17 忘れられた支配者
戦いの後、タコスとテルは戦後処理に大わらわであった。
まず、食料が足りていない。それはもう決定的に。
元々戦いに出られる状態ではなかったのだ。サイガンドとタロスが攻めてきたために仕方なしに応戦したのだが、そのせいで最後の備蓄もなくなってしまった。
「これはいよいよムジナにきてもらわなきゃいけないかもな」
ポリフェルの執務室で頭を抱えるタコスは書類とにらめっこしていた。今見ているのは戦いでボロボロになってしまった薄い民への補償であった。タコス軍を騙ったゲールラに襲われており補償をしてやらないとこれから先、力を貸してくれなくなる可能性がある。
そもそも、薄い民には色々とよくしてもらっているのだ。向こうがいらないと言っても何か返してやらなければいけないだろう。
わかりやすいのは食料だったり、使えるかどうかわからないが貨幣である。
しかし、無い袖は触れない。ではどうするのか。
「戦勝国が負けた国に賠償請求するのは普通のことだと思うんだが」
「だからと言ってこの額はなかなかだな。まあ、迷惑はかけた。借りは返す」
テルはオームに請求書を渡した。一応今回の戦争でビゼンと戦う時の責任者としていてもらった恩があるから、その分請求は安くしてある。だが、請求額はそれでも少なくは無い。
それに即答するオームがすごいのか、サイガンドが豊かなのか。
オームはしばらくサイガンドで戦後処理があるのだろう。もちろん反乱を考えるとオームをサイガンドに居させるのも怖いのだが、慣れた方がやりやすいというオームに、金銭的余裕のないタコス軍は頷かざるを得なかった。
戦争以外、オームは本当に優秀なのである。
次に国防である。
アーラウト、カララト、サイガンドはほかの海域に繋がってないので安全と言えるのだが、問題はタロスである。
タロスは隣のナラエゴニヤとも繋がっており攻めて来られればひとたまりもない。
一応砦はあるらしいのだがタコス軍の最前線となった今、砦の強化が急務であった。
「とは言えども金がない。何より人員がいない」
タコスがまたもや頭を抱える。今回の戦いでも砦の有用性は実証された。いざという時の食糧貯蔵庫としても、敵の軍隊を止めるための防波堤としても。
だが、大工も石工も足りない。時間をかけて食料も貯蔵していくしかない。
そもそもタロスはビゼンが非戦闘員まで戦争に参加させていたせいで、経済活動が壊滅的となっている。下手をすると明日食べる食料すら困る有様である。
それを恐怖で支配していたビゼンは、なるほど確かに合理的だったと言える。
「しかし、恐怖で締め付けては根本解決になりません」
一二三がそう言ってビゼンを否定する。短期的では恐怖で支配できても長期的には不可能だ。砂浜でも何かできれば問題ないのだが。岩などをいくつか試験的にサイガンドからタロスに持っていくことも考えられているが、人員が決定的に不足している。
一応食料はサイガンドからタロスへ優先的に送ってもらっているので餓死は防げるだろうと思われる。あとは長期的に対策を取るしかない。
書類に物理的に埋もれて混乱しているポリフェルの執務室をスイカが訪れた。何をやるにも張り合いが起きず戦争の間中、ポリフェル城の自室でこもっていたのだ。
タコスを思い出すと胸の中がもやもやとするのをスイカは自覚していた。しかし、その感情の名前がよくはわからず、結局はもやもやと付き合って過ごすこととなった。
その間にオームは帰っていった。一時はお付きのマコも血カビに感染して大変だったらしいがポリフェルを出るときには元気になっており、サイガンドへと帰っていった。
大変そうな空気を感じてスイカはポリフェルの執務室にきたのだった。空気が読める女であった。
「おい、軍備関連の緊急書類なのにサインが書いてない状態でこっちに回ってきてたぞ!!」
「不備があるんだ! 書類作成者につっかえしてこい!! 今手が離せないから、頼んだ!!」
忙しそうな言葉が響いており執務室の中に入るのは気が引けた。そこにはスイカの居場所はもうないような気がしたからだった。半月ほど前まではその場所でスイカも同じように忙しそうにしていたにもかかわらず、だ。
(何をやっているんだろうか、妾は)
ふとさみしくなって部屋に帰ろうとしていたスイカだったが、不意に執務室の扉が開く。
「「あ」」
スイカと部屋から出てきた苦内の声が重なった。部屋の前でうろついていたスイカは別に悪くもないのに、不思議とバツが悪くて言葉が出て来ない。
そんなスイカを見て、苦内はそっとスイカの手を引いて執務室に案内した。スイカも手を引かれるままについていく。
そこには書類の山に物理的に埋もれているタコスがいた。
頭から熱を出しながらも書類と格闘しているタコスの前にスイカを置き去りにすると苦内は影の中に沈んでしまった。おそらく書類でも持っていくのだろう。
1人取り残されたスイカはなんと声をかければいいのかわからずに黙りこくってしまう。真剣に書類を検討しているタコスは今まで見たこともない顔で、スイカは不思議と見とれていた。
スイカと同じ金色の瞳が文字を追いかけている。眉間にしわを作って唸っている。赤い髪をわしゃわしゃとかきむしって書類をにらんでいる。相変わらず目つきは悪かった。
その当たり前の光景がどこか心を掴んで離さない。
