似て非なる存在
遅れ馳せながら、ようやく更新。すみません。
もう一つの方も暇潰しに作ってたら遅れました。
許して。ありがとうございます!
そして、先に敢えて言いますが、かなり長めかつ、台詞よりも語りの部分が多分にあります。
僕は、台詞を読みたい派なので、執筆中のその矛盾に何考えてるんだろうか、と熟考しましたが、考えるのを止めました。
書くのと読むのは違う、ここまでは納得させて、ですけど。
次回、舞喜編は終わり。
舞喜と連絡を取った僕は玄関を出てすぐにした事は、『金集め』であった。
悔しい事に財布の中身も通帳の中身も何故かほぼ空で新幹線や夜行バスに乗れる程の金額が無く、あたふたする間も惜しいと感じた僕は、嶺二の家に向かっている。
因みに、妹は父さんが送ってくれたと語ってくれたが、僕の知っている限り、父さんが夕方に差し掛かる十五時過ぎに退社するなんて光景は想像も付かず、耳を疑ってしまったが、電話口には確かに父さんと母さんの声が聞こえていて、納得せざるを得なかったのだ。
「妹特権なんて、汚ぇぞ〜!」
自転車をフルスピードで走らせながら、声を張って、近くにいる訳でもない妹に悪態をついた僕の身体は既に汗まみれである。
体力が大してないのに、口を開けて叫ぶなんて愚行をしてしまったのは、僕の焦りからきていた。
恐らく『今回の現象』は、妹が切っ掛けな気がしていた。
髪が短くなった藍莉や牧原の消失、サナが軽井の元に居ない事や、トッキーが常盤である事もそうだが、何よりも舞喜の変化が一番顕著に出ており、目立つ程に元凶臭く感じてしまえてならない。
六華の言葉でもそうだが、何かの現象に舞喜が巻き込まれてしまい、僕がこうなったか、僕達が連れて来られたか──いずれにしても、早めの対処をしなければならないのだ。
嶺二の住む一軒家に辿り着いた僕は、急かすようにインターホンを連打していく。
そして、インターホンのスピーカーからブツッと音が鳴ると、家の主の声が聞こえた。
『どちら様ですか?』
「嶺二!悪い、頼み事があるんだ!」
『准?!お前、何ピンポン連打してるんだ?⋯⋯ちょっと、待ってろ』
「准、どうしたんだよ?」
「悪いんだけど、金貸してくれない?」
「はい?⋯⋯え?金?えーと、いくらいる感じ?」
「多分だけど、一万三千円ぐらい」
「何に使うのさ?」
「新幹線。親ん所に行きたいんだ」
「一万で往復して帰って来れるっけ?」
「親に縋るから片道でいいんだ!頼む!貸してくれ!必ず返すから」
「一万もねぇよ?たぶん、六千がいっぱいだよ」
「じゃあ、その分でいい!頼む!」
「⋯⋯分かったよ。ちと待っててくれ」
「はい、六千と八百円。確かに渡したぞ?返せよ?」
「済まない。本当に!ありがとう」
「あぁ。返せよぉ〜、こっちも金欠なんだから」
「どうする。この世界の僕も人脈少ないだろうし、どうすればいい」
消費者金融なんて未成年の僕が単独で契約出来る訳もない。別世界と割り切ってみるのも手かと考えたが、無駄足に終わるのも好きじゃないからそれは即却下してしまった。
この世界は何をしてもいいという訳でもなければ、自由な訳ではなく、あくまでも現実と同一で法律はあるし、マナーもある。
『不可思議な物事』が起きない世界であるだけで、後はごく普通の世界なのだろう。
「駄目だぁぁ〜、人脈なんてねぇよ!金なんて誰が貸してくれるっつーんだ。あ〜この世界の僕のバカァ。もっと人と仲良くしてろよぉ〜」
急いで帰りたいのに、帰れない。その理由が『金』という現実的な部分が腹立たしい事この上ないのだが、それ以上に元の世界に居る今の僕とは何も変わっていないというのが、もどかしいのだ。
「何騒いでるのよ?」
「⋯⋯え?」
歩道の端に自転車を停めて、前後に並び立つ電柱の一つに凭れ掛かっている僕に、心配そうな声をして僕に話しかけてくる人物が居た。
思わずその声の方へと顔を向けると、やはりと言うべきか、聞き馴染みがある分、見慣れた人物が小さな男の子の手を引いて様子を窺うように見つめている。
「藍莉!⋯⋯と蒼太」
「なに、急に名前呼び?」
早速、不審そう顔をされた。当然ではある。
つい先程までは苗字呼びで、帰って偶然出逢えば、名前呼び。これを不審がる奴が居ても、何も不思議ではない。
「お姉ちゃん誰?この人?」
「私のクラスメイトよ。蒼太、将来こんな人になっちゃ駄目よ?」
「蒼太、間違ってもご本人の前でこんな酷い事言える子供になるな?お姉ちゃんを反面教師に頑張っていけ!」
そして、僕のようなジェントルマンになれ。
なんて思っていたら、藍莉は手提げ鞄を蒼太に渡したと思えば、僕の元へと如実に近付いて来て、腕を伸ばす。
「何が言いたいの?桐江く〜〜んっ!」
語気は強め、指先から繰り出される頬の痛みは激しめ。
二、三度、引っ張って、戻して、引っ張って、と悪戯心でも芽生えたように笑顔で僕の頬を引っ張る藍莉が絶妙に怖い。
「いふぁい!いふぁい!ぷはっ。あ〜、頬が伸びた⋯⋯」
頬を抑えて、痛みを緩和させようとする動きを無意識に取る僕は、見上げるように藍莉を見た。
どうやらお買い物は既に終了しているようであり、蒼太に預けた手提げ鞄の中身が今日の戦利品なのだろう。
「それで、何やってるのよ?」
「見て分からないのか?」
「分からないから聞いたのだけど」
「実家に帰りたいのに、金が無いんだよ!」
臆面もなく金欠宣言した僕に対して、腰に手を当てて威風堂々のようにしている藍莉は蒼太の肩を掴んで自身の近くに寄らせた。
「何かあったの?」
「何かあったんだ。だから行きたい」
僕も何かがあった程度にしか認識していないし、全てを理解しているわけではない。
けれど、僕の顔をじぃーと見つめていた藍莉は、しばしの間沈黙した後、口を開けた。
「いくら?」
意外にも話が進む。光明が見えて来たような気がして、僕は残り金額を提示する。
「あと、七千円。貸してくれるのか!」
「貸せない。どの道、お金もう使っちゃったもの」
「だよなぁ〜!」
わかっていました、はい。買い物をするって正門前で言われていたのはしっかり記憶していたから、ハッキリいって光明が見えたといっても確信があった訳ではなかった。
「電車、じゃないわよね?新幹線?」
「そうだよ」
「実家の場所は?」
「京都」
「遠いわね」
僕もそうは思うが、僕が選んだ訳でもなければ、僕がそうして欲しいと強請った覚えもない。
アッチが勝手にそうして、コッチがそれによって距離が大きく離されたに過ぎないのだ。
嶺二から貰った六千円だけではどう頑張ったって足りないのは明白で、格安で乗り継いで行っても途中で底が尽きるのは確実である。
最悪ヒッチハイクでもしてやろうか、そう思っていた矢先、藍莉がしゃがみこんでいた僕の腕を掴んできた。
「ちょっと来なさい」
「え?おい!」
抵抗していいものかを悩み、結局連れられるまま連れて行かれたのは藍莉の自宅だった。
僕も一度だけ行った事があるその家はアパートではなく一軒家であり、玄関を開けた際の内装は綺麗で、ゴミの散らかりも衣類が床に転がっている訳でもなければ、壁や床に穴が空いているといった事も一切ない。
綺麗で手入れが行き届いている住み心地が良さそうな家であり、『藍莉の父親』が『現象』に巻き込まれなければなっていた理想の状態。
そんな光景に胸打たれて思わず見回していると、藍莉が先に入り、誰かと話をしている声が聞こえ始めた。
藍莉の言葉に対して返ってきたのは女性の声。
母親なのだと即時に理解して、蒼太が二階にある部屋へと駆け上がって行く様子を不安な表情で見送った僕の方向に、足音が二つ近付いて来た。
「という訳でお母さん!お願い!お金貸してくれない?」
どんな言い訳と嘘をでっち上げようとしているのかは、僕の一般的な聴覚では聞き取れないが、必死に頼み込んでいるようには聞こえる。
そして、近付いて来ていた足音は玄関前に居る僕の前で止まって、再度頼み込むように、頭を下げて合掌までしている藍莉。
なのだが、片目を開けてウインクに近い状態であり、本当に頼み込んでるようには僕には見えなかった。
(思った以上に軽い⋯⋯)
そして、そんな軽い頼み込みを受けている側の藍莉の母親は、僕を見つけたと同時にじぃーと睨み付けてくる。
藍莉と同じ髪色の茶髪であり、家事をしやすいように団子の髪型で、目付きが鋭く、綺麗な女性らしい化粧をして、黒のスーツと黒のスカートというOL辺りを連想しそうな服装であり、厳しそうなのが、目に見えて分かるのだ。
