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この街は今日も語る  作者: 紫芋
第1シリーズ 大洲藍莉は語る

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3/97

要らない変化

 夢を見た。


 初恋の夢でもなければ、悪夢でもない。


 ただの小さな救済の夢(かこ)の話。


「これはお前次第だぞ少年。俺は手を貸せない。既に【啓示《てんまつ》】も【|七人の天使】も【悪魔の王】と【紅蓮の龍】も【降り注ぐの苗種】も【鉄槌の火柱】も【婚宴《しゅくふく》】も【再臨(ふっかつ)】も【種による選別】も全てぶっ潰した。けれど【ヨハネの四騎士(あてうま)】は違う」


「何で⋯⋯ですか?」


 何故【当て馬】は入っていないのか。


 どうして、肝心で大事な所だけ見透かしたようにスルーしたのか、僕は訝しんだ。


 けれど、男は微笑んだ様子で口にする。


「結局は人の物語《はなし》だからだ。少なくても、事態を招いた根源《やつら》はいても、それを最後に受け入れたのは妹さんだ。だから憑かれた。皆が皆、否定していた中、一人だけ受け入れたんだ。こ(・)れ(・)で(・)い(・)い(・)や(・)ってな」


「あんな、事をですか?」


 狂気と豹変。


 罵倒と侮蔑の応酬と写り込む影と手。


 血濡れた腕と微笑んだ際に漏れた眼光。


 どう考えても異常を遥かに凌駕した異状そのもの。


 中学生デビューにしては派手さが過ぎていて、あまりにも拙いゴミのような結果へと陥った。


 それを知ってか知らずか、男は頷く。


「そうだ⋯⋯。傷付くより、傷付ける方を取ったという話さ。皆傷付くのは嫌だろ?」


 思い返されるのは妹との弁論。


 必死になって抗議した気になって、自分の弱さを露見させるだけで最後は無様に転がったあの時間。


 けれど、言い訳の余地なんてものは与えられなかった。


 時間も情勢も流れも全て等しく訪れてしまう。


「どうして。こんな⋯⋯」


 それを聞いた男は呆れた態度を取りつつも、僕の隣に座り込む。


 穏やかな風が身を包み、目の前に広がる広大な湖は僕と男を映した。


 僕の胸中とは裏腹に綺麗な満点の星空であり、それが湖にも映し出されていたが、それを深く楽しむ気にはなれない。


「分かっているんだろ?そもそもの切っ掛けは少年、お前だ。違うか?」


 そう、切っ掛け自体は些細な喧嘩だった。


 何処にでもある──と言うには少し語弊もあるが、僕達家族にとっては普遍的なもの。


 本当に普通の喧嘩で、ありふれているもので済んでいる、そう勝手な憶測と馬鹿な予想が今に辿り着いてしまった。


「⋯⋯いえ、そうです。けど、僕がアイツに対して何を言っても⋯⋯」


「それを無理にでも聞いてもらう為の期待を密かにしてるから、俺の話を聞いてるんだろ?だったら、やる事は単純だ」


 すかさず立ち上がった男は僕の方へと顔を向ける。


 見下ろされた男の顔は何処か不敵で、羨ましいと感じてしまった。


 けど、僕はそんな風にはなれないと諦めもあって、それがまた悔しい気持ちを込み上げさせる。


「まずは、思いの丈を叫べ。何の憂いも要らない。家族を助けるのに、自分に凝《しこ》りがあっちゃぁいけないんだ」


「アンタ、なんなんだ?」


 隣に座り込む僕は見上げて、男に訊ねた。


 何故そんな事を言う。


 この事態を悪化させたのは間違いなく僕である事は僕自身が何よりも知っている。


 それを怒るでもなく、嘆くでもなく、静かな物腰で語り掛けるこの男が全く持って分からない。


 存在も動向も意思も在り方も何もかも。


「⋯⋯ふっ。誰だったら良いんだ?神様か?人か?それとも化け物だったりして?」


「⋯⋯誰でもいいですね⋯⋯。悪魔でも」


「はっはははー、違いない!さぁ、叫べ!思いの丈を!お前は何を望んで、何を求めた!その全部をぶちまけろ!」


 立ち上がった。


 ぶちまけたい言葉は多くあった。


 勝手に連れられて此処に来た意味というのをようやく理解した僕は、水面が綺麗に夜空を描く湖を目の前に息を吸う。


「はぁぁぁぁあっっっ────」


 そして、叫んだ。


 きっと聞き取りにくい粗末な言葉で荒らげるだけ荒らげた拙いものであっただろう


 何を言ったは、何故だか思い出せない。


 それでもわかる事があるとすれば、これは救済であったのだという事。


 そして、男は「最高だな」と口にして微笑んでくれた事だけだ。


 あの日、あの時──。僕は一つ決心を胸に刻んだ。


  ━ ━ ━


 目が覚めれば僅かな隙間が開いたカーテンから日差しが差し込んでいた。


 ゆっくりと瞼は上がって大きな欠伸をする。


 背を伸ばそうと腕をゆっくりと上げていた時だった。


「おはよう」


「ぅぅうえ?」


 欠伸の途中という事もあり、情けない声を出した准は右方向から聴こえた声の主を凝視する。


「⋯⋯なんで居るの?」


「朝ごはん、食べたいから起こそうと思って」


「図々しい⋯⋯」


 小さい姿をした大洲《おおしま》藍莉《あいり》は膝を着きながら、座り込む様子で准を見つめる。


「だって、子供だもん」


「元に戻っても、子供なんだよなぁ⋯⋯」


「そうかも」


 立ち上がった准はスマホで時計を確認する。


 時刻は午前七時丁度とキリがよく、登校は八時にすれば依然間に合う。


 そうと決まればとばかり立ち上がった准の動きは寝起きにしては手早かった。


「ご飯作るかぁ」


「手伝う!」


「何が手伝えるのさ?」


「う〜ん。応援とか?」


 フレー!フレー!とチアダンスのような動きをする少女に僅かな違和感を覚えたものの、その時は気の所為だと誤魔化して、呆れた様子で口にする。


「煩くしないでくれよ?」


 そうして、准はパンとハムをトーストに入れ、レタスは温水に漬けて放置し、少ししてから水分を抜いて、卵はフライパンで目玉焼きにして、それらをドッキング!もといクッキング!


