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この街は今日も語る  作者: 紫芋
常盤美羽は語り切れない

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41/42

現状の把握

事態は進行してくぅ〜。


最近ドラマばかり見ている紫芋です。


更新ペースが落ちていますが許してください。


 自宅に帰った僕は部屋へと急ぎ向かうと、引き出しや襖を片っ端から開けて『常盤美羽』の顔と住所が記されているらしい写真を探した。


「お兄ちゃん、どうしたの?」


 引き出しを片っ端から探すも見つからず、最近お世話になっている襖の中にある棚やダンボールを手当たり次第に散策している時であった。


 舞喜が僕の様子が気がかりで部屋に顔を出しできたのだ。


 よく見ると手元にはカップアイスが握られており、スプーンを口に咥えていらっしゃる。


 しかも贅沢にハーゲンダッツの苺味。何時から僕が与えたお小遣いは高級品購入窓口となったのだろうか。


 何時もなら、僕にも一口くれとか物を加えながら歩くなという注意の言葉を掛けてやるところだが、今はそれどころじゃない。


「写真があるらしいんだ」


「なんの?」


「『常盤美羽』のだよ」


「そ、そうなんだ⋯⋯」


 何か様子が変だ。こういう場合、嬉々として自分を立てるような言葉を発するのが妹であり、図々しくも厚かましいまでにドヤ顔を披露するのだが、そんな仕草を見せるどころか、首を傾げて訝しむような表情をする。


 嫌な予感に駆り立てられた。まさか言い出しっぺがそんな事がある筈ないと、僕は恐る恐るに聞いた。


「舞喜。お前、『常盤美羽』って知ってるんだよな?お見舞いに来たんだろ?」


「誰?その■■■■って」


「⋯⋯お前、今⋯⋯え?なんて言った?」


「え?だから知らないって言ったの。その■■■■って人」


 聞き間違いじゃなかった。とんでもない事態になってしまったのだと、僕の身体は急激に冷え込んだように震え出す。


 ノイズが走ったように名前の部分だけが掻き消されたように、上書きされていくように、雑音が鳴って『常盤美羽』の存在が失われている。


 よりにもよって『常盤美羽』の存在を僕達に示した舞喜が。


 まず初めに舞喜が何故覚えていたのか。


 恐らくだが【八咫烏】の影響が作用した結果なのは何となくだが分かる。


 では何故忘れてしまうなんて事態になってしまったのか。


 効果が永続じゃなくて時間制限があるからか、『常盤美羽』が何かやらかしたからか。


 それともついさっき会ったあの女性の仕業か。


 いずれにしても舞喜から『常盤美羽』について聞く事はもう出来なくなってしまったと認識して然るべきだろう。


「あれ?お兄ちゃん?!あ、良かった」


「え?なんだよ」


「今一瞬、お兄ちゃんが消えたんだよ」


「⋯⋯⋯⋯ま、まさか」


 消えたとはつまり居なくなったという事。


 僕はずっとここに居たし、舞喜を視界から外してはいない。


 舞喜も同様で視界を僕から外していない筈なのだ。


 そのはずなのに──何故消えたと言い出したのか、僕が思うにあの女性の仕業だろう。


『可視化出来るよう調整した』とあの女性はそう言っていた。


 そもそも調整とはなんだ、何を調整したのか。


 目玉を弄られたにしては違和感がなさ過ぎるし、脳ならばもうどうしようもない。


 自分が消える、そう思うと嫌な汗が流れる。


「お兄ちゃん、大丈夫?体調悪いの?」


「いや、問題ないと思う」


「はい?曖昧だね。⋯⋯まぁそういうなら良いけど。あんまり無理しないでよ。お兄ちゃんにはお父さんとお母さんと話し合うまで元気で居てもらわなきゃ困るんだから」


「そうなったらお払い箱なのは止めろ。しがみ付いてでも引っ付くぞ」


 それに少し困った事になるのも事実だ。父さんと母さんが僕に顔を出して来られると意図して一発殴りたくなる。


 流石に久々に会った息子に殴られる親なんて、息子の僕が可哀想だ。


 それに少なくても、舞喜には和解の意思があっても、僕には微塵もない。


 何よりも兄の僕よりも両親と一緒に暮らす方が楽だろう舞喜にとって、お払い箱にされるのは流石に不服の致すところだ。


 両親に妹はやらん!そう心に誓っている僕にとって『夢の世界』での妹の決断は嬉しくもあるし悲しくもある──それが本心であり、どうしようもない兄心である。


「脚にしがみ付いたらセクハラで訴えてやる」


「家族間の事に警察は民事不介入で手出し出来ませーん」


「じゃあ児相だね」


 そう言い、ポケットの中にあるスマホをチラつかせる妹。


「コイツ、病院にいる間に無駄な知識を身につけやがった⋯⋯」


 どうしてこう図々しい感じに成長なされたのか。誰のせいだろう、僕か、看護師か、医師か。


 僕のせいではないと信じて、看護師と医師を売ろう、そうしよう。


「へへへ、テルられたくなくば、元気でいる事だよ!」


 片脚を軸にクルッと背後を向いた妹はそのままリビングへと帰っていく。


 我が妹はこんなにもふてぶてしい様子なのに学校不登校なんて、理不尽だとは思わないのだろうか。


 僕は思わないので別に良いが、同級生が見に来たら卒倒ものだ。


 僻まれて、ネチネチと陰口のオンパレードとなるだろう事、間違いなし。


 妹は人気者になってしまう。


 膝元にあるダンボールの中をカーペットの上に置いては探っていき、またカーペットに置いてを繰り返す。


 やがて十八時を回り出した頃合いになると察してしまう。


 一向に見つからない中、机の引き出しに目当ての写真がないというのに、ダンボールの中に写真が一枚置いてある訳がないという事を。


 アルバムの中身だって探したが、『常盤美羽』らしき人物は影も形も見受けられない。


 見知った顔も名前も鮮明に思い出せるというのに、『常盤美羽』な訳がないのだ。


「くっそ〜、何処にあるんだよ⋯⋯」


 本当に心当たりがないのが口惜しい。いっその事、記憶が無くなる前の僕がメモでも残してくれれば安泰だったというのに、なんて注意散漫かつ怠りがちな僕なんだ。


「はぁ〜、今日って藍莉、家に来るんだっけか?どうだっけ?⋯⋯スマホ買わなきゃなぁ」


『夢の世界』ですらあるスマホは今現在手元にはない。


 いい加減に連絡を手短に済ませてしまいたい所でもあるし、夏休みは冗談抜きでバイトでもしないとマズイかもしれないとちょっとの焦りを見せる僕はカーテンを閉めて、部屋を暗くする。


