この男、神出鬼没につき注意
それは大きく黒い鳥。人はかつて、信仰の対象として崇めて、かの清少納言とてその鳥は夕焼けに見る姿は美しいと評したのだ。
人は何時からかその鳥を害あるものと判別し、時に忌み嫌う存在として見つめたが、決してその鳥は靡かない。
知能があり、文字通り神から遣わされた存在であり、八咫の名を冠した太陽の化身。
皆が思い浮かべる太陽の化身とは違い、黒く、皆からしても、鏡の方が知名度が大きいのかもしれないが、忘れてはいけない。
その鳥は時として恩返しをするのだ。
誠実に向き合い、正しくあろうとする者に対して、神から遣わされた存在としての職務を全うするようにその鳥は鳴く。
名前の由来が鳴き声から来るものだったとしても、人の言葉は幾分か理解出来て、人はその存在の言葉を全く理解出来ないとしても、やる事、成す事に変わりはない。
今日も夕焼けの空を優雅に一羽翔き、オレンジ色の景色に漆黒の輪郭を象って飛翔する。
奴の名は『■■■』であり、太陽の化身や神の使いを冠した存在の『現象』にして、神出鬼没。
『淡い緑色に発光する象』とは訳が違い、今尚その権能を所持して、崇められて、讃えられて、臆されて、舞い続ける存在。
雑食にして、理知的にして、狡猾であり、正しく遣われたそれは時に『人の試練』を踏み台にする。
━ ━ ━
史上最低なお寝坊を果たした准は急ぎ準備を進めて学校に向かうと、既に五時限目は終了して休み時間の最中である。
当然、そんな事をすれば目立って目立って仕方ないのだが、耐え忍ぶ道を選んだ准は縮こまるように教室へ入ると、既に顰めっ面で睨み付ける人物が居た。
藍莉でなければ、逸花でもなければ、嶺二でもない。
奏海である。彼女は自身より下の行いにイチャモンと文句と抗議をするのが大好きな思春期女子であり、クラスの問題児。
准が不登校と成績での不登校ならば、彼女は素行不良といった所だろう。決して表には出さないが、出しているつもりもないが、そんなのは教師陣にはお見通しであり、時々起こる行き過ぎた暴言が朝から発動して呼び出しを食らってしまい、帰って来てすぐの事。
ハイボルテージかつ沸点を通り過ぎた情緒は遅れてやってきた寝坊助へと標的して離さない。
「アンタ、遅すぎない?藍莉、もう来てるんだけど?」
「なんで、僕の登校は藍莉と共にあるんだよ?何時も違う時間に来てるだろ?」
何時も准と藍莉は違う時間に登校する事は奏海とて知っている。むしろ、知らない事なんて有り得ない程によく見ているのだ。
「遅れんなって言ってんのよ」
「悪かったよ。そうピリピリすんな。朝から煩いな」
「もう昼だっての!」
「僕が居ないと寂しい生命体なのか?そんなに僕が朝早くから来て欲しいなら、毎朝家に来てくれ。そうしたら、驚いて起きれるだろうし」
ついでに警察を呼ぶ可能性もある、とは言わないでおこうと決めた准。理由としては藍莉が鍵を開けるからだ。
准は藍莉の部屋の鍵を持っていないが、藍莉は准の鍵を持っている。この不公平のようで妥当的な結果、藍莉を頼りに准の部屋に入り込む可能性は大いにあるのだ。
「はぁー?なーんで、アンタん家に行かなきゃならないのよ!ふざけんじゃないわよ!」
「寂しい生命体なのは否定しないのか⋯⋯」
「うっさい!死ね!」
暴言を頂いたところで踵を返して元の席に戻り藍莉、逸花、陸、颯悟、浩太郎の所へと戻って行った奏海。
やれやれといった様子で席に着いた准は決して彼等の所へと行かない。
行く理由もなければ、必要性もなく、一日一回は学校内で藍莉と話さなければならないといった事もないのだ。
そんな准にだって友人は居る。唯一無二の友人、嶺二が奏海が去ったのを確認すると同時に駆け寄って来た。
