第八話 ゲームを知らない悪役令嬢
ワシとミークは、既に何合も打ち合っている。
確かに勇者の剣を持っていた時より、ミークの動きは精彩を欠いている。
とはいえ――
身体能力そのものは、今なおワシの一段上。
さらにオーラ・ランスの長い間合いによって、これまでワシが頼りとしていた「槍が届き、相手の武器が届かぬ距離」も失われてしまった。
苦戦だ。
それでもどうにか渡り合えているのは――
ひとえに、戦闘経験の差。
ワシは迫る穂先を槍で弾いた。
「勇者の剣より、そちらの槍の方が貴女に合っているのではありませんか?」
「侮辱するな!」
やれやれ。
本心なのだがな。
ミークが怒りに任せて、再び攻め込んでくる。
馬の体までも使った、例の横薙ぎ。
馬の踏み込み。
胴の捻り。
そこからミークの腰、肩、腕へと力が伝わり――
オーラ・ランスが唸る。
ここだ。
ワシは槍を斜めに構えた。
正面から受け止めるのではない。
ミークの槍を、こちらの槍の柄に沿わせ――
滑らせる。
上へ。
さらに上へ。
そのまま――
天へと跳ね上げた。
「えっ!?」
よし!
ミークの胴が、がら空きだ!
ここへ槍を叩き込めば――
「なにっ!?」
防がれた!?
いや。
違う。
あれは――
双剣!?
オーラ・ランスが二つに分かれ、それぞれ一本の剣へと姿を変えていた。
「はっ!」
もう一本が振るわれる。
狙いは――
ワシの槍を持つ手!
しまった。
衝撃で指が開く。
槍が手から落ちた。
まずい。
これは――
万事休す。
「ザリー」
ミークは二本の剣を繋ぎ合わせる。
赤い光が融合し――
再び一本の槍へと戻った。
「ここがアンタのエンディングだ」
……。
本当に。
ワシを殺すつもりなのだな。
ミークの馬が、大地を力強く踏み込む。
その力が――
馬から、
ミークへ。
そしてミークから、
振り上げられたオーラ・ランスへと伝わっていく。
来る――!
その瞬間。
バキッ!
鈍い音が響いた。
ミークの体勢が大きく崩れる。
「ぐあああっ!」
悲鳴を上げたのはミークだった。
だが――
折れたのは、馬の脚。
……。
無理もない。
馬にあのような、人の剣術の動きが出来るはずがなかったのだ。
馬自身の判断はない。
ミークが己の身体と同じように動かし続けた結果か。
踏み込み。
捻り。
跳躍。
急激な方向転換。
それを何度も、何度も。
いかに強い馬であろうと――
耐えられるはずがない。
馬は力なく地面へしゃがみ込んだ。
しかし――
ミークは落馬しなかった。
「っ……! 治れっ! 治れっ!」
魔力が集まっていく。
回復魔法か。
「治させると思っているのですか?」
ワシにはまだ武器がある。
勇者の剣アリオス。
……もっとも。
ワシが手にしてからというもの、その美しい輝きは失われ、今や石の棒と大差ない有様だが。
それを振り上げ――
負傷した馬の脚へ叩きつける。
「ぐあぁぁぁっ!」
再びミークが悲鳴を上げた。
やはり。
馬の痛みも、そのままミークへ伝わっている。
「敗北を認めなさい、ミークさん」
「まだ……!」
ミークはオーラ・ランスを振り回す。
しかし――
馬の踏み込みもない。
腰も入っていない。
そんな攻撃など、どうということもない。
ワシは石のようになったアリオスで受け止めた。
「私は――」
ミークが歯を食いしばる。
「私は負けられないんだあぁぁぁ!!」
……。
強情っぱりめ。
どうやらこの娘。
命尽きるまで、敗北を認めるつもりはないらしい。
つまり――
このままでは、ワシが勝つにはミークを殺すしかない。
やれやれ。
それでは何のために生け捕りにしようとしていたのか分からぬではないか。
それに――
