第五話 賢い馬は、人に従わない
ザリーとキルロットの二度目の決闘。
場所を変え、ワシらは学園の外へ出ていた。
目の前には、牧草が風に揺れる広大な草原が広がっている。
キルロットはナインスターの上から辺りを見渡した。
「戦場を模するならば、ここは丁度良いだろう?」
学園の馬術練習場では狭すぎる。
それに――
地形もまた武器。
そう言ったのはワシ自身だ。
どうやらキルロットは、その言葉を受けてこの場所を選んだらしい。
「ふむ。良い場所ですわ」
吹き抜ける風が頬を撫でる。
心地よい。
――
観客たちも、この草原までついてきていた。
エンラが辺りを見回す。
「こんな所にまで来るなんて、どういうつもりかしら」
「本物の戦場を模した場所なのでしょう」
グラシアーナが答える。
エンラはもう一度周囲を見回して――
「あら? そういえばミークさんは?」
グラシアーナも首を傾げた。
「そういえば、お見かけしませんわね」
――
「今度は魔法もあり、だ」
キルロットは愛馬『ナインスター』の歩みを止め、槍を構える。
「ええ」
ワシも『黒凪』の手綱を握り直す。
「そして先ほどと同じく、落馬した方が負け。よろしいですわね?」
「ああ。それでいい」
草原の上で、ワシらは向かい合う。
そして同時に審判へ視線を向けた。
審判が片手を上げる。
一瞬。
聞こえるのは風の音だけ。
そして――
「始めっ!」
二度目の決闘が始まった。
「魔法さえあれば、先ほどのような攻撃は通用しない!」
キルロットが片手を突き出す。
ナインスターの前方に、半透明の魔法障壁が展開された。
巨大な頭から胸元までを覆う盾。
そして――
「さらに、走力強化!」
ナインスターの四肢を魔法の光が包む。
次の瞬間。
巨大な白馬が地面を蹴った。
ドドドドドドッ!
……速い。
あの巨体からは想像できぬほどの速さだ。
いや。
巨体だからこそ、一度勢いが乗れば凄まじい。
ナインスターが大地を揺らしながら突っ込んでくる。
キルロットはその背で槍を低く構えた。
「どうするザリー! この突進は馬防柵すら弾き飛ばすぞ!」
なるほど。
これが魔法か。
魔法が加われば、戦術は大きく変わる。
実に強力なものだ。
しかし――
あんなものを真正面から受けるつもりなど、ワシには毛頭ない。
「当然……」
黒凪の手綱を引く。
「避けますわ」
黒凪が即座に横へ駆ける。
直後。
ナインスターの巨体が轟音と共に横を通過した。
「くっ! 逃がしはしない!」
キルロットはすぐさまナインスターを旋回させ、追ってくる。
最高速度では、ナインスターの方が黒凪より速い。
このままでは追いつかれる。
魔法とは、やはり厄介だ。
だが――
使えるのはキルロットだけではない。
「ウォータードリル!」
ワシの傍らに水が集まる。
水流は渦を巻き、回転しながら一本の槍へと形を変えた。
狙うのはキルロットではない。
ナインスターでもない。
その少し前方。
地面だ。
水の槍を放つ。
ズボッ!
高速回転する水の槍が地面へ突き刺さり、土と水を激しくかき混ぜる。
そして魔法が消えたあとには――
小さなぬかるみが残った。
「ははっ! 派手に外したな、ザリー!」
ナインスターは構わず、その上を駆け抜ける。
だが――
ズルッ!
