結局、常盤美羽は語り切れない
暑くなってきましたね。皆さん、汗が流れ始める前には水分補給を定期的に行いましょう。
バテた後にバッタンキューしてしまっては点滴を打たなければならないらしいですよ!
夏バテになった事ないので知らないですけど、誰かが言ってました。
それと、一つ⋯⋯。
『──』という記号?のようなものを多用していますが、本来皆様にとって見やすいのは『―』だと思います。
編集してる機器が二つあるのですが、そのうちのメインは、『─』の方がもう少し太く見えます。
なので、違和感がなかったのですが、ある時別の機器で編集していると、とんでもなく細い棒線が一本あり、思わず困惑してしまいました。
これからもなので、これからも『―』ではなく『──』を使用します。
今更変えても不自然なので⋯⋯すみません。では、どぞ!
行きに左へ曲がった道は、帰りは右に曲がり、上り坂が行きならば、帰りは下り坂。
ならば平坦で変哲もない道は何か?
『夢龍』のご到着であった。
全速力で駆けて行く准は急ぎ向かわなければならない場所があり、そこに必ず居ると信じている。
一縷の希望であり、希望的推察程度であるが、それでもそこに賭ける以外に手はなく、助ける術もなかった。
だから、闇雲にも似た足取りは、息を枯らして、汗を滲ませてでも、止まる事を恐れてしまう。
だが、自身よりも巨大で長く、見知った顔があれば嫌でも停止せざるを得ない。
「准!⋯⋯見える、ちゃんと見える」
龍の脚を掴みながら、嬉しそうに涙を流す藍莉が目に留まる。
完全な予想外。まさか、『夢龍』が『牧原逸花』が本当に藍莉を乗せて来るとは思っていなかった。
更に、椎奈、サナ、舞喜もしっかりといる。
相当の心変わりでもしたのではないかと、『夢龍』を訝しんだ目で見つめた。
「藍莉?!⋯⋯どういう事だ、牧原?人は乗せないんじゃなかったのか?」
『背中には『名誉を賜った者しか乗せない』と口にしたのみ。そして、藍莉はそれに値すると私が判断した。かつて貴様が『刃龍』の背に乗り、空を駆けた時と同じようにな』
「⋯⋯見てたのか⋯⋯。あれを」
もうすぐ一年になる最悪の季節。
夏休みという圧倒的なバカンス気分にも拘わらず、一年前には絶望の気分で幕を閉じたあの事件。
その終幕に差し迫った時の光景を『夢龍』も目撃していた。
思わず、苦い顔を浮かべる准は『夢龍』の眼を見つめていると、前から駆け出すような音が聞こえ、正面を向いた時には抱き着かれていた。
「准!良かった。見える。私、ちゃんと見えるッ!」
歓喜に声を震わせる藍莉の身体をゆっくりと抱き留める。
驚きが先行してしまい、何度か嘘かを疑うように、『夢龍』を見るも彼女もゆっくりと頷くのみ。
「⋯⋯なんで?」
「⋯⋯私一人じゃあ、無理だって、思ったから。だから、逸花を頼った」
大州藍莉が桐江准が見えない最大の要因はやはり『先入観』にあり、街の人間は残念無念な事に、『現象』というものを密かに信じてしまっている。
特に、ネットが普及して誰もが当たり前のように情報を用いれる時代で、信じやすい若者から親世代、更にまたその親世代へと脈々と情報は伝達されてしまい、深層心理の何処かに、『現象はある』と埋め込まれてしまっていた。
それに拍車を掛けるようにここ一年という時間で『空弩街』は未曾有の事態が多く散見されてしまい、北区にある『食事処』と呼ばれるストリート街は原因不明の怪死を遂げた者が多く、【五月病】の仕業と知っている者はごく一部のみ。
また、『幽霊騒動』の主犯格の『殺人犯』と『担任教師』の二人が積み上げてきた遺体の山が突然発見された事も『現象の信憑性』を加速させ、『超能力者』同士の対決による一部道路の崩壊、遺伝子研究所の倒壊と『空弩街一斉昏睡事件』が決め手となり、【この街には何かある】という『先入観』はたとえ実際に目にしていなくても植え付けられてしまうものだった。
当然、直で見ていた事もある藍莉にとって、何時もそんなスリルと危険が伴う事件に巻き込まれてしまえば『准=事件に巻き込まれる』という構図が出来上がってしまって、その思考から脱却が出来ずにいた。
だが、何も一人でそれを背負う必要もない。
漆黒のドレスを身に纏った灰色の髪の女性も一人でやれ、とは口にしていないのだ。
だから、共に背負って貰う道を藍莉は取るに至った。
藍莉は残念な事に尽くし過ぎる。
現状を正しく見て、その上で判断する為、准が巻き込まれてしまえば、それを了承した上で飛び込んでしまう。
そこに逸花という制御装置を後方に置いておく事によって状況は変わる。
一緒に落ちてしまうのならば、誰に引き上げて貰う。
その信頼に足る人物が逸花であり、藍莉は准が落ちると一緒に落ちてしまう代わりに引き上げる役を兼任。
『日常』へと引き戻す役は一人とは限らない。
あくまでも、気持ちの問題。そう言われてしまえばそれまでの話ではあるが、その気持ち一つで行動の一つ一つに変化が出るのもまた人間であり、視える、視えないもまた気持ち次第の時もあるのだ。
「お前、本当に見えるのか?」
「えぇ、視えるわよ。ちゃんと」
顔がしっかりと見えるよう、密着していた距離は離れていく。
「っふ!!」
そして、藍莉の強烈な平手打ちが准の左頬を襲う。
「ってぇ!」
「⋯⋯だから、思いっきり引っ張叩ける」
一服盛ったという事実は変えられない。
騙し討ちにも近い、完全な裏切り行為。
散々、言いたい内容を考えていたにも拘わらず、実行したのは抱擁と叩く事であった。
けれど、それ文句が言えるほど抜けた性格はしていない准はもう一発、藍莉によって繰り出された平手打ちを甘んじて受ける。
「私達には見えませんけど、何やってるんですか?」
「多分、お兄ちゃん。叩かれたんじゃないかと⋯⋯」
「えぁ!?先輩⋯⋯こ、怖い」
「アタシは自業自得だと思います」
