第1話 この世界の美意識は退屈だ
この世界の美意識を、ワシは覆す。
まずは、簡単なものから始めよう。
縞模様だ。
――
ようやく。
ようやくワシは、千利休殿の茶会に招かれた。
千利休。
当代随一の茶人。
ひとつの茶碗の価値を、城ひとつより高くしてしまう男。
その御仁の前で、ワシの美意識を披露する機会が、ついに巡ってきたのだ。
素晴らしい。
実に、素晴らしい。
前日の夜など、胸が高鳴って一睡もできなかった。
準備は万端だった。
茶道具は選び抜いた。
段取りも整えた。
完璧だった。
あとは、茶会へ赴くだけ。
そこでワシは、暗殺された。
一瞬の出来事だった。
ああ。
首が落ちる。
それが、ワシの最後の思考だった。
そして、闇。
無念。
せめて利休殿の感想だけでも、聞きたかった。
――
次に目を開けた時、ワシは少女になっていた。
鏡を見つめた。
三日ほど。
結論は。
分からぬ。
まったく分からぬ。
ただし、一つだけ確かなことがあった。
ワシは、死んだのだ。
前世の僧たちなら、これを転生と呼ぶのだろう。
奇妙な体験である。
新しいワシの名は、ザリー。
侯爵家の令嬢らしい。
衣服は、かつて日の本で見た南蛮人のものに似ていた。
ポルトガルの商人や、伴天連たちが身にまとっていた、あの異国の装いだ。
しかし、ここは明らかに彼らの世界ではない。
人々は女神を崇めていた。
魔法が存在した。
本物の魔法である。
その時点で、ワシは考えるのをやめた。
やがて、帰ることも諦めた。
礼儀を学んだ。
貴族の作法を学んだ。
令嬢としての振る舞いを学んだ。
ワシは順応した。
少なくとも、順応しようとはした。
そして、ある日。
ワシは気づいてしまった。
この世界は、退屈だ。
痛ましいほどに。
絶望的なほどに。
許し難いほどに、退屈だった。
茶器は退屈。
絵画も退屈。
彫刻も退屈。
物語も退屈。
神話ですら想像力に欠けていた。
なんと悲しいことか。
何もかもが決まりきっている。
何もかもが伝統に従っている。
何もかもが期待された通りに作られている。
誰も挑戦しない。
誰も壊さない。
誰も疑わない。
戦国の世では、人は土地のために命を懸けた。
同時に、茶碗のためにも命を懸けた。
時には城より高価な茶碗すらあった。
美のために財を失う者がいた。
名誉を失う者がいた。
命を落とす者すらいた。
それほどまでに、人は美を求めたのだ。
しかし、この世界はどうだ。
美のために何かを賭けようとする者が一人もいない。
情けない。
神を崇める者もいる。
王に忠誠を誓う者もいる。
ワシは美に仕える。
そして、その美は今、死につつあった。
そんなことは許されぬ。
ならばよい。
誰も新しい美を生み出さぬと言うのなら――
ワシが生み出す。
幸い、貴族の服飾にはまだ自由が残されていた。
ドレスの形は決まっている。
だが色は選べる。
装飾も選べる。
それで十分だった。
――
そして、ある日。
天啓が訪れた。
縞模様。
美しい。
疑いようもなく美しい。
もし世界がそう思わぬのなら、間違っているのは世界の方だ。
スカートには縦縞。
胴には横縞。
袖には斜めの縞。
一本一本の線が視線を導く。
角度が緊張感を生む。
対比が調和を生む。
見事だった。
実に見事だった。
ワシの傑作が完成した。
満足したワシは、そのまま社交界へ向かおうとした。
そこで父上が現れた。
「ザリー」
「はい、お父様」
父上はワシの姿を見るなり固まった。
「……お前は何を着ているのだ?」
ワシは背筋を伸ばした。
誇らしく。
堂々と。
「縞模様です」
「それは見れば分かる」
父上の眉間に深い皺が寄った。
「目が痛い」
「美とは人の目を奪うものです」
「確かに奪われたな」
成功である。
父上は額を押さえた。
「なぜこんな物を作った」
「美しいからです」
「今すぐ着替えろ」
