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この街は今日も語る  作者: 紫芋
大洲藍莉は語る

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3/15

要らない変化

 夢を見た。


 初恋の夢でもなければ、悪夢でもない。


 ただの小さな救済の夢。


「これはお前次第だぞ少年。俺は手を貸せない。既に『啓示てんまつ』も『教会(ななつのつづり)』も『玉座(さんび)』も『ラッパ(しき)』も『怪獣大混戦(つまらないたたかい)』も『怒り(ななつのささげもの)』も『(なげ)き』も『婚宴しゅくふく』も『統治(どくさい)』も『再臨(ふっかつ)』も全て、俺がぶっ潰した。けれど『四馬(あてうま)の騎士』は違う。これは少年の妹さんと少年次第じゃなきゃいけないんだ」


「何でですか?」


 何故、『当て馬』は入っていないのか。


 それだけ出来ると豪語出来るのならば、纏めてやって欲しいものだ。


 けれど、男は微笑んで言う。


「結局は人の話だからさ。少なくても、事態を招いた奴はいても、それを受け入れたのは妹さんだ。だから、『憑かれた』。皆が皆、否定していた中、一人だけ受け入れたんだ。『これでいいや』ってな」


「あんな、事をですか?」


 狂気と豹変。


 罵倒と侮蔑の応酬と写り込む影と手。


 血濡れた腕と微笑んだ際に漏れた眼光。


 どう考えても異常を遥かに凌駕した異状そのもの。


 中学生デビューにしては派手が過ぎていて、あまりにも拙いゴミのような結果。


 それを知ってか知らずか、男は頷く。


「そうだ⋯⋯。傷付くより、傷付ける方を取ったという話さ。皆傷付くのは嫌だろ?」


 なら准はなんなのだろうか。


 どうして、こんな事を聞かせるのだろうか?と素朴な疑問は止まらない。


「どうして僕まで⋯⋯」


 それを聞いた男は呆れた態度を取り、隣に座る。


 黒いコートが垂れて、静かに言う。


「分かっているんだろ?そもそもの切っ掛けは少年、君だ。違うのか?」


 そう、切っ掛け自体は些細な喧嘩だった。


 何処にでもある。


 本当に普通の喧嘩で、ありふれているもの。


「⋯⋯いえ、そうです。けど、僕にはアイツに何言っても⋯⋯」


「それを無理にでも聞いてもらう為の期待を密かにしてるから、俺の話を聞いてるんだろ?だったら、やる事は単純だ」


「え?」


「まずは、思いの丈を叫べ。何の憂いも要らない。家族を助けるのに、自分にしこりがあっちゃぁいけないんだ」


「アンタ、なんなんだ?」


 隣に座り込む男に尋ねた。


 何故そんな事を言う。


 この事態を悪化させたのは間違いなくじゅんである事は准自身が何よりも知っている。


 それを怒るでもなく、嘆くでもなく、静かな物腰で語り掛けるこの男が分からなくなった。


「⋯⋯ふっ。誰だったら良いんだ?神様か?人か?それとも化け物だったりして?」


「⋯⋯誰でもいいですね⋯⋯。悪魔でも」


 呆気に取られたような表情をした男。


「はっはははー、違いない!さぁ、叫べ!思いの丈を!お前は何を望んで、何を求めた!その全部をぶちまけろ!」


 立ち上がった准は小さな池が目の前に広がる場所で息を吸う。


「はぁぁぁぁあっっっ────」


 そして、叫んだ。


 きっと聞き取りにくい粗末な言葉で荒らげるだけ荒らげた拙いものであっただろう


 何を言ったは何故だか、思い出せない。


 それでもわかる事があるとすれば、これは救済であったのだという事と、男は「最高だな」と微笑んでくれた事だけだ。


  ━ ━ ━


 目が覚めれば僅かな隙間が開いたカーテンから日差しが差していた。


 ゆっくりと瞼は上がり、大きな欠伸をして、背を伸ばす。


「おはよう」


「ぅぅうえ?」