「朝から白熱してるなぁ」
「ムッくん。おはよう」
「おう、おはよう⋯⋯いや、こんにちは?まぁ、どっちでもいいか!」
「そうだよな。どっちでもいいよなぁ」
社会人になれば万国共通と言わざるを得ない程に『おはよう』を使うのだから、昼夜逆転しようとも、朝、昼、夕に人に会って挨拶しようともどっちでも良いのだ。
「そういえば、聞いたか?」
「何を?」
「昨日の夜さ、なんか建物が一個真っ二つになって、その後、倒壊したらしいぞ?」
「倒壊?僕の知ってる話じゃあ、真っ二つだけだったんだが?」
実際に昨夜、真っ二つの現場に居たとは到底言えず、流石に濁すような言葉で返してしまった准。
けれど、どうやらそれだけの事ではないらしく、嶺二が続けて言葉を紡いだ。
「いや、それがさ!今日の昼過ぎぐらいになんか真っ二つになった内の一つが倒れたらしいんだよ!怖いよなぁ⋯⋯」
「まぁ、そういう事もあるだろ⋯⋯多分」
「えぇ!そうか?」
無いとは口が裂けても言えないのが准の置かれている環境なのだろう。
去年から起きた様々な『現象』によって引き起こされた惨事や結果的な状況を鑑みても、建物一つ倒壊というのはない話ではなく、起こりうる可能性に満ちている。
勿論、普通は倒壊しないが前提であり、地震大国なんて呼ばれている日本において、揺れによる倒壊の被害を最小限にする建築技術を誇っている故に滅多な事では建物が壊れるという事態には起こらない。
それでも、地震とは違うケースで建物が壊されるとなると、地震大国もただの名ばかり状態である。
「おいそこ!もう授業始まるぞ!⋯⋯それと、桐江。お前、後で職員室に来い」
「⋯⋯はい」
気付けば授業が始まってしまい、担任教師が担当している授業だった。
話し込んでいた嶺二は急いで自身の席へ座る為、前へと駆け足気味で向かい、准は顔が引き攣るのであった。
放課後になり、急かされるように職員室へと向かった准は教師からのお説教を三十分みっちりと受けてしまい、トボトボと鞄を持っていく為に階段を上がり、教室へと戻ると藍莉が待っており、意外そうに見つめてしまう。
普段の彼女は部活中なのだが、何故か律儀に席に座って、帰ってきたばかりの准を見るや否や立ち上がった。
准は不自然さを覚えてしまう。帰宅を共にするならば、鞄を持つ訳で、今の彼女は鞄どころか手持ち無沙汰なのだ。
「お寝坊のご気分はどう?」
近くまで来た藍莉が発した第一声はそれである。
皮肉の効いた言葉であり、嘲笑地味た笑顔がヤケに似合っているのが准には少々挑戦的にも見えてしまい、言葉を返す。
「最高だな。今度からそうしようかな」
「呆れた。怒られたばかりなのよ?やめときなさいよ」
本気で言っている訳ではないと気付いているのだろうが、それでも呆れずにはいられないのだろう。
二度寝する前に同じ寝床に居たが、話をした訳ではなく、しっかりと話すのは昨夜に家で作戦会議をした時以来である。
「怪我、してないのよね?」
「してたらそれ理由に休んでる」
「そう⋯⋯。あのね、ちゃんと言っておかないとって思って」
「え?何かあったか?」
まだ夕日というには白く燦々と輝く太陽の日差しが藍莉を差す。
カーテンと室内の温度の関係で開け切った窓は風を伝えてはくれず、それに負けない程に優しく微笑む藍莉が准の視界に映る。
「貴方が無事で本当に、良かったわ」
「⋯⋯藍莉もな。あの場所で気絶だけでよく済んだな。本当に」
「えぇ、それについても今日先輩の行き付けの店で話すから」
「行き付け?」
「笠辺先輩が今日教室に来てね。今日の放課後、話したい事があるからって言ってたの。昨日の事でしょうけど」
「そっか」
昨夜の時点で言われていた沙耶の言葉は忘れ去ってしまっている准にとっては初耳として聞き、既にその行き付けの場所へと向かっている逸花達。