 そして完成したのは黒胡椒を中身にまぶしたバーガーである。


 バンズではなくパンであるものの、准的にはバーガー。


 異論は勿論受け付けない。


「⋯⋯なんでも良いけどさ。こんな男飯食ってて大洲、不満じゃ無いのか?」


「なんで?」


 昨日の夕食は醤油増し増しのカツ丼。


 今日の朝食はボリュームタップリの栄養が偏ったバーガー。


 どう見ても不健康。手短で時短目的で作っているというのもあるが、それでも拘りのようなものは人よってあり、藍莉と准の二人もまた拘りのようなものは当然違う。


 それを気にした発言ではあったのだが、藍莉にはそれを理解出来ていない様子だった為、少し声のボリュームを上げて具体的に言葉を綴っていく。


「いや、普通さ⋯⋯。もっとこう、サラダとか、上品な品を求む!みたいなもん──」


「私は良いの!文句はないし、美味しいからそれで良いし。誰かに作って貰えるって結構幸せな事なの」


 准の半ば自虐のような言葉を遮った藍莉は、掌サイズでは収まらない少し大きめのバーガーへと勢いよくかぶりつく。


 目玉焼きの黄身が垂れて、皿の上にポタポタと落ちていくのを見て、准を恐る恐ると一瞥すると、バーガーを皿に垂れた黄身につけて再度口に放り込んだ。


「うん。やっぱり美味しいよ?」


「それはどうも⋯⋯」


 気にしているのは体調面だけではない。


 昨夜の時点で影が無い事に対する不安もすぐに呼び覚まされた事による焦りもある。


 そんな准の言い表しようのない複雑な心境を無視して、バーガーを小さな口に持っていくと、咀嚼の後、飲み込む。


「何?嬉しくないの?」


 明らかに不機嫌そうな顔色を浮かべている准に首を傾げて確かめる。


「嬉しいけど⋯⋯。やっぱり家に帰って食べた方が大洲的には落ち着くだろ?」


 あくまでも少女を案じての事。


 それ以外は別段深い意味はなかった。


「⋯⋯准(・)的には落ち着かないの?」


「まぁ──ん?!え?なんだか、名前呼びされたような気がするんだけど⋯⋯どういう心境の変化?」


 ラブコメですらもう少し何かあるものだが、それらをすっ飛ばして行った突然にして突如の名前呼び。


 准はシャイボーイでは無いにしろ、もう少し間の余白と呼ばれるものが欲しかった手前、いきなり過ぎる少女の言葉に動揺してしまう。


「別に、呼びたいだけ。文句ある?」


「無いけど。じゃあ僕も⋯⋯藍莉、さん」


「は?」


 鋭く刺すような視線は准を目掛けて行く。


 それに萎縮した准はやり直すようにもう一度呼ぶ為、ゴホンと口元を拳で抑えて咳払い。


「藍莉」


「宜しい!」


 微笑んだ少女は普段なら可愛いと思えるのだろうが、現状はそうには決してならない。


(こわ⋯⋯)


 ただ、情緒が掴めずに震えるのみであった。


 朝食を取り終えて、ふてぶてしい態度でテレビを見ている藍莉と皿を洗い終えて学校へと行く準備を済ませた准は、とあるサイトを観覧している。


 それは『空弩街《あくどがい》不可思議情報』と呼ばれるものである。


 似たケースが無いか部屋に入って少しだけ調べているのだが、現在絶賛難航中。


 もはや嵐に遭遇して遭難してると申しても良い程に手掛かりは掴めずにいた。


「⋯⋯『人がUFOに攫われた⋯⋯。一年前の夏。九月十日⋯⋯の夜の九時』ん?あぁ。⋯⋯その攫われた奴が今見てますよーってね」


 一年前の夏、ある件が解決したすぐ後の事である。


 円盤のような見た目をした生物に攫われそうになったのだが、偶然、准の祖母に当たる人物から貰ったどら焼きが偶然、その円盤からすれば即効性の毒だったらしく、当たって不時着してしまったのだ。


 キャトルミューティレーションされ掛けた准も、これにはびっくり仰天である。


 餡子がいけないのか、生地がいけないのか。


 粒か漉しか。そんな二択を迫る事もなく、バクバクと准を食べる前に放り込まれた土産によって急落下してしまうものの、幸いな事に柔らかい胎内であった為、ベトベトになっただけで帰還に成功したのだ。


