表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢に転生した元サムライ ~ゴミを宝に、宝をゴミに変える価値観革命~  作者: 竹屋 兼衛門


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/3

第二話 割れたカップを宝に変える

壊れた物。


多くの者は、それを捨てる。


ワシには、それがどうにも理解できぬ。


――


王立学園へ入学する少し前の話である。


ワシは、とあるお茶会に招かれていた。


主催者は、エンラ=ド=モンフォール。


公爵家の令嬢。


赤い髪に、赤い瞳。


燃え盛る炎を人の形にしたような娘である。


美しい。


実に美しい。


だが同時に、脆い。


恐怖を怒りで返し、痛みを破壊で返す。


まるで薄い陶器のような娘だった。


この時のワシは、その比喩が後にどれほどそのままの意味を持つか、まだ知らなかった。


「このカップは、ドラガン様が婚約の証として送ってくださった物ですのよ」


エンラ嬢は、誇らしげに白いティーカップを掲げた。


物にまつわる話は、とても良い。


実に良い。


……はずだったのだが。


普通である。


あまりにも普通である。


白い陶器。


ありふれた形。


ありふれた意匠。


目を引くものが何もない。


記憶に残るものも何もない。


なんとも惜しい。


せめて特別な装飾か、珍しい細工でもあれば、褒めるきっかけにもなるのだが。


仕方ない。


ドラガン殿について話を広げるか。


そう考えた、その時だった。


ポットを運んでいたメイドが、足をもつれさせた。


「あっ!」


手からポットが滑り落ちる。


ガチャン!


ポットは、ティーカップを直撃した。


婚約の証は、見事に砕け散った。


「きゃあああああ!」


エンラ嬢が悲鳴を上げる。


メイドは即座に床へ膝をついた。


「も、申し訳ございません、お嬢様!」


だが、残念ながら。


エンラ嬢は許すよりも、殺す方に関心があるようだった。


彼女の手から炎が噴き上がる。


「死になさい」


炎がメイドへ向かって走った。


エンラ嬢の声は、氷のように冷たかった。


「そして、あの世で詫びなさい」


ふむ。


聞くところによると、ドラガン殿はたいへん穏やかな男らしい。


自分が贈った品が原因で人が死んだと知れば、さぞ心を痛めるだろう。


なので、ワシは炎を消した。


簡単な水魔法で十分だった。


室内に白い蒸気が広がる。


エンラ嬢は、すぐさまこちらを振り向いた。


「ザリーさん! 何をなさいますの!?」


「それはこちらの台詞ですわ」


「ご覧になったでしょう!?」


「見ましたわ」


「あの者が、わたくしの婚約の証を壊したのです!」


「それで殺すのですか?」


「当然ですわ!」


返答が早い。


早すぎる。


エンラ嬢は、震えるメイドを指差した。


「あの者の死体をドラガン様のもとへ持っていき、お許しを乞うのですわ!」


ワシは瞬いた。


死体を?


詫びるためか?


それとも呪うためか?


