マッチング2
大洲藍莉は二度、驚愕した。
一度目は、少年が足場から踏み外して、そのまま落下して行った事にある。
決して意図した様子ではなく、焦る素振りを見せながら、落ちて行った少年。
腕を伸ばして、少年を落下させないようにとするも、距離は届かず、スルリと抜けていくように、空を掴んでしまい、慌てふためく。
少年を見つめると同時に、下に広がる広大に広がる地面を視界に収めてしまい臆してしまう藍莉。
そんな彼女が息を呑んだのは、隣で少女を庇うようにして居た牧原逸花が心中でもするのかという程に躊躇いなく、自身も地面に向かって落ちて行った事だ。
背後から駆け足が聞こえたと思い、振り返ろうとする頃には逸花の身体は宙へとダイブしており、紐もない、パラシュートもない、そんな状態で飛び込んだのだから、悲鳴が上がってしまっても文句は言えなかった。
そして、激しい轟音が鳴り響くと同時に、二人は視界からは観測出来なくなり、追い掛けるように階を降りようと意を決した時、再度吹き荒み始めた風は藍莉の身体を震わせてしまう。
行われているのは、刀と肉体がせめぎ合う応酬の嵐であり、近寄る事を決して許さない殺気と見えない連撃と飛び交う二人の激突のみ。
自身を置いて、二人の少年少女が居なくなったという現実と、先輩が化け物と張り合えているという不可思議な状況に藍莉の思考は阻害されていくも、ふと伸びた影が自身のするべき事を思い起こさせる。
「お、大洲さん⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
藍莉は理解している。こんな所で待ち惚けしていても何も変わらない事は。
詩葉は解っている。彼女にとって必要な存在が急激な速度で二人亡くなった事を。
それでも、歯を食いしばって、暗い表情を滲ませたまま、藍莉は徐ろに立ち上がり、少女の元へと歩み寄る。
「行きましょ⋯⋯。今は、貴女の事が先よ」
ある種の諦観が藍莉を突き動かしているというのは容易に想像出来た詩葉は決して、その言葉に対して首を横には振らなかった。
手を繋いで、間違っても落とされないようにと、少女の指示の元、彼女は脚を動かす。
まだ、二人が生きているとも知れずに。
━ ━ ━
その少年は孤独だった。
決して、友人が居ない訳でも、親と不仲であるという事情ではなく、もっと単純な心の話。
その少年の親はなにかに怯えており、共に常日頃から何かを叫ぶようにして、会話を繰り広げていたが、少年の前では普通で有り触れた家族であった。
友人はその少年の親が金持ちであるという理由もあって寄ってくるも、すぐに心根から打ち解け合い、気付かぬうちに仲良くなって、度々家に訪問しては、買って貰ったテレビゲームを中心に話は盛り上が、仲良く遊ぶ。
中学に進学したその少年は部活をして、放課後に帰る。友達の輪の中で、普遍的な事を当たり前に。
だからこそ、家から帰ってきた時、父親と母親が玄関で肉塊となっているのが、心底納得出来なかった。
少年は唖然とした。こんな筈がないと、何かの間違いなのだと。
けれど、少年はその感情とは相反するように固定電話の受話器に手をかけて平然と言う。
「すみません。父と母が家で倒れてます」
警察、救急車共に呼んだその声は淡々とごく普通だったのだ。
友人にそれを伝えない。
少年にとって、家族が居る事が当たり前の存在に理解されないと理解したからだ。