正直、ちょっと怖い。こんな人に暴力振るってた元の世界の藍莉の父親は肝が据わってないか。
「京都に行きたい理由までは解ったわ。けど、どうして藍莉まで行くの?」
厳格、丁寧、冷静、そう感じていたが口調というか、声色というか、何処となく拗ねてご機嫌ナナメな藍莉とかなり似たような語調なのだが、母親からすればむしろコレがデフォなのだろう。
現に、危機感なく藍莉はまだウインクしながら頭を下げてるだ。
これで怒ってる様子に気付いていないだけならば、藍莉がとんでもない間抜けに見える次第である。
「うーん。お願い!」
「お父さんに効いてもお母さんには効きません」
「チェ。駄目か」
「駄目よ。もしなにかあったら大変でしょ?」
「何かって何?」
「それは貴女達。⋯⋯まだ高校生ですもの、ねぇ?」
そう言い、交互に藍莉と僕を見つめるお母様──失敬、藍莉の母親は不安そうにするのだが、僕が否定に入る前に、元気溢れる藍莉は顔を真っ赤にしながら、声を荒らげた。
「ち、ち、違うわよ!そうじゃない!違うぅぅーーー!!」
何故僕を指差す。僕は無実だ、冤罪だ。
現に『来てくれ』とは、僕だって言っていないし、言い出す理由がない。
そして、似たそっくりさんだけに、こう否定されるとちょっと傷付く。
「じゃあなんで一緒に着いて行こうとするのよ?」
「え!?⋯⋯だって、それは」
助け舟欲しさに僕の方へと視線を移した藍莉。
ここで助ける必要性とは何か。それは交通費以外にあるだろうか。
無い、百パーセント無い。僕の知っている大洲藍莉と目の前に居る大洲藍莉は絶妙に何かが違う。
初めて彼女が『現象』に巻き込まれて、ミニ状態と元の大きさの彼女の二人に別れた際の後者の藍莉とはまた変わっている。
そう、言うならば、今の彼女は理想なのかもしれない。
誰の?僕か?違う。僕は少なくても、元の世界に居る大洲藍莉で良いと心根から思っている。
小さな喧嘩もするし、文句も言いたい時はあるが、それでも、それで良いと本気で公言出来るし、断言しきれてしまう。
では誰の理想なのか。『舞喜』なのか?いや、それはない。
何故ならば、僕は舞喜に藍莉を紹介していないし、するのは、先にしようと決めていたからだ。
病室から自宅へと環境がまた変わっていく中、気を遣いやすい舞喜の事だから、引っ込み思案が出て、落ち着かない様子が自宅で増えていくのは目に見えている。
だから、様子を見ながら、時期が来れば紹介しようと決めていたのだ。
ならば、誰の理想か。藍莉自身、そう言われればそうかもしれないが、何か引っ掛かる。
兎に角、僕はそれらの解決の為、予定外の藍莉との同行に乗っかる事にした。
その方が、残り七千円。貰える可能性があるのなら、そうする。
たとえ、返す目処が立っていなくても。
「あぁ〜、僕が以前、娘さんと皆でどっか行きたいって言ってて、僕のせいで無くなったんですよ。予定丸々。その時の負い目でじゃあどうかって僕が言い出して」
「急いでいるのに、藍莉を?」
「あ、あぁーと、はい」
「⋯⋯⋯⋯」
「お願いします!」
藍莉が声を張ってそう言うと、母親がリビングの方へと踵を返してしまう。
多少落ち込んだ様子を見せながら、僕の方へと近寄る藍莉だったのだが、僕は多少仕方ないとも思っている。
なにせ、『飛び入りで金貸してくれ』だなどと、そんなの普通に失礼であるのと、いくら娘が言い出しているとはいえど、欲してるのは僕なのだ。
その僕は適当に即興の言い訳して、未だに頭は下げていない。
これで怒らない人は居ないだろう。
そう思っていたのだが、何故か藍莉の母親は玄関先まで戻って来て、手元には財布が握られていた。
「お母さんの財布はデート代じゃないのよ?まったく。お父さんを上手く誤魔化しておくから、明日には帰りなさい?いいわね?」
「分かってるー。お父さん、明日居ないと泣いちゃうもんね?」
(え?マジで通るの?)
驚きが思わずに僕を藍莉の母親へと視線を動かした。
僅かに口角を上げて、お金を受け取った娘を見つめていたのだが、納得した僕は胸を痛めた子供のように、その箇所を押さえてしまう。
「車で駅まで連れてってあげるから、早く着替えてらっしゃい」
「お母さん、ありがとう!」
「ただし!」
「間違っても、変な事しないようにする事と桐江くんのご家族にご迷惑の無いようにね?」
「は、はい!」
声を張って、階段を駆け上がって行く藍莉を黙って見つめる僕。
嬉しそうに、このままステップを踏んで段差を踏み外さないか心配な程に元気よく上がっていく彼女は、似て非なる存在であると分かっていて、それでも、何処か罪悪感が募っていった。
分かっている、僕のやろうとしている事は、僕だけが消えるのか、皆を丸ごと消して帰るのか。
前者である可能性もあるが、後者の場合、僕は今尚、世間話で時間を潰している藍莉とその母親だけでなく、嶺二や他全てを殺したようなものになる。
それを知っていて、僕は敢えて加担させている。
藍莉の母親は自分の娘の自慢話をしていて、小さい頃の昔話を絡めながら嬉々として語っているその様子を、僕は朗らかな笑みを浮かべて受け答えをするみ。
小話を挟む事十分後に程して、藍莉は階段を勢いよく降りてきた。
冷えてくる時間帯に合わせてなのか、薄い生地だとすぐ分かる濃い緑色のジャンパーを羽織り、紺色と白のボーダーラインの服に黒の生地が厚いスカートを履いて、母親と僕に見せびらかすような動作でクルクルと回り出す。
微笑ましい光景に他ならないのは間違いない。
だが、そんな光景とは相反して僕のやろうとしている事を思うと、胸は締め付けられていくのも嘘では無い。
しかし結局のところ、僕が帰る為には、何かを割り切るしかないのだと、心の中で言い聞かせていく。
元の世界ではなく、元の世界に戻る為に、この理想的で歪な世界を壊す可能性を許容しなければならないんだと、僕は心中で叫ぶ声が思わず口に出そうになるのを耐えた。
そして、藍莉の母親は親切にしっかりと新幹線が運行している駅へと車で一時間掛けて送ってくれた。
先にお礼を言い、降りた僕と一向に降りようとしない、否、母親が娘と話していて降ろさせてくれないといった様子である。
(この人ももし、『現象』によるとばっちりが無ければ、あんな風に家族と普通に喋ったり、家族が離れる事は無かったんだろうな)
なんて考えていたら、藍莉が僕に向けて手を振って、呼び出した。どうやら、お母様からの忠告というか、警告辺りだろうか。
「桐江くん、娘をお願いよ?くれぐれも、分かってるわね?」
灰色の自動車に乗る藍莉の母親が座っている運転席側のフロントドアガラスへと近付くと、僕の耳元で囁くようにして言われた事で、僕は条件反射のように頷いた。
「はい」
「よろしい。じゃあお母さん、もう行くからね?貴女もあまり迷惑かけないでね?」
「はーい!」
元気で活発かつ、明るい様子で返事を返した藍莉の声を聞いた藍莉の母親は、車を走らせた。
大きくカーブして、そのまま左折した事で、完全に車は消え去り、エンジン音もバスや人混みに負けて聞こえなくなる。
(家族ってアレだよな)
僕の家族は故意に、意図して離れたのに対して、この家族はそういった特殊な物事が起きなければ、離れない普通の家族なのだ。
それに対して僕の家族は、親は、僕自身は、この家族と比べれば、ノミのようなものだろう。
自分勝手の権化と化身を煮詰めて、醜悪で容認し難い事をつまらない笑みを浮かべて実行出来る頭のおかしい人間になってしまったのだと、理解させられている気分だ。
「新幹線なんて、久しぶりね」
「チケット代まで丸々払って貰っちゃって、良かったのか?」
「いいわよ。行きましょ?」
改札を通り、新幹線に乗り込もうとする藍莉。
手提げ鞄を持った彼女は楽観的なまでにそう言うと、僕の手を引いて、青色の自由席座席に座り込む。
もう、自分でも分かっている。きっと、ここまで来て彼女を止めないのは、僕の我儘なのかもしれない。
勘の良い彼女、察しが良い恋人、環境がそうさせた弟想いのクラスメイトの女の子に、何も言わずとも僕の意図に気付いて欲しくて連れられているのだろう。
けれど、もうここまで来たからには、遅いかもしれない。どの道、彼女は僕の知っている彼女でなく、別の、他人の空似のようなもので、似て非なる存在。
諦観を隠すように、自分がこの世界から消失するか、世界丸ごと消滅するにしても、自殺に近い暴挙を行おうとする僕は、普段通りに振る舞う事を選ぶ。
「というか、藍莉。お前、父さんの誕生日の為に部活サボったんだろ?良いのか?着いてって」