「なぜです?」
「馬鹿げているからだ!」
ワシは瞬きをした。
本気で理由が分からなかった。
父上はドレスを指差した。
「そんなものを好むのは変人だけだ!」
それは違うだろう。
目が見える者なら誰でも理解できるはずだ。
「お父様」
「なんだ」
「具体的に何が悪いのです?」
父上の顔が赤くなった。
「その線が身体の線を強調している!」
「その通りです」
「褒めておらん!」
興味深い。
実に興味深い。
どうやらワシの芸術は、すでに効果を発揮しているらしい。
父上は立ち上がった。
そして、厳かに指を突きつける。
「もしその格好で社交界へ出ると言うのなら――」
父上は大きく息を吸った。
「まずワシを倒してからにしろ!」
ワシは即座に理解した。
なるほど。
力ある者が道を示す。
古来より変わらぬ理である。
どうやらこの世界も、まだ正しい価値観を残しているらしい。
決闘。
実に合理的だ。
ワシは頷いた。
「承知しました」
次の瞬間。
ドスン。
父上が倒れた。
一撃だった。
当然の結果である。
ワシは元々、武士だった。
しかも、それなりに腕の立つ武士である。
「は、速い!?」
執事が叫んだ。
速くて当然だ。
ワシは倒れた父上を丁寧に床へ寝かせた。
なんとも平和な世界である。
そしてワシは社交界へ向かった。
――
結果は。
大敗北だった。
会場へ入った瞬間。
全員の視線がワシに集まった。
賞賛ではない。
恐怖。
困惑。
苦痛。
そんな感情が見て取れた。
国王陛下までもがワシを見つめ。
そして深いため息をついた。
「ザリー嬢」
「はい、陛下」
「君は目立ちすぎる」
胸が痛んだ。
父上に否定された時よりも痛んだ。
その後も散々だった。
「品がない」
「派手すぎる」
「目が痛い」
「変わった娘だ」
容赦がない。
実に容赦がない。
――
帰宅した頃には、父上も回復していた。
当然だ。
そこまで強く打ってはいない。
父上は腕を組んだ。
「だから言っただろう」
痛い。
非常に痛い。
ワシは敗北を認めた。
縞模様は美しい。
それは間違いない。
世界が違うと言うのなら、間違っているのは世界の方だ。
では何が悪かったのか。
芸術ではない。
戦略だ。
戦国の世でも、新しい価値観は一人では広まらなかった。
まず味方を集める。
そして世界を変える。
ワシはその順番を間違えたのだ。
なんという初歩的な失敗だろう。
二度と繰り返すまい。
もっとも。
希望が無かったわけではない。
すでに何人か、面白い人間を見つけていた。
宝石鉱山を所有する辺境伯。
画家たちを支援する公爵。
優秀な金細工師を抱える子爵。
興味深い。
実に興味深い。
この世界も、まだ捨てたものではないのかもしれぬ。
ワシは微笑んだ。
次の標的は――
指輪だ。
そしてその指輪で、この世界の価値観を少しだけ揺らしてやろう。
――
翌日。
ワシは机に向かっていた。
目の前には宝石に関する資料が積まれている。
エメラルド。
この王国で最も高価な宝石。
だが。
退屈だ。
実に退屈だ。
貴族たちは皆、同じ石を。
同じ形に加工し。
同じような指輪にはめ込み。
同じような言葉で褒めていた。
「見事な宝石だ」
「透明度が素晴らしい」
「職人技の結晶だ」
もちろん分かる。
価値が生まれる理由は理解している。
代々受け継がれた指輪。
王家から賜った宝飾品。
愛する者から贈られた証。
そうした物語が価値を与える。
だが石そのものはどうだ。
大きい。
小さい。
透明。
不透明。
それだけだ。
つまらない。
あまりにも。
だからワシは決めた。
職人が作った美ではなく。
世界そのものが生み出した美を見ようと。
――
そして数日後。
ワシは辺境伯レドモントの鉱山を訪れていた。
倉庫には無数の原石が積み上げられている。
エメラルド。
サファイア。
ルビー。
いずれ宝飾品になる石たち。
