朝帰り
この世界はご都合主義は存在しても、都合よくトントン拍子に物事は運んでくれません。
私の姉は家族と仲が極めて悪い。
ママと顔が会えば口喧嘩して、パパと会ったら殴り合いの喧嘩になる事もしばしば。
それが嫌で堪らなかった。
でも、私には居場所が家しかなかった。
友達がいなかった訳じゃなかったけど、こんな家族の事をわざわざ話すなんてどうかしてるって知ってたから、必死に誤魔化すのが当たり前。
反対に姉は家族の事をよく周りに吹聴していたみたいで、のびのびと家族にすら見せた事のない顔を友人や彼氏に対して浮かべてる所を見た事がある。
羨ましかった。どうしてそんな晴れ晴れとした笑顔でいれるんだろうと、今も疑問のまま。
それでも私にとって、姉はやっぱり姉で頼りになって、憧れだった。
「あんたも友達作んなよ?いい子ちゃんしてるだけで仲良くなれるとか、あんたそれ、人形と変わんないじゃん」
「でも、みんな喜んでくれるよ!」
「使われてるだけだっての⋯⋯。はぁ〜。いい?友達は自分で選ぶの。んで、自分で好きになるの。いい?人に言われたからニコニコするだけが友達って訳じゃない」
「そんなのお姉ちゃんのやり方じゃん」
「だから、パクっていいつってんの」
「⋯⋯うん」
よく覚えている光景の一つ。
姉が私に友達の作り方を教えてくれている時の一部分。
当時の私は周りと合わせる事を優先してて、周りが楽しいと思える事には積極的にはなれなかった。
でも、自分の周りに誰かが居るのって安心するじゃない?だから、自然とそうなるようにする為に頑張ってたつもりだった。
けど、それを一蹴して否定から入るのもまた姉で、仕方ないなって感じで、それが姉で、私の自慢。
「はぁ〜。あ、そだ。最近さ公園であんたぐらいの歳の男の子達が遊んでるから、行きなよ?」
「えぇ、嫌だよ。怖いし」
「何がよ。おませにしちゃ早えーよ。明日行きな?」
「うん」
次の日、私は姉に連れられて、無理矢理公園に行った。
けど、子供どころか、大人も居ない。
「あれ?おっかしいなぁ〜。いつも居んのに」
「夢でも見たんじゃない?」
「馬鹿、んな訳ねぇーだろ。⋯⋯お!いいとこに一人獲物発見〜」
偶然、公園で二人の子供が来た。
一人は男の子、一人は女の子。見た所、兄妹っぽい。
そんな二人を標的にするように指を差す。
もう既に兄であろう子供が妹をブランコに乗せて、二人で仲良く遊んでる所だ。
「ほら、行きな」
「え?お姉ちゃんは?」
「私が混じってどうするよ。部長に呼ばれてるから行かなきゃなんねぇし」
「ぶかつって言う遊び?」
「遊びじゃねぇよ。活動だ。部活動」
「ほら⋯⋯⋯⋯。もー、仕方ないね⋯⋯奏海は」
いつまで経ってもウジウジする私の手を引っ張って、大きな声で手を振りながら呼び掛ける。
そんな姿を横で見ていて、私の姉はやはり凄い人だと思ってしまった。
そう、私の姉はすごい人。凄い人なんだ⋯⋯。
私は姉のお陰で二人の友人が出来た。
それから、毎日楽しかった。
私の事は二人は『奏ちゃん』と呼んで慕ってくれて、妹ちゃんの事は『きーちゃん』と呼んで、お兄ちゃんの方を『きーくん』と呼んで、ボール遊びや鬼ごっこ、かくれんぼをして楽しむ毎日。
姉も暇な時は一緒に混じってくれて、四人で、時には彼氏さんも込みで五人で盛り上がて、楽しくて堪らなかった。
開かれた宝石箱が周りにあって、常に金にも銀にも輝いている。
そんな風に世界が彩りに満ちていて、充実していた。
「ねぇ、お姉ちゃん。どこ行くの?」
「⋯⋯まだ教えない」
そう言ってボストンバッグを片手に玄関の扉を開けて去っていく生前の姉を見た最後の姿だった。
その三日後──姉の遺体が河川敷の川で発見される。
冬季も近いというのに全裸の状態、傷も多くあった事から男女関係に問題があってその末に殺されたのではないか?