「誕生日は明日よ?私はプレゼント選びを言われただけだもの」
確かに今日と言っていなかった。
藍莉の母親も明日に帰るようにとは言っていたし、早とちりな僕の勘違いだったのだ。
「お父さん、土曜日家にいるし。プレゼントを選べるタイミングが平日しかないのよ。あの人、なんでも着いて行こうとするし」
「藍莉のお母さんの方が遠くにある高校の先生やってるから、そのせいか。止めれる人居ないもんなぁ」
「え?お母さん、今近くの小学生の先生やってるよ?」
「あ、そうなんだ⋯⋯」
『現象』が無ければ、就職先まで変わるなんて、なんてドリームキャッチャーな事案なんだろうか。
父親と仲が良い藍莉、親同士が円満な藍莉宅の家族事情。
舞喜と僕のやらかした罪はかなり大きいものなのだと、再認識刺せられてばかりだ。
「それで、私は適当に嘘吐いて誤魔化したけど、なんでご実家に行くの?」
「行かなきゃいけないから」
「それだけ?何かあったからでしょ?」
「何かあるかもしれないから行くんだよ」
「変なの。まぁ良いわ」
「ありがと」
思わず息が漏れる。舞喜の身に何か起きた事しか分かっていない現状で、即座に対応出来るのが僕のみの中、まともに言い訳も出来ない空っぽに近い思考回路に妥協の判子を押してくれた藍莉に素直に感謝した。
そんな藍莉は窓際に座っており、停車している現状、ホームをじっくりと眺めて見る事が可能なのだが、僕の肩を叩いて意気揚々と言い出した。
「あ、お弁当買っていかない?」
こんなに馬鹿だったろうか、彼女は。
厳密には僕の知る彼女ではないと知っているが、どうしても比べてしまうのは、悪い癖なのだろうと、理解しつつもどうしても比較せざるを得ない。
「もう、遅いっての。帰りで良いだろ?」
「あら、奢ってくれるの?」
窓側に藍莉を押し込むように、窓の奥に映る弁当屋さんの値札を凝らして見ると、普通に高い値段が飛び込んできた。
見た所、大きい訳でもない弁当箱に対して、食材と味だけで、八百円とか千円越えの物まである始末。
学生の僕にはプレミア級の駅弁である事は言うまでもなく、謙虚に自作した方が安く収まる可能性すらある。
「作ってもいいぞ?」
「本当に?!作れるの?」
「妹と二人暮らしだぞ?作れなきゃマズイだろ?」
「てっきり、コンビニ弁当オンリーだって思ってたわ」
「それも考えたんだよなぁ〜。出費張るんだよな」
「高くなってるものね」
「それもあるけど、量的に妹は足りるんだろうけど、僕が足りないんだよ」
元の世界でも一緒であり、コンビニで済ませようと思うと、レジ袋の中身は気付けばパンパンになるのだ。
賞味期限の関係もあり、結局少し遠くにあるスーパーに通い自炊して、一回の買い物で二日、三日分の料理を作った方が安く済んでるのは言わずもがな、料理で自分の好きな味に整えられるのだからストレスフリーにも繋がる。
量も最悪安い麺でかさ増しすれば何とか済むという戦法であり、家の中でこれを考案した時、僕は自分を天才と謳うか迷うまでしたが、ネットで見たら普通に皆やってるのだ。
天才とはなんだろうか、悩まされる所存ではある。
「というか、お前作らないのか?」
「そんなにキッチンに立たないわよ。お母さんが作っちゃうし」
「ふーん。そんなものか」
「そうよ。なに?期待した?」
「うん。したな」
「⋯⋯ごめんなさいね、料理出来なくて」
拗ねられてしまった。別に作らなきゃ一家離散という訳でもないならそれはそれで良いとは思う。
僕だって、両親が遠くに行ってから料理し始めていた訳であり、何かしらの要因が無ければしようとはならないのが普通なのだ。
お祝いにしても、好奇心にしても、興味にしても何にしてもそうだが、切っ掛けなんてものは悪くない方が良い。
何よりも。
「お前なら、すぐ作れるだろ」
「⋯⋯そうかしら」
「やってみたらいい。んで、僕の好きな鳥とキャベツの炒め物を出してくれ」
「なんでそんな具体的なメニュー出すのよ。分かったわよ、練習してみる」
「そうしてくれ」
元の世界に帰ったら作って貰おう。そう決めた僕は揺れる事が殆どない新幹線の座席でうたた寝一歩手前まで睡魔が襲いかかろうとしていた時、隣に居る藍莉が考え深そうにしている様子で窓に広がる暗闇を眺めながら、口にする。
「夜の新幹線ってなんだか、逃避行してる気分」
「夜逃げか駆け落ちだな」
「駆け落ち⋯⋯」
「え?なに?」
「いや、貴方と駆け落ちならこんな感じなのかなって」
「それ、口にするもんじゃないだろ」
「⋯⋯確かにそうかも」
駆け落ちなんてものは、互いが語り合わずとも、それしか無いと諦観的に現実を見た結果にして最終手段。
僕にはそうとしか感じられないし、思えない。
何よりも、今、僕の隣に居るのは、恋慕を抱いた彼女ではなく、別の人生と感性を持った彼女なのだ。
とてもじゃないが、僕には駆け落ちをする相手を間違えているとしか思えないし、直接的に言わなくてもそうだと理解して欲しかった。
「そういえば、藍莉って髪何時頃から切ったんだ?」
寂しそうに窓を眺める彼女を一瞥した僕は、空気を変えるように、特徴的な容姿について口にする。
彼女がまだ元の世界の彼女とは明確に違うと分かる要素。
これがある意味、助かっているし、心底安心出来る要因だ。
髪の長さ一つで、僕の知る人物とは違うと理解出来て、多少なりとも躊躇は薄れる。
「ずっとこの長さの筈だけど⋯⋯。確か、小学生の頃からかしら」
「伸ばしてみたらいい。似合うぞ」
「⋯⋯そうかしら?」
「あぁ。絶対だ」
「じゃあ、伸ばしてみようかな」
前髪を指で触れて、摘んで言う彼女の頬は少し紅く、照れているのが容易に分かる。
あれほど円満な家庭で普通な家族が居て、褒め慣れていないとは考えづらく、煩い程に褒め讃えている武島の言葉には淡々と言葉を返している様子は何度も見ている。
つまり、大洲藍莉は僕に多少なりとも恋慕の念があるのだろうと、結論付ける。
とはいえ、この世界の僕が何かした覚えは無いし、何故に、何処で、好感度を稼いだのか皆目見当がつかないし、興味もない。
そんな照れて止まない彼女は意気揚々と気分が上がっていくように言葉が繰り出されていく。
「ところで、なんで急に名前で呼び始めたの?」
「なんでって言われてもな。そっちの方が今はシックリ来るからとしか言えない」
「学校でも、その呼び方続けなさいよ?」
「分かってるよ」
今では慣れ親しんだ呼び方を変える気はなく、本人にも了承を得た僕は無敵に近いのだろう。
それに、今更『大洲』とは呼びづらく、妙に違和感が出てしまうので、どの道却下するのは決定事項なのだ。
「なんだか、変わった?何時の桐江くんじゃないみたい」
「まぁ、そういう時もあるだろ」
「そう」
納得はしていない様子ではあったが、今日一日の言動を思い返せば、割と気が触れてる奴と言われてもあまり違和感はないだろう。
『変わった』とそういう彼女の的外れなのか的中しているのか微妙な判断をするしかない僕には今、二つの記憶が混同している。
一つは元の世界の『僕』の記憶と、もう一つはこの世界で生きた『桐江准』の記憶だ。
明確にここ一年での立ち振る舞いや出逢った人や環境の変化が激しい元の世界の僕の記憶は鮮烈であり、この世界の僕は何の変哲もなく、劇的な何かを行った試しも、苦難に等しい事件に立ち会った訳でもないのだ。
要は、今の僕と比べても淡い思い出程度のものしかなく、元いた世界での記憶の方が鮮明に思い出せて、鮮烈に残って、この世界の記憶は朧げながらもしっかり思い出そうとすれば出るぐらいのもの。
そう考えれば、元の世界は悲惨な感覚が拭えず、この世界は物足りない感すらあるのは、不思議な気分だ。
「うん?」
何かが肩に乗っかった。見ると、藍莉が寝ている。
「寝たのか⋯⋯。まぁ、蒼太と歩いてたしな」
スヤスヤとご機嫌な表情で、気持ちよさそうに寝ている彼女。
付き合ってもない筈なのだが、どうしてこう距離感が近いのだろうか。
そんな疑問が浮かんだ時、僕の脳内に響くように声が聞こえた。
『──えるか?──少年!おーい!』
スピーカーから声が聞こえてきたように、響くその声は聞き覚えがあった。
「朝倉さんッ!」
「えぇ?!どうしたの?」
頭が浮き上がった感覚があったのだろう。驚いた様子で僕の顔を不思議そうに見つめる藍莉。
声が途端に聞こえて、また聞こえなくなったこの状況下で、どう言い訳したら良いのか、僕は悩む事なく答えた。
「あ、いや、なんでもない」