 欠伸の途中という事もあって、情けない声を出した准は右方向から聴こえた声の主を見る。


「⋯⋯なんで居るの?」


「朝ごはん、食べたいから起こそうと思って」


「図々しい⋯⋯」


 大洲おおしま藍莉あいりが敷布団に膝を着きながら、うつ伏せで准を見ていた。


「だって、子供だもん」


「元に戻っても、子供なんだよなぁ⋯⋯」


「違いない」


 立ち上がった准はスマホで時計を確認した。


 時刻は午前七時丁度とキリがよく、登校は八時にすれば間に合う。


「ご飯作るかぁ」


「手伝う!」


「何が手伝えるのさ?」


「う〜ん。応援?」


 フレー!フレー!とチアダンスのような動きをする少女。


 僅かな違和感をその時は気の所為だと誤魔化しながら言う。


「煩くしないでくれよ?」


 そうして、准はパンとハムをトーストに入れ、レタスは温水に漬けて放置し、少ししてから水分を抜いて、卵はフライパンで目玉焼きにして、それらをドッキング!もといクッキング!


 そして完成したのは黒胡椒を中身にまぶしたバーガーである。


 バンズではなくパンであるものの、准的にはバーガーなのだ。


「⋯⋯なんでも良いけどさ。こんな男飯食ってて大洲、不満じゃ無いのか?」


「なんで?」


「いや、普通ってさ、もっとこう、『サラダ』とか『上品な品を求む!』みたいな文句と──」


「私は良いの!文句はないし、美味しいからそれで良いし。誰かに作って貰えるって結構幸せな事なの」


 遮るように言ってバーガーにかぶりつく藍莉。


 目玉焼きの黄身が垂れて、皿の上にポタポタと落ちていくのを見て、准を恐る恐ると一瞥すると、バーガーを皿に垂れた黄身につけて再度口に放り込んだ。


「うん。やっぱり美味しいよ?」


「それはどうも⋯⋯」


 不機嫌そうにして准を見る藍莉はそのまま、バーガーを小さな口に持っていき、咀嚼の後、飲み込んだ。


「何?嬉しくないの?」


「嬉しいけど、やっぱり家に帰って食べた方が大洲的には落ち着くだろ?」


 あくまでも少女を案じての事。


 それ以外は別段深い意味はなかった。


「⋯⋯()的には落ち着かないの?」


「まぁ、え?なんだか、名前呼びされたような気がするんだけど⋯⋯どういう心境の変化?」


 ラブコメですらもう少し何かあるものだが、それらをすっ飛ばして行った突然にして突如の名前呼び。


「別に、呼びたいだけ。文句ある?」


「無いけど。じゃあ僕も⋯⋯藍莉、さん」


「は?」


 鋭く刺すような視線は准を目掛けて行く。


 それに萎縮した准はやり直すようにもう一度呼ぶ為、「ゴホン」と口元を拳で抑えた。


「藍莉」


「宜しい!」


 微笑んだ少女は普段なら可愛いと思えるのだろうが、現状はそうではない。


(こわ⋯⋯)


 ただ、情緒が掴めずに震えるのみであった。


 朝食を取り、ふてぶてしい様子でテレビを見ている藍莉と皿を洗い、学校へと行く準備を終えた准はとあるサイトを見ていた。


 それは『空弩街あくどがい不可思議情報』と呼ばれるものである。


 似たケースが無いか部屋に入って少しだけ調べたのだが、どうも眠気が勝ってしまい、寝落ちに近い形でスマホは手元を離れてしまっていたのだ。


 そんな開きっぱなしとなっていたサイトを改めて閲覧している准。


「⋯⋯『人がUFOに攫われた⋯⋯。一年前の夏。八月二十四日⋯⋯の夜の九時』ん?あぁ、その攫われた奴が今見てますよーってね」


 一年前の夏、妹の件が解決したすぐ後の事である。


 円盤のような見た目をした生物に攫われそうになったのだが、偶然、准の祖母にあたる人物から貰ったどら焼きが毒だったらしく、当たって死んだのだ。


 餡子がいけないのか、生地がいけないのか。


 粒か漉しか。


 そんな二択を迫る事もなく、バクバクと准を食べる前に放り込まれた土産で急落下してしまって、幸いな事に柔らかい胎内であった為、ベトベトになっただけで帰還に成功したのだ。