そう、ご近所に噂されるようになった。
家族との折り合いは増々酷くなって、どちらかの教育に問題があったと、すぐに口論に発展して家はめちゃくちゃ。
頼みの綱だった『兄妹』も公園に来なくなってしまい、私は正真正銘、独りぼっちになってしまった。
━ ━ ━
夕暮れの空は気付かない内に暗く染まり上がりってしまい、コンビニの看板は白い照明として機能し始めていた。
「死んだ姉って⋯⋯。確かなのか?」
「間違いないっつの」
「家族は普通にしてるのか?」
「そりゃもう。今まで見た事ないぐらいに元気になって、大満足している。私が居なくても良いぐらいには」
皮肉にも似た物言いは多少鼻につくが、成程⋯⋯嫌な『現象』の類いかもしれない。
恐らく、富宮と亡くなったお姉さんとの家族のポジションが入れ替わった可能性がある。
こんな我儘娘、溺愛されて育ったに決まっているのだ。
「お前が居ないとそれはそれで──」
「あんたに何が分かんのよ?親なんて、優秀な方が良いんでしょ?」
どうやら、前提が違うっぽい。
僕はてっきり、毎日家政婦付きで英才教育を施され、親には将来有望な期待とそれに甘えた家庭の次女とばかり思っていたが、出来が悪い次女のようだ。
まぁ、もっと言うと、コイツが金持ちかも知らないが⋯⋯。
兎に角、このままではマズイ。『現象』は引き伸ばされるとその分、定着して処理するのにかなりの時間を有する場合がある。
家族が慣れてしまい、それが当たり前だと常識となってしまえば、コイツの居場所は完璧に消えてしまう。
何より、死んだ人間が生き返るなんて馬鹿馬鹿しい。
朝倉さんですら、「この世界では死人は生き返らない」って豪語していたんだ。
ある筈が⋯⋯いや、何か追加で言っていた気もするが、なんだったか?
(いけない、今はコイツだ⋯⋯。家に行く?いや、コイツに言っても行かせてくれなさそうだし)
信頼されていないというのもあるだろうが、そもそもの話、嫌われているのだから、いくら言っても無駄に終わるのは目に見えていた。
それに、家族の問題は家族内で解決するに限る。
大州家の時は僕と妹が起因して家庭崩壊が起きた所もあるから謝罪しに行ったが、今回はそれに該当しない。
何よりも、夏休みに入って居場所がないってのも、可哀想な気がしてならない。
「いやいや、亡くなったんだろ?このままでいい訳ないだろ」
「⋯⋯良いわよ。別に」
「⋯⋯⋯⋯」
駄目だ。このままじゃあ、原因も分からないかもしれない。
どうもコイツと話す時、調子が狂う。
すると、後方から窓ガラスを叩く音が数度聞こえ、慌てたように振り返る。
蒼太が馬鹿みたいな数の弁当とおにぎり、パンを入れたカゴを足元に置いて立っていた。
「多すぎる⋯⋯」
もう、カゴ二つ持ってた方が良いだろうに⋯⋯。
「悪いが、蒼太が呼んでる」
「あ、そ」
「⋯⋯お前、どうすんの?帰る気はないのか?」
「帰れないわよ⋯⋯。帰ったって居ないのと同じだし」
体育座りで蹲る体勢を崩さない彼女に掛ける言葉のレパートリーは少ない。
僕に出来る事があまりないように。
けれど、僕でなくても藍莉ならばもしかしたら⋯⋯そう思い、彼女の名前を出す事にした。
「⋯⋯藍莉に連絡しろ。せめてそれで──」
「やめてよね!なんでよりにもよって藍莉なの?!こんなのバレたら失望されちゃう!友達じゃいれなくなる」
掴み掛るかのような勢いで顔を上げたかと思うと、瞳孔が開いた状態で睨み付けられた。
「⋯⋯お前、何言ってるんだ?」
そう、僕にはその言葉の意味がわからない。
何を言っているのか、純粋な疑問となって頭を駆け回る。
「あんたは友達少ないから良いかもしれないけど、私は友達の数だけ弱味見せる訳にはいかないの!」
「弱味見せんのも友達付き合いの一つだろ」
「はぁ?!あんた馬鹿!?そんな訳ないでしょ?私はちゃんとしなきゃなんないの、あんたみたいになぁなぁで生きてないの!」
確かに僕はいい加減な生き方をしているとある程度は理解しているつもりだが、そこまで言われなければならない物なのだろうか。
それに、なぁなぁで生きてる事と、弱味を見せる事の関連性を問いたいものだったが、多分それを言うと⋯⋯僕は殴られる。
コイツに殴られたら、倍で殴り返しかねない。
だから、グッと堪えた。
「なら、ちゃんと弱味見せれる友達探せよ。出来てないって事はお前の付き合いがド下手くそなんだろ」
「ッッ〜〜〜死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねーー!はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