だが、隣の座席では、不審な表情で僕を見る四十代程度のおじさんとおばさんが居て、とても一言では言い表せない居た堪れない気持ちが込み上げてくる。
頭を下げて、思わず立ち上がってしまったその膝を折り、元の位置に座り直した僕は羞恥心で何処かに消えてしまいそうになった。
結局、僕の脳内に聞こえたその声は、新幹線内で聞いたその一回のみで、幻聴と言われれば納得せざるを得ない程に何もなく、二時間半の新幹線での帰省旅行は藍莉の小話で流れていくのである。
━ ━ ━
死装束と思える程に部屋一面は黒の羽で覆い尽くされおり、ベッドで寝ている桐江舞喜は傾きも淀みもない状態で、瞼を閉じきっていた。
「どうすればいいんですか?朝倉さん」
初めに脚を踏み入れたのは朝倉拓也からであり、ツヤのある黒い羽を踏み躙るように力強く病室へと入る。
そんな様子を見て、後方から病室に入る大洲藍莉と牧原逸花、サナの三人は、黒一色に染め上げられた病室を見回していく。
「簡単な話、この子の夢を覚まさせればいい」
「じゃあ、揺り起こすって事だね!」
「いや、少年達が駄目だったんだ。やってみてもいいが無駄に終わるだろうな」
「じゃあ、どうやって!」
『烏』に魅入られた少女の影は未だ、気絶したままであり、雑に抱えたもう一人の舞喜を乱雑に羽が敷き詰めれた床に転がした朝倉拓也は、藍莉の焦りから出た大声に静かに答えた。
「夢の中に居るこの子本人を起こすしかない」
影は未だ現存中。そして、眠ったままの本人。
「その為には⋯⋯」
そっと、眠った舞喜の肩に触れる。訝しむような表情からは抵抗感はなく、影と交互に視線を移しながら、口にする。
「俺が仲介役で中に居るであろう少年や舞喜とコンタクト取るしかないな」
「どうやってですか?」
「俺の力を使う。それで済む」
「夢の中に入るとかはー?」
逸花が口にすると、朝倉拓也へと注目する二人。
しかし、首は横に振られた。
「それも考えたが、夢の中に入ると、今度また烏が来た時の対処が遅れる。影は存命だしな」
「あの、なんで影っていう舞喜ちゃんとベッドで寝てる舞喜ちゃんとで⋯⋯その。別れたんですか?」
「八咫烏が介入したから、自身の活動の為に二分割した──最初はそうとも思ったが、多分違うんだろうなぁ」
「違う?」
似た経験がある藍莉の質問で、事態の切っ掛けを考える朝倉拓也。
様々な考察を頭の中で浮かべては棄却して、再度思考して、可能性と現実での出来事を照らし合わせていく。
そして、一つの答えを口にする。
「この子が八咫烏に魅入られたんだ。学校っていう社会の縮図においては『迷子』の女の子。独りぼっちで定期的に来る兄貴と俺でも話せなかった何かが募って、呼んじまったのかもしれない。そんで、その八咫烏には肉体はあくまでも仮初で本体は世界には送り込めない。送り込んだら、その余波で最悪、人が死ぬからな。だから、烏の姿で来てるわけだし」
『八咫烏』は本来、人からも信仰されている人類の味方寄りの存在であり、神の性質を持つ烏である。
たとえ、天照大御神からの指示が無くても、意図せず元の肉体は持ち運ぼうとはしない。
比較的に入り込みやすく、上空を飛べて、迷子を導ける手頃の存在が烏だったという話ではあるが、それ故に『八咫【烏】』と名付けられたのだ。
「私達は影の意味を知りたいんだよぉ〜」
そんな考察よりも、影の正体をいち早く知りたいご様子の逸花は飄々とした態度で口にするが、朝倉拓也はそれが気に入らないのだ。
当然だ。この白の夢龍が居れば、基本的に使用するコストは削減されて、もっと簡単に事態の沈静化が可能であり、何時までも飯事気分で正体を隠して、ふざけた態度を取られれば、朝倉拓也も睨みはするというもの。
「黙ってろ。お前の秘密、暴露してやっても俺はいいんだぞ?」
「⋯⋯はーい」
バレる訳にはいかない。隣には自身の正体を何一つ知らない友人が居て、それを簡単に看破させる力も実績もある男が前に居る。
これだけで、逸花は引き下がるという手立てしか思い当たらず、自然と一歩後退してしまう。
「今回は失敗したんだ。だから、魅入られた女の子の身体にある影を経由して願いを叶えた。って所だろ」
黒の羽はベッドの上にも広がっており、一見では分かりづらいが、影が消えている。
眠った舞喜の影は、『八咫烏』の力で一時的に借りた形でベッドに寝かされている本人の影が消失しているように見えるのだ。
影は光源が無ければ生まれない。そして、『八咫烏』は『太陽』の権能があり、『導く性質』を持つ。
影は光の角度によって向きが変化する。
夕暮れと朝日では影の位置が変わっているように、『太陽』は影にも影響を及ぼしている事を逆手に取った『八咫烏』の手法。
しかし、『八咫烏』にも誤算はあったのだ。
「失敗した?」
「俺のせいだろう。俺がこの世界にいるだけで、バリアのような役割を果たしてるからな。本来は仮初の肉体を使うつもりだったのが、阻害されて、ようやくこの世界に降りて、権能だけ使ってみれば、こんな事態になったんだろう」
他世界からの干渉を比較的に抑えるべく、朝倉拓也は自身の権能の一部を割いて世界全体に防護壁を張っているのだが、神様専用ではなく、あらゆる生命体を基準としている為、破られてしまったのだ。
そして、そんな事とは露知らずの『八咫烏』は役目を果たす為に権能を使い、状態は悪化。
結果的に日本全体にいる人々はおろか、あらゆる生物は眠り姫となった事態に陥ってしまった。
「これで、中途半端?!」
逸花が嘘だとばかりに声を出すが、現実では起きている。
神は人智の外側の存在であり、理解してはならない範疇に在る存在。
人の形をして人と接する者もいれば、化け物の姿で接する者もいるが、それは神の都合であり、人間側の都合ではないように、神にもお仕事らしいものは存在していて、たまたま神と人間の事情がぶつかった結果なのだ。
「恐らく、本来はこの子だけを眠らせる予定だったんだろう。眠らせて、夢の世界で満喫させる筈だったんだが、権能が暴発してた事と承諾した願いが曖昧なのも相まって、こうなったんだ」
「じゃあ、舞喜ちゃんは──」
「恐らくは自ら祈ったんだ。迷子であり続けるよりも、夢の中をゴール地点にする事を」
現実よりも、想像と妄想が捗る夢の中での逃避。
何がそうさせたかは、朝倉拓也は触れた肩から無理矢理引き出した記憶と心情を読み取り理解した。
なんでも出来るクセに、なんでもはしない男は、さも当然のように、知らないフリを続けて口にする。
「⋯⋯いずれにしても夢の中に居る。 本来の夢は他者の夢と同居しないが、今回は繋がってる部分もある筈だと俺は仮定している。だから、中に居る少年に声を伝えて、役目を果たしてもらう」
「何をさせようって言うんですか?」
「決まってる。本物を起こす役目だ。だから、俺が仲介役って言ったろ?」
自信満々に微笑んだ朝倉拓也は肩に触れている少女の耳元で、声を出した。
「じゃあ早速。聞こえるか?少年。おーい少年。おーい!」
『朝倉さんッ!』
「えぇ?!なんか声が!」
頭の中に響く声が四人に届いた。驚いた様子で、頭をポカポカと叩く逸花と驚いて、目が点となっているサナ。
そして、多少なりとも安堵した様子を浮かべている藍莉であった。
「聞こえたか。意識はあるっぽいな。てことは、少年の記憶云々は大丈夫っぽいな」
安堵した様子で、再び声を掛けていく朝倉拓也。
そんな彼を見つめているばかりの逸花は不意に口にする。
「そいえば、なんでそんなに急いでいるの?」
「牧原逸花。お前⋯⋯」
「だって、夢の中って存外ハッピーかもしれないでしょ?何時かは起きるかもしれないしさ!そんなに急かす事なくない?」
いずれ起きる。その通りであり、時間が経ってしまえば、何時かは起きるのだ。
早い話、所詮は夢で覚めない事は決してなく、食事も受け付けない状態の中、誰かが生きていく為の栄養を点滴で補えるようにして貰えればそれも可能だったのだろう。
しかし現実では人は基本的に眠り転げており、医者も、患者も犯罪者も警官も、教師も生徒も、大人も子供も赤ん坊も無機物以外のあらゆる有機物は眠っている、例外なく。
それはつまり、何を意味するのかを逸花は知らない。
人智の枠組みであり、神よりも地位も力も博識もなく、人よりも博識で力も権能もあるだけの【葬白の夢龍】を冠するこの小娘は夢に溺れていれば万事解決と宣っているのだ。
それを聞いた朝倉拓也は、馬鹿を見る目で逸花を見て、意識して舌を鳴らす。
「大洲藍莉。教えてやれ」
白羽の矢が立った藍莉は、冷静に現状の説明をするべく逸花の方へと向き直る。