 その時、机に置いてあったペンが床に落ちたのだ。


 カーテンはベッドの枕元付近に設置されており、つくえはベッドとは真反対の位置に置いてある。


 そして机に身体をぶつけた訳でもなければ、窓が開いていた訳でもない。


 カーテンを閉じただけで風が吹いたという可能性は十中八九ないだろう。


 あればこの世の中、夕暮れ時は風が吹きまくる事態に陥っている。


 では何か──見えない誰かが居るという事以外に考えられない。


「⋯⋯嘘でしょ?」


 昨夜の時点で誰かに入られた云々があったというのに、よもや学校で噂されていた『透明人間』なんてケースがあってよかろうか?いや、駄目でしょう。


 お帰り願いたい所だが『透明人間』博士ではない僕は『透明人間』の対処なんて知らないし、図鑑に載っているならご教授願いたいものだ。


「だ、だだだ、誰かいるのか?」


 上擦ってしまった声で呼び掛ける──反応はない。


 視線も感じないし、何かしてくるような事もない。


 コミュニケーションを取りたがらない陰険な奴と決め付けるのは簡単ではあるが、机に落ちてしまったペンが何かしらの存在が僕以外に部屋に居る事を証明してしまっている。


 妹はリビングに居て、足音もしていなかった。


 それにわざわざ机に置いてあったペンを落とすという趣旨が見えない悪戯をする理由を探す方が困難である。


 落ちてしまったペンを恐る恐るといった様子で拾うと僕はそれを再び机に置いた。


「⋯⋯あれ?赤ペンは?」


 明日に迫った期末テストは夏休みの生活の仕方に大きく関わってくる。


 舞喜との約束もある為、下手に赤点を取ってはならないと決意を胸にイヤイヤながら勉強していたのだ。


 その際に筆箱から取り出した黒のインクが出るペンと赤のインクが出るペンのニ本は机に置きっぱなしにして僕は登校した筈なのだが、その内の赤ペンは行方を眩ませてしまっているのだ。


 僕は急いでリビングに行き、ソファで寝転がっている舞喜の元へと向かい声を掛ける。


「舞喜、僕の赤ペン知らないか?」


「⋯⋯⋯⋯」


(なんで無視するんだよ。お前のカッコイイお兄ちゃんだぞ)


 本当に聞こえていないフリをする舞喜。


 スマホと睨めっこを繰り広げており、僕の事なんて眼中にないように振舞っている。


 イヤでも聞いて貰うべく、僕はソファの背もたれに体重を掛けて、息を吸う。


「舞喜!」


「へぇ!!びっくりしたー!お兄ちゃん、なに?!どうしたの?」


 身体を跳ねさせて僕の方へ驚いた様子を見せる舞喜は起き上がり、スマホをソファに置いた。


「赤ペン知らないか?」


「知らないよ?私使わないもん」


「だよな⋯⋯」


 そう、この妹学校に通っていないのだから、赤ペンなんて普通使わないのだ。


 カレンダーに書き込みという線もない。


『夢の世界』ならば兎も角、この本物の妹は基本的に暇人なので書き込みなんて必要が皆無。


 兄は悲しい限りだ。


「どうしたの?無くしたの?」


「まぁ、うん」


「机の下とかに落としたんじゃない?」


 だったら良いのだが、多分違う。そんなアテもない答えが僕の心中を落ち着かせてはくれない。


「それより、なんで一回目で反応しなかったんだよ?兄を叫ばすなんて新手のイジメか?」


「はぁ?一回目って何?お兄ちゃんの方がおかしいよ?部屋に居たんだよね?なんでソファ(ここ)まで足音もさせずに来てるの?」


「馬鹿言え。スマホの見すぎで耳が悪くなったんじゃないのか」


「誰がおばあちゃんだ!アタシはピッチピチの十四歳だよ!」


「まだ十三だろうが⋯⋯」


 僕はどうやら妹の狡猾で愚かな罠に掛かってしまったらしい。


 ニヤリと何かを企んだ笑みを浮かべるとソファに置いていたスマホを持ち出した。


「お兄ちゃん〜。誕生日は〜、是非是非!これが良い!!」


 効果音にドン!と描かれそうな程に勢いよくスマホを前に向けてくる。


 画面に映るのは鞄だった。


 白くて小さいショルダーバッグであり、荷物にもなり過ぎず、邪魔にもならない程度のコンパクトなサイズのそれはまさかの値段──二万三千円。


 目を疑ったが真実である。しかもこれでも十パーセント引き。


 冗談だと信じたかったが、スマホは嘘をついていないし、妹はニンマリ顔で、僕は呆れてしまう。


(馬鹿かと。いやマジで馬鹿言え、そんな大金何処にあるってんだ)


 大人の皆々様は衣服と合わせてコーディネートする際、何故か鞄も込みで仕上げてくると言うではないか。


 感服ものだ。僕が最後に買った鞄なんて三千円位の安い灰色のリュックサックだ。


 靴なら分かる。だって履くものだし、衣服と直結と言っても過言かもしれないが理解出来る。


 でも鞄に金を費やす人の気持ちが僕には分からないのだ。


 ましてや二万三千円もする鞄なんて、妹には早すぎるようにも感じたし、まだ幼さが残るその様相ではどう頑張っても浮き足立った小娘としか見られないのがオチ。


 つまりここから導き出せる言葉は一つ──。


「駄目!」


「なんでぇぇ〜、退院祝い〜、誕生日も九月だよ?もう近いよ!ねぇ〜ねぇ〜!」


「今は六月だ大馬鹿者」


「駄目?こんなにお願いしてるのに?」


 お願いというより催促である。


 九月が近いなんて馬鹿言っちゃいけない。夏休みを満喫すらしていない中、九月がポンッ!とやってこられては僕の学生生活が困り果てるし、路頭に迷う。


 一生来るな九月、永遠なる休みを僕は求める。


「駄目!早すぎる。そしてもっと子供っぽいの選べ。そして安いのだ。お兄ちゃんはそれ以外認めない」


「ぶぅぅ〜!ぶぅぅぅ〜」


「親指を下げても駄目。大体、その鞄何に使うんだ?」


「外出の時に決まってるじゃん」


「見栄張りたいだけだろ?」


「良いじゃん〜!買って、買って〜!」


 身体を激しく揺らされる。こうなったら話を聞かない。


 病室に居る頃の健気で儚い感じは何処へやら。


「別の買ってやるよ。安いの限定だけど」


「じゃあこれ」


「は?」


 タブを切り替えて速攻でもう一つのページが映し出された。


 それは値段にして八千円の黒の鞄。サイズも用途も同じだが、刺繍の違いかブランドの違いなのか、僕には皆目見当が付かない。


「うーん。まぁ、これぐらいなら?」


 二万三千円と天秤に掛けるならば間違いなく八千円を買った方が安く済む。


 そう僕の計算高い頭脳がそう判断して、頷いてしまった。


「やりぃー。チョロ⋯⋯っんん!お兄ちゃん、ありがとう!」


「今、チョロいって言おうとした?ねぇ?!」


「言ってないよ。言ってないでしょ?」


「え?そう?なら良いけど」


 仮にチョロいなんて言われたら、思わず僕の脳内ライブラリーにある罵倒シリーズが火を吹く所だった。


 危ない、危ない。妹相手にムキになってもいい事なんて何もないのだと、去年の四月に学んだばかりである。


 一年経ったら時効なんて事はないのだから、慎重にかつ冷静に。


 それから、あの小賢しくて小狡く、無い胸で自慢げに高らかに胸を前に突き出したお調子者にして陰キャ筆頭の馬鹿餓鬼代表こと愚妹まきの使った交渉方法が『ドア・イン・ザ・フェイス』なんて呼ばれるカッコイイ名称であると知ったのは、それから数日後の事である。