二度寝から起き上がった准は連れ帰った筈の詩葉が既に居なかった状況から逸花が連れ帰らせた事の察しはついていたが、挨拶もしないで帰らせてしまった為、調度良い機会だとして頷いた。
「ねぇ?」
「はい、何か?」
教室の後ろにあるロッカーから鞄を取り出さそうと手を伸ばした准の動きが静止した。
「貴方は死なないでね。お願いだから」
「⋯⋯僕はまだ死ねない。やる事があるから死ねない」
「それは何?」
詮索するようなその言葉は准の眉間を下げさせて、藍莉を見た。
准が思い描く藍莉の理想とは掛け離れた言動は准の思考を加速させて、そして突き放す。
「手伝おうとか思うなよ?牧原からも危ない事はさせるなって忠告受けてるんだ」
「あの子が?意外。⋯⋯でも嫌」
「おい。昨日の今日だぞ?危ない目にわざわざ関わる必要無いだろ?なんでそこまで執着するんだよ」
「貴方が居るからよ。それ以外ないでしょ」
「まさかと思うけど、命の恩人だからとかそんなんじゃないよな?だとしたら僕は別に心配ない。恩着せがましい事はしない」
「⋯⋯っ。違うわよっ!」
叫ぶようにして否定する藍莉に准は臆さない。
大事だから関わらせないようにと逸れば逸る程、それを上回る程に関わろうとする。
大事だからこそ関わろうとして、突き放されるような感覚が心に重く乗っかり、拒否しようと藻掻く。
蔑ろにしようという気持ちは決して無くても、知らず知らずのうちに尊重という雨を蔑ろという傘が守ろうとする。
打たれる事はない。
「好きだからよ!付き合ってるし、生きて欲しいから。それ以外に理由っているの?貴方が去年からフラフラと何処かに行っては帰ってこない事がある事も知ってる。それが原因でしょ?貴方にとって大事なら、私にもそれを少しでもいいから背負わせてって言ってるの」
「⋯⋯⋯⋯気持ちは嬉しいけど、駄目だ」
察しが良い藍莉。『現象』と積極的に関わろうとしたのは、去年の夏休みの出来事が起因であり、戒めでありながら、生かされた罪。
准が関わらなくても解決出来る問題も気付けば身体に身を任せるように飛び出している無力で非力な少年、それが桐江准なのだ。
「っ⋯⋯なんで?」
そんな少年と共にありたいと願う彼女が愚かなのか、それともそんな少年に惚れてしまった事が間違いだったのか、それは二人には解り切れない。
「藍莉。僕はお前が思うほどに良い奴じゃないからだ。酷い人間で、多分世界有数の馬鹿だ。じゃなきゃ、こんな引き摺ったような事をしない⋯⋯」
「だから、それを──」
「僕は、女の子を一人、殺してるんだ」
目を見開いた藍莉。かなりの冗談にも聞こえる言葉は声色、口調と状況がそうではないとハッキリと伝えていく。
しっかりと視界に収めた准の表情はやりきれないといった様子で、苦い顔を浮かべるばかりだ。
「その贖罪⋯⋯じゃないな。きっと、後悔してるんだ。それしか無かったって解ってても、それ以外ないって確信があっても、僕がそれを許さないんだ。だから、ずっと引き摺って、おかしい僕出なきゃいけないんだ。それが僕に残されてる命の使い方だから」
「妹さんの事⋯⋯じゃないわよね?」
「違う。舞喜じゃない。けど、僕にとってもアイツにとっても大事な奴だ。それを殺したんだ。後悔するなっていう方が酷だろ?それを藍莉には背負わせられない」
「⋯⋯」
俯いて黙り込んでしまった藍莉を一瞥した准は、しゃがみ込んだ姿勢を立ち上げて、鞄を肩に掛けた。
「ほら、行こう。先輩待ってるぞ」
普段の少年の物言いに戻し、買い物感覚でその行き付けの店へと行こうとする。
准はその店を知らない為、現状藍莉に伝えて貰わなければならない。廊下に脚を踏み入れて後方にいる藍莉へと視線を移す。
