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この街は今日も語る  作者: 紫芋
第1シリーズ 大洲藍莉は語る

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生命の残響

 伝えたい想いは募る。


 願った筈の空想を具体的にして、輪郭は形成されて欲しいと願わずにはいられなかった。


 擦れて違いによって発生した摩擦熱は歪な常態へと招いていき、私が私だったものが少しずつ溶けて消えていくのを誰かが良しとしない。


 これは私ではない誰かの宝箱《キボウ》。


 それは私のたった一つの愛情《リソウ》。


 あれは私が欲したと想う心情《セカイ》。


 なのに、どうしてなのだろうか。


 どうして、溶けて泡沫《あわ》となって消えそうな自分を否定している自分がいる。


 頬に滲む赤い鮮血を誰かが拭ってくれた。


 今では、手を伸ばしてみても、顔を上げても、瞼を開いても、声を上げても、何も感じない。


 小さな小さな宝者(そんざい)は胸に寄って来る。


 私は私を知っている。


 知らない私を知っている。


 返して欲しかった。


 求めて欲しかった。


 欲して欲しかった。


 視界に広がるのは、私を形成した一部分が二つ。


 優しくひ弱な部分と、理想を高く持った愚者な部分。


 過去の失敗は尾を引く。


 引いて、靡いて、錆びて、枯渇して、そして朽ち果てた。


 抱き締める宝者(そんざい)は小さく嗚咽して、それを輪郭がボヤけた視界に収めて、抱き締め返す。


 そして、我慢は頂点を超えて、臨界に達して、鬱屈は瓦解した。


 気付けば、私の存在は溶けた。


 あれほど否定していた筈の泡沫が心地良く感じて、それで良いと望んでいる。


 その筈なのに、そうじゃない私も確かに居るのだと知ってしまった。


 誰かの腕を掴んだ。


 掴んだ腕は心許ない筈なのに同時に暖かな温もりをくれる。


 私の創傷はゆっくりと癒されていく。


 単調で馬鹿なほどに単純な私は心地良さに身を任せたかった。


 けれど、それはすぐに終わるのだと、頭ではなく、心が理解してしまい、暖かな部屋でボヤけた視界で唸るのみ。


 我慢強い貴方に捧げ物は要らない。


 嘆く暇をくれない貴方に空想《ゆめ》は要らないと、そう思えば思うほど、貴方は傍に近付こうとする。


 泡沫の時間は戻らない。


 喜劇は悲劇となっても、惨劇は喜劇にはならない。


 それでも、未だに離れないたったの約十二時間がこれほど愛おしいのだと気付いた私は愚か者以外の何者でもない。


 伸ばされた手はどうしてだろう、身体の側面を熱くする。


 抱き締められたような感覚が膨らんで大きく輪郭を保つ。


 存在は曖昧となって、意識は溶け出して、形は徐々に意味を失っていくと言うのに。


 それでも、泣きそうな貴方を見ていられない。


 私は小さく愚かな博愛者。


 狭く、深く、狭く、深く。


 それを良しとするのなら、貴方だけに伝えたい。


 双律の音色が重なる事を良しとするのなら、どうか伝えたい。


 私をもう一度抱き締めてください。


 私を私のまま、貴方の元へと生きたい。


  ━ ━ ━


「待ちなさぁいな!」


 突然響いた女性の声に准《じゅん》と藍莉《あいり》は思わずその声の方向へと顔を向けた。


 初めにその存在に驚いたのは准であった。


 よもや、お前が来るのかよ、とばかりに顔を引き攣らせて目を細める。


「うわぁ、トッキー⋯⋯⋯⋯」


「誰がトッキーよ!常盤《ときわ》美羽《みう》。いい加減、ちゃぁんと、私の名前を呼びなさいよね!」


「桐江くんの友達?」


「うーん」


 准もこれには反応に困ってしまう。


 常盤美羽は決して友人ではない。


 けれど無関係な他人とは決して言えず、どう表現したものかと頭を悩ませる。


「一緒に世界を壊そうとした仲じゃあない!恥ずかしがらなくても良いのよ?」


 ふふん!と下手くそなドヤ顔をしながら、腰に手を当てポーズを決める美羽の言葉に藍莉は准の方へと視線を向けた。


