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この街は今日も語る  作者: 紫芋
常盤美羽は語り切れない

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40/42

邂逅の夜

 失意のどん底とはなんだろう。私は少なくても二度経験した。


 思い馳せれば絶叫で名前を呼んでばかりで、惨めに濡れた地面に膝を着けて涙をこぼすばかり。


 駆け出そうとする脚は煉獄にも似た業火を鎮火しようと勤しむ者達によって止められて、抵抗も出来ず押さえ付けられた。


 やり直しが欲しかった。巻き戻しを瞬きの数以上に懇願して、騒めいて収まらない気持ちを全面に吹き出したかった。


 病室で移植を待つあの子に何をどう伝えれば良いか術が見つからず、髪を掻きむしる。


 何時までも赤い揺らめきが視界から離れない。


 肌を猛々しい熱気により焼こうとするあの色が怖くて、抜け出せずにいる。


 ショートスリーパーにはその日になった。


 あの日から、自分が自宅に居る夢を見ては、焼かれる夢を見るようになって、気付けば顔色は蒼白になっていた。


 最悪。だけど、赤くなるより良い。


 けど、今度はあの子が亡くなったと医者が言う。


 なにかの冗談?


 それとも、医者のつまらない嘘か、戯言か──虚言癖があるのかもしれない。


 本当に、医者の癖に嘘を吐くなんてみっともない。


 いや、違う。医療ミスの可能性だってある。間違えた治療薬を投与したって事もある。


 ご冥福をお祈りします。そう言われた。


 人殺し、人殺し、人殺し!返せ、返せ、返せ!


 独りぼっちになった。冷たくなったあの子の頬は赤くない。


 脈が早くなる。苦しさが増す。締め付けられるこのやりきれない気持ちに清算をしたいというのに、仕方が分からない。


 助けて欲しい、戻して欲しい、元の家族に──。


 病院が嫌いになった。受け付けに居る退院した患者もお見舞いに来る人間も医者も看護師も何もかも、匂いも文字も形も嫌悪の対象でしかなくなった。


 羨ましい。あの人は弟と違って退院するんだ。


 代わりに死ねばよかったのに。


 お見舞いに来る人はどうせ、死にもしない人のお見舞いだろう。


 私もアレぐらいの軽い気持ちで病院に行けたらどれだけ良かったか。


 医者は絶対なんて言わない。何時も自分を犠牲にしようとはしない。


 助けるなら、死んででも助けろ。


 ヤブ、インチキ、嘘吐き、偽物、偽善者、似非、紛い者、成り済まし、見せ掛けだけの屑、ペテン師、詐欺師、医者もどきの肉塊、本物をなぞらえようとするなら弟を土台にしないで欲しかった。


 泣きもしない看護師、寄り添ったフリをしただけの他人が、大丈夫なんて言葉を掛けてくる。


 大丈夫かどうか、見て分からないのならその眼球はなんの為にあるの?金をケチった監視カメラみたいなものなの?


 盲目気取って遊んでる?笑ってる?自分は立派だって証明したいの?誇示したいだけ?腹が立つ、収まらない、止まらない、落ち着かない。


 葬式は纏めて行われた──。


 ご丁寧に色んな人が集まった。黒が特徴的な喪服で可哀想な目で私を見つめて頭を下げてくれる。


 そう思うなら、今すぐ家族を戻して。


 突然火事になって居なくなりました。はい、わかった?なんて言われたら、普通納得出来ない筈でしょ。


 私は一生出来ない。だから、縋りたい。人に縋って、生き返って欲しい。


 酸いも甘いも身体も心も全部、何もかもあげるって本音で言える。


 何もかも、本当に、本当にあげれる。


 だって、もう何も無いもの。


 だから、全部あげるから、【私を家族の居る()()に連れて行って】欲しい。


 葬式場の一室。腫れ物のような視線が堪らなくて、逃げ出した私は臆病者。


 家族との離別だと分かりたくなくて、抗うように座り込んだ。


 睡眠時間は三十分、食事は何もなし、喋った相手は集まってくれた喪服の数。


 手鏡なんてなくても分かる。今の私は死にたくないのに死にかけたゾンビみたいな醜い顔付き。


 笑われてる。笑ってる。笑ってるのは誰?


