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この街は今日も語る  作者: 紫芋
桐江舞喜は語り尽くす

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最後のカード

 学校に居場所が無い生徒の居場所とは何処なのだろうか。家という可能性もあれば、近くの公園かゲームセンター、祖父母の家という線も捨て難い。


 切っ掛けはいつだって些細なものばかりで、気付いて振り返り、目渡せば幾らでも可能性というものは転がっているのだろう。


 それを拾おうとすれば、前に進んでいる人は当たり前のように置いて行ってしまうのが通例で、流れるように皆は列を作って、後方に居る者をさも居ないかのように蹴っていく。


『日本人は空気が読める』とそう言われる事もあるが、そんな美化した言い方なんていらない。


 日本という内輪で自尊心という名の嘘を高め合う必要が何処にあるのか。


 厳密には、『日本人は逃げる算段を立てている』とそう言った方がしっくりくる。


 誰だって当事者になって面倒事に直面するのは嫌で、他人事は思い出作りかのようにパシャリとカメラで一枚。


 テレビで度々見る交通事故も他人事で「怖いね」程度であり、夜中に車が走ってなければ、赤信号を渡るのが定石で、自分と他人との境界線が明確に線引かれているのが、日本人なのだろうと僕は思った。


 早い話、『人の不幸は蜜の味』なのだろう。


 殴る奴と殴られる奴、殴られる奴が痛いのは当然として、殴る奴まで痛いと広めた阿呆は一体誰なのだろうか?


 十中八九、殴る奴よりも殴られる奴の方が痛いに決まっている。


 けれど、こうも思う。


 傷付けるよりも傷付いて生きてる方が幸せな人生があると吠えた事のある馬鹿は誰なのだろうか。


 傷付かない人生を送った方が幸せなのは当然で、前提基準が壊れているのが目に見えるのが、居た堪れない。


 そんな堂々巡りにも等しい事を考えている今日この頃。


 僕の妹は退院して、家に帰って来た。


 学級崩壊を起こした張本人で、たった一人の妹で、【四馬】に侵食された文字通り、当て馬の妹。


 馬に蹴られて、社会から外れる掛かって、レールに手を伸ばして宙ぶらりん。


 それがアイツの現状なのだ。


 僕はそれに対して、応援はするが助け舟は出さない。出してしまえば、一から十まで手を出して、アイツのこれからを駄目にすると思うから。


 僕の目線から見れば被害者であり加害者。


 けれど他は違う。他人は加害者という一面のみの視点で見るし、他は基本的に度外視である。


 それは何故か。都合が良いからだろう。


 深く考えるより、安く手早く単純に、自身が落とし込み易い結論は非常に都合がよく、他人との同調がしやすい。


 ネットであろうと現実で話していようと、輪の中で自身がその話を形成しているパーツである事に誇りを感じて、優越感に浸れるのだ。


 決して、優越感に浸るなというのではない。


 僕だって、自分の為に自慢の一つはするし、軽口で貶す事もある。アレだって自分の為で、コミュニティを円滑に進める為の一助だと思っているし、間違っている事とは思わないだろう。


 ただ、忘れないで欲しい。その輪の中で論じられる話題の人物にも家族が居て、その人達は決して、その事を忘れないという事を。


 これは、去年の春に起こった一連の騒動の話ではない。


 春と夏の間、六月に起こったなんて事のない普通のに日常の話であり、ほんの少しだけ、妹が前に進むだけの話であり、朝倉拓也が本当の意味で僕達の前から姿を消した物語。


 散々、終わる終わる詐欺のように、別れの挨拶を交わしてはまたやって来るという奇行を繰り返していたあの男が残した、ほんのちょっとの救済の話。


  ━ ━ ━


『桐江舞喜の退院まで残り十九時間』


 桐江舞喜の病室は個室である。


 去年の四月に起こした暴行事件の被害者は三十二人。


 桐江舞喜が実際に手を出したのは二人であり、最初に強行に及んでいる。残りの学生達は半ば暴動にも等しい形で乱闘騒ぎに巻き込まれて重軽傷を負った事件であり、一部の人間からは悪魔に乗っ取られたや、障害者の起こした暴動に巻き込まれて〜等など。


 未成年かつ十五歳未満であった事、更には精神鑑定の結果から見ても正常だった事も挙げられて、突発性という線で長期的に様子を見る事となり、一年の歳月を掛けて、二週間前に退院の旨を伝えられたのが桐江舞喜である。


「良かったな。明日退院なんだろ?」


「⋯⋯はい」


 だが、そんな舞喜の表情はあまり嬉しそうには見えない。


 目に見えて落ち込んでいるのではないかと錯覚するほどに暗い。


「嫌そうだな?そんなに病院のご飯が気に入ったのか。朝、昼、晩とちゃんとご飯くれるんだもんな。気持ちは分かるぞ?」


「ち、違います。私が何時、食いしん坊キャラに転身したと勘違いしてるんですか?!」


 ベッドをほぼ直角にして座り込んでおり、太腿辺りにまで持ってきた枕を叩いてみせる舞喜。


 健康的な身体となった今の彼女に足りないのは、話し相手と娯楽ぐらいのものであり、ほぼ毎日見舞いに来る朝倉拓也とは、ここ一年でかなり仲良くなっており、相談もよくしてもらっているのだ。


「俺は、そういうつもりで言ったんじゃあ無いんだが⋯⋯。まぁいいか。それで?病院食に関してじゃなかったら、何が不満なんだ?」


「私、上手くやれるかなって⋯⋯。中学の皆はもう、私が居なくても仲良くやってるのに。今更私が行っても、困らせるだけって言いますか。それに、仮に忘れてても、上手く元の生活が出来るか。不安で⋯⋯」