「壊そうとしたのはお前だけだ!僕は一切その手の事に協力していない!」


「あら?酷い男。永遠を誓いあった仲なぁのに」


「え!?」


「監視してるってんだ。お前、沸点の上がり幅パないから、あの人からも警戒されてたぞ?主に進路」


 そう、かつて小さな救済を准に与えてくれた人物もこの美羽に関しては本当に心配していた。


 身をどれほど焦がされようとも、あらゆる苦渋と屈辱が身に降り掛かろうとも自分の意志と我を突き通すある種の唯我独尊。


 一週間前に過ぎたばかりのゴールデンウィークに発生した『現象』の主犯格にして諸悪の根源。


 お目付け役という名目で准は時々彼女の様子を見に行っては、度々絡まれる羽目になっている文字通りの元・トラブルメーカー。


 それが常盤美羽なのだ。


「あら?魔法の道を極めた私の同志であるところの彼からも一目置かれていると言ったとぉころね?」


「純粋に頭の心配してたんだよ。あの人曰く、魔法はこの世界には無い。類似している出来事が起きて、その結果で魔法として見えてるだけの話だってな」


「つまぁり!!私はその結果として魔法を起こした優秀な魔法使い(マギア)ってことね!」


 黒く手入れをしていないボッサボサの長い髪はブワッと靡かせて、変なポージングを炸裂させる。


(親御さん、マジで苦労してんだろうな⋯⋯)


 少年は彼女のご家族とも顔見知りである故、その疲労と徒労は計り知れないものと知っている。


「カッコイイ言い方しても駄目なんだよな⋯⋯。見ろ、コイツ引いてんぞ?」


 向けられる視線の先には、自己紹介して僅か数秒で見た事も無い表情で唖然としている藍莉が佇んでいた。


「ふん!私の視界には映っていないわね!消えて、恥を知ぃりなさい!!」


「消えんのはお前だ、馬鹿。茶化しに来たんなら教室でボッチしてろ」


「あぁら、これから教室でボッチが確定した人の言う台詞じゃないわね?」


「っ!⋯⋯煩いなぁ⋯⋯分かってるよ」


 教室の前でアレだけの事をやって、目立たない訳がない。


 今日から『ヤバい奴』というレッテルは准の物となりペタペタと貼りまくられる事だろう。


 けれど、それはあくまでも二の次。


 准は美羽とはそこそこだが既知の仲ではある。


 少なくても茶化す事を目的にわざわざ教室から抜け出して部室棟までやって来る人物ではない事を知っている。


 どれほど巨悪の根源であろうと、その理由や切っ掛けは意外なものだったりするのだ。


「んで、なんでここに居るんだ?」


「あぁら?居ちゃ悪い?可哀想なぐらいに憤怒の情をばら撒いて、挙句には友人から心配の心情を向けられている事にも気付かないお前を。⋯⋯笑いに来たのよー!」


 高笑いを目一杯に口から吐き出す美羽だが、妙なぎこちなさが残っている。


 明らかにわざとやっているのだと藍莉すらも理解出来る程であり、むしろ心配そうな顔すら浮かべていた。


「あぁ、要は心配だから来てくれたのか。ありがとう。大洲《おおしま》、心配すんな。コイツ、厨二病な事とやり過ぎな事を除けば基本良い奴だから」


「えぇ!今の会話に心配されてる要素あったの?!むしろ、この子の方が心配なんだけど⋯⋯」


 驚きで目が点になる藍莉は交互に目配せしていく。


 明らかにヤバい扱いなのは准の方であり、半透明とは言え女子生徒を無理矢理連れ出した挙句、恐喝までやっているというのに、なんて事のないように言葉を紡いでいく精神構造であった。


「⋯⋯ねぇ、桐江くん。私⋯⋯⋯謝られてない」


「僕は謝らない。お前は偽物で、僕にとってはアッチが本物だ」


「⋯⋯⋯だったら、スマホ返して!」


「ほら」


「雑っ!」


 ヒョイっと投げたスマホを両手で数度落としそうになるものの、辛くもキャッチした藍莉は睨むように准を見る。


 けれど既に准の視線は美羽の方に向かっており、眼中になかった。


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 逃げるなら今!そう思い、そっと脚を動かそうとする────。