罵倒の嵐というのは、どうも躍起になったり、余裕がない時に出てくるものなのだと、この日分かった気がする。
強い語気と鋭い言葉は確かに身体に刺さる勢いではあったが、心までには届かない。
むしろ、酷く憐れむようにすらなれてしまった。
「気は済んだか?」
「ッッ〜!最低ッ!」
顔を手で覆い隠して、立ち上がりざまに一瞥だけされた僕は、そのまま走り去ってしまう彼女の背中が遠くなるのを見守った。
「⋯⋯何処がだよ」
申し訳ないが、助けてやりたいという気持ちはあったが、肝心の藍莉も駄目、当然のように僕は論外となっては、どうしろと⋯⋯という所であった。
仲良しな武島辺りに頼もうにも、弱味というのが邪魔して頼み込めるかも怪しいものだし、嶺二に相談なんてしたら、多分僕は富宮を潰しに掛かる自信しかない。
一種の我儘な間は、きっとどうにも出来ず、なるようにしかならなくて、危機的状況になってようやく気付く事になるのだろう。
それまでは様子見という事として、僕は蒼太の元へと戻った。
「ねぇ?何話してたの?」
「ん?まぁ、家族の事だ」
「家族?」
「あぁ、亡くなった人は生き返らないとか、そんなの」
カゴにある弁当を取捨選択して、棚に商品を戻していく僕と蒼太。
大変面倒な事ではあったが、そもそも僕は数の制限を口にしていないし、財布は常にカラカラの砂漠地帯であり、潤いが宿るまでの間は数を減らしてもらわなければならない。
それに弁当三個、おにぎり八個も誰が食べると申すか⋯⋯、僕達はコンビニで贅沢ばっか出来ないのだ。
「分かんないよな?蒼太のお父さんとお母さんが亡くなったら、蒼太も悲しいだろ?」
唐揚げ弁当とオムライス、おにぎり二個と炭酸飲料とお茶二本をカゴに残して、下の段に生姜焼き弁当を置いた僕は何気なく蒼太に問いた。
「僕の家族はお姉ちゃんだけだよ?」
これも、きっと僕と舞喜のせいなのだろう。
『現象』は理由がなければ、憑く事はしない。発生しない。
原理は科学的に解明出来ずとも、確かに必要となる何かは存在していて、それに人が過敏な時に限って巻き込まれる。
だから、【当て馬】だけのせいではないのだ。
憑かれる事を良しとした舞喜にも原因があって、それを促す言葉を掛けてしまった僕にも一端はある。
そして、それが今、蒼太の価値観を変えている事に繋がってしまった。
「⋯⋯⋯⋯。そうか」
何もそれ以上はなかった。僕も家族は妹だけだと思っていて、親は枠外に押し詰めている分類の人間。
どう考えてもお門違いなのだ。同情的にもなれず、小さな歪みのような小さな子供の考え方を諌める訳でも矯正する訳でも促す訳でもなく、ただ純粋に流した。
帰り際は穏やかなもので、車の通りが少なく、安全かつ自然に帰宅して、舞喜に詰められてしまう。
蒼太の件を藍莉に伝えるべきだったのだろう。
けれど、藍莉はその日、少なくても僕が起きている間には帰ってこなかった。
時間は⋯⋯二十時半ぐらいだったろうか、それとも二十一時か?
どちらにしても、蒼太を風呂に入れて、藍莉の帰宅の遅さに多少の違和感と不安はあったが、連絡を取り合っている舞喜からは『帰りが遅れる』という一報が届いていたようで、安心したように寝る事にした──。
瞼の裏は微睡みの渦。底は深く、溶けて落ちて行く。
直射日光が肌を焼く中、僕は項垂れていた。
この光景を僕は知っている。
地面にへばりつくように、縋るようにして、懇願を止めない僕の元に朝倉さんが緩やかな速度で歩いて来た。
「まだ項垂れてんのか⋯⋯。地面と結婚でもすんのか?」
「⋯⋯⋯⋯」
「どうにか出来た可能性⋯⋯あったって言ったらどうする?」
「っ!⋯⋯アンタの力が要るんだろっ!」
「いや、要らない」
「⋯⋯え?」
「⋯⋯『現象』をナメ過ぎだ。だから失敗したんだ」
この頃の僕は正直に言って、『現象』というものを見くびっていた。
小さくて、対処も簡単なものばかりで調子付いていて、付随するように頼れる龍も居た事が拍車を掛けてしまい、最後には大事なものを二つ失う結果になってしまった。
「でも良かったじゃないか。最後には笑って死んだぞ?あの不細工な龍」
「っ!お前ぇぇぇぇぇ!!」
掴み掛ろうする僕の腕を軽く投げ飛ばして、硬い地面に打ち付けられる。
分かりやすい実力差は顕著に出た。
「っぐぅ⋯⋯ぁぁぁ、ぅあぁあ」
急激にやって来た背中から肺を大きく刺激する圧迫感が呼吸を掠め取り、瞬きが邪魔くさくなる程の痛み。
それがこの時、起こっていて、正直に言うと二度と味わいたくはない。