きっと慣れない書類仕事をずっと続けていて元々悪い目つきがもっと悪くなったのだろう。疲れているのか艶のあった赤い髪もどこか元気がない。
書いている文字もどこか癖のある文字だった。昔から変わらないどこか斜めになっていく文字も懐かしい。ペンを持つ手もすべすべとしてるが、スイカのものと違い所々骨ばってゴツゴツしている。
あ、
「文字間違えた」
「あ?」
タコスが書類を書いているとき、つい文字の間違いを見つけてしまった。そして口に出ていたようだ。凶悪な目がスイカの目と合う。
その途端、スイカの体が硬直してしまう。今まではなんてことなかったタコスとの面会に心臓が飛び跳ねた。
「んんーーーー……??」
胡散臭そうな目でスイカを見つめるタコスはよく見えないのか椅子ごと体を向けてじっくりとスイカを見た。その目がスイカの顔を重点的に確認していく。
タコスは何を言うのだろうか。
ずっと寝てばかりだったから髪がボサボサのことをいうのだろうか。だったら同じくぼさぼさのタコスに言われる筋合いはなかった。
それとも今までサボっていたことを怒られるのだろうか。しかし、いままで声をかけて来なかったタコスにも責任がある。
そんなことを考えながら何を言われるのかドキドキしながら待っているスイカに、ようやくタコスは口を開いた。
「ん? なんでスイカがここにいるんだ?」
それはスイカにとって衝撃的であった。
色々考えていた内容が真っ白になって、逆に何も考えられなくなった。自分は色々と考えていて
色々悩んで、それでも出会えば文句の1つでも言ってやろうとか、また喧嘩になるんだろうとか、考えていた。
それが全て真っ白になった。
力が抜けて立てない。膝から力が抜けて正座のような形でストン、と座り込んでしまった。
タコスの頭の中にはスイカはいなかったのだ。それは文句を言われるよりも、殴られるよりも、嫌われるよりも辛いことであった。
「う、う」
だめだ。
スイカははっきりと悟った。理性を総動員してもきっと涙が流れてしまう。
「うわああぁぁぁあぁっぁぁあーーーーーー!!!!!!!」
スイカは盛大に泣いた。
水中なので涙は決して見えはしないが、きっと泣いているに違いなかった。相手が全く意識していないことが悲しくて悲しくて仕方がなかったのだ。
そんなスイカの突然の号泣に、タコスが大いに慌てた。
「お、おいおい。一体どうしたってんだ」
椅子から立ち上がり困ったように手を前に出したタコスだったが、どうしようもなくて手を下ろしてしまう。どうしたと聞かれてもスイカも困ってしまう。スイカ自身も自分の感情を把握していないのだから。
だけど、いない扱いが悲しいことだけははっきりとわかっていた。
「うああああああああああ!!!!!!っっあああああああああ!!!!!」
スイカは未だに大声で叫んでいた。
どうしたどうしたと集まってくるテルや一二三たちにタコスは助けてくれとジェスチャーするが、テルたちにもどうこうすることもできずに困ってしまう。
タコスもほとほと困っていたが、腕を組んでうーんと考え込む。
そのあと、そっぽを向いて小さく呟く。
「………………わ、わるかったな」
「っっっっ………!!!!!」
大声で泣き喚いていたスイカが驚いて泣き止んだ。タコスが謝るというのはそれくらい珍しい事だったようだ。
「正直お前がなんでいきなり泣き喚いたのか全然わからん。だが、何かがお前を傷つけたんだろう。だから、……わるかったな」
やけに最後の部分が小さかったが、それがタコスの精一杯なのだろう。スイカは幾分か落ち着いた頭で、やり返した。
「何が悪いのかもわからんのに謝るのか? それで本当に謝ったことになるのか?」
「それを言われるときついが…」
タコスはそこで偉そうに胸を張ってスイカを見降ろして言った。
「泣き止んだんだから、俺様はそれでいい」
自信満々な態度のタコスから何がいいのかさっぱり伝らなかったので、スイカの怒りはあっという間に沸点に達した。
「このスカタコが!! 偉そうにしおってからに!!」
「じゃあ、なんであんなに泣いてたんだよ!!!」
そういって少し拗ねた顔のタコスに、スイカを心配している気配があった。それを感じて、なんだか喧嘩の最中だというのに嬉しくなった。嬉しくなった瞬間を感じ取ってしまった。
(はぁ、これは最悪じゃ)
頭が痛くなる案件である。タコスは人の感情を逆なでする達人で、スイカにとって不倶戴天の敵である。ニヤニヤ笑うのも品がなくて嫌いだ。乱暴な態度で何度スイカが悲しい思いをしたのか。
だが、知ってしまった事からは目が離せない。現実逃避は愚か者のする事である。物事は認めたくないものを認めない間も、非常にも時間が立って取り返しのつかない事態になってしまうものである。
そんな愚か者にスイカはなりたくなかった。
まあ、つまりのところ。
「妾がおぬしを好きなのにおぬしが妾を放っておくからじゃ、このスカタコス!!!」
思いっきり言ってやったのだった。
あっけにとられるタコスにスイカも後に引けない。腰に手を当てて金色の瞳が睨んでくる。まるでどこぞのタコスのような極悪な目つきだった。
かたや言われたタコスはいつものふてぶてしい目つきはどこへ言ったのやら、随分と情けない感じでスイカの後ろからのぞいていたテルと一二三を見る。
(助けてくれ!!)