蹄が滑った。
「ぶふっ!」
巨体が大きく揺れる。
「落ち着け、ナインスター!」
キルロットが即座に体勢を立て直させた。
ワシは黒凪の上から振り返る。
「ほう」
やはりな。
「その巨体には、少しのぬかるみでも効果てきめんですわね」
キルロットは背後のぬかるみを睨んだ。
「ふん。ならば避ければ良いだけだ!」
そうか。
避けてくれるか。
ならば――好都合。
これで森へ辿り着くまで、追いつかれることはあるまい。
よし。
狙いどおりだ。
「ウォータードリル!」
再び水の槍を地面へ突き刺す。
さらにもう一発。
もう一発。
黒凪を走らせながら、次々と草原にぬかるみを作っていく。
そのたびに、後方のキルロットとナインスターは進路を変えざるを得ない。
右へ。
左へ。
また右へ。
少しずつ。
だが確実に、距離を稼いでいく。
良し。
すべて狙いどおりだ。
――
審判もワシらを追い、必死に馬を走らせている。
一方。
取り残された観客たちの前では――
「ああ……二人とも、どんどん遠くへ行ってしまわれますわ」
グラシアーナが困ったように声を上げた。
エンラも目を細める。
「これでは観戦できませんわね。私たちも追いかけましょう」
「いえ。それなら……」
グラシアーナが片手を上げる。
「私の遠見の魔法で」
魔法を唱え始める。
それは本来、グレインフォード家が広大な領地の農地を遠隔監視するために使う魔法だった。
光が空中へ集まっていく。
そして――
観客たちの頭上に、巨大な長方形のヴィジョンが浮かび上がった。
そこには。
草原を駆けるワシとキルロットの姿が映し出されている。
「これで、かなり離れても観戦できますわ」
グラシアーナが微笑む。
「まあ! 素晴らしいですわ!」
エンラの顔が輝いた。
周囲の観客たちからも、安堵の声が上がる。
皆が一斉に、空中に浮かぶヴィジョンを見上げた。
――
やがて。
ワシと黒凪は、急な斜面へと辿り着いた。
崖と呼んでも差し支えないほどの傾斜だ。
鹿ならば、なんとか駆け下りられる程度。
つまり――
黒凪ならば、造作もない。
「行け」
黒凪が斜面へ飛び込む。
前脚。
後ろ脚。
次々と足場を見つけ、流れるように斜面を駆け下りていく。
その後ろでは――
「どうどう! 止まれ!」
キルロットがナインスターを崖際で止めた。
やはりな。
あの巨体でこの斜面を下りるのは危険だ。
ナインスターならば、迂回するのが正しい。
だが――
それでは困る。
ワシは斜面の途中で黒凪を振り返らせる。
そして、崖の上にいるキルロットを見上げた。
「どうなさいました? キルロット」
微笑む。
「貴女のナインスターでは、無理ですか?」
「何を言う!」
案の定、キルロットが食いついた。
「黒凪にできて、ナインスターにできぬことなどない!」
ナインスターが斜面へ一歩近づく。
だが――
止まった。
巨大な白馬は眼下の斜面を見つめたまま、先へ進もうとしない。
明らかに警戒している。
キルロットはそんなナインスターの首を優しく撫でた。
「大丈夫だ、ナインスター」
先ほどまでワシへ怒鳴っていた時とは、まるで違う声。
穏やかで。
優しく。
「僕が示す道を通るんだ」
キルロットが魔法を使う。
斜面の上に光の線が走った。
比較的安全に下りられる場所を示しているらしい。
「ほら。ここだ」
もう一度、ナインスターの首を撫でる。
「さあ行くぞ、ナインスター。僕を信じろ」
……。
なるほど。
キルロットが声を掛けるたび、ナインスターの耳がすぐにそちらを向く。
そして――
大きな蹄が、慎重に一歩を踏み出した。
もう一歩。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
ナインスターは斜面を下り始める。
ワシはその様子を眺めた。
さすが、主の言うことをよく聞く馬だと自慢するだけのことはある。
実に賢い馬だ。
人を信じている。
だからこそ――
それが問題なのだ。
ナインスターは、危険が分からぬ馬ではない。
現に先ほど、この斜面を恐れていた。
危険だと自分で判断したのだ。
それでも。
主人が「進め」と言えば――
自分の判断より、主人の判断を信じる。
……なるほどな。
ワシの中で、一つの疑念が確信へと近づいた。
キルロットとナインスターが斜面を下りきるより先に、黒凪を前へ向ける。
「行くぞ」
次の場所へ向かわねばならぬ。
――
そして。
ワシらは森へ入った。
先ほどまで広がっていた草原は消え、周囲を木々が覆う。
幹。
枝。
根。
起伏のある地面。
ここからが本番だ。
ワシは黒凪の首を軽く叩く。
「さてさて、黒凪」
口元が緩む。
「反撃といきましょうか」
しばらくすると。
後方から蹄の音が聞こえてきた。
キルロットとナインスターだ。
二人が森へ入った瞬間――
違いは明白だった。
木。
木。
また木。
ナインスターほどの巨体ともなれば、木々の隙間一つ一つが障害物となる。
狭い場所を自在に抜けることができない。
黒凪ほど小回りも利かない。
草原では最大の武器だった巨体が――
ここでは足枷となる。
「なるほど!」
キルロットがこちらを睨む。
「木々で僕の突進を封じるつもりか!」
「さて。どうでしょう?」
黒凪が二本の木の間をすり抜ける。
そのままナインスターの側面へ回り込む。
今だ。
「はっ!」
横から槍を振るう。
「くっ!」
キルロットが即座に槍を合わせる。
ガキンッ!