自然と連絡を取らなくなると、皆別の友人と関わりだすのを見て、少年は冷めていき、遺品の方へと目を向け始める。
少年は父と母の遺品の整理を親戚と勤しんでいた時、それは見つかった。父から開けるなと言われていたその棚を開けると、そこには数冊にわたり丁寧に寝かされて、重ねられていたノートであり、導かれるかのようにそれを取り、読み漁っていく。
内容が勿論わかる筈もない。けれど、父と母が口論にも近い何かがこのノートに記されている内容にあるのだと言うのが、少年には理解出来てしまい、惹き付けられるようにそのノートを親戚にバレないように回収した。
少年は成長し、青年となると、ノートに記された内容が『超能力』と呼ばれるものに関してのものだと判ると、普及してまもないパソコンで一つ一つ、確実に紐解くように、単語の意味や言葉の羅列を、さながら暗号を解くようにして、解読を進める。
そして、高校三年生の頃、進学、就職と選択を迫られる時期に差し掛かると、青年は迷わずに進学を選んだ。
青年はそのノートに書かれたある内容が恐怖で堪らなかったからだ。
そのノートの内容は達筆ながらも父親の字である故に容易に読めるものだったが、同時に父親が悍ましい物事に首を突っ込んでいる事と、それが自身にも関連しているのだと知ってしまい、焦燥感を募らせたまま、大学へと進学する。
曰く、先祖はある突然変異の女性が持つ遺伝子を流用して子宝に恵まれたというもの。
曰く、その女性は既に亡くなっているが、誰かがこの街に限り、生きれるようにしたという事。
曰く、女性の遺伝子を使って何かしらの得をしようとした者は多くおり、時に戦争の道具として、時に敵国のスパイとして、時に私利私欲の為として。
その数は合計二十一人。被験者の数は百を超えていたが、適合手術後の身体の異変が大きく、短命で亡くなってしまうケースもあり、数が半分以下となってしまった。
そして、最後に。『超能力者』に終わりを与えて欲しいという記載に、青年は決心する。
超能力者が超能力を喪失させる術を見つけようと。
八十年前の遺物は今も彷徨い、探しているのだろう。自身を死に追いやった存在達を。
遺物は狂ったのだろう。自身の腹に居る存在諸共殺された挙句、殺した側がのうのうと生きて子孫繁栄している現実が憎くて堪らなく、狂うしか無かったのだ。
青年は成人して男となり、研究職に就いた。
遺伝子組み換えの実験であり、今尚、何処かに居るであろう愚か者達の子孫を探しつつ、『超能力者』に平穏を与えるべく、日夜勤む道を選ぶ。
そして、今。男は少年と二人。腕の治療の為、手短にあった板を使い、それを巻くように包帯を括り付けられる。
男は語った。語り、少年に同意を求めるべく声を発した。
少年はそれに対して、異議を申し立てるまでに考える必要は無かった。
━ ━ ━
駆け抜ける彼女と少女。揺れが酷くなっている辺りで地盤が緩んだか、建物自体が倒壊の危機に瀕しているのだと察して、詩葉の弟である朔の行方を探索していた。
「本当にここに居るの?」
「ここじゃなかったら⋯⋯六階にある実験室です。でも、建物の揺れが──」
「気にしない。早く前に進んで」
「は、はい」
重心が右にズレている建物の中、左手には未だに戦闘は繰り広げられており、素早い動き故に視認はしきれない藍莉。
そして、詩葉は一心不乱に迷わず地震と弟が使っている部屋の前まで急ぎ駆け出した。
障害はない。あるのは歪んでひしゃげた扉とその間にある空間のみ。