そこはかなり大事な違いではなかろうか。


「ドラガン様にとって、それは迷惑では?」


「でも、これは婚約の証ですの!」


エンラ嬢の声が震えた。


「それが壊れたら、婚約まで……」


そこで、彼女は言葉を切った。


なるほど。


そういうことか。


ワシはエンラ嬢をよく見た。


一見すれば、彼女は怒っている。


だが、怒りが本質ではない。


恐怖だ。


カップが壊れた。


そして彼女の中では、婚約そのものまで壊れたように思えたのだろう。


もしかすると、ドラガン殿は最初からこの婚約を望んでいなかったのではないか。


この割れやすいカップは、最初からその意思表示だったのではないか。


壊れる運命の品。


断るための口実。


そこまで考えてドラガン殿が贈ったとは思えぬ。


しかし。


貴族の家というものは、個人よりも大きな尺度で物を考える。


まして、このエンラ嬢の気性を見れば。


まったくありえない話とも言い切れぬ。


「なるほど。だから怒っているのですわね」


エンラ嬢は視線を逸らした。


しばし黙る。


だが、すぐにまたメイドを指差した。


「いずれにせよ、あの者の死体が必要ですわ」


すると、メイドが思いがけず背筋を伸ばした。


怯えが、すっと顔から消える。


「承知いたしました」


メイドは深く頭を下げた。


「覚悟はできております」


素晴らしい。


被害者本人まで納得しておる。


この世界の風習は、実に不可思議である。


ワシはため息をついた。


そして床にかがみ、割れた陶器の破片を拾い集め始めた。


エンラ嬢が眉をひそめる。


「何をなさっていますの?」


「このカップを、どうするおつもりで?」


彼女は本気で分からないという顔をした。


「どうするも何も……」


砕けた破片を見下ろす。


「壊れたのですわ」


「そうですわね」


「でしたら、捨てるしかないでしょう?」


ワシは大きめの破片を一つ拾い上げた。


「不思議なことをおっしゃる」


「何がですの?」


「婚約の証を、そんなに簡単に捨てるのですか?」


エンラ嬢が固まった。


「そういう意味では――」


「大切な物だとおっしゃいましたわ」


エンラ嬢の声が跳ね上がる。


「大切ですわ!」


「けれど、壊れたから捨てる」


彼女は口を開いた。


そして、閉じた。


ようやく矛盾が届いたらしい。


「ドラガン様に、このような姿はお見せできませんわ」


エンラ嬢は小さく言った。


「もう、台無しですもの」


「いいえ」


ワシは割れた陶器を眺めた。


割れ方が良い。


実に良い。


清く。


鋭く。


どこか優雅ですらある。


珍しい幸運であった。


「台無しではありませんわ」


エンラ嬢が瞬く。


「え?」


ワシは笑った。


少しばかり、危険な笑みだったかもしれない。


「もっと美しくなります」


エンラ嬢は、しばらくワシの顔を見つめていた。


部屋は静まり返る。


メイドも、何を言われたのか理解できないという顔をしている。


「……もっと、美しく?」


「ええ」


ワシは立ち上がり、拾い上げた破片を掲げた。


「一つ、お尋ねしても?」


「……何でしょう」


「その婚約が本当に大切なものならば、傷を負っただけで手放すのですか?」


エンラ嬢は言葉に詰まった。


「それは……」


「直せないから?」


「……はい」


「誰がそう決めたのです?」


その問いは、責める言葉よりも深く彼女に刺さったようだった。


エンラ嬢は足元の破片へ視線を落とす。


先ほどまでの激情は影を潜め、代わりに迷いが浮かんでいた。


ワシは静かに頷く。


「参りましょう」


「どちらへ?」


「職人のもとへ」


――


数日後。


ワシとエンラ嬢は、王国でも指折りの金細工職人を抱える子爵家を訪れていた。


応接室で事情を説明すると、子爵は眉をひそめる。


「陶器の修復に……金を?」


「左様ですわ」


子爵は、本気か冗談か判断に困っているようだった。


残念ながら、本気である。


やがて金細工職人が呼ばれてきた。


職人は割れたティーカップを見た。


ワシを見た。


もう一度ティーカップを見た。


「お嬢様」


「何でしょう?」


「なぜです?」


良い質問である。


人は本当に面白いものを前にすると、決まってその問いを口にする。


「美しいからですわ」


職人は瞬きをした。


子爵はため息をつく。


二人とも納得していない。


当然である。


美とは、最初から理解されるものではない。


職人はティーカップの亀裂を指差した。


「修理すること自体は分かります」


「ええ」


「ですが、傷を目立たせるとは?」


「続けてください」


「修復とは、本来傷を隠すために行うものです」


