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この街は今日も語る  作者: 紫芋
常盤美羽は語り切れない

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42/42

瞼を閉じて

18禁仕様じゃないから、途中で演出を露骨に変えた軟弱な精神の紫芋と申します。


エロ要素なんて、ラッキースケベで充分です。


皆さんはテストの点数を順位表として出されるのどう思いました?


私は中間ぐらいだったので、筆舌に尽くし難い点数でもなければ、有頂天に舞い上がれるようなものでもなかった為、淡々とでした。


あ、頭は良くないですよ?良かったらこんな雑な文章力になる訳がありません。


文章って書くの難しいんですよね、恐らく話すよりも。



 部屋の明かりを灯すには二種類ある。


 部屋の電気を付けてしまうか、机に備え付けられている照明を付けるかの二択。


 前者は部屋全体を明るくしてくれる。


 後者は机とその周辺のみを照らしてくれる。


 だが、この日の夜──机に備え付けられていた照明のみを付けて、部屋の明かりを付ける事をしなかった。


 准は勿論、部屋の明かりを付けようとした。


 しかし、それを遮ってわざわざ机にある電気を灯したのは藍莉からだ。


 不思議と違和感が募る。当然だ、ただでさえ明るい方が勉強はしやすいというのに、それを遮ってまで、机の電灯に固執して勉強をする意味がない。


「藍莉?お前⋯⋯なにやってんの?」


「⋯⋯⋯⋯」


「おい、お〜い。どうした?」


「ねぇ?貴方⋯⋯、本当はどうなってるの?」


 学力の心配ならば、大丈夫ではないのが准の現状ではあるが、その事に関して言っているのではないとこの部屋に居る者は──准と藍莉は当然分かっている。


 訝しむ瞳はやたらと真っ直ぐに、沈黙を許してはくれない。


「まだ言ってるのか?」


「当たり前でしょ!!」


 真っ直ぐ歩き出し距離を一気に詰め寄られると共に准は両手で押されるようにして後方のベッドに倒される。


 突然の暴力にしては痛みはなく、いきなり負荷の掛かったベッドというクッションは僅かに軋む音を鳴らす。


 程なくして更にベッドに負荷が掛かる。


 藍莉の両手が准の顔ギリギリの位置に置かれて、二人の距離はより近くなる。


「正直に言って!憶測でも推測でもなんでもいい、だから、ちゃんと言って!守らせて!」


 鬼気迫る剣幕で訴えかけるその様子は机の灯りが淡く照らす。


 同様に視線を思わず逸らしてしまう准を藍莉は薄らとした灯りが緩やかに照らしていた。


「⋯⋯⋯⋯なら、僕の勉強を手伝ってくれ。それで助けになる」


「誤魔化さないで?いい加減に喋って。何かあってからじゃ遅いのよ?それとも、もう手遅れなの?」


「っ。⋯⋯分からない」


 途端、藍莉の顔は引き攣ったものへと変わって、押し倒していた両手は脱力して、前のめりになっていた姿勢は起き上がった。


 見下ろす少年の表情を見つめて、見続けて、凝視して、最後には涙が溢れる。


「⋯⋯⋯⋯そんな。⋯⋯手遅れなのね」


「っ!なんで──」


「分かるわよ!そんな事ぐらい!馬鹿にしないでッ!!」


 怒号が一直線に准に向かって飛んでいく。


 嘘がそれほど上手く付けないという欠点があるにしても、傍からは気にはならない程度であったろう。


 問題は藍莉の方である。


 彼女は察しが良すぎる節があり、少年の不審な動きにも敏感に反応出来てしまう。


 否──その場合、出来てしまったと表現するべきである。


 些細な変化に対して鋭利に脳が働き、大きな変化には当たり前のように気付いてしまう。


 彼女、大洲藍莉は良くも悪くも見え過ぎる。


 だからこそ『幽霊』であるサナの存在も認知出来てしまえた。


 そんな彼女は准の些細な変化にも当然の如く気付く。


「ねぇ?本当にどうしようもないの?⋯⋯まだ誰にも言ってないんでしょ?だったら信頼出来る人と話をして案を出し合えば良いじゃない。違う?」


 訴え掛けるようなその物言いに、最もらしい言葉と准だって思う。


 しかし、問題は時間だ。


 自宅に帰ってきてからまだ最初の頃は舞喜も准には気付いていた。


 当たり前のように部屋に入り、ハーゲンダッツ苺味を食べていたあの時。


 しかしその後、突然見えなくなったりしだしたのが異変の始まりであり、『象願林』で女性と出会でくわしてしまってから異変が起こるまでにラグが生じている事になる。


 言い換えれば、侵行している事になるのだ。


『可視化』という『消失』に。


「ねぇ!」


 もう隠せない──出来る限りの嘘で誤魔化そうとも思っていた准だったが、貫き通せる程に余裕もなく、猶予もない。


 更に見上げれば悲壮感で生き埋めになりそうな表情をしている彼女が泣いている。


 限界だった──。


「ごめん。少なくても、僕の推測で良いなら言える」


「⋯⋯⋯⋯うん」


 時刻にして二十二時半頃──准は語る。


 ベッドには准が座り、腰を曲げて語るべき内容を纏める為に瞼を閉じていた。


 一方の藍莉は向かいの机にしまわれていた椅子を引っ張り出し、腰を下ろす。


 ベッドは低く、椅子は高めであり、ある意味では均等性の取れた高さとなった状態。


 腰を労わり始めたばかりの腰痛持ちの人間かのようにゆっくりと曲がった腰を伸ばしていき、目線が合う。


「まず、僕は誰かに見られてないと、姿が消えるんだと思う。あの女は『可視化』って言ってたんだけど、同じ土台に上がるって意味だ」


「⋯⋯続けて」


「それで『常盤美羽』に関して、姿じゃなくて『存在の消失』って仮定してる。記憶が抜け落ちたりしてる辺りがそうだと思う」


 姿が見えないだけでは説得性が欠けるが、記憶が無くなってしまったという点が『存在の消失』という『今回の現象』に起こってしまっているのだと、准は考える。


 しかし、それに対して苦言を呈するように、藍莉は脚を組んだ。


「さっきも言ったかも知れないけど、『姿が消える』と『存在が消える』のこの二点になんの違いがあるの?私には結果として同じにしか思えないのよ」


 最終的には『視認出来なくなる』という観点においては、それは藍莉は正しい。


 だが、准が言いたいのは『結果』の話ではない。


「結果はな。でも()()が違う」


 かつて朝倉拓也に言われた事を素のまんま同じに覚えている限りの身振り手振りで語る。


 一つの問題の提示──謎解きのお時間だ。


「森が火事になったとして、全部焼け落ちたってするぞ?その場合、藍莉は何を疑う?」


「人でしょ。人為的な出火原因を探ると思うけど」


 イメージするのは煙草、花火、焚き火といったキャンプ等だろう。


 湿気が多く、無風であると想定すれば意図も容易く燃え広がる──炎の森の出来上がり。


「それも正解なんだと思う」


「なによ。他に正解があるの?」


 文句にも似た口調ではあるものの、大して気に止めず准は続ける。


「そもそもの話、僕は森が火事になったとしか言ってない。その森の近くはインフラが無いかもしれないし、未開拓領域かもしれない。人だって生まれてないかもしれないし」


「天災って言いたいのね」


 即ち、落雷による火災である。


 今でこそ珍しい部類ではあるが、インフラ整備が整いだす前の避雷針が設置されていなかった頃は、高い建物や大木、その近くに居た人間が落雷に直撃、巻き込まれて感電するといったケースはあった。