 可愛らしい悩みだな。そう口にする事はしなかった。


 朝倉拓也にとっては笑い話程度の悩みも舞喜にとっては重大な事なのだ。


 それは単に去年の春に起こしてしまった事件が尾を引いている故である。


「次問題起こしたら、兄貴が叱りに来るなぁ〜」


「わ、笑い事じゃないです!お父さんもお母さんも私の事⋯⋯嫌いだろうし、お兄ちゃんが居ないと私、本当に一人になっちゃうんです」


 父親と母親に対して、文句は決して言わない。


 子供を見捨てるな、親としての責任を果たせ、中途半端に逃げた臆病者。准ならば、声を大にして言える言葉も舞喜にかかれば全て自分に返ってくる刃物のようなもの。


 それでも、彼女はまだ子供で自立というには幼くて、弱いのだ。


「⋯⋯独りになる怖さを知ってるなら、考えようは幾らでもあるさ。中学校なんて保健室登校が出来るし、噂以上に良い印象を皆に示せば何とかなるもんさ」


「⋯⋯そうですかね?」


 朝倉拓也の自信に満ちたその言い方に自信の無い返事を返す舞喜。


 俯く訳でもなく、不安そうな顔も浮かべていはいないが、言葉から出る疑心感は確かに朝倉拓也には届いていた。


「むしろ、そんな後ろ向きが過ぎると、学校に登校する時、身体から拒否反応出るぞ?」


「拒否反応?」


「自然と泣いたり、玄関前で学校行こうとすると身体が震え出したり、吐き気が出るとか〜かな?まぁ、人伝に聞いた話だから、必ずそうなるとは言わないが、お前は無駄に人の事を気にし過ぎている節がある。もう少し『らしく』生きる事も覚えろよ?」


「らしく、ですか?」


「そうさ。結局、人なんて笑っていた者勝ちだからな。なら、好きな事、楽しい事で笑いたいだろ?でも、人によって好きな事も楽しい事も違う。だから、『らしく』生きるんだ。なりたい自分、在りたい価値観や基準は自分で見つけて、自分で獲得するものだ」


 クッキーを摘んで口の中に入れて頬張る朝倉拓也。


 ご丁寧に手を器のように添えて、粉が零れないようにしている。


「その方法は何ですか?」


 舞喜もそんな朝倉拓也が美味しそうに食べているのに感化されたように、一つ手に取り、口に入れる。


「知らない」


「え?」


 クッキーの味が口の中で広がり、眉間が上がったというのに、朝倉拓也が淡々と言った言葉にまた眉間が下がる。


「だって、俺はお前の攻略本でもなければサイトでもないからな。ただ言える事があるとすれば、楽な事ばかりしてると強制的に来る辛い事に耐えれなくなるから、ある程度は自主的に動く事も大事だろうなって言う事ぐらいだ」


「自主的ですか?」


「経験を積むって考え方でも良い。出来る範囲、助け合える範囲でな。それに⋯⋯」


 全十二枚入りのクッキー。その箱の中身は六枚となった段階で蓋を被せられて、手提げ袋にしまわれた。


 立ち上がり反対方向にある窓の方へと移動して、外を見つめる。


 訝しむように、睨むように見つめるその視線を屋外にある一点に集中させていた。


「仮に自分から動けなくても、行事や仕事は嫌でも自分に回ってくるもんさ。教師が授業中に手を挙げてなくても名指ししてきたみたいな。そんな時、面倒いなぁーで済まさずに、出来る最大限をやればいい。存外これが役に立つ。誰にも褒められる事はないかもしれない。けど、自分が満足出来れば良いって話だからな」


「自分が⋯⋯満足。良いんですか?私、あんなに酷い事したのに」


「それが分かっているならやれるさ。自分の目の前で起きてる状況に対して、立ち止まって考えてみる事も。ブレーキとして誰かの非情な行いを止める事もな。まぁ、危険な目に遭わないのであれば、それに越した事はないがな」


 振り返った朝倉拓也には先程の表情や視線はなく、元の優しいままであり、舞喜の頭は軽く撫でて続けて言う。


「それに、本来。自己満足だけで生きてたら、社会では置いてけぼりになる。お前のようにちゃんと自分のしでかした事に贖罪の気持ちがあって、向き合おうとする奴だから、俺はこんなアドバイスを送ってるんだぞ?」


 撫でられるままにされる舞喜は満更ではなく、それを視認していた朝倉拓也は悲しそうな表情をしていた。


 頭から手が離れる。それが気に入らないように見つめる舞喜は思わず朝倉拓也を見ると、人差し指を左右に振って合図を送り、不貞腐れたように後ろを向いて、髪を梳く櫛を手渡す。


 手渡されたその櫛で肩甲骨辺りまで伸びた髪を櫛を使ってなぞるように整えていく。


 半年前から何気なくしてもらっている事であり、慣れた手付きでされるがままの舞喜は普段なら嬉しそうな表情を浮かべるものの、今回に限ってはそれではない。


「なんで、そんなに⋯⋯信用してくれるんですか?私、朝倉さんにも迷惑掛けた覚えがあります⋯⋯。毎日見舞いに来てくれますし、最初は監視かとも思いましたけど⋯⋯。どうしてですか?」


「うーん。難しい理由は省くと、俺がそうしたいからだ」


「え?」


 思わず振り返る舞喜。すると、合わせられたように前髪に付いていた糸くずを手で取り、流れのように櫛で髪を梳くっていく。


「だから言ったろ?自己満足なんだって。俺は贔屓する人間なんだがな、少なくても、贔屓してる人間はちゃんと生きて欲しいのさ。俺はそれで満足だし、相手も満足ならより嬉しいってだけだ」


