夜闇に吹く嵐
バトル回です。
え?この作品にバトルってあるのか?⋯⋯ですか?
ありますけど何か?
料理が盛られていた食器が泡を立てていく。
スポンジで汚れを落として、それをシンクの側面に跳ねる勢いでお湯を食器へと当てる。
黙々と作業をしている准は、ひたすらに皿に付いた油汚れを落としては慣れた手つきでお湯を浴びせていく。その皿を横に居る逸花が受け取り食洗機へと放り込んで、准の近くに手を差し出して待つ。
エネルギッシュかつ好奇心旺盛で天真爛漫。
それでいて、彼女は食洗機に放り込まれた皿やフライパン等の調理器具を丁寧に並べている事からイメージしていた以上の雑さは無く、綺麗好きや几帳面といった印象を准に与えていた。
逸花への評価が僅かに上がった。そんな時であった。
「ねぇ、桐江くん。今度、探検に付き合ってよ」
「⋯⋯え?なんだって?」
子供地味たその物言いとは裏腹に、何時ものニコニコとした面影は無く、至って真剣そのものなのだが、言葉の意図も分からない准からすれば、突然何を言い出したのかの処理から始めなければならない。
けれど、彼女はそんな准を置いてけぼりにするように言葉を紡いでいく。
「私さ、調べたい事あるんだけど〜、一人じゃ大変じゃん?女の子だし」
「ぶりっ子なら他所に振り撒いてくれ。僕はお前の調査内容も何も知らないし知る気もない」
「えぇ〜、酷いよぉー!あ、その皿、まだそれ泡残ってるよ?」
「⋯⋯」
手渡した大きめの丸い皿を再び手元へと戻されてお湯を適当に浴びせていく。
その動作が妙に拗ねた子供のように逸花は感じて、不思議そうに眺めていた。
水の跳ねる音が奥のリビングでテレビを見ている二人の声を遮ってしまい、准達の声も姉弟からも同様に遮られていた。
「ねぇ?お願い。一生のお願い!調査の先端、最初だけでいいからさ!」
「⋯⋯」
お湯は准が蛇口を捻る事で流れなくなった。全ての皿も器具も洗い終えて、逸花に手渡して、食洗機へと入って、ボタンを押す。
逸花の両手は合わさって、合掌のような状態であり、タオルでその手を拭かせるべく許可なく合わせられた手に掛けた。
「⋯⋯『先っちょだけで良いから』って艶めかしく言ってくれたら考えよう」
悪い思考が巡った。准の思春期である所のいけない思考が掻き立てられていき、そのように口走らせた。
しかし、この時の少年に一遍の悔いは無かった。
「えぇ!良いの?!⋯⋯なまめかしい、って何?」
「色気大ありの麗しい女性のようにって事だ」
「分かったよ!それで桐江くんのやる気が出るならやるよ!」
確固たる意志を持ってタオルで手を拭いた彼女は拳を作り、自信満々といったご様子で向かい合う。
その表情を見た少年は一瞬驚くも、瞼を閉じて頷いた後、その瞼を開けるのだが、そこから顕れる瞳は真摯そのもの。
「頼む!お前の言葉がないと、立ち上がれねぇ!」
その言葉には冗談が多分に含まれているのだが、少年の瞳自体には嘘がなかったと判断した逸花は確固たる意志を持って、眉を下げた。
「見てて、聞いててね!ゴホン⋯⋯。あ〜、先っちょ──」
「止めなさい」
その言葉と同時に慌てるようにやって来た藍莉は准の後方から現れて、逸花の頬は抓られていた。
「あだだだだだだだ!痛いよ〜!!なんで私なのっ?藍莉ィ〜」
「貴女。今、騙される所だったのよ?むしろ感謝して欲しいものね」
淡々とした口調と憐れむような視線が逸花に向けた藍莉は抓っている頬から手を離して、流れるように頭を撫でる。
それをされるがままに撫でられる逸花は、ハッとなり准の方へと目線を送った。
「どういう事さ〜、桐江くんっ!」
「チッ!行けると思ったのに!」
夢ぐらい見てもいいじゃない。そんな事を考えているが、傍にいる藍莉には響くはずもなく、冷めた視線が准の瞳と邂逅した。
「准⋯⋯。後でお説教追加ね?」
「ひ、ひぃぃぃい!だ、だって──」
「ん?」
気圧されていく准。表情に一切の変化はなく、笑っている訳ではなく、かと言って怒っている風にも見えない彼女なのだが、向けられる視線だけは笑っていないし、憤怒の念とはまた違うものを感じ取り、気圧されていく。
