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この街は今日も語る  作者: 紫芋
大洲藍莉は語る

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4/19

生命の残響

 伝えたい想いは募る。


 願った筈の空想を具体的にして、輪郭は形成されて欲しいと願わずにはいられなかった。


 擦れて違いによって発生した摩擦熱は歪な常態へと招いていき、私が私だったものが少しずつ溶けて消えていくのを誰かが良しとしない。


 これは私ではない誰かの宝箱キボウ


 それは私のたった一つの愛情リソウ


 あれは私が欲したと想う心情セカイ


 なのに、どうしてなのだろうか。


 どうして、溶けて泡沫あわとなって消えそうな自分を否定している自分がいる。


 頬に滲む赤い鮮血を誰かが拭ってくれた。


 今では、手を伸ばしてみても、顔を上げても、瞼を開いても、声を上げても、何も感じない。


 小さな小さな宝者(そんざい)は胸に寄って来る。


 私は私を知っている。


 知らない私を知っている。


 返して欲しかった。


 求めて欲しかった。


 欲して欲しかった。


 視界に広がるのは、私を形成した一部分が二つ。


 優しくひ弱な部分と、理想を高く持った愚者な部分。


 過去の失敗は尾を引く。


 引いて、靡いて、錆びて、枯渇して、そして朽ち果てた。


 抱き締める宝者(そんざい)は小さく嗚咽して、それを輪郭がボヤけた視界に収めて、抱き締め返す。


 そして、我慢は頂点を超えて、臨界に達して、鬱屈は瓦解した。


 気付けば、私の存在は溶けた。


 あれほど否定していた筈の泡沫が心地良くかんじて、それで良いと望んでいる。


 その筈なのに、そうじゃない私も確かに居るのだと知ってしまった。


 誰かの腕を掴んだ。


 掴んだ腕は心許ない筈なのに同時に暖かな温もりをくれる。


 私の創傷はゆっくりと癒されていく。


 単調で馬鹿なほどに単純な私は心地良さに身を任せたかった。


 けれど、それはすぐに終わるのだと、頭ではなく、心が理解してしまい、暖かな部屋でボヤけた視界で唸るのみ。


 我慢強い貴方に捧げ物は要らない。


 嘆く暇をくれない貴方に空想ゆめは要らないと、そう思えば思うほど、貴方は傍に近付こうとする。


 泡沫の時間は戻らない。


 喜劇は悲劇となっても、惨劇は喜劇にはならない。


 それでも、未だに離れないたったの約十二時間がこれほど愛おしいのだと気付いた私は愚か者以外の何者でもない。


 伸ばされた手はどうしてだろう、身体の側面を熱くする。


 抱き締められたような感覚が膨らんで大きく輪郭を保つ。


 存在は曖昧となって、意識は溶け出して、形は徐々に意味を失っていくと言うのに。


 それでも、泣きそうな貴方を見ていられない。


 私は小さく愚かな博愛者。


 狭く、深く、狭く、深く。


 それを良しとするのなら、貴方だけに伝えたい。


 双律の音色が重なる事を良しとするのなら、どうか伝えたい。


 私をもう一度抱き締めてください。


 私を私のまま、貴方の元へと生きたい。


  ━ ━ ━


「待ちなさぁいな!」


 そう、言われたじゅん藍莉あいりは部活棟の一階で脚を止めた。


 最初に、気付いたのは准であり、藍莉は驚いたように振り返る。


「トッキー!」


「誰がトッキーよ!常盤ときわ美羽みう。いい加減、ちゃぁんと、私の名前を呼びなさいよね!」


「桐江くんの友達?」


「うーん」


 反応に困ってしまう准。


 常盤美羽は決して友人ではない。


 けれど、無関係な他人とは決して言えず、どう表現したものかと、頭を悩ませている。


