等区高校の女王
私紫芋は⋯⋯街の名前、高校の名前、キャラの名前を付ける際、適当に思い浮かんだ名前を付けます。
多分、マトモに考えたの蒼太ぐらいです。
藍莉と蒼太は青色繋がりにしたかったので。
言っていいか分かりませんが、かなり長めです!
それでは本編、どぞー。
補習が終わった直後に待ち構えていたのは、約束の反故をさせまいと、約二時間廊下でひたすら待機していた常盤美羽であり、そんな彼女に准は腕を掴まれて流れるままに『映画研究部』の部室前までやって来た。
「時間が無いから、要点を言うわよ?昔のメンバーを知りたいって事と、『等区高校の加鍋先生』について聞こうとする事。良い?」
「良くないな。普通に訳が分からないんだから」
何を理由に、どう言った経緯でその考えに至ったのか、准は素朴な疑問が渦巻き、混迷を深めるばかり。
更に驚きなのは、美羽本人はかなり切羽詰まっているようにも見受けられる点が挙げられて、尚の事、理由を聞こうとする。
「訳はバス停ででも話すわよ。じゃあ行くわよ」
「おい、マジで言ってんのか?!」
そして、部室の扉を三回ノックして、少し後退する。
「あ〜、やっちったよ」
伸ばした手は中途半端な状態から自身の額に持っていき、腰を少し曲げてか細い唸り声が上がった。
完全に行動派お化けと化した美羽の『こうと決めたら、突っ走る癖』のようなものが准を唸らせたのだ。
ゴールデンウィークの事件の際も、急に自身のボルテージが跳ね上がったように突き進んだ常盤美羽が数多く、説得、納得、了承の三段階を得る事に成功した常盤美羽は僅か二人のみ。
残りの十人ちょいはお構いなしに自身の利益優先で動き、世間を混乱させていた。
それの際と非常に似た顔をしていた事が准にとっては危惧するべき要点であり、避けたかった事だった。
「はーい、どちら様?⋯⋯本当にどちら様ですか?」
出て来たのは体重が百キロはあると判断出来てしまう程の大きな身体付きをした男子生徒であり、開かれた扉から威風堂々と言わんばかりに出てきたのだが、言葉まではそうにはならず、何処か弱腰気味。
お腹の出っ張りが強烈故に准は何度か瞼をパチパチと高速で開け閉めするも結果は変わらず。
しかし、何よりもそうなった理由としては、丸っこくて太っちょではあるのだが、身長は百五十センチメートルある程度で、准は思わず「達磨か?」と小声で呟いてしまう。
「私、常盤って言います。申し訳ないのですけれど、八年前の部活結成しメンバーの顔写真はございますか?」
「え?なんでそんな事を?⋯⋯何ですか、これ?」
ソフトモヒカンヘアの達磨型の部員はオドオドと美羽ではなく、准の方を見つめて疑問を投げる。
しかし、話している相手は美羽であって准ではない。
准は小さく指で美羽を指すようにして視線を向けさせるのだが、気付いた様子はなく、一向に俯いたりチラチラと背後と准を見てはオドオドと弱腰を見せるばかりで一向に話が進まないと察した美羽は呆れた顔に変貌してしまい、言葉を紡いだ。
「部長か副部長と代わってくれないでしょうか?」
「あ、はい。部長ー!なんか変な人がー」
「変な人ならその扉、閉じしちまえ〜」
「ちょっと!なんでそうなるのよ!」
「うぇ!あ〜ビ、ビ、ビックリした⋯⋯。止めてよね、大声出すの」
(面白い驚き方するんだなぁ⋯⋯)
背筋はピンッと気を付けの体勢から礼!ではなく、そのまま気を付けのまま体内から振動したように横向きへ身体は震え出して、鳥肌が勢いよく立ったように短い髪はぞわりとしたみたいになる。
目の前でお化けを目撃したのと同等の驚き方を彼はしたのだ。
「映画だって大声のシーンなんて、わんさかあるでしょう」
「何?どうしたの?」
ようやく茶髪、眼鏡の部長が部室内から現れた。
美羽に言わせればこちらの方がチョロいと判断していた為、出て来てくれた事に安堵すら浮かべていて、それを隠す様子も素振りも見せない美羽を背後から見ていた准は呆れてしまう。
(コイツ、いつか男に刺されて死ぬタイプだな⋯⋯)
しかし、状況は刻一刻と予断を許さない事を美羽は知っている。
話が通じやすく、比較的におどけず、コミュニケーションが取れる部長の方がスムーズに事が運ぶのは誰の目からも明らかであり、ソフトモヒカンヘアの達磨野郎よりもヒョロ眼鏡先輩の方が得策だと美羽がそう判断したまでの話。
「部長さん。申し訳ないのですけど、八年前の部結成時のメンバーが写った写真か活動記録を見せて頂けませんか?」
「理由は?」
「その当時の結成者の中に、彼の知り合いが居まして──」
そう、身体ごと背後に佇んでいるのみの准へと向きを変えて、小さくウインク。
(え?!僕?)
微妙に出来ていないウインクを見て、やる気は更に喪失するものの、当の本人は出来ていると思い込んでおり、部長の方へと向きを変えて、言葉を並び立てていく。
「彼女が今度ご結婚なされるのですが、結婚式の当日に流すオープニングムービーに必要な写真を集めている最中なのです。その為、この部室に保管されている活動記録を纏めたファイル内に写った写真を拝借致したいと思った次第にあります」
「そうなの?」
結成者の中に居る女性が結婚。その知り合いがまさに目の前に居るのならば聞くのはむしろ当然の事。
准の方へと視線を向けた部長が確認事項のような物言いで聞いてくる。
「あ、はい。そうです」
「結婚式か⋯⋯。そのオープニングムービーって、君達が作るの?」
「いいえ、その手の部門に精通為さっている知り合いの方の力をお借りしようと考えている所存です」
「⋯⋯分かった。入って」
「ありがとうございます。失礼します」
淡々と進んでいく。かつての常盤美羽は財閥一家の次女であり、社交辞令が飛び交う社交界にも参加経験があった故に出来た芸当。
しかし、後方に居た准はそんな社交界も知らなければ財閥や財団の違いも分からなければ、何をしているのかも知らない身分。
だから、純粋に准は口をポカンと開けながら、驚きを隠せずにいた。
「トッキー、怖⋯⋯もう立派な多重人格じゃん」
「はァ?」
「行きます、行かせて頂きます」
あれほど丁寧な言葉遣いを発していた人間から飛び出たとは思えない語気は有り余っており、投げ合いっこしてもまだ余るぐらいの迫力に気圧された准は敗北を喫した怪我にまみた犬のような様子でトボトボと後を着いて行くのであった。
「何処にあるかな?」
「いえ、お構いなく。こちらで探しますよ。ご迷惑になるのも忍びないので」
美羽は早速、狙いを付ける。一周目の段階で目的のファイルを入手した事が最大の貢献であり、次進む為の足掛かり。
部室の奥に設置されている木製のロッカーとその上に置かれたブラスチック製の引き出し棚。
そのロッカーの一番右側の二段目に赤いファイルがある事を美羽は知っている。
見つけたのは沙緒里であるものの、近くに居て、発見時も大声で叫んでいた事、ロッカーの中身を一から床に散らかしていた際にその位置を目視で確認していた美羽の注意深さが生んだ功績。
しかし、部長達部員、ましてや准すらもその美羽が時間を戻っている事なんて知らなければ、最初に出てくる発想にはなり得ない。
「いや、勝手に漁られるのも困るんだよ」
だから、部長は苦言を呈する。部室の中を好き勝手に荒らされてはたまったものではない。
ましてや、言葉遣いが良いからと言って行動や所作まで丁寧とは限らないのだ。
警戒は必然であり──美羽もそれは理解していた。
「なら、手短にそこのロッカーの中だけを調べさせて頂かせても宜しいでしょうか?」
指差すは目的のロッカー。予め標的を一つに絞っておく事で『部室を荒らす』ではなく『ロッカーに用事がある』と規模を縮小させ、被害が最小限であるとアピールする為の言葉。
実際は、目的の品がロッカー内部になかった場合、部室を荒し回る気満々の美羽なのだが、時間稼ぎという名目でも使えてしまう便利な口八丁である。
「あ、あぁ。良いけど⋯⋯」
まんまと乗ってしまう眼鏡部長。そして、シメシメと言わんばかりに歩き出す美羽。
「失礼しますね」
目的の品を捜索するのは美羽のみ。准はどれが目的の品なのかも聞いていない為、机の前で待機している間、部員達を見つめていた。
眼鏡部長、最初に部室から顔を覗かせた達磨のような部員にガリッガリの長髪の男子生徒、映画研究部に在籍しているというのにドラマ化もアニメ化も映画にもされていないラノベを読む大人しめな男子生徒の計四名。
部活設立には後一人居る為、もう一人の行方を探す准だったが、部室には居ないようで、それに対して部員、部長に声を掛ける事はしなかった。
「ありました。これです!はい、先輩」
満面の笑みで天真爛漫にも似た表情を浮かべる柔和な美羽に准は引いてしまう。
こんなのは僕の知る美羽ではない、とばかりに怪訝な表情で一歩下がった。
「うわぁぁ⋯⋯。元のトッキーに戻れよ⋯⋯。これじゃあただのウソツキーじゃん」
「あァ?」
「うぅ。中見ればいいのか?」
「はい!お願いします!」
目の前に差し出されたのは赤いファイル。
分厚く、当時の年号と『映画研究部』と大きなマジックペンで書かれたそのファイルを手にして中を覗いていく。
一頁は活動方針がズラっと書かれているものであり、気にせず次のページへと指を進めた。
すると、二頁にはメンバーの集合写真と名前が書かれていない自己紹介を兼ねた一言メッセージが添えられた文が並んでおり、写真に写っている生徒達の持っている映画のDVDパッケージがヒントとなっている。
そして、その写真の真ん中に映っていた女性に着目し、目を細めていく。
「んん。⋯⋯あれ?この顔⋯⋯富宮?いや、でも」
『富宮詩香』を見つけた。
准自身もよく知る富宮奏海と似ているものの、比較しても少し大人びており、フルカラー故に分かるアイシャドウと何も憂う事のない天真爛漫な様子で腰に手を当てているその姿を凝視する。
そして、次に准の視線は美羽の方へと向けられた。
既に部長の方へと向かい、何やら話し込んでいる様子だったが、そこが問題ではなかった。