タコスの目で言葉を伝える試みはうまく言ったようだ。
((無理です))
テルにはイワシ魚人特有である共感能力の受信が欠落しているにもかかわらず、2人して同時に首を横に降るとそっと退室していった。助けは完全に立たれてしまったのだった。
スイカは椅子から立ち上がっていたタコスに詰め寄る。ほんの少しだけスイカの方が身長が低いので下から睨見上げてくる。
「で!?」
「で?」
スイカの剣幕におうむ返しで答えてしまうタコス。押されるように椅子の上に座ってしまったタコスに、椅子の手すりを掴んで逃げないようにして詰め寄るスイカ。
「で、どうするのかと聞いとるんじゃ!!」
スイカの言葉で質問の意味を知る。つまり先ほどの告白に対する返事をよこせという事だろう。質問を理解したタコスはスイカをじっと見つめる。
顔は茹でられたように真っ赤になっている。金色の瞳が、不安なのだろう小刻みに左右に揺れていた。長い睫毛がそれに応じるように震えていた。
それを不覚にも可愛いと思ってしまったタコスがいた。小動物的な可愛らしさとは少し違う昔馴染みの見たことのない真剣さに愛らしいと思ったのだ。
スイカの中の不安を見たからか、自分の感情にケリをつけたからかタコスに冷静さが戻ってきていた。そして、スイカに自然と追い詰められる形となっている自分に苦笑をするタコス。
「な、なんじゃ? なにがおかしい!!」
「ああ、いや、これは自分にだ。ああ、返事だったな」
「ぅ!!! ………………」
すぐ間近に迫っていたスイカのアゴを手で掴むとタコスは唇を重ねた。
お互いに静かにキスを交わしていたが、少しすると慌てたようにばっと顔を離すスイカ。
「こ、これからは妾のことを忘れられん用にしてやるからな!! 覚えておけ!!」
「ふん。せいぜい頑張ることだな」
真っ赤になって部屋を出て行くスイカを、椅子に座って意地悪くニヤニヤと見送るタコスであった。
一悶着終わってとなりの部屋に避難していたテルと一二三は、顔を真っ赤にして出て行くスイカを見送っていた。
「あんなに窮地に陥っていたのに、最終的には余裕を持って迎撃しましたね」
「俺の雇い主やばいな。すっごく手馴れてる感があったわ」
一二三はその手腕に、テルはその口説きっぷりに戦慄していた。
「私はこんな職業ですのであまり結婚とかは考えたことはありませんが、兄さんはどうなんですか」
「おれもあまり考えたことがないな。女性との接点もないし」
「え?」
「え?」
テルが言うと一二三に返されて戸惑った。むしろテルに女性との接点などはない。仕事場である執務室ではほとんどこもりっきりであるし、あと話すといえば兄弟姉妹だけである。
唯一兄弟でない女性はノエとフーカであるが、
ノエは年齢的にはテルより年上だが、身長差がありすぎてアウトな気がする。
フーカは身長はむしろテルより高いが年齢は満1歳にも満たしていない。
それ以前にノエもフーカも家族である。家族にそんな気を起こしていいのは二次元だけでいい。リアルな世界では流石に問題がありすぎてテルの精神が受け付けないのである。
「………こんなに身近にいるんスけどねぇ……」
口の中でノエが何かつぶやいているが、あまりにも小さすぎてテルには聞こえなかった。
「しかし、あれですね、あそこまで行くと凄まじいものがあります」
「あれこそが天然のジゴロってやつなんだろうな」
納得して頷いていると部屋の扉が開いて兄弟のイワシ魚人が顔を見せた。
「呼びました?」
「いや、お前じゃない」
「そうですか」と去っていったのはテルの兄弟である456ジゴロである。そんな名前の彼だがべつに女性に対して手が早いとか女性にモテるとかいったことはない。いたって真面目な男であるのだ。