  ━ ━ ━


「こんばんはー舞喜お姉ちゃん!」


 景気良い声を上げるのは桐江家宅の隣部屋に居住している大洲家の弟君の蒼太である。


 小学校に進学してからというもの彼にも当然、生活は如実に顕れていた。


「こんばんはー蒼太くん。今日も元気だね。⋯⋯なるほど、今日もお姉さんと頑張ろっか!」


「はい!」


 右手に筆箱、左手に算数ドリル。最近の彼のトレンドのような装備であり、仮に忘れ物をしてしまってもお隣の為すぐに取りに行けるというプライムレス付き。


 一年間中学校を丸々出席していなかった舞喜であろうとも小学一年生で習う加法と減法を教える事くらいは容易な事であり、自信を持ってリビングへご案内する。


 喜怒哀楽が顔にすぐ出る辺りは兄妹そっくりであると、部活帰りに直接彼氏のお家に帰って来た藍莉は微笑ましそうに頷いてしまう。


「今日ね、0を0で足しても0って事を教えてもらったんだよ!じゃあなんの為に0なんてあるんだろうね」


「えぇ?!0がある理由⋯⋯。0が無いと困る人がいるんだよ、きっと」


「へぇ〜、そうなんだ」


 幼い子供とは気の移りが早い。その為か、聞いてきた筈の質問に対して興味無さそうにしてリビングへと上がっていく蒼太の小さな背中を見つめる舞喜はアワアワとしだした。


(ま、マズイ。私の威厳が。昨日初対面から頭の良い出来るお姉さん演じてたけど、正直0のある理由なんて知らないよ〜)


 0というルーツから整数と自然数に入るかという分野による違いに至るまで何一つとして分かっていない舞喜はちんぷんかんぷんなご様子であり、適当に誤魔化して威厳を保とうとするのが精一杯。


 既にリビングへと向かった蒼太の後を追い掛けるように足早になった舞喜はソファで寛ぐ蒼太の隣に座り、算数ドリルを広げて勉強を教え始めるのであった。


 そんな彼女達を遠巻きに眺めていた藍莉は准の部屋へと向かい、キッチンを借りる旨を伝えようとする。


「准、ただいま。キッチン借りて⋯⋯」


 自然と言葉が止まる。当然だ──その准の部屋には()()()()()()()()()()()、居ない人間に語り掛けても仕方ない。


 しかし、辺りを見渡す藍莉は不審がる。


 准の部屋は散らかっており、ダンボールが床に置かれた状態で放置されて何かを探し物をしていたというのは優に想像しやすかった。


 だが問題は何処に行ったかという事だ。


 准はスマホを所持しておらず、通話や連絡のやり取りは基本的に口頭が通例。


 しかし、毎日来る予定である藍莉にとっても准に話し掛ければその都度に「今日も家に行くね」と毎度毎度言うのは疲れてしまうと准本人が判断して、行かない、行けない日に限ってその旨を伝えるようにしている。


 桐江家のスペアキーを一つ持っている藍莉は訪問自由であり、行き来がしやすいもう一つの家のようなもの。


 そんな彼女であっても准が自由に外出するのは止める訳にはいかないし、止める理由も無い。


 居場所は不明、何をしに出掛けたか意図も解らず。


 部屋の電気が付けっぱなしで部屋を散らかすだけ散らかして何処に行ってしまっているというのは余程の事態でなければ起きない事だろう。


「⋯⋯おっちょこちょいね。あの人」


 部屋の電気のスイッチを消して、扉を閉める藍莉。


 足早にリビングに掛けられた藍莉専用のエプロンを手に持ち、お勉強を進めている二人に近付いた。


「舞喜ちゃん。キッチン借りるわね?」


「あ、はい!どうぞ!何時もありがとうございます」


「良いわよ。好きでやってる事だし、四人分にもなると作りがいがあるし、楽しいしね」


 首に掛け、後ろに垂れている紐を括ってエプロンの装備は完了。


 癖っ毛な髪を両手で纏めて左手首に巻いていたシュシュで後ろ髪を結び準備万端とばかりに意気込む。


 昨日から増えた食材の量は藍莉にとっては苦ではなく、むしろ楽しそうにキッチンに入っていく。


「お姉ちゃん、すぐちょーしに乗るんだよ?」


 隣に座っている舞喜に使えない情報を伝達する蒼太は愉快である。


 怒らせてはならない存在だという事を未だ知らず、正しく認識していない。


「コラ蒼太。貴方の嫌いなピーマン、今日だけ倍入れてあげましょうか?」


「うえぇ!オニだ!」


 そんな蛮勇な心持ちをしている蒼太に対して無情な判決を言い渡す藍莉はしっかりとお姉ちゃんをしており、フライパンをIHコンロに置き食材をシンク横のキッチン台に淡々と並べていく。


「嫌なら舞喜お姉ちゃんの言う事ちゃんと聞いて、勉強頑張りなさい。そしたら、ピーマンの量は減らしてあげる」


「はい〜」


 蒼太撃沈。料理の完成予定時刻も知らないというのに急かされてしまう。


「舞喜ちゃん。准が何処に行ったか聞いてる?」


 一緒に食事をしたいから聞いた程度の事であり、遅くなるならそれはそれで良かったのだ。


 だが、予想は裏切られる。


「え?部屋にいますよ?」


「え?⋯⋯さっき部屋見たけど居なかったわよ?」


「えぇ?!そんな筈ないです。だって、お兄ちゃん帰ってきてから部屋に籠ってますし。探し物してたっぽいんですよね。名前も聞いてきて」


 作業の手が止まる。包丁を持ち食材を切ろうとするその動きは硬直し部屋を見つめた。


 閉めた扉の下側には僅かな隙間がある。


 これは建築物の構造上絶対にある余白であり、換気を主に目的とした隙間なのだが、その隙間から僅かに光が漏れていた。


「⋯⋯ちょっと、まさか⋯⋯嘘でしょ!」


 確かに消した筈の部屋の明かりが何故か付いている。


 直近の事であり、思い違いや勘違いなんて事は無いと断言しきれた藍莉は焦燥感と共に嫌な予感が心を騒つかせた。


 キッチンを離れて、慌てた様子で准の部屋の扉を開けると部屋には証明が付いており、先程の散らかりようとはまた違い、机の上にはしっかりと立て掛けられていた筈の教科書やノートが散乱しており、ダンボールは既に襖の中に仕舞われてしまったのだろう、床の上から消失してしまっている。


「嘘⋯⋯。ちょっと待って。冗談でしょ?」


 准が『透明人間』の噂を聞いたのは何処か?