「一緒に世界を壊そうとした仲じゃあない!恥ずかしがらなくても良いのよ?」


「壊そうとしたのはお前だけだ!僕は、一切その手の事に協力していない!」


「あら?酷い男。永遠を誓いあった仲なぁのに」


「監視してるってんだ。お前、沸点の上がり幅パないから、あの人からも警戒されてたぞ?主に進路」


 そう、かつて小さな救済をじゅんに与えてくれた人物も、この美羽に関しては本当に心配していたのだ。


 厨二病を拗らせて、拗らせ過ぎた果ての権化。


 煮凝りが更に凝り固まって、鋼よりも強固で鋭利と化して、もはや一千度の炎でも溶けないと思われる程のこの厨二病にしてヤバい奴。


 それが常盤美羽なのだ。


「あら?魔法の道を極めた私の同志であるところの彼からも一目置かれていると言ったとぉころね?」


「純粋に頭の心配してたんだよ。あの人曰く、魔法はこの世界には無い。類似している出来事が起きて、その結果で魔法として見えてるだけの話だってな」


「つまあり!!私はその結果として魔法を起こした優秀な魔法使い(マギア)ってことね!」


 黒く手入れをしていないボッサボサの長い髪はブワッと靡かせて、変なポージングをする美羽。


(親御さん、マジで苦労してんだろうな⋯⋯)


 嫌に同情出来てしまう准。


 少年は彼女の両親とも顔見知りである故、その両親の疲労と徒労は計り知れないものと知っている。


「カッコイイ言い方しても駄目なんだよな⋯⋯。見ろ、コイツ引いてんぞ?」


 向けられる視線の先には、自己紹介して僅か数秒で、見た事も無い表情で唖然としている藍莉が居た。


「ふん!私の視界には映っていないわね!恥をしぃりなさい!!」


「消えんのはお前だ、馬鹿。茶化しに来たんなら教室でボッチしてろ」


「あぁら、これから教室でボッチが確定した人の言う台詞じゃないわね?」


「っ!⋯⋯煩いなぁ⋯⋯分かってるよ」


 教室の前でアレだけの事をやって、目立たない訳がない。


 恐らく、今日から『ヤバい奴』というレッテルは貼られるのだろう。


 けれど、それはあくまでも二の次である。


「で、なんでここに居るんだ?」


「あぁら?居ちゃ悪い?可哀想なぐらいに憤怒の表情をばら撒いて、挙句には友人から心配の心情を向けられている事にも気付かないお前を。⋯⋯笑いに来たのよー!」


「あぁ、要は心配だから来てくれたのか。ありがとう。大洲おおしま、心配すんな。コイツ、厨二病な事とやり過ぎな事を除けば基本良い奴だから」


「ええ!今の会話に心配されてる要素あったの?!」


 驚きで目が点になる藍莉。


 そう、この常盤美羽はツンデレになりきれない不器用であり、優しいのだ。


 高校一年の秋頃に事件を起こした彼女なのだが、切っ掛けだけ見れば優しさの塊なのだ。


 やり方が極地と沸点を振り切ってしまうのが傷であるが、それに目を瞑れば良い子ちゃん以外の何者でない。


 現に、周りの状況を伝えてくれている辺りがよく人を見ている証拠なのだろう。


「それぇに!私は一つ、いい情報持ってるわよ!ブワッ!」


「⋯⋯⋯⋯あ!え?お前、今回の事で何か知ってる事があるのか?」


 数秒。


 擬音を遂に言葉に混ぜ込んでしまった事に激しく哀れんだ准も、目の前にいる存在が今回の『怪異現象』に対して一途の希望となりつつある事に目を輝かせた。


「えぇ、私が以前契約した魔物の影響ね。そのお陰で、今回の事で耐性があぁるみたいなのよ⋯⋯。貴方と違って、ね?」


「契約にしてはやたらと取り憑かれてたし、それに──」


「煩いわよ!うぅ、なんで私のカッコイイ台詞丸々全部否定するような言い回ししようとするのよ!」


「⋯⋯なんだ、ちゃんと喋れるじゃんか」


「ふふ。⋯⋯ふふふ。なぁいて喜びなさい!私は今回の事件、解決法を提示するわ!」


「それは?」


「⋯⋯言っても良いのね?」


(え?タブーみたいな事あるの?!)