流石の藍莉は朝倉拓也程馬鹿を見るような軽蔑の視線こそ向けていなかったが、呆れてはいた。
「人が眠ってるって事は、少なくてもインフラが停止するのよ」
それがどういう意味を持つのか、逸花はまだ分かっていない。
分かっていないから首を傾げて、続きを提示するような態度を示してしまう。
「逸花。病院だって、機械があるのよ?もし何かあったら、人が居なきゃ治してあげられないかもしれない」
「というか、もうこの病院で、一人死んでる」
その言葉に三人が朝倉拓也を見た。
真剣に訴え掛けるように耳元で声を発していた筈の彼は、姿勢を元に戻して、三人を見つめている。
「入口前までは確かにあった人の反応が一減った。かなり弱々しいものでもあったが、死んだろうなアレは」
「そんな」
「まぁ、そういう訳だ。口が過ぎたな」
「うん」
ようやく意味が気付いた逸花は落ち込んだ様子で俯く。
犯罪が起こらない代わりに、医療関係によって命を繋いでいる者にとっては致命的な問題であり、夢の中に閉じ込められているとしても、現実で傷を負い、化膿したり、止血し切れずに致死量に至れば当然死ぬ。
それがこの現実で起きている事態。
「大洲藍莉。牧原逸花。お前ら二人は、心電図モニターに異常がある人がいたら俺の所に持ってこい。治してやる」
「出来るの?!だって、モニターが鳴るって⋯⋯」
「あんまし、良くない事だが、異常事態なのは変わらない。なら、今更些細な異常事態が二つ三つ増えても問題じゃない」
「は、はぁ。分かりました」
「サナはどうしたら?」
小さな少女が口にした。
「そうか、居たな。だったらお前は二人の異常事態を俺に伝える役だ。患者をここに呼ぶ時には俺に声を掛ければ良い」
居ても居なくても然程の問題はないが、居た方が都合が良い存在。
『幽霊』ならではの特権と能力を余す事使って貰おうとする朝倉拓也に応じるように胸を張って声を出す。
「は、はい!」
透明人間に離れずとも、『幽霊』特権で瞬時に移動が可能な少女は朝倉拓也と藍莉、逸花の二人を繋ぐ連絡役であり、かなり重要な役割を持って、廊下に出た。
「行きましょ」
「うん!」
そうして、三人は廊下へと出て行き、眠り姫となった舞喜と二人になった朝倉拓也は怪しく笑む。
「さぁてと、少年。悪いが、観させて貰おうかな。一人で何処まで出来るか」
瞳が青く揺らめく。
まるで見通すように、少女の夢を俯瞰して観る事を選んだ朝倉拓也は、一切の助言も忠言もする姿勢を見せず、傍観者である事を選び、少女の肩を掴んだまま、立ち尽くしている。
━ ━ ━
「着いたわね。貴方の故郷に!」
新幹線に乗車してから約三時間程。
京都駅まで辿り着いた僕と藍莉は、黒いタイルと点字ブロックが伸びている改札前の広場まで歩く。
背伸びをして、凝った背中と肩を解すようにする藍莉を見ていると、ポケットにしまったスマホが震え出した。
急ぎ取り出して、到着寸前の舞喜からの連絡を見つめた僕は、手提げ鞄を肩に掛け直して、隣へと近寄る藍莉へと一瞥する。
「貴方のご実家はどの辺なの?」
「行った事無いんだよ」
「え?ご実家でしょ?」
「だからさ。親が居るから、行かないんだ」
「⋯⋯そう、訳ありね」
「まぁ、そんな所かな」
「もう夜の八時じゃない。いい加減、寒くなってきたわね」
バス乗り場付近で待ち合わせとなった僕達は、待ち惚けを食らったように藍莉が黒色の柵に凭れて、羽織っている濃い緑色のジャンパーのファスナーを閉じていく。
時刻は二十時十一分。正直、京都駅で迷子になり掛けたのは誤算であり、これが隣の県(府)にある大阪府の地下に広がる迷路のようなあの大阪・梅田駅であったならば、多分僕達は永久に脱出が困難であったろう。
地上に行って退避してからマップを見ろなんて声も上がるが、ハッキリ言おう。
まずどうやって地上まで行けと?と僕は言いたい。
あれは魔境だと、何年か前の僕はそう痛感したのだが、あれほどの迷路では無かった事が今回幸いした結果、比較的に早い段階で待ち合わせ場所に着けた僕達。
そんな夜風がイヤに寒い六月の夜で二人して待っていると、遂にその人物の声が聞こえた。
「おーい!お兄ちゃーーん!」
「ん?」
「あれって⋯⋯」
「舞喜だな。妹だ」
「へぇ〜、あの子が」
「あれぇ?!お兄ちゃんに彼女さんが居るぅ!なんで?」
『一人連れが居る』とは伝えたが、女性とは伝えていなかった僕はウッカリなんてしていない。
彼女でもなければ、親密な関係でもなく、ただの付き添いなのは間違いなく、嘘だって吐いていない。
しかし、言い方にトゲがあるようにも聞こえた僕は、そんな荒唐無稽を模した現実で、偽物か本物か解らない舞喜の言葉にいつも通りに返した。
「おい、まるで僕に彼女が居ちゃいけないみたいな風潮は止めろ、やめてください」
「どうして言葉遣い変えたのよ」
「馬っ鹿ッ!暴力上等の可哀想な妹だぞ!?下手に出てやらないと、可哀想だろ!」
この世界の妹はアグレッシブな性格をしているのは知っていて、かなり、相当、馬鹿なほどに傍若無人っぷりが噂されているのだ。
勿論、良い事をしようとした結果、手が出たのだろうが、前提として手を出してしまっては、善悪の天秤は一気に傾くのは小学生の時点で察して理解を深めて、既知として欲しいものなのだが、この世界ではそれが無かったようである。
僕が噂話として妹の話を聞くのが本当に嫌な理由はここにあるのだ。
しっぺ返しのように、僕に流れ弾が来るのが怖かったようで、妹の話が聞こえる度に、陰では悪態を漏らしていた事も常である。
そんな、暴力妹と化してるアグレッシブ・マイ・シスターな舞喜は不服そうな表情をしながら僕に詰め寄ってきた。
「ちょっと!聞こえてるんですけど?お兄ちゃんを折角迎えに来たのに、なんでそんな事言うのかな?」
「ちゃんと三人乗れる車なんだろうな?僕は嫌だぞ?藍莉とお前を僕の太腿に乗せて、似非ハーレムを楽しむのは」
「待って、どうして、私が貴方の太腿に乗らなきゃいけないのよ?」
「そうだよ!恥ずかしいッ、それに、人の前でする訳ないじゃん!」
まず、妹が乗って来た車は僕達の父親の所有物である事を忘れてはいけないし、誰もツッコんでくれない。
当然、運転もその父親であり、乗って来た車も、スポーツカーのような後部座席が存在しないものではなく、普通の四人乗り上等の乗用車であり、一般的な物であるという点も口にしてくれないのだ。
兄貴は泣いたら、かなり面倒臭いという事をここで証明してやろうかと思っていたが、そんなツッコミ赤点クラスの妹の後方から男が一人此方に歩いてやってくるのであった。
「⋯⋯父さん」
眼鏡を掛けて、覇気のない瞳と、細い身体付きをしている僕の父親がやって来る。
会社から帰る途中に舞喜を拾って来たのだろうか、よれた白のシャツと黒のスラックスを履いているその姿は、何処でも見られる普通の人だというのに、僕にはイヤなぐらいにその人が自身の父親と分かってしまう。
堪らなく、不快だ。そう感じる気持ちを抑えるように、ポケットに手を突っ込んだ。
『今更、どの面下げてそんな顔で来れたんだ』
「おぉ、准。其方の方は?」
「あ、初めまして大洲藍莉です。桐江くんのクラスメイトでお世話になってます」
「あ、初めましてこの子達の父の、桐江陽一です。ご丁寧にどうも」
「父さん、行こうぜ。寒いし」
父親の車はまだ変わっていないのならば、僕でも分かる。
白のクーペであり、車高が低いアレだ。
元の世界ならば、僕はその車のフロントガラスに叩き付けられてしまった過去もあるあの車は、やはりというべきか、ご存命である。
「勝手に来といてなんだ、その態度は。まったく」
女性同士で楽しくさせる為、僕は助手席、藍莉と舞喜は後部座席に座り、車を発進させた。
後方にいる二人はお互いに話が弾み、僕と父さんはたまに口を挟む程度で終えていた中、チラチラと僕の様子を確認する視線が気になっていく。
どうやら、不肖の出来の悪い息子とお話がしたいご様子である父さんは僕に視線を向けて、話し掛けるタイミングを図っているのだ。
車内で声が途切れた。藍莉と舞喜は一通り話してスマホを見ているようである。
「お前、最近学校はどうだ?」
ほら来た。
『なんで、こんな事に答えなきゃならないんだよ。鬱陶しい⋯⋯⋯⋯』
「後ろに居る藍莉に聞いたらいい。ある事しか言ってくれないぞ?」
「父さんはお前の口から聞きたいんだがなぁ」
「息子はその気がないんだよ」
「⋯⋯怒ってるのか?」
「何を?」