問題があるとすれば、しまえる場所が幾つもあるロッカーの中からドンピシャで目的の品を当てた動きのスムーズさとトントン拍子に行動をしていく美羽の焦りにも似た動きが准を訝しませる。
そして、確信に変わった。
(⋯⋯⋯⋯まさか、常盤、お前)
察してしまった。『時間跳躍』で未来から過去へと情報を持ってきてしまっているという事を。
ただでさえ、『精神分裂』と『自己の確立』が曖昧であり、まだ治まっていると報告を受けていない中、それを悪化させるように『時間跳躍』をしたのだ。
風邪をひいているのに冷水で全身を浸かりに行くような愚行にも等しい行いだと⋯⋯准は思考し、睨んだ。
一方、そんな視線に気付く様子もない中、美羽は部長と話を進めていく。
「ところで、『等区高校』の教師をなさっていらっしゃる方に、結婚式に呼ばれている方がいらっしゃるんです」
「へぇ、誰だい?」
「確か⋯⋯『加鍋先生』でしたでしょうか?」
わざとらしく間を少し開けて、思い出そうとするリアクションまで取る美羽は掌に拳を乗せて発言する。
勿論、美羽には赤いファイルの中にある写真の内、誰が『加鍋先生』なのかは知らない。
映画にも詳しくなく、大した知識もない中出来る事といえば、知ったかぶりをする事だけである。
「あぁ〜、あの人か。確かに『等区高校・映画制作部の顧問』だね」
「良かったです。間違っていなくて」
「それ持ってくのは良いけど、いつ返してくれるんだい?」
「そうですね、明後日辺りで宜しいでしょうか?」
「あぁ、構わないよ。それにしても、そうか。『等区高校』との繋がりって昔からやっぱりあるんだなぁ。感慨深いな」
天井を僅かに見上げた眼鏡先輩は思わず頷く。
「確か、彼も昔、ここの生徒さんだったと」
「あぁ、この人だね」
准が見ていた赤いファイルが置かれた机に近付いて、富宮詩香の左隣にいる好青年を指差す。
彼が持っている映画はベストセラー作品にもなった洋画関連では大作であり、多くの伏線が散りばめられたラブストーリー。
時代的にもスマホやガラケーはまだ主流ではなかった時期に制作された作品というのもあって、主人公が残した手紙を手掛かりに行方不明になった主人公を探すヒロインのお話。
主軸はヒロインなのだが、別視点で主人公とその過去回想により、状況と何故行方不明になったかを探り当てていき、最後には感動の──という具合いのお話なのだが⋯⋯。
准はこれを最後まで観た時、嫌悪感に塗れた顔でDVDをレンタルビデオ店に返している。
理由としては、主軸に置かれるヒロインが主人公として機能しておらず、舞台装置に近い立ち位置に置かれていた事と過去回想が多すぎて物語の大筋となる現在のシーンの描写が少ない事が挙げられた。
お涙頂戴上等な大人のキッスに甘い言葉を投げ掛けて涙を流すシーンには准は早送りしながら黙々と観ており、終わった頃には「クソだな」と言葉を残してパッケージを見る始末。
「ジェニー、お前。クソビッチやんけ」
なんて言葉も投げ掛けたが、こればかりは米国人と日本人の女性に対する接し方の違いが如実に出た結果だろう。
そんな映画を好むような奴も総じてクソと判断している極端な少年・准は、写真に写っている好青年の『加鍋』をなんとも言えない表情で見ていた。
「こう見ると、少し若く見えますね」
「ははは。あの人まだ二十五歳だよ?まぁ、十代と比べられたら、確かに老けちゃってるのかもしれないね。眼鏡も掛けてるし、視力も落ちたのかもよ?」
「映画に熱中し過ぎたのかもしれませんね?」
「言えてるよ。あの人、かなりのマニアって聞いたからね。まぁ、アッチの生徒さんに聞いただけだけどね?」
「ふふ。それは何とも変わらないんですね。⋯⋯あ、そろそろいい時間ですね。お騒がせ致しました」
「いえいえ、それじゃあね」
『眼鏡を掛けている』という新たな情報源を入手した美羽は話を打ち切り、部屋を出ようとする。
その様子を見た准も赤いファイルを手元に持って、鞄に入れ込むと美羽の後を着いて行く。
ご満悦な眼鏡部長は手を振ってそれに対して返すように手を振る美羽。
そして、ふと、思い返した。一周目の際にはそれと同じように大きく手を振って見送ってくれた人物がいた事を。
「副部長さんにも宜しく言っておいてくださいね」
「え?」
「はい?」
雰囲気が変わった。眼鏡部長は何やら首を傾げて困ったような表情を浮かべてしまう。
そして──。
「副部長?この部活、副部長なんて無いよ?」
「え?⋯⋯⋯⋯あ、そうでしたか?あはは⋯⋯。私、何を勘違いしているんだか」
「あっはっは。まぁ、そういう間違いもあるさ!じゃあね!」
そう言い、扉が閉まる。
美羽は舞い込んだ新情報に鳥肌が止まらなかった。
「⋯⋯⋯⋯⋯どういう事?紗央里さんは、何処に消えたの?」
一周目には確かに見た存在である。
今日、その日、偶々居なかったと言うならばまだしも、『副部長』という立場自体がそもそも『映画研究部』には設定されていない。
言うならば、無の席。美羽自身も今日の部員の数が一人足りていない事には気付いていたが、それは沙緒里という人間が居たからこそ、違和感は発生しなかった事である。
だが、その前提は崩れた──。
(じゃあ、あの人は何?誰?そもそも何処にいるの?)
鳥肌は抑えられず、青い顔を浮かべて、身体を締め付けるように両手で押さえる。
確かに話もして、部長の彼とも仲良さげに話している様子は鮮明に思い出せるというのに、急に彼女の顔だけが黒い絵の具で塗り潰されたようになってしまう。
「誰だ?紗央里さんって?」
「金髪の肌が少し焼けた先輩が居たのよ⋯⋯。部長さんとも親密そうだったし、なのに、副部長の位すら無いなんて⋯⋯」
「そうか。けど、今はもっと大事な事がある」
「何が?」
これ以上に大事な話があるものか、そう感じた美羽が見つめた准の表情には静かな怒りが見えた。
准にとって沙緒里という正体不明の副部長の事よりも美羽の件の方が億万倍大事な事なのである。
「お前、『時間跳躍』したのか?」
「⋯⋯してない」
「⋯⋯じゃあ、なんでロッカーの中に、このファイルがあるって知ってたんだ?」
違和感なんて少し焦点を変えれば直ぐに見つかる。
少なくても美羽に関してはそれが顕著に窺えてしまい、隠す素振りもなかった事が更に准の発見を早期にさせた。
「私は本当にしてないの!でも⋯⋯」
「でも?」
(ここで、別の私が居たって言っても、先輩が不安がるだけ。誤魔化すしか⋯⋯ない)
ただでさえ、迷惑千万な行い多数の実歴がある彼女からすれば、これ以上の迷惑は掛けられない、そう判断した美羽は言い訳を即座に考え付き、口に出す。
「多分、前に起きた『消失事件』の影響がまだ残ってるんじゃないかしら?大丈夫よ!ははは、はは、は⋯⋯⋯⋯ごめんなさい」
言い訳がどれほど綺麗に纏まっていようとも、そうでなかろうと事実として美羽は『時間跳躍』の影響を受けて過去に飛んでいる。
その事実だけはひっくり返す事は出来ない。
「はぁ〜。身体の方に異常は?」
「無いわよ。健康そのもの」
「そうか。何かあるなら言えよ?」
「はい」
部室を後にして一歩も動いていなかった二人だったが、最初の切り出しは准からであった。
廊下をゆっくりと歩き、背後を着いて来ない美羽の方へと振り返り手を小さく振る。
「⋯⋯しょぼくれんのも終わりだ。何とも無いんだろ?なら、それを信じる。行くぞ?行くんだろ?」
「え?」
「え?って。『等区高校』に行くんだろ?じゃなきゃ、あんな事わざわざ話題に出さないしさ。でも、なんで行かなきゃ行けないかは、教えてくれよ?」
「分かったわ。その、ありがとう」
感謝に小さく頷くのみ。それで伝わると准が判断し、それは確かに受け取られた。
二人は校舎を出て近くにあるバス停へと向かう。
ピッタリとバスが到着し中に入ると、意外にも人は少なく、計五人程度の乗客の中、美羽は早速准にこれから起こる事とその注意点を話した。
『等区高校』に辿り着くまでには、まだ時間があり、最後列の右端、隣通しで座って肩が触れる事も厭わずにわざとらしく准の方へと身体を寄せながら、美羽は語り切る。
「つまり、僕は明日死ぬのか⋯⋯。なんか実感ないな」
「まぁ、そりゃあそうよね」
「いや、信じてないとは言ってないぞ?でも、実感が湧いて来ないって言ってるだけだ」
「それも分かってるぅぅ」
誰も居ない前列の席の背凭れに顎を乗せる。
准としても美羽の言葉は本当に信じているのだが、「明日、死ね死ねと言っている女性に本当に殺される」と言われても実感だけはどうしても湧いて来なかったのだ。
あれすらも一種のコミュニケーションであり、特別な事はないただの戯言なのだと、そう受け取っていたからこそ、准も富宮奏海という女子生徒に対して軽く挑発するような言葉を並べている。
しかし、美羽にとっては違う。
部室棟の中で繰り広げられた言葉一つとってもヒヤヒヤものであった事は想像に固くない。
「不貞腐れるなよ。⋯⋯それで?」
「それでって?」
未だに定位置のように顎を乗せたまま、顔だけチラッと准の方へと向ける。
「僕は何したらいいんだ?」
「あ〜、取り敢えずいつも通りに過ごす事が大事かしらね。少なくても、今日の夜はどうする予定なのよ?」
「あ〜⋯⋯⋯⋯素麺を食べる、かな?」
そう、この少年の自宅では素麺地獄が開催されており舞喜と蒼太はその被害に遭う予定なのだ。
藍莉は逃げるように部活仲間と今日の夕食を外食で済ませてしまい、自宅に帰って来た准はコンビニへと蒼太を連れて行く。
そして──出会う。
しかし、舞喜をコンビニに連れて行かなかった事はおろか、准が蒼太とコンビニで夕食を買いに行く事すら美羽は知らないのだ。
「⋯⋯あら、良いじゃない。私の所、素麺なんて出ないわよ?爺が喉詰まらせるからって」
「お前の爺ちゃん、弱くね?」
「そうなのよ!だから食べ物に制限がかかるのよ!勝手にスイカ食べて喉詰まらせるし、勝手にポテトチップス食べて喉詰まらせるし、挙句には豆腐食べて⋯⋯喉詰まらせるしぃぃ」
常盤家の小さな問題が美羽の口から語られた。
まだ還暦を過ぎて一年だと言うのに、既に美羽のお爺ちゃんはボロボロ。