「あれ、見てたんだな⋯⋯。撮ってないで助けてくれよ」


 既にもう終わった事ではあるが、事の顛末をこの撮影者は知らないのだろう。


 そして、次にサイトに投稿されたものを見ていく准。


「⋯⋯『白いフワフワしたものが宙に待っている。スマホで撮りました。見えますか?』⋯⋯はぇぇ。ケセランパサランみたいだな」


 曇り空と微かに写ったデパートの看板で何処で撮ったか分かってしまう准は、その白い物が写っているらしい、添付されている写真を見てそう呟いた。


 しかし、これは准は出会っていない。


 会っていれば、払ってしまうだろう。


 手で。


「えぇと、次に⋯⋯、『この街はヤバいのが多すぎる。見ろよ?!これはなんだー!!』ん?なんだ?」


 そう言って准が見たのは、モザイク加工で顔を隠している子供達が公園で戯れている様子であった。


 そして、その子供達の影が一つの大きな人の形となっているものである。


「あー、これか。親御さんも大変だろうに⋯⋯」


 他人事のように言うものの、その影が無いものが目の前に居るのだ。


 それを思い出した准はチラっとスマホから少女へと目を向けると、此方こちらに身体の向きを変えて、興味深そうに見つめていた。


「⋯⋯」


「一緒に見るか?」


「うん!」


「⋯⋯⋯⋯」


 満面の笑みを浮かべる少女。


 憂いや悩みを捨て去ったようにニコニコとしている少女の横へと移動してスマホを近付けていた。


「これなに?」


「都市伝説とか不可思議な現象を取り沙汰にしてるサイト。この街はその手のが多いんだよ」


「へぇ〜。知らなかったぁ」


「⋯⋯ん?」


「どうしたの?准」


「いや、なんでもない」


 そうして、画面をスワイプして行き、次の投稿を見ていく。


「『有名かもしれないけど、十メートルの象が願い事を叶えてくれる祠がある。地元では結構有名』⋯⋯。三メートルだっての。誰だ、七メートル分も盛った奴」


「会った事あるの!?」


「うん。⋯⋯ゴールデンウィーク中にちょっと色々あって」


「良いなぁ⋯⋯。会ってみたいかもー」


「⋯⋯⋯⋯」


 冷や汗が流れている。


 いくらなんでもおかし過ぎると、心と思考が騒ついて離れない。


 隣に居る少女を見る准。


 その視線に気付いたのか、「なにー?」と()()()()()様子で聞いてくるのだ。


(まさか⋯⋯。肉体年齢に引っ張られてる?昨日はそうでも無かった筈じゃあ⋯⋯)