内心、よくやったと褒める言葉を掛けていた舞喜はガッツポーズをしていた。
「心配したのよ?勝手に薬で寝かされる。起きたら居なくなる。それで、焦って、焦って。⋯⋯私、怖くなって」
手の震えは身体に渡って行き、堪える為に抑えて、耐えていた瞼の蓋は開けられた。
溢れ出した涙に、罪悪感と圧倒的なまでの後悔が土砂のように流れ込み、緩やかに口が開かれる。
「本当に悪かった。ごめんなさい」
「謝るぐらいなら、あんな事しないで!」
胸元に強い力が込められた。それを受け止める事もしなければ、視界に収める事をしない准はただひたすらに黙認するだけ。
「⋯⋯⋯⋯」
「何が言いなさいよ」
「謝る以外、ないだろ」
「言い訳ぐらいしなさい」
言い訳だけなら山程あって、それを伝えた上での結果が怖くて、やはり准は黙ってしまう。
居た堪れないという自分本位の考えではなく、純粋に分からないのだ。
何をどう伝えるべきか、目の前で泣いてでも接してくれる女性に対する接し方が一切、掴めずにいる。
そんな少年の身体をぎゅっと距離を縮めて抱き締めて、頭を撫でていく。
「お願いだから。ちゃんと教えて」
あやすに近い形なのかもしれない。
しかし、恥ずかしさはなく、むしろ思考していた。
何をどう伝えるべきか、どうやって理解して貰えるか。
その結果──准が取った行動は後回しだった。
「全部終わったら言う」
「今言って。逸花は私の頼みはある程度聞いてくれるけど、貴方の頼みは聞いてくれない」
しかし、お得意の後回しは完璧に塞がれた。
執念にも近い藍莉の躍起となった表情は、決して逃がすまいとする狩人の様。
「お兄ちゃん」
そんな二人に声を掛けるのは『夢龍』の脚の上に立って、兄を視認出来ずとも察しが付いてしまった舞喜からの言葉であった。
「アタシは見えないけど、でも居るんでしょ?なら言っとくね」
「舞喜?」
「お兄ちゃん、もっと素直になったら?変に遠慮してない?」
一年前の春。舞喜のやらかしが多く、兄に殆ど負い目はないというのに、勝手に兄妹だからと背負った姿を知っている。
逆にそれが舞喜にとっての負い目になるとも知らずに──。
「相当馬鹿な事言わなかったら、怒らないよ。ここに居るのは、お父さんとお母さんじゃないんだもん」
「舞喜ちゃん」
振り返る藍莉は確かに見た。悲しそうにしている舞喜の表情。
それは何か込められたものがあると、藍莉なりに解釈してしまった。
「違う。親の事なんて、微塵も考えていない。ただ⋯⋯」
「ただ?」
ようやく口を開いた准に耳を傾ける藍莉は聞き逃さないようにするべく、意識を集中させる。
「藍莉が心配だったんだ。舞喜もそうだけど、疲れた顔で、それでも尽くしてくれるのが、どうしても我慢ならなかった」
真実のまま、彼女に伝える。
自分の気持ちを曝け出すように。
「だから、薬を盛った」
「⋯⋯そう、そうなんだ。そっか」
腑に落ちない、そんな顔をした藍莉だったが、すぐにそれ引っ込めてしまう。
「後⋯⋯」
「なに?」
「僕はやっぱり『常盤美羽』を助けたい」
「⋯⋯うん。分かった」
理解を示す肯定の言葉は相槌と共に。
(まだ隠し事、ある感じ⋯⋯か)
落胆はなく、仕方ないと何処か諦めに近かった。
いずれ聞ける。話せて貰える。
その日を藍莉は待つ事にして、准の手を握り『夢龍』の元へと駆けた。
━ ━ ━
生存本能による阻害。
『常盤美羽』は持っていた鋏が完全に消え去ってしまったのを静かに見届けて落胆の溜め息を吐いた。
制御が難しくなってしまったその『能力』は彼女を孤独に追いやっている。
軽く化粧をして、黒い髪はブルーシートに広がり、瞳は星を見上げている時のみ、少し輝きを取り戻していた。
濃い灰色の半袖の服に、ベージュのワイドズボン、底の厚いシューズを用いてブルーシートを噛ませて、寛いでいるようにも見えるというのに、何処か落ち着かない様子。
『お前の命はお前だけのものじゃないんだぞ!分かってこんな事やってるのか!?』
何時までもこびり付く記憶の断片。
しかし、これは自分のものであると理解すると、頭を抱える。
ゴールデンウィーク最終日。
最後の締め括りを封殺されてしまい、抵抗の末に言われた言葉は重く、痛ましいもので溢れていた。
否定も出来ず、確かに関わった記憶を保持して、意識も精神も分裂してしまった身体は永劫そのままであり、苦し紛れの言い訳なんてものもさせて貰えないまま、フィナーレを飾った。
恐怖心は焚き付けられて、彼女自身の存在意義は何処にあり、どう満たせてしまえれば良いのか、分からなくなった。
浮き彫りになった言い表しようのない思考は何時までも離れず、絡み付いて、体内に入り、熱を持って身体を熱くする。
脳は支配されたかのように、何時までも過去の残響を馳せた。
胸の苦しさが強まると共に、高鳴りを覚え、また思い耽ようとする軟弱な精神からの逃避。
二つの条件──それは自分に課せた試練。
しなければならない必要事項。
しかし、それを達成するには少年が否応なく必要となってしまい、懇願を胸に、微風にも負けそうな程、小さく呟いた。
「先輩、私は貴方に⋯⋯」
涙が流れた。都合の良い女で良く、忠順でも良い、割り切って傍に居れれば、きっと治まった筈──だが、その熱は再燃してしまい、身体は火照りを覚えてしまう。
この『現象』はきっと他の誰でもなく、准に伝えたくて起こしてしまった怪奇。
偶然が重ねって、クラスメイト、他者を含めた者は彼女とは違う彼女を『夢』で目撃。
彼女も察しが付いてしまっており、納得すらしていた。
何故ならば、彼女が最も彼女を信じていないからである。
過去の自分と今の自分のギャップと接し方、態度、対応、動き方から箸の持ち方まで微々たる違いが本人の喉元を締め上げてしまう。
そして『現象』が終わると、同一ながらも違う『常盤美羽』を認知している状態の准が阻害材料となり、夢での彼女、現実での彼女とで齟齬が発生し、結果、不明瞭な状態となってしまった。