「逃げるなら全裸にして放置すっからな。黙ってそこに居ろ」


 牙を向いたように視線が通う。酷く冷たいその視線に萎縮した藍莉はピタリと動きを止めて、立ち止まる。


「⋯⋯⋯⋯さいてぇ」


「お互い様だ」


「だから!⋯⋯⋯⋯もう、いい。分かった」


 遂に諦観した様子を見せて座り込む。


 今の准なら確実にやるという実感が身に染みて分かる藍莉は体育座りで縮こまってしまう。


 一方の准は突然やってきた美羽へ再度視線を向けて声を掛ける。


「何の用だ?見ての通り、暇じゃないんだが?手早く済ませてくれないか?」


 僅かに高圧的なその物言い。けれど美羽は気にも留める様子はなく、ブレザーを少し指で摘みだすと、横へと靡かせるように払った。


「私は一つ、いい情報持ぉってるわよ!ブワッ!」


「え?お前、今回の事で何か知ってる事があるのか?」


 数秒。擬音を遂に言葉に混ぜ込んでしまった事に激しく哀れんだ准も、目の前にいる存在が今回の『現象』に対して一途の希望となりつつあるとなると目を輝かせた。


「えぇ、私が以前契約した魔物の影響ね。そのお陰で、今回の事で耐性があぁるみたいなのよ⋯⋯。貴方と違って、ね?」


 記憶にございません、とばかりに准は訝しんだ。


 悲しいかな、美羽は耐性があるのは事実で契約したのもまた事実なのだが、決してそんな生易しい表現では語れない状態だったのも事実。


「契約にしてはやたらと取り憑かれてたし、それに──」


「煩いわよ!うぅ、なんで私のカッコイイ台詞丸々全部否定するような言い回ししようとするのよ!」


「⋯⋯なんだ、ま(・)だ(・)ちゃんと喋れるじゃんか」


「ふふ。⋯⋯ふふふ。なぁいて喜びなさい!私は今回の事件、解決法を提示するわ!」


「それは?」


「⋯⋯言っても良いのね?」


 美羽は巫山戯《ふざけ》た厨二病のようなポーズも馬鹿にしたような高飛車な言い回しも無く、ジッと准を見つめた。


 その真剣な黒い瞳を見つめた准は静かに答える。


「あぁ」


「分かったわ。けど、話す条件が二つあるわ」


「え?条件?二つも?!」


「えぇ、そうよ。それはね、その子を私に預けなさい。まずはこれ」


「私?!」


 膝と密着していた顔は上がる。その表情には当然驚きがあり、指を自身に差してしまう。


 そして准もまた提案を跳ね除けるように一歩前へと出た。


 准には准でやらせたい事があった。それがどういった作用があるのかは未知数ではあるが、やらない事には始まらない。


「待て、コイツを藍莉に会わせて──」


「未知数が過ぎるのよ。⋯⋯、また人助けしてるのでしょうけど、その助けたい人が同一人物である事はお前達会話を盗み聞かせてもらって分かったわ」


「今サラっと盗み聞きしたって言ったな⋯⋯」


「えぇ、したわよ。⋯⋯何よ?あ、あんな状況でか弱い私が入って行ける訳なぁいじゃない!」


「か弱いって言った?」


「それで?盗み聞いて何が分かったんだ?」


 話は脱線させ過ぎては時間が無い。


 今すぐにでも藍莉宅へ向かわなければならない准は急かすようにすると、落ち着いた様子で美羽は言葉を発した。


「私はお前が助けたい大洲さんを大して知らないけど、少なくても私の視界には彼女、大洲《おおしま》藍莉《あいり》は映っていないのよ。つまり、正常な者は見えなくて、不正常な者には見えてしまうのよ」


「え?」


 藍莉は目を見開く。


 准は思考を僅かに停止させてしまう。


 美羽は毅然と立ち続ける。


(見えていない?)