「朔!朔ぅぅ!!」
返事は返ってこない。部屋に向けて放った呼び声は木霊させて、少し離れた距離に居る藍莉を急がせた。
「居ないの?──キャッ!」
窓が強い衝撃によって叩き割れていき、廊下へと入っていく。藍莉は詩葉を庇うようにして、覆い被さり、震える身体から漏れ出る悲鳴を抑え込んだ。
「大丈夫?」
「は、はい⋯⋯。な、何が起きたんですか?」
「外の人達でしょ。私達は、急がないと⋯⋯」
巻き込まれてしまえば、ひとたまりもない。
少なくても屋外で繰り広げられているのは人外の領地であり、人である内は立ち入る事が留め置かれた戦闘域。
「弟くんは?居ないの?」
藍莉は中を覗いていない。けれど、反応の無い辺り、察し自体は付いている。
それでも敢えて言うのは、僅かな可能性があるのではないかという希薄な願い故。
「は、はい」
泣き出しそうになる詩葉の手を取り、立ち上がる藍莉は先程通ったばかりの廊下を再度走り出す。
揺れは強くなっていき、脚が微かに浮き始めているものの、臆する時間はすで残されていない。
膝を崩しそうになる詩葉を半ば強引に引っ張るように先頭に藍莉が立ち、駆けて行く。
「お姉ちゃんでしょ。シャキッとしなさい」
「⋯⋯」
それは速度が徐々に落ちていき、引っ張ろうとする力が増えていった時の事。
階段を駆け上がり、天井には小さな瓦礫と粉が落ちて行く中、必死に前へ前へと進もうとしている最中、階段にあった亀裂がついに決壊して、足場に空間が出来てしまったのだ。
最初に藍莉が一気に跳び、多少の穴の拡大はあったものの、何とか保たれた足場。けれど、次に跳ぶのは詩葉である。
脚を痛めて、体力も消費して、泣き出している少女を見つめる藍莉は言う。
「貴女、弟くんがこのまま居なくなっても良いの?」
「い、嫌です!嫌に決まってます」
泣き腫らした顔は藍莉へと向き、それを静かに動じる事も笑う事もなく、向かい合うように、見つめる二人。
自分には駄目だ。そう諦め掛けている事を見透かされているのだという事を理解した詩葉は瞼を閉じてしまう。
けれど、当然。彼女はそれを許さない。
「なら、貴女が一番、諦めたらダメじゃないかしら?誰の為にここまで来たと思っているの?」
心に刺さったその言葉は表情を歪めた。
詩葉も想像のしていなかったのだ。
助けを求めた筈の存在が二人、まとめて居なくなってしまった事を。
「でも、私の──」
「弟くんの方が今の貴女よりも酷い現状かもしれないのよ?貴女はそれを見た時、こんな所で燻ってて時間を無駄にしたせいだって言い訳でもするの?」
「⋯⋯」
見開かれた瞳が藍莉を見る。猶予は無いのかもしれない。
もしかしたら。そんな出来事を想像する詩羽の表情は酷く険しいものへと変わり、震える手を握る。
「もう一度言うわね。シャキッとしなさい。お姉ちゃんでしょ?」
「朔⋯⋯。っ!」
壁にぶつかってしまえる三歩分、後ろに下がり、助走をつけて思い切り駆けた詩葉。瓦礫が着実に降り積もる中、詩葉は叫んだ。
耳障りと言われようとも、おかしな人間と思われたとしても、それでしか自身の心を鼓舞する仕方を知らない。
だから、全力で叫んで跳んだ。痛みが脚全体に広がる感覚を堪えて、振った腕は軋む感覚をさせながらも、少女は藍莉の元へ、そして、朔の元へと辿り着く為にその脚を浮かせた。
痛みがバネとして使った脚に響き渡る。けれど、確実に近付いている。
(届いて!)