ワシは地面にうずくまる馬を見る。
このようなことに付き合わされる馬も、可哀想なものだ。
そして、もう一つ。
ワシは手にしたアリオスを見る。
……。
なんなのだ、これは。
ワシが勝てば手に入るはずだった、美しい勇者の剣。
それがワシの手に渡った途端、この石ころ同然の姿。
これでは――
勝ったところで、まるで嬉しくないではないか。
「やれやれ」
決めた。
ワシは黒凪から自ら降りた。
両足が地面につく。
そして――
未だ馬上でもがくミークを見上げる。
「私の負けですわ」
――
「どういうつもりだ! ザリー!!!」
ミークが怒鳴る。
「どうもこうもありませんわ」
ワシは服についた土を軽く払った。
「この決闘、私の負けというだけです」
「ふざけるな! もう一度……もう一度、馬に乗れ!」
ミークが黒凪を指差す。
「もう一度乗って、私と戦え!」
……ほう。
ワシはミークの顔をじっと見る。
「少しは冷静さも残っているようですわね」
「……何?」
「決闘中であれば、私を殺しても決闘の結果として処理できたかもしれません」
ミークが黙る。
「ですが――」
ワシは微笑んだ。
「その決闘は、もう終わりました」
「……!」
「今ここで私を殺せば、それはただの殺人ですわ」
ミークの顔が歪む。
「そうなれば当然、罪に問われる」
「この国を守るどころではなくなりますわね?」
「くっ……」
よし。
それくらいの分別は残っているらしい。
「それに、ミークさん」
ワシは片手を上げる。
「どうやら私たちの間には、色々と誤解があるようです」
「話し合いをいたしましょう」
「今さら話すことなんて……」
「あります!」
「っ……」
ワシは周囲へ防音の魔法を展開する。
これから話す内容を審判やキルロットに聞かせるわけにはいかぬ。
何しろ――
前世だの、転生だの。
先ほどからミークが口にしている『げーむ』だの。
ワシ自身にもよく分からぬ話ばかりなのだから。
そして。
ワシは勇者の剣アリオスを持ち上げた。
……いや。
かつて勇者の剣アリオスだったものを。
「なんですの!? この勇者の剣の有様は!」
「……最初に話すことが、それ?」
「当然ですわ!」
ワシは石のようになった剣をミークへ突きつける。
「賭けの対象の価値に関わる問題なのですから!」
「……知ってるでしょ?」
「何をです?」
ミークが眉をひそめる。
「アンタも『破滅の国の救世姫』のプレイヤーなんだから」
……。
なんだ、それは?
「ミークさん」
ワシは剣を少し下げる。
「先ほどから『げーむ』ですとか、『破滅の国の救世姫』のプレイヤーですとか……」
首を傾げる。
「いったい何のお話をなさっているのです?」
ミークの顔に、再び怒りが浮かんだ。
「今さら惚けないでよ!」
「惚けてなどおりません」
「知ってるでしょ! 絶対に知ってる!」
ミークはワシを睨みつける。
「アンタも『破滅の国の救世姫』をプレイしてたんでしょ!」
「申し訳ありませんが、まるで存じませんわ」
「ふざけないで!」
声が大きくなる。
「だったら、なんで悪役令嬢たちの婚約破棄のきっかけを、ことごとく壊していったのよ!」
……。
ああ。
そういうことか。
「知り合いが不幸になろうとしていたから、避けようとしただけですわ」
「……は?」
「知り合った方々ですもの。目の前で不幸になろうとしているのなら、助けるのは当然ではありませんか?」
「そんな理由で……?」
どうにも納得できぬらしい。
ミークはさらに身を乗り出した。
「じゃあ、エンラは!?」
「エンラさん?」
「なんでエンラを攻略して、あそこまでアンタに心酔させたのよ!」
……。
攻略?