「いや、宇宙人が火を付けたかもしれない」


 何言ってるの?そう顔に出てしまう藍莉。


 しかし、准だって円盤生物との接敵経験だってあるし、宇宙人が居ないとは限らない。


 少なくても一年前に比べれば信じるようになった。


「そんな顔するなよ。⋯⋯実際に見ないと分からないだろ?」


 咳払いを数度。気を取り直した藍莉は腰掛けた椅子に今一度座り直して姿勢を正す。


 下手に言葉を紡がなかったのは、呆れてものも言えなかっただけなのだが、あくまでも例え話として出された問題であると、再認識して准を見つめる。


「⋯⋯⋯⋯そうね。それはそうかも」


「結果論としては森は燃えたし、全部焼け落ちた。でも、過程一つで意図やその後の対策は大きく変わる。人為的なら逮捕や裁判。天災なら設備投入。宇宙人なら交信とかってな」


 頷く藍莉にほっとした様子を見せた准。


 こういった説明は得意な部類ではなかった為、伝わってくれた事に安堵の表情を浮かべて、両手をベッドに付ける。


「『現象』の解明に大事なのは『過程』なんだ。今回のケースも『常盤美羽』は『存在が消える』という形で姿を消した。僕は『姿が消える』っていう形で存在が消える。結果としてこの世界に生きる人からすれば『()()()()()()』って事に変わりはなくても、対処は大きく変わってくる」


「貴方の場合は『見続ける事』⋯⋯つまり『()()』ね」


 視て認めると書いて『視認』と呼ばれるその単語は曖昧な部分がある。


 人間は常日頃、眼を動かし続けて、情報を脳に送り、それが何かを識別する生き物だ。


 仮定として、フルカラーの一枚の絵を一定の距離から見つめるテストがあったとして、色覚異常の人間、視力が低い人間、眼に何も異常がない人間とで、その絵を『視認』させようとした時に一言、「これはなんの絵ですか」と問いた際、回答に齟齬が生じる可能性がある。


 車両用の信号の絵が描かれていれば、色覚異常の人間は信号とは答えられても色は判別出来ず、視力が悪い人間はそれがモヤッとしたものとしか捉えられないが、色で判別が付くかもしれない。


 しかし、視力の悪い人も色で判別した為、正しく『視認』したとは言えない。


 何せ、輪郭がボヤけている状態の為、視て判断したのではなく、知識や常日頃から近くで見ている故に記憶していた信号を思い浮かべた末に答えられただけの当てずっぽうなのだ。


 それでも出題者は「なんの絵ですか」としか言っていない為、出題者的には三人とも正解となるのが通例。


 しかし現実の、ましてや『現象』においてそんなテストのような甘い線引きは引かれはいない。


 的確かつ正しい手順と答えを持っていないと『現象』の格好の餌食でしかなく、解らない者は容赦なく()()


「だったら、蒼太が貴方を見つけられたのはなんで?」


「『認識』ってさ『思い込み』とか『前提知識』とかで変わってくるだろ?多分、藍莉と舞喜は『現象』を何度か経験しちゃってるせいで『僕が居ない』=『本当に消えた』って『先入観』を持っちゃったからだろ」


「だったら、その『先入観』を無くして見つければいいじゃない」


「簡単に言うけど、難しいぞ?表面上の『思い込み』だけで『先入観』っていうのは消えない。少なくても植え付けられてるみたいなもんだから、根っこから剥がすしかないんだ」


 藍莉の言う事の大半が准に言い含められていき、顔を顰めていく。


 募り出していく焦燥感は態度に表れ始める。


「⋯⋯じゃあ、私と舞喜ちゃんで交互に貴方を見るわよ。それなら良いでしょ?」


「あのな、そんなの出来る訳ないだろ」


「丁度テスト期間だし、少なくても三日は持つ。持たせてみせる。泊まり込み用の服も持ってこないと⋯⋯」


 まるでこれで問答はお終いとばかりに椅子から立ち上がった藍莉の腕を思わず掴んでしまう。


「おい、蒼太どうすんだ?」


「舞喜ちゃんの部屋に預ける」


「お前は?!」


「ここで寝る。最悪、舞喜ちゃんと代わりばんこに部屋を交代し合えばいいじゃない」


 徐々に早口になっていき、視線が合わない。


 むしろ、わざと目を合わせないようにする為に顔を逸らしているまであり、掴まれた腕を振り払おうと力を入れる。


 一方の准も気が気ではなかった。


 完全に様子がおかしい藍莉を一度落ち着かせようと椅子へ誘導する為に掴んだ腕に重ねるように腕を掴まれて、互いに抵抗し合う状態が出来上がってしまい、膠着状態となってしまったのだ。


 あくまでも諭す為、落ち着いてもらう為に准は出来る限り柔らかな口調で語り掛ける。


「冗談で言ってるんだろ?テスト期間と土日はどうにでもなるかもしれないけど、普通の平日はどうするんだ?蒼太の送り迎えもあるだろ?」


 遂に腕が振り払われた。


 勢いよく振り返った藍莉は溜め込んでしまったものを吐き出そうとするのを一度は耐えて、着ていた衣服の裾を掴むに留まる。


 それでもやはり我慢ならない様子で決壊したようにあらん限りで叫ぶ。


「じゃあ、どうすればいいのよッ!!このままじゃあ、さようならって言いたいの?ふざけないでっ!」


 悲壮感は昂りを見せて、酷く悲痛な様子で准の肩を揺する。


 目の前で自身の為に言わせている彼女の気持ちは痛切に感じた准の表情は酷く歪み、身体は激しく前後を行き来していく。


「もっと真剣に考えてよ!自分の事よ?危機感持ってよ!」


 切実ながらも溢れ出す言葉の端々から滲み出る優しさや、やり切れなさで溢れる怒り。


 思わず漏れる痛哭とその証拠の雫を准は拭う資格があるのかと迷い、手をさし伸ばす事はしなかった。


「持ってるさ。持ってるけど⋯⋯」


「持ってたら、お願いぐらいしてよ?別に一日二日寝ないぐらいどうって事ない」


 俯いてカーペットに零れた涙に音はない。


 荒くなる息遣いは徐々に落ち着きを取り戻していき、腕で目元を拭って准の腕を引こうとする。


「舞喜ちゃんにも伝えに行くから一緒に来て」


 一刻の猶予もないかもしれない。そう感じてしまっては止まれない藍莉は力強く准をベッドから意表を突くように立ち上がらせた。


「待て待て待て!待てって!そんな事してもお前の体調がボロボロなるだけだろ?それに『常盤美羽』の捜索はどうするんだ?」


 唇を噛み、顔を向ける。そんな様子を痛ましくも思えてしまったが、そもそも発端は自分だと感じてしまえば何も言えなくなった准は口を閉ざしてしまう。


 掴まれた腕に更に力が加わり、相対するように向き直った。


「そんなにその子が大事なの?私は⋯⋯私は!どうせなら、もっと自分の事を考えて欲しい。接してた記憶がないだけに飽き足らず、准の命だって危ないかもしれないのよ?」


「まだ、推測の話だ。それに姿が消えるだけで死ぬ訳じ──」


「同じ事よッッ!!自分でさっき言った事じゃない!」


「っ。そうだな⋯⋯」


 胸元に頭を突く。頭突きにしては可愛いもので、悲壮感と無力感に苛まれる姿を隠すように顔は見えなくなる。


 両手がそっと肩付近に触れて、布地を掴んで皺を作りあげた。


 抱き締めようとすれば可能だろう。だが、それを行おうとするも、自然と両腕は止まってしまい、脚元まで帰還する。


「お願いだから、何もしないで。このまま准が居なくなったら、私も舞喜ちゃんも蒼太だって、悲しむだけじゃ済まない。舞喜ちゃんはようやく退院したのよ?今准が居なくなったら、あの子どうするの?」