けれど、その願いは叶わない。徐々に高度が落ちて行く。
本来の少女ならば届くであろうその跳躍が齎す距離の長さは、最悪のコンディションが妨害し、藍莉の目の前で落ちていこうとする。
それを藍莉は見逃さない。
「届かせるわ!」
共に落ちる事を承知して、前のめりになった身体とそこから伸びた手が詩葉の抵抗のようにジタバタさせた手をつかむ。
手すりを握り、身体を引き寄せる藍莉の力は込められていき、詩葉を上へと引き上げていく。
段々と身体が下がっていくのを感じ始める藍莉。
「手すりを掴みなさい!」
「は、はい!」
右手に手すりの支柱を、左手は藍莉に手を掴まれて、引き上げられていく詩葉は、二人の距離が近付いたタイミングで緑色の手すりに手をかけて、身体を支えていく。
そして、穴の間に階段だった足場は亀裂を広げていき、容赦なく崩れた。
二人が四階に辿り着いたと同時に。
服は既に数時間前とは違ってかなりの汚れを付着させており、身体全体が疲労感に襲われている二人。
「さっきの所、崩落したわね」
「あ、危なかったですね。⋯⋯私達い、生き埋めに」
「なってないんだから、これ以上口にしない」
「はい!」
五階フロアという、瓦礫で殆どが崩落してしまっている場所を通り過ぎて、手すりを伝うようにして六階を目指す最中、詩葉が目の前を歩く藍莉を見る。
「あ、お姉さん、腕!」
それは間違いなく自身の引き上げの際、右腕に傷を負ったのだが、藍莉は隠す素振りをせず、上腕部は縦に服に赤いシミを広げながら、血が垂れて掌から指へと滴っていた。
「気にしないで、掠めただけ。それ以上のことは無いから」
「で、でも!」
「貴女は弟くんの事を考えなさい」
「⋯⋯ど、どうしてそこまで⋯⋯。大州さんって、朔の知り合いだったり、したんですか?」
「いいえ。顔を知らないわ」
「だとしたら、なんで⋯⋯」
「私はね。一度、弟を亡くしてるの」
「え?」
「心配しないで。別に今はなんともないから。けど、やっぱりあんな思いしなくないし、させたくないのよ。ただそれだけ。どう?自分勝手でしょ?」
「私は何も言う事は出来ませんよ」
脚を踏み外して、転ばないように、慎重に身体を動かしていく二人。
盛り上がった会話はなく、お互いに調子を確認する程度の一瞥を数回するのみで、決して仲良しこよしというものはなかった。
それでも、藍莉にとって詩葉を弟に会わせるのが役目であり、詩葉にとって藍莉は自身とは違う人なんだと、明確に区分けした瞬間でもある。
六階に辿り着いた二人。揺れは止まる事を知らず、二人の身体を進行するのを防いでいるようにも感じるそれは、途端に止んだ。
屋外での衝撃音も無くなり、まるで台風の目に入ったようなものだった。
「揺れが⋯⋯収まりましたね」
「急ぎましょう⋯⋯。今が手早く動けるチャンスよ」
「は、はい!」
六階に脚を踏み入れようとする二人。
言葉の通り、揺れが収まった事で足早になる藍莉と詩葉の脚は、視界にその人物を捉える前に踏み込んでしまった。
「お待ちしておりました」
「っ!吉野さん!⋯⋯だ、駄目です。コッチに!」
「え?」
瞳が光る。青く、優しい好々爺の眼差しが恐怖心を募らせて、藍莉の動きを静止させた。
「っ!動けない⋯⋯」
「可愛いお嬢様方。今すぐ、その子を置いて帰りなさい。ここは我々の敷地であり、あの方の夢の跡地です。おいそれと踏み入ってはなりません」
「⋯⋯弟くんは何処?」
反抗的な眼差しで吉野を睨むその視線を察して、少しだけ瞼を落としてしまい、再度見開く。
「⋯⋯駄目ですか⋯⋯。心苦しいですが──」
「大州さん!羽織ってください!」
自身の羽織っていた白いパーカーを藍莉と吉野を遮るようにパーカーを藍莉に羽織らせた詩葉。