「自己満足⋯⋯」


「深く考え過ぎるなよ?お前は俺よりもちゃんとしてるからな。要は、お前らしく生きろって事だ」


「は、はぁ⋯⋯」


 何処か話を流されたようにも感じる舞喜。不貞腐れる表情は変わらず、再度正面を向き直して、後ろ髪を梳くっていく。


 不快感はない。既に何度もされている事で、自分がするよりも丁寧なのだから文句も出ない。


 けれど、手持ち無沙汰になってしまったから、暇潰し感覚で自身の髪を使われている事に多少なりとも思う所がある舞喜。


「ところで朝倉さん!聞きたい事があったんですけど⋯⋯」


「なんだい、なんだい?」


「お兄ちゃん、彼女が居るって本当ですか?」


「あれ?まだ紹介されてないのか?」


「や、やっぱり居るんだ⋯⋯。お兄ちゃんから聞かされていたけど、まったく二人で来る様子ないから、嘘なんじゃないかと⋯⋯でも、違ったんだぁ」


「なんだよ。彼女が居るのが不満か?」


 揶揄うような言い方をする朝倉拓也。


 何も本気で言っている訳ではないと分かるその言い回しだったのだが、舞喜にとっては違う。


 家族の事で、自身にも大いに関係する話であると同時にこれからの立ち振る舞いの話なのだ。


「いえ、むしろ嬉しいですよ!でも、私邪魔なんじゃないかなって⋯⋯」


「お前の兄さんは邪魔そうにするのか?」


「分かりません。何となくです」


「フッ。まぁ、その辺はお互いに相談していけばいいさ」


 髪を梳く時間は終わった。


 舞喜の手首に巻いていたヘアゴムを手渡して、適当な長さで結ぼうとする朝倉拓也に対して、指差すようにしてその位置を教えて、その通りに結んでいく。


 手鏡の類が無い為、近くにある洗面器へと歩き出した舞喜とそれを微笑ましそうに見つめる朝倉拓也。


「そう言えば、朝倉さんは妹さんとか彼女さんどっちも居るんですよね?」


「あぁ、それがどうした?」


「朝倉、彼女さんと家でデートしてる時、妹さんの事どんな感じで見てます?」


「あ〜、参考にならないぞ?俺の場合、彼女も妹も同居してるからな。俺、産みの親と育ての親が違うんだけどさ、その育ての親の人が彼女も妹も引き取ってくれたんだ。そのせいか、妹が居ても居なくても、割と普通と言うか⋯⋯。すまんな。参考にならないだろ?」


 鏡に向かって頷いた舞喜。


 中学二年生であり、十四歳になりたての女の子にしては、少し子供っぽさや所作が残るものの、それを口にする事は基本しないだろう。


「いえ。私が教えて貰おうとしてるだけなんで⋯⋯。でも、彼女さんはどう思うんでしょうねぇ?」


 こういった揶揄うような言い回しや挑戦的な態度が年相応と考えれば、尚の事だ。


「ちょい!本性を現したな、思春期ガール!掛かってこい」


 よく話すようになってから、度々ある恋バナ。


 朝倉拓也は兎も角、桐江舞喜に初恋はあっても、実った試しもなければ、それをグチグチと口にする性格ではない。


 けれど、やはり気になるのだ。大人の階段というものが。


 その為、朝倉拓也をダシに自身の出来そうにない甘酸っぱい恋や愛というものを満たすべく、こうして自論を提供して優越感に浸ろうとする。


 勿論、朝倉拓也にはその真意自体は見抜かれているのだが、彼自身も下世話な話は嫌いではない。


 その為、この五〇三号室は他の病室と違って賑わう事が多い。多くて、看護師に怒られるまでがワンセットなのだ。


「まず、彼女さんは二人きりで居たいとか言ってこなかったんですか?私は少なくても朝倉さんの機微が疎いだけに感じます!」


「甘いぞ小娘?俺はこれでも出来る男だ。給食にある牛乳と睨めっこしている奴がいたら迷わず俺のを渡してあげる優しさに、アレ頂戴って言葉に対して、どれ?って言ってやれる気の使える人間だ!」


「朝倉さん。牛乳と睨めっこは、多分嫌いなんじゃあ⋯⋯。それに、アレ頂戴って言う言葉に対してどれ?はもうわざとですよね?」


「何を言うのだいガール!アレで分かれば苦労しない。ちゃんと名称があるだから使ってやれよ」


 呆れてしまう舞喜なのだが、もう一方は自信たっぷりであり、何がいけないとばかりに言い切ってしまう。


 牛乳嫌いの天敵にして、空気と察しを読むも付く事もしない自由気ままな旅人はそれが普通でデフォでステータス。


 決して、読めない訳でも付かない訳でもないというのに、男はそれを呪いのアイテムかのように基本標準装備しているのだ。


 外そうともしないその嫌がらせ上等な性格には舞喜すら苦い顔をせざるを得ない。


「因みにその時、何を要求されたんですか?」


「軽量カップ。料理中だったんだよ」


「朝倉さん。計らなんじゃ?」


「一人で作る分には計らないけど、人に教えてたから使ってた」


 信じられない。そう言いたげな舞喜だが、飄々とした態度で椅子に座り込む朝倉拓也。


 料理には軽量カップと軽量スプーンは必須級の女の子なのだが、決して料理自体をしなかった訳ではない。


 むしろ両親が仕事で遅くなる時は兄と協力して作っていた程だ。


 美味しく作る、満足して腹を満たす、どうせなら、という感覚でさも当然のように使っている二つの道具を一切使わないというその男の心境が信じられないのである。


「計らなくても目分量で出来るだろ?なんで皆計るの?」


 一方の男は違う。ある世界、ある日常において男がまだ二桁の年齢になる前から料理というものをしており、無駄なぐらいに凝った物を作ってしまう故に目の前に居る少女の感性を純粋に忘れているのだ。