「すみませんでした⋯⋯」
「もう〜、酷いよー!」
胸元をバシバシと叩いてくるものの、決して強い訳ではなく、手加減しているのがよく伝わるその逸花からの掌から来る衝撃は、優しかった。
「こうなったら、桐江くんには、私の探検を手伝って貰うからね!」
「探検?」
条件反射のように意味を聞く藍莉。彼女こそがこの中で誰よりも牧原逸花という女性を知っている。
何かある時、いの一番に駆け付け、噂があれば聞き耳を立てて、遊びも全力、授業は怠ける友人。
それが藍莉から見た牧原逸花という女性なのだ。
「そう!これ!」
スマホを手に取り、画面をタップして勢いよくスマホを藍莉に差し出す。
「何これ?」
「『七不思議』だよ!」
そう、それは第二の不思議。【七八区】であった。
スマホの画面を見つめた二人は互いに違うタイミングで怪訝そうな雰囲気を醸し出し始める。
准は面倒くさいという感情から。藍莉はまた逸花が面倒事に意識が向けてしまっているという危機感からである。
「それ聞いた事あるけど、実際に事件があったかも定かじゃないんだろ?」
准とて、七不思議の全てこそは知らない。けれど、概要ならば見聞きしている。
『警察』という単語がお話に出てきている事から、明治時代の話である事は容易に想像出来たが、百年以上も前の話であり、文献や資料といったものは大概は何処かに散っていたり、紛失したりしている。
また、肝心の事件そのものが後にワイドショーで取り沙汰されていた訳でも、警察関係者が漏らしたという訳でもなく、お話だけが独り歩きしているようなもので、【焼けの胎】以上に信憑性も薄く、謎めいたものであったのだ。
「だから調べるんだよ!お願いだよ〜!『幽霊』が居たって事は、『小屋の行方』とか『美女の謎』とか分かるかもしれないじゃん!お願い〜、お願い〜っ」
「ん〜、とは言ってもなぁ〜。⋯⋯⋯⋯」
そう、准達が『幽霊騒動(ゴリ押し系ばかり)』に巻き込まれてから一週間と少ししか経っていない。
ただでさえ五月というイベント事が多い中で、三、四回程は何かしらの事に巻き込まれているというのに、これ以上の面倒を持ち込まれるのは厄介この上ないのだ。
何よりも。
(朝倉さん辺りに笑われそう)
そう、少年は何よりも『ま〜た巻き込まれたのか、少年?ぎゃっはっはっは』と言う鼻で笑われて、声で笑われて、表情で憐れまれた過去がある。
かなりムカついてしまい、不貞腐れてしまった事すらあるその言葉を再度聞きたくないのだ。
少年は思春期ボーイなのである。
逸花が藍莉を一瞥して手を合わせだした。
女神像に何かを祈るように。自然と上目遣いになるその身長差により起こる子犬のような瞳が藍莉の視界に入り込む。
「⋯⋯はぁ〜。行ってあげたら?」
「はえっ?!」
「わ〜い!彼女さんから許可貰っちゃった〜!」
腕を上げて、大喜びの逸花はこの中の誰よりも舞い上がっていた。
止めるものだと思っていたのだが、予想外の返しが来てしまい、藍莉を思わず凝視する。
諦めたような表情こそしているが、間違いでしたという事はないらしく、嬉々としている逸花を見つめている。
そして、准へと視線を向けると、少し微笑んだ表情を表に出すと、続けて言った。
「ただし⋯⋯私も行くわ」
「ひょえ?」
大騒ぎで腕を上げている逸花の動きがピタリと止まった。
予想外の展開に今度は逸花が藍莉を見つめて、首を傾げる。
「⋯⋯藍莉?」
「え?お前も行くのか?」
「駄目?」
「駄目って言うか⋯⋯。蒼太はどうするんだよ?家に置いてくのか?」
テレビで番組を見ている蒼太。お腹も膨れて、思わず眠りそうになってウトウトとしている少年を三人は見やる。
「ちょっと待ってて。蒼太に許可とってくるから」
「許可制なのか⋯⋯」
准の言葉は誰も返しはしなかった。蒼太の元へと歩いて行く藍莉を二人は眺める事しかしない。
けれど、内心では准は大喜びである。