「父さんの都合で、お前達二人を置いて行った事」
この世界では、僕達は父さんの仕事の都合が起因で多忙となる予定の父親のサポートとして家事をする母親は着いて行く形となったらしい。
そして、何故か子供二人をその新居に連れて行く気が一切なく、珍しく開かれた家族会議に出された議題とその解決策のような提案は、『二人がこのまま残る』というものが最初であった。
どうして、先にそれが真っ先に候補に上がったかはこの世界の僕は知ってしまっており、呆然と諦観的な視点でそれを呑んだのだ。
つまり、早い話この世界の僕は親が親をしなくなったと諦めたのである。
「何言ってんだよ。今更になって」
「そう、なのか?」
「あぁ、本当に」
「お兄ちゃん、なんでそんなにパパに当たるの?」
後部座席から顔を出すようにして舞喜が語気を強めに言う。
残念な事に、僕はこの世界の僕ではなくて、別の僕なのだから、その手の強まった物言いには動じる程にノミの心臓として完成されていない。
顔を出した舞喜の頭を突くように額を人差し指で叩いた。
「当たりたい気分なんだよ。久しぶりに会った父親なんだ。息子のサンドバッグにはなって欲しい時もあるさ」
「アタシは仲良くして欲しいんだけど?」
「いや、良いんだ。そういう事なら受けて立つだけだ」
『黙れよ。何を今更になって。こんなのが、父親なんて、生涯の負債だ。利子が募ってくだけの、借金のようなもんじゃないか。なんで、こんな人が、親なんだ』
僕は後部座席で不審な表情を浮かべる妹へと顔を向ける。
聞かなければならない事がある。そう、とっとと終わらせるに越した事はないのだから。
「⋯⋯と、その前に。舞喜」
「何?」
「お前、最近変わった事あったか?」
「⋯⋯え?ないよ?」
多少の間が気になって仕方ない。だが、それに対して責めるのは苦である為、僕は改めて聞き直すようにして言う。
「忘れてる事とか、逆になんで知ってるんだろ?って感じの事とか」
「う〜ん?あるのかな?いや、無いよ?」
「なんだ?学校で流行ってるのか?」
「どうなんだ?舞喜?」
「⋯⋯ねぇ、お兄ちゃんなんか怖いよ?二日まで普通だったじゃん」
「⋯⋯⋯⋯」
『二日前』という言葉は確信的だった。
もう詰めるのはいらないと判断して僕は顔を前方へと戻そうとする。
そんな時、横に居る父親が赤信号を良い事に手を三度叩いて、笑顔で僕へ向かって言葉を紡いだ。
「はいはい。喧嘩しない。お兄ちゃんなんだから、あんまり妹を虐めるなよ?な?」
「親なんだから、責任もって未成年の実子育てろよ?な?」
「⋯⋯⋯⋯すまん」
笑顔が崩れていく。別段、この人の喜怒哀楽に興味が湧かない為、それは良い。
問題は後部座席で僕の座っている助手席を蹴り込んで来る『馬鹿な妹』の方だった。
「ッッ。なんでパパにバッカリに当たるの!!信じられないんだけど!?」
「なら、母さんに当たろうか?」
「え?」
「バッカリが駄目なんじゃないのか?だったら均等性は保たせる為に──」
「いい加減にしなさいッ!」
聞き馴染みがある説教の声が車内に聞こえた。
僕は相変わらず妹を見続けているが、この人は青信号になった事で車の運転で手が離せない状況下にある。
一生、ハンドルとくっ付いていて欲しいものだが、そういう訳にはいかないだろうと、眉を顰める妹を見ながらそう思う。
「さっきから准!お前のその態度はなんだ!父さんだけならまだしも、母さんや舞喜にまで!どうしてそう噛み付こうとするんだ!」
「なんで?なんでってそりゃ、決まってる⋯⋯」
『一つしかない。これしかない。それしかない。厚かましくて、ウザったらしい、無駄に虚勢を張るしか脳の無いこの人に対して、僕はこの為だけに口にする』
声が響く。さっきから鬱陶しい事この上ないこれはなんだ?
なんで、僕の声をしているのだろうか、それは分からないが、それで良いと感じてしまう。
「アンタらのことを親とも思って無いからだ」
「⋯⋯准」
「桐江くん?言い過ぎなんじゃない?」
舞喜の隣に居る藍莉が恐らく仲裁のような立ち位置で入ってきた。
だが、藍莉には申し訳ないが、言い過ぎなんて事はない。
親としての役目は放置して、仕事にかまけて女と遊んで、母親もそれを知っていて尚、子供の愛情よりも男の愛情を選んで、ホイホイと父親の言いなりになっているだけの傀儡生物と道化人形を何故両親と思えるのだろうか。
「言い過ぎ?何処が?どう?何を?」
「貴方が親と思っていないなんて言葉、絶対後で後悔するのよ?」
「⋯⋯⋯⋯逆だ」
「え?」
「逆?」
藍莉と父さんが僕の言葉に反応するも、舞喜だけが反応しない。
どうやら、『アグレッシブ・マイ・シスター』な時間はとっくに終わっているようだ。
「舞喜、お前。本当はもう、気付いてるんだろ?茶番は止めろ」
「え?なに?なんの事?」
口を閉ざして黙り続けるのみの妹の代わりのように藍莉が、僕の発している言葉を理解しようとする。
けれど、きっと理解されないと、僕は諦めているし、言って理解されようとは思えなかった。
そして、車はバックして、僅かに揺れる。
どうやら、ご実家とやらに着いたらしい。
「ほら、降りよう。俺が一度も行った事の無い新しい実家だ」
「で、でも」
「⋯⋯⋯⋯降りろって行ってんだろッ!」
「⋯⋯うん」
僕は舞喜には悪いが、元の世界に戻りたい。
こんな世界で何時までも沈んでいる程、暇なつもりもないし、そうする義理がないのだ。
多少強引でも僕は帰りたいし、舞喜も連れて帰るつもりでいる。
僕が降りたのを確認した後、助手席から、ゆったりと車から降りて行く妹は間違いなく──。
「お前、元の世界の舞喜だな?」
「⋯⋯違う」
「違うって言葉が出る時点で別の世界があるって事は知ってるんだな。現象の無い世界なのに」
「っ!⋯⋯⋯⋯なんで?」
「元々お前が怪しいって解った体でここに来たからな」
六華の言葉や元の世界を基準とした時の最も大きな変化は舞喜しかいない。
髪を切ったり、人が減ったよりも、より鮮明に解りやすい事象。
『理想の自分』なのか、『隠してた思いの丈だけが溢れた状態』だったのかは知らないが、どちらにしてもこの世界に居た舞喜は変化が顕著に現れすぎているし、やりたい放題が過ぎる。
「それだけで?」
「『二日まで普通だった』って、お前そう言ってたろ?普通、『朝は』とか『ついさっき』とか直近の事言うもんだろ?どうせ、元の世界で見舞いに来た日を咄嗟に口走っちゃったんだろ?焦るとすぐにボロ出るもんな。お前」
素直な奴と言われればそうだし、悩みやすく、落ち込みやすい僕の妹は、何時も何処かで道に迷っているような奴だ。
皆が自分なりの正しさに向き合っている時、長いものに巻かれるように同調圧力に屈してしまい、人に道を進めて貰わなければ決められず、後で間違いだった気付くのは何もかも終わった後が常であり、何時も中途半端で、迷ってばかりの可哀想な奴。
それが、僕の妹。『桐江舞喜』である。
「それを言うなら、お兄ちゃんだって⋯⋯アタシがそのボロが出るまでパ──お父さんの事で嘘吐いて──」
「いや、あれ全部本音だ」
『今更』なのも間違っていない。『今更どの面下げて来たんだ』を短縮こそしたが、気持ちは変わらないし、そもそも久しぶりに会った息子よりも隣に居るクラスメイトにそそくさと挨拶しに行くあの態度がもう生理的に受け付けられなくなってしまっている。
我儘、なのだろうか。どうだろうか、多分、我儘かもしれない。
『けれど、間違っていないとも、断言出来る』
「⋯⋯え?」
「一体、何を話してるんだ?」
「どういう事なの?」
車から降りた残り二人も徐々に慌てた様子で僕に問い掛ける。
話すべきか、否か。しばしの思考の末に、話すのはやめておく事を選択した僕は父さんを睨む。
「そもそもの話、『現象が無い世界』なのに、両親がどっちも子供と離れて暮らしてるってなんだよ」
「それは父さんの仕事が──」
「それはもう知ってる」
「僕が言いたいのは、結局。この世界の僕は、一度として、実家に帰ろうとしなかった事と、妹が心底嫌いだったって事ぐらいだ」
「え?」
僕には今、この世界の『桐江准』の記憶がある。
少なくても、舞喜が元の舞喜になったのは、今日の内であるのは明白だ。
何故ならば、明らかに態度や仕草がこの世界の舞喜とは違い、元の世界の舞喜と酷似しているのだから、すぐに気付きもするというもの。
そして、僕の記憶領域には、一度として実家には帰ろうとはしていない事と、有名人気取りで家族と会えない日の妹は、友達と遊び三昧。