けれど、ちゃんとした羽織り方ではなく、フードの部分を顔で隠して、藍莉は前が白い布生地で埋め尽くされてしまい、完全に視界を遮断されてしまう。
「っ!ちょっと?!何を!」
「いけません!」
藍莉の前に後ろを向いて立ち塞がるようにして居る詩葉の動きは止められた。
目的の達成は真近となりつつある故の心の安定が出始めて来た吉野の眼差しには余裕が生まれている。
一方の詩葉は地団駄を踏もうとするも、手を前に伸ばそうとするも微動だにせず、外から内へと押し付けられるかのような圧迫感と無理やり身体を固定されている体感が胸騒ぎを起こしていた。
「っ!うぅ⋯⋯」
「動ける?!一人だけが対象なのね⋯⋯」
「コチラへ」
「っ!⋯⋯」
「大州さん?」
「良いから!」
「ん?何か?」
二人の間で何かを手渡したように見えた吉野。
けれど、詩葉は背後を向いており、手元が見えず、手渡した藍莉も吉野の視線を気にして背後に隠すようにしていて、その手渡した物の正体が掴めずにいたのだ。
「あ〜!!っ大州さん!」
「何を考えているのですか?!お二方!っ!何を?」
吉野は驚愕の表情を浮かべた。
藍莉は駆け出して行く。吉野に駆け足で接近していくのだが、止めようにも既に詩葉が真近くまで迫っており、手渡された物を警戒してしまい、超能力を解除出来ずにいた。
「っ!やらせる訳にはいきませんよッ!」
「今!」
「は、はい!」
指が動いた。微かに、僅かに動いた親指がスマホのボタンを押した。
スマホのカメラがフラッシュをたいて詩葉の背後に居る吉野視界を白に染め上げる。
「ッ〜〜のぉぉおお〜!」
瞼は閉じられていく。
圧迫感と固定されてる感覚が詩葉に消えていくのを感じ、押し倒すようにタックルで好々爺を突き飛ばす。
藍莉がそのまま、詩葉の手を掴み、好々爺から通り過ぎようとする。
行ける。そう思っていた藍莉は油断した。
「ッッ!行かせません!」
微かに開かれた瞼から漏れ出る青い光が灯り、詩葉を縛り、手を握っていた藍莉が急停止するように動きに制限を掛けた。
「っ!野難さん!」
「っ!はぁぁぁぁ〜〜」
ただの一振り。右腕を左方向に振り払うような仕草で、詩葉は藍莉の左側から急接近して、衝突してしまい、壁に打ち付けられてしまう。
小さな悲鳴と壁に背中を打つ衝撃音が鳴り響く。
苦い顔を浮かべていた吉野は自身で行なった行動に目を背けるように視線を逸らすものの、何かを思い返したように瞼を開けて、再度二人を見る。
気を失ってしまった藍莉と倒れ込んで意識のある詩葉。
藍莉を置いて、詩葉を背負い、目的の場所へと向かおうと一歩踏み入れた。
腕が弾け飛び、肩から先を無くした。
そう気付いたのは、自身の利き腕でもある右腕が一向に詩葉を誘導して、吉野の手元へと浮いて来ない事からの違和感であった。
感覚の鈍化という訳ではない。鈍くなったのは脳の回転速度であっても、痛覚から脳に行き渡るまでの電気信号は未だ健在である。
問題は何が、どういった理由で、どんな手を使って腕を弾かれたのか。
足音がした。背後からの歩行音は吉野の身体を震わせる。それもその筈だ。
吉野の後方は完全に瓦礫で埋もれていて、吉野が全て開通させた頃には、真っ二つの餌食となり、通路は完全に断絶されている。
主たる鳩羽も地下に居ると本人からの報告を受けている訳で、これ以上の妨害も例外もありはしないとそう思っていた。
「貴様、私の所有物をよくも傷ものにしたな」
「⋯⋯っな、何者ですか?」
女性の声。それでいて年端もいかない若い女性であると吉野の勘がそう訴えていたが、声色が威圧的かつ、攻撃的なもので、一声掛けられただけだというのに、身体の芯から凍えそうな程の震えがやって来た。