「どうしたの?続き見せて!」


「え?⋯⋯あぁ、そうだな」


 時間が無いのかもしれない。


 そう考え始める准は、立ち上がった。


「なに?」


「大洲⋯⋯じゃなくて、藍莉。今日どうするんだ?」


「家に帰ってみる!」


 太腿に置いていたランドセルを太鼓のようにして叩いた少女。


「⋯⋯あぁそうか。鍵は?」


 その言葉に考える素振りを見せた少女は顔を左右に振っている。


 昨日も少女は考える際に似たような事はしていた。


 けれど、子供のように顔を左右には振ってはいない。


「うーん。どうしようかな、お父さんが十時頃に仕事だから、その時に忍び込む」


「⋯⋯そうか。分かった」


「⋯⋯どうしたの?」


 流石の小学五年生といえども、人の機微には気付く。


 不安そうに見つめる瞳は准の顔色を窺うようにしていた。


「⋯⋯藍莉はその、あの⋯⋯」


「なに?」


「帰ってくるか?此処に?⋯⋯いや、ごめん。そうだよな。元々、アッチが元の居場所だし。何聞いてんだろ⋯⋯」


「帰ってきて欲しいの?」


 分からなくなった。


 少なくても昨日の少女も言いそうな台詞であり、こんがらがって来ている准。


「⋯⋯もう行く」


 だから、逃げるように立ち上がった。


 まるで、問題を後回しするように。


「え?」


「十時からなんだろ?悪いけど、一緒に家には出てもらうから」


「うん」


 少しだけ、俯いた少女は元の服が乾き切っていない事もあり、ジャージのまま立ち上がり、歩き出した。


 暗い表情にさせてしまった事による罪悪感が湧いた准であったが、言葉通りランドセルを背負って、玄関まで歩いて行く少女を見つめて、苦い顔を浮かべるのであった。


  ━ ━ ━


 アパートを出た二人が最初にした事は、肩車をしている様子を世間様にお見せする事であった。


 昨日の少女は誰にも視認されずに路頭に迷っている状態であり、変化が既に訪れている少女に期待して、半ば強引に説得するようにして無理矢理に肩車をする。


 そして、通学鞄とランドセルというお邪魔な要素が有りつつも、通学路を走って、犬の散歩をしている老人、小学生の子供達や上級生といった人達に肩車の様子を見せた。


 通学路の付近にある公園で一休みした准は、ぜぇーぜぇーと息を荒らげており、肩から降りた少女は背中を摩っている。


「もうー。だから、止めよって言ったのに?」


「藍莉の『止めよ』は、恥ずかしさから来る『止めよ』だったろ⋯⋯」


「⋯⋯大丈夫?」


「休む⋯⋯」


 ベンチに腰掛けた准。


 それに合わせるように隣に座った少女は心配そうに見つめてくる。


「⋯⋯どうした?」


「え?!⋯⋯いやね。あの⋯⋯その。⋯⋯大丈夫かなぁって?」


「頭なら正常にバグってるから安心しろ」


「それ、結果的にはおかしいって事じゃん!」


 五月もそろそろ中旬。


 吹いて欲しい風は流れずに太陽だけが顔を出している。


 朝から汗を流して、学生服と身体の間に滴る汗が准の不快感を底上げしつつも、この公園で脱いでしまうという選択肢は取る事が出来ない。


 そして、そんな太陽に照らされながらも、影は伸びていない少女を見つめる准。


「あれ?准!珍しい何やってんだ?こんなとこで?」


「えぇ?!⋯⋯あぁ、ムッくんかぁー」


 睦月むつき嶺二れいじが住んでいる一軒家近くの公園に居た事をしっかり抜け落ちていた准は驚いたようにして振り返るも、その声の正体が彼と気付くと腕を振ってご挨拶した。


「よっ!今日は草っ原からのご到着じゃー無かったのな?」


「まぁな〜。そうだこの近くに()()()()()()()()()()()


