風のようにやって来て
三人目は、音もなく現れた。
マリィが井戸端でマッチを擦っていると、ふいに風が止んだ。いや風だけではない。鳥の声も、木の葉のざわめきも遠くの川のせせらぎさえも、ふっと消えた。まるで世界が息を止めたような、そんな静寂だった。
その静寂の中に、少女は立っていた。
灰色の髪を短く切り、色の抜け落ちたような瞳をしていた。着ているものは継ぎ接ぎだらけの旅装で、肩に古びた鞴を提げていた。
「あなたが、焔の少女?」
声は乾いていた。水気のない、砂漠の風のような声だった。
「焔の少女って呼ばれることもあるけど」
「私はフィーナ。風の国から来た。……シルヴィに聞いた。あなたが、精霊の呼び方を知っているって」
マリィはマッチの炎を揺らした。炎の中の蜥蜴が、じっとフィーナを見ていた。
「風の精霊、シルフィードを呼びたいの?」
フィーナは頷いた。それから鞴を下ろして、その取っ手を握った。
「私の国では、もう一年も風が吹いていない。空気が澱んで、息をするたびに胸が痛い。子どもは咳き込み、老人は眠ったまま起きない。風車は止まり、帆船は港に座り込んでいる。……シルフィードに、風を乞うしかない」
「条件は?」
「風、つまり空気をすべて無くすこと。真空を作り出し、それを維持する。そして魔力を一切残さないこと」
フィーナは鞴を一度、きゅっと握った。
「真空を作るだけなら、私にもできる。鞴で空気を押し出せばいい。でも、そのあとが問題よ。空気を抜いた瞬間に、外から空気が流れ込んでくる。それを魔力で塞ぎ止める。でも、魔力を残してはいけない。……魔力で塞いだら、その魔力が媒体になってシルフィードは来ない」
彼女は顔を上げた。その瞳には、涙のかけらもなかった。ただ乾いた決意だけがあった。
「私は、魔力を抜く方法がわからない。あなたは、炎から魔力を抜いたのでしょう? どうやったの?」
マリィはしばらく黙って、それからマッチの火をじっと見つめた。
「抜いたんじゃないの。燃やしたの。全部、炎にあげたの。……でも、風は燃やせないね」
「ええ。空気は燃えない。だから、私は塞ぎ止める魔力をどうにかして消さなければならない」
マリィは考えた。炎のときは魔力をすべて炎に変えた。水のときは、蒸留を繰り返して純粋にしてから、最後の魔力の糸を切った。では、風は?
「フィーナ。あなたは、空気を抜いたあと魔力で穴を塞ぐって言ったわね。じゃあ、その穴を魔力じゃないもので塞げばいいんじゃない?」
「魔力じゃないもの?」
「うん。たとえば……水」
マリィは立ち上がった。井戸から水を汲み、鍋に張った。それから焚き火のそばに鍋をかけた。
「水を沸騰させると、湯気が出る。湯気は水が気体になったもの。それが鍋の中の空気を押し出す。そして、湯気を冷やして水に戻せば中には何も残らない。空気も、魔力も」
フィーナは目を見開いた。
「蒸気で、空気を追い出す……」
「そう。あなたの鞴で空気を抜く代わりに、蒸気で満たしてそれを冷やして水に戻すの。そうすれば、魔力を使わなくても真空ができる。……ただし、冷やすときも魔力を使っちゃだめよ。自然に冷えるのを待つの」
フィーナは鍋の中の水を見つめた。まだ温かいだけの、ただの井戸水。それが沸騰し湯気となり、また水に戻る。その単純な循環の中に、彼女は何かを見出そうとしていた。
「でも……冷めるのを待つ間、外から空気が入ってきたら?」
「だから、蓋をするの。蒸気で満たした状態で、しっかりと。魔力じゃなくて物理的に」
マリィは鍋の上に木の蓋を置いた。隙間から湯気が漏れる。
「完璧な密閉は難しい。でも、あなたの国にはきっと良い職人がいるでしょう? 陶器でも、金属でもぴったりと合う蓋を作れる人が」
フィーナは唇を噛んだ。それから、ゆっくりと頷いた。
「……試す価値はある。でも、もし失敗したら?」
「そのときは、またやり直せばいい。私は三百本のマッチを無駄にしたわ。でも、そのおかげでサラマンダーが来てくれた」
マリィは火傷の痕のある掌を差し出した。フィーナはその掌を見て、それから自分の鞴を握った。
・風の精霊償還
風、つまり空気を全て無くすることでシルフィードの召喚が可能となる。
真空状態を作り出し維持することは難しく、空気を排出したあとに魔力を全く残さないのさらに難しい。