だが、巻き込まれた彼女もまた、望んでしまった事が最大の要因となる。
求める心は離れず、熱した体温は火照りを超えて燃え上がり、蜃気楼や陽炎のような不安定かつ不鮮明なものではなく、明確な存在を欲して、そして、伝えるべく、弾ける。
「認知度の低さが仇となっちゃったわ。『厨二病』なんて馬鹿真面目に出来る訳ないでしょうに⋯⋯」
少なくても彼女は准とその知り合いの前以外では披露していない。
勝手に目撃され、噂こそされているが、その殆どが准と一緒にいる所の為、必然的に准が悪いとなってしまい、脅されているに近い認識で見られている。
「『自己の確立』⋯⋯『厨二病』⋯⋯。そうよね、きっと簡単な事なのよ」
『´厨二病』は『常盤美羽』本人が『自己の確立』の為、強いては取り込んでしまった精神が中途半端に、そして、不明瞭に出て来ない為の処置。
本人がしっかりと自身を立てられるならば、『厨二病』に越した事はない。
しかし、その為の問題がある。
それは──。
「見つけた。『常盤美羽』だな?」
驚きに肩を震わせ、仰向けた身体をそのままに、首だけ角度を変えて、その声の主へと向いた。
「⋯⋯っ!⋯⋯ようやく、逢えた。お前に逢えるのを心待ちにしていたわ」
「僕もだ。全く、常盤せいで忙しかったんだぞ?」
『夢龍』に運んでもらい、近くで待機させて、一人やって来た准は汗だらけであり、息も絶え絶えといった様子。
それでも、嫌な顔は決してしていなかった。
ようやく逢えた、その言葉は准とて同じ事。
僅かに綻んだ表情を浮かべていた美羽だったが、すぐに顰めた面へと戻ってしまう。
「⋯⋯お前、記憶ないでしょ?」
「あぁ」
嘘を吐く理由がなかった准には、ありのままの事実だけを述べて、靴を脱ぎ、ブルーシートに座り込んだ。
隣には仰向けのままの美羽、消えてしまった彼女と同じ位置、同じ箇所、同じ体勢でそこに居る。
「やっぱりね。お前は私の事を『常盤』なんて呼ばないもの」
「どうせ『トッキー』とかだろ?」
「⋯⋯なんで知ってるのよ?」
驚いたのは准の方であった。
当てずっぽうで何となく言ったあだ名だったのだが、よもや当たっているとは思ってもみず、言葉を詰まらせてしまう。
『夢龍』の『夢の空間』から持ってきた『泡沫の記憶』は記憶こそ垣間見る事が可能ではあるが、その時思っている感情までを読み解く事は出来ない。
あくまでも会話のみであり、俯瞰して見ている側でもあった准からはその視点から状況を察する事しかなかった。
だから、「マジか」なんて抜けた言葉が飛び出してしまったのである。
「り、龍の力を借りたんだよ」
「お仲間が多いのね。羨ましいわ」
クラスでも浮いていた可能性のある独りぼっちの彼女からの羨ましがられてもいない皮肉にも似た言葉は夜の景色に溶け込む。
准の見上げる先は星が満点に灯った静寂の世界。
暗く沈んだ夜闇を照らしてくれる星々の瞬きであり、そこに街並みもなく、隔てられたような山脈があるのみ。
「どうやったら、この『現象』は終わるんだ?」
「⋯⋯大丈夫。すぐに終わるから」
「なら──」
「でも、その前に。⋯⋯先輩、初めて会った日の事、覚えてる?」
初めて会った日。それは『泡沫の記憶』にもない、今は未だ封印された記憶。
告白された瞬間からのスタートだった為、『一目惚れ』という言葉が鮮烈に残る中、どこら辺で出会ったかなんて、会話にはなかった。
「覚えてない」
少し寂しそうな表情を浮かばせながら、空になったポシェットを手で押えて、起き上がると、ブルーシートが僅かに動きだし、顔を覗かせるように上半身が准の元へと向かう。
「じゃあ、今の私がこの世界の貴女ではないというのも?」
「あぁ」
同じ光景、同じ位置で同じ箇所に座っていた彼女はもう居ない。
桐江准に一目惚れをして、思わず告白した一年生の常盤美羽。
火事で屋敷と家族は全焼し、残った弟も病気でこの世を去ってしまい、天涯孤独となった常盤美羽。
何度も『時間跳躍』をした果て、『並行世界』の『常盤美羽』を呼び出してしまったあの常盤美羽は、自分の撒いた種で亡くなった。
もう、居ない。
代わりに今、准の真横に居る彼女が精神性、意識といったものを引き継いでおり、彼女も立派な『常盤美羽』なのだ。
「だから、答えて欲しいのよ。なんで、統合したとはいえ、別の世界の私をこの世界に引き止めたの?」
「僕が引き止めたのか?」
「いえ、お前ではなくあの人ね」
(朝倉さんか⋯⋯)
天上天下唯我独尊を地で行く男の考えが一般人の准には分かる筈もない。
しかし、心当たりというものなら、あるにはあった。
「憶測でもいいのか?」
「えぇ、納得のいく答えを頂戴な?」
片脚を曲げ、片脚を伸ばした体勢でいる准は脚元を見つめて、発する言葉の整理を行う。
ここで間違えてしまっては、意味がない。
だから、ゆっくりと息を吸い、美羽へと向いて発する。
「多分だけど、面影を見たんじゃないか?この世界の常盤美羽の面影をトッキーに」
星の瞬きと同様の速さで消えてしまった『常盤美羽』の最後の寂しそうな表情とゴールデンウィークが終了し、声を掛けられ、デートを拒否したあの日の『常盤美羽』の物悲しい表情が准にはダブって見えてしまった。
同じ人間なのだから仕方ないと言われればその通りなのかもしれないが、それでも話し方、考え方、信号を見る仕草、暇な時に動いてしまう脚の動き等の細部に明確な違いが、確かに存在しており、准にとって『常盤美羽』は二人に居る。
その同一の二人をある程度見てきたからこそ、准は引き止めるに至った。
「⋯⋯っ。そう、そっか。腑に落ちたわ」
俯いて、膝元に額を乗せる美羽は身体がふるえていた。
鼻を啜るような音と、漣が小さく鳴り響く。
「っ!常盤?」