 美羽の視界から藍莉は映っていない。


 そして、透けて見え始めている准は彼女を見た。


 唖然としている藍莉は目を見開いたまま、固まっている。


 彼女自身も予期していなかった。


「もっと分かりやすく言うのなら、お前、『現象』に侵され始めているのよ。見えるというのは視認する事であり、認識するという事。つまりね。お前はこれ以上、彼女を認識すると戻れなくなるわよ?」


「いやちょっと待ってくれ!僕は自(・)分(・)が(・)お(・)か(・)し(・)い(・)と(・)思(・)っ(・)て(・)て(・)、周りは普(・)通(・)だ(・)と(・)ば(・)か(・)り(・)⋯⋯。違うのか?!」


 事実だけを述べるとするならば、准は自分が異質な存在であると知っているのだ。


『都市伝説』に『オカルト』や『超常現象』。


 そして『怪異』


 これらに一通り一年間の間に立ち会い、視認し、認識してきた少年を普通とは言わない。


 言えない事を客観的に見れてしまう。


 その弊害が今、ここで起きている。


 彼の言う『日常』は普通である事であり、それは即ち、『都市伝説』も『オカルト』も『超常現象』も『怪異』すら起きないという結果から生まれるもの。


 だからこそ、それを知らない嶺二《れいじ》も逸花《いちか》のような存在は掛け替えのない象徴とも言えてしまうのだ。


 そして、一度巻き込まれてしまっても『日常』の枠組みに戻った者も同列である。


 普通の人間は認識しない。


 普通の人間は感知しない。


 普通では無い少年は認識してしまい、感知していた。


 その前提は、毅然とそして、不敵に笑う常盤美羽によって暴かれた。


「違うわ。耐性が⋯⋯。ごほん。神秘の守護《まもり》で保護されている私だから言える事よ?お前もそれは知っているでしょ?」


 彼女は『時計』に憑かれた者。


 永遠を望み、祝福を永劫のものにしようとした顛末は呆気ないものではあったが、彼女の力は未だ、健在。


 今はなんて事のない学生を送れるようにされてはいるが、定期的な時間が来ると『時計』の耐性と効力を得れてしまう。


 勿論、初めの頃と比べてゴミのように稚拙でか弱い存在である事は間違いないが、彼女はその気になれば『世界《じかん》』を支配出来る。


 それが常盤美羽という高校一年の女子高生だ。


 准は悟った。『時間を跳躍』したのだと⋯⋯。


 気付けば美羽は──萎縮していた。


「っ!⋯⋯つ、つ、使わなければ分からなかった事よ?」


「誰が頼んだっ!!」


「っ!だ、だって!」


「お前、自分の立場を分かってるのか!?無茶出来る段階は過ぎてるんだよ!何の為にお前を助けたと思ってるんだッ!」


「⋯⋯⋯ごめんなさい」


 ゴールデンウィーク頃は違う。


 あらゆる時間軸を平行世界を渡れてしまう彼女を、小さな救済をした男も溜め息を零してしまうほどには面倒臭い力であった。


 しかし、今は違う。何度でも言うがデメリットは着いて回った。


 ビギナーズラックは終わり、無料期間は終了を迎えて、当然のようにリスクを背負ったのである。


 准はゆっくりと美羽に近付くと、手を掴んだ。


 頬を触れて、肩に触り、腰周りを確認していく。


「な、な、な、なな、何ともないに決まってるでしょよよよ!!?」


「黙れ!お前の何ともは何ともじゃないんだ。僕はそれで騙された事を生涯根に持つからな」


「うぅ⋯⋯⋯はい」


「痛む所とかは?正直に言え」


「────無いです」


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 ジーッと睨む。ひたすらに、ただ黙々と。


 見下ろされた視線は徐々に耐え切れなくなっていき、美羽は数歩後方へと移動して叫んだ。


「本当にないわよォォォォ!」


「そうか、なら良かった。⋯⋯⋯はぁ、それで、リスク負ってまで何を見たんだ?」


 ハッとなった美羽は口元を手で押えて咳払いを一度してコンディションを整える。


 閉じた瞼が開かれれば再度『厨二病(笑)モード』に入り、ビシッとポーズを決めた。


「私はハッキリ言うわ。その子を連れて貴方は病院に行きなぁさい」


「おい!誰が頭のおかしい奴だ!直接的に言うなんてらしくないぞ?!」


「あ、ごめんなさい。はっ!────訂正すぅるわ!」


 身体を反らして「ブワッ!」と口にしながら左腕を右斜め上に翳すように伸ばす。


 テンションの落差に風邪をひきそうな准は憐れむような目で彼女を見つめる。


「まずは手短に事の顛末と経緯を話すわ。どうしてそうなったか、どうしてこうなってしまったのかをね?わかぁったら、話しながら行くわよ!大洲さんもよ?ただし彼の後ろを歩きなさい。良いわね?」