他の同い歳の方々と比べても非常に弱い喉をしていらっしゃるあまり、お婆が美羽と共にお爺ちゃんを病院に連れて行ったのだが、まさかの異常なし。
つまり、食事の際は噛む事を放棄しているのだ。
これには美羽も「クソ爺!」と渾身の言葉が飛び交ったのだが、当の本人は至って元気であり、腸にも腎臓にも異常がない為、これからも柿や蜜柑を頬張り、ピーナッツ入りのおつまみ片手に酒をグビグビ飲むつもりである。
還暦の胆力は底知れないのだ⋯⋯。
「お前の爺ちゃん、激弱じゃん。豆腐で喉詰まるとか暴挙にでも走ったのか?」
「至って真面目なのよね、あの人⋯⋯」
「⋯⋯左様で」
だが、還暦の三分の一にも至っていない年齢の美羽からすれば、要注意人物である事に変わりはない。
事件の流れを大まかに聞いた話を聞いて、准が思い浮かんだ疑問は、思わず口を走らせる。
「富宮が姉さんを知ろうとしたんだよな?その為に部室に向かった。それってそんなにおかしい事なのか?」
「多分だけどね、知りたかったのは『加鍋先生』の方なのよ。姉は口実だと思う」
一周目の時点でその傾向はあった。
姉が写ったファイルの中身を見た時、誰もが「妹さん、お姉さんに似てる」という感じで富宮詩香の方ばかりに着目していたのだが、当の本人である妹の奏海は姉には対して興味を示す様子はなかった。
「事件の事を知りたくてって事か。まぁ、不思議ではないかな」
「これは憶測なんだけど」
「何さ?」
「加鍋先生と富宮詩香は学生時代、付き合ってたのよ」
「まぁ普通だな」
部活仲間と親睦を深めている間に恋心が芽生えて成就──よくある話だ。
特別性は何一つとしてない、普遍的な出来事。
むしろ、そんな幸せな時期に恋人を亡くした加鍋の方へと同情心すら湧いていた准だったが、美羽は違った。
「これ、見て」
差し出されたのはスマホ。その画面に映ったネットニュースが一件。
「『空弩街の南区、女子高生の遺体──発見される』コレが今回の?」
「えぇ、恐らくそうでしょうね。八年前だし」
事件が起きたのは夏頃。
夏休みを迎えた七月三十日の午前八時四十分過ぎに近くの近隣住民が朝のジョギングの途中、一人で通学している被害者を目撃したのを皮切りに行方不明となってしまう。
当時は誘拐の線も視野に入れた捜査が開始されたのだが、その三日後──近くを遊んでいた男児三人が仰向けで衣服を脱がされた状態の被害者を発見。
被害者の死亡推定時刻は行方不明となってから数時間後の昼頃であり、横幅五センチ前後の鈍器で後頭部を複数回殴られた事による、くも膜下血腫。
殺人事件として本格的に捜査を開始する。
しかし、結果としては犯人は見つからなかった。
理由は幾つか挙げられる。
行方不明当日に被害者を目撃した人物も曖昧な言い回しが多く、うる覚えに近かった事。
コンビニ等の店先にある防犯カメラには犯人らしき人物の姿はなく、学校付近にはカメラの類は置かれていなかった事。
更に、捜査前日から雨が多く降り積もり、証拠、痕跡に該当する類は流されてしまった事が挙げられる。
学校付近に住んでいる住民にも目撃情報の旨を募ったが、結局何一つ成果は上げられず、八年経過しているのが現状なのだ。
「これさ、言いたくないけど、加鍋って人、関係あるか?僕には猥褻目的の通り魔事件にしか見えないんだが?」
「通り魔なら、カメラが映るでしょ?衝動でやる事多いし。それにストーカーなら事前に被害届か家族に何かしら言ってるだろうし」
「そんなものか⋯⋯。お前、犯罪歴あるなぁ」
「ある訳ないでしょッ!⋯⋯いや、どうだろう。人消してるしね⋯⋯うん、あるわ」
ゴールデンウィーク時に弟の存命に奮闘し過ぎた果て、関係者をある程度存在ごと消してしまった過去がある常盤美羽は、開き直るように肯定する。
そんなバリバリに危険な過去は今現在では何事もなかったように元へ戻っているが、当時朝倉拓也から受け取っていた『干渉無効の護符』が影響して准にもその時の記憶はバッチリ残っていた。
「おい、止めろマジで」
「とにかく、私は学校関係者が怪しいって思うの。特に加鍋先生は特に!痴情の縺れの果て、的な?」
「う〜ん、どうかねぇー。僕は『現象』って考えた方が早い気がする」
『現象』は時にカメラでも捕捉出来ない。
八年前の時点ですら、ドライブレコーダーを付ける事は何かあった時、無実潔白を齎す物として広く普及していたというのに、犯人が映らなかったなんて事が『人間』に可能なのかと問われると、准には難しかった。
「なんでよ!」
「むしろ、なんでそんなにお前は加鍋って人を犯人にしたいんだ?へっぽこ刑事みたいだぞ?眠りのトキ郎にでもなられるので?」
「それなら、解決するじゃない。お前、私の背後で蝶ネクタイ付けなさいよ?」
「良いけど、へったくそな関西弁で喋るぞ?」
「それ、関西人に間違えて麻酔針撃っちゃった時の奴じゃないのよ。私、頭を思いっきり殴られるじゃない!」
頭頂部を一打撃。これには平成のシャーロック・ホームズになりたい小学生の見た目をした高校生も焦っていたが、准は果たして驚かずに済むのか、それは謎である。
━ ━ ━
バスを下車して十分程度。歩道の端には立て看板で『等区高校ここから百メートル』と記されており、矢印の通りに坂を上り、大きな後者が見えてきた。
そして、校門前に立つ二人は呆然と正面を見る。
「閉まってるわね⋯⋯」
「だな、なんで?」
聳え立つ校舎とその手前に設置されている噴水と駐車場に停められた車数台。
見るからに敷居の高いその学校はエリート校として『空弩街』に建設された『私立等区高校』であり、偏差値も七十越えが毎年、倍率もバカ高いで有名な高校だ。
だが、そんなリッチな場所を踏ませてなるものかとばかりに、しっかりとした門扉が行く手を阻んでいる。
「他に校舎へ入れる所ってあるかしら?」
「さぁ〜?」
横に広がる道は左右にあり、何処から歩いたものかと困り果てていた准達。
そんな時だった──。
「どうしたの〜?君達?」
後方の坂から上がってくる女子生徒が一人とその背後を追うようにしてやって来る女子生徒が一人。
特徴的な白いセーラーと紺色のスカート。
何かしらの買い物でも済ませた後なのだろう、ビニール袋を二つ、両手で一つずつ持って現れた生徒達を見て、美羽は好機とばかりに歩き出す。
「っ!等区の生徒さん。丁度いいわ!」
「おい、おいトッキー!お前の行動力お化けも大概に──」
「すみません。私達、加鍋先生に用事あって来たんですけど?」
早歩きで一番前を歩いていたボーイッシュな女子生徒の前まで来た美羽は早速とばかりに声を掛けた。
「顧問に?」
「え?」
「え?」
(なんのコント?これ⋯⋯)
美羽の後方で呆れた様子でそのふざけたような現場から目を離すように下を向く。
どう考えても怪しい人間にしか見えなかった。
即答で「はい、そうです」といえば『映画研究部』の人間として見られたかもしれないというのに、そんなチャンスすら手で弾いた美羽に呆れてしまったのだ。
「ねぇ、莉緒〜。この人達知ってる?」
背後を向く女子生徒。その先には遅れて荷物を持ちながら近くまでやってきた女子生徒の莉緒である。
そんな彼女は准へと視線を向けると、目を見開いて、唇をゆっくりと閉じた。
誰にも聞こえないように奥歯を噛んで、隣に居る友人に声を掛ける時には平常時へと戻っており、二重
の瞼の中にある瞳には優しさが滲み出ていた。
「⋯⋯⋯⋯そこの男子は知ってるよ」
「え?僕?会った事あるっけ?」
准は当然覚えていない。
二重、猫背でやる気のなさそうな雰囲気に、伽羅色の髪と後ろ髪を一つに結び肩に掛けており、何処か頼りない印象が見受けられるその女子生徒の事なんて、通り過ぎた人間Aとなんら変わらないのだ。
だが、莉緒にとってはそうではない。
やる気のなさそうな顔色に黒髪に普通の顔付きと絶妙に頼りなさそうなボケーっとしていそうな万年赤点野郎の事を彼女は覚えている理由も、知っている必要性もある。
たとえ、本人が覚えていなくても。
「夏休み前に、バスに乗ってましたよね?」
「⋯⋯あぁ、確かに────え?でも、あの時って」
「なんでもいいじゃないの、この際!」
「いや、良くないんだが?」
「それで、何しに来たの?先生に用事って他校の人ならそうそう無いっしょ?」
准は感覚的にマズイと思った。
そもそも、美羽から聞いた話を切っ掛けに、加鍋先生に話をするという点に関しては理解したが、どうやって当の本人に話をする段階に持ち込むのかという相談は二人の会話の中には一切出てきていない。
そして、なによりも──。
美羽自身も助けを乞うように准へと視線を向ける始末。
(やめて!僕に振らないで。そんなブルーベリーアイのマスコットみたいな瞳しないで⋯⋯)
目を背けようとする准。しかし、先手を打つように美羽は准を盾代わりにするかのように背後に移動して背中を押した。
「先輩、ファイト!」
小声での声援。応援のメッセージは短く、とても覇気があるようにと感じなかったその言葉に少年は悪態を付いて帰ってやろうとしたが、前には等区高校の生徒が二人。
とてもではないが、逃げるなんて出来なかった。
主にプライドの問題であり、ここで逃げてしまっては笑われる事は必至。
そう感じた准は意を決して下手くそな嘘を並べていく。
「じ、実は加鍋先生と昔知り合ってて、相談事が、ああ、あったら来てくれってここを紹介されてさ、それで⋯⋯」
「今年だよ?加鍋先生赴任したの」
「え?!⋯⋯⋯⋯いや、関係ないでしょ?」
早速ジャブを打ち込まれ、僅かに怯んだ准だが、次なる攻撃を仕掛けていく。
相手はボーイッシュな女子生徒であり、手荷物のビニール袋を両手に持ち、余裕綽々である。
「先生、この辺の友達居ないって言ってたよ」
「え?!嘘!僕が居るのに⋯⋯」
悲しそうな顔を浮かべて同情を誘う攻撃に入る准だが、女子高生は未だ平然と、むしろそんな顔してなにしてんの?とばかりに笑っていた。
「だって、先生、この街の外から来た人だもん」
(嘘でしょ!?聞いてないぞ!)
思わず振り返る准は美羽を見る。
だが後輩はそんな事ある筈ないと、そして何よりもチャンスだぞ!とばかりに頷いた。
(知ってたんなら言えよ!)