「うぅ。っ!ご、ごめんなさい。あ、貴方を好きだって、っ言ってくれた人を、貴女を、殺してしまって、ごめんなさい!ごめんなさいっ!」
精一杯の謝罪。自分にも言い聞かせているような言葉にも聞こえるそれは大粒の涙を流しながら、懺悔する。
前提として語っておくが、決して彼女もわざと殺したのではない。
切っ掛けとして、呼び込んでしまったのは『この世界に居た、常盤美羽』であり、『泣き崩れている常盤美羽』は元は被害者だ。
様々な要因が重なり、被害が拡大したが、決して自分を殺そうとした訳ではない。
偶々その顛末に至ってしまったに過ぎない。
この世界の滞在を甘んじて受けているのも贖罪の面もあり、准はそれを受け入れている。
でなければ、藍莉の件に限らず、様々な『現象』が起きたら酷使して、使い潰すのみであったろう。
だが、少年はその選択をしなかった。
(分かってる。僕はきっと、許してるんだ)
准の手が美羽に伸びていく。
今尚、後悔の言葉を雨のように放ちながら、波濤の如く泣きじゃくる美羽の頭を思い切り撫でた。
両手を胸元に押し当てて耐えていた。
その両手は離れていき、少し下に押される彼女の頭は准の胸元に近付き、両手を身体に押し付けるようにして、更に大きな泣き声を上げる。
服に付着する大粒の涙と出来上がっていく皺は准の後回しの結果。
何も出来ずにみすみす死なせてしまった無力な少年と少女のシミ。
決して消える事も、消す事も許されない罪の証。
准にとって、三人──自身の事を「好きだ」と述べて亡くなっている。
一人は藍莉。経緯や流れに誤差はあれど、好いてくれた上で、一度亡くなってしまっている。
二人目は美羽。約束だけを呪いのように遺して消えてしまった彼女。
しかし、この二人には違いがある。
生存の有無の話ではなく、准が伝えたか否かの違い。
藍莉にはその時間があり、猶予が生まれた。
しかし、美羽は准自らが間を空けて、結果として伝えず始末で終わっている。
何も伝えられていない、彼女へ──。
「僕はその時の返事をしてない。だから、ちゃんと言う」
ようやく泣き終えた彼女は崩れた表情を見せながら、近くにあったハンカチに手を伸ばす。
「っぐすっ⋯⋯返事?」
涙をハンカチで拭い、腫らした目元を隠す事もせず、准を見つめる。
「あぁ、だから──」
「それは、ちゃんとっ、んっ、終わらせてからで良いわ」
ハンカチをブルーシートに置いて、息をそっと吸い、吐く。
拳を作り、胸元でそっと音と鼓動を感じて、意を決したように真っ直ぐと視線を合わせて、そのまま准の口元に顔が近付いた。
「っ!⋯⋯⋯⋯お前?!」
准には避ける事は出来なかった。
避けようにも距離が近く、散々ワンワンと泣き腫らした後にキスしてくるとは誰が予想出来るものかと──。
しかし、同時に伝える事は出来た。
言葉出なくても、気持ちが通ってしまえば、それで良い。
二つの終了条件は完結した。
「これで魔法はおしまい。⋯⋯ちゃんと鎮火するようにするから」
一つ目の条件は恋心の鎮火。
それは時間が経てば恐らく消えるだろう。
淡い青春時代を終えて、進学、就職と歳を重ねるごとに懐かしさに昇華されて、最後には笑い話程度に終わる。
そんな燃え滾った恋心の鎮火。
完全に消えるまでには時間を要するものの、それでも、熱りが冷めれば、『日常』に戻る。
「⋯⋯常盤?」
急に眠たくなった様子で、瞼は徐々に降りていく。
「悔しいなぁ。常盤美羽が桐江准を、また好きになるなんて⋯⋯」
多重人格のような性質となってしまった彼女は、割合だけでいえば身体の彼女の方が圧倒的な比率を持っているとしても、引き継いでしまったからには、僅かばかりに影響は受ける。
しかし、恋をした事自体に後悔はなく、恨み辛みもなく、むしろ満足そうに口角が上がった。
「伝えないと損するんだから⋯⋯こうなっちゃったって遅いんだから。私って本当に馬鹿⋯⋯だ、ぁ」
二つ目の条件は最愛への謝罪。
統合された際、統合された『常盤美羽』の記憶を保持してしまっており、罪悪感と後悔が積もりに積もり、今回の『現象』を起こしてしまった。一番の要因であり、准が後回しにしたツケが彼女に回ってきたという末路。
罪悪感や贖罪は時に逃避行に変換される。
准が『虚象』に対して嘘の情報を流したように、都合よく受け取ってしまうのも、また、現実逃避とも呼べるもの。
負債は未だあり、罪悪感も残っている中、それでも安らかに眠っている彼女を見た准は、驚き同時に申し訳なさに殺されそうになる。
それでも、ゴールデンウィーク前から始まってしまっていた事件と凝りはこれで幕を閉じた。
━ ━ ━
倒れ込んだように、准の脚へと落ちた彼女を驚いた様子で揺する。
「おい!トッキー!おい!」
記憶は完全に戻り、不安は一層増す中、背後から声がした。
「だーれだ」
冷ややかな声色、身体の芯を凍えさせるようなものと同時に目元を手で覆い隠されてしまう准は瞬間、背筋をなぞられたようにビクッと身体が震えた。
しかし、今の准には理解出来る。よく聞き馴染みのある声。
「⋯⋯その声──そうか。そうだったのか」
あの時と今とでは明確に違う点がある。
それは、常盤美羽を知っているかどうかだ。
「『常盤美羽』は『並行世界』からやって来れる。そしてそれを可能にしているのが『時間の干渉』だ。そして、『時間の干渉』が可能なら、未来の『常盤美羽』だってやって来れるって事、だろ?」
決め手──それは放課後に押し付けられた胸。
これでしか『未来の常盤美羽』と推察する術がなかった。
寝ている美羽は豊満バストとは程遠いが、数年後ともなれば違うかもしれない。
そんなタラレバの可能性に賭けた。
そして、その手は目元から離れていく。
「⋯⋯ふふっ。正解。なんだか、意外と早くバレちゃったわね」
冷めた声色は消え去ったが、穏やかでありながらも何処か儚さを醸し出しているその声色は今、准の脚元に寝てる彼女の未来の姿と同一視して良いものか些かの疑問が浮かび、振り返る。