 啜り泣く声が部屋を掌握し、頭を更に突く。


 勢いに負けそうになった准はそのままベッドに座り込むも、今度は肩付近を掴んでいた両手に力が込められて、壁際に少しずつ移動した。


 かなりのスペースが空いたベッドに乗り込んだ藍莉は定位置を探るように脚を動かしていく。


 そして、ようやく落ち着いたと准が一安心したのも束の間、更に胸元に頭突きが飛んでくる。


「ん!」


「痛ァ!」


「⋯⋯⋯⋯」


 見上げられる顔は泣き腫らした顔であり、そして不服にしつつ何かを物申したいと言いたげなそんな表情であった。


「いくじなく、ヘタレ」


「え⋯⋯。あ、はい」


「もうっ!⋯⋯慰めなさいよ」


「⋯⋯仰せのままに」


 右手で頭を撫でて、左手で固定するように藍莉の身体を抱き留める。


 啜り泣く声は徐々に間隔がなくなっていき、更に藍莉から密着するように身体を寄せていく。


 長い沈黙であった。ひたすら頭を撫でて、その体温を明確に感じ取り、改めてそれを与えてくれている人物を見つめる。


 視線に気付いたという訳では決してなく、偶然ではあるが、それと同時に藍莉の腕は准の首の後ろを通って右肩から頭を通して抱き締められにいく。


 ふと甘い匂いが鼻腔を通り、瞼を閉じる。


(やっぱし、好きなんだな⋯⋯。コイツの事⋯⋯)


 はにかむ表情は口角の上がり具合で一目瞭然。


 こんな風に抱き締めたのは何度目か。


 しかし、准はそんな時でも何時も思い返してしまう。


 彼女が【走馬悼】によって一度消えた時の事を。


 あれが切っ掛けで付き合いだしたと言っても過言ではないが、人と付き合うのにアレほどのドラマは果たして必要だったのか。


 そう感じてもいた。死に目に会い、結局何も出来ずに学校に帰ってきてしまったあの日。


(あれ?⋯⋯⋯⋯死んだんだよな?藍莉って、一回。⋯⋯じゃあ、なんで藍莉は居るんだ?朝倉さん?いや、あの時は居なかった筈だ。手紙を破り捨てた覚えがある)


 不意に抱き締める力が強まっていく。


 何か、とんでもない忘れ物をしていないか、そう記憶を呼び起こしていこうとするものの、そう容易くは喚起せず、モヤモヤとした騒めきだけが残る。


「最低なら、お前はここにいぃないわよ。私が保証してあげるわよ」


 女性の声がした──聞き馴染みのない声であるにも拘わらず、条件反射のように瞼が開けられた。


 藍莉の方を見ると、未だに引っ付いたまま。


 大事な何かが欠けたままなのを良しとしない准は更に集中する。


 桐江准という少年が最も良しとしない事。


 それは『日常』の侵食にある。色が足される事を肯定し、削られる事を否定するのがポリシーであり、絶対条件。


(そうか。お前が『常盤美羽』なのか)


 顔は未だ分からず、声のみの判断。


 しかし、確かに一歩、牛歩並みにではあるが進展はした。


 それが光明にも思い、まだ取り戻せる可能性を感じた准は安堵する。


「ねぇ、准。ちゃんと()()から。だから、今から傍に居て」


 そのか細く縋るような声色に准は口を噤む。


 その代わり、准からも藍莉に体重を僅かばかり預けるようにして、それを甘んじて受け入れる。


 静まり返った静寂の部屋。光源は部屋に入った際に准が付けた机に設置された電灯のみ。


 その明かりは濃い影を残した。


 部屋の白い壁に映り込む影は一度離れて、再度頭部のみが密着する。


 大きな影がふと離れようとするのものの逃さないようにと小さな影の腕が寄越された。


 ようやく離れた二つの影は僅かな距離をたもったまま。


 小さな影は座り込んだまま、大きな影は立ち上がる。


 衣擦れの音が複数回。


 無言のまま小さな影は倒れ込み、二本の腕が上げられたのを確認した大きな影はその間を潜るように入り込み、寄せ付けるように二本の腕は大きな影を包み込む。


 そして、倒れ込んでいた小さな影へと向かって大きな影は倒れ込んだのだった。


  ━ ━ ━


「桐江先輩知っていますか?地球って元々は海なんてなくて陸だけの恒星だって話」


 山中を抜けた平げた場所、針は頂点を過ぎており、子供は既にお家にお寝んねが通例な中、僕と黒髪の彼女は仰向けとなって夜空を眺めていた。


 艶のある真っ直ぐなストロングヘアはブルーシートの上で扇子のように広げられ、黒真珠のような瞳は星の瞬きにより鮮明に光沢を纏っている。


 綻んだ口元は口紅の代わりに儚さを塗り、緩やかに届かない筈の空へ向かって紺碧色のシュシュが巻かれた手を伸ばす。


「それでも、海があるから地球なんだろ?7:3の割合で地球を作ってる訳で──」


「私は思うんです」


 僕の話を遮るように、いや急かすように割り込んだ彼女は未だ、星雲が集う星々に魅了されており、伸ばしている手を握ったり離したりを繰り返す。


「海が宇宙から飛来した氷で海を作って、長い年月を費やしてその恩恵に預かった後に地球に産まれたのが人類なら、人も立派な地球外生命体なんじゃないかって」


 彼女は地球外生命体である事になにか特別な感情でも抱いているのだろうか。


 手を伸ばす様も何処か故郷に帰りたがっている宇宙人のようにも見えるし、見上げる瞳も自然と憂うようにも映ってしまう。


 だが、この子は間違いなく地球人だし、日本人で生まれも育ちもこの『空弩街まち』だ。


「でも、地球で育ってるからなぁ」


「でも、地球は侵略出来てますよ?三割は」


「侵略って⋯⋯。お前それ、こじ付けだろ?」


 星が齎す魔性の魅力は終わりを迎えたご様子。


 僕の方へと顔を向けて破顔した。


 この先の顛末は僕は予想できる。


 予想出来てしまうから、此処に居て、話をしに来た。


 何もかもを失った彼女はそれに負けじと精一杯の笑顔を作り、浮き足立った感情を駆り立てる。


 制服の彼女は家もなく、孤独で何も取り柄が消え去った名無しの少女(ノーネーム)


 名誉あるお爺ちゃんと献身的に支えたお婆ちゃん。


 様々な事業に手を付けて大きく名を知らしめた父親と誰隔てない優しさを持つ母親。


 父親の跡を継ぐ為に邁進する兄貴も、家の方針が気に入らず兄妹以外には良い顔を見せない姉貴と、我儘で強情が取り柄の妹も、病に侵されてロクに身体も動かせない弟も全て。


「⋯⋯もし、もし私が桐江先輩の人生を苦しめるような事があれば⋯⋯。私を──殺してください」


「嫌だ」


 そんな事が出来る訳がないと、そう知っていて彼女は僕に言う。


 駄目だ、泣いていいのは僕じゃない、彼女の方だ。


 目線を僕に預けて、儚く優しい声色がそよ風にも負けそうな声量として僕の耳に響く。


「もう、分かるんです。何となく。あぁ呑まれてるなって」


「⋯⋯」


 満遍なく散らされている星を指差す彼女は口にする。


 一等星はお爺ちゃん。


 二等星は弟を除いた家族。四等星が弟。


 では、彼女はどれに該当するのか?