 聞こえていないはずの返事を聞いたかのように一目散に走り出した美羽とその後を追う准と逃げられない事を察した藍莉の三人は校舎を出た。


 そして、准と藍莉は聞かされる。


 大洲藍莉という霊長目真猿亜目人上科ヒト科のホモ・サピエンスという生命体のこれまでの生涯を。


 端的に美羽は語った。


 時間がない都合上と彼女の真面目な際の思考力と分析力を駆使して分かりやすく、伝わりやすい内容で語られたそれは決して、准は喜べる話でもなければ、嬉しさのあまり歓喜に満ちた表情を浮かべられるものでは無かった。


 准達の因果は終わっていなかったのだと、今日──悟った。


  ━ ━ ━


 時刻は九時半となった。


 財布は鞄の中に置いてきてしまっている准は美羽の金を使用する事でタクシーでやって来た。


 タクシー内で美羽が「バックミラーを見ないで」や「振り返らないで」や「降りるのはお前からよ」と散々な有り難いご注文を頂いた准は辟易しながらその場所に脚を着ける。


 准の妹が入院している病院まで。


 この空弩街《あくどがい》に二つしかない病院の一つであり大病院として認知されている大学病院。


 空弩大学病院に面会を申し入れた准は二人を連れて病室へとやって来た。


 受け付けの職員に怪訝な顔をされたものの、「仕方ない」と言われて案内される事となる。


 五階にある病室の五〇三号室の病室の扉を開けると、そこにはちゃんとベッドで開いていない窓を眺めている准の妹がそこに居る。


 後ろ髪を結んで肩に垂らし、先週まで点滴を打っていた少女の腕には既にその後は無く、もうすぐ退院出来るまでに回復している様子が窺えていた。


「ん?⋯⋯お兄ちゃん?!何してるの?今日、平日だよね?サボったの?!」


「お前の顔が見たくてやって来たんだよ?感謝しろよな」


 かなり驚いた表情で准の妹は兄である准を見つめるものの、すぐ怪訝な顔へと変化させた。


「お兄ちゃん。駄目だよ?学校サボったら。アタシみたいに行けない子もいるだからさ。勿体ないよ⋯ホントに」


「舞喜《まき》の気にする事じゃないぞ?まずは体調を万全にしろよ?な?」


「分かってるよ⋯⋯。あれ?彼女さん?」


「学友だ」


「へぇー。そうかお兄ちゃん、ちゃんと学校で上手くやれてるんだ」


「⋯⋯お前のペースで友達をまた作ればいいだろ?」


「出来ないよ、もう。⋯⋯アタシには」


「あぁら、それはどうかしら?」


 藍莉に何かを告げた後、部屋を退室させた美羽が勇み足で歩き出し、舞喜のベッドの横にある椅子に座る。


「初めまして。常盤美羽、お兄さんの後輩で友人よ」


「あ、初めまして。き、桐江《きりえ》舞喜《まき》です」


「可愛らしいわねぇ。ねぇ、貰っていいかしら?」


「駄目に決まってるだろ?俺が構い倒すって先約がある」


「無いよ、そんなの!」


 恥ずかしそうに舞喜は手を准の身体を軽く叩く。


 直後、ハッとなった様子で暗い表情となり始めた。


 嗚咽感に身体を支配された舞喜は口元を抑えだす。


 急ぎナースを呼ぼうとナースコールへと手を伸ばす准であったが、その手を舞喜本人が止めに入る。


 一年前の春に起きたトラウマが再燃し始めた。


【当て馬】に侵《こわ》された時にそうなってしまっただけだと、今の准には分かる。


 けれど少女は何が原因でそうなったかを知らない。


 治った事と自分がしてしまった事が今でもトラウマのように脳裏にこびり付いてしまっている。


 震え出した舞喜の手は兄の腕から離れていく。


 それを自ら手放さないように両手で敢えて包む。


「大丈夫だ。何も無いだろ?そんなに怖がるな」


「で、でも⋯⋯⋯またお兄ちゃんに怪我させたら」


 震える口元と青ざめた表情を浮かべる舞喜の言葉には説得力があった。


 一年前に訪れた高揚感や多幸感と言ったものは身体に刻まれている。


 今でも思い出せてしまって、自らの行いを悔いるばかりの少女には負荷でしかなかった。


(怪我ってレベルでは無かったけどな⋯⋯)