 扉の奥、二人の男性が居る。


 羨ましい事この上ない。


 でもそうか、葬式場って笑う場所なんだ。


 左側が痛む。気付いたら全身が痛い。


 私は笑う──笑って、おかしい人と思われないようにしなくてはならない。


 だって、家族の為に来てくれたのに、残った娘独り、変な人って思われたら申し訳ないものね。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ──」


 咳き込んだ。喉が既に枯れ始めていたからかな?


 皆がどうしてか私の所にやって来た。


 可哀想な視線と悍ましい何かを見るような、そんな視線。


 懐かしい。だから皆、消えればいいのに──。


 そうして、私は独りぼっちになった。


 高笑いが鳴り響く。嘲笑か哄笑か快笑か朗笑か、苦笑か失笑か冷笑か憫笑か分からない。


 でも、嗤ってる。小刻みに丹念に、明確に『時計』が嗤っていた。


 だから、壊す事を選ぶ。私や家族が笑えないのに無機質な物が笑うなんて許さない。


 誓願は訪れた。私には叶える時間が現れて、戻って、戻って、戻って、抱き締める。


 温もりが回帰する。


 あんなに熱いのが嫌いだったのに。


 飽和させない。失墜なんて許さない。喪失は巻き戻して、やり直して、無かった事にする。


 何も無いより、何かある方がいいに決まっている。


 お金なんて要らないから、友達なんて求める事も止めるから、衣服も食事も将来も健康も何も要らないから、家族を返して。


 お願い──。


 私のたった一つの家族、嫌いで、嫌いで嫌いだったけど、孤独は嫌、憐憫の眼差しを向けないで。


 可哀想なのは私だけじゃない。世の中には私と同じ人はいっぱい居る。


 私だけに集めないで、不幸なのは懲り懲り。


 楽しい事をしたい。家族皆で楽しく毎日を過ごしたい。


 要らないなんて言わない、我儘も口が裂けても、指が千切れても、眼球が無くなっても、臓器が爛れても言わないって約束するから、だから──戻して欲しい。


 なんで、死ぬんだろう。なんで私ばっかり残るの。


 何度も見た光景。笑い方が同じ、話すタイミングも動く動作の癖も寝込む姿も呼び出される時間も怪我をする流れも類似する。


 また倒れた。あの子がまた倒れた。


 許さない、許せない、許しておけない。


 容認なんてしない、否定して、拒絶して、隔絶する。


 あんな結末が嫌で、もう三十回以上も十年過ごしてる。


 また燃えた。また赤い。また焼けてる。


 ターニングポイントのある日に限って、ズラそうとしても何かしらに行き着く。


 時に居眠り運転の過失事故。時に強盗殺人。


 時に建物の倒壊でぴしゃんこ。時に──。


 弟だけ、同じ死に方、違う様子を見せてくれるのは。


 可愛い私の弟。あんなに生意気だって思ってたのに、今じゃあ唯一の救い。


 なのに、何時も移植手術の日に限って熱を出す。


 どんだけ律儀に看病しても、発症前から生活習慣を見直しても、医者と看護師を消しても、変わらない。


 なんで、なんで、なんで?どうして、どうして?


 私は一向に幸せになれない。呪われてるみたいに因果が廻ってくる。


 そうだ、悪いのは──この街だ。


 だから、弟は死ぬし、家族はちりじりになる。


 良いよね?私より苦労してる人なんてこの世界に居ないんだし、ちょっとくらい甘えても。


『空弩街』に聳え立っている望遠エリア。


 営業時間は既に終了。だけど、私なら容易に入れる。


『時間』様々ね。


 ここからなら、虫を弾き潰すように人を──。


「止めとけ。無駄に終わる」


 色が急に咲いた。誰?誰?誰も居ない筈。


 確認もした。何度もこの時間に通ってた。


 なのに、こんな事態は初めて。知らない。何、この男の人の声。


「お前の家族とお前が幸せになれないのは、お前が不正して時間を辿ってるからだ。だから世界もそれに合わせて因果を張ってくる。当然の帰結だ。文句言わないである事全部を受け入れろ、逆行少女」


「⋯⋯⋯っ!誰!」


 勢いよく振り返る。そこには黒のジャケット、濃い緑色のズボンと茶色のブーツという時期的には少し厚着な格好の男が居る。


 明らかな不審者。けれど、何故か今までの人と違って、圧が微塵も感じない。


 それが逆に怖い。


「朝倉拓也だ。喜べ、お前より不幸より人間だ。これでお前は不幸のランキングは二位に降格だ」


「⋯⋯はぁ?」


 消そうか。そうしようか?