 神話では死んだ後、神に認められれれば星座として生涯を刻まれるという話がある。


 だがそれは選ばれた者のみの称号であり、名誉。


 彼女は何もない──そう恥ずかしそうに言い切った。


 それが堪らなく否定してあげたくて、思わず紡ごうとする言葉を遮るように彼女は僕を一瞥する。


「先輩ぐらいなんです。一緒に悪者になってくれそうなのって。だから、もし⋯⋯、もし私を殺してもどうか⋯⋯笑ってください。笑って何も無かったように振舞ってくださいね?」


 そう言い微笑む様に唇を噛む。


『現象』の発端は誰の為か──自分の為だったであろうに、友人の為、見知らぬ誰かの為にと行動原理と目的があやふやになってしまう程に底抜けに優しく儚い彼女。


 だが、世界は彼女に優しくはなかった。


 そんな彼女の為にここに来て、見届けるべく彼女を見続けている。


 先程まで上がっていた腕は僕の預り知らない内に脱力しきっており、起き上がる事もしようとしない。


 事の顛末は既に変えられないと分かり、抗おうにも術はなく、どうしようもない無力感に苛まれる僕はせめてもの賜り物として精一杯に微笑む。


「⋯⋯⋯⋯っ。あぁ、笑ってやる。お前が居ない人生でもちゃんと笑って、お前なんか居なくてもなんて事ないって、笑ってやる」


 真珠の輝きは星々にも決して負けない程に、力一杯の笑みは誰もが浮き足立つ。


「ありがとございます」


 閉じた瞼から流れた涙は一閃の流星のように疾り、ブルーシートを滴らせる。


 吹き荒む風は彼女を運ぶように消えて、僕は唇を噛み締めた。


 既に消えてしまった彼女の右手があったであろう位置に左手を添えるように置く。


 瞼を閉じれば彼女の残影は映るが、現実では影すらない。


 溢れる涙は彼女の為に捧げて、開いた口から放たれる叫びは無力な自分の為に戒めた。


 こんな結末が嫌で、こんな事にならないようにと必死に抗っても、最後には何も出来ずに終わる。


 今尚荒む風はブルーシートを揺らして、彼女が居たであろう空間を折り畳んでいく。


  ━ ━ ━


 酷い夢を見た。現実と見間違う程に鮮明に映し出されたその景色、人物、会話はもう既に泡沫に消えようとする中、僕は藍莉に起こされる。


 舞喜と協力して僕の消滅を阻止しようとする手筈らしく、一度起こしに来た藍莉は舞喜と交代し、一度帰宅。


 舞喜はそのまま僕の様子を自宅にいる間は見続けて、学校や外出は藍莉が見るという、何ともまぁ素敵な監視生活が始まったのだ。


 けれど、こんなのが何時までも持つ訳がない。


 最初はその気があるから「大丈夫」と声高らかに自信に満ちた顔が出来るのだろうが、何日も続けば何時かは破綻する。


 藍莉は蒼太の面倒だってあり、舞喜もあれはあれで自習勉強で遅れた一年を取り戻そうと必死になっているのだ。


 明らかに僕は二人の足枷でしない。


 それでも藍莉は眠たそうな顔を僅かに僕に向けて、すぐに微笑む。


 嘘のように──。


「行くわよ。今日はテストなんだから」


「⋯⋯」


「なによ?あ、もしかして自信ないの?」


「テストに自信なんて小学校以降ない」


「なによ、仕方ないわね。少し教えてあげるわよ。どうせ皆、ギリギリまで教科書と睨めっこするんだし」


「⋯⋯そうだな」


 藍莉は僕の後方を歩く。恐らく初めて一緒に登校する筈なのに、一向に喜べない。


 彼女の笑みには少し疲労を感じられる。


 そしてそれを悟られないようにと苦笑いを浮かべて、空元気を見事に演じよう切ろうと躍起になっていた。


「なぁ、家に帰ったら自宅で寝ろよ?藍莉、結局寝てないんだろ?」


「⋯⋯どうして?」


「え?どうしてって、お前、不眠不休が続く訳ないだろ?」


「寝るわよ。舞喜ちゃんに頼んで、交代ばんこに貴方を見る事にしてるから」


 どうやら僕が少し目を離していた間にアドレスの交換をしていたらしい。


 スマホを見せて、直近に送られたメッセージは既読の文字がポツリと浮かんでいる。


「おはよー!っえ!あ、ごめん准!」


「なんで謝るんだよ、ムッくん」


 睦生むつき嶺二れいじ──僕の恐らく唯一の友人で気心知れた仲なのだが、何時も持ってきている部活用の鞄を所持していない。


 テスト期間ともなると、流石に部活はないのだろうが、なら前日まで良しとしていたのはなんだったのか。


 普通、一週間前に部活は中止になる筈なのだが。


「嶺二、ちょっといい?」


 藍莉が不意に嶺二の腕を掴み、僕よりも後方に連れて行く。


「え?なに?ちょちょちょ!」


 なるほど、協力できそうな者が居れば徹底的に巻き込んでいくスタイルのようだ。


 これではまるで、独りぼっちの登校のようである。


 僕とは正反対のポリシー。僕とは違うアプローチ。


 僕とは別で解決よりも妥協案の認定。


 僕の顔は不意に険しくなり、走ってやろうかとも思ったが、それだと後で藍莉のドギツイお叱りが飛んでくると予想し、駆け足になる事を躊躇した。


 ようやく僕の隣にやってきた嶺二。


 不思議そうに僕を見ては、後方に居る藍莉に確認を取るような仕草をする。


 内容は話したが、詳しくは伝える事はしなかったのだろう。


 本当に信じて貰える事を前提に嶺二に全て話していれば、こんな態度や様子では済まない。


 良い奴故に接しているし、無理難題もなんやかんやで付き合ってくれる友人。


 そして、僕とアイツの罪の象徴。


「そうだ、准!お前、勉強したか?」


「してると思うか?」


「んーにゃ全く」


「じゃあ、そういう事だ」


「お前は大洲さんが居るから教えて貰えるだろうけど、俺なんてなぁーっ!」


「じゃあ、纏めて教えて貰えるか聞いたらいいだろ?」


「お願いしゃす!」


 振り返り、頭を下げての合掌。だが、後ろ歩きをしたままという何とも器用な奴。


 そして、頭を下げられた藍莉本人はというと──。


 なんかキレてた⋯⋯。そして肩に手を置いて一言だけ、眉を寄せて微笑む。


「嶺二?もう忘れたのかしら?」


(こ、怖い⋯⋯。寝てないって事前情報があるから仕方ないのかもしれないが、キレがぱねぇ⋯⋯)