槍と槍が激突した。
だが、力比べをするつもりはない。
そのまま黒凪を走らせ、ナインスターの横を駆け抜ける。
木々の間で旋回。
再び回り込む。
今度は反対側から――
「はあっ!」
「このっ!」
ガキンッ!
また防がれた。
構わぬ。
ワシらはそのまま走り抜ける。
一撃離脱。
小回りの利く黒凪だからこそできる戦い方だ。
「小賢しい!」
キルロットが怒鳴った。
魔力が一気に膨れ上がる。
ナインスターを守っていたシールドが広がった。
大きく。
さらに大きく。
やがて巨大な馬の正面を、ほとんど覆い尽くすほどになる。
そして――
キルロットが突っ込んできた。
バキッ!
細い木がシールドに押し倒される。
バキバキッ!
もう一本。
さらに一本。
木をへし折りながら、強引に森の中を突き進んでくる。
……なんと無茶苦茶な。
だが。
木を折るたび、ナインスターの速度は落ちる。
一方、黒凪は違う。
左。
右。
木々の間。
張り出した根を飛び越える。
森そのものを味方につけるように、滑らかに駆け抜けていく。
それでも――
少しずつ。
ナインスターが距離を詰めてきた。
……不味いな。
あれだけ邪魔されても、まだ追いついてくるか。
後方から、蹄の轟音が迫る。
振り返る。
キルロットが槍を振りかぶっていた。
ワシは黒凪の手綱を引こうとする。
だが――
ワシが動くより早く。
黒凪が動いた。
後ろ脚を跳ね上げる。
ドンッ!
二本の蹄がナインスターのシールドを蹴った。
その反動を利用して――
黒凪が自らの身体を横へ跳ばす。
「おおっ!?」
直後。
キルロットの槍がワシの鼻先を掠めていった。
風圧が頬を撫でる。
「なにっ!?」
キルロットが目を見開く。
ワシも一瞬、黒凪を見る。
そして――
笑った。
……はは。
ワシより先に危険を察したか。
「デカした、黒凪」
首を軽く叩いてやる。
黒凪は何事もなかったかのように走り続ける。
なるほど。
これだ。
ワシが戦場で馬に求めるものは。
言われるままに動くことではない。
自ら危険を感じ。
自ら判断し。
それでも乗り手と共に戦う。
黒凪は今――
ワシが命じるより先に、ワシを救った。
前方。
木々の間に、少しだけ開けた場所が見えた。
後方のナインスターは、こちらへ向き直るために大きく旋回しなければならない。
よし。
ならば――
次の一撃で決着をつけよう。
……。
いや。
待て。
ふと、先ほどの光景が頭をよぎる。
斜面を恐れていたナインスター。
それでもキルロットに声を掛けられれば、耳を向け。
主人を信じて、斜面へ足を踏み出した。
……。
あれを試してみるか。
ナインスターの弱点。
もし。
崖で見た通りなら――
試す価値はある。
――
ナインスターが大きく旋回する。
そして再び、こちらを向いた。
キルロットが槍を構える。
「今度こそ逃がさない!」
ナインスターが地面を蹴った。
巨体が加速する。
魔法によって強化された脚力。
その速度は、やはり黒凪を上回る。
こちらも黒凪を走らせる。
正面から。
二頭の馬が互いへ向かって突進する。
距離が縮まる。
五十歩。
三十歩。
二十歩。
キルロットが槍を構え直した。
「これで終わりだ、ザリー!」
ワシは槍を構えない。
代わりに――
大きく息を吸った。
そして。
「ナインスター!」
叫ぶ。
白馬の耳が、ぴくりとこちらを向いた。
やはり。
「止まれ!」
その瞬間。
ナインスターの前脚が地面を踏みしめた。
「なっ!?」
キルロットの身体が大きく揺れる。
完全に止まったわけではない。
ほんの一瞬。
わずかに速度が落ちただけ。
だが――
それで十分。
「どうした、ナインスター!?」
キルロットが叫ぶ。
「なぜ止まる!?」
二頭の馬が交差する。
その瞬間。
「それ!」
ワシは身体を横へ倒し――
キルロットの脚を掴んだ。
「えっ――」
引く。
「うわああっ!?」
キルロットの身体が鞍から浮いた。
そのまま――
ドサッ!