「お前、馬鹿だろ?なんで本気で殴れると思ったんだ?事実しか言ってねぇだろうが?違うのか?」
「お前、っお前に、何が分かるんだよ。⋯⋯何も知らなかったアンタが!!」
「⋯⋯ふっ。ごめんな、知ってたわ。初めから」
思考の停止、発せられた言葉を正しく認識するまでに少しの時間を有して、出た言葉は──。
「⋯⋯⋯⋯は?」
たったこれだけ。その頃の朝倉さんはあまり顔を出さず、事態を知らないものとばかりと思っていた。
けれど、違った。そうではなかったのだと、この時初めて知る。
「だから、初めから知ってて、敢えてスルーしたんだよ。当然だろ。いつまでもあんなのがのさばらせて置いたら可哀想じゃん。一般人がさ」
「六華は!六華はぁぁあ、ちゃんと共存しようって!そう言ってたんだ!!」
「そうだな、だから死んだ」
「⋯⋯っ」
人の営みと龍の生き方、在り方は違う。
それの垣根を超える事は容易ではない。
当時の僕はそれがもっと単純で、分かりやすく、当たり前てに成せるものと考えていた。
だから、失敗してしまった。
「ホント、勿体ない事したねぇ⋯⋯。まぁ、いい教訓になったじゃん。龍の目にも涙ってな」
「お前には血が通ってないのか?」
「通ってるよ?当たり前じゃん。血も涙もないって言おうとしたのか?なら、嘘泣きでもしてやろうか?」
両手を目元に、わざとらしく朝倉さんはしゃがみ込み、煽るように。
「うわぁぁぁぁん、可哀想なしょうねぇぇんだぁぁぁ。言う事も聞かずに、龍は死なすし、親とも喧嘩ぁ〜、妹を追い詰めて、友達も失ってぇぇ、可哀想〜〜〜。ちら。うわぁぁぁぁん」
「殺すぞ?お前⋯⋯」
腹の底から湧き上がる、ドス黒い感情は初めてで、彼に向ける。
けれど、それを軽くいなすように朝倉さんは更にオーバーリアクションとなる。
「⋯⋯うわぁぁぁぁん、今殺すって言われた〜」
「アンタ、ふざけんなよ⋯⋯」
仰向けだった体勢は起き上がりと同時に正面に座して、もう一度掴み掛かろうとする。
けれど、目の前に居る彼は泣くリアクションを止めていて、何故か俯くのみ。
「⋯⋯ふっ、ふふふふ。ははははははははは!ふざけんな?⋯⋯はぁ〜。ふざけてんのは、テメェだろうがッ!」
後にも先にも、僕に彼が本気でキレたのはこれが初めてだった。
風が哭いて、近くにあった観覧車、メリーゴーランドは大きく揺れて、朝倉さんの足元にある地面には亀裂が入ってしまう。
鋭い眼差しが僕に向かって、刺してくる。
呼吸を忘れて、思考は停止、身体は震えて、動かそうとしていた脚は知らぬ間に止まってしまい、硬直状態。
つまり、臆したんだ。僕は完全に彼の圧に屈してしまう。
「⋯⋯⋯⋯え?」
「しょぼい『現象』を三つ程度、一人でなんとかなったからって驕ったんだろ?だから死んだ、だから失った。それもこれもあれもどれも、お前だよ!ぜっんんぶ、お前のふざけた態度と行動と心持ちが呼んだ結果だろうが!人のせいにしてそんなに満足か?気は紛れたか?ちょっとは憂さ晴らしになったか?」
ジリジリと寄る彼に合わせて後退しようとするが、一向に身体は動かない。
一歩、また一歩と、歩みを進める彼を呆然と見つめるだけに留まる僕は滑稽な軟弱者と化している。
「事が起こる前から危険信号は鳴っていた。龍も友人もだ。なのにお前と来たら、何時までも何時までも調子に乗るだけ乗って、死なせて、失わせて、失望して、めげて、慰められて、最後は失敗したら、ギャン泣きか?いい身分だな?死んだ奴は生きてる奴と違って、泣く事も出来ないってのに、可哀想だな。哀れだよ、お前」
苦渋の表情を浮かべている僕に彼は畳み掛けた。
けれど、今なら分かる。彼なりの説教なのだろう。
本当にあの頃の僕はどうかしていた。
調子付いていたし、慰められて満足して、勝手に諦めそうになって、言葉巧みに騙された挙句、それらが引き金となって最後には死なせてしまう。
大人の悪知恵に屈した子供のように喚き散らかして、果てには嘘だと泣くばかり。
悲しさもあったが、それ以上に否定したかった。
それを読み取られてしまったから、彼はキレたのだろう。
「良いか?俺は言ったぞ?人に合わせて『現象』はやってこない。人の都合に合わせないで生まれるのが『現象』なんだってな。お前みたいな青臭いだけで人の気苦労も金の稼ぎ方も知らないようなガキなんかに合わせて『現象』が生まれる訳がない。ちょっと考えれば分かるだろ?なんで誤った?なんでミスった?なんで失敗した?あぁ?考えろ!考えて、考えて、悔いて、恥じて、愚かになって、塗れて、懺悔し続けろ。それが今のお前の役目なんだよ。それも生きてる奴にしか出来ない事だ」