 魚の目利きから、野菜の切り方、調味料の代用となんでもござれである。


「うぅ!それ、五年後の私に言わないでくださいね!」


 頭を抱える舞喜。それは耳を塞ぐようにも映り、苦悩するようにも見える。


「あ〜、そう言えばケーキ職人になりたいんだっけか?」


「そうです。まぁ、なれるかどうかは分かりませんけど⋯⋯」


 チラっと朝倉拓也を一瞥する。


 お互い目が合い、視線を先に外した舞喜。


 それを考え込むようにしてしばしの間を空けて、朝倉拓也は口にする。


「⋯⋯⋯⋯俺も知ら〜ん」


「今の間、なんですか?」


「ん?慰めの言葉掛けようと思ったけど、止めた間だな」


「うぅ、バレた⋯⋯」


 甘えたがりという訳でも、贔屓目で見て欲しい訳ではない。


 純粋に不安の払拭と確固たる自信を付けて欲しかった舞喜。けれど、それは朝倉拓也によって塞き止められる。


 朝倉拓也からすれば贔屓目で既に舞喜を見ているのだ。一度少年にバイチャ〜しようと、次の日には必ず舞喜の見舞いには来るし、手土産も寄越す。


 彼なりの心配と兄代わりの面談でもあるのだが、だからこそ、兄ではない自身が掛けてはならない言葉は掛けない。


 自身に決して傾けさせないように。頼られないようにする為の言動と行動。


 裏方の徹底と憂う気持ちの同居が朝倉拓也にそう言わせた。


「そういうのは、身近な人間に言って貰え。俺なんかの言葉よりもよっぽど意味がある」


「でも、諦めようと思う理由もお兄ちゃんなんですよね」


「少年が?意外だな。何かしたのか?ケーキに向かってダイブしたとかか?」


「そんなアメリカンな事してませんよ〜」


(アメリカンな奴もやらないんだけどな⋯⋯)


「そもそもの話、私がケーキ作りたいって思ったのって、ケーキを買ってくると人が喜ぶからなんです」


 朝倉拓也にとっても初耳で、舞喜も誰かに伝えるのは初である。


 椅子に座り込んでいた姿勢を、きっちりと正し直した朝倉拓也は真っ直ぐに舞喜を見る。


「まぁ、ウケはいいな。確かに」


「ですよね!で、まだ家族と仲が良かった頃に作ったんですよ」


「失敗したのか?」


 大凡の察しをしてしまった朝倉拓也は口にする。


 苦い顔を浮かべた様子はないのだが、視線を逸らすようにする舞喜は続けた。


「はい。まぁ、失敗自体は仕方ないって思ってるんですけど⋯⋯」


「あ〜、ケーキ食った少年が腹壊したとかか?」


「ち、違いますよ!そんなポイズンクッキングしません。⋯⋯笑ったんです。高笑いって言うんですか?そんな感じの⋯⋯」


「へぇ〜。別に普通だな」


「でも、私からしたら、あんなに笑われるって思ってなくて⋯⋯。絶対アレは馬鹿にした笑いでした」


 どんな笑い方だったのか。そう聞こうとも思った朝倉拓也なのだが、その口は一度閉じて、別の方向にアプローチを掛けるべく、再度口を開かれる。


「下手に出来上がったって自覚もあるから、文句言えないってか」


「はい。そうです」


「なら、それも含めて少年に聞いたらいい」


「でも、なんか小さい事を気にする変な奴って思われません?それでもし、喧嘩になったらどうしようって⋯⋯、そう思っちゃったらなんだか、言い出せなくて」


 去年の春。【四馬】に侵されたそもそもの切っ掛けは兄妹喧嘩である。


 状況を逼迫させていった要因には、舞喜自身の記憶に侵された後の事が残っており、自分では感じた事もないような感覚と情が満ち溢れていき、委ねてしまいそうになる高揚感があるという事だ。


 その為、侵された本人でもある舞喜にも罪悪感は残り、そうならない為に苦悩する様子は何度も見てきている。


「それでも言うしかないさ。俺は少年じゃねぇから、結局そこん所も直接聞くしかない。それと、兄妹喧嘩なんて割と当たり前みたいなもんだぞ?あの時と今は違う。保証してやる」


 返事は返ってこなかった。別段、必ず返事をしろと言った訳ではなく、そこら辺は自主性に重んじさせているが、明らかに自信なさげで暗くなっていく舞喜の表情には思う所はあった。