「お前と語らう気はない。消えろ、小僧」
殺気が舞い込んで来た。吉野の警戒心という鐘は大音量かつ激しく鳴らされて、心臓の鼓動が煩くも感じるほどのものであった。
けれど、何もしなければやられるのは自身なのだから、振り返り、僅かでも反撃しようと構えようとする。
「あ、アナタはまさ──」
それだけで、吉野の首は弾け飛んだ。
首なし死体は死に気付いていないのか、身体は倒れ込まず、構えたままの状態で動きを停止させてしまい、目の前までやって来たその人物が人差し指で小突く。
衝撃が行き届き、前に伸びて広がる廊下が一閃の風圧によってヒビだらけとなっていくと同時に、吉野だった者は腹部に穴を作って倒れた。
「⋯⋯やはり弱者か」
唸る声を上げだした詩葉。まだ気絶している訳ではなく、痛みに耐えかねていただけなのだ。
当然、あと少しで瞼は開かれる。眠っているとばかり思っていたその人物も予想外の事態であるように、後ろを向いた。
「⋯⋯」
「うぅ⋯⋯あれ?動ける、なんで?ッわぁぁあ!」
首なし死体が転がっていた。それだけで少女が泣き叫ぶように悲鳴を上げるのには充分である。
事態を飲み込めない詩葉は藍莉を起こそうと揺すりだすも起きる気配が全くない。
完全に沈黙してしまい、唖然となってしまう詩葉は目の前で倒れ込んでいる藍莉に縋るように泣くのみなのだった。
━ ━ ━
少年は男が語った過去を聞いた。その上で否定的な意見を出して、状況が平行線を辿っていた。
「わからん奴だな!過去の精算をしきれなかった奴を恨むのは勝手だけどさ、今生きてる奴にまで影響を出してんじゃねぇよって言ってんだ!」
「その今を生きている者とて、過去に生きた者達あってこそだ。なぜそれが分からないのだ」
女の遺伝子が及んだ超能力という存在は鳩羽という男の人生を狂わせたのだと、確かに准も考えてはいる。
納得もした、理解もした。だが、それ以前に詩葉の存在がチラついて男に噛み付くような勢いで捲し立てる。
「じゃあ、この施設はなんだ?!詩葉が言ってたぞ?毎日実験だってな!あのガリガリの子がだ!自分の為なら、子供が死んでもいいってのか?」
「⋯⋯ガリガリ?」
「え?」
不審な面持ちを浮かべ出した鳩羽。まるで信じていないように、眉間に皺を寄せたその表情は二人に僅かに会話の空白を作った。
「待て、なんの事だ?」
「⋯⋯なんの事だって、なんだ?」
「彼女はこの施設で実験こそ行っているが、俺は丁重に扱うように言ってある。その為の設備だって、教育機関もこの施設にある。何を言ってるのだ?」
「⋯⋯え?」
「当然だ。小僧。お前は自分の部下に良いように使われていただけなのだからな」
「誰だ?!」
「この声⋯⋯」
男は反響する声に対して、辺りを見渡して、少年は動きを止めて、苦い顔をする。
錆びている階段を下る音が響いてくる。それが男には不穏感と恐怖心を高鳴らせていき、瞼を徐ろに開けていく。
淡い緑色の光は階段までは行き届かない。
上層まで螺旋状に伸びたその段差は上に行けば行くほど暗闇であり、誰にも影一つとして映させない。
それだというのに、男は確かにそこに居るのだと理解できてしまう。常に階段を上り下りしている事による経験からか、胸を締め付けるような感覚がそう思わせているのか、男には解らない。
だが、確かに居るのだと、怪訝そうな表情を浮かべながら、顔の向きを下にしていく。
「貴様、子供達を預けた癖に、ちゃんと見ていないだろ?全て、職員と研究者に預けっぱなしで⋯⋯。フッ。その顔を見れば分かる。本当に愚かだな。弱者とは。これだから、潰しがいがあるというものなのだ」
「ッ!⋯⋯逃げろ!小僧!」