 思わず顰めっ面となった私を不可解そうに見つめるばかりの男。


「なに不審そうな顔してんだ。お前の心を読んで答えてやったんだぞ?苦労してる人間が居る居ないとか、そんなの」


 何を言ってるの?何を喚いてる?何を語ってる?


 理解に苦しむ。頭が一気に混乱の渦に落ちていく。


「⋯⋯心を?はぁ?え、貴方誰でしょうか?」


「ん?⋯⋯あ〜、重症だな。別れてる」


 ニヤリと笑うその男。


 え?今、この男、嗤った?なんで私を見て嗤うの?


「統一してやろうか?とは言っても本来別件出来てるだけで、これはリップサービスだ」


「⋯⋯何を言って──」


「『精神分裂』を起こしてんだよ。このままいけば、お前、また可哀想な目で見られるぞ?」


「私が?⋯⋯貴方、調子に乗らないでください!」


 消す、消してしまおうか。そもそもこの時間にこの電波塔にいる事自体が不自然極まりない。


「八十五人」


「なんの数字ですか?」


 私の『精神の数』とでも言うつもりだろうか。


 ならば、私の脳はとっくに処理しきれないものになっている筈。


 今の私に別段、何かしらの異常がある訳がない。


「お前がその力使って消した数」


「⋯⋯」


 予想外。というよりも、そもそもとして、なんで消した事を知ってるの?


 なにコイツ、なに?この時間にまで戻ったのは今から八年前。


 消した数はそれ程──。いや違う、総計だ。


 何十回として戻った数も込みで言ってるの?


 数えてた?見られてた?黙認していたって事?


 じゃあなんで今更私の前に?どういう事なのか見当が付かない。


「お前の年齢考えても、計八十五人の命の重さと比べれば、ふっ⋯⋯軽いな」


「軽い⋯⋯私が?」


「軽いだろ。人殺しの命なんぞ。それとも何時から重要視されているなんて錯覚しだしたんだ?間抜けめ。青いんだよお前。歳重ねてる癖にさ。肉体年齢にでも引っ張られたか?」


「私は『常盤財閥』の次女、経験と知識は多く得ているつもりです!」


「でも軽い。人殺しは秩序を度外視した行いだ。つまり、日本社会においては不必要な存在って事だな」


 その眼差しはどういう訳か重く刺さる。


 身体をズッシリとめり込ませるように、後方から引力が発生して突き抜こうとする程に寄せられていくのを感じる。


 違う、そうじゃない。私が臆して後ろに下がってるだけだ。


 なに、どうして?認めたくない。認められない。認める意味も必要性も感じないのに、どうして臆したの?


 改めて男の顔を見る。あれ?この眼差しを何処かで見た事があった。


 よく見る視線。何時も見ている抜け出せない泥にハマったような沈んだ瞳。


 そうだ、鏡だ。


「貴方の方が、余程人を殺していそうなをしてますね」


「数が重要か?なら二人だ。命の恩人兼義理の父親と化け物みたいに強い魔女を殺した。人だけならこれだけだ」


 淡々と悪びれる様子もなく言い切って見せた。


 よもや義理の父親を殺っているのが信じられない。


「⋯⋯最ッ低ですね」


「あ〜最低だ。けど、殺した人も数えられないお前は俺もよりも下。ド底辺よりも下か、やるな〜お前」


 殺した人の数を数えている方がどうかしている。それに私が少し力を使えば死んだ人も生き返る。


 無かった事に出来て、亡くなった事が無効になる。


 だから──。


「あんなの数えられる訳がない」


「いや、数える気が無いんだよテメェは。逃げるなよ?殺した手は引き千切っても着いて回る。お前が何を望もうとな」


 もうころすしかない。流石に鬱陶しさが先行し過ぎる。


 いつもの要領で対象を見つめて【進め】か【戻れ】を念じれば、それで発動出来る。


 私の十八番。私だけの特権。私に与えられた力。


 折角だから老骨にして痛ましい泣きっ面に仕立てた後、何千回も謝罪させよう。


 後悔と懺悔を、何度も何度も何度も何度もさせて、言わせて、鳴かせて、そして最後に殺す。


 跡形もなくころし去る。


 愉快だ。本当に心の底から愉快だ。


「貴方もその仲間に──」


【進め!】───。え?なんで年老いた爺にならないの?