 そう、『学校』である。ならば、藍莉だって聞いていても別段不思議ではない。


 そもそも、謎に階段の手すりが消失したという時点でかなり意味不明な事件ではあるのだが、前提として『人は消えない』という先入観があった。


 だが、それは何処までいっても先入観であり、現実として起こらないとは誰も言えない。


 起きなければ立証されないし、未知を既知へと変化させるのは現実でそれを成功させて実際に目撃する事が大前提としてあるからだ。


 事態は流れていく。『桐江准』が消え去ったという事実を残して。


「ま、舞喜ちゃん!准が居ない!」


「え?」


 慌てた様子で藍莉は通達し、それを受けた舞喜は准の部屋へと向かい覗き込んだ。


「あれ?なんで?わ、私ちゃんとお兄ちゃんが部屋に居た所、見てます。嘘じゃないです」


「分かってるわ。分かってるから。⋯⋯どうしよう、どうしたらいいのよ」


 一人混乱の渦に舞い込んだ藍莉は部屋を捜索するものの一向に見当たらない。


 襖の中で隠れている可能性もベランダに居る可能性も考慮して覗き込んで見ても、未だに明るい日暮れの空を浮かばせるベランダに出てみても変わらなかった。


「け、警察ですか?!」


「お願い。私は外に出てみるから」


「は、はい!」


 スマホで110番を鳴らす舞喜と急ぎ外へと向かう為、玄関口へと出ようとする藍莉。


 そして、蒼太は──。


「ねぇ、お姉ちゃん。准お兄ちゃんならリビングに居るよ?」


「っえ?!」


 裾を引っ張り、玄関とは真反対を指差す。


 羅針盤のように求められた存在を指し示した蒼太は淡々とむしろ姉達は何をほざいているのだろうかと訝しむ程である。


「蒼太くん、何言って⋯⋯」


 振り返る舞喜。口を思わず開けてしまう藍莉。


 指差しを止めてドヤ顔をする蒼太。


 そして──。


「あはは、ごめん。本当に居るんだわ⋯⋯僕」


 申し訳なさそうに頭を搔く准。


 靴を片っぽだけ履いた状態で動きを止めた藍莉が慌てた様子で真正面に少年の居るリビングへと直行。


 すると、身体をぺたぺたと触り始めて安否の確認をしていく。


 頭部、頬、胸元、二の腕と徐々に下へと触れていく箇所は進んで、横っ腹辺りに触れると僅かに震える。


「おうぅぅ。待って、藍莉。そこ弱い!」


「⋯⋯はぁ〜。もう、心配させないでよ。本当に消えたんじゃないかと思ったわよ」


 安堵の溜め息を漏らす藍莉の瞳は僅かに涙が浮かんでいた。


 胸を撫で下ろした彼女はそのまま力が抜けてしまい思わず座り込んでしまい、それをそっと准が支える。


「いや、ごめん。でも僕は家から一歩も出てないんだよ。本当に」


「⋯⋯どういう事?」


「僕は多分だけど『常盤美羽』と同じように消える可能性がある」


「っ⋯⋯。何それ?どういう事?『常盤美羽』って誰?」


 途端、准は眉を顰める。そんな少年の不審そうな表情にいち早く気が付いた藍莉もまた目を細めて改めて聞く。


「『常盤美羽』って人がどうしたの?私の知らない所で何かにまた巻き込まれたの?」


 答えづらそうに口を篭らせる少年。少年の耳には『常盤美羽』という人名は不快感が拭えないノイズとして伝わってしまい、イヤでも顔を顰めてしまう。


「朝⋯⋯僕が登校してすぐ藍莉、声掛けたよな?その時の内容は覚えてるか?」


 一つの確認である。登校直後に准は藍莉とついでに奏海に対して『常盤美羽』という名前を出していた。


 彼女なりに調べようとしてくれていた事は知っている為、なにかの糸口になり得るかもしれないと期待を持って問い掛ける。


「朝倉さんが居ないから頑張ろうって話でしょ?⋯⋯違った?」


「じゃあ、なんでその話題になったか。どうして僕をわざわざ廊下まで引っ張り出したか、記憶はあるか?」


「あれは⋯⋯あれ?なんでだっけ?」


 考え込む藍莉を見下ろす准の表情には僅かな失望が見受けられた。


 そして、それを上書きするように苦笑いで誤魔化してみせる。


 それを藍莉は視認出来ず──。


「いや、良い。ごめんな心配掛けた」


「お兄ちゃん、何かあるの?」


 藍莉の代わりに気付いたのは舞喜だった。


 明らかに様子がおかしい。一転二転と表情をコロコロと変えて、何かを隠しているようにも見える少年に痺れを切らしたのは妹であった。


「⋯⋯覚えてないなら仕方ないだろ?」


「だから、それを知りたいんだって」


「その『常盤美羽』って人と何か関係あるんでしょ?話して」


 少年は俯いて、瞼を閉じる。


 嫌な予感はもう散々と感じて来た少年ではあるが、今日に限って言えば最大級に近い。


 自身の消失の危機と『常盤美羽』の存在が着々と薄れていくという焦燥感。


 手掛かりとされる写真は行方知れずで八方塞がりに近い。


 仮に話しても巻き込まれて二人諸共存在が消えてしまってはいよいよ手が追いつかなくなる。


「准!いいから話して」


「⋯⋯でも」


「でももへったくれもない。いいから話す!」


 勢いよく立ち上がり、グイグイと迫っていく藍莉に圧されていき後ろへと退がっていく。


 彼女とて仲間外れの結果、知らぬ間に彼氏が傷付くのを黙っていられる程、大人ではない。


 ベランダに続く窓へと背中をぶつけてしまう准は後がないと背後を確かめてしまい、その様子を目視している藍莉は尚詰め寄る。


 身体が密着して完全に行き場と逃げ場を失い、袖を掴まれてしまった准は藍莉の顔を見た。


 准は決してエスパー少年ではない。


 普通で取り分け何かに秀でた事はなく、凡夫のような存在である。


 そんな少年にだって目の前で詰め寄り、身体を密着させている彼女が何を思っているかは理解出来てしまい、諦めたように袖を掴んでいるその手を掴み返して握り締めた。


「分かった⋯⋯。一から話し直す。だから、取り敢えず押し付けんでくれ」


「え?」


「すげぇ、ドギマギする」


 密着しに行ったのはむしろ藍莉からであり、どういった状況かは理解している。


 ジト目で准の頬を抓ると一言。


「⋯⋯危機感持ちなさいよ」


 そう言い、密着していた距離は開かれていく。


「さーせん」


 准は事態を改めて整理するべくリビングにあるソファに座り込んだ。


 事態は着実に進行していく──。


  ━ ━ ━


 改めて准は藍莉、舞喜、そしてついで算数ドリルを黙々とやっていた蒼太も聞き耳を立てていた為、三人を交えて話を行った。


 まず初めに、准を除いて『常盤美羽』の人物名は普通に聞こえはするが、准のみがノイズとして受け取ってしまう事を話す。


 しかし、藍莉も舞喜も『常盤美羽』という存在は記憶に無いものの正常に人物名は聞こえてしまう為、イマイチ実感がないままである。


 試しに文字に起こしても准には黒く塗り潰されたようにしか見えず、ペン先はしっかりと走らせているにも拘わらず紙に描かれるのはデタラメな文字にも絵にもならないものであった。