 そう、怪我どころの騒ぎではない。


 重傷も重傷で、死ぬ一歩手前まで追い込まれていたのだが、当時の舞喜にとっては知ったこっちゃないとばかりにその場を後にした経緯がある。


 つまり、一度見捨てている事に他ならない。


「怪我したら、お前が一生面倒見てくれ。僕はそれで満足だ」


「⋯⋯そりゃ、そうなったら構わないけどさ。嫌だよ、誰かを傷付けるの。お兄ちゃんを怪我させるのも⋯⋯」


「なら、その気持ちは大事にしていこう。大丈夫だって。兄ちゃんは変な事を言っても、嘘を吐かないって知ってるだろ?」


「⋯⋯うん」


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 二人の様子を見つめる美羽は暗い顔をさせていた。


(⋯⋯⋯先輩、本当に分かってるの?)


 それぞれ、思惑がある。


 それぞれに見なければならない事実がある。


 既に到着したであろう藍莉の様子を窺いに行こうとした時、その脚を引き止める言葉が舞喜の口から発された。


「あ、そうだ。朝倉さん来てたよ?」


「え?!あの人来てたのか?いつ!?」


 朝倉拓也──。


 准から見て小さな救済をくれた張本人であり、自称・世界の旅人を呼称するイタイ人だと前までは認識していたヤバめの人物。


 ワームホールを作って消える事や事件のあらましをある程度知ってるのではないかと、疑うぐらいには達観した存在であり、黒のジャケットを羽織っている二十歳前後の見た目の男。


 それが彼なのだが⋯⋯⋯⋯。


「あの人、もうここには来ないって思ってた⋯⋯」


 彼の別れ際の言葉が「行けたら行くわ〜」であり、明らかに約束をほっぽり出して行く気の無い奴のソレだった。


「それでね、伝言を言われたの」


「伝言?」


「これと一緒に渡せって」


「ん?」


 准が渡されたのは、掌よりも少し大きい封がされた手紙であった。


「なんだこれ?⋯⋯読めってことか」


「私は見ない方がいいって言われて⋯⋯」


「⋯⋯なら、そうなんだろうな」


 茶色の封を開け、そこそこ達筆に書かれた紙を読んでいこうとする。


 准の背中に身体を密着させた美羽により、椅子に座らされた准は二人で朝倉拓也からの手紙へ目を向けた。


「なになに」


『桐江准くんへ


 今これを読んでいる少年は既に常盤美羽から今回のあらましを聞いているだろうから、詳しい事は省く。

 まず『現象の名称』だが、勝手に付けさせて貰った、悪しからず。その名も【走馬悼《そうまとう》】。


 もうこの意味が分かっている少年は少し怒っているだろうが、当然な事ながら皮肉で書かせて貰っている。酷い?しょうがない?そんな事はないんだぜ少年。世の中には彼女達のような存在は溢れている。だから、俺は彼女達を憐れまない。憐れむのはお前だけでいい。


 もし、それでも、どうしても、納得がいかないなら贈り物をすると良い。小さなものから大きな物まで千差万別だぜ?結果的に贈り物ってのは結局のところ『心』が籠ってればそれで良い。


 君の生涯とその友人に幸あれ。


 PS.これを読んでいる時の俺は四十メートルもある巨大な鰻と鎬を削る大攻防中でありますところ、お腹が空いて仕方ないので蒲焼きして平らげるつもりなので行けません。メンゴ!