だが、准はその頷きを「え?私、知ってましたけど?」という一種の煽りにも見えてしまい、後輩に頼る事を金輪際止める事も視野に入れて前方に居る等区高校の女子生徒と再び対峙する。
「⋯⋯僕も偶々──」
「へぇ〜。偶然ってすっごいんだね?」
言葉とは裏腹に、嘘だと丸わかりな彼女からすれば、煽りの意味合いが強く、最後に一言。
「じゃあ、先生の下の名前、言える?」
赤いファイルには名前は載っていなかった。少なくても准の見た範囲内には⋯⋯。
准は──負けた。
「⋯⋯ギブアップだ!無理!ごめんなさい嘘です!」
土下座をして、頭を深々と下げた少年の哀愁漂う背中を美羽は確かに目撃し、声を上げた。
「せんぱーーーい!!弱ァ!?」
嘘が下手でマトモな討論にもならず、挙句に頭を下げる始末。
これには後輩もガッカリであったのだが、何より物申したいのは他ならぬ准の方だった。
「煩い!お前の応援が弱っちんだよ!なんだよファイトって!一回嘘吐いたら永久的に吐かなきゃなんねぇのに、ファイトも一発もあるかっての!」
「私のせい!?お前、言ってくれるじゃないの!往生しろーー!」
「止めろ!じゃれ合ってくるなぁぁぁぁ!首がぁぁああーーー」
ただでさえ背後を取られている中で、仕掛けられたヘッドロック。
屋外でも屋内でも中々ない光景に、ボーイッシュな等区高校の生徒は思わず身体を後退させる。
「何この人達⋯⋯怖い。ねぇ、もう行こ、莉緒」
そう、隣に居る莉緒へ声を掛けるものの、当の本人は前へと歩いて行く。
そして、倒れてしまって尚、今度は腕の関節にダメージを与えるべく技を掛けている美羽と左腕に激痛が走り、うつ伏せでジタバタとしている准の真ん前までやって来て、しゃがみ込む。
「先生に会って、どうしたいんですか?」
「ァァァァァァッ!──ぇぇ?!」
見上げれば、伽羅色の髪をした女子生徒が一人。
太陽により僅かに明るく映るその髪色に目を細めた。
「だから、先生に会って何がしたいんですか?」
しっかりとその答えを聞く為、髪を右耳に掛ける。
「会って話がしたいんです。八年前の事件について!」
「丸々言うんかい?!」
准の腕から離れた美羽が一番乗りし、立ち上がる。
「八年前?事件?」
莉緒の後方に居た生徒も『事件』というワードに当てられて前へと歩いて行く。
「そうです。女子高生が亡くなった事件で加鍋先生もその生徒の知り合いなんです」
「先生、この街に赴任と同時に来たって言ってなかった?」
「私もそう聞いてるけど⋯⋯」
「お前、例のファイル」
ファイルを准の鞄の中にしまったのは美羽も見ている為、うつ伏せとなって倒れてしまっている少年へ声を掛ける。
「僕はお前の助手かよ⋯⋯⋯はい、これ」
悪態をつくも、なんやかんや言っても必要な物。
教科書やノートの間にしまった赤いファイルを手に取り、等区高校の生徒達に手渡す。
「『映画研究部』って、私達が作った映画の評価してもらってる部活じゃん」
「あんな知名度もない部活の何処に需要が⋯⋯」
「他校の生徒ならではの視点で評価を受けるのも大事な事だって加鍋先生が言ってたんです。それで⋯⋯」
母校へご贔屓しようとしているようにしか准には聞こえなかったが、それはぐっと腹にしまい込む。
「他校ったって、同じ学生だろうに⋯⋯変わるものなのか?」
視点や観点にそれほど歴然な差が学生という括りにおいて、あるとは思えない准は美羽を見る。
「実際に、他校と合同で意見を言い合う──なんていう創作意欲の向上と技術発展に磨きをかける為に連携する高校自体、ない訳じゃないけどね」
(それ、海外とかの主流じゃねぇだろな⋯⋯)
国境一つで物事の価値観、文化が大きく変わる。
日本にはあっても米国にはなく、英国にはあって日本にはない行事や伝統は山程あり、その一つだと少年は顰めた顔で訴え掛けるものの、発言した美羽もネットの内容で語った程度の事であり、実際にその現場に行った事はない為、詮索されぬようにとそっぽを向いた。
「ねぇ、莉緒。この人達、どうすんの?」
「良いんじゃない?加鍋先生と話ぐらいさせてあげようよ」
「えぇ?!マジで!」
「うん。着いて来てください」
校門のすぐ側にあるインターホンへと近付いた莉緒は指をボタンへと向けようとするも、途端にピタッと動きが止まる。
そして、准と美羽の方へと向き直り──。
「あまり、校舎をウロウロしないでくださいね?意外と広いので⋯⋯」
ほんの少し、笑って見せた。
「はい!」
「はーい」
威勢の良い美羽と気怠げで左腕の可動域を再確認する准に頷いた莉緒は躊躇いなく、インターホンのボタンを押した。
━ ━ ━
「あら〜、なんてリッチな部屋だこと。シャンデリアなんて見たの初めて〜。⋯⋯帰りたい」
「お前、止めろ!私一人を地獄に残すな」
「お前は元・お嬢様だからいいじゃん」
僕達は現在、応接室の中にある座り心地の悪いだけの革製の長椅子に座っている。
正直、気後れ気味であり、場違い感が僕の心を蝕んでいく。
『私立等区高校』についてある程度だが、二人の女子生徒から聞いた為、ここで語っておこうと思う。
まず、この学校の校舎は一つであり、どデカい。
奥行きも横幅も広く、長く、巨大な学校だ。
校舎に入る為の昇降口に行く為の扉は鍵だけでなく、生徒や教職員に手渡される専用の通行カードを使用して開閉可能であり、廊下はだだっ広く、キラッキラした雰囲気で、何処か重厚感もある。
生徒数もそこそこおかしい部類であり、一クラスが二十五、六人で六クラスあり、それが学年の数だけある。
一学年、約百五十人居て、三倍の四百五十人というマンモス校。
僕達の高校は一学年、約三十人が三クラスだから九十であり、三学年なので三倍──約二百七十人なので、その違いが分かってくれるだろう。
更に部活数は四十あり、弓道部とアーチェリー部があるらしく、使う道具の違いだけでやる事同じなのに、設立に反対は出なかったのだろうか?
生徒会が等区高校の部活、体育祭や文化祭といった主導権を握っていて、部費や備品の費用等の管理、生徒の住所や緊急連絡先等の個人情報すら、生徒会に共有している。
憶測だが、将来の為の予行演習のようなものなのかもしれない。
学ばせる事は経験させる事にも等しいと、朝倉さんも言っていたし、そういう事にしておこう。
校舎の周りには馬鹿みたいに建物が建っており、それが部室棟、体育館、食堂、更には果樹園があると聞いた時はちょっと引いた。
現在は夏休みというのもあり、人気はないが、これが普通の登校日であったならば、ガヤガヤワチャワチャと煩いのなんのと言った具合いなのは想像に固くない。
そして、そんな場違い感が半端ない僕は応接室に居る。
中に入った瞬間、応接室の意味を心の中で問いてしまった。
天井にはシャンデリア、壁際には等身大の彫刻像に生徒が築き上げた立派な成績を納めた結果として手渡される賞状等が飾られたデカイ棚と種類は不明たがゴルフクラブ数本と部屋の真ん中に置かれたガラスの机に革製の長椅子。
奥には一人用の高級な机に椅子と何処となく欲に塗れている風にも感じたが、短髪の女子生徒曰く、「理事長の趣味」との事で成程と納得。
僕は異世界に迷い込んだようで、これが俗に言う『異世界もの』って奴ですね!
この空間に居るだけで金持ち気分が味わえるという『スキル』があるようで、財布は膨らまない、気持ちばかりのものであり、超不必要な『スキル』をどうもありがとう⋯⋯クソめ。
中央区とかいうリッチでセレブ世帯の方々の住む地区に建てただけでも見込みは大いにあったろうこの学校の収入はいくらなのか。
近くにある図書館なんて、あんなにボロいってのにバス停一つ違うだけでこの貧富の差はどう考えてもおかしいのだ。
「日本め、歪んでやがる」
「いや、何言ってるのよ」
僕は一般のザ・庶民であるからして驚きよりも唖然といった面が大きいが、隣に座っている元・スーパーセレブ財閥出身の貧乏お嬢様のトッキーはこの光景を平然と見ているようで、やはり感性の違いなのか?
学校にシャンデリアとか馬鹿みたいな発想だと思うし、一流シェフが食堂に来てご飯を作ってくれるなんて言われたが、一流とは何を持って一流で、どう一流なのかも分からないというのに、曖昧な名称だけで凄いと思わされる人のご飯の何が良いのか僕には分からなかった。
一流シェフのよりも、見た目最悪、味普通以下の仕上がりにする舞喜のご飯を食べてた方が幸せに感じる訳で、シャンデリアよりも普通の蛍光灯では不満だったのだろうか。
何よりも⋯⋯応接室に置かれた棚は、来られた客に対してこの高校の凄みというものを見せ示してやりたいのだろうが、流石にいやらしいし、明け透けなのだ。
誇張は良いが、限度が過ぎればマジで「キモイ」の一言で収まってしまい、傷となると、理事長並びに校長は知らないのだろうか⋯⋯。
「失礼する」
若い男性の声が応接室の出入口越しから聞こえた。
扉は右を流れて、学生服を着た坊ちゃんヘアの長身の男子生徒が中に入ると、律儀に小さく頭を下げる。
「私は生徒会副会長の大城です。加鍋先生は現在、離れられない為、私が代わりに話を聞く事になりました」
「なら、その離れられない場所に案内してくれますか?」
どうしてだろうか、開口一番にトッキーが発した言葉には焦りが見えた。
まだ、慌てるような時間じゃないって、バスケットマンも言ってるんだけどなぁ⋯⋯。
「厚かましいですよ?他校の生徒が何のアポもなしで当校の敷地を跨げるだけで温厚な対応だと、私は思いますが?」
「アポって⋯⋯記者じゃないんだから」
「記者でなくても、事前に一報くらいは寄越すものかと」
「それは失礼しました。この度は突然の訪問、申し訳ありませんでした」
「⋯⋯分かればいいんですよ」
生徒会が学校の運営方針に口を挟める立場にある特殊な役職である事は既に聞いたが、この夏休みの時期に何をしているのだろうか?