 視線を切らすなとか、常に見張ってろとか、そういう内容を口にしたのではないだろうか。


 だとしたら、嶺二は最速で約束を破る天才じゃないか、一分も経ってないぞ。


「さーせんっ!」


「お前も負けるなよ」


 とことん友人には弱い、嶺二なのであった。


 そんな男二人が前、後ろに女性一人のトライアングルを形成して学校の昇降口を入り、教室へと向かっている最中の事である。


 やってきた喧しい女性が一人。


「藍莉〜!おっはよー!今日はご機嫌ななめだねぇ〜」


 牧原逸花。アイツと同じ『龍』だという事以外は普通のチビちゃん。


 驚くのはコイツ、髪の長さも形も何もかもが何時もと同じ事にある。


 正直、この時点で手入れが好きな女の子として受け入れられるのだろうが『龍』というフレーズ一つで全て瓦解する特殊人物に早変わり。


 陽気で明るく、分け隔てない天真爛漫っぷりは教室でも一、二を争う程の喧しさに躍り出るも、本来の性格を知ってから、胡散臭さが滲み出ているようにも感じてしまう。


 そんな仮面少女である牧原は藍莉の腕にピタリとくっついて、藍莉の顔を指で突いていく。


「恐れを知らんのか⋯⋯」


「えぁ?なんで?」


「⋯⋯ねぇ、逸花。ちょっと良い?」


「うん!良いよ!」


「嶺二、お願いね?」


「あ〜、はい」


 そうして牧原を巻き込む為、折角近くまで来た教室を一気に素通りして、女子トイレへと駆け込んで行った。


「なぁ、嶺二」


「言えないぞ!」


 まさかの口外禁止。というか当事者の僕が知らない訳がないのだから、口止めなんて無意味だろうに。


 藍莉は僕と嶺二の仲の良さを知っている。


 嶺二が僕の言葉に絆されて自由を許す展開を予期して、口外禁止なんて事をしたのだろうが──関係ない。


 何も嶺二に危害や説得をしようとしている訳ではないのだから。


「違う。ちょっと頼みたいんだよ」


「頼み?いや、でも」


「良いから聞けって⋯⋯」


 首に腕を回した僕は嶺二の顔を見て、呟いた。


 必要な物、その理由とその後、僕がどうしたいのかを短く、丁寧に。


 当然、それを藍莉に言うなという一言も忘れずに。


 これは藍莉は絶対に知らない。知る筈がないし、知っていても頭からは抜けているだろう。


 もし仮に知っていたのならば、嶺二に口添えをしたりはしない。


 何故ならば、嶺二自身も黙っている事なのだから。


 知っているのは、僕と朝倉さんぐらいのものだろう。


 テストは三日間。選択科目込みで全十二科目あり一、二日目は四科目分を受けて、三日目のみが三科目という方式を取っている。


 六月もテスト終わりと同時に七月へと差し替えるタイミング。


 席は何時もの廊下側から二番目の一番後ろではなく、廊下側から二番目の一番前の席へと移動。


 進学して最初の席、進学直後の席替えをした時が懐かしいものだ。


 縦列が何一つ変わらず、極端な前後の席移動をしたと嶺二に伝えると、ガッツリと席を移動した事を伝えられて思わず悔しかったのを思い出す。


 最初のテストは現代文。


 そこそこの自信とこんな文章問題、授業で言ってたような言ってなかったようなという曖昧なラインのものが立て続けに並んで、頭を思わず抱えた。


 そんな時、後方から視線を感じて、思わず振り返ろうとするものの、今はテスト中であり、担任が教卓近くにある椅子を引っ張り出して座り込んでいる為、カンニングを疑われてしまう。


(や、やりづらい⋯⋯)


 藍莉は廊下側の前から三番目。当然、僕の後方から監視出来る。


 というか、前列の人以外は大体出来るのだ。


 なんて、都合の良い状況。これも出席番号順とかいう名の名前順のせいであろう。


『あ行』と『か行』の人物が全然居ないのが問題なのだ。


 幸坂も僕の二個後ろの席だし、藍莉にとって都合の良いフィールドが出来上がってしまっている。


(おのれ、どうしてこう、見られながらテストしなけりゃならないんだ。⋯⋯なんの拷問だよ)