「あれ、見てたんだな⋯⋯。撮ってないで助けてくれよ」


 既にもう終わった事ではあるが、事の顛末をこの撮影者は知らないのだろう。


 悪態もそこそこに、次にサイトに投稿されたものを見ていく。


「⋯⋯『白いフワフワしたものが宙に待っている。スマホで撮りました。見えますか?』⋯⋯はぇぇ。ケセランパサランみたいだな」


 曇り空と微かに写ったデパートの看板で何処で撮ったか分かってしまう准は、その白い物が写っているらしき添付されている写真を見つめて、そう呟いた。


 しかし、これは准は出会っていない。


 会っていれば、払ってしまうだろう、手で。


「えぇと、次に⋯⋯、『この街はヤバいのが多すぎる。見ろよ?!これはなんだー!!』ん?なんだ?」


 そう言って准が見たのは、モザイク加工で顔を隠している子供達が公園で戯れている様子であった。


 そして、その子供達の影が一つの大きな人の形となっているものである。


「あー、これか。親御さんも大変だろうに⋯⋯」


 他人事のように言うものの、その影が無いものが目の前に居るのだ。


 それを思い出した准はチラっとスマホから少女へと目を向けると、此方《こちら》に身体の向きを変えて、興味深そうに見つめている。


「⋯⋯」


 何処か寂しそうな顔色を浮かべていて、孤独感が漂う。


 それを見て見ぬフリというのが出来ない准は手を前後に振って呼び掛けた。


「一緒に見るか?」


「うん!」


「⋯⋯⋯⋯」


 満面の笑みを浮かべる少女。


 憂いや悩みを捨て去ったようにニコニコとしている少女の横へと自ら移動してスマホを近付けていた。


「これなに?」


「都市伝説とか不可思議な現象を取り沙汰にしてるサイト。この街はその手のが多いんだよ」


「へぇ〜。知らなかったぁ」


「⋯⋯ん?」


「どうしたの?准」


「──────いや、なんでもない」


 違和感の加速だった。だが、よもやまさかと思い、手に持ったスマホの画面をスワイプして次の投稿を見ていく。


「『有名かもしれないけど、十メートルの象が願い事を叶えてくれる祠がある。地元では結構有名』⋯⋯。三メートルだっての。誰だ、七メートル分も盛った奴」


「会った事あるの!?」


「⋯⋯ゴールデンウィーク中にちょっと色々あって」


「良いなぁ⋯⋯。会ってみたいかもー」


「⋯⋯⋯⋯」


 冷や汗が流れている。


 いくらなんでもおかし過ぎると、心と思考が騒ついて離れない。


 隣に居る少女を見る准。


 その視線に気付いたのか、「なにー?」とあ(・)ど(・)け(・)な(・)い(・)様子で聞いてくるのだ。


(まさか⋯⋯。肉体年齢に引っ張られてる?昨日はそうでも無かった筈じゃあ⋯⋯)


 昨日の夕方頃には見た目こそ幼い者ではあったが、仕草や動作、所作や言動に至るまでが女子高生そのものであり、履いていたスカートはきっちりと下着を隠すようにして座っていた。


 だが、今はその様子がない。雑に座り、脚をバタバタと前後に振って、十歳とも思えない程に幼児化している。


「どうしたの?続き見せて!」


「え?⋯⋯あぁ、そうだな」


 時間が無いのかもしれない。


 そう考え始める准は、立ち上がった。


「なに?」


「大し───じゃなくて、藍莉。今日どうするんだ?」


「家に帰ってみる」


 太腿に置いていたランドセルを太鼓のようにして叩きながらそう口にした。


「⋯⋯あぁそうか。鍵は?」


 考える素振りを見せた少女は顔を左右に振っていく。


 昨日も少女は考える際に似たような事はしていたが、子供のように顔を左右には振ってはいない。


「うーん。どうしようかな、お父さんが十時頃にパ⋯⋯仕事だから、その時に忍び込む」


「そうか。分かった」


「⋯⋯どうしたの?」


 流石の小学四年生といえども、人の機微には気付く。


 不安そうに見つめる瞳は准の顔色を窺うようにしていた。


「⋯⋯藍莉はその、あの⋯⋯」


「なに?」


「帰ってくるか?此処に?⋯⋯いや、ごめん。違うよな。元々、アッチが元の居場所だし。何聞いてんだろ⋯⋯」


「帰ってきて欲しいの?」


 分からなくなった。


 少なくても昨日の少女も言いそうな台詞であり、こんがらがってきている。


 帰るべき家は当然、大洲宅なのは間違いない。


 准の住むアパートに昨日から今日に掛けて泊まり込んでいたのが異常事態なのは明らか。


 それでも准は何処か悲壮的に考えてしまう。


 答えの辿り着かないその低スペックな思考回路は必死に熱を帯びる。


「⋯⋯もう行く」


 だから、逃げるように立ち上がった。


 まるで、問題を後回しするように。


「え?」


「十時からなんだろ?悪いけど、一緒に家には出てもらうから」


「うん」


 少しだけ、俯いた少女は元の服が乾き切っていない事もあり、ジャージのまま立ち上がり、歩き出した。


 暗い表情にさせてしまった事による罪悪感が湧いた准であったが、言葉通りランドセルを背負って、玄関まで歩いて行く少女を見つめて、苦い顔を浮かべるのであった。


  ━ ━ ━


 アパートを出た二人が最初にした事は、肩車をしている様子を世間様にお見せする事であった。


 昨日の少女は誰にも視認されずに路頭に迷っている状態。


 翌日になれば何か変化が既に訪れているのだと、そう微か期待を持って、半ば強引に説得すると、無理矢理肩車を行った。


 通学鞄とランドセルというお邪魔な物が有りつつも、通学路を走ったり、迂回して犬の散歩をしている老人、小学生の子供達や上級生といった人達に肩車の様子を見せつけていく。