未だに俯き、拳を握って、それを前に持って行って両手を握るようにしている。
「嫌だ」
ハッキリと小さきながらもしっかりとした滑舌で分かりやすく鮮明な言葉が准の耳に入り込んだ。
「何言ってるんだ?行かないなんて──」
「嫌、絶対嫌。背負う、一緒に背負いたい」
「お前、まだ言ってるのか?!」
語気を強める准と振り返って泣きそうになる藍莉。
そんな藍莉にだって、それなりの覚悟はある。
むしろ無いならばここまで食い下がっても来ない訳で、徐ろに准に近付いて、胸元に握られた拳を叩き付けるような事はしない。
「辛そうにしてるから、助けたいって思う事の何が行けないの?彼女よ?貴方の!もっと知りたいって思う事の何がいけないの?知ろうとするのもいけないの?解りたいって思う事が駄目なら、勝手に知ろうとするだけよ!」
「無理だな。藍莉には多分解らない。気持ちがじゃなくて、状況やその時の事がだ」
「それでも⋯⋯」
諦観の視線がヒシヒシと伝わる藍莉。
この先の言葉はきっと地獄になると解っていて准はそれを口にしようとする。
「⋯⋯⋯⋯なら、分かった。別れ──」
「止めとけ。お前にとって損でしかないぞ?」
「⋯⋯朝倉さん?!」
「よっ!」
窓から顔を覗かせて、一気に教室へと土足で入り込んだ朝倉拓也。
黒いジャケットが翻しながら、入ってきたと同時に風が吹いた。まるで、地獄のような状況に見かねて風が呼んだかのように。
「朝倉さん。どうやって⋯⋯いや、此処学校ですよ!」
「知ってるよ、大州藍莉。⋯⋯ところで、少年」
「⋯⋯」
「滅多な事は言わない方がいいぞ?それが自分の本意じゃないなら、尚の事な?」
「でも⋯⋯」
「お前が言わないなら、俺が教えるまでだぞ?夏休みのお話をな」
「っ!なんで、そんな!」
トラウマを教えるのと同等の事を言われている。脅迫にも聞こえたその物言いに、渋い顔を窺わせて朝倉拓也を睨む准だが、本人はなんて事の無いように、窓に設置されている手すりを指でなぞるようにして飄々としていた。
「批難される事を恐れるな。お前はお前のやれる事をやっただけの話だろ?何をグチグチと⋯⋯。これじゃあ刃龍も報われないぜ?」
「はりゅう?」
「⋯⋯止めてくれ。朝倉さん。僕は藍莉を──」
「お前の都合ばかりに事が運ぶ訳ないだろ?それとも、お前にとっては彼女も俺も都合のいい道具って扱いなのか?」
「そんな事ない!」
「だったら腹決めろ。今でなくても良い。何時か言える準備をしておけ。身近に自分の事を知ろうとしてくれる存在が居る有難みっての、もっと感じておけ。居なくなったら、孤独だ。お前は自分が思っている以上に心が強くないんだからな」
苦しんで、傷んで、霞んで。そんな高校生活を送って来た准をそれなりに見てきた朝倉拓也の総評。
朝倉拓也だからこそ解る事もある。それは決して彼等に伝える事はないが、それでも確かに経験して身に染みた体感と感覚が少年にそう言わせている。
「⋯⋯っ。アンタは強くて何でも出来るから⋯⋯そう言えるんだろうが!」
唇を噛んで絞り出すようにして言葉を紡いだ准を見つめる藍莉。
苦しそうに、耐えているようなその表情には、様々な後悔や、やりきれなさもあり、それを抱き止めようとする事を選べば変わるのか、悩んでいた頃、朝倉拓也は鼻でそれを一蹴するように鳴らした。
「ふっ。それよく言われるが、元から強い訳ないだろ?ちゃんと強くなって、今の俺がいるんだ。それにな、俺だって取り零してる者も居る。そういう後悔と誰かに対して何も言わない事を同一視してしまうな」
説教なのだろうか、或いは慰めか、それを知っているのは話している本人のみだろう。
