水の少女がやってきた
疫病の夜から三か月が過ぎた頃、マリィの掌の火傷はすっかり塞いだが、魔力はまだ半分も戻っていなかった。それでも彼女は毎朝マッチを擦った。しゅっ、と小さな炎が灯る。その中に指先ほどの蜥蜴が現れ、くるりと尾を巻く。それだけで、彼女は今日も生きているのだと思えた。
村人たちはマリィを「焔の少女」と呼ぶようになった。けれど彼女自身は、自分が特別なことをしたとは思っていなかった。ただ、マッチを擦り続けただけだ。その延長で、たまたま百本三百本と増やし、たまたま魔力をすべて炎に変えた。それだけのことだった。
その少女が村に来たのは、梅雨の晴れ間のことだった。
水色の瞳をしたマリィと同じ歳くらいの娘だった。名前をシルヴィと言った。濡れた髪を風に遊ばせ、粗末な旅装束の肩に真鍮の水筒を二本も提げていた。
「あなたが、サラマンダーを呼んだ人?」
シルヴィはそう言ってまっすぐにマリィを見た。その目には畏れも軽蔑もなく、ただ切実な光があった。
「呼んだっていうか、出てきてくれたっていうか」
「同じよ。高位の精霊が応えたのなら、それは召喚よ」
シルヴィは水筒の一つを下ろし、栓を抜いた。中から澄んだ水がとぷりと音を立ててこぼれる。彼女はそれを掌に受けて、マリィに見せた。
「私はウンディーネを呼びたいの。私の国では、もう半年も雨が降っていない。井戸は干上がり、川は石ころを晒している。水の精霊に雨を乞うしかないの」
「ウンディーネ」
マリィは聞き返した。炎の精霊がいるなら、水の精霊もいる。それは自然なことだった。
「でも、条件があるの」
シルヴィは水を地面に零し、指先で円を描いた。
「混じり気のない、完全な純水を媒体にしなければならない。一滴の不純物も、一滴の魔力も残っていない水。それがウンディーネの扉になる。……魔力で純水を生成するのは、至難の業よ。ましてや魔力を残さないことなんて」
彼女はそこで口をつぐんだ。マリィはその沈黙の重さを、火傷の痕のある掌でそっと受け止めた。
「それで、私に聞きに来たの?」
「ええ。あなたは炎に、魔力を残さなかったのでしょう? だったら、水でも同じことができるはず。どうやったの?」
マリィはしばらく考えた。あの夜のことを思い出していた。納屋の床に並べた三百本のマッチ。掌に集めた熱。そして、すべてを炎に変えた瞬間のあの不思議な軽さ。
「……手放したの」
「手放した?」
「うん。魔力を残さないようにって思うと、つい最後の一滴を握りしめちゃうの。でも、それじゃだめなんだ。全部燃やして、燃やしきってそれでもまだ残ってる魔力があったら、それも燃やす。自分の中に何も残らないくらい、ぜんぶ炎にあげるの。そうしたら、サラマンダーが来てくれた」
シルヴィは眉を寄せた。
「それが難しいのよ。水を生成するとき、私たちはどうしても魔力の糸で水を編む。編み終わったらその糸を切らなきゃいけないのに、切った瞬間に水が崩れるんじゃないかって、怖くて」
「わかる」
マリィは笑った。火傷だらけの掌を差し出して。
「私も最初はそうだった。マッチ十本を同時に擦ろうとして、何度も指を焦がした。炎が怖くて、魔力で押さえつけようとして余計に暴れられた。でもね、炎って押さえつけるものじゃないんだ。手を開いて、任せるものなんだ」
シルヴィはその掌を見つめた。まだらに白く残る火傷の痕。それは失敗の数ではなく、手放してきた数の証だった。
・水の精霊召喚
混じり気のない完全な純水を媒体としてウンディーネの召喚が可能となる。
純水を魔力で生成するのは至難の業で、魔力を残さない事は更に難しい。