 そして────。


 通学路の付近にある公園で一休みしている准は、ぜぇーぜぇーと息を荒らげており、肩から降りた少女は背中を擦ってくれている。


 単純な頑張り過ぎにより、ベンチに腰掛けた身体は既に早朝からガタが来てしまったのだった。


「もうー。だから、止めよって言ったのに?」


「お前の『止めよ』は、恥ずかしさから来る『止めよ』だったろ⋯⋯」


「⋯⋯大丈夫?」


「もうちっとだけ休む⋯⋯」


 背凭れに背を預けて寛ぐ准に合わせるようベンチに座り込んだミニ藍莉は不安そうな顔色を浮かべていた。


 傍から見ても朝から躍起になり過ぎている同級生の男の子を見るのは耐え難いものがある。


 それがましてや自分の為となれば、尚更だろう。


「⋯⋯どうした?」


「え?!⋯⋯いやね。あの⋯⋯その。⋯⋯大丈夫かなぁって?」


「頭なら正常にバグってるから安心しろ」


「それ、結果的にはおかしいって事よッ?!」


 五月もそろそろ中旬。


 吹いて欲しい風は流れずに太陽だけが顔を出している。


 朝から汗を流して、学生服と身体の間に滴る汗が准の不快感を底上げしつつも、この公園で脱いでしまうという選択肢は取る事が出来ない。


 そして、そんな太陽に照らされながらも、影は伸びていない少女を見つめる。


(⋯⋯⋯僕だけが見えている。って事はやっぱり僕が何とかしないといけない⋯⋯。食欲あって、トイレにも行く。なのに精神年齢だけ下がるなんて、理不尽の極みだな⋯⋯)


 生きているのならば当然、食事も睡眠も排泄も必要となってくる。


 問題は影(・)が(・)な(・)い(・)という観点のみ。


 ミニ藍莉は『現象』であり、登校してくるであろう大洲藍莉が『本物』という線も勿論頭に入っている。


 けど、付き合いの長さだけで言ってしまえばミニ藍莉の方が軍配があるのも確か。


 不安感は募り積もる一方。何も出来ない惨めな自分に逆戻りの真っ逆さまの最中だ。


 何よりも懸念すべき事は何か准は知っている──。


「あれ?准!珍しい何やってんだ?こんなとこで?」


「え?!あぁ、れい──ムッくんかぁー」


 睦月《むつき》嶺二《れいじ》が住んでいる一軒家近くの公園に居た事をしっかりと抜け落ちていた准は驚いたようにして振り向くも、その声の正体が彼と気付くと腕を振ってご挨拶。