夜闇に紛れるにはうってつけな黒のドレスに妙に色白な肌、灰色の長い髪に、何故か瞳は紫がかってる。
「寝てるトッキーなの未来の姿⋯⋯か?」
「いえ、違うわ。ゴールデンウィークにこの世界へやって来なかった、別の『常盤美羽』なの。時間流れは一本の線がいくつも並んでるだけじゃない。曲がってたり、捻れてたりもする」
美羽にしては大人びており、立派な大人の女性にも見受けられるその様相に、驚きが隠せない准は思わず、二度、三度、脚元に寝ている彼女と比較してしまう。
「そんなに違うの?朝倉拓也も仰天していたけれど」
「え?お前、あの人と知り合ってたのか?」
「一時期、一緒に活動してたのよ。あのタワーに潜んで」
指を差す方向は准の真後ろ。遥か遠方に見える使われなくなってしまった壊れた、約三百三十メートル程の高さを誇っていた電波塔である。
前までは観光スポットとしてもそこそこ観に来る人も居たのだが、今では見る影もない。
「あぁ、成程。使われてないからバレない訳だ」
照明やイルミネーションの類も切られてしまって、街を一望出来るようにと建設された望遠エリアは風穴が空いてしまい、使い物にならなくなってしまっている為、自治区の者達も悩んでいる始末。
電波塔を見つめていた准だったが、ふとドレス姿の美羽と視線が合う。
(こうして見ると、別嬪さんだな)
整っている目鼻立ちに、スラッとした脚、何処か儚い雰囲気を醸しているのが、准基準だとかなりのハマり枠であり、正直な所、ストライクゾーンど真ん中。
(ハーレムが初めてしたいって思っちまった⋯⋯。この女、強いぞッ!)
一途で添い遂げ、生涯を終えたいと豪語している准の初めての揺らぎ。
しかも相手は今尚、ぐーすかぴーと眠っている美羽の未来の姿であり、多少の敗北感もあったが、それに勝る程に美人さんなのであった。
「どうしたのよ?顔、なにか付いてる?」
「え?!あ、いや。なにも⋯⋯」
「⋯⋯あるほど。いいのよ。客観的に見ても美人だって私自身、分かってるもの」
「あ、コイツやっぱりトッキーだ」
自信に満ち溢れた話し方、多少の声色の違いや雰囲気の変化はあれど、分かるものは分かる。
何よりも、少し上から目線にも似た顎の動かし方、絶妙な口角の上がり方がらしさがあった。
「お前の事はなんて呼べばいいんだ?ノーネームって、呼べば良いのか?」
「長いからノーネームじゃなくて、名無しでいいわよ。ここでは戸籍謄本に載ってないようなものなんだし」
「分かった、アンノウン」
『未知』を意味する『アンノウン』は准にとって、彼女を表すピッタリの言葉と、そう思い発した言葉であった。
どう考えても、未知が過ぎるのだ。
何をどうしたら、そんな麗しい美女に変身したのか、謎のてんこ盛りセットである。
だが、言われた本人は呆れたようにか細く息を吐いて、苦笑した。
「もう、相変わらずね⋯⋯そういう所」
(相変わらずって何⋯⋯僕、どの世界でもこんなんなの?)
ある意味、安心したようであり、ある意味悲しくもある通達であった。
『常盤美羽』は目に見えて違う場合ですらあったというのに、少年は変化の兆しがなかったという事になり、あったとしても活かせなかったという結論に至る。
「そっちの世界の僕はどうなんだよ?元気なのか?」
「⋯⋯⋯⋯死んだわ」
たった一言、その一言でおおよその察しが出来てしまった准は悲観も悲嘆もせず、黙って受け入れるように頷く。
死ぬ機会や前触れ自体は山程あり、それに正面衝突してしまった。
ただそれだけの話。
「でも、ちゃんと貰っている。大事な事も大事な思い出も⋯⋯全部」
慰めにも似た言葉ではあっただろう。
しかし、准はそれを快く受け取って、笑ってみせた。
「⋯⋯そうか、良かった」
自分の生きた証、その意味が少しでも継がれているのなら、それは嬉しい事であると少年は知っている。
何も残せずに死んだ者だって居る、この現代社会において、後輩の一助となれた事は純粋に喜ばしいものであったのだ。
「ところで、なんで髪そんなのに染めたんだ?」
「あぁ、ストレスと『時間干渉』の使い過ぎでなっているのよ。肌も蒼白になってしまってるし」
「なんか、お前、大丈夫か?」
肌が少し色白気味になっているのは、比較しても分かり、血を抜かれて、血の気が薄れたようにも見える。
病弱な女性とも見て取れるその肌色が、儚い雰囲気をより色濃くしている一因なのだ。
「貴方はこの子と今の彼女さん達を大事にしてあげなさいよ?」
「⋯⋯じゃあそうする」
だが、語気はそんな病弱なんてものを感じさせず、真っ直ぐに准を直視する。
紫がかったその瞳は自然と優しくなり、気付けば、准と目線の高さが合うようにとしゃがみ込んでいた。
「そうだ、そろそろ『可視化』といてあげないといけないわよね」
「⋯⋯あー!頼むよ」
『可視化』を施したのは紛れもない彼女であると、施しを受けた側の准ですら忘れていた為、呆けた顔に明かりが灯ったように、口が僅かに開いた。
肩を掴まれ、背中を見せるように、正面を向いた准は視線を下に落として、美羽の寝顔を観察している──その時であった。
「えい!」
体重が背中にのしかかり、腰が曲がる。
豊満なバストは明確に押し付けられて、首元は両腕が通り、グッと抱き締められたような状態となった。
「背中に胸を押し付けるのは新手の趣味か?」
「えぇ。私の知る貴方は快く背中を預けくれていたわよ?」
「多分、大きくなってく胸に魅了されちまったんだろうな」
自身の事だからこそ分かる事。
育っていく女性の胸を背中で感じている内に、それなしでは生きれなくなってしまったのだろう、と。
小さな胸からは体温を、大きな胸からは肉厚を、感じられる。
それが彼女の世界に生きた准の総評。
(僕、ちょっと変態じゃないか?)