 美羽は巫山戯ふざけた厨二病のようなポーズも馬鹿にしたような高飛車な言い回しも無く、ジッと俺と彼女を見つめた。


 真剣な黒い瞳に准は応えるように言う。


「あぁ」


「分かったわ。けど、話す条件が二つあるわ」


「え?条件?二つも?!」


「えぇ、そうよ。それはね。その子を私に預けなさい。まずはこれ」


「私?!」


 指を自身に差す藍莉。


 それは駄目だとばかりに目を見開いた准。


「待て、コイツを藍莉に会わせて──」


「未知数が過ぎるのよ。⋯⋯、また人助けしてるのでしょうけど、その助けたい人が同一人物である事はお前達会話を盗み聞かせてもらって分かったわ」


「今更っと盗み聞きしたって言ったな⋯⋯」


「えぇ、したわよ。⋯⋯何よ?あ、あんな状況でか弱い私が入って行ける訳なぁいじゃない!」


「か弱いって言った?」


「言ったな⋯⋯。それで?盗み聞いて何が分かったんだ?」


 話は脱線させ過ぎては時間が無い。


 今すぐにでも藍莉宅へ向かわなければならない准は急かすようにすると、落ち着いた様子で美羽は言葉を発した。


「私はお前が助けたい大洲さんを大して知らないけど、少なくても私の視界には彼女、大洲おおしま藍莉あいりは映っていないのよ。つまり、正常な者は見えなくて、不正常な者には見えてしまうのよ」


「え?」


「⋯⋯」


(見えていない?)


 美羽の視界からは藍莉は映っていない。


 そして、透けて見え始めている准は彼女を見た。


 唖然としている藍莉は目を見開いている。


 彼女も予想していない事なのだろう。


「もっと分かりやすく言うのならば、お前、『怪異現象』に侵され始めているのよ。見えるというのは視認する事であり、認識するという事。つまりね。お前はこれ以上、彼女を認識すると戻れなくなるわよ?」