寂しいという感情なのだと最初は受け入れようとしていたが、どうやら違うらしい。
妹が慣れない事をして、無理矢理別の自分を作ってたようであり、周りにそれを振り撒いて、自身の明確な確立を図っていたのだが、その苦労を語らない、語らせていないこの両親に僕は激しく失望したのだ。
この世界の舞喜の事だ。家族の前ならばズカズカと物を言い、相談もしてたのだろうが、両親はそれに対してロクな解答を寄越さずに、僕に放り投げていた。
それとプラスして、舞喜が僕に当たり散らかした事で、この世界の僕は心底嫌いになってしまったのだろう。
けれど、この世界の僕は『小さな救済』を知らず、『現象』や『怪異』『都市伝説』『幽霊』『超常現象』に『超能力』等も知らない。
つまり、悪く行ってしまえば、経験が乏しいのだ。
今の僕ならば、自信を持って、もう少し意地汚くても食い下がるのだろうが、この世界の僕はそれがない。
『朝倉拓也』という『未知』を知らないから、ズレて、スレて、摩擦を生んで、擦れた挙句に削れて、元には戻らなくなった世界。
「ちょっと、桐江くん!」
思い込む事に耽る時間は過ぎたらしい。僕の胸ぐらを掴んできそうな勢いの藍莉が今にも迫る。
「⋯⋯あら、准。なによ、どうしたの?こんな所で?」
「母さん」
玄関の扉が開いた。ボサついた髪にスェットでラフな格好をしているそのシワだらけの女性が僕の母であり、最後に会った時に比べて白髪が生えてきていた。
「母さん少し、待っててくれ。あぁ、大洲さんと舞喜は入ってなさい」
「いや、むしろアンタが要らない。元々、用があるのは舞喜だ。アンタらじゃない。舞喜に会えればアンタに会う必要は無かった訳だしな」
冷たい事を言っている自覚はあるが、胸は痛まない。
むしろ、清々しいまでに気持ちが良く、もっと言ってやりたい気分になって、口を開こうとする。
「⋯⋯父さん、嬉しかったんだがな。ようやく、顔を見せに来てくれようとしてくれて」
「そんなの知るか。僕はアンタら家族が嫌いだ」
「お兄ちゃん、や、やめて」
「仕事都合とか言い訳してるけど、子供を育てるのに疲れただけだろ?前もそうだ。自分達と意見が食い違ったらいい顔だけして、耐えたフリをする。そのくせ、他所の女にはデレる始末だ。コレを嫌わずなんだってんだ?!」
始まりは勘違いと思っていた。だが、すぐに違うと気付き、酒を飲んでいるのかとも思ったが、下戸な父さんは飲む筈もなく、酔っていない状態で路上でデレデレと胸のデカイ女性の尻を揉んで、ホテルへ行こうとするあの時の光景は今でも鮮明に思い出せる。
「やめて」
「母さん言ってたよな?将来いい所に行って、いい就職先探して、良い人見つけろって?」
「え、ええ」
「悪いけどな、アンタの為に、アンタの情愛を満たす為の玩具じゃないんだよ僕は!小学生の頃から口酸っぱく言ってたけど、世間体か?なぁ?敷居が高い所と比べ過ぎて勝手にパンクしてったのは、アンタじゃねぇか!!」
幼稚園の頃に小学校の受験をした事があった。
受かりはしたのだが、父親はそれに対して興味を示さず、仕事にかまけ始めた頃とダブった事が災いして、最終的に母は『好きにしたらいい』と言われて、僕は皆が通っている小学校へと普通に入った。
この頃から違和感こそあったが、当時は気にしなかったし、そういったものと納得していたが、中学生になると、僕は父親に母親を振り向かせる為の仲介的立場にすり替わっていた事に気付く。
当然、反抗的になると、ネグレクトが起きて、家庭は壊れていった。
「やめて!」
「大体、アンタらは何時もそうだ。自分が腹痛めて産んだとか、お仕事一生懸命頑張ってるとか言ってるけどさ。お腹痛めて産んだから凄い?アンタだけじゃ無いんだよ!世の中の母親もそうだろうよ!それで?自分の思い描いてた理想と違うから?飽き始めたんだろ?」
「ち、違うわよ!そんな事──」
「やめてよぉ⋯⋯」
「父さんもそうだろ?仕事頑張ってるからって言っても、結局都合が良ければ子供は放置して遠出するがデフォルトなんだろ?普通の親は意地でも連れてく。なんでか知ってるか?心配だからだよ!アンタら何時だって、何時だって、何時だって、何時だって、何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時もそうだッッ!はぁ、はぁ、はぁ、結局、アンタらが欲しいのは、理想の家族ごっこだ。今になって、いい父親すればお前は気分がいいもんな?甘えられたら甘えさせてあげたいもんな?いい母親演じれば、ご近所さんからも人気取れるもんな?」
何故、この世界では僕と舞喜を連れて行かなかったか、彼等の心境は知らないし、吐露する日が来るかは分からない。
けれど、元の世界でも、コッチの世界でも、一家離散寸前であった事は否定も間違いもなく、離れて暮らした原因が違うだけで、結果は同じ。
「⋯⋯⋯⋯」
そんな父親と母親をどうして好めるのか僕に皆目見当が付かない。
理想を壊していっているのは百も承知で、妹にとっては毒を放り込まれて首を抑えられているのに等しいと分かった上で、僕は父親と母親に対して、罵詈雑言を現状の限り言い尽くして、舞喜の方へと身体を向けた。
「ほらな?舞喜、見たか?こんだけ母さんが言われて、父さん。はぁ、反論すらしないんだぞ?内心もう分かってるんだ⋯⋯」
「⋯⋯っ。すまない」
「謝ってんじゃねぇよ!言っとくけどな、元の、あのお前達はもっと酷い事を舞喜に言ってんだぞ?!全部押し付けて、勝手に夜逃げみたいに消えて、見つけてもらった時のアンタらの顔なんて、今でも思い出せる。⋯⋯アンタら、最ッッ低なんだよ!」
事件は四月、新入生を迎えた春が少し経った時期。
事件は起きて、両親が事のあらましを聞いた際の第一声は『こんな子、うちの子じゃないです』であった。
お笑いでもしているのか、ドッキリかと疑ってしまうほど、清々しい発言。
唖然とした僕に対して、父親は寄り添うように母親の肩を掴んで身体に引き寄せて、慰め合うように泣き出して、それがどうしようとなく気持ちが悪くて、警察官も苦い顔をしていて、それに安堵した僕は確かに居て。
結局、父親と母親は様々な事があり、怪我を負った僕を見て、傍によるでもなく、救急車を呼ぶでもなく、荷物を纏めて何処かに行こうとする姿が印象深い。
「そんな人の謝罪なんて今更要らない。必要としない。聞きたくもないし、聞く気もない」
「なんで、壊すの?」
ボソッと確かに呟いたその声は舞喜のもの。
けれど、覇気が込められていくように、拳は握られて、睨み付けられた。
「なんでェェェェェ!」
世界が割れた。テレビのモニターにヒビが入るように、黒や紫、緑色や白といった多色の線は唐突に、初めからそこにあったように広がり、世界は白く染まっていく。
そして、後方に居る彼女の安否を見ようと振り返る。
「ッ!藍莉?!⋯⋯⋯⋯消えてる。⋯⋯⋯」
既に車もなく、藍莉は消失して、辺り一帯がペンキを垂らしていくように、上空から白色が落ちて、広がり、地面に付着すると、波紋のようなものが広がって、身体を震わせていく。
「やめてって言ったのに。分かってたけど、やり直せるって思ってたのに、普通の当たり前の家族に戻れるって思ってたのに。なんで、お兄ちゃん、邪魔するのぉぉ!」
殊勝な心掛け痛み入るが、残念な事に、あの家族では過ちは繰り返せても、やり直すなんて心根は持ち合わせていない。
それに、不細工ながらにやり直すならば現実でも出来た筈だが、それを省いて別の世界でやり直そうとした時点で、逃げているのとなんら変わりないのだ。
「普通じゃねぇからだろ?」
「⋯⋯アタシの方が普通じゃないよぉ〜。アタシのせいで家族が壊れたのに、パパもママも居なくなって、お見舞いにも来ないけど、頑張ろうと思ってたのに。⋯⋯⋯⋯それなのに!やっぱり怖くて⋯⋯」
両親は未だに、一度として舞喜の見舞いには来ていない。
仮に連絡を寄越しても、何かしらの言い訳で予定を伸ばそうとする腹積もりなのは目に見えていた。
更に面白いのが、舞喜の入院費は朝倉さんが負担してくれており、両親は一切手を付けていない。
何故事故に遭わせた訳でもない他人があれほど当たり前のように費用を工面してくれているのに、実の両親はそれをしようとしないのか──本当にどうして。
『結局、親なんて称号は飾りで、それっぽっちの価値しかないって事だ。皆が皆そうでないとしても、真近にあんなのが居れば疑うのは必定だろうに』
泣き出して、膝を崩している舞喜。