「そこに問題があります」


部屋が静まり返る。


ワシは見本として持参した割れた皿を取り出した。


そして少量の金を溶かす。


ゆっくりと。


丁寧に。


黄金の雫を、亀裂へ流し込んでいく。


溶けた金は、陽光を映した川のように静かに流れた。


職人が身を乗り出す。


子爵も思わず前へ傾く。


よろしい。


ようやく興味を持ったようだ。


ワシは皿を掲げた。


白い陶器の上を、一本の金色の線が走っている。


隠さない。


誇る。


傷を飾る。


部屋から音が消えた。


職人が見つめる。


子爵が見つめる。


エンラ嬢も見つめる。


ワシは静かに口を開いた。


「傷を隠してはなりません」


黄金の線が光を受けて輝く。


「祝うのです」


職人が首を傾げた。


「傷を……祝う?」


「いいえ」


ワシは金色の継ぎ目を指先でなぞった。


「生き残ったことを祝うのです」


再び静寂が訪れる。


「この皿は、一度死にました」


ゆっくりと皿を回す。


「だからこそ、歴史を持ったのです」


黄金がきらめく。


「傷一つない皿は、何一つ乗り越えたことがありません」


ワシはエンラ嬢を見る。


「ですが、この皿は違います」


エンラ嬢の紅い瞳が大きく見開かれた。


「この傷は恥ではありません」


「証なのです」


「愛された証」


「使われた証」


「そして、乗り越えた証」


誰も口を開かなかった。


やがて子爵が、小さく息を吐く。


「……見事ですな」


職人はワシの手から皿を受け取った。


一度。


二度。


三度。


角度を変えながら、食い入るように眺める。


やがて、ゆっくりと頷いた。


「なるほど」


よし。


今、この職人は一歩を踏み越えた。


最も難しい一歩を。


「今まで私は、傷を消すことしか考えておりませんでした」


「では、これからは?」


職人の瞳が輝く。


「傷を、意匠として生み出したい」


ワシは微笑んだ。


また一人、同志が増えた。


種は、確かに芽吹いた。


エンラ嬢は、割れたティーカップを見つめ続けていた。


もう怒りはない。


残っているのは迷いだけだった。


「本当に……元に戻るのでしょうか」


「いいえ」


エンラ嬢が顔を上げる。


「戻りません」


ワシは砕けた破片を彼女へ差し出した。


「もっと良いものになります」


エンラ嬢は息を呑む。


「このティーカップは、貴女自身の手で直しなさい」


「わ、わたくしが?」


「ええ」


彼女の声が震える。


「わたくし、そのようなこと、一度も……」


「ならば、今日が最初です」


エンラ嬢は静かに破片を見つめた。


自らの怒りが刻んだ傷。


自らが失うことを恐れた証。


「もし失敗したら……?」


その声は、今までで一番弱々しかった。


「それもまた、良き経験です」


「醜くなってしまったら?」


ワシは穏やかに笑う。


「その時は、なぜ醜いのかを学べばよろしい」


職人が笑った。


子爵も笑った。


メイドも、小さく笑った。


エンラ嬢は部屋を見回す。


そして、もう一度ティーカップを見る。


ゆっくりと。


本当にゆっくりと。


彼女は微笑んだ。


小さな笑みだった。


だが、それは今日初めての、本物の笑顔だった。


うむ。


人を焼くより、ずっと良い。


――


数週間後。


アンクウ王立学園。


首席で入学したミークには、一つ大きな問題があった。


何も起こらない。


入学式は終わった。


ゲーム通り。


授業も始まった。


ゲーム通り。


ここまでは間違いない。


なのに。


イベントだけが起こらない。


一つも。


ミークは学園の廊下を足早に歩く。


困惑。


焦燥。


そして、日に日に大きくなる恐怖。


ここは乙女ゲーム『破滅の国の救世姫』の世界。


ミークは全ルートを知っている。


全攻略対象を知っている。


全エンディングを知っている。


そして何より――


すべての悪役令嬢を知っている。


このゲームの醍醐味はそこだった。


個性豊かな悪役令嬢たちが主人公を虐める。


攻略対象はそんな婚約者に苦しみ、主人公が救い出す。


婚約を破棄させ、愛を勝ち取り、悪役令嬢を破滅へ導く。


それが人気を博した王道の展開だった。


そして今日こそ、その始まりのはずだった。


廊下での嫌味。


飲み物をぶちまけられる事件。


衆人環視の辱め。


あるいは魔法を使った嫌がらせ。


本来なら、もういくつも起きているはずなのに。


何もない。


虐めもない。


悪役令嬢も現れない。


イベントも起きない。


物語そのものが始まらない。


ミークは立ち止まった。


背筋を冷たいものが這い上がる。


「どういうこと……?」


予定を間違えた?