「はぁ?⋯⋯⋯⋯いや、パッと見は無いけど?なに?探しもん?手伝おうか?」


「いや、違うんだ。そうか、無いのか⋯⋯」


 准の前に立っている嶺二。


 当然、准の隣に座っている少女が見えていなければならず、彼の性格からして、友人が連れ添っている子供に挨拶をしないという事はあるはずが無い。


 つまり、嶺二も少女が見えていないという事になる。


「惚けているのも良いけど、早く行かないと遅刻すんぞ?」


「⋯⋯そうだな⋯⋯先に行ってくれ。追いつくよムッくん」


「おう!じゃあ待ってるぞー」


 意気揚々と笑顔でその場を後にした嶺二。


 それを見送った准は隣に座っている少女を見る。


 俯いており、座る際に邪魔になると思って隣に置いたランドセルを抱えるようにしていた。


「私⋯⋯、私、何処に行ってもこうなのかな?」


「そんな事無いって?そうだ、明日土曜日だろ?折角だから、遠くに行ってさ。確かめよう」


「⋯⋯それで見えていなかったら、どうしよう」


「そう思い込まないで行くんだよ!マイナス思考だけで世の中回らないだろ?な?」


 泣き出しそうな声は肩を震わせていく。


 赤いランドセルが頭と膝で僅かに折り曲げられる。


「⋯⋯私、お父さんにもお母さんにも忘れらて⋯⋯。居なくなっちゃうのかな?」


「⋯⋯大丈夫だって。何とかしてやる!」


「⋯⋯ほんと?」


 ランドセルから頭を離した少女は少し涙が流れていた。


 それを見て、准は更に強気な態度で言う。


「あぁ。これでもこんな問題、飽きる程体験してるんだぜ?」


「⋯⋯⋯⋯うん」


 ランドセルを横に置いて、立ち上がった少女は准の方へと寄り、ギュッと抱き締めて、それに呼応するように准も少女を抱き締めた。


 少女の苦しみを完全に理解出来ていなかった准はここで初めて、理解した。


 見られる事、視認される事は存在が認められる事と同意義であるという事を。


 承認欲求が高かろうと低かろうと、誰にも見られないというのは重く心に負荷を掛けていくのだと。


 昨日の夕方のミニ藍莉も不安だったのだろう。


 そして、見つけた。


 見つけてもらったのだ。


 特売日に釣られてやって来た少年を。


 決して、逃がしてはならない体温と絶対に伸ばさなければならない影。


 准は意を決したように、少女を身体から離して、言葉を投げ掛ける。


「約束する。藍莉。お前の事は絶対に元に戻してやる⋯⋯。何があっても、だ」


「⋯⋯約束だよ?」


「あぁ。約束だ」


 真っ直ぐと逃さぬようにと、准の瞳は少女を見つめる。


  ━ ━ ━


 高校付近まで、着いてしまった准は隣に居る少女には誰も反応を示さない事に多少の落胆はしてしまうものの、自宅に戻る為、手を振って別れた少女を見送った後、通学路を歩いて行く。


 嶺二は既に校舎に着いているとスマホからメッセージが飛び込んでおり、『早えよ』と返信して、通学路を歩いていた。


 元々、早めに出た事と、肩車の際に走っていた事も加味して本来の到着時間よりも早く学校に到着した准。


(肉体年齢に引っ張られていても、状況が分かってるってのが、また厄介なんだよな⋯⋯。どうする?せめて、何か手立てがあれば⋯⋯)


 視認されず、認識されず、認知されないのだと把握が出来る小学五年生。


 これが少女の現状。


 昨日と違い、情緒が幼めになってしまった事も踏まえると、あまり悠長にはしていられないと少女は自覚しているのだろう。


 それがどうしてなのかは理解出来ずとも。


 本来ならば、着いて行きたかった所ではあったが、少女が拒否をした為、結局は学校に向かった准。


 罪悪感や、嫌な想像は幾らでも湧き立っていく中、階段を上がり、廊下を歩く。


 そして、見慣れた教室へと足を踏み入れる。


「あ、桐江くん!昨日のアレなに?怖かったんだけど?」


「⋯⋯え?」


 驚愕と動揺が同時にやってきた。


 准は教室に踏み入れた脚を竦ませるような流れで一歩後退し、目の前まで歩いて来る彼女を見る。


「ねぇ?何か言って?私怒ってる訳じゃなくてさー。理由が聴きたいんだけど?」


「お前、その話し方⋯⋯なんだ?」


 少し、違和感があった。


 もう少し気品や上品にも似た口調は完全に消えており、フランクでおチャラけた物言いとなっている彼女。


 茶色の長髪で、少し手入れをしているか、癖っ毛なのか、寝癖なのか、多少ウェーブのような状態の髪を優雅に靡かせてそこに居た。


「はぁ?普通じゃない?なに?なんか変?っていうか変なのは昨日の桐江くん方だって!」


「⋯⋯准、なんかしたのか?大洲さんに?」


 教室内から嶺二が恐る恐る聞くようにする。


 すると、藍莉はチャラけた様子で問いを返す。


「それがさぁ。桐江くんが昨日電話掛けて来たんだけどさ。なんか、何度返事しても、『もしもし』しか言わないのー。変じゃない?」


「おいおい、それはダメだろ?准?しっかり謝っとけよ!寛容な内にな?」


「駄目なんだよ?悪戯はー?」


 藍莉に聞かされた嶺二、そして、藍莉の傍に話を聞いたであろう駆け寄ってきた逸花いつかから注意を受けた准。


(コイツ⋯⋯、何やってんだ?どう見ても透けてるし)