 当然、テストに対する意欲も励みもロクにないのに集中力が捗る訳もなく、夏休みは返上の覚悟を持って、僕はシャーペンを走らせる。


  ━ ━ ━


 テスト三日目の朝。残る科目は保健と音楽、最後に英語表現が残った。


 既に赤点スレスレな科目も多い中、危機感よりも不安感が募ってばかりいる。


 その元凶が今日も元気に現れた。


「おはよう。⋯⋯なんだ、もう起きてたのね」


 そう、元凶は藍莉にある。


 一日目はひたすら僕を監視し、一定の距離を保って付かず離れずであり、武島や紫島、富宮に幸坂までも丁寧に巻き込んで、テスト中は生きた心地がしなかった。


 僕のテスト用紙を見たって、全問正解花丸の百点満点な筈がない。


 見るのならば、明らかに成績上位組の藍莉か幸坂のを見たら良いものを、物好き共め。


「舞喜に叩き起されたんだよ」


「舞喜ちゃんは?」


「ここでぇ〜す」


 ソファでぐったりとしながら僕の方向を見ている舞喜は手を力なく振っている。


 限界が近い。当然と言えば当然だ。


 好きで夜中起きている訳ではないし、娯楽に走れない辺り、精神的にも体調的にも影響は出始めている。


 テスト一日目は藍莉がオールして、昨日の夜は舞喜と続いて、恐らく今日は藍莉がそうなのだろう。


「舞喜ちゃん、大丈夫?」


「あ、あの。寝ていいですか?」


「えぇ、ありがとう」


「じゃあ、お兄ちゃん。テスト頑張ってね」


 項垂れた姿勢は緩やかに立ち上がり、溶けてしまうのではないかと思うほどに弱々しく自室へと向かった舞喜の背中は小さく見えた。


 キッチンに入った僕は冷蔵庫を開けて、麦茶が入ったピッチャーを取り出して、コップに注いでいく。


「お茶でいいよな?」


「えぇ、ありがとう」


 自分の分を入れた僕は、その流れのまま用意してあったもう一つのコップにお茶を注いだ。


 今日は遅めに家に来たとはいえ、何時もあった筈の送り迎え込みならば早すぎる時間帯。


 ダイニングでキッチンを覗き込むようにして健気に待ってる藍莉。


 明らかに体調が悪そうではある。彼女の事だ、自宅に戻ったは良いが、僕の心配に蒼太の世話と家事に押されて体調を崩し始めたのだろう。


「蒼太は?」


「友達と行くって。最近、あの子、よく友達とあそぶようになったの」


「一年生で二学期前だしな。友達の一人ぐらいは出来るだろ」


「そうね。⋯⋯貴方もよくこうして飲み物を入れてくれるようになったわよね」


 ピッチャーを冷蔵庫に戻して、二つのコップの内、右手で掴んだコップを藍莉へと渡す。


「⋯⋯まぁ、折角介護して貰ってるしな。これぐらいの褒美は、な?」


「ありがとう。⋯⋯介護って言い方は違うんじゃない?私は准に生きて欲しいからそうしてるだけ」


 六月下旬の暑さは扇風機や冷房を少しだけでも付けていないと汗だくになるぐらいの気温。


 お隣であるとはいえ、ちょこちょこと顔見せに自宅に来るというのは、献身的であろうとする優しさの証明であり、僕には少し苦しくも感じる。


「分かってるよ。ちゃんと、分かってる」


「⋯⋯そう。なら良かったわ」


 椅子に座り、冷房の風が足元を涼める。


 舞喜が暑さに耐えかねて冷房のスイッチを押した為であり、物置きとなっている襖から扇風機を取り出さなければならない時期が迫ってきているのが容易に想像がついた。


 夏は既に「ハロー」と元気に声を上げてやって来ており、半袖で出歩く人間の数も多い。


 日光はカーテンの間を縫って木漏れ日のようにソファと下に敷かれた茶色のカーペットを白く鮮明に照らしている。


 今年の夏休みは彼女が居る。妹が帰ってきていて、騒がしくも賑やかな日々が期待出来るだろう。


「そういえば、夏休みに武島と富宮とでどっか泊まりがけで遊ぶって言ってて、誘われてるんだけど⋯⋯行くか?」


「えぇ、行くわ。貴方と一緒にね」


 富宮からの話では藍莉は僕が行かないと遠出には行かないと明言している。


 嬉しい反面、女子同士でワッキャしに行っても罰は当たらないと思うのだが、そんな予定もないのだろうか。


 ふと、気になってしまった。


「なぁ、藍莉。お前って女子同士で遊んだりしないのか?」


「今の所はないわ。仮にあっても多分連絡が来るの、夏休み中だろうし」


「じゃあ、予定自体は出来るかもしれないって事か」


「⋯⋯それがどうしたの?」


 コップに注いだ麦茶を飲み干した藍莉の目付きは鋭くなっていた。


 どうやらなにかを勘繰っていると勘違いされたようで、机に置かれたコップは音を立てて置かれる。


 警戒されている──まだ、自分を大事にしないのかと。


「いや、僕にばかり構ってると、友達付き合いが減るだろ?だから、牧原とか富宮とかと遊ばないのかなって思って」


「お気遣いは嬉しいけど、ちゃんとしてるわよ」


 不敵に微笑んだ彼女の目元は少し隈が出来ていて、寝不足気味なのが見て取れる。


 僕が根負けするか、藍莉が根負けするかの持久戦。


 打開策もなく保守的になってしまった藍莉と自らの命をチップとして賭けて一攫千金を狙うかの二択。


 だが藍莉にとっては良くても僕にとってはこの状況は当然不服でしかない。


『常盤美羽』を探し当て、彼女をどうにか助けなければならないのだ。


 顔も知らない、声も一昨日の夜に一度微かに聞いた程度だけど、彼女に関する記憶をなくしてしまう前の僕ならばそうしている。


 そうしなければならない、そんな強迫観念にも駆られた思いが積もり積もっていくばかり。


 終わらせなければならない日は近い。


 僕が平穏な夏休みを迎える為にもやらなければならないのだ。


 玄関を出た僕達は何時もの距離間隔で歩き出す。


 三日目は早く帰れる予定なのと、テストが最終日というのも相まって生徒一同浮き足立つ事は明白であり、二日目と比べて周りを歩く生徒達も何処か緊迫感に欠けていた。


 何時もと同じ時間にやって来た第二の刺客の嶺二も元気に駆け寄って来て、何気ない雑談を挟んでいく。


 昇降口前では牧原と出会でくわして、藍莉に飛び付き──そして何故か僕は牧原に呼び出された。


 見当は付く。藍莉の顔色の悪さから僕が不貞を働いたか何かだと思われたのだろう。


 嶺二、藍莉は先に教室へと向かい、その教室前の廊下で立ち止まった僕達。


 牧原を見ると、表情とは相反して目が一切笑っていない。


 お怒りのご様子なのは一目瞭然であった。


「桐江く〜ん、駄目だよ?藍莉困らせちゃ〜」


「むしろテスト中にガンガン視線を感じる僕も困ってるんだ。止めて差し上げろ」


「いーや!嫌ったらや!」


「左様で」


「もー。分かってないんだね〜君ぃ」


「ん?」


 チョイチョイと手を軽く振り、耳を貸せとの合図が下った。


 身長的に考えても背伸びした所で届く筈はないので、仕方なく膝を少し曲げて、牧原の顔付近にまで耳を近付ける。


「お前、私との約束を反故にしたな?」


 ドスの効いた低い声。こんなちっちゃい見た目でありながら重く響く声を出してくる。


 思わず離れて距離を空けると、視界には鋭い眼光で僕を睨む牧原が確かに映った。


「⋯⋯⋯⋯怖いぞ?お前。それに反故も何も、約束ってなんだ?」


「やーだな〜!言ったじゃん。ま・き・こ・む・な!ってさ。しっかりしてよ〜!桐江くーん」


 本当にそんな事言われたかを思い返すも、一向に言われたためしがない。


 そんな僕の様子を見て、大きな溜め息を吐いた牧原は手で何か形作っていく。


 大きさは掌サイズ程度の物でそれを書くような仕草をしていった。


 何故、口頭で言わないのかはさて置いて、確かに思い出した。


『遺伝子研究所』で散々な目に遭った後にメモ用紙に牧原が書いてあった内容を要約すれば『藍莉を巻き込むな』的な感じだった気がする。


「あー。⋯⋯今回は僕が巻き込まれて、藍莉が勝手に関わって来たんだ。僕だけのせいにするな」


「ふーん。⋯⋯手すりが消えた奴でしょ?」


「そ、そうだよ」


「⋯⋯⋯⋯まぁ、私には関係ないし〜。あれだけど、一つ助言しとくね」


「助言?」


 瞳が僅かに揺れた、そう錯覚しそうになった僕は牧原の赤くなったその瞳を見つめる。


 感情の昂りによって瞳の色が変化する『龍』の特性。


 それと共に微かに下卑たような笑みを浮かべて口にする。


「なんで君の中に『いや〜なモノ』が入ってるの?」


「え?な──」


「なんだそれは?!」と聞こうとする僕の言葉を遮るようにチャイムの音が鳴らされた。


 間の悪い事この上ない限りであり、クルッと僕の身体を教室側へと促した牧原は背中を数度、軽く叩く。


「あ!鳴ったー!はい、じゃあ先頭歩いて〜、命令だから」


「あ、おい!」


「桐江くんも難儀だねぇ」


「お前が力貸してくれたら、楽なんだよ」


「無理だよ〜。朔くんを捜索しようと今も躍起になってる詩葉ちゃんで手一杯だもん」


 それを言われると何も言い返せない。


 僕は直接、詩葉の弟である朔を見ていない為、分からないが、聞いた限りでは生きていない可能性がかなり高い。


 伝えたが受け入れて貰えず、あの研究施設も【八咫烏】による『夢の世界』に送り込まれてしまうほんの少し前に爆心地として粉々となってしまっていた。


 跡形もなく。


 相も変わらず、視線は浴びられていた。


 しかし、人間というのは『慣れ』というものがあり、僕もその『慣れ』というものが起きてしまったのか、二日目よりも視線による影響、つまり妨害は大して気にはならなかった。


 問題が大して解けないのだから、妨害もへったくれもない。


 視線ありきでもなしでも恐らく一、二週間先に張り出されるテストの順位表には何ら影響は出ないのだ。


 悲しい事に──。


 三時限目に行われた英語は特に駄目であり、分詞構文が特に理解し切れないでいる。


 中学の時からそうだったのだが、現在進行形の『ing』がどうして『Because』とくっ付いて『Being』となるのか、何故この英単語が犠牲にならなければならないのか。


 そもそも『Because』って『〜だから』とか『なぜなら〜』みたいな意味だったのに、現在進行形の『ing』とくっ付いたら、『今だから』とか『何故今?』みたい感じの意味にならない理由を単純に知りたい。


(考案して採用して浸透させた奴マジ出てこいよ。使うとこ多すぎて、頭はち切れそうなんだぞ!)


 シャーペンは進まないのに、悪態は進む、進む。


 きっと僕は生粋の日本人で、外国の言葉は和製英語で充分お腹いっぱい。


 もう、当分は英語なんて、見たくない⋯⋯。


「終わったーーー!!」


 声を上げたのは武島。全ての試験を終了し、ホームルームもそこそこに帰り支度を済ませた僕はようやく始められると背を伸ばす。


「准。はい、これ」


 声を掛けたのは嶺二である。


 藍莉は僕の近くに嶺二ことがやって事で気が抜けたのか、近くにやってきた富宮と牧原と談笑を楽しんでいた。


「サンキュー!」


 手に取ったそれをズボンのポケットにしまい込み、存在を確かめるように外側から軽く擦る。


「一応聞くんだけど、お前大丈夫なのか?」


「大丈夫にする為に使うんだって。悪いな、わざわざ」


「いや、良いけどさ。大洲さん、怒んない?」


 間違いなく怒るだろう。しかし、僕はそれでも構わないといった様子を見せた。


 牧原から飴を貰い口に含ませながら、富宮に肩を揉んで貰っているお疲れ模様の藍莉の視線がコチラへと向く。


「どうだろな。多分、僕には怒るんじゃないか?」


「おいおい」


「心配するなって。そっちに火の粉は撒かせないって」


「⋯⋯俺はお前が心配だよ。全く」


 肩に腕を乗せて言われる台詞ではないのだが、この際まぁ良い。


「そうだ。テストも終わったしさ!どっか遊びに行かないか?」


 その言葉に僕は歓喜の念を持って嶺二へと向けた。


「おお!良いな!」


 夢が溢れるようである。偶には映画を観に行ったり、バッティングセンターに行ってかっ飛ばしたり、ボウリングでストライクを取ってみたりと、想像力だけは無駄に一丁前な僕はワクワクが止まらない。


「あ、でも。金欠だから、ゲーセンとかはNGな。コンビニかショッピングモールとかで頼む」


 あれほど熱くなった気持ちは一気に冷え切った感覚がする。


 しかし、金欠なんて言われてしまったからにはどうしようもなく、『夢の世界』でも六千円借りっぱのままだった事もあってか、文句の一つも出てこない始末。


「じゃあ、コンビニだな」


 正直、近いから選んだに過ぎないのだ。


 ショッピングモールはこの暑い時期に徒歩で向かうには遠く、自転車なら十分前後で着く。


 しかし肝心の自転車はゴールデンウィーク中に『虚象』の巨大な胴体によってペチャンコとなってしまった。


 請求書でも叩き付けてやろうかとも思ったが、そんな事をすれば「ならば、私に乗れぇぇ」なんて言い出しかねないと思い、結局言えずにいる。


「というか。お前、自転車いつ買ってくれるんだよ?徒歩で通学も良いけど、お前買ってくれなきゃ、俺がいつまでも乗れないんだぞ?」


 そんな僕の自転車(マイ・バイク)を喪失してしまった僕は何気なく「一緒に徒歩で学校行かね?」と言うと「いいぞ!」とまさかの了承を頂いたのだった。


 はっきり言えば、どちらでも良かったのだが折角なので嶺二を巻き込んだに過ぎない。


 巻き込み事故って奴だろう、最低だね。


「あー。夏休み中⋯⋯追々かな?」


「スマホは?」


 命の代わりに消えた僕のスマホ。その後継機の目処も立っていない。


 夏休み中に求められる出費は膨らんでいくばかり。


「それも⋯⋯追々」


「お前、なんか失ってばっかだな?ちゃんと大事にしろよな?」


 その言葉は妙なぐらいに心に突き刺さる。


 正直、そのまま返してやろうかとも思ったが、その気持ちはグゥっと閉じ込めて、しまい込んで、なかった事にした。


 そんなこんなで近くのコンビニへと僕と嶺二、そしてその後方には距離を僅かに保っている藍莉も居て、武島と富宮と紫島と幸坂も居る──なんで?