普通ならば、のびのびと家に居るのが通例の筈。
「この時期に生徒会って活動するのか?」
「普通はないでしょう。しかし、この等区高校は特別なので」
「随分とこの学校を特別視してるんだな?」
「何が言いたいのですか?」
蔑視のような視線が僕に刺さった。
嘲笑したかった訳ではないし、本当に素朴な疑問程度の事だったのだが、目の前に座り込んだ彼からすれば、そうじゃないんだろう。
「いや、ボンボンだと、むしろこの学校の設備とか小綺麗さは普通というか⋯⋯当たり前の域なのかと思ってて⋯⋯」
「そんな訳がないでしょう。ここまで豪華な学び舎も普通はない。だから、特別なのですよ」
「左様で」
特別をやたらと強調してくる辺り、この学校に進学する事が一つのステータスのようなものなのだろう。
偏差値が高い高校に通えばアドバンテージにもなる。
けれど、それは将来を見越した前提であって、彼の場合は何処か停滞しているように感じた。
「さて、本題です。生徒に聞きました。加鍋先生が事件に関わっているのだとか?」
僕達を案内してくれた短髪の女子高生と猫背の女子高生の二人だろう。
ここに案内して、先生か生徒会を呼ぶと言って帰ってこない所を窺うに、多分部活に戻された、そう考えるのが妥当だ。
とはいえ、迷惑ばかりも掛けてられないから、それで正解な感じもする。
副会長の大城は腰を曲げ、両指を交差するようにして、肘を足元に持ってきた。
その仕草には余裕があるのは、僕でなくても分かる。
普通はもっとたじろいでもいい筈だが⋯⋯。
「犯人とかそういうのではないんです。ただ、当時の状況を知りたいだけなんです」
「それは犯人かもしれないという増長からの発言だと、受け取っても?」
「⋯⋯いえ、そうではなくて──」
やはり、圧されてる。何にそこまで焦っているのか、僕には分からないが、応接室に置かれた時計をチラチラと見ては早口で言葉を並べる姿は身に余る。
けれど、僕も発言してはいけないとは言われていない。
二対一でフルボッコにしてやる!
「そうですよ。コイツは加鍋って人が犯人だと思ってます。僕は正直、通り魔の事件だと思ってますけど⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯そうですか。なら、その証拠になりうる物は?」
「犯人って言う証拠はない。けど、当時被害者女性と仲が良かったのは、事実じゃないかな。これを」
鞄から赤いファイルを出して、それを丁寧に渡す。
両手で差し出すように渡した事で好印象を抱かせて、隙を作らせる、完璧な策。
「頂戴する。⋯⋯⋯⋯なるほど。確か、あなた方の学校に制作した映画の評価、改善点と次の作品へ向けての技術向上の為の打診をしていましたね」
「はい、その学校の⋯⋯私達のOBに当たる方です」
ファイルに綴じられた頁はまだ半分程残っている段階で、閉じられる。
トッキーは小さく「え?」と納得のいかない声を呟き出す。
僕は内心では、そうだろうと思っていた。
この赤いファイルは確かに活動記録として題名を記しているものの、中身はお遊戯会の発表と何ら変わりなく、記録と呼ぶには少々お粗末な点が見えており、更には問題なのは──。
本名が記されていない事にある。
活動記録に出てくる人物も皆、何かしらのイニシャルで表されていた。
しかも、富宮詩香ならば『T・U』または逆になるのが普通なのだが、活動記録の中で彼女らしき人物を表す際には『R・F』と表記されている。
『ライト・フォワード』なんて訳の分からない事を考えてみたりもしたけど、僕には結局分からず終い。
他にも、加鍋という人物らしき人は『D・M』
写真の左端に居たロン毛の男性は『S・E』
富宮詩香の右に写っていたおっとりとしていそうな女性は『C・F』
一番右端に写った金髪に鼻ピアスの男子生徒は、『S・O』
もはや、ここまでいくと仲間内で楽しむ名目で作ったと言われた方が納得がいく。
そんな摩訶不思議な表記が為された頁を半分まで見てくれた彼に僕は敬意を評した方が良いのかもしれない。
「先生はそもそも、この街に来たのは一年前。それまでは鳥取県在住で、この街には教師として着任なさると同時に来られている。この写真も他人の空似⋯⋯と、考えませんでしたか?」
『映画研究部』の人間を一人でも連れてくるのが得策だったと、今更になって後悔している。
ここで彼等が居れば、もう少しスムーズに話が進んだ可能性もあった。
少なくても、『加鍋先生』だと判断したのは、映画研究部の方々が最初らしいし⋯⋯。
「それに、このファイルには名前がない。活動記録もお粗末で誰がどんな実績を残したか、すら書いてない。ゴミです」
表紙を叩き、雑に机に投げ捨てる副会長。
客の持ってきた物に対してそれは失礼が極まっている。
「⋯⋯投げる事ないだろ?」
いや、投げたくなるのも分からなくもないが、それをしていいのは僕達ではない。
「失礼、手が滑ってしまって」
わざとらしさには嫌味が籠っていた。
それを見せ付ける辺り、遠回しに「帰れ」と促されているようにも感じるが、ここで「じゃあ、帰ります」とは口に出来ない。
隣を窺えば、トッキーが込み上げてくる怒りを体裁と立場を鑑みて耐えているのがよく分かる。
「トッキー、これ下に見られてるから加鍋の奴、来ないんじゃないか?」
「でしょうね。何としても⋯⋯落とす」
耳打ちをする僕に飛び込んだのはそんな宣戦布告の言葉。
依然、目の前の副会長は余裕綽々の坊ちゃんであり、整っている髪を更に整えだした。
そして、身だしなみを終えて、一息ついた副会長は立ち上がる。
「我々は忙しい。そろそろ行かせて頂きます。お引取りを」
「ちょっと待ってください」
制止を促すのはトッキーだった。先程の宣戦布告が目の前にいる彼にも聞こえているとは思えないが、それでも言い出したのはトッキーからだ。
諦めきれなかったのだろう。
「不躾にこちらに来た我々ですが、事件というのは必ず痕に残ります。少なくても、遺族の方はそうです」
「⋯⋯貴女はその被害者女性の遺族なんですか?」
「違います」
「なら、そういった話は当人を呼んだ上で、当人に言わせてやってください。私の心は打たれ弱いので、響くかもしれません」
よくもまぁ、有り得ない嘘八丁を発せられるものだと、僕は少し笑ってしまう。
それを不機嫌そうに睨む副会長は佇むだけで苦言を口にしない為、僕は先に口を開いた。
「いや、ねぇだろ」
「何故です?」
「柔らかい粘土が響くかって話だ。固まってもなさそうだし⋯⋯ヒビも入らないだろ?」
「なぜ粘土に例えたんですか?」
「ねちっこい感じがしたから」
雰囲気と話している感じがそれぽかっただけの事。
別に深く交流を深めようとしている訳ではないし、今後、この男の事を知る機会があったとしても積極的に関わるような真似はしないだろう。
それでも、上昇志向よりも停滞を選び、ぬるま湯に浸かり、甘んじて上から叩き伏せる言動をする者に対して、ねちっこいと言わずしてなんだと言うのか。
「ねちっ?!失礼じゃないですか?」
「当人呼べとか、何とか言って、誤魔化そうとしてるけど、遺族の気持ちってのを軽く見てるお前も失礼じゃないか?代役って線は考えなかったのか?」
「ですから──」
「当人を呼んで、直接⋯⋯だろ?」
「はい。明確な言及がその被害者女性の遺族方からなければ我々はこの件では動きません。そうでなくても、警察を頼って頂ければと」
今回の件に関して言えば、『加鍋に話を聞く』というのは通過点でしかなく、結果としては『富宮奏海が引き起こす事件』を阻止し、解決する事が本質。
警察に相談自体はやぶさかではないし、可能ならそうしたいが、八年前の事件を調べていた理由等を色々と聞いて時間を潰すのも得策とも言えない。
それに、トッキーが何故か今日の夕方、夜の予定を聞いてくる辺り、何かあるのだろう。
間違えても失敗は出来ない。
それに、これ以上トッキーが過去に戻りまくると、身体的な影響だけでは済まなくなる可能性だってゼロではない。
「じゃあ、口コミに『この学校の生徒は過去に起きた凄惨な事件を風化させようとする売国奴』だって書き込んでやるよ」
だから、カマをかける。あくまで押し売りに近い言葉で確実に「仕方ねぇな」と言わせる術を僕は持っている。
プライドなんて、折れば今後は忠順になるようなものだ。
「売国奴っ?!何処がだ!?」
「日本の秩序は人の秩序ある行動で試されるんだってよ。ある人が言ってた」
「はぁ?守るのは警察でしょう?」
言いたい事は分かる。『国民の安心安全』を第一とか宣う警察の方々の苦労こそ、僕には分かりえないが、そう言った言葉を貫こうとする者は、しっかりとしているものだ。
交番勤務から署から庁へと、偉くなる度に現場勤務を離れてしまう代わりに警察組織自体を中から見る事が出来る。
まぁ、警察も行政である為に政治的圧力との板挟みに遭う事もしばしば見るが⋯⋯。
「その市民なら守られて当然、必然って考えが、警察も国民性も瓦解させていく要因になって、国が駄目になるとも言ってた」
「君は誰の話をしてるんだ!」
「僕の恩人の話ですよ?」
朝倉拓也は僕の恩人だ──。
「『頼ってください』『お任せ下さい』なんて言葉は、その役職に付いている人間の口八丁、利益の為の口実、嘘八百なんだぜ?」
そう言われた時、僕は目の前に居る男が馬鹿馬鹿しくも思えてしまい、思わず溜め息を吐いた。
「なんて悲しい物言いなんだ⋯⋯」
「んな事ねぇよ?警察ってシンボルを信じる国民。医者っていう名称に縋る国民。そこにはどちらも、事件性や当人にとってはあっちゃいけない何かがある。けどな、警察官は警察のシンボルを信じてない。医者も医者の名称を頼っていない。何時も国民だけなんだよ。勝手に信じて縋るのは⋯⋯」
「じゃあ、何さ。警察も医者も頼りないって言いたいのか?」
「まさか。技術も知識も一般人に比べたらその分野に突出してるんだから、頼らない術なんてないだろ?」
買ってきたハンバーガーを不味そうに口にして、ストローで飲み物を飲む⋯⋯そんな男の言葉に、僕は何も言わなかった。
言う必要は無いし、ここで話は終わり。
そう思っていたのだけど、喉に食べ物を通すと、朝倉さんは続ける。
「でも、警察官はその仕事に就いてわかる事があって、医者にも医者の苦労がある。結果的にシンボルは何処まで行っても飾りでしかなくて、医者も手袋越しに血で濡れるだけで成し得ない現実だってある。それは何も今言った二つに限らない。どんな役職、職業、立場でもそうだ。だから、国民が駄目になる。それに気付かないから⋯⋯秩序が乱れる」
大通りに溢れる人混み、去年の夏休み前に舞喜のお見舞い帰りに立ち寄ったジャンクフード店。
その窓際に座る朝倉さんは、窓に映る人混みを見つめている。
遠くを見ている様子で、それは何を思っての発言なのか、考える事を当時しなかった。
「俺はな、少年。今の日本人ってのは、秩序を重んじて生きてる生命体だと思わない。まぁ、元々〜、武士道なんて言葉で自制してたような種族の生き残りだぜ?ロクでもないに決まってる。間違いなく。イギリスとかヨーロッパの次ぐらいには終わってる」
イギリスはよく畜生な過去があると聞いた事があるし、ヨーロッパ方面は中世では衛生観念が終わるに終わっていると朝倉さんから聞いた。
実際に僕は見た事がないし、それが本当かは知らないからネットで調べたりもしたが、意外と当たっている事もある。
しかし、中世ヨーロッパに関しては、そもそも宗教的な側面が影響して身体を洗わなかったり、排泄を外で垂れ流したり、投げたりしていたりと散々な結果になっていた筈。
「あんた、日本人だよね?」
「日本人だが?」
朝倉さんの瞳はほんの少しだけ青い。
産みの母親がイギリス人の女性だったらしいが、目元だけなんだよなぁ、イギリス要素⋯⋯。
いや、畜生成分はそこからかな?まぁ、今のイギリス人はそんなんじゃないから、あんまし悪くも言えないけどさ。
「旅行で日本に来る外国人観光客が『日本サイコー』って言うのと、日本人が『日本サイコー』って言うのとでは、言葉は同じでも、意味合いは違う。恵まれ過ぎてんだよ⋯⋯日本ってのは。だから中にいる人は自然と惰性的になる。過去を省みて、今をちゃんとしようとする結果、押し殺して、知らない間に駄目なる。それが今の日本国民に向ける俺の総評だ。俺の、な?」
けれど、朝倉さんはどこか嬉しそうだった。
駄目になるとか、惰性的とか散々な物言いをするけど、それでも⋯⋯⋯⋯他人を見ている時の朝倉さんは、一番和やかなのは知っている。
「⋯⋯⋯⋯その方の方が売国奴に感じるが?」
一通り、恩人について話した僕はさぞ自慢げだったろう。
チラッと隣を見ると、トッキーすら引いてた⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯⋯つまり、君の言いたい事とは、駄目な国民の輪の中に居る私も必然的に秩序を乱しているのだと?そう言いたいのか?」
「そう!」
「戻らせてもらう!」
「⋯⋯⋯⋯ん?」
険しい顔をしながら、応接室から扉の開閉音を鳴らしながら去っていった。
どうやら、僕の策は何一つとして機能しなかったようだ。
『あの人に比べたら、皆同じだから仲良くね』という心温まる話だったのだが、伝わらなかったのだろうか?