優しい視線が准を穿つ。穿って、目の前に居る大人を直視出来ないまま、視線は下を向いているばかりで、それを見つめている朝倉拓也は言葉を続ける。
「少年、良いか?忘れるなよ?自分の視野を縮こめて、他人に迷惑を掛けると失明なんか生緩いぐらいの罰が当たるぞ?自分だけじゃなく、他人にもな」
「⋯⋯」
「傍に居てくる人間が何時までも一緒に隣を歩いてくる訳がない。必ず何処かで死に別れるし、喪うんだよ。でもな、それはお前の隣に居る彼女にも言える事だ」
「けど、僕の後悔に、藍莉を巻き込んだら、もう取り返しが付かないかもしれないんだぞ?そうなったら、僕は藍莉の人生に申し訳が立たない⋯⋯」
「今更だ。付き合ってる時点で取り返しは付かん。それにな、人生なんて未成年のガキが考えるな」
そもそも、後悔させたくないのなら、何故付き合っているのか。彼女に対する哀れみや自分自身がご褒美だと思っていた訳ではないのだ。
藍莉が望んだように准とて望んだ事で、互いに自分を優先した結果、双方の感情が噛み合った為、流れるように付き合っただけで、後先なんて考えていない。
「理解しようとして、分かろうとして、納得して、後悔を最小限、幸福を最大限に持った上で死ぬ為に生きる。それが人生の基本だ。勿論、上手くいく事ばかりじゃないのは、知っている。けどな、そうならないようにしていく為に知ろうとする事が大事なんだ。お前は今、コイツの人生の侵害をしたんだぜ?責任、取れよ」
「だったら、アンタだって僕の人生の妨害をしてるじゃないか!」
溜め息を零した朝倉拓也。頭を横に振り、仕方ないといった様子で凭れていた手すりから背中を離して、近付いた。
「してねぇよ。だってお前⋯⋯。割とそれで良いって思ってるだろ?」
「⋯⋯っ!アンタ⋯⋯心を読んで⋯⋯」
果たして藍莉と別れたいのか。答えはNOなのだ。
何も難しい理由はない。単純に気持ちを優先させただけの話であり、楽な方へと逃がしたのみ。
准は知っている。隣に居た存在が消失したその痛みを、その後悔と乾き切ってヒビが入ったようなどうしようもない感覚と懺悔の念を、准は味わっている。
そんな様子を見ていた朝倉拓也だからこそ分かる少年の本心。決して読心なんて使わなくても、機微に敏感でなくても、解る。
何かと向き合う時、独りでなければならない理由はない。何かと接する時、孤独である必要はなく、傍で支えてくれる人がいるに越した事はない。
そして、少年にとっても藍莉がそうあって欲しいという気持ちとそれでは大事になるという先入観が拍車を掛けてしまい、あべこべな感情が湧き立っていたに過ぎないのだ。
けれど、忘れてはいけないのだ。この少年はまだ少年であり、誰の支えが必要不可欠な子供であり、未成熟な存在であるという事を。
「良かったな、少年はお前にゾッコンだってよ」
藍莉を見る朝倉拓也。顔を紅くして、顔を逸らすも夕暮れ時には早いその時間では隠し切れてはいない。
准も椅子に座り込んで、肘を膝付近に置いて、考え込むような体勢で唸るような声を上げていた。
「はぁーあ!満足した〜。⋯⋯そうだそうだ。大州藍莉」
「は、はい」
ポケットから取り出して投げた。小さく丸状の物は藍莉の手元へと曲線を描いてすっぽりと上に乗った。
「これ、首筋に塗っとけ。スタンガンで赤くなった所だ」
「どうして私がスタンガンでやられたって⋯⋯」
軟膏であった。塗り薬のようなもので、会社を見ても聞いた事もないものであり、不審がるも痕が残っているのも事実だった為、スカートのポケットへとそれを入れ込んだ藍莉。
「見てたからな。見た上で放置したんだが」
「み、見てたんですか?」
「あぁ。俺がでしゃばる必要も無かったからな、見てるだけで済ませた」
「藍莉を気絶させたのは誰だ?それに、朔って男の子はどうしたんだ?!あ、後──」