 眉間に皺を寄せた准を見た嶺二は呆然としてしまい、逸花は驚いた様子を見せていた。


「なに?桐江くん。凄い怖いんだけど?」


 そして、ただ一人、余裕そうにしている藍莉。


 それが尚の事、准を苛つかせていく。


「キレてるからな」


「⋯⋯え?あ、ごめん。言いふらすつもりじゃなくて──」


「それじゃない」


「え?じゃあ何?」


「大洲、ちょっと来い」


「え?ちょっとなに?」


 そう言って、准は今は人気の無い部室棟へと行こうと藍莉の腕を無理矢理引っ張り出して行く。


「おい、桐江!止めろよ。藍莉が嫌がってんだろ?何があったか知らないが、少し落ち着け」


 廊下で立ち塞がるように武島むとう颯悟そうごが准の前で手を伸ばしていた。


 それを睨み付けるようにして見つめるも、彼はその程度では怯えない。


 毅然とした態度で准の前に立っている。


「⋯⋯武島。お前、誰からも見られない小学生を知ってるか?」


「え?なんの関係があるんだ?」


「知ってるかって聞いてんだ⋯⋯」


 棘のある静かで語気が強い声。


 その声は聞いていた周りを萎縮させて、ある者は見物人としてスマホを向けて、ある者は教師を呼ぼうとしている。


「⋯⋯知らねぇ」


「だったら黙ってろ。知らない事があるってのは良い事だ。そうだろ?()()()