「いやちょっと待ってくれ!僕は()()()()()()()()()()()()、周りは()()()()()()()⋯⋯。違うのか?!」


 事実だけを述べるとするならば、准は自分が異質な存在であると知っているのだ。


『都市伝説』『オカルト』『超能力』『超常現象』


 そして、『怪異』


 これらに一通り一年間の間に立ち会い、視認し、認識してきた少年を普通とは言わない。


 言えない事を客観的に見れてしまう。


 その弊害が今、ここで起きている。


 彼の言う『日常』は普通である事であり、それは即ち、『都市伝説』も『オカルト』も『超能力』も『超常現象』も『怪異』すら起きないという結果から生まれるもの。


 だからこそ、それを知らない嶺二れいじ逸花いちかのような存在は掛け替えのない象徴とも言えてしまうのだ。


 そして、一度巻き込まれてしまっても『日常』の枠組みに戻った者も同列である。


 普通の人間は認識しない。


 普通の人間は感知しない。


 普通では無い少年は認識してしまい、感知していた。


 その前提は、疲労を全く見せない常盤美羽によって暴かれた。


「違うわ。耐性が⋯⋯。ごほん。神秘の守護まもりで保護されている私だから言える事よ?お前もそれは知っているでしょ?」


 彼女は『時計』に憑かれた者。


 永遠を望み、祝福を永劫のものにしようとした顛末は呆気ないものではあったが、彼女の力は未だ、健在なのだ。


 今はなんて事のない学生を送れるようにされてはいるが、定期的な時間が来ると『時計』の耐性と効力を得れてしまう。


 勿論、初めの頃と比べてゴミのように稚拙でか弱い存在である事は間違いないが、彼女はその気になれば『世界じかん』を支配出来る。


 それが常盤美羽なのだ。


「使ったのか?アレだけ負担があるから止めろって、僕は言ったぞ?!」


「けれど、使わなければ分からなかった事よ?」


「な、なんの話?⋯⋯どういう事?」


「コイツは端的に言えば、記憶と意識を過去と未来に飛ばせるんだよ。まぁ、それでも前よりは弱いけど」


 一年前の秋は違う。


 あらゆる時間軸を平行世界を渡れてしまう彼女を、小さな救済をした男も溜め息を零してしまうほどには面倒臭い力であった。


「私はハッキリ言うわ。その子を連れて貴方は病院に行きなさい」


「え?おい!誰が頭のおかしい奴だ!直接的に言うなんてらしくないぞ?!」


「⋯⋯ごめんなさい、訂正すぅるわ!」


 身体を翻して、「ブワッ」という彼女。


 テンションの落差に風邪をひきそうな准は憐れむような目で彼女を見ていた。


「まずは手短に、事の顛末と経緯を話すわ。どうして、そうなったか、どうしてこうなってしまったのかをね?わかぁったら、話しながら行くわよ!大洲さん、もよ?ただし、彼の後ろを歩きなさい。良いわね?」


 聞こえていないはずの返事を聞いたかのように走り出した美羽。


 それを追い掛ける二人。


 そして、准は聞かされた。


 大洲藍莉という霊長目真猿亜目人上科ヒト科のホモ・サピエンスという生命体のこれまでの生涯を。


 端的に美羽は語った。


 時間がない都合上と彼女の真面目な際の思考力と分析力を駆使して分かりやすく、伝わりやすい内容で語られたそれは決して、准は喜べる話でもなければ、嬉しさのあまり歓喜に満ちた表情を浮かべられるものでは無かった。


