。
意外と自分の恥ずかしい過去も聞かされますよ。