 唯一気心の知れた仲であるのは間違いなく、自然と笑みが零れた。


「よっ!今日は草っ原からのご到着じゃ無かったのな?」


「まぁな〜。──そうだ⋯⋯この近くに赤(・)い(・)ラ(・)ン(・)ド(・)セ(・)ル(・)は(・)な(・)い(・)か(・)?(・)」


「はぁ?⋯⋯⋯⋯いや、パッと見は無いけど?なに?探しもん?手伝おうか?」


 当然のように手伝うと口に出た優しい友人。


 けれども、少年の伝えたかった意図を全く読み取れてはいなかった。


 否、普通はそうなる。むしろ、下手な遠回りでカマかけのように言葉を紡いだ少年の方が愚かであろう。


 愚か故に勝手に傷付いてしまい、その表情はミニ藍莉の目にも留まる。


「いや、違うんだ。そうか、無いのか⋯⋯」


 嶺二の立っている位置はベンチに腰掛ける准の真ん前であり、向かい合うようにして居る。


 当然、准の隣に座っている少女が見えていなければならず、彼の性格からして、友人が連れ添っている子供に挨拶をしないという事はあるはずが無い。


 更に言えば、准の口にした『赤いランドセル』は現在、ミニ藍莉の傍に置かれている。


 一瞥も無く、『探そうか』という言葉が出る事自体が全てを物語っていた。


「惚けているのも良いけど、早く行かないと遅刻すんぞ?」


「⋯⋯そうだな。先に行ってくれ。追いつくよムッくん」


「おう!じゃあ待ってるぞーー!」


 意気揚々と笑顔でその場を後にした友人を座り込みながら見送った准は隣に座っている少女を見る。


 明らかに落ち込んでおり、座る際に邪魔になると思って隣に置いた赤いランドセルを抱えるようにしていた。


 誰も悪くはない。嶺二が気付かない事自体が本来在るべき状態であり、間違っているのはむしろ准の方なのは、本人だって気付いている。


 けれど、隣で俯いている少女を見れば見るほど、悲壮感は増してしまう。


「私⋯⋯、私は、何処に行ってもこうなのかな?」


「そんな事無いって?そうだ、明日、土曜日だろ?折角だから遠くに行ってさ。確かめよう」


「⋯⋯それで見えていなかったら、どうしよう」


 不安感は募る。唇は引き結びそうになるものの、それを許さないとばかりに口は開かれる。


「そう思い込まないで行くんだよ!マイナス思考だけで世の中回らないだろ?な?」


 泣き出しそうな声と共に肩を震わせていく。


 赤いランドセルが頭と膝で僅かに折り曲げられる。


「私、お父さんにもお母さんにも忘れられて⋯⋯。居なくなっちゃうのかな?」


 高校生の女子生徒──と言うよりは等身大の小学生のような言葉だった。


 徐々に幼児化が進んでいく現状、手立てのようのものは見当たらず、時間だけが無駄に過ぎ去っていく。


 拳が握られた。悔しさを滲ませて顔を歪ませる准はそれでも言葉を綴った。


「⋯⋯大丈夫だって。何とかしてやる!」


「⋯⋯ほんと?」


 ランドセルから頭を離した少女の目元からは、少し涙が流れていた。


 それを見た准は、更に強気な態度で言葉を発する。


「あぁ。これでもこんな問題、飽きる程体験してるんだぜ?なんとかするって!」


「⋯⋯⋯⋯うん」


 ランドセルを横に置いて、立ち上がった少女は准の方へと寄り、ギュッと抱き締める。


 僅かに身体は震え始めて、何処か引き攣った顔を見せる准であったが、少女の期待に応えるべく、時間差で呼応するように准も少女を抱き締めた。


 少女の苦しみを完全に理解出来ていなかった准は今になって初めて理解した。


 見られる事、視認される事は存在が認められる事と同意義であるという事を。


 承認欲求が高かろうと低かろうと、誰にも見られないというのは重く心に負荷を掛けていくのだと。


 昨日の夕方頃、ミニ藍莉もその不安感だけが何時までも拭えずに、そして抗えずにいた。


 だがそれを払拭して貰える人物が現れる。


 確かに目に留まり、口にして、気怠げながらも自身を明確に視認してくれる存在が──特売日に釣られてスーパーにのこのこやって来た少年が現れた。


 決して逃がしてはならない体温と絶対に差し伸ばさなければならない影。


 解決出来る云々はその時のミニ藍莉にとってはどうでも良かった。


 問題は冷え切ってしまった心を温められる存在がそこに居てくれるだけで良かったのだから⋯⋯。


 准は意を決したように、少女を身体から離して、言葉を投げ掛ける。


「約束する。藍莉、お前の事は絶対に元に戻して、助ける。⋯⋯何があってもだ」


 真っ直ぐに見つめる。ひたすら濡れた瞳に誓って心の奥底から呼び掛けるように口にした。


「⋯⋯約束だよ?」


「あぁ。約束だ」


 頷いた准の胸元にぽすりと額を置いた。


 ブレザーに触れた手は力強くなっていき、徐々に皺を作っていく。


 少女には影が無い。少女と同一の存在がもう一人居る。


 それを承知で准は少女の頭を優しく撫でた。


 決意は固まった。意思は揺らがない。


 たとえ、何があっても────。


  ━ ━ ━


 高校付近まで着いてしまった准は、隣に居る少女には誰も反応を示さない事に多少の落胆はしてしまうものの、大洲家へと戻る少女に手を振って見送った。


 嶺二は既に校舎に着いているとスマホからメッセージが飛び込んでおり、『早えよ』と返信して通学路を歩いていく。


 元々、早めに出た事と肩車の際に走っていた事も加味して本来の到着時間よりも早く学校に到着。


 けれど、不安も謎も残ったままなのもまた事実であり、准は怪訝そうな顔をさせながら昇降口で立ち止まる。


(肉体年齢に引っ張られていても、状況が分かってるってのが、また厄介なんだよな⋯⋯。どうする?せめて、何か手立てがあれば⋯⋯)


 視認されず、認識されず、認知されないのだと把握が出来る小学五年生。


 これが少女の現状。


 昨日と違い、情緒が幼めになってしまった事も踏まえると、あまり悠長にはしていられないと少女は自覚している。


 それがどうしてなのかは理解出来ずとも。


 本来ならば大洲家へと着いて行きたかった所ではあったが、准も学校で確かめなければならない事があり、それを明確化させる為、足早に廊下を歩く。


 そして、見慣れた教室へと足を踏み入れた。


「あ、桐江くん!昨日のアレなに?怖かったんだけど?」


「⋯⋯っ!?」


 驚愕と動揺が心と身体を大きく揺さぶった。


 准は教室に踏み入れた脚を竦ませるような流れで一歩後退し、目の前まで歩いて来る彼女を見る。


「ねぇ?何か言って?私怒ってる訳じゃなくてさー。理由が聴きたいんだけど?」


「お前、その話し方⋯⋯なんだ?」


 准は思わず躊躇い交じりに声を掛ける。


 その口調は何処かおちゃらけたものであり、普段から醸し出されていた上品さや気品のようなものは打ち砕かれており、茶色の長髪に少し手入れをしているか、癖っ毛なのか、寝癖なのか、多少ウェーブのような状態の髪を優雅に靡かせる女子生徒は准の目の前に佇んでいた。


「はぁ?普通じゃない?なに?なんか変?っていうか変なのは昨日の桐江くん方だって!」


「⋯⋯准、なんかしたのか?大洲さんに?」


 教室内から嶺二が恐る恐る聞きにくる。


 ようやくやって来た友人がクラスの人気者に声を掛けられた、その事が不思議であり、嬉しくもある嶺二ではあったが、准はそれどころでは無かった。


「それがさぁ。桐江くんが昨日電話掛けて来たんだけどさ。なんか、何度返事しても、『もしもし』しか言わないのー。変じゃない?」


「おいおい、それはダメだろ?准?しっかり謝っとけよ!寛容な内にな?」


「駄目なんだよ?悪戯はー?」


 藍莉に聞かされた嶺二、そして、藍莉の傍に話を聞いたであろう駆け寄ってきた逸花《いつか》から准は注意を受けてしまう。


 だが、そんな事は些事でしかない。


 准の視点からすれば、より一層マズい状況が繰り広げられていた。


(何だ⋯⋯⋯⋯コイツ?どう見ても透けてるし)