決して、間違っても異議を申し立て続けるであろう准だが、既に性癖事情は逸花の件もあり、ボロボロである。
更に、『ゆうべはお楽しみでしたね』を経験した事で、嫌に女性というのを知った気になってしまったモンスターと化してしまい、本人はそれに気付いていないという二重悪。
准の純情は遠く彼方へ散ったのだ。
「自慢の逸品よ」
「左様で。でも、背負ってやれねぇぞ?」
「⋯⋯」
「膝で寝てるんだもん。コイツ」
視線を下に向ければ寝ている美羽が居て、今立ち上がってしまえば、ブルーシート越しとはいえ、頭を打つことになる。
流石にそんな酷い事をしてやれない准は、肯定を求めるように視線を未来の美羽に向けた。
そんな彼女は少し、呆然とした様子で固まってしまっていたが、准の言葉を聞くなり、笑みを浮かべて、抱き締めていた腕を身体から離す。
「あ、あはは、そうね。確かに起こしちゃったら、この子が私に統合されちゃうもの」
統合の条件は同一の存在がその同一の存在が居ると『目視で認識』する事にあり、噂話で聞いた、メッセージで、電話で、文章で存在を伝えて、認識しても意味は成さない。
また、変装をして同一の存在だと『バレなければ』問題はないというのも特徴の一つ。
しかし、バレてしまえば『時間干渉力』と『意志の強さ』、『精神性』がものをいい、弱い者は消失か、強い者へと統合されるかの二択であり、完全なランダム仕様。
しかも『常盤美羽』の『時間干渉』は取り込んだ分だけ、その『時間干渉力』が増す仕様。
朝倉拓也もこれには溜め息を漏らして、全てが終わった後、彼の手により、常盤美羽の『時間干渉力』は極端に落とされる事となった。
五分の一程度にまで落ちた力は『並行世界』はおろか、対象者を『時間跳躍』させる際にもその対象者が死ななければならないというデメリットまで付与される始末。
使い勝手はかなり悪くなっているのだ。
「今回の事、名無し、お前は知ってたろ?」
ちょっとした予想。あくまでも可能性。
この場所に都合良く現れた事や、放課後に『可視化』を与えた事、最後に朝倉拓也と行動を共にしていたという経緯を聞き、その推測を語った。
「知ってたわよ。でも、朝倉拓也に口を挟まず見守れって言われた。まぁ、大州藍莉には口添えしたけどね」
「藍莉に?」
「えぇ。流石に可哀想でしょ」
「そっか⋯⋯」
思わず微笑んでしまう准の表情をチラッと見つめた美羽は首を傾げる。
そして、僅かに視線が横へと逸れると納得したように声を掛けた。
「⋯⋯あ、勘違いしてるわよ?貴方」
「はい?勘違い⋯⋯何処がだ?」
一方の准はどこ辺りが勘違いなのかも理解出来ず、訝しんだ表情をする。
そう、准は知らない。この常盤美羽は彼女の世界の桐江准と付き合っていたという事を。
言い替えれば、藍莉にとっては恋敵のようなもの。
突然降ってきた隕石のように襲来して、場を滅茶苦茶にする最悪な存在。
同様に、美羽からすれば、藍莉は恋敵以上に准の事を何も知らないと見下して、一方的に責め続ける経験と知識を持つ。
准は気付いていない。この二人の間で、密かに火花が散る事を──。
「私が可哀想って言ったのは貴方によ。あの女に私は興味ないもの」
「おいおい、じゃあ、あの日会った時、『常盤美羽』を助ける理由を聞いた時は?あれは過去の自分を助けたいからだろ?違うのか?」
「違うわ。言ったでしょ?『居てくれなきゃ困る』って」
『常盤美羽に居てくれなきゃ困る』ではなく、『桐江准に居てくれなきゃ困る』である。
事実、一度たりとも未来の美羽は藍莉の心配も美羽の心配もしていない。
行動を起こしたのは全て目の前に居る唐変木な男の為であり、馬鹿な少年の為である。
「お前も尽くしてくれるタイプか⋯⋯怖いな女って」
「限定、限度はあるんだけどね」
藍莉も尽くす側、美羽も尽くす側。
ある種の似た者同士だからこそ、板挟みになった際の地獄は苛烈を極めるというのに、この少年は間抜けにも他人事のようであった。
「つか、そのドレスはなんだ?やっぱりお嬢様だったから、着たくなるものなのか?」
「朝倉拓也に着させられたのよ。『そっちの方が謎の敵感出るだろ』って」
指パッチン一つで仕立てたドレス。
隠密に動くのにも邪魔になり、真っ昼間は目立ち、黒色なのが災いして、夏は湿気と暑さでやられそうになる最悪仕様。
せめてもの救いは肩と胸元は肌が露出している為、色気が出て、男女問わず一目置くという点でしかない。
つまり、目立つだけ。
「適当だなぁ⋯⋯」
「それが彼のアイデンティティよ」
「コイツのアイデンティティは、どうすれば」
「大丈夫よ。貴方が思っている以上にその子、自分を見失っていないわよ。しっかり見つけられるわ。次のね」
『次』という言葉は『前』は失敗したという意味が多少なりとも含まれている。
『自己の確立』の為に始めた『厨二病』の演技は完全な外れであり、期待していた以上の事は何もなく、アテが外れてしまった結果となった。
自分が自分であるが為の個性というのは、早々にして見つかるものではない。
見つからないが、見つけなければ危険を伴うのは彼女でもある。
「⋯⋯そういえば、どうして『厨二病』だったの?」
