焔の少女の噂
その噂は、風の国から海を越え山を越え、やがて王都の石畳にまで届いた。
「焔の少女がいるらしい。マッチ一本でサラマンダーを呼ぶと」
「水の少女もいる。井戸水からウンディーネを出したと」
「風の少女が真空からシルフィードを」
「大地の少女が純鉄からノームを」
噂は尾ひれをつけて広がった。四人の少女が手を組めば、四大精霊を一度に召喚できるのではないか。そんな荒唐無稽な期待まで囁かれた。
そして、その噂を最も熱心に追ったのが、火の教会だった。
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精霊教の教えは、本来単純なものだった。
四大精霊——火のサラマンダー、水のウンディーネ、風のシルフィード、大地のノーム——を崇める。そしてその上位にある至高の光と闇の精霊を讃える。それだけだった。教典にはこうあった。
*「精霊は呼ぶものではない。訪れるものなり。されば己を清め、媒を整え、ただ待て」*
永い時の中で、その教えは歪んだ。
まず、宗派が生まれた。火を崇める者が集まり、水を崇める者が分かれ風と大地もそれぞれの道を歩んだ。いつしかそれぞれの宗派は「我らの精霊こそが至高に最も近い」と主張し合い、やがて精霊そのものを「所有」しようとする者たちが現れた。
次に、術が失われた。媒を整え己を清め、ただ待つ——その精神的な営みは、代を経るごとに形骸化した。祈祷の言葉だけが残り、媒の作り方は忘れられた。誰もサラマンダーを、ウンディーネを、シルフィードを、ノームを見なくなった。教会の僧たちは精霊を「信仰の対象」として説教したが、その実一度も精霊に会ったことがなかった。
そして、手段を選ばぬ者たちが現れた。
「他の教会より先に精霊を手に入れよ」
その号令のもと各宗派は怪しげな組織を作った。古い魔導書を漁り、禁じられた召喚術を蒐集し精霊の媒になりそうなものを片端から集めた。純水を創ろうとして失敗した者、真空を作ろうとして窒息した者、純鉄を打とうとして炉に倒れた者——そうした犠牲者の話は、教会の奥深くに封じられた。
火の教会も、その一つだった。
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マリィがグレタを見送った三日後、村に馬車が着いた。
黒い塗装に、炎を象った紋章。火の教会の者だった。
降りてきたのは、赤い法衣をまとった初老の男と、その後に従う若い僧侶が三人。男はマリィの家の前で立ち止まり、慇懃に頭を下げた。
「焔の少女、マリィ殿。私は火の教会の司祭、オルド。貴女の噂を聞きはるばる王都から参りました」
マリィは戸口に立ったままその男を見た。赤い法衣。炎の紋章。けれどその目には、炎の色がなかった。あるのは渇望だけだった。
「何の用ですか」
「貴女を、教会にお招きしたい。貴女の術は、失われた精霊召喚の術。それを教会に伝えていただければ、我らは貴女を聖女として遇しましょう。莫大な褒賞も用意いたします」
マリィは首を振った。
「私は何も特別なことはしていません。ただ、マッチを擦っただけです。術なんて、教えられません」
オルドの目が、わずかに細まった。
「ご謙遜を。しかし、貴女がサラマンダーを召喚したのは事実。教会には、その術が必要なのです。何しろ——」
彼は声を落とした。
「水の教会も、風の教会も、大地の教会もすでに動いております。それぞれが、精霊の召喚者を探している。もし他の宗派が先に精霊を手に入れれば、火の教会は……いえ、これは余計なことでした」
マリィはその「余計なこと」の意味を、正確に理解した。火の教会は他の教会に遅れを取ることを恐れている。精霊を「手に入れる」ために、少女を「招く」と言っている。招くという言葉の裏に、何があるのか。
「お断りします」
マリィは言った。掌の火傷の痕を、そっと握りしめて。
「私は、誰かのために精霊を呼んだことはあっても、教会のために呼んだことはありません。サラマンダーは、私の友達です。道具じゃありません」
オルドの顔から、笑みが消えた。
「……残念です。しかし、貴女のような方が野放しになっていると、他の宗派が黙っていないでしょう。特に水の教会は、手段を選ばぬことで知られている。貴女の友人、シルヴィ殿もすでに狙われているかもしれません」
マリィの肩が、わずかに震えた。
「脅しているんですか」
「忠告です。教会の庇護下に入れば、貴女もご友人も安全です。……三日後、また参ります。それまでにお考えください」
馬車は去った。黒い轍を残して。
精霊教の教えは単純だ。四大精霊を崇める。そして、至高の光と闇の精霊を讃える。
けれど、永い時の中で教えは歪み、それぞれの精霊を崇める宗派がうまれた。そして、精霊を呼び出す術も失われ、教会はひそれを求めて怪しげな組織まで作る教会はも現れた。手段を選ばず、他の教会より先に精霊を手に入れるため。火の教会もその一つだ。