「っ!なんでそれを⋯⋯」


 抵抗する藍莉と何かをしようにも出来ない颯悟。


「ちょっと!痛いっ痛いっ!離せっての!」


 その悲痛な声は階を下りるごとに薄れていく。


 准の友人である嶺二は困惑した様子で佇んで見ているのみだった。


「アイツ⋯⋯どうしたんだ?」


 その言葉は誰にも響かない。


 今の准を擁護する者が居ないように、彼の言葉も誰も届かないのだ。


 一方、転び掛けようと、腕を叩いても、一向に准はその腕を離す事なく、部室棟まで着くと、投げるように藍莉を壁に叩き付けた。


 それに「痛い!」と言おうと、背中を抑える様子を見せようと准の表情は依然として変わらない。


「お前誰だ?」


「何言ってんの?」


 困惑した様子で聞いていた質問は更に藍莉を困惑の渦へと突き落として行く。


「質問が分からないのか、言葉が分からないのか、意図が分からないのか、どっちだ?」


「全部だよ!」


 迫真の表情で答えた藍莉。


 けれど、全部分からないのは准とて同じである。


「透けてるお前に言われたくないんだよ」


「⋯⋯透けて??え?何言ってんの?マジで⋯⋯。ねぇ、本当に大丈夫?熱あるの?怖いよ?」


 彼女は至って冷静に、逆に心配になってしまうほどに、奇行に走ったと思われている准。


 そう思われていると知っていて、准は藍莉を睨んだ。


「⋯⋯どうするの?もう予鈴なるよ?」


「サボれ」


「いやいや、サボるにしてももっとマトモな理由──」


「お前、十歳の頃の一番の思い出はなんだ?」


「がほし⋯⋯え?」


「耳まで悪いのか?」


 舌打ちをした事で藍莉を少しビクつかせてしまい、更に質問の意図が分からない事への悪態も追加料金として恐怖で支払わせる。


 准の表情は鬼気迫るものであった。


「⋯⋯十歳?十歳⋯⋯。弟が産まれた⋯⋯事とか、かな?」


 大人しく小さい声で答えた藍莉。


「それは聞いた。他には」


「え?なんで知ってるの⋯⋯。えぇと⋯⋯無いよ。他になんて」


「成績表で駄目出しされたのと、初めて告白されたとかは!?」


「⋯⋯なんで知ってんの?キモイんだけど⋯⋯」


「あるんだな?」


「⋯⋯うん、ある」


 ここまでは昨日のミニ藍莉も答えていた事。


 しかし、准の目の前に居るのはミニ藍莉では無い。


 だからこそ、聞ける事がある。


「他は?」


「⋯⋯分かんない⋯⋯。ぐすっ。分かんない分かんない分かんないよ!」


 泣き出しそうになる藍莉。


「良いから答えろ。時間がないんだ」


 そんな彼女を邪険にする事は今の准には容易であった。


『化け物』と認識さえしてしまえば。


「むりだよぉぉおおぉぉぉ。わ、わ、分かん、ない⋯⋯ぅううぅぅ。言いふらした事、ちゃんと、謝るから⋯⋯。お願いだから、怒らない、でよぉぉぉ」


 へたりこんだ彼女を見下ろした准。


 しかし、彼女は勘違いしていた。


 准がここまで憤慨している理由を知らない。


「だから、言いふらした事にキレてんじゃ無いんだって!僕はお前の存在にキレてんだよ!」


「⋯⋯な、なにそれぇぇ。どう、ぐすっ、こと?」


「本来はお前じゃない、お前が居るはずの場所でノウノウと笑って仲良しこよしなのが腹立つって言ってんだ。お前は人のつもりかも知れないが、ハッキリ言ってやる!お前は人じゃないッ!」


 准の実体験でかつてあった偽物。


 姿を変えて、その人物の人生を変えるような事件が確かにあるのだ。


 だからこそ、下手な同情はメッキリしなくなった。


『怪異』という現象とそれを発生させている存在に対して。


「なに、言ってるのぉぉ。ほんとうに⋯⋯どうしたの?私、そんなに酷いことしたの?ねぇ〜?謝ったのに」


「謝って貰ってもないだが?」


「⋯⋯ごめんなさい、ごめんなさい」


「今すぐ、アイツの居場所を返してやれよ。出来ないなんて言わせないぞ?」


「誰のことなの?なんの事?どういう事?⋯⋯ねぇ?教えてよおぉ」


「お前自身の事だ」


「⋯⋯ぐすん⋯⋯だから、何言ってるの?」


 しかし一向に理解出来ない藍莉。


 仕方ないと、別の方向から切り出す事にした准は藍莉に問い掛けた。


「お前、昨日の朝、何かあったろ?」


「何も無いよ⋯⋯。本当にッ!ないの!」


「⋯⋯嘘じゃないだろうな?」


「⋯⋯嘘じゃない⋯⋯。本当に知らない。知らない知らない。知らないのォォォ!!」


 部室棟に響き渡る声は肩から息をさせてしまうほどの大声であり、それが彼女にとって事実であると理解してしまう。


「使えねぇ⋯⋯チッ。時間無いのに」


「⋯⋯うぅ」


「本当に無いのか?前日も?」


「だからっ!無いっていってるでしょ?!」


「それでも聞いてんだよ」


「じゃあ、どうすればいいの?」


「元の状態に戻せ、それだけだ」


 結果、それが全てなのだ。


 元に戻れば別段それ以上は望んでいない。


 その元に戻す為の手段が思い当たらない准は焦りを誤魔化すようにして、語気だけが強く前に出る。


「訳わかんない⋯⋯。ほんと、どうかしたんじゃないの?昨日の電話も!朝のもそう!」


「⋯⋯朝?」


(なんの事だ?朝?掛けて無いぞ?)