 次に、一年一組に在学している『練馬功一』とは誰かという点に関してだが、これは三人共に知らない人物であり、担任含めて違和感を持っていた事から要注意人物として名前が上がる程度であった。


 何かしらの『現象』としてポツンと現れたのだとしたら元凶の可能性すらあるが、住所も電話番号もアドレスも知らない。


 藍莉が試しに椎奈に連絡を取り『練馬功一』のアドレスを聞いてみるも、当然のように『知らないですね。すいません』とスタンプ付きで返事が来るのみであった。


 次に『虚象』が語った約一ヶ月前(ゴールデンウィーク)に『常盤美羽』が起こした『現象』とその正体について。


 早い話で纏めれば『時間そのもの干渉』であり、今回の事件に当て嵌めるのならば手すりが消失したのも恐らく『常盤美羽』の『時間操作』によるものだと合点がいく。


 だが、問題として『時間の干渉』というあやふやな言葉の羅列では何処までの事が出来て、何が出来ないのか──つまり弱点が明確化出来ずにいるのだ。


 姿が消えてしまっている原理が掴めずにいる中、何がそうなって『存在が消えてしまう』という結果に結び付いているのか解らずにいる。


 以上の三つを観点に話を終えた准は最後に口にした。


「写真がある筈なんだ。『常盤美羽』の写真が⋯⋯」


「写真?そんなのがあるの?」


「朝倉さんがゴールデンウィークの事件の時に僕は貰ったらしいんだ。けど、どれだけ探しても無いんだよ⋯⋯」


 帰宅から二時間たっぷりと時間を掛けて、一縷の希望に縋るように本来なら仕舞わなさそうな箇所すら探したにも拘わらず、結果として惨敗。


 影も形も無く『常盤美羽が写った写真』の存在を疑うレベルである。


「無くしたとか?」


「僕が後輩の写真を常日頃持ち歩いてるとでも?んな馬鹿な⋯⋯。手当り次第に部屋を探したけど、見つからなかったんだよ」


 自分の部屋を睨み付けた准。誰かが隠したというならばまだしも、自分の手で保管した挙句に行方不明ともなれば文句は言えない。


 何度か出そうになる悪態の言葉は全て自身に返ってくるだけなのだから。


「⋯⋯ねぇ?そういえば、朝倉さんが何処かに行った前日に家を訪ねたのよね?」


「はい、折角お世話になったから退院祝いとして私が呼びました」


 何故そんな事を急に気にし始めたのか──。


 実の所、准も一度はその思考に過ぎったのだ。


 しかし、すぐにその候補は除外されて、在り来たりな理由で自身を納得させようとしていた。


 泥棒がやって来た。


 意図せずゴミと間違えて捨ててしまった。


 舞喜や藍莉辺りが何らかの理由で隠して驚かせようとしている。


 そんな有り触れた理由や人物を思い浮かべる事で微かでも否定材料が欲しかったのだ。


「⋯⋯朝倉さんよ」


「え?!そうなんですか?」


 舞喜は口元に手を添えて、驚く素振りを見せた。


 まさかの人物に激しく心を揺らされて動揺が隠せずにいる。


 一方の准はそれほどの驚きは見せなかった。


 むしろ、自らその人物の名前を挙げずに済んだ事により、安堵の念すら抱いている。


「嫌な可能性だけどね。でも部屋中探しても無いって事は誰かが盗んだか、准が間抜けにも捨てたかのどちらかしかないでしょ」


 一言余計な言葉がチラホラと。しかし、間抜けな准はそれどころではなかった。


 最初に候補として挙げて、最初に除外した人物が何故こんな事をしたのか。


 准はその理由に頭を働かせる。


「仮にそうだとしても、そ、その⋯⋯理由は?」


「分からないのよ。憶測だもの」


 舞喜は未だ信じられないといった様子。


 去年の春頃から、献身的に見舞いに来ていた為、准や藍莉が抱える朝倉拓也への信頼と舞喜の抱える朝倉拓也への信頼の差が如実に表れた証拠だろう。


 朝倉拓也に対して絶大な信頼を無駄に寄せている訳だが、不覚にも朝倉拓也本人が最も旅において必要としていない感情を抱いてしまっている。


 好き勝手にやって来たツケのようなものだ。


 准は思考する。朝倉拓也とはこの中では最も密接な交流があり、一方的ながら語ってくれた言葉を思い返していく。


 理不尽な行動は取るが、理不尽な言動はしない。


 理不尽なりに理由があり、視点を変えれば自ずと見える。


 それが朝倉拓也クオリティなのだと、准も納得も理解もしていたこそ、何かしらの理由が秘められていると感じて眉頭に指を当てて深く思考した。


 出会いはシンプル。言動は理解よりも混迷に至り、暴力の化身とも思える実力と理不尽の極み。


 けれど、当時の准には眩しくも見えた。


 誰もが何かしらの悩みを持って、狭い社会で生きている中、その男だけは不覚ながらも気宇壮大の体現者のようにも映り、気随気儘な様はコミックに出てくる人物よりも適当であり、決して直接的な干渉をしてこなかった。


 そんな男は少年の理解者。朝倉拓也は少年の『救済者』であり、自立を促す立役者。


「あ⋯⋯」


 既に朝倉拓也は居ない。影も形もなく、この世界から脱して別の場所で似たような事をしているのだろう。


 そんな男がかつて言っていた言葉を思い返した。


「救って欲しい?嫌だよ。救って欲しいなら救う覚悟を持ってから言え。⋯⋯酷いって事はないだろ?俺が甘んじて救っちまったら、それをずっと頼るだろ?言ったろーが、結局、()()()なんだってな。ほら、少年。お前ならなんとかなるさ。まずは自分を信じる事から始めろ」