「なんで居るんだ!?」


「なんだ桐江、居ちゃいけないのか?」


 居るというよりも着いて来ているに等しい。


 とはいえ、誰に着いて来ているかは流石に察している。


 是非、元凶にお声掛けの後、対応して貰いたい為に、その人物に声を掛けた。


「おい藍莉。お前のお客さんだろ?接待しろよ」


「嫌よ。私は慈善団体じゃないの」


 あちらは良かれと思って着いて来ているというのに、この仕打ちは酷い。


 それを言い出したら、僕は藍莉に着いて来いとは一言も言っていないのだ。


「桐江くん、ご機嫌ななめな様子ですね」


 一番後方に居た筈の幸坂、その友人の紫島が僕の隣まで来て、覗き込むようにして言う。


 しかし、幸坂は勘違いしている。別段、不機嫌という訳ではない。


 武島が藍莉の後を犬のように着いて来る事なんて、日常茶飯事であり、やる事為す事に藍莉という動機が度々くっ付いてくるモンスターみたいな男だという事は僕にも分かる。


 だが、モンスターに人の言葉は分からない。


 調教出来るのは藍莉のみで、彼女の鶴の一声で収まるならとっくにどうにかなっている筈。


 つまり武島は制御不能のモンスターだ。


 そんな奴相手に今更不機嫌になっても仕方ない事でもある。


「いや違う。そうじゃなくて暑さでそう見えるだけ」


「分かるぜぇ。思わず顰めちまうよなぁ」


 紫島が眉間を指差して同意を求める。僕も合わせるようにわざと眉間に皺を寄せてそれらしくした。


「八月はもっと暑くなるんだよね」


「大会の日もヤバいんじゃない?」


「大会?⋯⋯サッカー部の?」


「そうよ。もう予選が始まる頃よね」


 予選とかあるのか。僕は高校サッカー事情を何も知らない。


 リーグとか選手権とかを口にされても、何がどう違っていて、わざわざ幾つも大会がある理由に疑問を感じてしまう。


 夏と冬の季節に大会があるというぐらいならまだ理解の及ぶというのに⋯⋯。


「そうだ!藍莉も応援来る?」


「うーん。どうしようかしら」


 考える素振り──その筈なのだろうが、視線は僕へ向いている。


 また、僕の発言一つで彼女の動向に変化を齎すようだ。


(行きたいなら、行けばいいんだよ?)


 友人が頑張っている姿を観戦しに行く事自体、何も悪い事もないし、応援するなら越した事はない。


 なんなら手を振ってくれるかもしれない。


「桐江くんも行きますか?道案内ぐらいなら出来ますよ?」


「おお、准も俺達の応援の為に是非来てくれるのか?チラッ!」


 どうやら、藍莉を見ている様子を幸坂は勘違いしたようで、「僕も行きたい、けど声掛けられないよ〜。ピエン」と思われているようだ。


 何よりそれに一番乗りするように嶺二が話に入って来てしまった。


 普段から嶺二には迷惑を掛けてる事の多い僕も彼の頼みはあまり無下にはしたくない。


 しかし、それはそれとして「チラッ!」と口に出したのは鼻についた。


「それ、流行んないぞ。⋯⋯うう〜ん。どうしようかな?」


 落ち込む嶺二に、僕の答えを待つ幸坂──だけではないようで、よく周りを見れば武島や富宮、紫島、藍莉も僕の返答を待っている。


 僕が行っても戦力は一ミリ足りとも変動しないというのに凄いプレッシャー。


 特に武島は僕が来れば、ボタン一つ飲み物が自動的に注がれるように藍莉も着いて来るのだ。


 彼にとってはある種の分岐点とも言える。


 しかし仮に、僕が応援に来た試合で惨敗なんて見た日には、来るんじゃなかったと後悔の念を募らせるのは回避したい。


 よって、僕の答えは一つ。


「いや、いいや。どうせ僕が居ても、負ける試合の時は負けるんだし」


「アンタ、それ本音で言ってんよね?」


(ごめんね。僕、サッカーボールと友達になるぐらいなら、友達はいらない人間なんだ)


 本音も本音。だって、2対0が一番危ないスコアとか言われてるスポーツを僕は好めそうにないのだ。


 安心しきって、心行くまで観戦したいのにハラハラしっぱなしなんて、たまったものじゃない。


「桐江、お前。協調性がないと藍莉も困るぞ?なぁ?」


 そう、藍莉に託すようにして言葉を発する武島の表情は焦りが見えた。


(どんだけ藍莉に来て欲しいんだよ)


 もはや執念めいたものを感じてしまう。


 だが、そんな執念の化身に投げ掛けられた言葉に対して藍莉は飄々としながら武島の方へと向く。


「私は何も困ってないわよ?」


「だそうだ!凄いぞ、桐江」


「お前、マジで情緒不安定だな」


 そんなヨイショな接待ご贔屓な男の顔を窺う富宮の表情は複雑なものであったのを、僕は見逃さなかった。


 彼女が何を思っているのかを武島は気付く必要性すら感じない様子で、隣に居る藍莉へご執心。


 理解した気でいるのに、最後まで心境を吐露しない。


 理解していると思い込んで、何時までもなぁなぁの関係を続けていれば、いずれは綻びが生まれるだろう──いや、もう既に生まれている。


 まだ、その綻びが小さなだけの事。


 気付いて貰えると信じ続ける富宮。


 分かっている癖に引き下がれない武島。


 そんな二人を中心に歪みは大きくなって、貼り付けただけの歪性はやがて露わになるだろう。


 そう、遅くない時期に。


 僕もまた怖くて心境の吐露が出来ない人間なのだから二人の気持ちは何となくだが察せられる。


 伝えられれば、認めて貰えれば、納得してありのままに受け止めてくれればどれほど気が楽か。


 だが、現実はそんなに甘くはない。


 でなければ僕は嶺二から受け取ったりはしないし、実行しようともしないのだ。


 きっと今の僕達の方が富宮と武島よりも複雑化してしまっていて、歪なものにも思えてならない。


 ──だから、その均衡を僕は破壊したいのだ。


 途中で嶺二、幸坂、紫島と僕とでよく会話をするようになり、対して一躍ハーレムを迎えた武島だったのだが、コンビニに入って買い物を始めると男子は男子、女子は女子とで別れるようになってしまい、気付かない内に武島はこちら側に参加していたのだ。


 ここに牧原が居れば、ある意味仲介役、橋渡し、垣根を超えた伝達役として大いに活躍出来たのは想像に固くないのだが、当の本人は詩葉の様子が気がかりでとっとと帰ってしまっていたらしく、テスト終わりのお出掛けには不参加。