それとも、聞いてなかったな。
すると、僕の腰へ肘を叩き付けてきたトッキーの一撃は妙に痛かった。
隣を向くとトッキーが馬鹿にしたような顔で僕の事を見てくる。
「お前、馬鹿でしょ?秩序以前に、場を乱してどうするの?」
「すいません」
やっちまったぜ!てへッ。
トッキーにもう二、三発殴られてきます⋯⋯。
━ ━ ━
応接室を出て行った大城豊は心穏やかではいられなかった。
『私立等区高校』は偏差値七十越えであるのは確かであり、高い教育システムと幅広いカリキュラムで様々な生徒の素質を伸ばしていく教育を軸として多くの生徒を名門の大学へと導く。
それは、親に言われた者が入るだけではなく、本人達なりになりたい将来を見越した上での高校進学であり、その結果、選ばれたのが『等区高校』なのだ。
日本でも名門として頭角を現しだしたこの高校は多くの若手学者、時にはスポーツ選手、研究者等の幅広い部門で活躍しており、一流と言っても差し違えはない。
ある種の誇りであり、在籍しているという事による慎みと確かな尊重を豊は持っている。
「なんなんだ、あの男⋯⋯馬鹿にして、クソめ」
憧れの高校に入れたという喜びは大きく、野心もあり、日々の精進を怠った事はなく──だがそれ故に、一介の普通校に籍を置いているだけの凡夫の態度は鼻についてしまったのだ。
足早になる速度は抑える事を知らず、長い廊下を歩き進み、辿り着いたのは電話ボックスでもなければ、職員室でもなく、生徒会室。
完全に鼻っ柱をへし折ってやりたかった豊は頼ったのだ。
『生徒会長』に──。
力任せに開けられた生徒会室の扉、そしてその奥で音楽を聴きながら、見積もり書にサインをしている生徒会長は急ぎイヤホンを耳から外して、ご機嫌ななめな豊の方へと着目する。
「あら?どうなさったの?」
普段の彼ならば、もっと自然に徐ろに上品に扉を開ける。
特に、生徒会室に限ってはそうだった。
しかし、彼の冷静さに欠けた態度を見た『生徒会長・澄桜梓』は何かがあったと即座に察して声を掛ける。
「会長⋯⋯いえ、なんでも」
「⋯⋯そう。お客様の対応、しっかりしてきましたか?」
立ち上がると共に、紅い毛が混じった後ろ髪をふわりと手で払う。
豊にはそれが優美にしか捉えられなかった。
誰でも分かる程に、瞼は露骨に開く。
夕陽に当たれば鮮やかに光を反射するストレートヘアの弁柄色。
そして、それよりも鮮明に目立つ紅色がもみあげや後ろ髪、前髪等、数箇所見受けられる。
まだ幼さが顔の輪郭には残るものの、それを払拭出来る程の立ち振る舞いに目尻が少し吊り上がっているのも影響して、より魅惑に感じられてしまう。
白いセーラー服の胸元には『生徒会長』の文字、膝元まである黒のソックスと一年間履き続けているローファーは、未だに大した汚れは見えない。
(き、綺麗だ⋯⋯⋯⋯)
憧れがそうさせているのか、自身よりも優秀だという点がそう思わせたのか、本人には分かっていない。
だが、思わず惚けてしまった顔はすぐには戻る事はなかった。
「⋯⋯っ!勿論です。追い返して来ました」
「追い返した?」
思わず聞き返してしまう梓。
それもその筈、追い返す判断をしたのは独断であり、彼女はそのような事は一言も口にしていないのだから。
(おかしいわね⋯⋯莉緒さんから話を聞いた時はもっとスムーズに話が進むとばかり⋯⋯余っ程、態度が悪かったのかしら?)
机に置かれたスマホを操作して音楽を聴きながら消し、イヤホンを外して綺麗に巻いていく。
そして、机の足付近に置かれた鞄にイヤホンをしまい込む。
「はい。私は今回此処に尋ねられた方々はあまりにも不躾で手に余ると判断致しました」
(彼がここまで言うなんて、珍しいわね⋯⋯)
人を立てるような発言こそしないが、貶す物言いは普段しない。
一種の信頼と信用から出た感想であり、だからこそ、梓は引き出しの中から一枚の紙を取り出した。
「そう。貴方がそういうなら、そうなんでしょうね。でも、追い返すなら、二度も来させないように徹底なさい」
「⋯⋯はい」
少し曲がった背筋をピンッと伸ばした豊は竹よりも固く、徐々に近付いてくる梓に緊張を示す。
だが、当の本人は彼が必要となるであろうと予期して、たった一枚の紙を差し出す。
「此処に一枚の書類があるので、それに署名を書いてもらいなさい。それでもうお終い」
「あ、はい!ただいま」
カチコチの動きで下から上へと伸びていく腕。
そして、紙を受け取った豊は紙とは明らかに違う感触が指に触れた事で息を呑む。
とんでもない事が彼《の・》中だけで起こってしまい、内心の驚駭具合いは身体の震えにまで至る。
(しまった!僅かに会長の手に触れてしまったッ!)
敬愛と尊敬よりも別角度の崇高にも近い形で豊は梓を見ている節があり、それが彼の心を大きく取り乱させる。
(なんて事だ⋯⋯。私は今、会長の手に触れてしまった。私如きがぁぁぁあ!そんな、馬鹿な!嘘だ!私などの手に触れてしまっては、穢れてしまう!ぁぁぁぁ〜、何故そのまま私物のスマホを触られるのですか?!)
「どうしたの?熱でもある?」
一向に回れ右をしない豊に疑問を感じた梓が不審そうに問い掛けた。
未だ、彼の思考と心は騒ぎ立てる子供のように煩く走り回っていた。
「ありませす!」
「え?どっち?」
これには梓も困惑してしまい、首を傾げてしまう。
(うわァァァァァァァァァァァァ。困らせてしまったッ!死ぬか?!どうやって償えば⋯⋯⋯⋯どうしたらいいんだ?私の命では足りないぞッ?!家族ごと殺るか?いや、足りないぃぃ)
ご乱心の彼と困り果てた彼女──その部屋の外、扉を挟んで聞き耳を立てている者が一人。
「⋯⋯⋯⋯あの人達、何やったの?!」
部活動の予算申請を出しに生徒会室まで向かった莉緒であった。
防音対策が完備されていない小綺麗なだけの扉から聞こえてくるその会話に思わず顰めた顔を浮かべた莉緒は、てっきり加鍋に、一つ、二つ質問するだけで終わる程度の認識であり、何をどうしたら准と美羽が、生徒会長に対して『二度も来させない』という判断に至らせたか、全く持って理解出来なかった。
脚は自然と動く⋯⋯。小さなお人好しが働いてしまい、駆け出す結果へとなる。
廊下は走るな、気品が乱れる──なんて事はお構いなしに足早となっていく脚を静止させる存在は誰一人としていない。
部活動で現在も活動中の生徒も校舎の中には基本的に用はない為、邪魔も阻害も妨げもいない広々と長い廊下をひたすら駆けた莉緒は階段を下りて、応接室へ辿り着く。
そして、勢いよく力任せに入った莉緒は颯爽と叫んだ。
「ちょっと!君達、何したんですか?」
「ん?」
「え?」
入って三秒──たったそれだけの時間で莉緒は小言のように呟いた。
「⋯⋯⋯⋯何食べるんですか?」
ガラス製の机に綺麗に敷かれた風呂敷とその上にはラップで包んだ食べ物が置かれており、今現在の准と美羽は頬をリスのように膨らませながら、それを食している最中である。
「おにぎり」
「鮭入り」
油を抜き切ったツナとマヨネーズが詰まったお婆お手製のおにぎりを掴み、自慢するように前へと持っていくと、それに合わせるように美羽も昨日の朝食で余ってしまった鮭が詰まったおにぎりを見せた。
ほんわかな雰囲気のまま、まるで自宅に居座るように雑談が進む二人には、危機感が全くなかった⋯⋯。
「⋯⋯⋯美味しそ──違う。マズイよ!此処に来れなくされちゃう!」
「え?なんで?」
「分からないですけど、何か言いました?失礼な事!」
すかさず指を差す美羽。莉緒は指が示す方向を見ると、お婆のツナマヨおにぎりを食して満足そうにしている准が目に入る。
満腹満腹、とばかりにお腹をさすり、口元を見るとご満悦だったのが窺えた。
「コイツが言った」
「えへへ、めんご」
そんな軽口に思わず莉緒は頭を抱えてしまう。
何も分かっていない、状況を全く読み取ろうとしていない二人に溜め息すら漏れていた。
「⋯⋯⋯⋯⋯はぁ〜。これから書類が手渡されるんですよ。『等区高校の敷地を今後一切踏むな』っていう書類」
それは、『生徒会長』と校長、理事長にのみ許された権限であり、余っ程の事でなければ、出さない不可侵のレッテル。
過去に数度しか使用された試しはなく、莉緒も眉唾物とばかり思っていたその権限は、ある意味では幻も近い。
そんな不名誉で珍しい体験が出来てしまう准と美羽だが、慌てた様子もなく、むしろ余裕たっぷりなまま風呂敷を畳んで、鞄にしまい込む美羽は作業をしながら窓に映り込む日差しを見る。
「出禁って事?じゃあ、加鍋先生が学校を出るまで出待ちしなきゃいけないわけ?」
美羽が気にするのは日焼けのみ。
日傘があるにしろ、紫外線は女の天敵であると豪語し続ける彼女にとって、屋内と屋外での活動でのモチベーションは、かなりの差が出る。
「加鍋先生、部室には居ませんでしたよ?」
「忙しいんじゃなかったのか?」
すかさず准か聞き返すが、「うーん」と反応に困る返しをしてしまう莉緒。
「ごめんなさい。私じゃ先生の事、よく分からないから⋯⋯」
美羽は訝しんだ。ここで初めて、豊が嘘を吐いて何かをはぐらかしたという事に考えが至る。