「はいはい!ストップ、ストップ。俺は多くは教えない。それに、それの答えを探る為にジャンクフード店に行くんだろ?」
「本当になんでも知ってるんですね⋯⋯」
行き付けに行くとは准に伝えたが、具体的な名前は出してなかった藍莉。それをドンピシャで当ててる辺りから思わず漏れた言葉には畏怖感も多少あった。
「まぁな!⋯⋯その子を気絶させたのはお前も見た事がある奴としか言えない。朔って子は死んだ。お前らがあの施設に来た時にな」
「⋯⋯そんな!」
「そして、あの実験室の奴はなんだって言いたいんだろ?」
「そ、そうだ!」
ゆっくりと徐ろに着実に、朝倉拓也は准へと近付いた。
近付いて肩に手を置いて、数秒間の間を空けて言う。
「⋯⋯⋯⋯まぁ、お前はまだ知らなくていいって事だ」
「え?な、なんだよそれ!アンタ、知らないだけじゃなくてか?」
拍子抜けと言わざるを得ないその言葉に思わず叫んでしまう准。
そんな様子を教室を見回しながら、一瞥だけして朝倉拓也は言葉を投げた。
「知ってるぞ?さっきまで会ってたし」
「え?」
「いやー、俺もそこそこだけだが、その気になった。まさか、あーも面倒臭いとは意外だった」
「倒したのか?!」
「いや、生かしてる。別に殺す必要ないし」
「⋯⋯ホントに言ってるのか?」
「言ってるぞ?」
「そうか⋯⋯信じたからな?」
「あぁ、信じろ」
大した事は得られなかったのかもしれないが、悲劇の結末だけは入手出来てしまった。
朔の遺体の場所も教えて貰えず、あの実験室に居た異様な空気を醸し出した存在も分からずじまいのまま、適当に数分話した後、藍莉と共に教室を出た准。
独り残った朝倉拓也。彼が何を考えて行動しているのか、それは二人には分からない。
「⋯⋯良かったな。ピースは揃ったぞ」
━ ━ ━
「嘘ですっ!」
学校から西へと向かい、高速道路手前にあるジャンクフードへと入った藍莉と准。
既に逸花、沙耶、詩葉、鳩羽が合流しており、各々で状況報告をしている最中やってきた為、心待ちにしておりましたとばかりに手を振って歓迎された二人。
准と藍莉は空いた席に座り、真正面には鳩羽と沙耶。隣には詩葉、逸花が席に着いていた。
そして、真っ先に准は朝倉拓也から言われた事を伝えて、脊髄反射の如く吠えたかのように叫んだのは詩葉であった。
「まぁまぁ〜、落ち着いてよ!まだ確信無いんだしさ?ねぇ?詩葉ちゃん?」
「⋯⋯牧原さんっ。うぅ、朔が、朔が死んだって嘘ですよね?大州さんも見ましたよね?朔が寝ている様子!」
「え、えぇ見たわ。確かに」
実験室のガラスが仕切りとなっていた内室に置かれた台で寝かされていた朔を藍莉は確かに見ている。
あの時の詩葉の反応からしてもあれが弟ではなかったとは、考えづらいものであり、鬼気迫る様子でもあったのは間違いなかった。
そんな、混迷の情報を断ち切るように沙耶が口を開く。
「⋯⋯もしかしたら、化けてた、かも」
その言葉に逸花、鳩羽は口を閉じて、准は微かに開けてしまう。
二人にはもしかしての可能性が過ぎっていて言えなかった事、准は想像していなかった事態。
実際にその様子を見たのは沙耶と逸花のみ。
沙耶は昨日、逸花は五十年前という月日。
「あの女は、死体に偽装、出来るって、事。少なくても、一度、見た」
「⋯⋯そ、そんなぁ」
「だが、何故あの男はあの夜助けなかったんだ?」
思い浮かべられるのは、朝倉拓也という人間。
鳩羽は小生意気なクソガキ像を思い浮かべて、藍莉と准は今日の真剣な様子で説教垂れていた彼で、逸花は見下ろされて、圧倒的な攻撃力をもって瀕死に追い込んだ際の男を想像し、沙耶は初めて彼と会った時の仕方なさそうな表情を浮かべる若者である。
「朝倉さんって割と適当だから⋯⋯」