「決まってる」
今なら、明確に答えが言える。
何故ならば、言い出しっぺは紛れもなく准なのだから。
「『時間干渉』なんてとんでもない技使えんのに、カッコイイ台詞吐かないとか、俺が許せなかったから」
「⋯⋯あ、はぁ。なんだか、ここでも遊ばれてるわね」
苦い経験をしたように渋い顔をする美羽は同情するかのようにお膝元で寝ている美羽を見る。
グッと瞼を閉じて、陰ながらのエールを送ると、徐ろに立ち上がった。
「最後に聞いておきたい事は?後回しは響くわよ?」
美羽から准へのサービスと忠告。
嫌な事は比較的に後回しの傾向がある准にとって、『現象』での後回しは日常の中でやってしまう後回しよりも大きく響いてしまう。
迅速な対処と、素早い対応が早期解決へと導き、後腐れがないようにするならば、後回しは最終手段に近い。
それを改めて実感した今の准はそっと頷いて、後方で立っている美羽へと視線を向ける。
「じゃあ、質問だけど⋯⋯。お前、住む所ちゃんとあるんだよな?」
「⋯⋯一応、私は貴方の知ってる私じゃないっていう事は言っておくけど?」
ゴールデンウィークに出会った、どの常盤美羽とも違う、全く別の常盤美羽。
それが彼女であり、円も縁もテスト前の放課後に出会った時が初である。
しかし、ここまで話を聞いていて、それが分からない程、馬鹿ではなかった為、自信を持って言葉を紡ぐ。
「知ってるよ。それでも、僕にとっては『常盤美羽』なんだよ。髪色が変わっても、身長が大きくなって、スタイル抜群のナイスレディになろうと、隈もない、綺麗な状態でも、僕にとっては『常盤美羽』なんだ。だから僕は先輩で、心配なんだ」
桐江准にとって、常盤美羽は『後輩』という立ち位置であり普遍的なもの。
ゴールデンウィークで散々、常盤美羽を見てきた為、今更、一人、二人と常盤美羽が増えようとも扱いも対応も変化しない。
後方に居る常盤美羽に対してもそれは変わらないし、変えようとしないだろう。
「⋯⋯やっぱり、貴方で良かったわ」
ボソッと呟いたその言葉は決して准には聞こえないようにと敢えて殺した声であり、満足そうに座り込んでいる少年へと視線を向けた。
「居住地に関しては心配ないわ。あのタワー暮らしも終わらせる予定だったし、もう次の場所を決めているのよ」
「そっか。良かった」
不安のない朗らかな表情に安心した准もそっと笑みを返す。
そんな少年を何処か、懐かしそうに潤み始めた瞳が映し、自然と目線を切ってしまう。
「そろそろ行くわ」
「また、会えるか?」
「逢いたいの?」
「まぁ、会えるなら⋯⋯」
「ふふ。それを聞いて、安心したわ」
ゆっくりと歩き去っていく姿は儚さが滲み出ており、泣いているようだと、准は決して見逃さなかった。
それでも後を追うなんて行為は取らない。
彼女よりも、脚元で優雅に寝ている彼女の方が今は優先すべき事だと切り替えて、夜空を見上げた。
父の勧めから始めた天体観測のお裾分け。
たった一度のデートに、数分足らずでの離別。
かつて、彼女が言った言葉を思い出していた准は、そっと夜空に咲いた星々を指差して、見比べていく。
「爺さんが一等星、他は二等星で、弟が四等星⋯⋯。はっ。どれが一等星でどれが二等星なんだよ⋯⋯」
星の輝きとその強さは素人目では殆ど何も変わらない。
季節によって地球から見える星座の位置も違えば、輝き方も変わる。
普遍的であり、同じではない存在。
「じゃあ、もうめんどいな⋯⋯全部でいいや。常盤⋯⋯お前はこの星全部だ。一でも、四でもいい。無いなんて僕が許さない⋯⋯」
ブルーシートをはみ出す事を承知で仰向けとなった准は手を夜空へと翳す。
満面に散らばる花々は白にも黄色にも青にも見えれば、緑色にも見えて、黒い画用紙に適当なバランスで一滴、一滴、細い筆を使って垂らしたようなそんな世界。
数は無数、星座の配置なんて頭の中には存在せず、せいぜい北斗七星程度。
星の数だけある『並行世界』とそこからやって来た『常盤美羽』という存在。
語るには一生を費やしても足りないと分かっていて、それでも、知っている限りを思い馳せようと瞼を閉じた。
「僕も好きだった、間違いなく。⋯⋯だから、お前の分までちゃんと生きるよ」
星々に対して呟く声は決して間近にある月にすら届かない声量。
しかし、膝元で瞼を閉じていた彼女はしっかりとそれを聞き逃す事はしなかった。
瞼の中でも星は輝いて見えるのだと、准は──その日気付いた。
━ ━ ━
その夜、僕はブルーシートに半分ほど身体が入っていない状態のまま、寝てしまっていた。
歳下の女の子を膝元に寝そべらせた上で。
当然、遅すぎると駆け付けた藍莉達は唖然と呆然のあまり、叩き起されて、お説教が開始された。
「さーせん」
「ごめんなさい」
ついでにトッキーも込みで。
そして、『星交展望台』を降りる為に再び牧原へと救いの手を求めたのだが、「却下」の二文字で片付けられてしまい、始発の電車に乗り込み、残りの距離は徒歩で帰る事を選択。
僕と常盤は起きていたのだが、藍莉達は皆寝てしまい、何故か罪悪感がまた一つ増してしまった。