映画製作部の顧問をやっているという話は耳に入っていたが、担任をしているとは聞いておらず、担任と部活顧問を兼任している教師と比べても仕事量の違いは明らかであり、仮に顧問としての仕事に手が離せないのならば、終わるまで待つつもりではあった。
だが、豊は一度も『顧問』としての多忙さを口にせず、曖昧に逃れるような発言ばかりだったのが美羽にとっては違和感でしかなく、騙されたと気付いた時には不可侵までのタイムリミットが設定されている始末。
「チッ。私達みたいな部外者に、この学校の秩序を僅かばかりでも乱されたくないっていう、アイツなりの言い訳なんじゃない?」
ふと、准は美羽を見る。すると、鼻で思わず笑ってしまい、呆気に取られる美羽の顔を見て、更に爆笑。
「なによ!何笑ってんのよ!」
「おお、お前、米粒頬に付けて、ふっ。⋯⋯よくそんな事言えるな?⋯⋯感心しちまったじゃねぇか」
お婆のお手製おにぎりは美羽好みに塩加減を調整しており、思わず頬張った結果、米粒が左頬に付いてしまっていたのだ。
ぺたぺたと指で頬をなぞるようにして行方を探すも見当たらない。
諦めたように隣に座る准へと声を掛けた。
「どこ?右?左?」
「上」
「ここか!って、ここ頬じゃなくて額じゃねぇか!」
「おぉ、面白ギャグが飛んできた。寒いから離れて」
革の独特な音を鳴らしながら、美羽から距離を取ろうとする准であったが、そんな事をされれば近付いてしまうのが後輩のリアクションであり、接し方である。
「凍えちまえ!」
無理矢理しがみ付くように身体を密着させてくる美羽と抵抗するように手を使って離れさせようとする准⋯⋯そんな二人の様子を馬鹿らしく見ていた莉緒は二人の正面に座り、話を進めた。
「先生を出待ちして仮に会えたとしても、話して貰えるか分からないよ?」
「それでも待つしかないでしょ?」
「あの人、車ですよ?」
じゃれ合う二人の動きが止まった。
流石の准達もこれには焦りが見え始める。
准達はここまでバスでやってきており、加鍋も同じくバスで通勤しているとばかり思っていたが、実際には違う。
出入り禁止となった状態で車一台ずつ通る度に身体を張って停止させて確認を取るなんて行動は准達にもなく、唸り声を上げ始める。
「⋯⋯⋯⋯校門前に立っておくか」
「敷地って、坂の前にある看板があるんですけど、そこからここまでが敷地なんですよ!」
バス停を降りてすぐ目に止まった立て看板。
ご丁寧に矢印と距離が記されていて、それに従い准達もここまでやってきたあの看板が頭を過ぎる。
だが、校舎から立て看板までは、十歩先などではなく、十数分は優に掛かる距離に置かれていた。
つまりそれがどういう事かと言えば──。
「はぁ?!じゃあ、あの建物⋯⋯⋯⋯あぁ、あれって」
「うん、第二体育館と多目的ホール。それとプール」
「デカすぎんだろ⋯⋯どんだけ坪取ってんだ」
金持ちの道楽、准はそう考えていたが、実際にグラウンドが二つある高校は存在し、体育館も複数、車道等の先に別の施設を建てる学校もある。
だが、敷地がデカイ事に偽りはなく、校舎の裏手にある丸い屋根が体育館なのだが、その施設一つで校舎の三階よりも少しだけ低い程度の高さであり、他にも多数、ズラリと施設が並んでいるのだ。
それにプラスしてまだ似たような施設があるともなると、金持ちの道楽と考えてしまうのも無理はない。
思わず苦い顔を浮かべていた准だったが、そんな少年達の耳にノック音が響き渡った。
「失礼する。⋯⋯冴咲さん。彼等に何か?」
「あ、いえ⋯⋯その」
二人にとっては死の宣告がやってきた。
更にマズイのが、『映画研究部』の立場にある。
二人の軽はずみな行動は『等区高校』目線からすれば、明らかに准達の通う高校の心象を悪くするものであり、今後の活動にも支障をきたす恐れがあった。
准からすれば『時間跳躍』をさせない為に。
美羽からすれば『准の死亡』を回避する為にも粘りに粘って加鍋との会話に試みたい所なのだ。
「まぁ、いい。これにサインしてくれ」
机の上に流れように差し出された一枚の紙。
「これは?」
「我々との不可侵条約とでも思ってくれれば」
内容は至ってシンプルであり、『等区高校』の敷地内の出入り禁止と当校の生徒への接触禁止であった。
一生徒が渡した紙切れ、普通ならば意味を成さない。
教師陣が話し合い、しっかりと連携を取り合い、マニュアルにある対処法で状況を固めていくのが通例。
しかしこの学校では、実際に効力を発揮してしまう。
『生徒会長』のみの権限とはいえ、生徒に独断と偏見で貼り付ける事が可能なそのレッテルは准や美羽といった他校の生徒だけに留まらず、条件が合えば『等区高校に携わる全ての人物』が対象にも出来る。
たとえ、学力に長けて運動神経が極めて良い者であっても、親が高名な政治家であろうとも、在学期間は『生徒会役員』の膝元に置かれるのが、この学校の常識であり、絶対準拠。
誰であれ、変えられない⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯事件の事を知りたいだけで?」
「はっきり言って、迷惑だ」
キッパリと准の言葉を切り捨てる。
既に勝ち誇ったようであり、口元の緩みはそれを証明していた。
「加鍋先生に用があるだけで?」
「そうだ。あの人も多忙な方だ。君達のように遊び半分で探偵ごっこに勤しんでいる余裕はない」
「遊び半分?!貴方ね、こっちは真面目にやってるのよ!?それを遊び半分って!」
「なら、秩序ある行動を取りたまえ。ついでに、常識もね?」
嘲る態度は隠す素振りを見せなくなり、目の前に居る低次元よりも自身が上に立っているという実感は豊の心を昂らせる。
そんなどんぐりの背比べにも等しく、一つ歳下相手に興奮を覚えた愚か者に対して奥歯を噛み締める美羽は悔しそうな顔をしながら、准の腕を引っ張る。
「⋯⋯っ!私、コイツ嫌い」
(え?今更!?)
好きな要素があったなんて驚きだと口にしそうになるのをグッと堪えた准だが、美羽を向ける視線だけは、どうしてもそれを隠せない。
「それに君」
「なんだ?」
首が斜めに傾く。追い討ちのようなものであり、蔑視と軽蔑の言葉は鳴り止まない。
「君の恩人に言ってといてくれ。君のような人を助けるなんて無駄な事をする暇があるなら、一つでも社会の役にたってみたらどうか、とね」
「まぁ、あの人、社会性はないかな?」
天井へと視線を向けて、考える素振りをした。
事実を捻じ曲げる必要はない。
本人すらも肯定していた事なのだから。
「ふっ。だろ?」
だが──だからと言って、准は目の前に居る男がそれを口にする資格があるかどうかは、また別の話だ。
険しい目付きをむけるまで、時間など要らなかった。
「でも、恩人は恩人でも、命の恩人なんだ。あんたに貶される謂れはない」
朝倉拓也は畜生であり、ある意味では邪道であり他人事のように事を成す、はみ出し者。
これから先、この世界において、他者にとっての利益を齎すのが豊であるのは准でも分かる。
それでも、『小さな救済』が准の中で大きくなり過ぎていた。
全ての転換点、分岐点であり、出会い日。
侮蔑の言葉も投げられたが、それも呑み込んだ結果、今の桐江准が居て、否定しようのない恩人というレッテルは簡単には剥がせはしない。
隣に居た美羽はたじろぐが逃げるに逃げられない。
目の前に居る豊は平然と腕を後ろに回して、瞼を閉じる。
「⋯⋯こうなった以上、仕方ない」
准は背後にある革製の椅子へと徐ろに座り出して、寛ぐように背凭れに体重を掛ける。
そんな少年の行動の一つ一つが、ヤケに気に障った豊は僅かな目元が動いた。
後ろに回している両手は握られており、親指を引きちぎってしまいそうになるほどの力が籠る。
「ここにずっと居る」
「⋯⋯⋯⋯は?」
呆気に取られた豊は手に籠っていた力強さは消え失せてしまい、脱力しきってしまう。
(ずっと居る?⋯⋯何を言ってるんだ?)
唖然とした様子を見せた豊を見た准。
少年も何も考え無しに発言した訳ではない。
「だから、ここに残るんだって。加鍋って奴も車で来てるんだろ?だったら、ここ通るよな?だって、そこの窓から車が沢山見えるもん」
右手側には差し込む太陽の光と蝉の鳴き声がいい具合いに小さくしてくれている窓があり、屋外には駐車場と停められた車がバッチリと映り込んでいる。
一階に応接室がある為、窓から抜ける事も可能であり、見つけ次第確保だって厭わない覚悟を持っていた。
「はぁ〜。仕方ない⋯⋯」
首を横に振り、応接室の扉を開けた豊は振り替える。
依然、優位性と立場は揺るがず、笑って見せた。
「少し、待っていなさい」
そして、扉はゆっくりと閉められた。
慌てず、お退けず、慄かないその態度は准に違和感を覚えさせる。
「⋯⋯なんだ?あの余裕?」
「多分、『生徒会長』に口添えするんです」
目を細めて、考える。しかし、准には『生徒会長』が自身の首を締める必殺になり得るとは感じなかった。
何処まで言っても一生徒であり、目の前に置かれた書類一枚と比べても、わざわざ呼び出す程の存在とは思えずにいる。
(普通、先生呼ばない?)