 准達の因果は終わっていなかったのだと、今日。


 悟った。


  ━ ━ ━


 時刻は九時半となった。


 財布は鞄の中に置いてきてしまっている准は美羽の金を使用する事でタクシーでやって来た。


 タクシー内で美羽が「バックミラーを見ないで」や「振り返らないで」や「降りるのはお前からよ」と散々な有り難いご注文を頂いた准は辟易しながらその場所に脚を着ける。


 准の妹が入院している病院まで。


 この空弩街あくどがいに二つしかない病院の一つであり大病院として認知されている大学病院。


 空弩大学病院に面会を申し入れた准は二人を連れて病室へとやって来た。


 受け付けの職員に怪訝な顔をされたものの、「仕方ない」と言われて案内される事となる。


 そして、五階にある病室の五〇三号室の病室の扉を開けると、そこにはちゃんとベッドで開いていない窓を眺めている准の妹がそこに居る。


 後ろ髪を結んで肩に垂らし、先週まで点滴を打っていた少女の腕には既にその後は無く、もうすぐ退院出来るまでにかいふくしている様子が窺えていた。


「ん?⋯⋯お兄ちゃん?!何してるの?今日、平日だよね?サボったの?!」


「お前の顔が見たくてやって来たんだよ?感謝しろよな」


 かなり驚いた表情で准の妹は兄である准を見て、怪訝な顔を浮かべていた。


「お兄ちゃん。駄目だよ?学校サボったら。アタシみたいに行けない子もいるだからさ。勿体ないよ⋯ホントに」


舞喜まきの気にする事じゃないぞ?まずは体調を万全にしろよ?な?」


「分かってるよ⋯⋯。あれ?彼女さん?」


「学友だ」


「へぇー。そうかお兄ちゃん、ちゃんと学校で上手くやれてるんだ」


「⋯⋯お前のペースで友達また作ればいいだろ?」


「出来ないよ、もう。⋯⋯アタシには」


「あぁら、それはどうかしら?」


 藍莉に何かを言って、部屋を退室させた美羽が前に出て、舞喜のベッドの横にある椅子に座った。


「初めまして。常盤美羽、お兄さんの友人よ」


「あ、初めまして。き、桐江きりえ舞喜まきです」


「可愛らしいわねぇ。ねぇ、貰っていい?」


「駄目に決まってるだろ?俺が構い倒すって先約がある」


「無いよ、そんなの!」


 恥ずかしそうに、腕を准の胸に叩き付ける舞喜。


 すると、ハッとなった様子で暗い表情となり始める。


 一年前の春、准は舞喜の何気ない喧嘩で口論となった際、突き飛ばされたと同時に、壁に叩き付けられてしまい、血を出した事がある。


 勿論、本来の少女にはそんな力はない。


『当て馬』に侵された時にそうなってしまっただけだと、今の准には分かる。


 けれど、少女は何が原因でそうなったかを知らない。


 治った事と自分がしてしまった事が今でもトラウマのように脳裏にこびり付いてしまっているのだ。


 震え出した舞喜の手は兄の胸元を離れていく。


 それを両手で包むようにする准。


「大丈夫だ。何も無いだろ?そんなに怖がるな」


「でも、またお兄ちゃんに怪我させたら」


(怪我ってレベルでは無かったけどな⋯⋯)


 そう、怪我どころの騒ぎでは無かった。


 重傷も重傷で、死ぬ一歩手前まで追い込まれていたのだが、当時の舞喜はそれを視認すらしていない。


「怪我したら、お前が一生面倒見てくれ。俺はそれで満足だぞ?」


「⋯⋯そりゃ、そうなったら構わないけどさ。嫌だよ、誰かを傷付けるの。お兄ちゃんを怪我させるのも⋯⋯」


「なら、その気持ちは大事にしていこう。大丈夫だって?兄ちゃんは変な事を言っても、嘘を吐かないって知ってるだろ?」


「⋯⋯うん」


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 暗い顔をする舞喜と美羽。


 そうこれから起こる事に比べれば些事なのだから。


「あ、そうだ。朝倉さん来てたよ?」


「え?!あの人来てたのか?何時!?」


 朝倉拓也。


 小さな救済をくれた張本人であり、自称・世界の旅人を呼称するイタイ人だと前までは認識していたが、ワームホールを作って消える事や事件のあらましをある程度知ってるのではないかと、疑うぐらいには達観した人だ。


 黒のジャケットを羽織っている二十歳前後の見た目の男。


 それが彼なのだが。


「あの人、もうここには来ないって思ってた⋯⋯」


 彼の別れ際の言葉が「行けたら行くわ〜」が明らかに約束をほっぽり出して行く気の無い奴のソレだったのだ。


「それでね、伝言を言われたの」


「伝言?」


「これと一緒に渡せって」


「ん?」


 准が渡されたのは、掌よりも少し大きい封がされた手紙であった。


「なんだこれ?⋯⋯読めってことか」


「私は見ない方がいいって言われて⋯⋯」


「⋯⋯なら、そうなんだろうな」


「なになに」


『桐江准くんへ


 今これを読んでいる少年は既に常盤美羽から今回のあらましを聞いているだろうから、詳しい事は省いてしまおう。


 まず、『現象の名称』だが、勝手に付けさせて貰った、悪しからず。


 その名も【走馬悼そうまとう


 もう、この意味が分かっている少年は少し怒っているだろうが、当然な事ながら皮肉で書かせて貰っている。


 酷い?しょうがない?そんな事はないんだぜ?少年。


 世の中には彼女達のような存在は溢れている。だから、俺は彼女達を憐れまない。憐れむのは君だけでいい。


 もし、それでも、どうしても、納得がいかないなら贈り物をすると良い。


 小さなものから大きな物まで千差万別だぜ?結果的に贈り物ってのは結局のところ『心』が籠ってればそれで良い。


 君の生涯とその友人に幸あれ。


 PS.これを読んでいる時の俺は四十メートルもある巨大な鰻と鎬を削る大攻防中でお腹が空いたので蒲焼きして食うつもりなので行けません。メンゴ!