草の上へ転がり落ちる。
ナインスターが慌てて足を止めた。
黒凪も少し先で止まる。
……。
静寂。
そして。
追いついてきた審判が、大きく手を上げた。
「そこまで!」
一拍置いて。
「勝者――ザリー様!」
歓声が上がった。
――
「きゃーっ!」
空に浮かぶヴィジョンを見ながら、エンラが声を上げる。
「ザリー様が勝ちましたわ!」
周囲の観客たちからも、一斉に歓声が上がった。
「すごい!」
「本当に勝ったぞ!」
「あの巨大な馬を相手に!」
グラシアーナも胸へ手を当てる。
「まあ……」
ほっと息を吐いた。
「ヒヤヒヤする勝負でしたわね」
「ええ!」
エンラは興奮したまま、グラシアーナの手を取る。
「でも、さすがザリー様ですわ!」
二人は手を取り合って喜んでいた。
――
一方。
キルロットは勝敗など気にしていなかった。
すぐに立ち上がり、ナインスターへ駆け寄る。
「ナインスター!」
白馬の首を撫でる。
脚を見る。
身体を見る。
「どうしたんだ?」
心配そうに全身を確かめる。
「なぜ止まった? どこか痛めたのか?」
「そうではありませんわ」
ワシは黒凪から降りた。
キルロットが振り返る。
「どういうことだ?」
「ナインスターは、ワシ――」
危ない。
「……私の命令を聞いたのですわ」
「君の?」
「ええ」
ワシはナインスターを見る。
白馬はこちらを警戒するでもなく、静かに見返している。
「ナインスターは、人を信じ過ぎるのです」
「人を……?」
「たとえ、それが敵であろうとも」
キルロットが黙った。
ナインスターを見る。
そして。
少しだけ表情を曇らせた。
「……では」
ナインスターの鼻先を撫でる。
「ナインスターは、ダメな馬だったのか?」
その声には。
先ほどまでの敗北への悔しさとは違うものがあった。
ワシは首を横へ振る。
「いいえ」
キルロットが顔を上げる。
「ナインスターが劣った馬ということではありませんわ」
「……?」
「人を信じる」
ナインスターへ近づく。
「人に従う」
その首へ、そっと手を添えた。
ナインスターは嫌がらない。
「それも立派な資質です」
キルロットの表情が少し和らぐ。
だが。
ワシは続けた。
「ただ――」
「戦場では、それだけでは足りません」
キルロットの目が細くなる。
「なぜだ?」
ワシは黒凪を見る。
少し離れたところで。
黒凪は好き勝手に草を食っていた。
……。
お主。
少しくらい余韻というものを考えぬか。
まあよい。
「黒凪は先ほど、ワシの命令を待ちませんでした」
キルロットが黒凪を見る。
「森でのことか」
「ええ」
キルロットの槍が迫った時。
ワシが命じるより先に。
黒凪は自ら危険を察し。
自らシールドを蹴り。
自ら逃げた。
「戦場では、乗り手が常に正しい判断をできるとは限りません」
煙。
騒音。
混乱。
死角。
そして殺気。
人が見落とした危険を、馬が先に見つけることもある。
「己で危険を感じ」
黒凪を見る。
「己で身を守り」
そして。
「それでも乗り手と共に進む」
ワシは微笑んだ。
「それが戦馬というものですわ」
キルロットは何も言わなかった。
ナインスターを見る。
そして黒凪を見る。
もう一度。
ナインスターを見る。
「……くっ」
突然。
肩を震わせた。
「はは……」
笑っている。
「はははは!」
顔を上げる。
そこにはもう、悔しさだけではなかった。
「君の勝ちだ、ザリー」