何せ、逸花込みとはいえ、藍莉と外出といえば買い物というのが相場が決まっており、それ以外に各々でする事があり、時間が取れずにいたのだ。
けれど、ここで蒼太の許可を頂く事が出来れば、買い物以外で彼女と外出出来るのだから、ワクワクもする。
「⋯⋯⋯⋯」
けれど、逸花が藍莉に向ける心配の眼差しは准には見えていなかったのだった。
━ ━ ━
少女は走る。男の子と手を繋いで一心不乱に雨が降り止む気配の無い街を目的も無いままひたすらに。
二人の後方から足音が複数聞こえる。守る為に着いてきているのだ。
「はっはっはっ⋯⋯。頑張ってっ!」
「詠葉姉ちゃん、もう無理だよ⋯⋯」
「何言ってるの!脚動かして!」
嫌なぐらいに車の走行が無く、街灯も点されていない歩道を二人の少年少女は走る。まるで、何かに追われているように。
「っ!!ね、姉ちゃん!来てる!」
「後ろ振り返らない!」
水溜まりを蹴り、膝にまで掛かったその水飛沫を気にする余裕は無かった。
息が荒くなり、徐々に二人の駆ける速度が落ちていく。
急斜面の下り坂であるにも拘わらず、ヤケに速度は遅く、掴んでいる腕を思わず離してしまいそうになる少女は泣きそうな顔で前を見続ける。
ソレは迫って来ていた。ソレは唐突に現れて、全てを襲う。
街灯が二人の後方で二つ灯り、すぐさま消える。
雨の激しさと向かい風による阻害が二人の進行を妨げて、体力を必要以上に消費させようとする。
街が敵にでもなったように。
二人の前にあった電柱が火花を散らして、電線が落ちてきた。
姉の後を引っ張られるようにして追い掛けていた弟の背中を掠めていき、軽い悲鳴が上がるも、後ろは忠告通り見ないまま。
「もうすぐで私の話を信じてくれてた人の家に着くから!」
「本当に信じられるの?!だって如何にもヘナチョコそうだったじゃん⋯⋯」
「でも、もう頼れる人が居ないから!」
思い出すその少年はヤケにアッサリと少女の言葉を信じて、嘲笑する訳でも、怪しい視線を向ける訳でもなく、フラットに少女の会話を勤しんでいた。
それが少女には鮮烈に映り込んでいた。
『見つけた』
「え?」
脳内に響く女性の声。それが嫌に鮮明かつ綺麗な声で身体が自然と驚く。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「くそ!なんなんだ貴様!」
背後から男性の声が複数聞こえてくる。
皆一様に動揺と困惑、敵意を向けており、その雨にも負けない騒がしいまでの声は小さくなり、唸り声を残して消失した。
そして、前へと駆け出している少女の後方から何かが飛んで来て、前方にあった木々の深まる森林へと投げ込まれて行った。
「あ、あぁ⋯⋯⋯⋯。なに?」
遂に動きを止めてしまった少女と少年。
飛んで来たのは追っていた男達。それがどんな力でなのか、いきなり野球ボール並の豪速で通り過ぎて行ったのだから驚きもする。
肩から息をするようにして、呼吸を整え始めて、濡れる衣服が重たく感じだした少女は少年へと意識を向けた。
「大丈──っ!」
心配の声を出そうとした。自身と手を繋ぐ少年を安心させようとして、背後を見る。
その対象となっている少年のすぐ背後に女性が立っていた。
「⋯⋯⋯⋯」
青白い素肌にまだ季節的には早すぎる薄着の格好をしていて、白色の半袖のシャツとベルトの巻かれた赤色のスカート。
美しい容姿とは比例して、髪は手入れがされていない程にボサボサで、衣服は破れており、清潔感は皆無。
口元に泥と露出している手脚は傷だらけであり、雨が降っているというのに、泥も血も洗い流される様子は無い。
「⋯⋯誰?誰なんですか!?」
「詠葉姉ちゃん?」
女は答えない。応える様子もなく、ただ手を伸ばして、少年の頭部を触れようとする。
「止めて!この子に触らないで!」
『⋯⋯⋯⋯⋯⋯』
「お姉ちゃん?」
少年は背後を見る事が叶わない。抱き締められるようにして顔を身体に埋めさせて、必死に抵抗しているものの、抑える力が勝ってしまっていた。