人の都合だけで人が動かない事があるように、『現象』が発生するのに人の都合は関係しない。
むしろ、悪い時に生まれる事の方が多いまである。
当時の僕は何処かそれを都合良く解釈していて、割り切っていた。
天職のようなものだと⋯⋯。
「⋯⋯ぁぁ、ぁあ⋯⋯っぅぅぅ」
項垂れて、また泣き出してしまう僕。
今度は後悔と自身の失望による涙。
この頃からだろう。自分の価値基準が大きく変わったのは。
いや、自ら変えたと言うべきだろう。
決して、朝倉さんに言われて変えたのではなく、自分でそうしようと決めたのだ。
そうでなければ、どうしようもないと思っていたから。
「⋯⋯⋯⋯そうだ、忘れてた」
後にしようとする朝倉さんが後方に居る僕に声を掛けた。
「この世界で死んだ人は生き返らない。が、『現象』から生まれた存在は別だ。アレらは人の認識、知識、誤認といったあらゆる物事の視点、観点、総点から生まれるからな。言い換えれば、生き返させれる目処はある」
「⋯⋯⋯ぇぇ?」
僅かな希望、懺悔と宿願を果たせる絶好の機会。
「これを持ってろ」
そう言い、朝倉さんはある物を投げた。
「これは⋯⋯ペン?」
ペンライトに近い物。ボールペン程度の大きさと長さをした物で、今の僕の筆箱にも入っている。
皆の知るペンライトと違うのは、そのペンに使われている物質が鉱石である事だろう。
クリスタルを削ってペンのような形状にした、そう思えば分かりやすい。
「⋯⋯幸いだったな。閃光に散ったって事は欠片になったって事だ。そして、欠片は残念ながら何時か元に戻る習性がある。それで多く集めとけ、翳すと勝手に入ってくる」
「⋯⋯⋯⋯ほ、本当か!」
「あぁ、ただ。他にバレるとお前は標的にされる。やるなら誰も居ない所で、だ。良いな?」
「あ、あぁ」
だから、今の僕は去年から今日まで欠片が空を漂うのを見ると一目散にその地点に向かう。
授業中であろうと、テスト中であろうと、何であろうと。
僕にとっては自分よりも彼女が優先された。
後悔を払拭する為、罪に塗れた身体を洗い流したくて、ひたすら変人のレッテルを貼られようと、構わない。
僕は愚かで滑稽な存在なのだから。
「それと、二度と『現象』に対してナメて掛かるな。お前のストレス発散マシーンじゃねぇんだ。しっぺ返しじゃあ済まなくなる」
今の僕にはそれはない。大丈夫、大丈夫⋯⋯。
『現象』に対して、どんな小さな事であろうと、慎重なぐらいになって、意気込む態度は臆病に。
嶺二も舞喜も藍莉だって、巻き込まず、これからも、『日常』を送らせる為に、僕は──。
すると、僕の隣で不意に声がした。
『あいつは⋯⋯多分幸せなんだと思うよ。藍莉を掠め取れるって本気で信じてる』
人型のそれは真っ暗で底が見えず、ひたすらに闇と形容出来る程の黒だった。
目もない、耳もない、口も、鼻もなく、衣服の類も着ていない【ソレ】は富宮が言っていた言葉を口にする。
ふと目が覚めた。大量の汗が身体を濡らして⋯⋯。
暗がりに慣れたその視界には机としまわれた椅子が映り込み、横向きに寝ていた事を理解すると、徐ろに起き上がった。
「そんな事、思う資格なんて、ないのにな⋯⋯」
嫉妬をするな、愛情が薄っぺらくなる事に危機感を持つな。
そういう事ではない。僕は彼女の大州藍莉並びに蒼太の人生を多少なりとも壊している側の人間で、一度は死なせている立場の存在。
そんな奴が、見苦しいのだ。自分だけ、楽になろうなんて考えが──だから、消えて欲しかった。
何時ものように、馬鹿であれ、愚かであれ、能無しで気付かず、凡夫のまま、朴念仁のような、滑稽足りえろ。
でなければ、僕は本当にただの薄情者に成り下がるだろうに⋯⋯。
飲み物を一つ、リビングを目指して自室を出ると、蒼太と舞喜はリビングのソファで寝ていた。
時刻は二時半。藍莉は未だに蒼太を迎えに来ていない事になり、いくらなんでも遅過ぎる。
家に一人だけ戻っているという可能性もあるかもしれない。
そう思い、玄関まで行こうとした時、その脚は止まった。
「止めた。なに勘違いしてんだか」
滑稽でなければならない。ならば、僕の取るべき行動は、彼女の──隣の部屋に向かわない事だ。
能無しとはつまりそういう事。心配なんてしていないと帰ってきた時に言ってやろう。
そうすれば、呆れられるだろうが、構うものか。
自信の喪失とは早いもので、『常盤美羽消失事件』の際に抱き締められた温度はとうに忘れ去ってしまい、何を言われたかもしっかり覚えていない。
どうして、藍莉は僕を選んだ?何故なのだろうか?