「そのようなことをした覚えはありませんが」
「嘘つかないでよ! 完全にアンタに惚れ込んでるじゃない!」
……。
エンラの顔が思い浮かぶ。
ワシを見る、あの妙に輝いた目。
何をしても褒めてくる熱意。
そして近頃、少々心配になるほど増してきた忠誠心。
……。
「正直に申しますと、私にも何故あの娘がああなったのか、よく分からないのです」
ため息が出た。
「まあ、あれほど懐いてくれるのは嬉しいのですが……」
「私もちょっと困っていましてよ」
ミークがワシをじっと見る。
「……そうよね。ヤンデレ属性なんだから、そうなるわよ」
「……?」
また知らぬ言葉が出てきた。
「その『ヤンデレ』というのもよく分かりません。申し訳ない」
「…………」
ミークが黙った。
しばらくワシを見つめて――
やがて、恐る恐る尋ねてくる。
「……本当に、エンラを攻略するつもりはなかったの?」
「攻略?」
ミークの目が細くなる。
「その……スケベ心とか」
「……はい?」
なんの話だ。
ミークは疑うようにワシを見つめる。
「前世は男だったんでしょ?」
「確かにそうですが……」
「やっぱり!」
何故かミークは、重大な謎を解いたかのようにワシを指差した。
「アンタは性欲でゲームシナリオを歪めたんだ!」
……。
なんと?
「悪役令嬢たちを攻略してたんでしょ!」
「ワシが?」
「そうよ!」
ミークは、ますます自分の推理に確信を持ったらしい。
「エンラはもう完全にアンタのファンガールだし、他の悪役令嬢たちにも次々と干渉してる!」
そして、ビシッとワシを指差す。
「狙ってるのは――百合ハーレム!」
……。
また知らぬ言葉が出てきた。
「……百合、はーれむ?」
「今さら惚けないで!」
「いや、本当に存じませんが」
ミークがワシをじっと見る。
そして――
何かに気づいたように目を見開いた。
「待って」
「はい?」
「まさか……百合の意味も知らないの?」
「花の百合なら存じておりますが」
「そっちじゃない!」
理不尽な娘だ。
先ほどからワシの知らぬ言葉ばかり使っておいて、知らぬと言えば怒り出す。
ミークは頭を抱えた。
「……じゃあ、これなら答えられるでしょ」
「何でしょう?」
ミークは顔を上げ、真っ直ぐワシを見る。
「だったらなんで――」
声が鋭くなる。
「ゴルディアン様との婚約破棄を、あんなに簡単に受け入れたの?」
「ほう?」
「だってそうでしょ!」
ミークはワシを指差した。
「エンラたちの婚約破棄は、あれだけ必死になって止めた!」
「なのに自分の婚約は、ほとんど考えもしないで捨てた!」
「それって――」
ミークの目が細くなる。
「男と結婚したくなかったからじゃないの?」
なるほど。
ようやく話が繋がった。
どうやらミークの中では、
ワシが元男であること。
悪役令嬢たちを助けたこと。
エンラがワシに懐いていること。
そして――
ゴルディアン様との婚約に執着しなかったこと。
そのすべてが、一つの理由で繋がっているらしい。
「うーん……」
ワシは少し考えた。
これは随分と大きな誤解をされている。
「ミークさん」
「何よ」
「貴女は一つ、勘違いをなさっていますわ」
「何をよ」
「私は、ゴルディアン様が嫌いなのではありません」
「……は?」
「私は――」
少し間を置く。
「あの御方の美意識が嫌いなのですわ」
「同じことでしょ!」
「まるで違います」
ワシは石のようになったアリオスを持ち上げた。
「金は美しい」
「……」
「宝石も美しい」
手の中の鈍い剣を、ゆっくりと傾ける。
「豪華絢爛な宮殿も、それはそれで結構」
「ですが――」
ワシはため息をついた。
「美しいものを片っ端から黄金で覆えば、もっと美しくなる」
「――そのような考えには、どうにも賛同できませんわ」