「⋯⋯」
「何をやっているのだ!!俺を信用するしかない!此奴は──」
「牧原、だろ?」
「⋯⋯誰だ?それは?」
「僕の、クラスメイトだ」
「はぁ〜。⋯⋯バラすのが早い。刃龍に見初められたからと言って、私の求める順序まで崩す理由がどこにあるというのだ。桐江准」
淡い光がその影を映し出し、そして、姿を映した。
ボブヘアの髪、低身長で何時も愛嬌と喧しい事が取り柄と言わざるを得ない程のパワフルで明るい彼女、牧原逸花が姿を現す。
けれど、目付きと顔付きが違った。
鋭い眼光と険しい表情で二人を見下ろし、不敵に笑う。その姿はクラスメイトとして一緒に学校生活をしていた中でも見た事がなかった准には、新鮮であり、驚愕にも近い感覚に苛まれる。
「⋯⋯貴様、何者だ?!」
二人と逸花の高低差は五メートル程であり、それを何も言う事もなければ一瞥すらせず、なんの事の無いように飛び降りた逸花は、地面に軽々と着地して二人を見つめる。
「⋯⋯私が何者か、か。知ってどうするというのだ?」
「な、なに?!」
「知って、その後はどうする?攻略しようと?私を?無駄な労力を費やそうとするな。此奴のようになるぞ」
右手に持っていた物を軽く曲線を描くように投げた逸花。地面に当たり、バウンドするように鳩羽の近くまで転がる。
「ッ!き、貴様!吉野を!?殺したのか⋯⋯」
「此奴が悪い。私の所有物に傷を付けた。それだけでこの小僧が死ぬには充分な理由となり得よう」
「俺に仕えてくれた男を⋯⋯。貴様、許さんッ!」
鳩羽の怒声は高らかに上げられて、逸花は僅かに笑う。
「フッ。実力も見切れんようではな⋯⋯」
嘲笑を浮かべて余裕を持ってその場で棒立ちの逸花に対して、殴り掛かるようにして拳を構える鳩羽。
「ッッッ!!はあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「⋯⋯おい!牧原!」
「騒ぐな」
「⋯⋯」
「この程度の者に私が傷を付けられる訳がない」
動こうともしない逸花との距離を詰めて、右拳が目の前に迫る。けれど、それを軽く躱して、流れるまま手を振り払う動作を起こす。
すると、青白い巨大な手が男の脇腹を穿つように迫り、爪が食い込むように突き刺さり、勢いよく投げ飛ばすように男を放った。
ただし、男の飛ばされた速度は尋常では無く、衝突した巨大な円柱の柱が一気に砕け散り、その後方にある淡い緑色に発光している脳が入ったカプセルをボウリングのピンのように弾いていく。
「ッッ〜〜〜!あぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜!」
「な、何が⋯⋯」
二十程あったカプセルケースは残り二つを除いて全て割れて、容器としての意味を成さなくなっている。
光源が殆ど消え去った事で視界は黒に染まった。
「牧原、お前⋯⋯龍だな?」
准は知っていた。あの攻撃がどんな存在なら可能でどれだけえげつないのかを見て、体感して、味わった経験がある。
単に過去の記憶。けれど、暗くなった視界が身体の感覚を鋭敏にしていき、鮮烈にかつ鮮明に残響するように思い馳せた。
「⋯⋯そうよ?それが何?」
「⋯⋯⋯⋯刃龍の事を知ってるって事は⋯⋯。僕を殺しに来たのか?」
額から汗が流れて、頬を伝う。嫌な汗だと理解出来る准はそれを受け入れる準備のように、深呼吸をしていく。
「決まってるじゃない」
多少の笑みを含んだその言い方は准に覚悟を決めさせるようなものでは決してなかった。
(自分でどうにかしろって事か⋯⋯)
瞼を閉じて、近付いてくる足音に対して逃げる素振りを見せない准は立ち止まったまま、意を決しするのであった。