一緒に居て、楽しいのだろうか?嬉しいものか?
そもそもの話、『誰でも良かった』のではないか?
武島が藍莉を好いているのはクラスメイト皆が気付いている⋯⋯いや、約一、二名程、気付いていない鈍感野郎は居るが、ともかく九割方気付いている。
当然、武島の寵愛にも似た贔屓を受けてきた藍莉自身が気付かない訳がない。
それを鬱陶しく思って、都合良く来た僕を選んだという線はないだろうか?
納得はし難いが、こじつけ程度にはハマる。
顔も普通寄りで、学力も運動神経も並、もしくは以下。
『現象』に惹き付けられやすくなったという特大の爆弾。
誰が選ぶよ、普通。⋯⋯いや、藍莉も普通ではないのかもしれない。
普通ではないから、価値基準がズレているのかもしれない、そう考えれば、まだ納得出来る。
だとしたら、付き合っている事自体が、とんでもない程に愚かな慰め合いのようなものだろう。
「⋯⋯付き合うってなんだろ?」
素朴な疑問。単純であり、普遍的でありつつも、その基準はカップルの数だけ存在する関係。
相性や個性、時には結婚生活の際に生じるアドバンテージを優先して付き合う者達も存在する中、僕達の付き合いとはなんだろうか?
旅行にも行く予定もなく、デートと言えば近くのスーパー。
多少のオシャレはするだろうが、それでもアイツは何着ても基本似合うのだろうし、同じ感想しか湧いてこない。
でも、同じ感想を言うと冷めるとも言う。では、どうしろと、ボキャブラリーを増やせと申すなら、それ専用の攻略本が欲しいものだ。
料理だって、僕より上手いし、家事もこなせて、魅力的な容姿と内面。
引く手数多の中、なぜ僕なのだろうか?
分からない、本当に分からない。
思えば、今日まで真面目に考えた事がなかったが、僕は浮かれていたのかもしれない。
付き合うって⋯⋯なんだろう?
僕の中にある何かがほんの少し、貯まった。
— — —
翌日、僕は藍莉の様子を確認すらしないで、自宅を出た。
今日は補習最終日であり、それが終われば、学校なんて行かなくても良くなり、宿題と面と向かわなければならなくなる⋯⋯。酷くね?
勉強漬けにして、何がしたいの?勉強の浅漬けにでもして、誰が得するの?僕は漬物苦手なんだよ⋯⋯。
しかし、悲しい事に勉学を疎かにすると、進学に就職と今後に支障が出始めてしまうのも事実である。
本当に世知辛いものだ。好きで勉強が嫌いな訳ではないのに⋯⋯。
「なに、しょぼくれてんの?」
「え?⋯⋯げぇ、富宮」
「げぇって何?」
アパートの一階。正面口の前で壁に凭れ掛かるようにして待っていたのは富宮奏海である。
「何しに来たんだ?ここはお前のコロニーじゃないぞ?黙ってサイドスリーに帰りなさい、そして自粛しろ」
「はぁ?粛清すんぞ?」
「ひぃ!言い方替えただけで、阿漕な事言ってる⋯⋯」
こんな奴に粛清なんてされた日には、報復を促す一報を藍莉に送り付ける事だろう。
そんな道化上等な富宮は僕の側まで近付くと、頭の上まで両手を持っていき、合掌。
『いただきます』にしては高い位置に手を置くものだ⋯⋯。
「今日⋯⋯家に泊めて欲しいの」
『お願い』の方だったようだ。
けれど、それは無理な話というもの。
しかも「藍莉にバレれば友達でいれなくなる」なんてほざいている奴が、藍莉と最も接触回数が多い僕のテリトリーに来るなんてどうかしている。
泊めて欲しいなんて言い出す事自体、厄ネタ臭い。
「いや、無理でしょ。藍莉来るし」
「お願い!出来ればバレないように!」
「やっぱり阿漕じゃないか⋯⋯」
声を掛ける相手を間違えてるっぽい。
僕はコイツの価値観に合わせて、何でもOKは出せない。
仮に藍莉に見つかったりでもしたら、間違いなく僕の首は上半身と泣き別れだ。
それはヤダ!