 けれど、それを見つめた朝倉拓也は立ち上がる。


「まぁ、頑張るしかないって事だ。少年は待ってくれても時間は待ってくれないんだ。色々と積み重なって山積みになる前に処理できる範囲から片しとけよ」


「あ、もう帰るんですか?」


「まぁな。⋯⋯そうだ、俺はこの街を明後日には去る。あくまでも予定だが、変わらないだろうから。少年にも伝えといてくれ」


 目を見開いた舞喜。手を伸ばそうとするものの、それをもう片方の手で止めて、布団の中に隠していく。


「分かりました。明日来た時に言いますね」


「あぁ、頼んだ。じゃあな」


 そう言って、病室を出ようと踵を返して扉へと歩いていく。


 それを眺めるように、見届けるようにしているだけの舞喜は思わず、口が開いた。


「⋯⋯あの!」


「ん?」


「⋯⋯その、良かったら明日、家に来てくれませんか?去年のお礼もしてないですし、返さなきゃなって思ってて、それで、あの⋯⋯」


「⋯⋯分かった。何時頃に行けばいいんだ?」


「夜八時は駄目ですか?」


「いや、行けるぞ。じゃあ、その時間くらいに家に行くから」


「は、はい!」


 嬉しそうにしている少女。それを微笑みで返して、病室を出た朝倉拓也。


 横並びに病室が並ぶ廊下で、苦い顔を浮かべる朝倉拓也。


 壁に思わず凭れてしまった彼は、先程まで居た病室で、嬉しそうに鼻歌を流している少女の声を聴いて、落ち込んだように歩き出す。


「⋯⋯お礼⋯⋯ねぇ〜。本来は俺が退院祝いしなくちゃならんのだが⋯⋯」


 問題が起きた。そう感じてしまった朝倉拓也は急ぎ、病院を出て昨日の夜に起きた現場へと向かうのであった。


  ━ ━ ━


 マズイなどうしようと、そう感じる気持ちは嘘では無い。嬉しい気持ちもあるが、干渉しすぎたのかもしれない。


 不安定な時期で、不安定かつ不完全な存在を身体に注ぎ込まれてしまった故に起きたあの出来事は瞬く間に広がる病のように侵食して、解決には少年の力が必須事項だった。


 わかっている。俺がどうこうすれば全て当たり前のように解決出来るが、それでは良くない。


 本来、俺が居なくてもどうにかしなければならない事柄に首を突っ込んだのは俺自身の意思でもある。


 けれど、あそこまでご執心されるのは流石に参る。


 今日の夕方頃にでも、少年に口添えした方が為かもしれない。そう考えを至らせた俺は急ぎ、昨夜起きた研究施設へと脚を運んだ。


 マーキングは既に済んでるから、千里眼で魂を知覚する必要は無い。これで転移移動に掛かる労力をほぼゼロに出来る。


「よし、行くか」


 病院を出て一気に飛んだ俺は、その施設の外、つまり二分割に建物が引き裂かれているその場所へと着いた。


 けれど、どうやら来客は俺だけではなかったらしい。


「き、貴様は⋯⋯朝倉拓也⋯⋯」


 狸が居た。いや、厳密には人なのだが、目元に隈、何もかもが中途半端で、しっぽを巻いて逃げる所作や臆病風に吹かれやすく、亡くなった愛妻の墓所をグルグルといじらしく回っている姿から俺はそう呼んでいる。


「ここはお前には早いぞ?帰れ」


「黙っておれ!お主には関係の無いことじゃ!」


 一丁前に叫ぶと、咳き込むご老人。杖を震える手で持ち、背後に居る護衛なのか付き人なのか、若い人間二人が俺を警戒するように睨む。


 まぁ、こいつらの土手っ腹に穴空けた経験もあるから仕方ないか。


「よく吠えるな狸の分際で。おい、ポンポコ。ちょっと俺の為に激励として踊ってくれないか?何もない所を歩くのって疲れるからさ」


 二人の護衛が前に出ようとするのを老人が止める。


 その顔がなんとも悔しそうなのが尚心地よいと感じるのは俺だけなのだろうが、敢えて口にしたいくらいだ。


 ざまぁないってな。


「貴様、よく儂に向かってそんな舐めた口を訊けるの⋯⋯。殺してしまおうと何度考えた事か⋯⋯」


「弱者成分漏れてるぞ?お爺ちゃんなんだから、パターゴルフでもしてなって。あ!でも、仲のいい老人居ないんだっけ?かっなしー」


 事実コイツはお家が原因で、仲の良いご老公は少ない。というか居ない。


 基本的に高飛車で高圧的かつ慢心と傲慢の一途を辿ってばかりで、既にかつてあった栄光とは程遠い軟弱で脆弱なヨボヨボに成り果ててしまっている。


 昔は勇敢で誰からの救いの声に耳を傾けていたが、ある時にそれはパッタリ止んで、今では十八歳の孫娘に実力だけならば叩き伏せられる始末だ。


「お前には敬うという心が無いのか?」


「敬って欲しかったら、敬われるだけの事を俺の前でしろよ?お前の出来る事といえば何だ?ん?」


「儂は貴様よりもこの街に貢献しておる。それを敬われなくてなんじゃというのだ」


「この街の貢献?俺、この街を二度、世界丸ごと救ったんだが?それとも足りないか?なら、百年後に降る隕石の衝突を未然に防いでやろうか?後は百七十年後に来る飛来生物と先に交渉して、和談に持ち込みやすくしておいてやろうか?ん?」