首を傾げるも、答えが捻り出る訳もなく⋯⋯。
准はまだ、この学校の『生徒会長』が誰の娘なのかを知らない。
「『生徒会長』のお父さんは『警察官』なんです」
「いやいや、警察庁のかなり上の人じゃないと揉み消せんでしょ⋯⋯⋯⋯え?マジでその立場?」
莉緒の表情で察してしまい、口に出てしまう。
『澄桜剛仁』──現在、警察庁の官僚であり、キャリア組と呼ばれるエリート。
娘の梓も詳しく仕事の内容を聞かない為、深く事情を知る訳ではないが、多忙な毎日を送る人物であり、珍しく活動的な人物でもある。
相手がかなり上の立場の人の娘相手とは聞いていないと、天井を力なく見上げる。
「金持ちめ⋯⋯」
「そこは違うでしょ」
流石の美羽も警察関係者の実子相手にとやかくすると面倒臭い気もしてしまい、力なく突っ込む。
「結局、ボンボン小僧とかが生徒会長なんだろうなぁ」
いやぁな想像が膨らみ、様々な妄想を脳内で繰り広げていく准であったが、もう一つの事実が舞い込む。
「『等区高校の女王』⋯⋯そう言われてます」
「女子なんかい⋯⋯」
脳内で繰り広げた想像は、弾けた泡のように消えた。
「⋯⋯トッキー、お前なれるか?ウチの高校の女王に」
「なれる訳ないでしょ⋯⋯というか、恥ずかしい!」
「お!厨二病すら赤らむ名声⋯⋯。きゃっ!」
赤らんでいる訳ではない頬を見て、わざとらしく高音を出した准に拳を突き出して、准の腕をグリグリと擦り付けていく。
「何が、きゃっ!だ。馬鹿にするな」
二人の危機感のない会話は続いていく。
准にとっては『時間跳躍』さえ逃れられれば最悪良いし、美羽も准を早めに帰宅させれば済む話。
面倒臭いのは加鍋と話が出来ない事、この一点にある。
未だにペンも持たず、書類には目を通さない二人はのんびりと諦めたように『生徒会長』を待つ事を選択した。
「少なくても!あの人に目を付けられたら終わりです!」
「何その、花だんみたいな感じ⋯⋯イケメンばっかだったら完璧だったのに!」
「お前、ちょっと想像したろ?」
「うん、した」
女子はイケメンが好きなんて、誰もが分かるロマンだろう。
若干緩んだ頬に考える素振りをした美羽は非常に分かりやすく、単純であった。
「あ、そうだ。トイレどこ?帰るなら先に寄っときたいし」
「出て、突き当たりを行った所です。看板があるので」
後方を指差した莉緒は、トイレがある方角を示す。
それに応対するように立ち上がった准は扉へと歩き出す。
「ありがとう!じゃあ、行ってくる。あ、トッキー、間違えても印鑑とか押すなよ?」
「それ押せって事?つか、印鑑ないし」
応接室を出た准は廊下へと。
指し示してくれた左側は昇降口とは反対方向であり、教室が左右に三つずつ並んでいた。
だが、何故かその奥には曲がり角があり、校舎の構造に理不尽を覚える。
「突き当たりって、長⋯⋯。やっぱおかしいよ、この学校!」
悪態を付きつつも、歩き出した准は誰も居ない長っ広い廊下を一人、寂しく進んで行く。
━ ━ ━
ノックが為された。今日だけで数回聞いたそのノック音に美羽は視線を向けた。
「失礼する」
入ってきたのは豊のみであり、莉緒の言っていた『生徒会長』の姿は見えない。
多少、それが気掛かりではあったものの、机の前まで進み、机に置かれたペンを摘み手渡そうとするように差し出す。
「書類に一筆、書く気は?」
「ない」
即答だった。摘まれたペンは胸元のポケットへとしまった豊は背筋を伸ばして見下すような視線で辺りを見渡す。
「⋯⋯⋯⋯もう一人の馬鹿は?」
「トイレに行きました」
「ふっ。帰ってくる頃には地獄だろう。だが、その鉄槌は我々の長!『生徒会長』に致してもらう!」
応接室の出入口へ手を向け、自然と美羽と莉緒は出入口の扉へと視線が通う。
一人の女子生徒が入ってきた。
莉緒は一歩後退し、萎縮したように頭を下げ、美羽は瞼を細めて、目に力を込める。
「ごめんなさい、その長とか止めて下さる?流石に身も毛もよだつというか、あまり、ね?」
「っ!失礼しました!」
深々と下げられた頭。対応の違いが顕著に出ているが、美羽はそれには気を留めてもいない。
目の前に居る女子生徒の顔に見覚えがあったからだ。
「初めまして、生徒会長の澄桜梓です。⋯⋯あれ?貴女、常盤様の⋯⋯」
驚いた素振りを見せて、ようやく美羽も思い出す。
幼い頃に父親が自宅に招き入れた男とその傍を肌身離れずに着いて来ていた自分と同じぐらいの年齢の女の子の姿を⋯⋯。
基本的に出会うのは澄桜剛仁から常盤家に出向く時のみであり、顔を合わした数こそ少ないが、比較的に話も合い、幼い頃は仲も良かった二人。
「あ、澄桜⋯⋯貴女だったのね。こんな馬鹿でかい学校のマンモスやってるの」
「いや、あの⋯⋯マンモスってなんですか⋯⋯。いえ、いいです」
初めに向かったのは窓側であり、徐ろに腕を伸ばして、半分程窓を呑み込むようにして展開されていたカーテンを全て外側へとスライドさせていき、ほっと息をつく。
そして落ち着いた足取りで、美羽と向かい合うように座った梓は机に乗った書類を爪で叩きながら、美羽を訝しんだ様子で見つめる。
美羽も崩した体勢で座っていたが、気付けば、綺麗な座り方に戻っていた。
「私も鬼ではありません。余計な事情を当校に持ってきて欲しくないのです」
「人が一人死んだ事が?余計な事なの?」
「八年も経って今更⋯⋯そう、言ってるんです」
窃盗、詐欺、傷害致死には時効が存在するものの、【殺人】には時効は存在しない。
しかし、それがある意味では当事者以外の気持ちに若干の変化があった。
時効とは言わば、『制限時間』のようなものであり、授業にも時間が設定されているように、店舗が一定の時間で閉まるのが当然のように、時効は存在していたのだが、それが撤廃された事により、梓の中で『八年』という年月の流れに重みを感じる事はない──。
「それと、遺族の方には了承を得ましたか?」
「⋯⋯⋯⋯いえ」
「つまり、そういう事です。もう少し、順序に沿って欲しいのですよ。でなければ、秩序も危うくなる。彼に言ったそうですね?」
休めの姿勢になっている豊を一瞥する。
向き直った頃には美羽は全力の抵抗を示すように、首を横に振り、両手は手首を全力稼動させて、否定の意思を表した。
「いえ、私じゃないですよ!」
「そう、もう一人の方?」
「はい。貧乏人臭い見た目で、すぐに分かりますよ」
「そう、貴方⋯⋯。人を見ただけで、貧乏人と贅沢人の区別が付くのですね」
余裕だった表情が僅かに綻ぶ。
豊は小さく「え?」と鳴いたような声を出してしまい、思わず梓を凝視してしまう。
豊を見上げる視線には、何処か冷たさが感じられたのを豊本人は決して──忘れない。
(会長⋯⋯⋯⋯。そんな冷え切った目で見て頂けるだなんて、恐悦至極の極み!感涙しそうになりそうですッ!あ〜、生きてて良かったァァ〜〜)
主に、駄目な方で忘れないだろう。
大城豊はある意味では⋯⋯ゾッコンだった。
「⋯⋯とにかく、一度出直してください。私からも加鍋先生に一応の説明はします」
「会長?!」
豊のリアクションを右手で静止する。
伸びた腕、きっちり伸ばした指。
一歩、前に動きそうになった身体は、意図せず、ピタッと止まるのを梓は見届けると美羽へ淡々と言葉を綴る。
「ただ、私達から見て、今回の件に加鍋先生に関係性がないと判断した場合、どうなさるつもりで?」
言葉の圧が空気を重くさせて、深海に落ちていくように美羽の心には負荷が掛かる。
膝元に置かれた掌は自然と拳を作った。
「どう、とは?」
「謝罪はしてくれるのか?と聞いているのですよ」
「勿論、です」
「⋯⋯良いでしょう。ならば──」
梓は立ち上がり、ペンを美羽に手渡そうと前屈みになろうとする──そんなタイミングで帰ってきてしまう。
「ただいま〜」
ノックもなく、我が家同然のように扉のノブに触れて、奥へ向けて扉を開けた准と真っ先に気付いた豊は不快感をあらわにして振り返った。
「貴様、分を弁えろ!ここは貴様の家でもなければホテルでも旅館でもないんだぞ?!」
「えぇ、そんな事でキレるぅ?カルシウムないんじゃない?」
「貴方がもう一人の⋯⋯⋯⋯え?」
美羽に手渡そうとしたペンは美羽の元に渡る前に机に落ちる。
「ん?⋯⋯⋯⋯あ、お前」
梓を指差して驚きを隠せない准が口をポカンと開けてしまう。
「お、お」
立ち上がって一歩、准へと近付く梓の様子の変化に豊は動揺し、彼女の元へと近付こうとする。
「会長?」
しかし、まるで豊が居ないかのようにスルーされて奥に居る准の手前まで向かうと頭を下げた。
「お久しぶりです!その節は本当にありがとうございます!」
絶句したのは誰か?美羽が最初であった。
「⋯⋯先輩がまた、垂らし込んでた⋯⋯。うしょぉん」
机に置かれたペンを拾う事もなく、ただ座り込んで状況の読めない二人の関係性に唖然とするのみ。
豊に至っては棒立ちのまま、固まってしまっている始末。
「父は今も元気でやってます。私も、本当に!」
「そうか、なら良かった。と言っても、僕は大して何もしてないけどなぁ〜」
一年前の七月頃、『赤いシミが迫る』という怪奇的な噂が流れた。
その際、被害に遭い掛けた人物が澄桜梓とその父、澄桜剛仁なのである。
この頃から、桐江准の中にあった多幸感と知識は増長していき、夏休みになる頃には粉砕する事になるとは、当時の少年も思っても見なかったろう。
「あの、もう一方もお元気ですか?彼にもお礼を言いたいと常々思っていたのですけれど⋯⋯」
僅かに言い淀む准、そしてそれを見て何かを察した梓は思わず口元に手を当てる。
禁句に触れた、そんな気がした梓は申し訳ないといった表情になり、僅かに表情に出た。
それを今度は准が理解出来てしまい、誤魔化すように笑って見せた。
「あ〜、アイツは元気でやってる。けど、少しガタが来てな?僕から言っとくよ」
梓は思い返す。二人の背中、何処か楽しげに繰り広げる口論で状況の打開をしようとする⋯⋯そんな懐かしい光景を。
(そういえば、もう一人、女性の方が居たような)
二人の背後を着いて周って背中に目掛けて飛び込む女性。
夜闇の中だと言うのに、赤い髪は炎にも似て目立ちながらも当時は一切の違和感を感じさせなかった、お転婆そうな少女の背中。
梓は知らない、知る由もないだろう。
その少女が『龍』であった事なんて──。