ミークは黙っている。
「花に金箔を貼れば、花そのものより美しくなりますか?」
「……」
「古びた茶碗を黄金で塗り潰せば、その茶碗が過ごしてきた年月まで美しくなりますか?」
ミークの表情が、少しずつ変わっていく。
「名馬を黄金の鎧で覆えば、より良い馬になりますか?」
「…………」
答えはない。
「物には、物の美しさがある」
ワシはアリオスを下ろす。
「人には、人の美しさがある」
「それをすべて――黄金という一つの物差しで測ろうとなさる」
首を傾げる。
「そんな御方と一生を共にするのは、少々息苦しいと思っただけですわ」
ミークはしばらくワシを見つめていた。
そして――
「……じゃあ」
「はい?」
「男だから嫌だったんじゃないの?」
「何故そうなりますの?」
本当に分からん。
「ゴルディアン様は、何にでも黄金で価値を与えようとなさる」
ワシは手の中のアリオスを見る。
そして――
これまで出会ってきたものを思い出した。
縞のドレス。
磨かれていない原石。
割れてしまった茶器。
名もなき魚。
そして――
小さな馬――黒凪。
どれも。
黄金である必要などなかった。
「私は――」
ミークを見る。
「黄金でなくとも、そこに価値を見つけたいのですわ」
「ですから」
ワシは小さく笑った。
「美について、あの御方と私は一生分かり合えぬでしょうね」
ミークは、しばらく黙っていた。
そして――
「じゃあ、エンラは?」
「グラシアーナは?」
ミークの声が再び鋭くなる。
「あの子たちの婚約は守ったのに、自分の婚約だけはどうでもいいの?」
「当然でしょう」
「当然!?」
何をそんなに驚いているのだ。
「あの娘たちは、自分の婚約者を好いておりましたもの」
ミークが固まる。
「私は別に、ゴルディアン様を好いておりません」
「…………」
ミークはワシを見つめた。
長い沈黙。
やがて――
「……それだけ?」
「はい」
「本当に、それだけ?」
ワシは首を傾げる。
「婚姻とは、それ以上に難しく考えるものなのですか?」
「…………」
「なんでよ……」
ミークが俯いた。
先ほどまでの怒気が消えている。
いや。
消えたというより――
行き場を失ったように見えた。
「それじゃ……」
ミークの手が、オーラ・ランスを強く握る。
「それじゃ、憎めないじゃない……」
ワシは黙ってミークを見る。
「もしアンタが『破滅の国の救世姫』を知っていて……」
「これから何が起きるのか全部知っていて……」
「それでも面白半分にシナリオを壊していたなら……」
声が震え始める。
「自分の欲のために、みんなを危険に晒していたなら……」
そこで言葉が止まった。
ミークは唇を噛む。
そして――
「それなら……」
顔を上げた。
「私は、アンタを殺せた」
……。
ワシは何も言わない。
「でも……知らなかった」
ミークの声が掠れる。
「アンタは何も知らなかった」
一筋の涙が、頬を伝った。
「ゲームのことも」
「これから起きることも」
もう一筋。
「何も知らないで……」
ミークは泣きながら、それでもワシを睨もうとしていた。
「ただ、目の前の人を助けようとしてただけだった……」
オーラ・ランスを握る手から、力が抜けていく。
先ほどまでミークを突き動かしていた殺気は――
もう、どこにもなかった。
代わりに残ったもの。
それは怒りではない。
戸惑い。
恐怖。
そして――
行き場を失ったような、無力感。
「だったら……」
ミークは涙を拭う。
だが。
拭っても、また溢れてくる。
「アンタが敵じゃないなら……」
ミークはワシを見る。
まるで――
ワシなら答えを持っているのではないかと。
そんな目だった。
「私は……」
声が震える。
「私は、どうすればいいの……?」