「冗談やデマはそれまでにしておけ。貴様の嘘には儂も頭を悩ませてばかりじゃ」


 そう言えば、俺もコイツの命を一度助けた事もある筈なのだが、やはりボケたようだ。


 まぁ、感謝されて和菓子でも持ってこられても、毒を疑ってしまうから、要らないのだが。


「まぁ、それならそれでいい」


 会話を止めて、歩き出す。目指すは実験室だ。


 アレは申し訳ないが、居てもらわねばならない。


 今後の為にも、少年の役に立つ⋯⋯筈だ。


 確信は無い。既に大きくズレた流れにいる為、俺の一挙手一投足がどんな影響が出るか測れない。


 なぞったようで違う動きをさせている影響もあって、始原とは違い死者の数も少ないのだが、それでもまだ終わっていないのも事実。


 むしろ、面倒臭いのはこれからだろう。


 この街に帰ろうとしてる面倒臭い三人を塞き止めつつ動きを誘導するのは骨が折れるのだ。


「待つんじゃ!何用でここに参ったのじゃ!貴様、ここに何があるのか知っておるの?」


「⋯⋯そうか、そう言えば、お前らの一族だったな。噂話を広めて嘘の【七八区】を流したのは⋯⋯。無駄な徒労ご苦労極みいるよ」


「⋯⋯我が父の侮辱か?それは万死に値するぞ?」


「なら、今すぐ殺しに来い。口先だけは信用問題だぜ?安心しろ、俺は加減してやる。指一本でお相手してやってもいい」


「ご当主⋯⋯私にやらせてください。この無礼者を蹂躙する機会を」


 護衛の人間の一人。女性と男性の一人ずつなのだが、ポニーテールに髪を結んでいる女の方がでしゃばって来た。


「⋯⋯ならん」


 だが、老人が静止する。まぁ、実力差が分からない程老いぼれてはいないのだろう。


 この男とて、かつてはかなりの功績を納めて、当主にまで上り詰めた強者だった者だ。


 見る影がないというのを除けばだが。


「しかし!あのような振る舞いを許せておくなど、笠辺家の名折れ、沽券に関わります!お願い致します。私に挑戦を受ける権利を、ご慈悲を」


「止めとけ、止めとけ。この老人が何よりも俺を恐れてる。それが全てだ」


「お前には言っていない!口を挟むな!ガキめ!」


「オバサンは口煩いんだなぁ〜」


「何!?」


「やめい!何をせせこましい争いをしておる!貴様もわざわざ乗っかるな!」


 前に出る老人。鬼気迫る表情ではあるが、臆する者は一人もいない。


「挑むなら早くして欲しかっただけだっての。どうせ俺には勝てないんだから」


「⋯⋯貴様という奴は、やはり許せておけない。ここで去ね!朝倉拓也ぁぁぁぁ!」


 スーツのポケットから取り出したナイフ。よく見れば笠辺家が使う護符と同じ紋様が刻まれているそれを前時代的と思ってしまってしまう。


 まぁ、どっちゃでも良いさ。


 狂気の表情で凶器を持つ女は走って俺の方へと向かう。


 背中に回るのが楽だが、もう一人の護衛につまらないチャチャを入れられては面倒であり、かったるいから、真正面から向かってやろうと決めた俺は、一気に距離を詰めて、頭部へと向かって拳を放つ。


「え?──うぅぅッッ!」


「はい、終わり。連れて帰れ」


 眠ってしまった女は俺に凭るように倒れた。


 女の腕を掴み、投げるようにして老人の前に転がした俺だが、老人は女の傍には駆け寄らず、黙って見ているのみ。


「何をした?」


「何も。正面から頭潰して再生させて、気絶させただけだ。気絶したのは脳の電気信号が瞬間的にも止まった事と衝撃によるものだ。数時間すれば普通に起きる」


「⋯⋯何をすれば、そこまでの力を⋯⋯」


「お前の苦労が俺にとっての軽い出来事ぐらいの日々を送っただけだ。それで、気付いたらこんなに強くなってましたって話。分かるか?お前らと潜った修羅場の数が百単位で違うんだよ」


 この街で起きる事件は俺からすれば、日常茶飯事。


 悪魔もいれば、化け物もいて、神様がいて。


 それが俺の世界。なら、この世界はどうだろうか。


 異変があり、怪異があり、化け物がいる。


 けれど、それは毎日じゃないし、対処が楽でどうとでもなりやすい。


 ハッキリ言えば、軽い些事。少年には悪いがな。


「お前、まさか見た目に反して歳を食っとるのか?」


「あ?俺まだ二十歳だぞ?」


「信じられん⋯⋯。何故にこれほどの殺意無き敵意を向けられるのじゃ⋯⋯」


 驚いた。俺は素直に驚いた様子で狸を見た。


 狸の目利きはやはり本物なのだ。それだけに衰退して、ボケて、怠けて、かまけて、落ちたコイツを本当に惜しいと思ってしまう。


 後五十年程、狸が若ければ良かったのだろうが、現実はそうはいかない。


「爺。忠告だ。ここに入るな、入らせるな。結界は張っておいてやる」


「⋯⋯儂が結界を張る」


「要らん。笠辺次女の刀で粉微塵になる程度の結界なんぞに期待していない」


「⋯⋯⋯⋯分かった。だが、これだけは応えてもらう。お前、何用でここに来た?」


 恐らく、察しは付いているのだろうが、敢えて聞く辺り、確証が欲しいといった所だろう。


 本当にコイツはトップに向いていない。


「⋯⋯ちょっとした交渉だ。今なら起きてるだろうし」


「彼奴と交渉出来るのか?彼奴は言わば──」


「皆まで言うな。理解している。アレは怨念とかの類じゃあ語れない遺物で異物だ。けどな、博打に出ないといけないんだよ。その時間が来ただけの事」


「博打?⋯⋯お前にも天敵がおるとはの〜、愉快じゃよ」


「馬鹿言え、あの程度の怨嗟の塊。飽きる程見て、飽きる程に屠ってる。アレが天敵なら、お前は何になる?その辺にある埃だぞ?」


 恐らく、今の狸では触れた瞬間に壊死するか、精神が持っていかれる。ここで狸を死なせるのは惜しすぎる。


 せめて、死ぬなら、孫娘と和解してからにして欲しいものだ。


「⋯⋯儂は戻る」


 狸が踵を返して去っていく。倒れた女はもう一人の護衛の男が背負い、後を追うようにして背中が小さくなっていくのを見届けた。


 邪魔者は居ない。警察の類いも爺が仕向けないようにしていたのだろうが、正解だろう。


 既にこの建物は監視下に置かれてる。真っ二つになってしまったこの施設はもはや普通じゃなくなってしまっている。


 土地とそこに生きた人間の吹き溜り。見える人間からすれば気色悪さで吐き気を催して、見えない人間は知らぬ間に閉じ込められてしまう。


 そんな、異界と化してるこの場所が普通でないと言える奴が居るのなら、それはきっと相当の阿呆だろうと断定出来る。


「さて、行きますか。ショートカットで、一気に⋯⋯いや、確か⋯⋯地下があったな⋯⋯そこを行くか」


 少年が落ちてしまったあの穴を探すべく、真っ二つとなってしまったその施設の中央へと脚を踏み入れて行く。


「たってあな!たってあな!たってあな!⋯⋯あったあった」


 深さは兎も角、横幅五メートル程の如何にも入るなと言わざるを得ないその縦穴を覗き込む。


 中は当然暗闇で、少年が龍の力を持って生かされたから良かったものの、無ければピシャンコ必須級であった事だろう。


 それに何よりもこの穴は、作為的に出来上がっているのが良く分かる。


 剣撃で出来上がった。最初はそう思っていたが、それならば、笠辺次女が斬った箇所辺りから縦穴が奥へ向かって広がらなければならない訳だが、何故か建物の中央側から奥よりも少し手前で途切れていた。