 何時かの男との会話。一年前から口酸っぱく言われてた言葉であり、大事な事。


「⋯⋯人の話だから⋯⋯とかかな」


「はい?何言ってるの?」


 藍莉からすれば初耳の言葉。当然だ──人の話とはそもそもなんの事だとなるのも理解出来る。


 一年前の准が正しくそれに近い感覚で聞いていたのだから。


「初めて朝倉さんに会って話した時、言ってたんだ。『なんでもは出来るが何でもする気はない。だって、人の話だから』って」


「余計に意味が分からなくなったんだけど⋯⋯。どういう感性で言ってるの?」


 習ったばかりの計算式と一年後に習う計算式を用いて答えを導き出せと言われているように思わず思考が停止する藍莉。


 朝倉拓也はそういう事を言うと何となく分かるが、何を持ってそんな言葉が出てきたのか、皆目見当が付かないのだ。


「多分だけど、この世界にいる奴がこの世界の問題を解決しないと駄目だろって意味だと思う。元々、『常盤美羽』が写った写真は朝倉さん経由だった訳だし⋯⋯」


 そう、朝倉拓也は『全く別の世界の存在』であり、本来は部外者。


 関わるのは最低限、実行する事柄も最小限に留めている。


 強大すぎる力にはリスクが伴う。


 朝倉拓也に限った話であれば──。


『全力で戦えない』


『全面的な協力をして際に変な価値観に陥らないような立ち回りを求められる』


『長期間の滞在はあらゆる世界のバランスが崩壊するリスクを生む』


 等が挙げられ、それ故に一度別の世界に行ってインターバルをまた別の世界に行き目的を達成する事で費やしていたのだ。


 しかし、何時までも旅は続かない。そもそも朝倉拓也にも旅の目的がしっかりとあり、それを達成するまで放浪の旅である。


 それが終われば彼本来の世界に帰り、旅はしない。


 そして今回、朝倉拓也は本当に別れを告げた。


 二度と助力は求められなければ、アドバイスも情報共有も出来ない。


 即ち、朝倉拓也に今回の事件は准の『自立試験』のようなもの。


 しっかりと自分が居なくてもやっていけるか、対応や対処を怠らないか、無事に事件解決に導けるか。


 その為、朝倉拓也がビギナーズラックで渡した『常盤美羽が写った写真』は没収されたのだ。


「つまりなに?中途半端に手伝って、肝心な時には必要な物すら没収と撤収って事?」


「まぁ、あの人よく言ってたから。『俺は助言と助力までしかしない。本筋はお前がやれ』って」


「やっぱり使えないわね」


 辛辣ではあるが、当事者からすればごもっともな言葉である。


 唯一この中で、朝倉拓也の援助や助力を請わなかったのは藍莉のみ。


 准や舞喜が信頼しているから信頼しよう程度のものであり、朝倉拓也の事は正直あまり好いていないというのが本音。


「まぁまぁ。⋯⋯でもお兄ちゃん、どうするの?写真が無いんじゃ住所も顔も分からないんでしょ?」


「⋯⋯そうなんだよなぁ。どうしたら」


 本来求めていたのは『写真』なのだ。顔と住所という個人情報の塊のようなものがあれば、今後の動きはスムーズになると踏んでいた──実際は『写真』が無い事に加えて、准も消えてしまうという事態に陥っている。


 時間制限があるのか、消えてしまう条件がなにか、対処法はどうすれば良いのかといったその一切が不明瞭に尽きる始末。


「貴方が消えちゃった理由もよ。なんで?」


「あ〜、それは多分。放課後に会った女性のせいだと思う」


 その言葉は藍莉が目付きを鋭利で高圧的なものへと変えた。


 猫から虎、狸から狼、ジュゴンから人間並の変わりよう。


「は?女性?浮気?」


 怒気は言葉の端々までタップリ詰まっており、昨夜と同じ末路を辿らない為に准が取った行動は耳を庇う事であった。


 決して引き千切られてなるものかと厳守の意思を示すも昂りの炎を見せ始める藍莉の瞳には耳を守っている手を容易に弾かれそうである。


 しかし、准だって男であり、正当性のある言葉はしっかりと思い浮かんでいた。


「知らない人だ。初見だし僕もロクに顔も見ていない」


「顔を見てないのにどうして女性って分かるのよ?そう⋯⋯胸ね」


 自分の胸を確かめる。確かな膨らみが二つあるというのに、藍莉が想像した女性は自身のよりナイスバディな人物を思い浮かべてしまい、更に苛つきが増していく。


「飛躍するな。判断基準は胸ばかりじゃない。太腿とか身体付きとか声とか、いっぱいあるだろ?」


 あくまで男性と女性とを見分ける際の話。


 放課後に出会った女性の性別を明確に判断出来たのは声ではあるのだが、准は本来上から下へと視線が落ちる為、声は二の次よりも次の更に遥か次であった。


「お兄ちゃん⋯⋯最初に太腿とか言い出す辺り、極まってるね」


 兄が下卑た存在と定義した物言いに流石の准も黙ってはいない。


 藍莉にはキツくは言えないが舞喜にはキツく言える。


 お兄ちゃんは今日も臆病風に吹かれていくのみ。


「馬鹿言え。男の子は顔の次に胸、胸の次に脚を見る生き物なんだよ。生物学的に⋯⋯っかは知らないが僕はそう思う!」


 声高に自分の主張は正当性のあるようにと、マトモに知らない生物学という単語を引っ張り出した今の准に敵は居ない──訳がない。


「変態の自論は良いわ──よっ!」


 耳を手で庇っても脚元はお留守。


 隣に居た藍莉に思い切り踏まれてしまう。


 鈍器で叩き付けられたと誤認する程に重く、体重を何割か踏んでいる脚に掛けているのだ。


「痛いッ!僕はマゾじゃないぞ?!踏まれても喜ぶ感性じゃないんだぞっ!」


「あら?ごめんなさい。脚好きだと思ってウッカリ」


「お前のそれはチャッカリだ」


「何言ってるのよ。ウットリに決まってるでしょ?」


 微笑みながら、既に踏んでいる脚とは別の脚に履かれている膝より少し上程度の黒の二ーソックスを脱ぐ。


「だったら頬を赤らめて見せろ。うっとりしてるようには見えぇぇぇーーーっっ!!?!」


 追加のご注文である──。


 踏んでいた脚を離して、落ち着こうとする准にニーソックスを脱いだ脚を今度は爪を立てて踏んで来た。


 爪割れが怖くないかと藍莉が問われると、「怖いし嫌」と言うのだろう。


 しかし、世の中には背に腹はかえられない事があるのだ。


 それが准を苛める事だった訳だが──。


「お、お兄ちゃんが踏まれて喜んでるッ!?」


「何処がだっ!お前の目は節穴かーー!」


「だって泣いてるし!感涙って事でしょ?」


「ただの痛みによる涙なんだよ!なんだったら教えてやっても良いんだぞ?」


「キャッ」とわざとらしく甘い声を出して、腕で身体を守るようにして藍莉に密着。


 ひょこっと顔を出して一言。


「私に手を出したら、ある事ない事全部藍莉さんに言う」


「ある事だけにしろ」


 嫌なとばっちりを受けてしまい、謂れもないダメージを負ってしまった准は爪によって齎された脚を痛ましい表情で見つめる。


 一方の藍莉はご満足いった様子で息を吐いた。


(どんどん乱暴になってく⋯⋯これがDVって奴じゃなかろうか⋯⋯)