 逸花、そして嶺二と小話をしながら目の前で注意を受けたばかりの准の返答を待っている大洲藍莉の身体は透けていた。


 後方に居る生徒、窓やロッカー、机に椅子と完全に見える状態となっていて、表情の程も少し窺い辛いものとなっている。


 注意深く見ようと眉間に皺を寄せた准に最初に気付いた嶺二は呆然としてしまい、逸花は驚いた様子を見せた。


「なに?桐江くん。凄い怖いんだけど?」


 ただ一人、余裕そうにしているのは藍莉のみであり、それが尚の事、准を苛つかせていく。


「キレてるからな」


「⋯⋯え?あ、ごめん。言いふらすつもりじゃなくて──」


「そこじゃない」


 ドスが利いた低い声が空気を一変させる。


 嶺二も逸花もポカンと口を開けて、藍莉のみが状況を掴めずにいた。


「え?じゃあ何?」


「大洲、ちょっと来い」


「え、ちょっと!なに!?」


 無理矢理半透明な腕を掴んだ准は教室を出た。


 気持ちの悪いぐらいにその質量は軽く、馬鹿みたいにスイスイ前に進んでいく。


 当然藍莉も抵抗だってしているが、全く持って歯が立たない。


 最も階段に近い道を進んで行き、そのまま人気の無い場所へと移動しようとするものの────。


「おい、桐江!止めろよ。藍莉が嫌がってんだろ?何があったか知らないが、少し落ち着け」


 誰よりも先に遮る壁として立ちはだかる者が居た。


 大洲藍莉の友人でもある武島《むとう》颯悟《そうご》だ。彼が准の前で手を伸ばして立ち塞がっている。


 長身に鍛えられた身体は准一人では決して太刀打ちなんて出来はしない。


 凄んでいる訳ではなかったが、それでも圧迫感は廊下を伝って皆に届く。


 颯悟に対して睨みを利かせた。


 だが、彼はその程度では怯えない。


 毅然とした態度で今尚、准の前に立っている。


 それがまた准を酷く苛付かせた。


「⋯⋯武島。お前、誰からも見られない小学生ってのを知ってるか?」


「え?なんの関係があるんだ?」


「知ってるかって聞いてんだ⋯⋯」


 棘のある静かで語気が強い声は聞いていた周りを萎縮させた。


 ある者は見物人としてスマホを向けて、ある者は教師を呼ぼうとしている中、質問に答えるように颯悟は呟く。


「⋯⋯知らねぇ」


 武島颯悟は桐江准のやろうとしている事、その意図、思考が分かる程、仲睦まじい訳ではない。


 純粋に女性が男に腕を掴まれて、無理矢理連れて行かれようとしているから止めに入っているに過ぎないのだ。


 友人の友人という枠組みの中、緊張感は走り出す。


「だったら黙ってろ。知らない事があるってのは良い事だ。そうだろ?放(・)火(・)犯(・)」


「っ!なんでそれを⋯⋯」


 小骨が喉に刺さったように喉が引き締まった。


 一気にギュッと締められた喉からか細く漏れた息。


 颯悟は先程まで見せていた緊張感も迫力も嘘のようにか細くなり、通り過ぎていく二人を黙って見過ごした。


「ちょっと!痛いっ!痛いーーッ!離せっての!」


 その悲痛な叫び声は階を下りるごとに薄れていく。


 准の友人である嶺二は困惑した様子で佇み、階段を下って行った二人を見つめるのみ。


「アイツ⋯⋯どうしたんだ?」


 その言葉は誰にも響かない。


 今の准を擁護する者が居ないように、彼の言葉も誰も届かないのだ。


 一方、転び掛けようとも腕を叩いても准は彼女の腕を一切離す事ない。


 そして、今現在人気の少ない場所でもある部室棟まで辿り着くと共に投げるように藍莉を壁に叩き付けた。


 その乱雑な振る舞いを受けた藍莉は「痛い!と悲痛さが滲み出た声を出そうとも、背中を抑える様子を見せようとも、准の表情は依然として変わらない。


「お前誰だ?」


「何言ってんの?」


 困惑した様子で聞いていた質問は更に藍莉を困惑の渦へと突き落としていく。


「質問が分からないのか、言葉が分からないのか、意図が分からないのか、どっちだ?」


「全部だよ!」


 迫真の表情で返ってきた返答。


 けれど、全部分からないのは准とて同様だった。


「透けてるお前に言われたくないんだよ」


「⋯⋯透けて??え?何言ってんの?マジで⋯⋯。ねぇ、本当に大丈夫?熱あるの?怖いよ?」


 彼女は至って冷静に──いやむしろ逆に心配になってしまう程である。


 正真正銘、奇行に走ったと思われていた。


「⋯⋯どうするの?もう予鈴なるよ?」


「サボれ」


「いや、サボるにしてももっとマトモな理由──」


「お前、十歳の頃の一番の思い出はなんだ?」


「がほし⋯⋯え?」


「耳まで悪いのか?」


 舌打ちをした事で藍莉を萎縮させてしまい、更に質問の意図が分からない事への悪態も追加料金として恐怖で支払わせる。


 准の表情は鬼気迫るものであった。


「⋯⋯十歳?十歳⋯⋯。弟が産まれた⋯⋯事とか、かな?」


 か細く小さな声で答えた。


 だが依然、満足のいかない准は続けて口にする。


「それは聞いた。他には」


「え?なんで知ってるの⋯⋯。えぇと⋯⋯無いよ。他になんて」


「成績表で駄目出しされたのと、初めて告白されたとかは!?」