  親愛なる隣人にはなれない朝倉拓也より』


「舐めんなァァァァァァ!」


「うわぁぁぁ!お兄ちゃん!」


 巫山戯ふざけたような手紙は准の手によって破り捨てられるのであった。


「何が蒲焼きだ!どう考えても本題そっちにしようとして、消したり書いたりした後あったんだよ!馬鹿にすんなよ!」


「まぁ、彼らしいと言えば、そうなのかしらね⋯⋯」


 呆れる美羽は視線を逸らしていた。


 手紙の内容を知らない舞喜だけが困惑した様子でアワアワとしている中、深呼吸をした准は破った手紙に書かれた文字にあった『怪異現象の名称』に心打たれていた。


「【走馬悼】⋯⋯クソだな」


 悪態つく少年を見つめる美羽は瞼を閉じる。


 これから起こる事はきっと、悲惨なものだと知っているのだから。


  ━ ━ ━


「──聞いているなら聞きなさい。小児科の病棟の三〇八号室に行きなさい。そして、理解してきなさい」


 そう言われた藍莉は言われるがままやって来ていた。


 事の顛末と真実であろう出来事を言われた彼女の脳内は頭痛すら起こすほどのものながら、それを払拭するように脚は動いている。


 三〇八号室のネームプレートには名前が一人分のものがあった。


 個室であると同時に孤独である。


「は、はぁ、あぁぁあ⋯⋯」


 そんな筈は無いと。


 ずっと居た筈の泡沫は鮮明に波となって記憶を刺激した。


「あぁぁあ、嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘!」


 勢い良く開かれたその部屋は、暗がりで点滴が数個繋がれて、心電図モニターと酸素マスクが取り付けられている少年が居た。


 心電図モニターから出る音が生命の音色であり、マスクから零れるか細い命の伊吹は、藍莉の知らない姿で確かに居る。


 ()()()()その少年は目を開ける様子を見せず、ベッドで眠っている。


蒼太そうたぁぁあ、なんで?どうして?⋯⋯今日も昨日も、居たのに⋯⋯。家になんで?どうして?」


 嫌な記憶が、ビジョンが、走馬灯が零れるように流れていく。


「わかったかしら?」


「⋯⋯⋯⋯っ!常盤さん⋯⋯」


「私はお前の声は聞こえないから勝手に喋ってしまうけれど、もうお前の家族は終わってるの」


「⋯⋯⋯⋯」


「弟くんが交通事故で()()()()()()()()()()、これが始まったのよ?」


「嘘だぁぁぁぁぁあ⋯⋯な、なんで?そんな嘘を⋯⋯嘘、じゃない?⋯⋯はぁぁああ⋯⋯」


 嫌な思い出し方を藍莉はした。


 流れるような走馬灯は頭を駆け巡った。


 影が走る。


 二つの存在が別れた。


 嫌な感覚と、立ち戻るような冷たい感覚。


 気が付いた時には、全て始まってしまい、意図も理解も視認すらしていないまま事は起こった。


「⋯⋯気の毒とは思うわ。要は、弟くんの事故を防ごうと庇う形にお前も飛び出しただけの話だもん。悪くは言えないわ」


 焦点が合わなくなっていく。


 理解を拒もうと、阻もうとする意識は鮮明に過去を立ち返らせる。


「【走馬悼】⋯⋯確かに皮肉ね。なか身体そとの意識と情報が別れたって事でしょ?しかも本来の走馬灯は二つで一つなのにね」


「やめて、やめて」


 タクシー内でも聞かされたその話は耳を塞ぎたくなる程のものであり、冗談や嘘であって欲しいと願わずにはいられなかった。


 けれど、目の前に広がる光景は全て現実なのだと、そう物語っている。


「それでも、結果としては別れた。弟くんの産まれた際、つまり姉として生き始めた(弟を要らないと)十歳の(思った)自分と──」


「やめてッッ!!」


 木霊させるその声は美羽には、聞こえない。


理想の(弟が必要な)自分とで、別れたんでしょ?」


 崩れ落ちた膝はベッドの柵に手を掛けて、身体を支える藍莉。