そして。
捨てられる石たち。
価値が無いと判断された石たち。
そこでワシは見つけた。
一つのエメラルドを。
歪んでいる。
形も悪い。
内部には気泡がある。
細かな亀裂も走っている。
宝石商が嫌う石だ。
ワシはそれを手に取った。
そして笑った。
興味深い。
実に興味深い。
レドモント伯は首を傾げる。
「その石ですかな?」
「うむ」
「商品価値は低いのですが」
「素晴らしい」
「……素晴らしい?」
ワシは原石を光へかざした。
亀裂が輝く。
気泡が輝く。
偶然が輝く。
人の手では作れない。
だからこそ美しい。
「この石は生きておりますわ」
レドモント伯は黙った。
「そして生きた物の方が、完璧な物より美しいのです」
しばらく沈黙が続く。
「……多くの者は、それを欠陥と呼ぶでしょうな」
レドモント伯が言った。
「多くの者は退屈ですからね」
伯爵は吹き出した。
よろしい。
ようやく理解したらしい。
ワシの理屈ではない。
ワシの狂気を。
それで十分だ。
次に必要なのは職人だった。
そして芸術家。
――
ワシは名高い金細工師たちを抱える子爵を訪ねた。
親方は石を見るなり顔をしかめた。
「無理ですな」
「ならば挑戦か?」
「悪夢です」
「ますます良い」
親方は大きくため息をついた。
そして笑った。
危険な笑みだった。
寝る時間を削ってでも挑みたくなる難題を見つけた時だけ、職人が浮かべる笑み。
実に良い。
また一人、味方が増えた。
――
公爵家お抱えの宮廷画家はもっと話が早かった。
芸術家というものは、狂気に理解がある。
ワシは指輪を彼の前へ置いた。
「何が見える?」
画家は見つめた。
長い間。
本当に長い間。
「山ですな」
興味深い。
「続けよ」
「雷に裂かれた山」
ほう。
「その奥に、美しい何かが隠れている」
ようやく話が通じる相手が現れた。
ワシは満足そうに頷いた。
「良い」
画家はワシを見た。
「それで、何を企んでおられるのです?」
ワシの口元に笑みが浮かぶ。
かつて茶碗を選んでいた頃と同じ笑みだ。
「ドレスだ」
――
一年後。
すべての準備は整った。
王国中の貴族が集まる第一王子の誕生祭。
舞台として申し分ない。
観客として申し分ない。
そして。
犠牲者としても申し分ない。
――
宴会場は富で輝いていた。
黄金。
白銀。
宝石。
貴族たち。
すべてがあるべき場所に収まり。
すべてが期待通りに並んでいる。
退屈だ。
そこへワシが現れた。
全身白のドレス。
今回は縞模様ではない。
ワシは学んだのだ。
もっとも。
皆が学んでほしかった教訓ではない。
人は最初から殴られると逃げる。
だからまず安心させる。
このドレスは上品で。
保守的で。
退屈なほど普通だった。
完璧だ。
だから最初に人々の目を引いたのは、エメラルドの指輪だった。
当然である。
ざわめきが広がる。
「あれは未完成では?」
「なぜあんな物を身に着けているの?」
「壊れているように見えるわ」
結構。
実に結構。
すべて計画通りだ。
まず目を向けさせる。
次に疑問を抱かせる。
そして記憶に刻ませる。
美は注目から始まる。
音楽が鳴り響く。
祝宴は最高潮へ達した。
そして――
ワシはドレスの純白の外衣を脱いだ。
息を呑む音が会場中に響く。
その後に訪れたのは沈黙だった。
現れた内側のドレス。
それは絵画だった。
いや。
物語だった。
エメラルドの光が絹の上を流れる。
まるで雷を閉じ込めたかのように。
王国の建国王。
一つの山。
緑の閃光。
天へ掲げられるエメラルド。
そしてその中心には――
ワシの指輪。
もはやそれは宝飾品ではなかった。
神話の一部だった。
物語の一部だった。
理念の一部だった。
会場は静まり返った。
すべての視線がドレスへ釘付けになる。
やがて囁き声が戻ってくる。
だが先ほどとは違う。
嘲笑ではない。