「またなんで僕なのさ?」
「あんた詳しいでしょ?『現象』について」
「姉さんの事か?」
「⋯⋯そうよ」
進展があったのだろうか?それとも、何も見い出せなかったから僕なのか。
いずれにしても、富宮なりには考えた結果なのだろう。
「帰ったのか?」
「仕方なく⋯⋯。でも」
「でも?なんだよ?」
「⋯⋯私を見るなり、怖がって⋯⋯」
「はぁ?なんで?」
何やらかしたんだ、この我儘娘は⋯⋯。
親子喧嘩がヒートアップし過ぎて、遂に親に怖がられる対象にまで行ってしまったのだろうか?
だとしたら、行くべき先はやはり僕の家ではなく、自宅だろう。
「分かんない。でも、なんか⋯⋯声にならない事言ってて、ママは泡吹いて倒れるし、パパは姉さんを庇うようにするしで⋯⋯話にならなくて」
「⋯⋯お前、何かしたんじゃないか?家財壊すような事とか?」
「してないっての!⋯⋯とにかく、お願い!明日か明後日まででいいから!!」
必死な表情がみるみる近付いてくる。肩を掴まれて、わざわざ背伸びまでしてくる辺り、相当なのだろうが、問題はある。
「いや、って言われてもなぁ。藍莉にバレない前提ってのがな」
流石に諦めたのか、背伸びを止めて、一歩、二歩と後ろに行くと、両手を添えて腰を曲げだした。
「⋯⋯⋯⋯お願いします」
「⋯⋯頭下げんなよ⋯⋯。断りづらくなるだろ」
「それでも、あんたにしか頼めない」
「一応、聞くんだけど⋯⋯、武島は?アイツなら快く引き受けるだろ?」
「ごめん、言えない。けど、駄目だと思う。私じゃなくて颯悟の方が⋯⋯」
「⋯⋯そっか」
何が言えないのかは分からないが、ここまで真摯的なのも珍しい。
むしろ、僕に対しては初めてじゃないだろうか。
しばし、悩む素振りをした僕はあらゆるケースを想定する。
まず、藍莉にバレた想定。
この場合、どう言えば誤魔化せるのだろうか?
藍莉の誕生日はまだ先の為、その手の誤魔化しは効かない。
なら宿題はどうだ?⋯⋯いや、藍莉に聞いた方が早いのなんて、蒼太でも分かってしまえる。
(う〜ん。⋯⋯⋯⋯あ、旅行)
旅行。武島と富宮、僕と藍莉とで行く予定のアレはそもそも僕の一存で藍莉の参加、不参加が決まっている。
彼女の為に何処が良いかと、サプライズ形式と宣って、富宮と熟考していたとするのはどうだろうか?
スマホを持っていない事と、茶が出来る場所が高校付近には無い事を加味して、作り話をでっち上げれば尚良し!
武島が居ないのは、藍莉の自宅があまりにも近いから、自然と捌けさせたとでも言っておけば済む。
舞喜に関しては⋯⋯、対藍莉用の相談役とでも言っておけば済むだろう。
アレはアレですぐに口車に乗る。
そして、基本的に僕の部屋に入って来る人は居ない。
特定の時間帯のみに限定して活動させて、基本は部屋に泊まらせれば、いけるぞ?!
なんだよ、僕⋯⋯出来る子じゃないか!