 あれほど品行方正と称えられ、優しい人物と思っていたのに、付き合い始めればこの仕打ち。


 最近になって准に対する発言も重く、徐々に扱いが難しくなってくる藍莉なのであった。


「それで、お兄ちゃん。誰と浮気したの?」


「まだ言うか?だから、顔は知らないんだ。『象願林ぞうがんばやし』に佇んでたんだ。服装で何となくだけど女性ってのは分かった。その後突然背後に来たんだよ!」


「ちょっと待って?聞き間違い?背後?近付いたって事?距離は?」


「服装が女性だなって分かるぐらいだから十メートルとかじゃないかな?急に背後から話し掛けられて、前に居た人は消えてたしで、怖かった⋯⋯」


 凍えるような声色、後ろから抱き締められた時に感じた生きた心地というものが加速度的に瓦解する感覚に、見知っているようで知らないといった発言。


 全てにおいて謎に等しい存在であり、忌避感にも近いものが思い出すだけで心中を渦巻かせていく。


「それ『瞬間移動』って奴じゃないの?」


「かもしれない。でもその時に受け取ったんだよ『鍵』を」


「何処の?」


「『常盤美羽』の家の鍵」


「どういう事?なんで鍵なんて持ってるのよ」


 言葉に詰まる。准も知らない事には憶測だけでは答えられない。


 今も胸ポケットには入ったままとなっている鍵の入手経路を冷静になって聞き出せるほどの余裕は当時の少年には持ち合わせていなかった。


 自分が生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれた時の切迫感が全て。


 むしろ、よく生きていたと称賛されても罰は当たらない。


「分かったー。その人が『常盤美羽さん』を消したんだ!そうに違いないよ!」


 舞喜が自信ありげに言い切って見せる。


 だが、それは無いと言わんばかりに首を横に振って舞喜に小さく「え?」と漏らしてしまう。


「だとしたらわざわざ僕に接触して来なくても良いだろ?」


 仮に『常盤美羽』を消した人物がその女性ならば、そもそも准に会う理由がないのだ。


 鍵を渡す事にメリットもなく、明らかな蛇足でしかない。


「そこはほら、犯人は現場に戻る的な」


「でもその人『困る』って言ってたんだ。『居てくれなきゃ困る』って」


 何よりも女性側から接触し、『常盤美羽』を助けようとする理由を問われた際の答えがそれだった。


 嘘はないと信じたい准。死ぬ覚悟すらしたという割には直接何かをするといった事はなく、ますます理解に苦しむ。


「でもそれから家に帰ってからなんだよな。消えたりしだしたの。現に舞喜は僕に気付いてなかった時あったし。勝手に部屋の電気消されるし⋯⋯」


「仕方ないでしょ。見えなかったんだから。⋯⋯でもそうなると、どういう原理でそんな事になるか、じゃない?」


「現象に原理ってあるのか?『不可解』とか『未知』の巣窟だぞ?理論建てても結局『不思議パワー』って事で納得するしかないじゃないか。現に『超能力』なんてあるんだし」


 人工的に生まれた『超常現象の源』とも呼べる存在──『超能力者』


 単に『不可解』とも『未知』とも言えない遺伝子構造状の『人間的進化』の一種であり、絶滅危惧種。


 准も藍莉も『超能力』とは何だと問われたとしてもそれを明言できる論理や理論は口に出来ない。


 アタフタと適当に理屈を捏ねくり回していくに過ぎないのだ。


「でも、起こる物事には切っ掛けとか理屈はある筈よ?」


「切っ掛けか。切っ掛けって言ったって、家族が総じて死んで⋯⋯いや、待て。そもそも『常盤美羽』は家族が亡くなってから何処に暮らしてるんだ?」


「施設とか?」


 家族が亡くなり、身寄りが見つからなければ『施設』へと送られるのが相場。


 胸ポケットに入っている鍵を手に取り、じーと見つめる。


「それがこの鍵って事か?」


「もしかしたら、祖父母の家かも」


 藍莉の一言で光明が一縷見え始めた──かに思われたが。


「たしかっ⋯⋯いや駄目じゃん!確か母親の祖父母のとこに住んでるって『虚象』が言ってたし!あ〜万事休すぅぅ」


 ゴールデンウィーク前の火災により家族が亡くなった後に『常盤美羽』が住む事となったのは母方の姓の祖父母に当たる人物の住居であると、『虚象』からも教えて貰っている。


 折角の居所の手掛かりは水の泡となってしまい、頭を抱えだした准だったが、藍莉はそんな少年を差し置いて考え込み、口にした。


「どうかしら、父方の姓を変えて無いって事は表札辺りにはちゃんと『常盤美羽』って記されてるんじゃないかしら?」


「ポストとかですか?」


「ええ。まぁあくまで可能性だけどね」


 実際に郵便物の配達の際、誤配のリスクを避ける為に姓が二つの住居はあるにはある。


 もはや、それに賭けるしかないとも言えなくはないが、少年は自信満々に指を差す。


「⋯⋯それだ!」


 その自信ありげな態度を取る兄を見た舞喜は苦笑いを浮かべる。


 藍莉は目を細めて何かを発しようとするものの、それを止めて口篭ってしまう。


「ねぇ〜、ご飯まだ?」


「⋯⋯あはは。お腹、確かに空いたかもなぁ」


「なら、急いで作りましょ」


 立ち上がる藍莉と手伝いで着いて行こうとする准。


 本来の時間とは少し遅れて、夕飯が作られた。


  ━ ━ ━


 ピーマンにハンバーグが詰められた料理──『ピーマンの肉詰め』を食べた蒼太の顔は苦いものであった。


 ハンバーグは好物だというのに、ピーマンが覆い被さるようにあるだけで地獄の苦手料理に変化し、この世の終わりのような目をしながら食していたのを思い出す。


 仮にピーマンを半分に切って肉を詰めるのではなく、ハンバーグの中に細かく切ったピーマンを入れるなり、ミキサーで調味料などを加えて混ぜた後、ハンバーグにチーズと一緒に中に放り込めば、もしかしたら食べられたかもしれない。


 子供の味覚は敏感であり、コーヒーが苦い飲み物として毛嫌いするのは、子供の舌というだけではなく、大人になると舌が馬鹿になる為、飲めてしまうだけと聞いた事がある。


 つまり、子供の舌がむしろ賢い舌という事になるのだが、子供ではどんなに美味しいと思える料理も細かくそれを伝える伝達能力が発達していない為、結果として大人の意見の方が多く取り沙汰されるのだと、僕は思う。


 蒼太を寝かし付けた藍莉が帰ってきた。


 舞喜は藍莉がやって来ると「ごゆっくり」とだけ口にして部屋に戻って行く。


 変な所で気を遣うその気質はどうにかした方が良いのかもしれない。


 別段、自分の家なのだから部屋に篭ってしまわなくても良いのだし、藍莉の方が本来は客なのだ。


 それに恐らく、僕に気を遣ったのではなく、藍莉に気を遣ったのだろうと思うと、どちらの味方なのかハッキリさせなければならない日も近い気がする。


 テレビはバラエティ番組をやっており、大して知らない芸能人が今まさにトークで場を温めようとしてスベっている最中。


 目も当てられないが、それも込みで彼等も『仕事』として割り切っているのだから、大人とは分からないものだ。


 見られる事が生業とする芸能人。


 見られて、認知され、評価を得る存在。


「何か、隠し事してない?」


「え?何が?別にないけど」


 散々、夕飯前に乱暴だった彼女だが、嫌な所で敏感に予感というのが働く。


 隠し事ならば、有る。といっても可能性の範囲内であり、確実性も検証する余地もない為、どうにもならない。


 一種の博打。しかも当たる確率よりも外れる確率の方が割合としては高く、ままならないのだ。


「ねぇ?隠し事、あるわよね?」


「執拗いぞ?無いったら無い」


「貴方、途中から空元気だったでしょ?」


「だとして、隠し事してる理由にはならないだろ?」


 もどかしいといった表情で、僕を見つめる。


 別段、意地悪で言っている訳ではない。


 空元気だったのは否定しない。というよりも下手に焦って動揺を誘う事をしなかっただけ凄い事だと自負して回りたいぐらいだ。


「なら、勝手に言うわ。貴方が消えちゃう理由って何?憶測とか可能性でいいから話して」


「そりゃ、放課後に会った──」


「その人の事は分かってる。大事なのは、何が起きてるか、よ。消えるだけなら候補として幾らでもあるでしょ?『透明人間』に成りかかっているとか、特定の人間からは見えないとか。そういうのよ」