 しかしその一方で逆に良かったのではないかと思う。


 多分、彼女は気付いていた可能性すらある。


『龍』はイヤに聡く、意固地であり、優秀な存在な為、居なくて逆に僕は安堵していたのだ。


 武島の名残惜しそうな顔を一瞥して、とっとと自宅へと僕と藍莉。


 舞喜が部屋から顔を見せるまでは藍莉は僕の監視をする事となっているので、離れて行動するというのを固く厳禁としている。


 その為、先程まであった緩やかな雰囲気は何処へやら、暑い季節に差し替っているというのに冷たく、棘が背中を刺すような緊張感があるものへと変化してしまった。


 コンビニ袋から引っ張り出したカップアイス三つを冷凍庫に入れて、キッチンで昼食の準備をし始める藍莉は僕から視線を切ろうとしない。


「お昼ご飯、パスタで良いわよね?」


「⋯⋯あぁ、良いぞ。舞喜起こすか?」


「作り置きするから大丈夫。あの子にも無茶させちゃってるから、休ませてあげたいもの」


「そうか、それもそうだな」


 視線の先には部屋が一つ。その室内には舞喜が眠りに付いており、今もイビキでもかいているのだろう。


「何味がいい?たらことミートだけだけど」


「お任せでいい」


「そ、ならたらこにするから。パスタ引き出しから取って」


「はいはい」


 鍋には水を注ぎ込んで、沸点に至るまでを待つ藍莉と、その隣で律儀に待つ僕との間に会話はない。


 ふと、扉が開かれる音がし、僕達は同時にその音の方へと視線を向けると、舞喜が眠気まなことなった目元を擦るようにして現れた。


「おはよう〜、あれ?ご飯?」


「舞喜ちゃんも食べる?」


「食べます。私はたらこ!」


「だと思って、今用意してるから」


 たらこパスタの絵柄がパッケージの袋を手に持ち、見せるようにする。


 それを確かめるように見た舞喜が頷いて歓喜の表情で洗面所へと向かっていく。


 それを僕は目を追って、少し微笑んだ。


 出来上がったのは僅か八分程の事。


 藍莉がパスタの様子を見ている間、舞喜が代わりに僕の様子をダイニングから監視して、僕はというとコップ三つに麦茶を注いでいた。


 藍莉が来てからキッチンで料理をする機かがメッキリなくなってしまい、今は藍莉の独擅場。


 丸くて平状の皿を三枚キッチン台に置いて、僕はとっととコップを持ってダイニングへと移動。


 そして準備が整ったとばかりに一足先にダイニングチェアに腰を下ろした。


「じゃあ、食べましょうか」


「いっただきまーす!」


「いただきます」


 蒼太は家に居ない為、僕達三人だけの食事。


 この三日間で散々体験した光景である。


 疲れが溜まっているのが目に見えて分かる藍莉の目元は僅かに隈があり、あれほど快活に手を合わせて「いただきます」と言っていたのにも拘わらず、フォークを手に取る時には眠たそうにしている舞喜。


 僕のせいで疲れている。僕のせいで今、そうなってしまった。


 今後もこれが続くと想起させられて、何時かは区切りを付けなければならない。


 だから、()()()()()()()()()()


 熱い食べ物には飲み物を──。


 ポケットには中身のないシートが一枚。


 二人がコップに注がれた麦茶を口にして、パスタを口に放り込む。


 僕は何も知らないフリをし続ける。ただ黙々とひたすらにパスタを口にして、二人が食べ終わるのを待つ。


 談笑に僕も混じって、なんて事のないように振る舞う。


「⋯⋯准?どうかした?」


 不意に藍莉が聞いてくる。舞喜がなんの事やらとばかりに僕と藍莉を交互に見る。


「なんで?」


「いや、なんだか様子がおかしいから。もしかして美味しくなかった?」


「いや、美味しいよ?皆で同じ物食べてるんだから、()()()()違うのなんて、おかしいだろ」


「そうよね」


「お兄ちゃんが美味しそうに食べないからだよ?」


「僕のせいか?」


「ふふふ。きっとね!」


 覇気のない声に自慢げな言葉。


 食事は景気よく終わった。コップは僕の以外のを除けば空となっており、皿だけを僕は洗いに行き、二人はリビングのソファで寛ぎながら待機。


 瞼が重くなっているのを目視で確認した僕はキッチンからリビングへと向かう。


 時間のようである──藍莉が盛大な欠伸をした事が合図の時間。


「大丈夫か?」


「えぇ。大丈夫よ」


「うぅぅぅんん。あれ?なんの話だったっけ?」


 ふと、談笑するべく隣で座って居る舞喜を見た。


「舞喜ちゃん?⋯⋯⋯⋯」


 身体を揺する彼女、しかし舞喜は起きない。


 唐突な眠りに不審感を持った藍莉は僕の方を見る。


 そして、キッチンの上に未だ口すら付けていない中身がたんまり入ったコップを見て気付いたのだろう、一気に表情は固くなり、僕を凝視した。


「⋯⋯貴方まさか、薬を──」


「⋯⋯悪いな。嶺二を味方に付けるなら、睡眠薬ないと寝れない事ぐらい、把握しとくんだな」


 嶺二は過去の事件の影響で寝れなくなってしまう事がある。


 処方された睡眠薬を飲む事で無理矢理睡眠を促しているのを知っているのは僕と朝倉さんのみ。


 藍莉がソファから降りて、這い寄るように僕の手を握る、力強く。


「なんで?!私、頑張って、ちゃんと──」


「頑張り過ぎなんだよ。もう休め。寝るまではちゃんと見ててやるから」


 見てられなかった。流石に体調に影響が出るまで、面倒を見て貰おうなんて考えていない。


 ましてや『常盤美羽』は今も行方不明で『日常』の色が一つ欠けた状態であると認知している。


 僕はそれを甘んじてやるつもりもないし、許すつもりもない。


「お願い⋯⋯駄目」


「悪いとは思ってる。でもこうでもしないと藍莉。お前はずっと無理しっぱなしだろ?だけど、もう良い。ありがとうな」


「いやだ、いやだ。お願い、ずっと居て。居てくれなきゃ許さない」


「僕も許すつもりはない」


「え?」


 カーペットの上に座った僕。それに対して、睡魔に負けないようにと縋り付いてくる藍莉の瞼は徐々に閉じられていく。


「僕は『常盤美羽』と確かに関わりがあって、僕のせいで孤立させてしまったのなら、責任を果たさなきゃ」


 僕が『厨二病』を演じさせたが為に『孤立』して『常盤美羽』は消えた。


 そう思っている。富宮と話した時に感じて、薄々思っていた責任の有無。


『監視役』としての命が残っているのなら、ここで果たさなきゃならない。


「⋯⋯でも、貴方は──つもりで」


 声は薄れていく。身体に触れる手の力は弱くなっていくのを感じる。


 それでも僕は淡々と言葉を紡ぐ。最後まで見届ける為に。


「それでもだ。僕しか見つけられないなら、僕がやるべきだ。僕のせいで消えたなら、僕が戻してやらなきゃフェアじゃない」


「なら、貴方が──居ない私は──。────」


「おやすみ」


 瞼を閉じて、眠った。膝元に乗った頭は勢いよく落ちて、眉間に皺を寄せて眠っている彼女を見つめる。


「⋯⋯酷い寝顔」


 優しく梳くようにそっと頭を撫でて、脚に掛かる彼女の重さと温もりを感じるべく、瞼を閉じる。


 さようなら。それでいい、これでいい。


 いくら自分が安心出来る存在が傍に居ても、僕には『常盤美羽』を見捨てる理由にはなり得ないと分かった。


 記憶もなく、顔もロクな知らない女の子。


 世界に愛されず、悲劇を地で行くような人生と『時間の掌握者』にして僕の後輩をどうしても見捨てる事が出来ないこの心情を抑えるなんて、死ねと同義だ。


 僕は今日、この瞬間、人から視認されなくなる。

もう一個の作品も執筆しつつ(アッチは不定期更新)書いている為、ペースが曖昧ミーマインドである紫島です。


皆さんは薬の使用はパッケージ、説明書をよく読み、しっかりとした服用を心掛けましょう。


薬も過ぎれば毒となるという言葉もあるぐらいに睡眠薬だって決して無害とは言えません。

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