「その、あ、あ、あ朝倉さんって人何処ですか!私、本当の事聞きたいです!嘘だって思いますから」
唯一、朝倉拓也を知らない詩葉。准は口篭ってしまう。
「⋯⋯」
否、皆が口篭る。まるで、話すなと命令を受けて、頭に銃口を突き付けられているように、合わせたように口は閉じられていた。
「な、なんで誰も何も言わないんですか?皆さん、その人の事知ってるんですよね?なら──」
「連絡先なんて知らないからよ。あの人って神出鬼没で、突然やって来て、突然帰るから」
「そんな無責任な!」
「無責任なんてアイツは思っていないんだろう。アイツにとっては、それが平常運転だ。少なくても、俺と会った時もそんな感じだった」
「鳩羽さん、そういえば朝倉さん知ってるんですね」
「あぁ、色々あってな。何時かシバいてやろうとして、まだ叶っていない」
「あはは〜、怖〜い」
「⋯⋯怖いのはお前だ⋯⋯」
ボソッと小さく呟いた鳩羽は視線を逸らしていた。
「ん?何か言いました?鳩羽さーん?」
「いや、何も⋯⋯」
だが、逸花には丸聞こえであり、威圧感を僅かに感じさせて、鳩羽は萎縮する。
「でも、そうなると、あの実験室の、どうにか、しないと」
「あぁ、その事も言ってましたよ?」
「え?何を?」
「狸の言う事を聞いとけって。笠辺先輩宛てに伝言です」
「私に、言ったの?狸⋯⋯、お爺ちゃんの事だね、多分」
「たぬき?」
「うん。何故か、そう呼んでる。怒って、仕掛けているけど、何時も、返り討ちにされて、お爺ちゃん、何時も怒ってる」
「怒ってばっかじゃん⋯⋯」
狸と言われてイメージした人間像が、徐々に崩されて、揉みくちゃになった辺りで逸花の隣に座っている詩葉が机を叩いた。
「そんな事どうでも良いです!朔を見つけてください!」
その声に奥に座っていた准達は、邪険な視線を送られてしまい、皆が四方へと頭を下げた。
「⋯⋯⋯⋯詩葉。一つ言っておく」
「な、なんですか?」
「あの男は適当な事をベラベラと喋るが、基本嘘はつかん⋯⋯。腹立たしいが、奴からの言葉は最終的に事実だった試ししかないんだ」
何時もそうである。憶測で問題形式のように提示する物事も、調子に乗った様子で生意気な態度で言葉を掛けようとも、間違った試しだけはない。
何時も当たるのだ。全てを見通されているように。
けれど、会った事もない詩葉からすればそんな奇怪な人間の言う事を信じる程、幼い訳ではない。
「朔が死んだ所を見ていただけの人の言う事を信じるんですか?!」
「詩葉ちゃん、ボルテージ上がりすぎだよ〜。落ち着いて〜!」
右隣に居る詩葉を慰めるように頭を撫でて、自身の肩へと寄せようとする逸花。
そんな逸花に准を挟んで奥に座っている藍莉が声を掛けた。
「そういえば、逸花?貴女、准に何か吹き込んだわね?何吹き込んだの?」
「えぇ!!ここで?!待ってよ、藍莉!」
「お前、鬼か⋯⋯」
「腹いせよ」
後で逸花からのお説教が追加する事となった准は逸花を見た。
どうやらご立腹のようで、逃げられそうにない。
とはいえ、昨日の今日でメモに書かれた内容をチクったようなものであり、甘んじて受けようと覚悟を決めた准なのであった。
「一度施設に戻って朔の生存を見てくる。それで分かるだろ」
「待ってよ!鳩羽さんは詩葉ちゃんと仲悪いんだから、私も行くー!」
「うぅ、⋯⋯お前とか?」
「なにさー?!」
「なら、私も、行く。その方が都合が良い」
「先輩、お爺ちゃんの言う事聞かなくていいんですか?」
「関係、ないよ?私は私だから」
「勇ましいっすね⋯⋯」
自慢げにサムズアップする今日も愉快な笠辺沙耶は相も変わらず無表情。口角一つ上がらないのに、気持ちはお転婆となんら変わらない。