 間違った?手順が変わった?それとも私は何か失敗したの?


【進め!!】──変わらない、何も。目の前の男は依然として佇んでいるまま。


 何も変化がなくて、一向に進む様子が見受けられない。


「ッッ。⋯⋯⋯⋯なんで?!え?なんで消えないの?なんで!」


 次の瞬間、私の身体は地面から脚が離れたようで、身体には浮遊感と唐突過ぎる感覚に思考停止が頭を埋め尽くす。


「うわッッッ!ガハッ。あ〜、あーーーッ!」


 大きく打ち付けた地面に胸部をぶつけた。


 痛い、痛い、嫌なぐらいに肺から酸素の供給を塞き止められた感覚と嗚咽を漏らして、苦悶の表情を浮かべる。


 オマケとばかりに背中は踏まれており、ぐりぐりと体内に捩じ込まれるのではないかと錯覚しそうになる程。


 何か鳴いてる。唸り声を高らかに、それは喝采と聞き間違えてしまう程の何か。


 けれどすぐ気付いた。


 何かではなく──私の声だった。


「餓鬼だなお前。本当に。なんというか居た堪れん。哀れんでやる。ほら泣け」


「うぅぅぅぅ。お前、お前!お前ェェェェェェェ!!!」


「さてと、元の時間軸に帰ろうか。清算の時間だ。しっかりと受け止めてこい。弟の死も、家族の死も、奪った奴の人生も皆な。逃げてばかりいるからツケが回るんだ」


「⋯⋯⋯⋯逃げて、逃げて何がダメなの!?逃げちゃいけない理由って何!!アンタみたいに皆が割り切れるならそうしてる!出来ないから、出来ないから⋯⋯」


「逃げるなとは言っていない。逃げる事も手段として置いていいさ。けど、逃げて『ばかり』なのが駄目なんだ。逃げたって背後には常に付き纏うってのに、何時までも逃げてたら、その負債は積もりに積もって抱え切れなくなる。目を背けてばかりいると、世捨て人になるぞ」


「世捨て人?」


「お前、皆が割り切れるならって言うが、普通はある程度割り切るんだよ。割り切る為の努力をするんだ。何故か分かるか?」


「⋯⋯⋯⋯」


 努力なら私もした。私だって努力をせざるを得なかった。


 家族と一秒でも長くいる為に、最大限に尽くしたと言い切れる。


 それなのに、この男の答えは見つからない。


 明らかに私よりも歳は若い筈なのに、それなのに、私は答えを口にする事が出来なかった。


 視線を後ろに向ける。男は淡々と私を踏み付けて、真っ直ぐ視線を私に向けている。


 今までの大人と違う。何が違う?向けられる視線の情とも呼べるそれが違うんだろう。


 視線に対して無駄に敏感になった私は見つめる視線一つで何を訴え掛けてるか、ある程度なら分かる。


 恐怖も喜びも嫉妬も憐憫も。


 けれど、この男は普通過ぎる。慣れている所じゃない。


 普通すぎるから逆にこちらが怖くなる。


 そんな様子を察しているのか、いないのか。


 いずれにしろ、男は大きく欠伸をすると眠たそうに言う。


「自分の為だ。自分が幸せに生きる為に、生きやすくする為に苦労して、苦痛も伴って、努力して乗り越えようとするんだ。勿論、必ず実るとは言わない。だが、僅かな結果だとしても、そこからその過程どりょくを見てくれた人間は賞賛してくれるんだ。お前に足りないのはその過程どりょくだ。分かったか?小娘?」


【戻れ】


「綺麗事じゃないの!結局!!」


「何言ってんだ?綺麗事に決まってるだろ?」


「え?」


「口にしないで実践した奴が綺麗事を成せる訳がない。なんでも都合よく解釈出来るのが人の脳みそだ。思考回路だ。それにな、綺麗事なんて世の中五万と溢れてる。俺の言葉だけが綺麗事なんて思い上がりが結果として子供だって言ってんだ」


「⋯⋯お前、一体何なの?なんで、そんな事言うの?わかんない、分かんないいぃぃッ!」


 全く持って分からない。何を言いたいのか、何を教えたいのか。


 殺そうとする気も、迎え撃たせようとする気もないこの男の事が一瞬足りとも理解できない。


 話す内容、語る物言い、そこに籠った意思なにかも私は理解出来ずにいる。


 綺麗事っていうのは、現実じゃ起きない事を綺麗事って言うんじゃないの?