  親愛なる隣人にはなれない朝倉拓也より』


 手が自然と震える准と何かを察した美羽はサッと後方へと退避。


 首を傾げる舞喜は手紙の中身が気になりソワソワとしていると───。


「舐めんなァァァァァァ!」


「うわぁぁぁ!お兄ちゃん!」


 巫山戯《ふざけ》たような手紙は准の手によって破り捨てられた。


「何が蒲焼きだ!どう考えても本題そっちにしようとして、消したり書いたりした後あったんだよ!馬鹿にすんなよ!」


「まぁ、彼らしいと言えばそうなのかしらね⋯⋯」


 呆れる美羽は視線を逸らしていた。


 手紙の内容を知らない舞喜だけが困惑した様子でアワアワとしている中、深呼吸をした准は破った手紙に書かれた文字にあった『怪異現象の名称』に心打たれていた。


「【走馬悼】⋯⋯クソだな」


 悪態つく少年を見つめる美羽は瞼を閉じる。


 これから起こる事は、きっと悲惨なものだと知っているのだから。


  ━ ━ ━


「──聞いているなら聞きなさい。小児科の病棟の三〇八号室に行きなさい。そして、理解してきなさい」


 そう言われた藍莉は言われるがままやって来ていた。


 事の顛末と真実であろう出来事を言われた彼女の脳内は頭痛すら起こすほどのものながら、それを払拭するように脚は動いている。


 三〇八号室のネームプレートには名前が一人分のものがあった。


 個室であると同時に孤独である。


「は、はぁ、あぁぁあ⋯⋯」


 そんな筈は無いと。


 ずっと居た筈の泡沫は鮮明に波となって記憶を刺激した。


「あぁぁあ、嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘!」


 勢い良く開かれたその部屋は、暗がりで点滴が数個繋がれて、心電図モニターと酸素マスクが取り付けられている少年が居た。


 心電図モニターから出る音が生命の音色であり、マスクから零れるか細い命の吐息は、藍莉の知らない姿で確かに居て、勢い余って駆け寄ってしまう。


 影(・)が(・)無(・)い(・)その少年は目を開ける様子を見せずにベッドで眠っている。


「蒼太《そうた》ぁぁあ、なんで?どうして?⋯⋯今日も昨日も、居たのに⋯⋯。家になんで?どうして?」


 嫌な記憶が、ビジョンが、走馬灯が零れるように流れていく。


 回りだし、止まらず、溢れていく鮮烈な記憶と痛ましいその瞬間を頭に浮かび上がっていき、刻まれていく。


「わかったかしら?」


「⋯⋯⋯⋯っ!常盤さん⋯⋯」


「私はお前の声は聞こえないから勝手に喋ってしまうけれど、もうお前の家族は終わってるの」


 病室の出入口で美羽は立ち止まったまま。


 中には決して入ろうとはしない。


 明かりが付いていない病室は、二人を区切るように光と影の中に居る。


「⋯⋯⋯⋯」


「弟くんが交通事故でお(・)前(・)ご(・)と(・)轢(・)か(・)れ(・)た(・)時(・)に(・)、これが始まったのよ?」


「嘘だぁぁぁぁぁあ⋯⋯な、なんで?そんな嘘を⋯⋯嘘、じゃない?⋯⋯はぁぁああ⋯⋯」


 嫌な思い出し方を藍莉はした。


 流れるような走馬灯は頭を駆け巡る。


 影が走った。二つの存在が別れた。


 嫌な感覚と立ち戻るような冷たい感覚。


 気が付いた時には、全て始まってしまい、意図も理解も視認すらしていないまま事は始まった。


「⋯⋯気の毒とは思うわ。要は、弟くんの事故を防ごうと庇う形にお前も轢かれただけの話だもの。悪くは言えないわ」


 焦点が合わなくなっていく。


 理解を拒もうと、阻もうとする意識は鮮明に過去を立ち返らせる。


「【走馬悼】⋯⋯確かに皮肉ね。影《なか》と身体《そと》の意識と情報が別れたって事でしょ?しかも本来の走馬灯は二つで一つなのにね」


「やめて、やめて」


 タクシー内でも聞かされたその話は耳を塞ぎたくなる程のものであり、冗談や嘘であって欲しいと願わずにはいられなかった。


 けれど、目の前に広がる光景は全て現実なのだと、そう物語っている。


「それでも、結果としては別れた。弟くんの産まれた際、つまり姉として生き始めた(弟を要らないと)十歳の(思った)自分と──」


「やめてッッ!!」


 木霊させるその声は美羽には聞こえない。