キルロットが右手を差し出す。
少しだけ考えて。
言い直した。
「いや――」
黒凪を見る。
「黒凪の勝ち……か」
ワシも笑う。
「そうですわね」
キルロットの手を握る。
「戦馬として勝ったのは黒凪」
そして。
ナインスターを見る。
巨大な白馬は、キルロットのすぐ横で大人しく立っている。
主を疑うことなく。
主の傍を離れることなく。
「ですが」
ワシはナインスターの鼻先を撫でた。
「ナインスターの価値まで失われたわけではありませんわ」
大きい。
強い。
従順。
そして何より。
人を信じる。
戦場では、それが弱点となる。
だが――
戦場以外ならば?
人と共に暮らす馬として。
人を乗せる馬として。
人の友となる馬として。
これほど素晴らしい性質もあるまい。
何が優れているかなど。
使う場所が変われば、いくらでも変わる。
キルロットはしばらくナインスターを見つめていた。
やがて。
その首を優しく撫でる。
「そうだな」
小さく笑った。
「僕には、こいつも最高の馬だ」
ナインスターが嬉しそうに鼻を鳴らした。
「ブルルッ」
……。
それを見た黒凪が。
「フンッ」
露骨に鼻を鳴らした。
「おや」
ワシは笑う。
「妬いておるのか?」
黒凪は顔を背けた。
「ははは!」
キルロットがまた笑った。
――
「まあ……!」
ヴィジョン越しにその光景を見ていたグラシアーナが、胸の前で手を合わせた。
「お二人の友情。素敵ですわ」
「ええ……」
エンラも嬉しそうに微笑む。
そして。
少しだけ羨ましそうに呟いた。
「ああ、私もいつか……」
その時だった。
ヴィジョンの端に。
何かが映り込んだ。
一頭の馬。
こちらへ向かって走ってくる。
その上には、一人の少女が乗っていた。
「あら?」
エンラが首を傾げる。
「誰かしら?」
グラシアーナが遠見の魔法を操作する。
ヴィジョンが、その人物へと焦点を合わせていく。
少女の顔が大きく映し出された。
グラシアーナが目を見開く。
「え?」
そして。
「ミークさん?」
――
とうとう。
ザリーはキルロットを倒してしまった。
ゲーム内でも最強クラスの戦力を誇る、あのキルロットを。
私は馬上から、少し離れた場所にいるザリーを見つめる。
ザリー=ド=ロシュフォール。
やっぱり、この人は普通じゃない。
金継ぎ。
味噌。
焼き魚。
ウドン。
そして――
今の戦い方。
この世界の常識とは違う知識を持っている。
しかも、その知識の出所には日本が見え隠れしている。
だったら。
答えは一つしかない。
ザリーも日本からの転生者。
私と同じように。
……でも。
それなら、どうして?
私と同じ転生者なら。
どうして悪役令嬢たちの運命を変えている?
エンラ。
グラシアーナ。
そして今度はキルロット。
偶然?
そんなわけない。
悪役令嬢たちの運命ばかりを、ここまで正確に変え続けている。
もちろん。
ザリーが『破滅の国の救世姫』まで知っているとは限らない。
日本から来たからといって、同じゲームを遊んでいたとは限らない。
だけど――
もし。
もし、このゲームを知っていて。
そのうえで悪役令嬢たちの婚約破棄を潰しているのだとしたら?
この国がどうなるのかも、知っているはずだ。
悪役令嬢たちとの婚約が続けば、攻略対象たちは弱点を克服できない。
そのまま戦争へ突入する。
そして。
王国は滅ぶ。
それを知っていて。
それでも運命を変え続けている?