 都合の良い物事が五万と溢れてるのなら、どうして私の家族はその枠に入っていないの。


 押し込めるなら詰め込みたい。他人を蹴落としてでも私の家族を選ばせたい。


 たとえそれで世界人口が半分以下になっても変わらない。私の家族が生き残っていれば、それでいい。


 他は要らないもの。


 男が溜め息を吐いた。突然の溜め息に思わず視線が磁石のように誘導されて、表情を窺う。


 呆れていた。何処に呆れる要素が含まれているの?


 私が分からない事に呆れたの?急にやってきて説教垂れて、その上その顔──本当に分からない。


「なら考えろ、思考回路が焼き切れるまで考えろ。時間だって掛かって良い。人生なんて一つ二つぐらい後悔ややり残しを持って死ぬもんだ。それを含めて人生なんだから、お前も分からない事ぐらい残しとけ」


 やり残しなんてない方がいいに決まってる。私の家族が幸せになるまで死ねないように、私が幸せになるまで死ねないように。


 私は後悔を引き摺りたくない。


 一つ残せば身体は重くなって、二つ残せば鈍化する。


 三つ残せば視界は歪んで、四つ残せば今日は死ぬ。


 だから、私は人生に後悔は残さない、絶対に。


「強情だな。逃げ腰へっぴり腰な小娘の分際で」


 え?今私、口にしてた?いやしていない。


 なのに、なんで──。


「はぁ〜、なら死ぬまでに獲ろ。それだけだ」


【戻れ】


「得る?」


「自分の人生観に関わる事だ。たとえ辿った時間は三十過ぎの小娘でも、お前はまだ十代の餓鬼だ。知る義務と権利がある。好きに取捨選択して好きに自分を自分色に染めろ」


「家族を⋯⋯戻して」


 幸せな時間へと、そこらに居る人達と同じ幸せそうな、そんな時間。


 私はやり直して、戻って、また進んで、また戻るのみ。


 多少の誤差はあっても結果や顛末は何時も同じ。


『死亡』の二文字でカタがつくのみ。


 けど、この男なら、もしかしたら。


「無理だ。戻してやる気がない」


 今、なんて言った?戻せないとか、戻せない、とかじゃなくて、戻してやる気がない?


 つまり、戻せるけど気がないだけ?ふざけてる、ふざけるな、ふざけんな。


「なんでぇぇぇ!⋯⋯貴方ならどうにか出来るんでしょ!?違うの?!なら、戻して!家族を!私のッ!わ──」


「出来る。当然だ。俺は嘘は吐かん」


「⋯⋯嘘吐き」


 やってくれなきゃ、嘘と変わらない。私にとってコイツは嘘吐きだ。


 口先だけの多弁な男で、それ以上の事は何もない。


【戻れ!】


「嘘じゃねぇよ!勝手に嘘吐きにしてくれるな。将来嘘吐きになるぞ?」


「何言ってんのこの人⋯⋯⋯⋯頭おかしいんじゃない?」


「馬鹿言え。頭おかしくねぇと、こんな夜にこんな場所居ねぇよ。頭おかしいんじゃねぇの?」


 営業時間外の電波塔の中。夜空は生憎の空模様であり、星はおろか夜空すら眺められない。


 照明の類はなく、非常口へと誘導する緑の灯りがゆったりと揺らめく程度のものであり、それ以上の光源は発見出来ず。


「こんなのと一緒なんて⋯⋯常盤家の恥だ」


「安心しろ。お前は人の生において、既に恥の上塗りだ。極刑必須級だ」


「死ねと言いたいんですか?」


「じゃあ、死ぬか?」


 一瞬、ほんの一瞬──殺意が身体を包み込んだ。


 発汗が止まらない。呼吸が少しずつ、着実に荒くなって、視界が覚束無い。


 こんな事初めてだ。知らない、何これ?