雨が降る夜の街。女に対して警戒心を露わにしているその少女は苦い顔をして女を睨む。
その時、一台の車がやって来た。黒の高級車であり、少女は車種には詳しくないが、中から出てきた人物が如何にも金持ちだと分かる綺麗なスーツと整えられた髪型と立ち振る舞いがそう思わせた。
「見つけたぞ。詠葉、戻れ。⋯⋯ん?貴様は⋯⋯。そうか、『亡霊』か」
その男は体格がガッシリとした筋肉質であり、オールバックの金髪で目付きが鋭く、見られるだけで気圧されてしまいそうな程だった。
外国人という訳ではなく日本人だというのは流暢が過ぎるその言葉遣いで分かる。
『⋯⋯⋯⋯』
女を睨んだその男は、何かを判断して車の運転席に居る者へと向かって一言。
「吉野。能力増幅機を」
雨音にも負けない低く威圧的なその声は、運転席から老人を降ろさせて、鞄を取り出させた。
「畏まりました」
「⋯⋯『過去の女』め。その妖艶な素顔を肉塊に変えてやる」
銀色に鈍く輝くアタッシュケースの中を取り出した男はメリケンサックにしては機械的な物を装着して、拳を突き合わせる。
すると、手の甲に分厚く張られていた装甲は腕にまで伸びていき、能力増幅機の動きが止まると同時にボクサーのように構え出した。
『⋯⋯⋯⋯貴方⋯⋯。あの男の⋯⋯。ううううぅぅぅぅ。殺してやるゥゥゥ』
黒髪の女は男を恨めしそうに睨み、腰を低くしていく。
「此方の台詞だっ!『遺物』めッッ!」
女へと向けて、猛突進する男は、右拳を腰に据えるようにして、振り上げる準備をして前のめりとなる。
「ふぅぅぅぅんッ!!!」
微かに吸われた息。そこから豪快な音とともに、拳は上空へと振るわれた。
少女と少年は逃げるように背を向けて前へと駆け出したが、突然やってきた突風が背中を押すようにして、大きく体勢を崩す。
そのままうつ伏せに倒れ込んだ二人は悲鳴を上げながら、頭を思わず庇う。
翻っていく衣服は竜巻にでも飲まれたかのように激しく吹き荒み、木々は斜めに傾けられていき、近くにあった電柱はへし折れた。
何が起きたのか。それを少年は細める目で視界に収めようとして、背後を見る。
「な、なんだよ⋯⋯これ?!」
男が拳を突き上げた事による一撃は上空にあった曇り空に穴を開けてしまい、続けてテンポとリズムが乱れないラッシュが女の身体を強打していく。
打ち付けられていく拳は明確に女に触れており、身体は揺られていく。
その激しい攻撃の嵐は少年の視界には瞬間的に動いているようにしか見えず、思わず息を飲んだ。
「ふんッ!ふんッ!んんんッ──だぁぁぁぁぁぁぁぁぁあッッ!!!」
猛攻撃は終幕を迎えた。
身体を横へと反らして、右拳で殴る体勢を取る。
傍から見れば避けやすく、打つ方向が丸分かりであり、男が焦っているようにも見えるだろう。
けれど、男は至って冷静で、平常で真っ当な事をしている。
何故ならば。
『ッッ〜〜〜〜〜!!!』
構えて、放つ。迫るその拳に女は全くもって対応出来ないほどに瞬速かつ一瞬の捷さ。
音は遅れてやって来た。
拳は女の顔面を直撃して角度三十五度で上空へと辺り一帯を激しい轟音で震わせて吹き飛ばす。
その衝撃で道路は大きくクレーターを作り、地面だったものは粉微塵となり、竜巻が発生したように辺りにあるものを巻き込んで、掻っ攫おうとしていく。
少年、少女と共に。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
「朔っ!あ〜あっ!嘘っ!あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ」
飛ばされた弟の名前を呼んだ姉の少女。その直後には、暴風は身体を浮かばせていき、一気に巻き込まれて上空を舞って行く。
「朔ぅぅぅぅ!」
「吉野!二人を回収しろ」
クレーターが出来上がり、その中から声を張る男。毅然と淡々と命令するその言葉は慣れている様子すらあり、忠実にその男に対して尽くすように頭を下げた。
「はい」