「理想(姉として)の自分とで別れたんでしょ?」


 崩れ落ちた膝は床に着く。ベッドの柵に手を掛けて身体を支える。


 力は込められていき、柵が音を鳴らす。


 半透明の身体は徐々に透けていく。


「違う!違う!違う!⋯⋯うぅ、違うの⋯⋯本当に違うの。私、ちゃんと頑張って、誉めてもらおうと頑張ったけど、頑張ったの。お父さんにもお母さんにも必要とされたかったから。弟の世話も頑張ったの!遊びに行きたかったけど、それも無しにして!オムツ替えからミルクも絵本も読ませて、保育園の迎えも頑張った。頑張ったの⋯⋯でも、でも。私しかしてないから、私しか弟を見てなかったから。なんでこの子産まれたんだろって思い始めたら⋯⋯止まらなくて⋯⋯それでも、私ぃ」


「私は弟も妹も居ないから知らないけど、羨ましいわ」


 目を見開いて美羽を見る。涙で濡れたその目元は不気味に震えていた。


 言葉の意図は掴めない。けれどそれが真心であるのだと言うのは表情が、態度が、瞳が物語っており、それが分からないほど彼女は馬鹿では無かった。


「だって、家族が一人居ると苦労も増えるけど、その分その幸せが増えるって事でしょ?羨ましい限りよ。⋯⋯私もジジイとババアに頼もうかな。弟か妹が欲しいって」


 その家族は一人っ子であり、共有の夢がある訳でも互いに語り合える内容がある訳では無かった。


 けれど、その家族が確かに自分を愛してくれていると自覚した時にそれらはどうでも良くなってしまい、結果として今の彼女が形成されている。


 家族の分だけ幸せがあり、人の数だけ理想が確かにある。


 求めてもいない下の存在とそれでもせがむようにくっ付いてくる弟を藍莉は確かに愛してはいた。


 愛しているからこそ、逼迫して、捻れた。


【走馬悼】の対処法は至極簡単である。


 最も大切にしている記憶を、馳せた記憶を思い出させれば良いだけだ。


 偽りなく、ありのままの記憶、痛みも悲痛も無念も喜びも楽しみも何もかも。


 そして、身体《そと》の彼女は少し微笑んだ。


 美羽を見ながら、ゆっくりと上がる口角は美羽には見えない。


 けれど、それでも良いと思った彼女は黙っていた。


「私はもう死んだんだね⋯⋯」


 彼女は消えた。


 なんの憂いも無いように、泡のような形で消える事も粒状になって消えるような事もなく消えた。


「確かに聴こえたわよ⋯⋯。さようなら」


 心電図モニターは長い警告音を鳴らしていく。


 それを病室から離れ始めた美羽の耳には嫌な程に響いた。


 生命の残響はその数分後に消える。


  ━ ━ ━


 病室にある窓を眺めていた准《じゅん》は美羽《みう》が立ち去った後、舞喜《まき》に近付いた。


 意を決したように。


「お兄ちゃん?」


 不安そうに見つめる舞喜。


 それを微笑むようにして返した准。


「今度、新しい友達候補の人、連れてくるよ」


「ん?普通って友達じゃないの?」


「そうかな?まぁ、どっちでも良いさ」


「良くないよ?⋯⋯で、どんな人?」


「⋯⋯サイコーに優しくて、馬鹿で、可愛い奴」


「えぇ、それだけ?何かないの?」


「さぁな、それは見てからのお楽しみだ」


 そう言うと、舞喜の頭に手を乗せて数度優しく擦ると、その手を離して立ち上がった。


「帰るの?」


「あぁ、もう行かないと。待ち合わせがあるんだよ」


「⋯⋯お兄ちゃん?なんか変じゃない?どうしたの?」


「⋯⋯じゃあな!」


 そうして、少年は去って行った。


 不思議そうに見つめる妹の舞喜は分からずじまいの話。


 覚悟を決めた少年は病院の廊下を歩く。


 もう、立ち止まれない。


 全て聞き終え、全て知った。


 酷い物語とその顛末も何もかもを────。


 後は本人に会うだけだと病院を出て、ただひたすらに走る。


 鞄も無ければ、肩車している相手もいない。


 だから目一杯、ありったけに脚を動かして、美羽から聞いた住所へと向かう。


 終わらさなければならない。


 終わりにしてあげなければならない。


 この街で起こる不思議な『現象』の一つを。

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