ウンディーネ召喚
シルヴィは村はずれの井戸端で、毎晩水を創った。
掌の上に、ぽっかりと水の球が浮かぶ。透き通り、夕日の色を映してきらきらと揺れる。けれどマリィがそっと指を近づけると、ちり、と微かな熱を感じた。
「まだ、魔力が残ってる」
マリィが言うと、シルヴィは唇を噛んだ。
「わかってる。でも、抜くと崩れるの。形を保つには、どうしても芯が要る」
「芯を抜いたら、水は水でいられないって?」
「……そう思ってた」
マリィはマッチを一本擦った。小さな炎が、湿った夜気の中で揺れる。炎の中の蜥蜴が、じっとシルヴィの水を見ていた。
「私ね、思うんだ。炎も水も精霊は形じゃなくて、その奥を見てる。混じり気がないか、魔力が残ってないか。だから芯を抜いて崩れるなら、崩れた水をまた集めればいい。一滴ずつ、純粋な水だけを拾って」
「そんなこと……」
「できるよ。だって、あなたは水の魔法使いでしょう?」
シルヴィは目を閉じた。
それから何度も、何度も試した。水の球を創っては崩し、崩れて床に散った水滴を一つずつ魔力で拾い上げた。拾い上げるたびに、また魔力が混じる。振り出しに戻る。まるで、網で水を掬おうとするような徒労だった。
七夜目、シルヴィは泣いた。
「無理よ。純水を創るだけでも難しいのに、魔力を残さないなんて。私には、あなたみたいな覚悟がない」
マリィは何も言わず、マッチを擦った。炎が灯る。それを見て、シルヴィはふと顔を上げた。
「……あなた、今、魔力を使った?」
「ううん。ただ擦っただけ」
「でも、炎の中に精霊がいる」
「うん。マッチの火でも、サラマンダーは来てくれるの。小さな子だけどね」
シルヴィは炎を見つめた。蜥蜴が尾を巻いて、こちらを見返していた。
「魔力を使わなくても、精霊は来るの?」
「来るよ。だって、炎があるから。精霊は魔力じゃなくて、炎そのものが好きなんだと思う。魔力は、私が炎を大きくするための道具でしかないの。……水も同じじゃないかな。魔力で水を創るんじゃなくて、水そのものを純粋にしてあげれば、ウンディーネは来てくれる」
シルヴィはしばらく黙っていた。それから、水筒の水を掌に注いだ。それは井戸から汲んだ、ただの水だった。魔力で創ったものではない。けれど、井戸の水には土の匂いと微かな鉄の味がした。
「これじゃ、混じり気がありすぎる」
「でも、ここから始められる」
マリィは焚き火のそばに小さな鍋をかけた。シルヴィは井戸水を鍋に注いだ。水が沸騰し湯気が立ち上る。シルヴィはその湯気を魔力で冷やし、水滴に戻した。何度も何度も繰り返した。蒸留。蒸留。蒸留。魔力で創るのではなく、ただ純粋にしていく。最後に彼女は水滴を掌に集め、その中に残ったわずかな魔力を、そっと抜いた。
指先から、糸が切れる感触があった。
掌の上に、水の球が浮かんでいた。それは夕日も、焚き火も月も映さなかった。あまりに純粋すぎて、光を寄せつけないのかもしれなかった。マリィが指を近づけても、ちり、とした熱はない。ただ冷たい。
「できた……」
シルヴィの声が震えた。マリィは頷いた。
「うん。……きれいだね」
その瞬間、水の球が内側から光った。青白い光が、夜の井戸端を満たした。水が膨れ上がり、形を成す。人の背丈ほどもある、流れるような女の姿。髪は水そのもの、瞳は深海の色をしていた。
「よくぞ、我が扉を開いた」
声は、雨音のように静かだった。
「混じり気なき水。魔力の残らぬ水。小さき者よ、お前の願いを聞こう」
シルヴィは涙を拭わなかった。まっすぐにウンディーネを見て、言った。
「私の国に、雨を。干上がった川にもう一度水を」
ウンディーネは微笑んだ。水の指が、シルヴィの頬を撫でた。
「叶えよう。ただし、代償がある。お前の魔力は当分使えなくなる。この水を維持するために、すべてを水に変えたからな」
シルヴィは笑った。マリィの火傷だらけの掌を見て、それから自分の掌を見て。
「構いません。また、水を汲めばいい」
*****
その夜、遠くの国に雨が降った。乾いた大地が水を吸い、枯れた川にせせらぎが戻った。シルヴィは井戸端で朝を迎えた。掌は冷たく、魔力は空っぽだった。でも水筒には井戸の水が満ちていた。
「また、来るね」
シルヴィはそう言って村を発った。マリィはマッチを一本擦って、小さな炎を見送った。炎の中の蜥蜴が、くるりと尾を巻いた。
「またね」
マリィは笑った。炎と水。少女たちの掌には、まだ何も残っていなかった。けれど、その空っぽの掌から今日も何かが生まれる予感がしていた。