身体を無造作に舞い上がらせている朔の身体の輪郭が青く光だして、動きを静止させた。
そして、そのまま光る瞳を向ける吉野は朔を糸で引っ張ったかのように指を動かして、最後には手元まで宙に浮いたまま朔はやって来た。
「急げよ」
一人確保した事を見届けた男は急かすように言う。
「はい」
「んんーっ!」
急ぐようにパーカーを脱いで、身体を吉野に見られないようにする詠葉。
顔と上半身を濡れたパーカーとフードで覆い隠すようにしているのだ。勿論、空中に未だ、滞在しながらであり、驚くようにして目を光らせる吉野は諦めたように瞼を閉じた。
「坊ちゃん。彼女は私の能力に気付いてます」
開かれた瞼から見えるその瞳はか弱く優しそうな好々爺そのもの。
けれど、少し疲れた様子も見せる吉野は息を吐いた。
「ほう、予知で見たか⋯⋯。仕方ない。少し手荒だが、死なさんように風を調整するか⋯⋯」
能力増幅機が装着されている右手を突き上げて照準を、未だに上空を舞っている少女に合わせていく。
そして目を細めて、意識を集中して、その右手をゆっくりと振り下ろすようにする。
「っ!!うわぁぁぁっっ〜〜〜!」
風は少女の背中に直撃して、旋回するように森の奥へと落ちていく。
「坊ちゃん。下手ですねぇ⋯⋯」
朔を抱き抱えている吉野が残念そうに口にして、それを一瞥する男は苦い顔をする。
本人もまさか森の奥に行ってしまうとは思ってもおらず、目元を震わせてしまう。
「喧しいぞ。吉野。まだ、調整が完璧では無いだけだ」
男はそのまま、言い訳をしながら森の奥へと入ろうとする。
『アァァァァァァァァァァァァッッッ〜〜〜』
「なに?!」
男のすぐ隣にあった電柱だった物が弾け飛び、破片が男へと向かう。
それを素早い拳による乱打で弾き、顔付近に飛んで来る破片はギリギリながらも躱していく。
怒気が籠った慟哭の主を見る。
道路の真ん中で佇むそれは先程、男が吹き飛ばした筈の女であり、歯を剥き出しにして腕は奇妙な開かれ方をしていた。
開かれたまま力を込めて、腕を抱き締めてやると言わんばかりに横へと伸ばす。
男の警戒の鐘が高鳴り、吉野を一瞥した。それが退避の判断だと理解した吉野は急ぎ傷付いた車の助手席に少年を乗せて、運転席へと乗り込んだ。
「坊ちゃん!」
「構うな!吉野、先に戻れッ」
「⋯⋯畏まりました」
バックミラー越しに映る男の言葉と胆力を信じて、吉野は車を走らせた。
それを追い掛けようとする女を当たり前のように静止を掛けて、構える男の拳は強く握られる。
「『遺物』が⋯⋯とっとと塵になれ!」
『ナガッァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!』
「ッッ!?」
身体が一気に浮き上がった。その感覚がした男は脚に力を込めるが、すぐにそれは間違いだと判断し焦った。
「ッ!チッ!イカれ過ぎたか!突然変異ッ!!」
声を張り、最大級の侮辱を口にする男に余裕は消え去り、辺りを見回した。
地面が浮いている。半径四十メートルの円状にくり抜かれるようにしてアスファルトも泥濘んだ地面も草木も等しく、範囲内のもの全てが対象であった。
そして、高速で駆け昇るエレベーターのように上昇していく。
身体に負荷が一気に掛かる。急加速による急上昇によって発生した重力が身体を硬直させて、呼吸を僅かに忘れさせてしまうである。
「ッッッ!!!この勢いッ!!させるかァァァァア!!」
男と女の距離は五十メートル程。その距離を男は一気に駆け出して距離を詰めて、重い一撃をぶつけてやろうとする。
しかし、女がそれを漫然と待っているほど律儀などではない。
浮かした木々が地面から離れ始めていき、純木製の鋭利で尖ったそれは根も枝も樹も形を変化させていき、槍、或いは矢のように七個分の武器を調達し、穿った。
女はそれを不敵になる訳でも、油断する訳でもなく、淡々と、粛々とその作業を左手を少し動かすという動作のみで完遂してしまう。
「くぅ〜〜〜!」
左方向から三本、右方向から四本の投擲武器が降り注がれる。