 地盤が緩んでヒビが入って出来上がりました、そう言われた方が説得力はあるが、それならば地盤調査の段階で鳩羽が此処を弾く筈だ。


 アイツはアレでもかなり子供甘く、妥協しない。


 つまり、中に居る奴が原因だろう。


 そう結論付けて、一気にその穴に侵入する。


「うひゃぁー!ひっろ!」


 どう考えても建物よりも横と奥に広い。


 人工的に広げていった痕跡もあり、巨大な支柱が縦並びに連なり、その奥には本命の脳みそが入っていたケースとそれを保管、保存、維持する為の機械がある。


 足場に広がる金網。足音一つで何処にいるのかを分かりやすくしているのだろう。


 辺りを見渡すと、やはりと言うべきか。誰かの視線は感じる。


 けれど、コチラから話し掛けても恐らく、話が出来ず、無駄に時間だけを消費してしまうのがオチだ。


 その為には、脳に関心を持った方が近道だろう。


 手すりを飛び越えて、一気に三メートル程の高さを降りて、近くに落ちているケースの破片や落ちてしまった脳みそを眺めていき、数える。


 本来は二十四、無ければならない。


 落ちてしまった脳みそを数えていき、再度、確かめるように辺りを見渡していく。


 形が崩れたその脳みそや汚れて虫に食われている脳みそ。それらを丁寧に数えていくが⋯⋯。


「やっぱり、脳が足りない⋯⋯。誰か引っこ抜いたな。⋯⋯。ん!」


 足音はならない。それは一種の概念であり、一つの生命体。異変であり、結果ではあるものの、ソイツは確かに背後にいる。


「お前か。安心しろ。敵じゃない」


 影が伸びる。小さな赤紫色のライトが四方八方に広がる。なのに、それは光源にはならず、一向に周りは暗いまま。


 それが俺に対する攻撃であると、殺気で伝わる。


「おいおい、止めろ!そんな事しても、お前にダメージいくだけだぞ?俺は交渉しに来たんだ。お前だって、どうせならいい事して死にたいだろ?」


 コイツとて、元は正しく生命体であり、純粋であり、無垢であり、無邪気な存在。


 けれど、どうやら、警戒心とか以前の問題だったくさい。


 コイツは仕方ないとはいえ、狂っていた。


『誰?誰?誰?敵だ!敵だ!僕達を傷付ける悪だ!私達を撲殺する巨悪だ!ならない、ならない、ならない、ならない、ならない、ならない。⋯⋯⋯⋯⋯死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死』


 複数の声が同時に聞こえる。男の子の声が三十八、女の子の声が二十四、成人男性の声が十四で、成人女性の声が九人分。


 聞き分けられてしまう事にかなり後悔してしまっているのだが、恐らく白き夢龍も似たような声を聞いてしまったのだろう。


 けれど、此処で俺が倒してしまっては、意味が無い。あくまで、少年の一助になってくれなくては困る。


 半年後に生まれてしまうアレには、コイツの助力がなければならないのだが、一向に殺意が消えない。


 そして、小さな線が俺に向かってきた。


「はぁ〜。こうなるか」


 顔スレスレの攻撃。ビームと言うよりもレーザーに近いそれ。触れてしまった箇所を見ると、何もなっていなかった。


 確かにレーザーは俺の顔を通り過ぎて真横の支柱に当たったのを傍目で見ていたのだが、何も影響がない。


 生物特化って所だろうか。


『キタキタキタキタカタキタキタキタキタキタキタ!私達の敵!敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵!私達の敵ィィ』