僕はあの日の舞喜を不意に思い出した。
服が返り血で塗れて、情緒が乱れて泣きながら不気味な笑みを浮かべていたあの四月の舞喜を。
あの時の僕は、何も出来ずに黙って通り過ぎるのを待ってしまったが、今の僕はほんの少しだけなら変われていると自負出来る。
「だったら、僕のせいだろ?切っ掛けは僕で、壊す要因を作った。お前に不安な気持ちにさせたのも僕で──」
「その!っっ。⋯⋯嫌なぐらいに優しいのが、嫌なの!嫌いなの!なんで優しくするの?憐れんでるの?可哀想な奴だって、そう言いたいの?」
「⋯⋯そうだよ。可哀想な妹とは思ってる。思わない兄貴が居るか」
「⋯⋯ッ。最ッッ低。本当に最低だよ。お兄ちゃん」
「最低な両親から産まれた第一子だぞ?嫌な所なんて、似るに決まってる」
「じゃあ私は?第二子だよ?」
「だから、僕や両親に比べてマシなんだろ」
「⋯⋯嘘、嘘嘘嘘!嘘ォォ!」
「嘘なもんか。冗談ではぐらかす事はあっても、嘘は吐かない。少なくても、妹の前じゃな」
「そんなの。それこそ嘘じゃん!⋯⋯アタシ、将来⋯⋯な、なりたい事あるの知ってる?」
「知らない」
聞いた事も無いし、聞く切っ掛けなんてやって来なかった話題だ。
好きな物は思い浮かべられるが、どれがそれに該当しているのか僕には当てれない。
「パティシエなの。でも、昔作ったケーキを家でお兄ちゃんに食べさせたら、お兄ちゃん、馬鹿にして大笑いしてた!」
確かに作ってた記憶がある。
まだ舞喜が小学生の頃に、テレビで見ていた特集でケーキがピックアップされて、珍しく家族四人でそれを見ていた。
それから二日後には形が崩れ去って、所々スポンジがグッチャりとしたケーキをお出しされて、最初は悪態はついた記憶がある。
けれど──。
「美味しいって言ったぞ?」
「嘘!」
本格的な物には流石に負けているが、まだ十歳ぐらいの子供が作ったケーキと考えれば、美味かったのは事実で、嘘は言っていない。
両親も最初はわんさか褒めてたが、結局はお察しだったのだろう。
「本当だ。確かに高笑いみたい事はしたけど、アレは嬉しかったのを誤魔化したかったんだ」
「⋯⋯なんで?」
「⋯⋯嬉しかったからだ。まだまだ小さいって思ってたヤツが、僕っていう歳が上の奴よりも、先に挑戦して、作ってくれたんだぞ?でも、なんか気恥ずかしいからあぁ、なっただけで、最後にはちゃんと美味いとは言った」
「聞いてない」
「口にケーキ含んでたからかな。早口でそそくさと食ったし」
「あの後、ケーキはどうなった?」
「⋯⋯わかんない。冷蔵庫しまって、朝起きたら無くなってたから。パパとママが食べたんじゃないの?」
そんな訳がない。何故ならば、父親と母親は一口食って、密かにゴミ箱にリリースしていたのを僕は見ている。
あの親が職場やパートの時間帯で『娘が作ったんだ!』と自慢話を立てる為に持って行く可能性はあっても、率先して食べるとは思えないし、有り得ない。
ケーキなんて、賞味期限切れは早くて、作った日か翌日が限界だ。
「僕が全部食ったに決まってる。夜中にお腹空いたから、平らげた」
「⋯⋯⋯⋯」
「本当に期待してたか?あの人達が、食ってくれてるって?」
「⋯⋯ううん」
「なら、次、美味しいの作って見返してやればいい。それに、パティシエになろうとしたのも、ケーキを作った事で褒められたのと、ケーキが家にあった日には家族皆で談笑してたからだろ?」
分かりやすい。そう言いたくなるのをグッと抑えた僕は、顔が真っ赤になる妹を見つめる。
恥ずかしがる必要は別にないんだがな、何故こうも直球に弱いのか。
「⋯⋯うぅ、なんで分かるの?朝倉さんにだって、嘘ついて──」
「いや、多分気付いてるぞ?嘘だってことぐらいは」
「嘘だよ!」
「いやぁ、どうかな?」
「あぁぁぁぁぁーーッッ!どうしよう、怒ってるかなぁ?」
しゃがみこんで、頭を抱えて、苦悶の表情で泣きべそをかく妹。
思えば、こんな風に会話するのは久しい感覚がする。
「怒ってねぇって。⋯⋯多分」
「⋯⋯多分禁止」
「じゃあ、確定させないとな?聞けばいい」
「無理だよぉぉ〜」
「この世界の中じゃあ、何時までもこのままだぞ?分かってるんだろ?」
「でも、誰かが言ったんだよ?!『ちゃんと夢の中で見つけろ』って!」
「夢?!⋯⋯僕はてっきり誰かがコッソリ創った世界かと⋯⋯つか、何?誰に?」
『見つけろ』ってなんだ?誰が舞喜を唆した?一気に謎が増えるばかりだが、そんな僕の混乱などはお構いなしに意地の悪い泣き顔で頬を膨らませて僕を見てくる。
「知らない!⋯⋯それに、なんでお兄ちゃんだけ、普通に元の世界の記憶あるの?!インチキじゃん!」
「何をぉ!よく言った、ならば戦争じゃ!」
膨らんだ頬を引っ張って、濡れていく指には構わず、おかしな変顔をさせていく僕と、抵抗するも抵抗にならない程の力加減で諦めたようにされるがままの舞喜。
つねった頬を勢いよく引っ張り離してやると、「ふぅえぇぇ〜」と可愛らしい声が飛び出たが、笑っていいものか悩んでいると、途端に舞喜は微かに笑い出し始めた。
「⋯⋯⋯ふふっ」
「舞喜?」
「なんか、こうして喧嘩みたいにするの懐かしいなぁ」
「そう、だな」
それほど大きな喧嘩はした事がない僕達、兄妹だが、あの一件以来、そんな些細な喧嘩すら躊躇うように言動や行動、連想させないようにしていた。
一年ぶりの喧嘩というのか、じゃれ合いにも似たそれは、僕にとっては歓喜にも似た感情を呼び起こしていて、それと類似する感情を目の前で立ち上がった舞喜も持っていてくれたらいいなと、思ってしまう。
「ねぇ、現実だったら、ちゃんとお父さんとお母さんと仲直り、出来るかな?」
「無理だろうな。あの親だから」
「そっか⋯⋯」
「でも、言いたい事はちゃんと言え。僕も言う。だから、一緒に来てくれよ?」
「アタシが、お願いしなきゃいけないんじゃないの?」
「空気読めよ?」
「うぅ、ごめん」
折角、道を作ったのに、あっさり迂回する辺り、成長しているのだろうが、今発揮されても困るのだ。
「謝るなよ。お前なりに考えあるんだろ?」
「分かんない。でも自分でちゃんとしなくちゃって、そんな気がするから⋯⋯」
成程、『見つけろ』というのはコレなのかもしれない。
両親との確執と学校生活が真近に迫った環境の変化は本人の意図しない所でも確実に訪れて、現れて、芽を出すように露顕するのだろう。
存外、現象に巻き込まれて、悪い事ばかりではないのだと、少し、ほんの少しだけだが、その舞喜を引き込んだ声の主に感謝した。
そして、もうすぐこの時間も終わるのだろう。
引っ込み思案で長いものに巻かれる奴だが、しっかりと芯を持ち始めれば、僕の面倒なんて必要ないまでに立派になるのだと、確信した。
「まったく。夢の中じゃあ、傍若無人のアグレッシブ・マイ・シスターになって、現実では引っ込み思案の芋虫シスター。極端じゃないかよ?」
「悪かったよぉ」
「でも、それでいいのかもな」
「え?何が、え?!なんで?」
「え?⋯⋯⋯⋯」
夢は記憶の整理と聞いた事があるが、この世界が夢であるならば、成程、家族と居るならば、連想クイズのようにトントン拍子で出てくる訳だと、納得した。
僕と舞喜の両親が一度は消えた筈が、しっかりと目の前に佇んでいる。
「パパ、ママ」
何も発さない。けれど、そこに居る父さんと母さんは少し不気味な様子で、俯いて、影を多く含んだ状態で、未だに白く染まっていく世界に確か立っている。
『見つけるチャンス』が訪れたのだと、僕は納得して、舞喜の背中へと回り、背中を押した。
「お兄ちゃんッ!何?!」
「ここで言わなかったら、自分にも負ける事になるぞ?どうせ夢なんだ。思いっきり行け」
不安そうな眼は、僕に助けを求める緊急呼び出し鈴であり、揺れて、震えているのを僕は黙々と頷いて、前へと促す。
「頑張れ!僕はちゃんと見といてやる」
「う、うん。分かった」
恐らく、舞喜にとって、初めての両親との口喧嘩になるのだろう。
普段は、僕が両親と口論する事が多かったあの日々に妹の入る余地は無かったが、今夜は僕は介入しないし、関与しないと決めた。
これは、妹が前に進む為に、両親との確執や凝り、不和や歪に歪み切った家族仲を語り尽くす為の夢なのだから。
親との会話、なんのこっちゃ?そう思われた方が大半だと、思われますが、過去編作る際に全貌出します。
多分、胸糞と言うよりも辛いシーンは纏めて置かないとコッチの指が乗らないので敢えてこの話では内容の中身を軽くしました。
それでは次回お会いしましょう。