 未知の刺激が身体に見えない痛みで襲ってくる。


 死ぬ?私、死んだらどうなるの?逃げられる?そもそも、さっきから私自身に『時間の力』が発動出来ない。


 なんで?【戻れ】も【進め】も自由意思。


 踏み付けにされる前に戻ろうと抗っているのに、抵抗なんて初めから無いように私は何時までも地べたに寝転がってる。


 じゃあ、どうすればいい?どう、抗ったらいい?


 何をどうしたら?どう、したら──。


「⋯⋯嫌です」


 私は結局、屈した。まるで自分から言わされたような屈辱と圧倒的な無力感に苛まれ、侵されて、最後は文字通りの小娘みたいになってる。


「どこまでも甘ちゃんだねぇ。じゃあ、戻ろうか?自分の本来の(じかん)に」


「⋯⋯っ待って!弟を、家族を戻して」


「戻しても良いが⋯⋯多分、無駄に終わるぞ?」


「え?」


 私には二つの疑問がぶち当たる。


 一つ目は『戻して』という言葉の真意が果たして理解出来ているのかどうか。


 分からず、なぁなぁで言ってるだけならば酷い人間この上ないが、何故かチグハグとした会話の淀みがない。


 しっかりと伝わっている感じがしている。


 二つ目に無駄とは何か?どうしたらそういった結末に到れるのかという事だった。


 まるで、未来すらとうに見ているように、そう呟いたこの男の真意が読み解けない。


「俺は無駄があんまし好きじゃない。それにお前の居る時間軸まで来たのも理由あっての事だ。お前の為じゃないんだ本来は」


「なんでもします!本当に!」


「⋯⋯言ったな?」


 ピクリと眉が動く。弟の為になら何でもする。


 既にそう決めているし、それが一番の優先事項。


 助かる可能性が最もあるのに、方法も手段も確立しているのに、担当する医師と心臓の移植提供者が愚図なせいで弟は死んだ。


 何時もそう。弟は悪くない。体調の一つぐらい壊れて当然の身体をしているのに、責められる謂れなんてない。


 言おうものなら即抹殺、同情なんて求めさせない。


 弟は可哀想なんかじゃない。普通と違って後天的に心臓に疾患が出来てしまっただけで、皆誰かしら、何かしらの病気にかかるこの世の中で、弟だけがまるで疎外感のようなものに放り込まれているあの空気が流れが、嫌いだ。


 珍しいも、非常にデリケートなんて言葉は要らない。


 求めているのは助かる術とその確実性のみ。


 医者が何を思ってるかなんて興味がないし、どうでもいい。


 助けたいなら、その命を分けてくれれば良い。


 出来ないくせに一丁前に医者を名乗ってるあのヤブ。


 思い出すだけで腸が煮えくり返る。


 だから、憐憫も同情的に傍へと駆け寄ろうとする声も要らない。


 必要なのは結果だけ。結果が伴って生きてくれさえすればそれでいい、それが良い。


「⋯⋯⋯⋯はいっ!」


 だから、男の口車に乗る。私の事なんてどうでもいい。


 必要なのは結果。過程じゃない。男の言う言葉だけが全てじゃないのを知っている。


 コイツは苦労を知らない。絶望も失望も知らない。


 だからそんな言葉が吐けるんだ。


 それに、男の言う何でもなんて決まっている。


 どうせ身体目当てだろう。いくらでも貪ればいい。


 何時か殺すけど。


「あ、あの」


「あ?」


「初めては、中で」


 情けない体勢でそういう私は男を見る。


 すると、可哀想な者を見る目で私を凝視して、最後には頭に手を当てて、そっと息を吐いていた。


 何かマズイ事でも言ったのだろうか?


 なに!なにをしくじったの。


「ごめんな。そのつもりじゃないんだろうが、言い方と聞かれ方によってはお前本当に危ない奴だぞ?」


「え?」


 本当にどういう意味?何を言いたいの?通訳が欲しい。


 この男の言葉を鮮明かつ明確にして欲しくて堪らない。


 思わず漏れた短い言葉に、呆れてものも言えない様子を見せた男は首を横に振って私を憐れむ。


「チッ。三十過ぎのババアの癖に、人並みの下ネタの知識ねぇのかよ。クソだな」


「な、なんなんですか!その言い方!酷い!酷すぎます!というか、いい加減その脚を背中に擦り付けないでください!服が汚れます!」


 着替えはいくらでもある。けど、この男に汚されるのが屈辱的に感じてならない。


 というか、何時まで踏ん付けてるの?