「バグってる⋯⋯て訳じゃないか⋯⋯。デフォルトでこれか⋯⋯、やってんなぁ」


 副音声が喧しい。アレの本体は黙りしているせいで余計に鬱陶しく感じてしまう。


 一発、叩き込んで黙らせようと、一気に距離をゼロにして、黒いソレに拳を叩き込んだ。


「ふん!あ、実体無いのか⋯⋯」


 黒い触手のようなものが伸びた。そう気付いた時には無意識に両腕をクロスさせて、身を守っていた俺は後方へと吹き飛ばされていた。


「うげぇぇッッ〜〜!!」


 壁に激突して、コンクリートの壁は砕けていく。


「あだったたっ。⋯⋯コッチから触れても効果ないのか⋯⋯。うーん、弱った弱った⋯⋯。手荒になっちまうなぁ」


 手立てが万通りから八十通りにまで減ってしまうし、暴力必須のものばかりだ。


 出来ればすぐに話付けて終わらせたかったが、そうはいかないらしい。


「おーい!交渉する気はあるかぁぁぁー!」


『何故殺した。何故、何故何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故!何故ェェェェェェェェ!』


「ん?女も取り込まれてたのか?」


 造林近くで様子を見ていた際に出会した本来の【七八区】の主役。奈々恵の声が聞こえた。


 どうやら、この付近で死ねば自動的に取り込まれるらしい。『現象』であろうともそれは変わらないらしい。


 厄介この上無い。


 青く象られたケースと瓦礫の山。念動力によって真っ直ぐ迫って来るそれらを視界に収めたと同時に手を伸ばし、魔力を込めて放った。


 放った魔力の線は粉々に弾け飛び、地表へと上がって行く。


「はぁ!⋯⋯まだ来る。念動力って便利そうだな。本当にさぁ」


 此処は言わばゴミの巣窟。浮かす物は尽きず、やりたい放題の劇場。喜劇、惨劇、悲劇、そして攻撃となんでもあれのフィールドであり、俺にとってはアウェイ。


『楽しい!楽しいよぉ!こんなに楽しいのは初めて!私、生まれてきて良かったぁ!本当に本当に!でも、みたい!みたい!みたい!血ィィィィィィ!』


 次は若い女の子の声。副音声の声の後ろで様々な年齢の子供や大人が同じ台詞を吐いている。


 耳障り以外の何物でもないのだが、耳を塞いでいても仕方ない。


「ヒステリックになるな!サイコパスは似合わないぞ!」


 速度を上げて、地から脚を離して、飛行する。


 身体に流れる魔力を練り上げ、体外に放出して一気に速度を上げて、迫る青の浮き物とレーザーからの攻撃を掻い潜っていく。


 すると、真ん前から赤紫色のレーザーがやって来た。


 その数、四十一。同時に発射されたそれを避けようと、緩急なく上昇して脚下へと伸びて行くレーザーを見届けようとするも、俺の後方に伸びて消える筈のレーザーは直角に曲がっていき、真っ直ぐコチラに向かって来る。


 そして、そんなレーザーに集中し過ぎていると、やってくるのは黒い触手。なんかエロいから、黒の手にしよう。


 兎に角、黒い手が背後からさながら千手のように増えて、迫って来た。


「建物壊すと出てきて来ちまうし⋯⋯。此処は流石に狭すぎる!ウゥッ⋯⋯ぐうォァー!」


 地面に叩き落とされた俺はそのまま魔力を周囲に張り巡らせて攻撃を凌ぐが、いつまでも続かない。


 流石の俺も三年間も此処に待機は嫌だ!


『お前は敵、私の敵、僕の敵、俺の敵、私の敵。敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵!!──死ね』


 避けるだけでは、防ぐだけでは拉致があかない。


 仕方ない。少し、その気になるしかないと覚悟を決めて、変身する事に決めた。


 コイツは幸いな事に『神性』はない。生粋の生命体から生まれたもの。


 死なないし、早々には死なないと判断し、力を開放する。


『刻印開放』


 俺の世界にしか恐らく無い精霊の贈り物にして戒め。


「ッッ〜〜!ふんッ!はァァァァァァ!ハアァァッ!」


 黒髪だった俺の髪は赤くなる。瞳も赤くなり、周囲が放出していく魔力で粉砕していく。


 気圧されていくソレは狼狽える。まだ、攻撃もしていないのに。


『この光、嫌だ、嫌だ!怖い!助けて!嫌だ!パパ!パパ〜!ママ〜!ママァァァァ!お父さん助けて!死にたくないよ〜!おっかぁ!まだ死にとーない!嫌だ!嫌だ!嫌だ!』


 声が小さくなっていき、ボリュームが絞られたようになる。


 逃げようとしている。だが、逃さないし逃す訳がない。


 この変身によって、周囲を感知する能力が向上している。だがら、当然ソレの居場所も明確に判るようになる。


「逃がすかよ!」


 転移移動で懐に入る。厳密には懐ではないが、本体に向かって蹴りを入れて、壁を添うように、擦り付けるようにして地面に叩き落とした。


 激しく地面を鳴らして、砕け散っていく地面で項垂れるようにして地団駄を踏むソイツの傍へと降下してソイツを見つめる。


『痛い!痛い!痛い!痛いィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!ヌァァァァァァァァァッッ〜〜!』


「本性見せたな。他人の面で喋ってるからそうなる。馬鹿め」


 声が一つだけになった。どうやら、本性は男の子のようだ。


「はぁ〜、あんまし労力使わせるな⋯⋯。面倒だからな」


 変身を解除して、座り込む。


『刻印開放』自体は苦ではないが、力まなければならないのは面倒なのだ。


『ァァァァァァァァァ!酷い!どうして!どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!』


「喧しい!話を聞け!」


 黒くうよめいたそれは、目が無く、口だけがある。


『現象』に巻き込まれたというよりも『現象』になってしまった成れの果てなのだろう。


 赤色に青色を足せば紫色になるが、様々な色を足していった結果。その果てがコイツのような黒になってしまうのだろうと解釈した俺は項垂れるソレを睨み付ける。


『⋯⋯⋯⋯大人は嫌いだ⋯⋯嫌いだ⋯⋯嫌いだ⋯⋯嫌いだ嫌いだ嫌いだ』


「そんな事は知らん。俺からすれば、我儘なだけのガキなお前の方が余っ程嫌われるぞ?」


『消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ。お前は要らない。必要ない。消えろ。僕の視界から消えろ。消えてくれ。死んでくれ。なんで生きてるんだ?なんで、なんでなんで!なんでなんでなんでなんでなんで?』


「お前を助ける為だ。少なくても、今のお前にとっては好条件がある」


『⋯⋯⋯ナニ?』


「さぁてと。話し合おうか?えぇと、少年」


 そうして、俺は亜空間へと黒いソレをご案内した。


 コイツの正体、コイツの行く末、コイツの末路。


 全て見通している俺は全てをコイツに教えて、そして託した。


 俺の最後のカード。それはお前だと、俺は通称・少年に告げるのであった。

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