どうして?
何のために?
……。
まさか。
戦争を楽しむため?
私は手綱を強く握った。
あり得ないとは言い切れない。
『破滅の国の救世姫』は乙女ゲームだ。
でも。
後半の戦争パートは、戦争シミュレーションとしても評価が高かった。
軍を編成して。
兵を配置して。
攻略対象たちを指揮官として運用する。
地形。
補給。
士気。
魔法。
それらを考えながら戦う、本格的なシミュレーションパート。
乙女ゲームなのに、なんでここだけこんなにガチなのよ。
そう言われるくらいには。
まあ。
戦争シミュレーションの老舗メーカーが作ったゲームだから、仕方ないんだけど。
もしザリーもこのゲームを知っていて。
その戦争を実際に楽しもうとしているのなら――
……いや。
それなら、まだいい。
勝つつもりがあるのなら。
でも。
もっと最悪な可能性がある。
私は、その名前を思い出した。
リコールエンド。
『破滅の国の救世姫』に存在する、特殊なバッドエンド。
発生条件は――
王国の人口が千人を下回ること。
戦争に負け続け。
街が焼かれ。
領地が奪われ。
人が死に。
王国が、もはや国と呼べないほど崩壊した時。
主人公は女神のもとへ呼び戻される。
この世界を救う英雄として転生させたのに。
王国を救えなかった。
そのことを女神から叱責され――
そして。
元の世界へ送り返される。
つまり。
リコールエンドは――
元の世界へ帰れる唯一のルート。
……。
私だって。
一度は考えたことがある。
元の世界へ帰れる。
家族に会える。
友達に会える。
スマホもある。
ネットもある。
コンビニもある。
お風呂だって好きな時に入れる。
あの生活へ戻れる。
だけど。
そのためには。
この世界の人たちが死ななければならない。
千人未満になるまで。
……そんなの。
できるわけがない。
私は、この世界をゲームとして知っている。
でも。
ここで生きている人たちは。
数字じゃない。
NPCじゃない。
エンラも。
グラシアーナも。
キルロットも。
みんな笑う。
怒る。
悩む。
誰かを好きになる。
そして――
死ねば、もう戻らない。
だから。
私は選ばなかった。
リコールエンドなんて。
絶対に選ばない。
でも。
ザリーは?
もし。
ザリーが元の世界へ帰ろうとしているのなら?
そのために、悪役令嬢たちの婚約破棄を阻止して。
攻略対象たちを弱いまま戦争へ送り出そうとしているのなら?
……。
背筋が冷たくなった。
証拠なんてない。
全部、私の推測だ。
でも。
放っておくには危険すぎる。
もし私の考えが当たっていたら。
取り返しがつかなくなる。
なら――
私が止める。
私は馬を進ませた。
ザリーがこちらを見る。
その隣では、キルロットが不思議そうな顔をしている。
近づく。
近づく。
そして。
ザリーの前で馬を止めた。
初めて。
真正面から彼女を見る。
ザリー=ド=ロシュフォール。
この世界の運命を。
私の知っている物語を。
何もかも変え続けている女。
私は彼女を見下ろした。
心臓が激しく鳴っている。
怖い。
当たり前だ。
さっきキルロットを倒した相手だ。
ゲーム最強クラスの武人令嬢を。
馬と地形と魔法を使って。
真正面から打ち破った。
そんな相手に。
私は今から――
戦いを挑む。
それでも。
やらなければならない。
この国を救うために。
私は息を吸った。
そして。
「ザリー」
彼女の名を呼ぶ。
ザリーが首を傾げた。
私は真っ直ぐ、その目を見る。
「私と決闘をしてください」
――
ザリーは。
しばらく何も答えなかった。
ただ。
目の前にいる私を、じっと見つめていた。
まるで――
値踏みするように。
私は拳を握る。
この女を倒す。
必要なら――
殺してでも。
ザリーを排除する。
そして。
この狂い始めた物語を、元に戻す。
攻略対象たちを救う。
王国を救う。
この世界を――
戦乱から救うのだ。