「⋯⋯なんで知ってんの?ねぇ!」


「あるんだな?」


「⋯⋯うん、ある」


 頷いて返事をした藍莉に厳しい目線が向かい続けていく。


 腕を組み、壁と挟むように佇む准に藍莉は逃げ場など無かった。


「他は?」


「⋯⋯分かんない⋯⋯。ぐすっ。分かんない分かんない分かんないよ!」


 涙が目元から滲み出始めており、俯いて手は顔を隠すように添えられる。


 傍から見れば、悪者は間違いなく准の方だった。


 だが、客観的な視点を怖がっている場合でもないのもまた事実。


 昨日、今日とでミニ藍莉の情緒は幼児化してしまい、それを体感しているからこその焦りが准の態度と言葉から滲み出る。


「良いから答えろ。時間がないんだ」


 けれど、そんな彼女を邪険にする事は今の准には容易であった。


 ただでさえ、ミニ藍莉が孤独の状態と化している中、悠々自適に微笑んだ様子で教室に居座っている事が准には耐え難い事だったのだ。


 見た目は准の知る大洲藍莉その人。


 口調は違い、態度も何処か軽い感じであり、化粧も僅かに変わっている。


 しかし、皆が『大洲藍莉』と呼ぶのは准の目の前で泣き崩れている女子高生その人であり、小さな見た目となった『大洲藍莉』は存在していないのも同様なのだ。


 だが准にとっては違う。


『日常を彩る存在』として准が思う人物は『小さな大洲藍莉』であり、等身大の『大洲藍莉』ではない。


 揺らぐ事は許されない。迷う事は手遅れとなる材料でしかなく、淀んだ思考は何時かしっぺ返しのように返ってくる。


 だから桐江准は目の前の女性に容赦しない。


『化け物』と認識さえしてしまえば、容赦のしようもなくなるのだ。


「むりだよぉぉおおぉぉぉ。わ、わ、分かん、ない⋯⋯ぅううぅぅ。言いふらした事、ちゃんと、謝るから⋯⋯。お願いだから、怒らない、でよぉぉぉ」


 へたりこんだ彼女を見下ろす。


 しかし彼女は勘違いしていた。


 准がここまで憤慨している理由を知らない。


「だから、言いふらした事にキレてんじゃない!僕はお前の存在にキレてんだよ!」


「⋯⋯な、なにそれぇぇ。どう、ぐすっ、こと?」


「本来はお前じゃない、お前が居るはずの場所でノウノウと笑って仲良しこよしなのが腹立つって言ってんだ。お前は人のつもりかも知れないが、ハッキリ言ってやる!お前は人じゃないッ!」


 明確にハッキリと本心を包み隠さずに口にした准に藍莉は困惑の一途を辿るしかなかった。


『化ける怪異』と呼ばれる者も確かに存在した。


 ある時はそれによって状況をしっちゃかめっちゃかにされた挙句、随分と苦労を強いられた准の一つの教訓がある。


『騙される前にへし折れ』というもの。


 残念な事に准は普通の少年であり、特殊能力持ちでもなければ、チート級のアイテム保持者という訳でもない。


 だが、相手の意思はへし折れる。


 完膚なきまでにボロ屑へと心を叩き落として、生きる事も死ぬ事も許さない程に罵詈雑言の限りを尽くしてでも相手の意思をへし折るという作戦。


 勿論、これまで試した事もなければ、今現在アドリブでやっている付け焼刃に近い形ではあるものの、やろうとする気概だけは一丁前の准は躍起になっていた。


「なに、言ってるのぉぉ。ほんとうに⋯⋯どうしたの?私、そんなに酷いことしたの?ねぇ〜?謝ったのに」


「謝って貰ってもないんだが?」


「⋯⋯ごめんなさい、ごめんなさい」


「今すぐ、アイツの居場所を返してやれよ。出来ないなんて言わせないぞ?」


「誰のことなの?なんの事?どういう事?⋯⋯ねぇ?教えてよおぉ」


「お前自身の事だ」


「⋯⋯ぐすん⋯⋯だから、何言ってるの?」


 しかし一向に内容の意図が理解出来ない藍莉に対して、仕方ないと舌打ち混じり、切り出し方を変えていく。


 焦燥感は言葉に表れる。態度にも出始めて、貧乏揺すりが止まらない。


 准の一挙手一投足が不安と恐怖の種となり、萎縮したように身を縮こまられる藍莉は震えていた。


「お前、昨日の朝、何かあったろ?」


「何も無いよ⋯⋯。本当にッ!ないの!」


「⋯⋯嘘じゃないだろうな?」


「⋯⋯嘘じゃない⋯⋯。本当に知らない。知らない知らない。知らないのォォォ!!」


 部室棟に響き渡る声は肩から息をさせてしまうほどの大声であり、それが彼女にとって事実であると理解出来てしまう。


「使えねぇ⋯⋯チッ。時間無いのに」


「⋯⋯うぅ」


「本当に無いのか?前日も?」


「だからっ!無いっていってるでしょ?!」


「それでも聞いてんだよ」


「じゃあ、どうすればいいの?」


「元の状態に戻せ、それだけだ」


 結果的に言えば、それで丸く収まる。


 元に戻れば、別段それ以上は望んでいない。


 その元に戻す為の手段が思い当たらない准は焦りを誤魔化すようにして、語気だけが強く前に出る。


「訳わかんない⋯⋯。ほんと、どうかしたんじゃないの?昨日の電話も!朝のもそう!」


「⋯⋯朝?」


 ピクリと身体が動き、貧乏揺すりは途端にピタリと止まる。


(なんの事だ?朝?掛けて無いぞ?)