好奇心。
興味。
そして欲望。
素晴らしい。
病は広がり始めた。
最初に口を開いたのは公爵だった。
「建国神話の見事な解釈ですな」
続いて子爵。
「なんという職人技だ」
レドモント伯はただ微笑んでいた。
もう理解している。
ワシもまた理解していた。
国王陛下がワシを見る。
長い間。
本当に長い間。
そして――
またしてもため息をついた。
「ザリー嬢」
「はい、陛下」
「価値の無い石を宝へ変えてしまったな」
「いいえ」
陛下は瞬きをした。
「違うのか?」
「石は最初から美しかったのでございます」
沈黙。
「私は、人々にそれを気付かせただけです」
陛下はなおもワシを見つめる。
「しかも今では、その権利のために余計な金まで払っております」
会場が静まり返る。
そして次の瞬間。
国王は笑った。
本当に笑った。
「それは思った以上に危険だな」
勝利だった。
拍手が始まる。
ゆっくりと。
そして会場全体へ広がっていく。
つい先ほどまで嫌われていた。
今は欲しがられている。
興味深い。
実に興味深い。
美は変わっていない。
変わったのは、人々がそれを受け入れる許可だけだ。
質問が飛ぶ。
注文が飛ぶ。
そして金が飛ぶ。
結局はいつだって金である。
数か月後。
原石の需要は爆発的に増加した。
レドモント伯はさらに富み。
金細工師たちは休む暇を失い。
画家たちは新たな後援者を得た。
市場そのものが変わってしまった。
エメラルドが変わったからではない。
何一つ変わっていない。
変わったのは値段だけ。
変わったのは人々の認識だけだった。
父上は報告書を眺めた。
そしてワシを見る。
「……お前、儲けたな」
「それが目的ではありません」
「他の連中にとっては目的だったようだがな」
痛いところを突く。
認めたくはないが。
正しい。
ワシは笑った。
愉快だ。
実に愉快だ。
この世界も、案外捨てたものではないのかもしれぬ。
人々に必要だったのは、より良い目ではない。
ただ――
違う見方をしても良いのだという許可。
それだけだったのだから。
――
それから、しばらく後。
遠く離れた王都の学園では、
一人の少女が学園新聞を前に頭を抱えていた。
名をミークという。
彼女は今、とても機嫌が悪かった。
なぜなら。
彼女はこの世界を知っていたからだ。
物語を。
登場人物を。
結末を。
そして。
悪役令嬢ザリーを。
本来なら破滅するはずの令嬢。
主人公に敗れるはずの悪役。
そういう役だった。
だが、彼女の目の前には新聞がある。
『縞模様令嬢』
『原石運動の創始者』
『欠陥を贅沢品へ変えた貴族令嬢』
ミークは記事を読み返した。
二度。
三度。
五度。
そして呟く。
「……いや、おかしいでしょ」
乙女ゲーム『破滅の国の救世姫』
彼女は、その主人公に転生していたはずだった。
恋愛の準備はしていた。
攻略対象も覚えていた。
だが。
市場改革をする悪役令嬢など聞いていない。
ミークは再び新聞を見た。
そして頭を抱えた。
――
一方その頃。
ワシは奇妙な形をしたガラス瓶を眺めていた。
興味深い。
実に興味深い。
美には、まだやるべき仕事が山ほどある。
まだ始まったばかりだ。
この世界には、価値が無いと捨てられた美が多すぎる。
ゴミのふりをした宝が多すぎる。
そして。
宝のふりをしたゴミも多すぎる。
ならばワシが見つけ出そう。
誰も気づかなかった美を。
誰も見ようとしなかった価値を。
短編版『転生数寄者令嬢 ~ゴミを宝に、宝をゴミに。価値観転換する元サムライ~』をもとに、連載版として再構成した作品です。
短編版では描ききれなかった「価値観が変わる瞬間」や、「ザリーがどのように世界を変えていくのか」を描いていく予定です。
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