 間違いなく知らない。


 准にとっては初耳だ。


「そうだよ!私のスマホに履歴あるの!⋯⋯⋯⋯これ!」


 そう言って、ブレザーのポケットに入っていたスマホを取り出して、軽快な指運びでタップしていく。


「これ、桐江くんの番号じゃないの?!」


 そして、見せられたのは電話の履歴であり、一番上には数字で准の番号が確かに表示されていた。


「確かに僕のだ⋯⋯、なんでだ?⋯⋯藍莉か?」


「え?なんで私の名前で──」


「黙ってろ、お前じゃない!一々、チャチャ入れてくるな!集中出来ないだろう」


「ひぃ!あ、ご⋯⋯ごめんなさい」


「⋯⋯おい、何か言ってたか?」


「何も言ってなかった⋯⋯。ノイズだけで」


「ノイズ?」


「そう、ザーザーって、怖くて切っちゃって⋯⋯」


 本人からすれば、携帯が知らない番号から鳴り、取ったらノイズまみれ。


 恐怖体験以外の言葉では表せないだろう。


「それ何時だ?」


「⋯⋯多分、五時くらいだと思う。あ、六時かな」


「俺は寝てるな」


「じゃあ、誰なの?」


 その質問に「一人しかいない」と小声で呟く准は壁に凭れ掛かる。


「アイツ、何考えてるんだ?おい、今からお前の家に行く。着いて来い」


「え?い、嫌だよ!」


「早くしろよ?」


「⋯⋯いや、いや!嫌だ!」


 首を横に大きく振って拒否の意を示すも眼前の少年はそれを軽く蹴るようにして腕を掴む。


「駄目だ。来てもらう」


「どうして?」


「約束したからだ。助けるって。だからお前の家に行って確かめる」


「何を?」


「⋯⋯アイツとお前を会わして何が起こるかだ」


「私が誰と?」


「お前をお前とだ」


 傍から見れば『何を言っているのだろうか』と言う声は嵐のように飛び出し、考えるよりも先にブーイングが雪崩込む事この上無い発言だ。


 しかし、少年には関係が無い。


「⋯⋯何言ってるの?」


 たとえ、目の前で言われたとしても。


「戯言と思ってくれて良い。けど、人助けなのは間違いない。終わったら死ぬほど謝るし、言う事なんでも聞いてやる。何でもだ!死ねって言われたら死んでやるよ。全校生徒の前でも、お前だけの前でもな」


「逆にそれは怖い⋯⋯」


「そのぐらい本気なんだが?」


「その私ってどんななの?なんで知ってるの?どんな関係なの?」


「質問連投すんな。スタンプ連投並にウザイな⋯⋯」


 しかし、自分の知らない自分と面識があるというのは、不気味かつ不可思議の醍醐味でもある。


 そして、その中心に自分が居るというのは、たまったものではないだろう。


「そうだな⋯⋯。頭良いはずなのに馬鹿で、優しくて、強情で──」


 昨夜の晩御飯の時のやり取りと妹の事を「良かった」と即言える優しさ。


 皿洗いの時の馬鹿なやり取りも少女という存在あってのものだった筈だ。


 そして、朝の幼児化してしまってもそれは変わらない優しさは元来のものと気付いている。


 だからこそ、何も進展せず、公園で泣いてしまった時は自身の無力さを悔いて、必ず助けると誓った。


「初めて逢った時、嬉しそうに腕掴んで、期待に眼を光らせてたのを覚えてる。それに──」


 出逢いの場所にしてはあまりにも味気の無い駐車場の端っこ。


 掴まれた腕は買い物袋が多少下に落ちそうになるほど強く、確かに掴まれ、嬉しさで羨望すら抱いていたその瞳を今でも准は思い馳せる事が出来る。


「助けるって約束したんだから。助けたいんだよ。本当に終わる前に⋯⋯」


 嶺二が現れた時、ふと視線を横に向けた少女はほんの僅かに口を開けて、視線を前にやって期待したのだろう。


 その期待が損なわれた瞬間の失望は嗚咽をほんの少し漏らしてしまうほどで、それが聞こえてしまった准は居た堪らない気持ちに押しやられていった。


「その私を助けたいって事?」


「助けたいに決まってるだろ?好きなんだもん。理由なんてそれだけで良い。その為なら何でも出来る」


 そうだろう。


 好きなものなら多少の我慢も出来る。


 身を削れる。


 後悔はしたくないのだから。


「⋯⋯⋯⋯私、今告白されてる?⋯⋯ごめんなさい?」


「お前じゃないお前にだけどな?」


「⋯⋯わかった。良いよ。行こ」


「⋯⋯あぁ」


「でも!」


「ん?」


「一回、ちゃんと謝って!」


 膨れっ面で言う藍莉。


 頷いた准はしゃがみ込んだと思えば、座り出して。


「申し訳ありませんでしたぁぁぁあ!!」


「土下座までしろって言ってない!」


 頭を擦り付けて土下座する少年を立ち上がらせるのに、五分掛かる藍莉なのであった。

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