両方から満遍なく来られても対処は出来ないと経験と勘がそう言わせて、右方向へと身体は動いた。
右利きだからという単調な理由ながらも、右へと舵を切ったその身体は投擲武器よりも速く、俊敏であり、降り注ぐその樹木の武器は男の真横を素通りしていくように回避行動を取る。
正面方向に穿とうとしていた投擲武器が全て背後へと回った瞬間、振り返りと同時に、拳に力を込めて拳を突き出した。
「これしきの事でぇぇ!!!」
猛乱打を投擲武器へ打ち込み、粉々に砕け散っていく木片は男の前のみならず、辺り一帯に音を鳴らして落ちていき、時に女の顔を擦るように飛んで行った。
最後の一本。そう思い、拳を振るおうとした時である。
『ッッウゥゥゥゥ〜〜〜!!!』
「なにっ!?」
あと数発。拳を投擲武器へと打ち込めば、形勢を僅かにでもひっくり返せると、そう思っていた。
けれど女はあろう事か、瞬間移動したように男の背後に現れて、その背を触れる。
「んん!?」
身体の違和感は瞬間的にやって来た。
前触れはあった。けれど、それを止める術を知らない男の身体は変化を顕していく。
身体は熱くなっていた。高温による熱が身体の水分を沸騰させていく感覚と腕と脚のみならず内蔵が炙られるような気持ち悪さが口から漏れ出そうになる。
「ッッ?!がぁぁぁぁ!!!」
残り数十センチとなった投擲武器を無理矢理掴んで、背後に居る女へ目掛けて振るう。
空気を豪快に裂くような痛快な音が鳴り響き、女はその攻撃をモロに顔面へと叩き付けられた。
悲鳴は無く、叩き付けられた箇所を擦るような動作も取らずに、倒れた身体をなんて事のないように立ち上がらせてる。
やがて、浮いた地面は動きを静止させた。
『⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯死ね』
地面は全て砕け散った。粉微塵と化した足場とそれに抵抗も虚しく落下していく男の肺を圧迫させていった。
超念動力が地面を全て崩壊させたのだと、男理解が及んだのはそんな時であった。
熱は体内に広がっていき、やがて燃え始める。
「パッ、パイロ⋯⋯キネシスッッ!!」
超発火能力。
触れてからのラグはあるものの、やれる芸当が多すぎる女は足場が崩れてなお直立不動のまま、衣服が風で靡く様子もなく、男を見下ろす。
身体の内部を突き破るように口の中、眼球、血管から毛穴までに至るまで、炎が吹き荒み、落下による風当たりの抵抗はほぼ無意味である。
「ッッッ〜〜〜〜〜!!!」
『死ね。死ね。死ね。死ね。お前達は皆死ぬべきだ。誰でもない。私が、私がッ!私がッ!!!そう決めたァァァァ!』
「呪われた女めぇぇぇぇぇ!!!」
あらん限りに、酷く焼かれる激痛に耐えるように叫び声を上げる男は未だ見下ろす女を見下す。
だが、どんなに叫ぼうと、女の勝利は揺るがない。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
上空三百メートルからの急落下。
パラシュートもなければ、急いで駆け付けてくれる応援もない。
身体は落下速度の上昇と発火能力により、痛み苦しみだしていく。
「俺は、死ねなァァァァァァァァァイ!!!」
パン!と音が夜闇に鳴った。
男は忽然と上空から消え去り、女は不審がり辺りを直立のまま見渡す。
『ん!?⋯⋯⋯⋯?ん?』
やがて大地に女が着地した。全く受け身を取る様子もなく、平然と当たり前のように立ったまま、地面にヒビすら入れずに。
女は異変を感じて、辺りを再度見渡した。
けれど、何も無い。誰も居ない。
背後から左右、前方に上空と全てを眺めるように、注視しても何も無い。
『⋯⋯⋯⋯⋯ん!』
それは忽然と現れた。男が。
「⋯⋯⋯」
女はその男を見て、冷や汗をかいた。
ごく普通の何処にでも居そうなその男は黒のジャケットを羽織り、女のすぐ真横に知らぬ間に居たのだ。
先程まで誰も居なかった筈だというのに。