いや。


ありえない。


何度も確認した。


何度も覚え直した。


今日残っているイベントは、一つだけ。


学園のテラス。


もしゲームがまだゲームのままなら。


あそこには、必ず誰かがいる。


ミークは駆け出した。


――


いた。


エンラ=ド=モンフォール。


残虐令嬢。


炎を操る危険な公爵令嬢。


主人公のスカートへ火を放ち、それを見て笑う女。


ゲームでも特に有名な悪役令嬢だった。


ミークは覚悟を決めていた。


だが。


テラスで見たのは。


紅茶を飲みながら、穏やかに笑うエンラだった。


意地悪そうな笑みではない。


勝ち誇った笑みでもない。


心から幸せそうな笑顔。


その時点で、おかしい。


いや。


おかしすぎる。


そしてミークはティーカップに気付く。


白い陶器。


金色の継ぎ目。


傷が、美しい模様へと変わっていた。


まるで稲妻のように。


ミークの目が見開かれる。


嘘でしょ。


そんな。


ありえない。


もう一度見る。


さらに近付いて見る。


そして。


「金継ぎ!?」


思わず声が出た。


周囲の生徒たちが一斉に振り向く。


そんなことはどうでもよかった。


ミークの頭は停止していた。


なんで金継ぎがあるの?


この世界、日本なんて存在しないよね?


いや、それより――


なんでエンラが笑ってるの!?


殺人は!?


虐めは!?


悪役令嬢らしい高笑いは!?


エンラがミークへ気付いた。


「あら?」


エンラは誇らしげにティーカップを掲げる。


「この技法をご存じですの?」


ミークは口を開いては閉じる。


まるで水から上げられた魚のようだった。


「え……ええ。昔、本で見たことが……」


前世の知識とは言えない。


とっさに誤魔化す。


「まあ!さすが首席入学者。博識ですのね」


エンラの表情が明るくなった。


「わたくし、ザリー様に教えていただけるまで知りませんでしたわ」


教えてもらった。


修理する方法を。


新しく買う方法ではない。


捨てる方法でもない。


直す方法を。


エンラは、金色の継ぎ目をそっと指でなぞった。


「この傷をご覧になって」


ミークは黙って頷く。


エンラは顔を上げた。


「一つ一つが、ドラガン様を思い出させてくださるのです」


「……え?」


「割れた時は、本当に絶望しましたわ」


エンラは小さく笑う。


「でも、自分の手で直したから」


もう一度ティーカップへ目を落とした。


「今では、あの頃よりもっと思い出が詰まっていますの」


ミークは言葉を失った。


このカップは、ただ直ったのではない。


意味そのものが変わっていた。


失った物の象徴ではない。


想い続けることの象徴。


完璧だった証ではない。


乗り越えた証。


『壊れても、それでも傍にありたい』


そう語る、愛の証になっていた。


ミークの背筋が冷たくなる。


ゲームでは。


ドラガンは救済対象だった。


婚約者エンラに怯える哀れな攻略対象。


婚約の証が壊れた日。


エンラはメイドを処刑し、その死体をドラガンへ送り付ける。


ドラガンは恐怖した。


それが婚約破棄への第一歩となり、主人公が彼を救うきっかけになる。


そのはずだった。


なのに。


目の前では。


エンラが、割れたティーカップへ優しく微笑んでいる。


かつては壊れたカップのために人を殺そうとした女が。


今は壊れたからこそ宝物になったと言っている。


もう別人だった。


いや。


同じ人物ですらない。


ミークは固まった。


嫌な予感がする。


災害が起きる直前のような。


そんな予感だった。


ゆっくり。


本当にゆっくりと歩き出す。


ふと、ミークは校内掲示板へ顔を向けた。


そこには、新しい記事が貼られていた。


『ザリー=ド=ロシュフォール、王都で新たな流行を生む』


『天然結晶派、王国全土へ拡大』


『エンラ=ド=モンフォール、金継ぎ研究会を設立』


ミークは読んだ。


もう一度読んだ。


さらに、もう一度。


手が震える。


思考が止まる。


「……うそ」


もう一度読む。


「いやいやいや」


乙女ゲームだったはずだ。


恋愛ゲームだったはずだ。


経済革命ではない。


芸術革命でもない。


ましてや――


金継ぎ革命などでは断じてない。


ミークは頭を抱えた。


そして。


空へ向かって叫ぶ。


「どんなバランス調整なのよ、これぇぇぇぇぇ!!」


――


その頃。


どこかでザリーは微笑んでいた。


この世界には。


まだまだ、宝へ変えられる物が眠っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