そんな二人とは別に、准の肩を掴んで、前のめりになって、藍莉の方を見つめる詩葉。
「大州さんも来てください!居てくれたら心強いですから!」
「ちょっち、ステッチ、待っちっち!それには異議唱えるよん?詩葉ちゃん」
「な、なんでですか?!」
「藍莉は駄目!桐江くんならいいけど」
「こら〜!」
とんでもない捨て駒であるが、ある種の信頼でもある逸花の言葉は准には理解出来ても、藍莉には当然届かない。
届くはずもなく、言葉通りに受け取って、舐め腐った緩急の無いフォークを取った後、ど真ん中、豪速球のストレートで返した。
「逸花?絶交するわよ?」
「えぇ!?!ひ、酷い!ドイヒーだよ!」
オーバーリアクションでハンバーガーにしゃぶりつく逸花。子供地味た態度に呆気に取られたのは、鳩羽である。
そんな逸花に慣れた様子で藍莉は溜め息を零して逸花を見た。
「というか、明日、私と准は用事があるから今日は早めに寝る予定なのだけど⋯⋯」
「予定?」
「あぁ、妹が退院するんです」
「妹さんなんて、いいじゃないですか!元気になったから退院なんでしょ?朔は今危険なんですよ!」
准の隣に居る詩葉。その圧は凄まじいものではあるが、逸花が買ったポテトと飲み物を勝手に口に含んで、誤魔化すようにした。
弟が居なくなったというのは准にも少し気持ちは伝わるのだが、朝倉拓也に言われたからという一つの理由で完全に希望が潰えた感があり、探すだけ徒労に終わる。
そんな予感が頭から離れなかった。
「いい訳ないだろ⋯⋯。そりゃ、心配ではあるけど⋯⋯」
「構わん。お前達は明日に備えろ。俺達でどうにかする」
「分かりました⋯⋯」
鳩羽からの了承に、複雑そうな顔を浮かべる准。
しかし、それがさながら伝播したように、大きくジャンクフード店は揺れて、バーガーをハムスターのように口に頬張っていた沙耶は急いでテーブルの下に身を屈み、残りのメンバーは座ったまま、身動きが取れずにいた。
たった数秒の揺れはすぐに収まり、騒然としだした店舗。
藍莉を庇うようにして、頭を身体に寄せていた准は揺れが収まるとその頭を離す。
「さっきのなんだ?」
「あの揺れ方は爆発だな」
いち早く答えたのは鳩羽であった。他の人からすれば爆発の揺れと地震の揺れの違いなんて分からないがこの男に関しては違う。
脚から伝わる震動と身体に齎す揺れがそう言わせた鳩羽は沙耶の座っている位置の横にある窓を見る。
沙耶も机の下から這い上がり、椅子に再度座り込んで、窓を見た。
その窓の奥のある場所で煙が焚かれていた。黒く、明らかに爆発の震源地であるその位置は沙耶も知っている場所である。
「まさか!朝倉さんが、あの施設を、壊して⋯⋯」
「えぇ?!さ、朔!」
「待って!独りで、行かないで!」
准と藍莉を押し退けて、店を出ようとする詩葉を鳩羽が止める。地団駄を踏んで、騒然とする店内で一層の叫び声を上げていた。
そんな二人に真っ先に近付いた逸花は詩葉の肩を掴んで、引き寄せる。
「こらこら!逸花お姉ちゃんと一緒に行くよ?」
「うぅ、逸花さん。朔がぁ⋯⋯朔が!」
「分かってるよ。急ごうね?」
店の入口まで出た鳩羽と後を追いかけるように追い付いた准達。
距離からしても数キロはある。すぐにひとっ飛びとはならない。彼を除いて。
「鳩羽さん。先行けます?飛べましたよね?」
「あぁ、そうする」
「准、行くの?」
「行かないのか?」
「⋯⋯⋯⋯行く」
そうして、鳩羽は『超能力』をお構いなしに使い、准と藍莉は駆け出して、沙耶はそんな二人よりも速い速度で歩道を走り抜いた。
「ちょっと!藍莉ぃ!あぁ!笠辺先輩もぉー!」
完全に後手に回ってしまった逸花は詩葉の手を引いて、ノロノロとした速度で爆心地へと向かった。
八咫烏じゃないぞ?