そんな彼女達を目的の駅で起こし、軽い牧原を背負って、疲れた足取りと重くなった身体を動かして、ようやく目的地のアパートへと辿り着く。
軽井とサナは自宅に帰るべく、もう少しの移動を渋っていたが、帰らなければ今日もある学校はどうするのかというで泣く泣く帰って行った。
常盤と牧原は藍莉の自宅に泊まる事を選択し、お隣へと疲れた足取りで入っていく姿に悲壮感が漂ってならない。
そして、僕は叫んだ。
「なんじゃ、こりゃぁぁぁ!」
部屋の中は物の見事に散乱していた。
リビング、ダイニング、キッチンは無事なのだが、僕の部屋だけが滅茶苦茶となっており、椅子は倒され、ベッドは何故か動いており、襖の先にある押し入れから運び出された荷物や小物入れの全てが床に直置きのまま放置となっていた。
「藍莉さんだよ。お兄ちゃんが見つからないって探しまくってたの」
「僕は悪戯好きの隠れん坊やじゃねぇよ。なんで押し入れに隠れる必要があるんだよ」
「知らなーい。お兄ちゃんの日頃の行いでしょ?」
「っ!⋯⋯それを言われると、否定出来ないなぁ」
「ちゃんと今度、藍莉さんを励ましてあげなよ?じゃあ、おやすみ〜」
そう力なく言い放つと僕の部屋から退散した舞喜は自室へと戻っていき、一人置いてかれた僕は放心状態。
「めんどいから⋯⋯後まわ──いや、今やるか」
過去の教訓というべきか、ここで挫けてしまっては、どの道、後になっても似たような事を繰り返すだけだとして、溜め息混じりに手を動かし始めたのだった。
そんな時──チャイムが鳴った。
藍莉ではない。藍莉ならば、堂々と部屋に入って来る。
つまり、全く別の人間が押した事になるのだ。
のそのそと顰めた顔を浮かべたままの僕はドアスコープを覗き込む。
「⋯⋯ん?⋯⋯んんっっ!!」
つい最近会ったばかりの人物がチャイムを鳴らしたご様子であり、思わず玄関の扉を開けて、直に確認する。
「こんにちは。昨日から上の階に住む事になった常盤美羽です。宜しくお願い致します」
灰色の髪、服はドレスではなく、ラフな白いTシャツにベージュの半ズボンにサンダル。
そして、手には何か包みを持って常盤美羽(未来版)が挨拶訪問してきたのであった。
「お前、新しい住居ってここ?」
電波塔からアパートと劇的な変化が過ぎる。
つか、もうこのアパートなら、わざわざ隠さなくても包み隠さずに言ってくれればいいだろうに⋯⋯。
「そうよ?安いもの、ここ」
「だろうけどさ」
僕を鈍感系主人公と一緒にしないでもらいたい。
絶対に安さではなく、僕目的で入居したのだという事がいやでも伝わる。
そんな彼女は手に持っていた包みを僕に手渡した。
丁度、僕の手よりも少し大きいぐらいのサイズ感で、包みの中は柔らかい。
「これ。ハンカチ」
「あ、どうもご丁寧に⋯⋯」
「因みに五千円してるから」
「たっか!!え?使えねぇぞ!?」
ハンカチが恐らく数枚入っているそれを僕は開封する自信が一気になくなった。
値段なんて、必ずしも知らなければならないものではないと、また新たに教訓を得てしまう。
「じゃあ、今日、ご飯食べに行くから夜ご飯、四人分を藍莉さんに言っておいてね?」
「え?ちょっと?!」
なんの憂いもありませんよ、とばかりに涼しい顔で立ち去ってしまった名無し。
「がめつさまで未来仕様かよ⋯⋯」
なんと恐ろしい未来の思考。僕も将来、あぁなれたら、どれだけ人生が楽か。
そんな、身も蓋もない事を考えつつ、玄関の扉を閉めて、ハンカチが入った包みをダイニングテーブルへと置いた時、僕はさっきの彼女の言葉を思い返していた。
「昨日?昨日から⋯⋯アイツまさか、僕の動向、逐一見てたとか⋯⋯んなわけないか!」
そうだと信じたい。きっとそうだと。
僕は何時もより早めに登校準備を済ませて、そそくさと家を出た。
目的地は『虚象』にゴールデンウィークにあった話を改めて聞かせる為、嘯いた僕が今度は本当の話をする為に『象願林』へと赴いた。
相も変わらず人気のなく、信仰心の欠片もない『祠』に手を合わせる。
冷たい空気が脚に伝うまでの間、僕はどう話を切り出したものかを迷い、結果──ありのままに話そうと決めた。
かつては五十メートルは優にあった超巨大の『翡翠色に光る象』も今では型なしの『三メートル級の雑談好きな象』へとボリュームダウン。
十メートルやら二十メートルやらと散々な言われようをされるコイツは、あのゴールデンウィークで実力を僅かにすら発揮も出来ずに朝倉さんに倒されてしまう始末だった。
正直、そういった同情心も込みで語ってやろう。
この街で起きた本当の事を。
『准坊?何しに来た?まだ機会には早いと思うが?』
「偶にはな。ちょっとお前に謝らなきゃならない事があるんだ」
『ん?なんじゃ?』
「実は──」
僕は語る。その街で起こる物事のほんの断片程度だとしても、僕の視点、僕の感じ方、僕の意思で語り出した。
それでも結局、常盤美羽は語り切れない。
その事だけは『虚象』に伝えよう。
星の数だけ存在する僕達。
そして、彼女の事を、満遍に、余す事なく、しっかり、丁寧に、伝えて語っていこう。
セミの鳴き声は今年は早く静まりそう。
だって、暑すぎて鳴けないでしょ?




