友の助け
その頃、マリィは夢を見ていた。
炎の中に立っていた。サラマンダーが、彼女の前にいた。いつもより大きい。人の背丈ほどもある。
「起きよ、小さき者」
声が、夢の中に直接響いた。
「水の娘が危うい。海の上、白き石の聖堂の影。そなたたちが昏きものと呼ぶ存在が放たれた」
「昏きもの?」
「精霊になりきれなかった哀れな者たち。水の司教が、それを解き放った。水の娘を喰らわんとしている」
マリィは夢の中で立ち上がった。
「シルヴィが、危ないの?」
「ああ。だが、お前一人では間に合うまい。お前の魔力はまだ半分。港までは遠い」
「じゃあ、どうすれば」
サラマンダーは尾を振った。炎が渦を巻いた。
「呼べ。お前が知る者たちを。水の娘を案じる者たちを。風の娘、大地の娘。彼女たちの掌にもお前と同じものがある。空っぽの掌から何かを生み出す力を」
マリィは目を覚ました。
夜明け前だった。彼女は飛び起きて、マッチを擦った。炎の中に蜥蜴が現れる。
「サラマンダー。フィーナとグレタに、伝えて。シルヴィが危ないって」
蜥蜴は尾を巻いて炎の中へ消えた。炎は、風に乗って流れていった。
マリィは荷をまとめた。水筒に井戸水を入れ、マッチを懐にしまい火傷の痕のある掌をぎゅっと握った。
「待ってて、シルヴィ。今行くから」
*****
風の国では、フィーナが鞴を踏んでいた。
乾いた風が、彼女の頬を撫でた。その風の中に、微かな熱を感じた。炎の匂い。
「マリィ?」
風が囁いた。シルヴィが危ない、と。海の上、白き石の聖堂の影と。
フィーナは鞴を置いた。魔力はまだ戻っていない。けれど鞴はある。風はある。
「シルヴィ。……あの、水の」
彼女は立ち上がり、旅装をまとめた。鞴を肩に担ぎ、港へと向かった。
*****
鍛冶の村では、グレタが金鎚を打っていた。
鉄を打つ音が、大地に響く。その大地の奥から、声がした。ノームの声。地鳴りのように低く。
「大地の娘よ。水の娘が危うい。海の上、白き石の聖堂の影。昏きものが放たれた」
グレタは金鎚を止めた。
「昏きもの。……精霊になりきれなかった者たちか」
「ああ。哀れな者たちだ。だが、哀れみで止まってはおれぬ。水の娘を救え」
グレタは頷いた。金鎚を腰に戻し、前掛けを締め直した。
「父さん。ちょっと、行ってくる」
協会へ向かって挨拶をすると、彼女は村を出た。海へ向かって。
*****
港町では、シルヴィが宿の屋根に上がっていた。
昏きものが階下で暴れている。宿の主人と家族は、裏口から逃げられた。シルヴィは一人、屋根の上で水筒を抱いていた。
霧の向こうから、昏きものが屋根によじ登ってくる。水泡の肌。濁った目。裂けた口。
シルヴィは水筒の栓を抜いた。掌に水を注ぐ。温かい水。精霊の気を纏った水。
「来ないで」
彼女は水を、昏きものに向けて差し出した。昏きものが、ぴたりと止まった。濁った目が、水を見ていた。精霊の気を感じている。
「これは、あげない。これは私が精霊からもらったもの。あなたたちにあげるものじゃない」
昏きものが唸った。それから、ゆっくりと後ずさった。水を恐れているのか、それとも——。
「賢明だな」
声がした。アルヴィスが、屋根の端に立っていた。いつの間に上がってきたのか、白い法衣は霧に濡れていた。
「その水を差し出せば、昏きものは満足する。町は救われる。貴女も、助かる」
「嘘」
シルヴィは言った。
「あなたは、私を媒にしようとしている。水をあげたら、私は空になる。精霊の気を失った私は、ただの抜け殻。それをあなたは望んでいる」
アルヴィスは微笑んだ。海のような、静かな微笑み。
「よくわかっておる。ならば、話は早い」
彼が手を上げた。昏きものたちが、一斉に屋根に殺到した。
シルヴィは水筒を胸に抱いた。目を閉じた。魔力はない。けれど、水はある。温かい水。精霊の気。
——ウンディーネ。
彼女は心の中で呼んだ。声には出さなかった。ただ、呼んだ。
水が、光った。
掌の上の水が内側から青白く輝いた。それは膨れ上がり、形を成そうとした。けれど魔力が足りない。ウンディーネの姿は、揺らぎ薄れ、消えかける。
「無駄だ」
アルヴィスが言った。けれどその声は、少しだけ焦っていた。
「お前の魔力は空。精霊は呼べぬ」
「呼んでない」
シルヴィは目を開けた。青白い光の中で、彼女は笑っていた。
「呼んでない。ただ、待ってるの。教典どおりに。精霊は、訪れるもの。……私は、待つだけ」
そのとき、霧の向こうから炎が走った。