「⋯⋯⋯⋯分かった。明後日までな」
「本当?!」
「だけど!言っとくが、僕の部屋に泊まれ。僕はその間、ソファで寝る事にする。飯も文句は言わせない」
「あ、ありがとう!」
物凄く普通に感謝されてしまった。馬鹿な、普段ならば、それこそ「当然よね?」と思わず口にしてしまっていそうなムカつく顔付きをするというのに、今回は至って素直。
何コイツ、可愛く見えてきやがった。なんて奴だ⋯⋯。
態度一つで、ここまで見る目というのは変わるものなのか。
「な、なんか⋯⋯面と向かって感謝されると、変な感じだな」
「あんた、感謝された事、無いの?」
「あるわ!僕が言ってるのは、お前にって前提の話だ」
「⋯⋯感謝ぐらいするわよ。馬鹿ね」
そっぽを向いたように視線を逸らす彼女なのだが⋯⋯。
なんというか別人みたいな態度であり、ここまでルンルンな会話は彼女相手では初めての事だろう。
そんな過去一度として富宮とこんな会話が出来るなんて思わなかった僕は、ふと思い出した。
「あ!というか僕、今から補習なんだが?」
「あ〜、じゃあ着いてくわ」
「着いてくって⋯⋯お前、部活は?」
「⋯⋯今日は休む。寝れてないし」
「そっかよ。まぁ、顧問に文句言われない程度の言い訳、考えとけよ」
「はいはい」
まさか、野宿したんじゃあるまいな。
自宅に帰った癖に家財爆発の前科のせいで怖がられて、結果として追い出された彼女の服装は至って普通の体操服。
リュックサックを背負い、部活に行きますよ〜、とばかりに用意周到。
汗もかいてないし、子供の深夜徘徊を心配しない親も別段珍しくない。
いや、心配はしているが、気付いていないか、言っても無駄と感じているかの二択だろう。
人生で初めて、富宮と一緒に登校する。
特に何かある訳でもなく、妙に垂れ下がったリュックサックを背負いながら、僕相手に世間話。
話題は宿題の量が実は多くなった事や、担任の名前、それにサッカー部で期待の武島が勇ましく頑張っている事等だ。
本当に武島頑張ってるんだな⋯⋯。
今後も変な事をしなければ奴に関わる気なんて更々ないが、頑張っている出来事を聞くというのは素直に微笑ましいものがある。
そんな時、僕達の目の前からやって来たのはなんとも遅い帰りの藍莉だった。
「藍莉?」
マズイ、こんな所を見られては、多分勘違いされる。
本当に何もないのに、疑われてしまう。首が飛ぶ。
「あ、准⋯⋯」
「あ、いやコレは違うんだ、あの、あーあの、偶々、偶然、鉢合わせしただけというかー、あの〜故意ではなくでだな!」
「あんた、なんで浮気現場見られた奴みたいな反応になるのよ」
(ごもっともだが、黙っててくれっ。手一杯なんだ!)
だが、傍から見れば、浮気現場に鉢合わせした奥さんに対して、下手くそな弁明をする旦那のようにしか見えないのも確か。
僕、ひょっとして終わったか?そう思っていたが、藍莉の反応はそんなものではなかった。
「補習なんでしょ?こんな時間になんだし、鉢合わせぐらいあるわよ。それと、蒼太ありがとうね?預けてもらいっぱなしで。でも、ごめんだけど、明日まで面倒見てくれる?」
何処か拍子抜けにも近かった。もっと強く責められるものと思っていたからこそ、尚の事に。
よく見ると、目が少し腫れている。
更に言えば、生気がないようにも感じられて、疲れている風だった。
「⋯⋯え?あ、あぁ良いけど⋯⋯。何かあったのか?」
「ちょっとね⋯⋯」
内容は言わない。何か疚しい事でもあるのだろうか?
それとも、僕に秘密でサプライズ誕生日企画でもしてくれるのだろうか?
いや、だとしたらもっと先だ。
「ごめんなさい、もう行くわ。寝てないのよ、今日」
藍莉はそう言って、トボトボと僕達の背後へと向かい、アパート方面へと歩いて行く。
そんな哀愁すら漂う背中が小さくなるのを黙って見届けた僕は呟いてしまう。
「⋯⋯寝盗られた?」
「あんた、正気で言ってる?」
「いや、冗談だけど⋯⋯。何がともあれ、こんな朝帰りなんてヤバいだろ」
「⋯⋯大丈夫よ。藍莉はそんな子じゃない」
「いや、なんの根拠があって──」
「行くぞ」
「あ、あぁ」
コレは会議ものか?いや、僕にはそれを発案する気概が起きない。
というより、僕より幸せな相手がいるのなら、それでも良い気すらしていた。
薄情者かどうかと言われれば、きっと違う。
僕は女性に優しいだけだ。そう思う事にして、再び僕達も学校へ向けて脚を運ぶ。
学校に着くまでの間、藍莉の話題で盛り上がった。
好きな食べ物や苦手な物は何か、蒼太についても少し。
以外なのは、ちゃんとその手の事は富宮は理解しており、しっかりと見ている事にある。
藍莉が怒っている際、手に何かを持っていれば、それを遊ばすように指なり手首を使って動かそうとする癖だったり、興味のある話題が偶々聞こえてしまった時、意図せずに髪を耳に掛けて聞こうとする癖だったりと様々。
(ちゃんとコイツなりに見てるだな⋯⋯スゲェ)
素直にそう思ったし、同時に⋯⋯僕は何も見てやれてないという敗北感と危機感に陥る事となった。




