30 お茶会で
柔らかな陽光が差し込むサロンには、甘い紅茶の香りと、控えめな笑い声が満ちていた。
けれど、その空気の奥には、どこか鋭いものが混じっている。
「ねえ、皆様。先日の夜会のこと、どう思いまして?」
ひとりの令嬢がティーカップを静かに置き、声を落として言った。
その仕草だけで、場の全員が一斉に反応する。
待っていた、というように。
「ええ、もちろんですわ。ミネルバ様のことでしょう?」
別の令嬢がすぐに口を開く。
その瞳は、興味と愉悦にわずかに揺れていた。
「避暑地での園遊会で拝見して存じ上げてましたけれど……やはり、アレクサンダー様がお選びになったドレスは格別でしたわね」
「本当に。あの方、本来あれほどお美しいのですもの。ようやく、それが表に出たという感じですわ」
くすり、と小さな笑いがこぼれる。
だが、その次の瞬間。
空気が、ほんの少しだけ冷えた。
「……でも、そうなると気になるのは」
一人が、カップの縁を指でなぞりながら言う。
「それまで、ですわよね」
その言葉に、誰もすぐには答えなかった。
一瞬の沈黙。
全員の頭の中に浮かんでいるのは、同じ光景だった。
壁際に立ち、視線を落とし、重く沈んだ色のドレスに包まれていたミネルバの姿。
「……あの方のドレス、どこの仕立て屋のものかご存知?」
静かに、しかし確実に話題が核心へと向かう。
「それが、スペード伯爵夫人の行きつけの店らしいのです」
別の令嬢が答える。
「フローラ様は、いつもおっしゃっていましたでしょう? 『お姉様は地味なものがお好きだから』と」
その言葉に、何人かがうなずく。
けれど、そのうなずきは同意ではなく――確認だった。
「でも、おかしいと思いませんこと?」
別の令嬢が、わずかに身を乗り出す。
「クリフォード様たちが夜会でおっしゃっていたそうですの。『仕立て屋の趣味が悪かったんじゃないか』と」
「まぁ」
小さな笑いが広がる。
「殿方らしい感想ですわね」
「ええ、本当に。可愛らしいほどに浅いですわ」
くすくすと笑いが続く。
そして。
ひとりの令嬢が、ふっと笑みを消した。
「……仕立て屋の趣味、ですって?」
その声は、先ほどまでの柔らかさとはまったく違っていた。
冷たい。
「いいえ。それは違いますわ」
全員の視線が、その令嬢に集まる。
彼女はカップを持ち上げることもなく、ただ静かに言葉を落とした。
「問題は、仕立て屋ではなく――注文主の意思です」
ぴたり、と空気が止まる。
誰も口を挟まない。
「スペード家は」
彼女はゆっくりと言葉を区切る。
「長女には、あのような装いをさせ続けていた」
「けれど、次女には最高級のものを与えていた」
言い切った瞬間、誰かが小さく息をのんだ。
「それが事実であるなら」
彼女は視線をゆっくりと巡らせる。
「……あの家は、社交界の常識を履き違えているどころではありませんわね」
重い沈黙。
しかし、それは一瞬で崩れる。
「本当ですわ」
別の令嬢が、はっきりと頷いた。
「今思えば、不自然でしたもの。あれほど美しい方が、あのような姿で放置されていたなんて」
「しかも今は、アレクサンダー様が後ろ盾にいらっしゃるのでしょう?」
「ええ、それにガーベラ伯母様まで」
「もう、隠し通せるはずがありませんわね」
次々と、言葉が重なっていく。
それは噂ではない。
確信に変わった声だった。
「……では、フローラ様は」
誰かが、ためらいがちに名を口にする。
その瞬間。
空気が、明確に変わった。
先ほどまでの華やかさが、完全に消える。
「フローラ・スペード様、ですか」
冷ややかな声が返る。
「ええ、そうですわね」
「……もう、その名を聞いても、何も感じませんわ」
「むしろ」
別の令嬢が、わずかに眉をひそめた。
「見苦しい、とすら思いますわね」
その言葉に、誰も否定しない。
かつては。
誰よりも羨望の的であり、中心にいた存在。
その名前が、今は――
まるで汚れたもののように扱われている。
ティーカップが静かに置かれる音が、やけに大きく響いた。
「もう、誰も騙されませんわ」
誰かが、はっきりと言った。
その言葉に、全員がうなずく。
その動きは揃っていて、迷いがない。
サロンの華やかな光の中で。
スペード家の名声は、まるで薄く貼られた金箔のように。
音もなく、しかし確実に剥がれ落ちていった。
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