 最悪なんだけど、本当に。


「馬鹿言え。お前の衣服は俺の靴拭き用だ。今決めた」


「鬼畜ぅぅぅ!悪魔!」


「はぁ〜。これはアレだな。色々と教えなきゃダメかもな」


「え?」


 ジタバタと無駄と分かっていて抵抗するものの、それでも抗い切れずに力なく地べたと同居。


 こんな奴に。そう口にするのは容易いがした所で為す術なんてある訳がなく、むしろ返り討ちに遭うのがオチ。


 ようやく脚が背中から離れた感覚がすると、急いで私は起き上がり、真正面に男が居るように私も位置へ着いた。


 警戒心は早鐘を打ち、一瞬の隙が死へと直行するレールとなる。


 間違ってもレールを辿る訳には行かない。


 轢かれるにしろ、乗車からのさようならにしろ、私はまだ死ねないのだから。


「⋯⋯お前に一つ言っておく事がある」


「は、はい」


「お前、恋慕の情を抱ける奴を生涯で一人でも良い。探せ」


「はぁ〜?」


 コイツ、何言ってるの?何を思って、どういう経緯と結論からそうなるのか甚だ疑問が尽きない。


 もしかして、馬鹿?いや、きっとそうなのだろう。


 馬鹿じゃなければそんなら発想は思い浮かばない。


 私の表情は明らかに訝しむそれであるけど、男は構わず続けた。


「実らんでも良いし、実っても良い。探して、家族愛以外の愛情をちゃんと勉強してこい。今のお前だと、普段の言動、行動と情愛による行いでの差異が開きすぎてる。酷いまであるぞ」


「え?そうですか?」


 普通じゃないのだろうか。だって、他人より家族を優先するのは自然な事で、家族の為なら他者の犠牲だって躊躇ったらいけない。


 私はそう学んだ。そう教えられて、それが鉄則であり、絶対厳守で、必然的な物事の判断基準と思っていた。


 やはりこの男、嘘吐きか。けど、嘯いているようにも感じられない。


 酷い矛盾と悪循環だ。何時までも思考は堂々巡りをしていて、結論に対しての報酬が見合わないまま未完結してしまいそう。


「酷い酷すぎる。だってお前、今極地に辿り着いて遮二無二の頂点に至ったブラコン気質だし。目も当てられない」


「何がいけないんですか!?えぇ!!」


「はぁ〜。先に言っとく」


「お前の時間軸に居る弟と別れる準備は進めとけよ?」


 別れる?なんでそうなるの?だって、私が何でもすれば戻してくれるってそう言ったのに。


「嘘吐き!なんでもするっ──」


「それは安心しろ!約束は守る。だが、その為にはお前が去って貰わなきゃならん」


「⋯⋯⋯⋯え?」


 私は事のあらましを聞かされた。


 真実か嘘かは置いておいて、初めに感じた事は納得という二文字。


 最悪だ、最悪手の最低な姉になろうとしている。


 分かっている。私はもう、戻れない。戻ったとしても、きっと何も見出だせない紛い物。


 このイカれてどうにもならない街は私達を明確に蝕んで、今日も何処かで人が死ぬ。


 雨が降り注ぐ夜に私は一つの約束を取り付けた。

私、紫芋は医者は好きですよ?本当に。


まぁ、診察とか手術の前にある方法を話す時に医療専門用語をバンバン使って語って欲しくないとは思ってますが、基本的に医者って忙しいらしいですね。


聞いた話でしかないですけど。


しかも慢性的な人手不足。


それでも受け持った患者のカルテと睨めっこからの外科ならそのまま手術まで受け持つハードスケジュール。


あの人達、昼夜逆転とかして体調崩さんのかな?


因みに若いナースよりも三十代程度の少し慣れ始めたナースさんが一番接しやすいです。


若いだけだと、気苦労が顔に出やすくてコッチが心配になっちゃいます。


最も話しやすいのはおばちゃんなんですよね。なんであんなに話しやすいんだろ?


そして最後に、私の腕は血管が見えにくいらしい。


注射を三回打たれました。ごめんね見えにくくて。

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