 力は込められていき、柵が音を鳴らす。


 半透明の身体は徐々に透けていく。


「違う!違う!違う!⋯⋯うぅ、違うの⋯⋯本当に違うの。私、ちゃんと頑張って、誉めてもらおうと頑張ったけど、頑張ったの。お父さんにもお母さんにも必要とされたかったから。弟の世話も頑張ったの!遊びに行きたかったけど、それも無しにして!オムツ替えからミルクも絵本も読ませて、保育園の迎えも頑張った。頑張ったの⋯⋯でも、でも。私しかしてないから、私しか弟を見てなかったから。なんでこの子産まれたんだろって思い始めたら⋯⋯止まらなくて⋯⋯それでも、私ぃ」


「私は弟も妹も居ないから知らないけど、羨ましいわ」


 目を見開いて、美羽を見る。


 涙で濡れたその目元は震えていた。


「だって、家族が一人居ると、苦労も増えるけど、その分、その幸せが増えるって事でしょ?羨ましい限りよ。⋯⋯私もジジイとババアに頼もうかな。弟か妹が欲しいって」


 その家族は一人っ子であり、共有の夢がある訳でも互いに語り合える内容がある訳では無かった。


 けれど、その家族がた 確かに自分を愛してくれていると自覚した時にそれらはどうでも良くなってしまい、結果として今の彼女が形成されている。


 家族の分だけ幸せがあり、人の分だけ理想がある。


 求めてもいない下の存在とそれでもせがむようにくっ付いてくる弟を藍莉は確かに愛してはいた。


 愛しているからこそ、逼迫して、捻れた。


【走馬悼】の対処法は至極簡単である。


 最も大切にしている記憶を、馳せた記憶を思い出させれば良いだけだ。


 偽りなく、ありのままの記憶、痛みも悲痛も無念も喜びも楽しみも何もかも。


 そして、身体そとの彼女は少し微笑んだ。


 美羽を見ながら、ゆっくりと上がる口角は美羽には見えない。


 けれど、それでも、良いと思った彼女は黙っていた。


「私はもう死んだんだね⋯⋯」


 彼女は消えた。


 なんの憂いも無いように、泡のような形で消える事も、粒状になって消えるような事も無く、消えた。


「確かに聴こえたわよ⋯⋯。さようなら」


 心電図モニターは長い警告音を鳴らしていく。


 それを病室から離れ始めた美羽の耳には嫌な程に響いた。


 生命の残響はその数分後に消える。


  ━ ━ ━


 病室にある窓を眺めていたじゅん美羽みうが立ち去った後、舞喜まきに近付いた。


 意を決したように。


「お兄ちゃん?」


 不安そうに見つめる舞喜。


 それを微笑むようにして返した准。


「⋯⋯今度さ、僕の好きな人、紹介するよ」


「え?!普通、付き合ってる人じゃなくて?」


「そうかな?まぁ、どっちでも良いさ」


「良くないよ?⋯⋯で、どんな人?」


「⋯⋯サイコーに優しくて、馬鹿で、可愛い奴」


「えぇ、それだけ?何かないの?」


「さぁな、それは見てからのお楽しみだ」


 そう言うと、舞喜の頭に手を乗せて数度優しく擦ると、その手を離して立ち上がった。


「帰るの?」


「あぁ、もう行かないと。待ち合わせがあるんだよ」


「⋯⋯お兄ちゃん?なんか変じゃない?どうしたの?」


「⋯⋯じゃあな!」


 そうして、少年は去って行った。


 不思議そうに見つめる妹の舞喜は分からずじまいの話。


 覚悟を決めた少年は病院の廊下を歩く。


 もう、立ち止まれない。


 全て聞いた。


 全て知った。


 後は、本人に会うだけだと、准は病院を出て、走る。


 鞄も無ければ、肩車している相手もいない。


 だから、めいいっぱい、ありったけに脚を動かして、美羽から聞いた住所へと向かう。


 終わらさなければならない。


 終わりにしてあげなければならない。


 この街で起こる不思議な怪異現象の一つを。

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