 確かにそれに関しては口にしていなかった。


 あくまでも「消えるんだよねぇ〜」程度で済ませていたし、事実として消えてるのだから否定のしようもない。


 僕は一つの仮説があった。


 誰でもない朝倉さんに散々言われた事の一つ。


 それを当て嵌めて考えれば、自然とどうして僕は消えたように見えるのかが解ってしまった。


 だから言えない。言いたくはなかった。


「お願い准。⋯⋯言って。何かあってからじゃ遅いのよ?少なくても私に出来る範囲で対処してみせるから。ね?」


「気持ちだけ貰っとく」


「⋯⋯何か、あるのね?」


 露骨に避けすぎたのだろう。明らかに様子がおかしいと思われたのか、不審感を強めてソファにあった僕達の間にある空白を狭めていく。


 覗き込むように見つめる彼女の瞳には『不安』の二文字が滲んでいて、話さなければ引き摺るのは間違いないだろう。


 だが、話した所でそれはまたそれで引き摺るのだと理解出来てしまうから、言い出せないでいる。


 そんな様子を察して欲しい──そう、切に願わずにはいられない。


「もういい。分かった⋯⋯。じゃあこれだけは教えて?」


 息を深く吸う。何かしらの決心を付ける為の動作。


 僕は彼女が言い出す事は何となくだが察している。


 それでも、予想が外れて、ほっと胸を撫で下ろしたいのだ──だが、彼女は聡い。


 だから、きっと外れないのだ。


「貴方、このまま死んだりしないわよね?」


 今の僕には視線を逸らすか、わざとらしく微笑むかの二択しかなかった。


 どちらも悪手であると考えたら分かる事ではあるが、それ以外の行動が見当たらなかった。


 無言なんて肯定と同一。肯定の言葉を放てば更に彼女は気落ちする。


 部屋に逃げ込むという選択肢はもう通用しない。


 だから、僕はわざとらしく微笑んだ。


 視線を逸らしてもきっとロクな事にならないのならば、いっそ笑ってしまえば良いと自分に言い聞かせて、笑うのみ。


「やっぱり⋯⋯。どうして、なんで?」


 どうして、何故──放課後にあったあの白髪女性のせいだとしか言いようがない。


 しかし、彼女のしようとしている事もなんとなくではあるものの理解出来てしまっている。


 早い話、もうそれしかないのだろう。


「『常盤美羽』も同じなんだろ。きっと」


「え?⋯⋯存在が消えるのと、姿が消えるのは違うでしょ?」


 仰る通りで、存在から消失するのと、姿が消えるのとでは意味合いは変わる。


 けど、それはあくまでも文学的な意味合いが強い。


 存在が消えるとは忘れ去られるという側面が強い。


 姿が消えるというのは、目を離した隙に居なくなるという意味合いがある。


 けれど、存在が消える側と姿が消える側を見た一個人からすれば、『消失』したという結果には変わりない。


 つまり僕の場合、『目を離すと消える』という事になる──かもしれない。


 試してみようにも怖くて出来ないのだ。


 夕方頃、蒼太が僕を見つけられたのは、藍莉や舞喜は先入観から『僕が居ない前提』で捜索していた節が強く、蒼太というまだ純粋無垢な歳頃の子供はそういった観点に縛られづらい。


 だから、僕を簡単に見つけられたのだろう。


 では、僕が消えれば蒼太に探して貰えれば良いかと言われればきっと何時までもそれは続かない。


 何度も何度も僕が消えてしまえば蒼太だっておかしいと気付き始める。


『先入観』というものが芽生えてしまえば、僕の探索はより困難極まるのは目に見えていた。


 だから、口には出来ない。


 ましてや、藍莉には言えないでいる。


『可視化出来るようにした』と女性は言った。


 あれば恐らく、僕が皆の前から消えている時でなければ『同じ視点』にならないという意味だろう。


 朝倉さんが言っていた『視る』というものだ。


 視認、認識するにはどう頑張っても一個人が持つ『視点』を上手く使っていかなければならない。


 僕は今、やろうと思えば『常盤美羽』を目視で見つける事が可能だろう。


 だがそうなった時、仮に『常盤美羽』を元に戻せても『僕』個人はどうなるのだろうか。


 考えようとすればするほど、悪循環に囚われて、抜け出せなくなっていく。


「どうだろうな?僕もちゃんとは分かってないから⋯⋯」


 憶測というのが近く、確証性が欲しい。


 明確な証明と実績込みの実話を欲した。


 助かる術は何処にあって、何をすれば良いのか、僕には考えが至らない。


「ねぇ、大丈夫?明日テストでしょ?もう寝たら?」


 明日は期末テスト。三時限目までしかないというラッキーデーであり、夏休みの過ごし方が決まってしまう命運の決闘の日。


「いや、僕はいいや」


「え?何がいいの?」


「寝ないで、勉強する」


 気晴らし程度のもの。マトモに授業に出てなかった分もある為、かなりの遅れがある僕の学力はテスト前日の一夜漬け程度でどうにもなるものではない。


 けれど、なにかしていないと落ち着かないのもまた事実で、怖さを紛らわせる為の手段として勉強を選んだ。


 そんな僕の手を優しく添えるように、藍莉は手を置いた。


 とても温かい。彼女の親指が僕の人差し指の付け根をなぞっていく。


「そ。なら私も付き合うわよ」


「いや、でも」


「なんだか、今の貴方、見てて不安だし。心配になるもの」


「そっか」


 安堵している自分。いっそぶちまけてしまいたいが、僕が最も忌み嫌いのは『平穏の侵害』だ。


 それは変わっていない。


 仮に話してしまって、彼女に何かあれば、僕は一体どうするのだろうか──どうしてしまおうか。


 テレビの電源を落ちして、暗くなったモニターに自分の脚が映る。


 西洋で有名な存在として吸血鬼というものが居るが、その存在のように鏡に映らない程度では済まない。


 手を握って、微動だにしない僕を優しく引くその手の温もりは何処まで続くのか、僕自身が最も知りたいものだ。

朝倉拓也が居れば秒で終わる。だから、サヨナラさせた紫芋です。


彼は何処までいっても旅人です。


まぁ、過去回想では出るんですけどね

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