 間違いなく知らない情報。


 准にとっては初耳の新発展。


 縋るような気持ちは前になり、自分の身が危ないと藍莉も急いでスマホを取り出す。


「そうだよ!私のスマホに履歴あるの!⋯⋯⋯⋯これ!」


 見せられたのは電話の履歴であり、一番上には数字で准の番号が確かに表示されていた。


「これ、桐江くんの番号じゃないの?!」


 切羽詰まった様子で震える指を支えにスマホを持つ藍莉からぶん取る形で准も確かめていく。


 律儀な事に准は藍莉とスマホを視界にしっかり収めて、交互に目配せをして藍莉が逃げないように図っていた。


「確かに僕のだ⋯⋯、なんでだ?⋯⋯藍莉か?」


「え?なんで私の名前で──」


「黙ってろ、お前じゃない!一々、チャチャ入れてくるな!集中出来ないだろう」


「ひぃ!あ、ご⋯⋯ごめんなさい」


「⋯⋯おい、何か言ってたか?」


「⋯⋯⋯⋯何も言ってなかった⋯⋯。ノイズだけ、で⋯⋯⋯」


「ノイズ?」


「そう、ザーザーって、怖くて切っちゃって⋯⋯」


 本人からすれば、携帯が知らない番号から鳴り、取ったらノイズまみれ。


 恐怖体験以外の言葉では表せないだろう。


「それ何時だ?」


「⋯⋯多分、五時くらいだと思う。あ、六時かな」


「僕は寝てるな」


「じゃあ、誰なの?」


 その質問に「一人しかいない」と小声で呟く准は壁に凭れ掛かる。


「アイツ、何考えてるんだ?おい、今からお前の家に行く。着いて来い」


「え?い、嫌だよ!」


「早くしろよ?」


「⋯⋯いや、いや!嫌だ!」


 首を横に大きく振って拒否の意を示すも眼前の少年はそれを軽く蹴るようにして腕を掴む。


「駄目だ。来てもらう」


「どうして?」


「約束したからだ。助けるって。だからお前の家に行って確かめる」


「何を?」


「⋯⋯アイツとお前を会わして何が起こるかだ」


「私が誰と?」


「お前をお前とだ」


 傍から見れば『何を言っているのだろうか』と言う声は嵐のように飛び出し、考えるよりも先にブーイングが雪崩込む事この上無い発言だ。


 しかし、少年には関係が無い。


「⋯⋯何言ってるの?」


 たとえ、目の前で言われたとしても。


「戯言と思ってくれて良い。けど、人助けなのは間違いない。終わったら死ぬほど謝るし、言う事なんでも聞いてやる。何でもだ!死ねって言われたら死んでやるよ。全校生徒の前でも、お前だけの前でもな」


「逆にそれは怖い⋯⋯」


 至極真っ当な返しが准に炸裂。だが、トチ狂ったように見られても果たさなければならない約束を准とて刻んでいる。


 絶対に成さなけれならない約束が確かにあるのだ。


「そのぐらい本気なんだが?」


「その私ってどんななの?なんで知ってるの?どんな関係なの?」


「質問連投すんな。スタンプ連投並にウザイな⋯⋯」


 しかし、自分の知らない自分と面識があるというのは不気味かつ不可思議の醍醐味でもある。


 そしてその中心に自分が居るというのは、たまったものではないだろう。


「そうだな⋯⋯。頭良いはずなのに馬鹿で、優しくて、強情で──」


 昨夜の晩御飯の時の事。


 初めてマトモな会話をして、自分の妹が巻き込まれた『現象』に関しても「良かった」と即言える優しさは確かに准は聞き及んだ。


 皿洗いの時の馬鹿なやり取りも少女という存在あってのものではあるだろう。


 そして朝の精神年齢が幼児化を果たしてしまっても変わらない優しさがあり、それが彼女の元来からくるものと気付いている。


 だからこそ──何も進展せず、公園で泣いてしまった時は自身の無力さを悔いて、必ず助けると誓って刻み込んだ。


「初めて逢った時、嬉しそうに腕掴んで、期待に眼を光らせてたのを覚えてる。それに──」


 出逢いの場所にしてはあまりにも味気の無い駐車場の端っこ。


 掴まれた腕は買い物袋が多少下に落ちそうになるほど強く、確かに掴まれ、嬉しさで羨望すら抱いていたその瞳を今でも准は思い馳せる事が出来る。


「助けるって約束したんだから。助けたいんだよ。本当に終わる前に⋯⋯」


 嶺二が現れた時、ふと視線を横に向けた少女はほんの僅かに口を開けて、視線を前にやって期待したのだろう。


 その期待が損なわれた瞬間の失望は嗚咽をほんの少し漏らしてしまう程であり、それが聞こえてしまった准は居た堪らない気持ちに押しやられていた。


「その私を助けたいって事?」


『日常を彩る存在』はそこに確かにいなければならない。


 他人でも、偽物でも駄目なのだ。


「助けたいに決まってるだろ?僕はその為なら何でも出来る」


 ────飛翔する存在を知っている。


 今現在ある『日常を彩る存在』の中に欠けてしまった者が居る事を准は確かに覚えている。


 無力なまま顛末は終わりを迎え、泣き崩れて、喚いて懇願しても戻る事なんてついぞ無かった存在。


 桐江准は大洲藍莉を好いている。


『日常を彩る存在』として────。


 喪ってから気付いてはならない。


 そうなったが最後、一生分の穴は心に空いたまま、戻る事を知らずに放置される。


 声が鳴る、声が為る、声が啼る、声が哭る、声が泣る。


 傷を負った者の末路を知っている少年に絡み付くソレは『後悔』という残留思念。


 何時までも首を絞め付け、決して逃れる事の出来ない存在であり、少年はそれを許容した。


 思い馳せれば空を見上げて、飛翔し旋回するソレは今尚、目に強く焼き付けられている。


 彩られた日常の中、桐江准は藻掻く事しか許されない。

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