その男が鼻で笑い、すぐ森の方へと背中を見せて行く。
『危険な存在』と女は瞬時に判断した。
何がそう思わせたのかは理解出来ず、本能性と直感による働き掛けが大きいのだろう。
けれど、その男の側へと移動しようとは思えず、硬直して固まるのみで、女は何もしない。
「良いのか、襲わなくて?怖いんだろ?」
一瞥もしないその男は語り掛けてくる。
口は開きたくても表情筋が頬骨や顎の骨、歯に至るまで何かに固められたように微動だにしなくなっていた。
それが今まで起きた事のない不思議な感覚にして不穏な体験であり、女は焦燥感を滲ませていく。
「⋯⋯そうか。じゃあな」
そういうとポケットに手を突っ込んで、鼻歌を奏ながら去って行く。
完全に姿が見えなくなってから、数分。
その間、女は動く事はおろか、視線一つとして、変える事は無かった。
一方、発火能力により、燃えてしまった男は川の底に打ち付けられてしまい、絶命寸前である。
瞬間的に落とされたとはいえ、勢いは残ったままであり、落下による水面衝突は身体に大きなダメージを負わせていた。
幸い、川の中からはすぐに脱出したものの、ずぶ濡れに戦闘でのダメージの蓄積が祟って動けずにいるのだ。
大群の石ころに這いつくばるようにして脈が弱くなっていく中、男は涙した。
「⋯⋯⋯⋯ッ〜〜。くぅぅ⋯⋯負けたのか⋯⋯」
悔しさが滲み出てしまい、歯を食いしばろうにも力が入らない。
脚も腕も動かせず、僅かに目玉を動かせる程度のもので、肺の圧迫感は依然として続いている。
内蔵の殆どが爛れてしまっているのだと思考してしまった自身を恥てしまうも、もう遅い。
発火能力自体は収まっても、内部からのダメージは防ぎようはなく、触れられて確かに身体は燃えたのだと、動かせない腕を見て理解した。
「よく死んでなかったな⋯⋯。いやぁ〜、良かった、良かった。無駄な浪費は避けれたな」
自身よりも若い男の声がする。
その若い男の声を聞くと自然と屈辱の念がせり上がって来てしまい、嫌悪感を露わにしだした。
「⋯⋯あさ⋯⋯くら」
「よっ!お久しぶり」
最悪だ。そう感じてならない。
既に女の実力により敗北を喫した後に、追い打ちのようにやって来たその男に対して屈辱を感じてならなったのだ。
軽く挨拶をした男はしゃがんだ後に少し考え込む。
殺意が一切ない事に動揺すらしてしまい、目の前にやって来た男の意図を聞こうとしたとき、余裕綽々な男は口を開いた。
「条件を飲んでくれたら、助けてやるぞ?どうする?」
「なん、だと?」
不快感が更に膨れ上がる男は、顰めっ面をするも、それを意に介さないように言葉を続けた。
「お前が捕らえようとしている女の子を一度だけでいい見逃せ。それが条件だ」
「ふざっ、ける、な!あの子は、俺達⋯⋯の」
「どの道、これから探しても見つからない。だからこそ有意義に時間を使えって言ってんだ。早くしないと死ぬぞ?」
身体は如実に体力を奪い、身体を低温の底へと誘おうとする。
紫色になっていく唇を噛み締める力も残っていない男は苦悩する。
苦渋を舐めさせられた男の提案を鵜呑みにするか、我を通して死ぬか。
「わかった⋯⋯」
「承ったぞ?」
脚が踏み込まれて、薄緑の光が溢れていき、男の身体を包み込む。そして、瞬きの間に身体が一気に軽くなり、起き上がろうとする。
「まったく⋯⋯、鳩羽っちは相変わらず弱いなぁ〜」
「埒外の貴様らと一緒にするな⋯⋯。俺は人なんだ」
「そんなボロボロの服装で森をこれから練り歩く奴に言われたくないんだよなぁ〜」
鳩羽の格好は焼けた服が中途半端に着られた状態であり、穴だらけに焼き焦げに千切れた服とズボン。
高級感は微塵もなく、見窄らしい格好としか言いようが無かった。
「⋯⋯⋯⋯」
鳩羽は朝倉に服の修復を頼むのと引き換えに、ある条件を追加させられた。それを呑んだ鳩羽は苦い顔を浮かべながら、林を抜けていく。
朝日が昇り、鳩羽の身体を照らし、熱を感じた。
不快感がない、太陽の輝きを目を細めて眺めた鳩羽は振り返る事をしなかった。




