第45話 たった一人の
赫場で動くことが出来なかった。結界の展開によって時間を止められた魔族達とは違う。それは目の前で繰り広げられた光景があまりにも信じられないものだったから。
ステラの赤髪がアルマの肩に埋められる。黒の両翼は少女の痩せ細った身体を掴み、引き寄せ、両腕で包み込む。それは確かに愛情が存在する抱擁だった。
「ステ、ラ」
「やっと、あなたを抱き締められた」
赤髪の女の頬に一筋の涙が伝う。今まで威圧的だった彼女の様相も、柔らかくなったような印象を受ける。半魔の少女はそんな彼女の顔を眺めて、ただ不思議そうにその場で抱き締められていた。
「どういう、こと?」
「アルマのこと、殺そうとしてたんじゃ」
「最初から騙してたのよ。アンタ達も、アイツらも」
まだ一切の理解が追いついていない私をよそに、ステラの意図をエマだけがいち早く悟っていた。
「ステラ、貴方まさか最初から!」
「全部計画の内よ。この娘、アルマを逃がしたことも。村の魔族をここに集めて無力化させること、それがアタシの最終目標。まあ誤算もあったけどね」
「っていうことはステラちゃん、私達はその誤算?」
「当然そうよ。とはいっても、あらゆる状況を考えてたから部外者の乱入程度は想定してた」
私もエマも軽葉だけがこの場でステラと対等に会話をしていた。
「当初は計画が終わるまで部外者でも構わず殺そうとも思ってたわ。アルマにとっての危険分子を完全に排除するために。だけど」
ステラはアルマを抱き締めたまま、私達へ初めて微笑みを見せる。もうそこに先まで張りつめていた修羅の顔はなかった。
「悪人の目なら村で散々見てきた。だから一目見た時から、アンタ達が良い人だってすぐに分かった。それで任せたの」
「任せたってアンタねぇ。でもその割に初対面で私相手へ強力な魔術使ってきたじゃない」
「それは仕方ないでしょ。アンタだけは善人悪人を判断する前に、殺気を帯びた実力が先に伝わってきたんだもの。念の為の警戒だったわ」
納得のいっていない顔でエマはブツブツと呟いていたけれど、その発言自体に反論することはなかった。
「でもステラ。こんな芝居じみた大掛かりな事までしてどうして」
「アタシの目的は、最初からただ一つ。半魔の忌み子、アタシの妹を救うことよ」
彼女を除くこの場にいた全員が言葉を失った。ただ更に驚くことに、その事実に対して最も驚愕していたのは他でもないアルマだった。
「いもうと……? ワタシが、ステラの?」
「アンタはアタシはね、父親違いの姉妹なんだ。アタシは純血の魔族だけど、この血の半分はアンタと同じ血」
動揺するアルマの頭を優しく、怯えさせないように撫でながらその額にステラはそっとキスをした。ずっとこうしてあげたかったと囁いて。
「アンタは母さんが遺した、たった一人の家族」
二人はその場で座り込み、未だ呆然としたままのアルマをステラは抱き寄せた。
「忌み子は、忌み子と呼ぶ者がいるから忌み子になる。だからアタシは、忌み子としてのアンタを殺す為にここまで来た。アンタを忌み子と呼ぶ奴らを、殺す為」
「ステラ?」
「アタシはあの日から。母さんが目の前で……生きたまま焼かれる姿を見た時から。アンタだけは命に代えても守るって決めてたわ」
ステラは震えていた。か細く、弱く、あまりに痛ましい。そんな声を胸の奥から絞り出す。
「それなのに、ごめんね」
堰を切ったように咽び泣いていた。あれだけ大きく見えた翼が小さいと錯覚してしまうほど彼女は肩をすくめて、嗚咽混じりにこれまでの悔いを吐露する。
「アルマはずっと、何も悪くないのにずっとこんな目に遭ってるのにアタシ。何にも出来なかった」
「ねえステラ」
「あの地下牢、寒かったよね。ご飯は少なくて不味かったよね。痛くて苦しくて、辛かったよね」
忌み子として同族から迫害を受けていたアルマの傷は決して小さなものじゃない。ただそれでもステラが抱えていた苦しみはそれを超えるものだったと感じてしまう。
母を殺された悲しみ、村の人々に対する憎しみ、愛する妹が痛めつけられる様を黙って見ているしかない悔しさ。計り知れないその痛みが十数年も一人の少女を蝕んでいたなんてあまりにも、あまりにも酷な話だった。
「同じ血が流れてて、ずっと手の届くとこにいたのに。お姉ちゃんさ、守ってあげられなかったよ」
「違うよ。ステラ」
零れ落ちるステラの涙は妹の指で拭われる。そのまま痩せた両の腕が彼女の頭に回される。今度は彼女を包み込むように、それでいて甘えるようにぎゅっと、アルマは姉に抱き着いた。
「ステラ。ワタシ、嬉しかった」
忌み子として育った少女はその乏しい語彙を一生懸命に引き出しながらゆっくりと言葉を繋げる。きっと地下牢で過ごしたステラとの思い出を懐古しながら。
「お話、楽しかった。一緒にいる時、寂しくなかった」
「アルマ……」
「ステラ、優しかった。一緒のご飯、おいしかった。ステラ、一緒にいてくれたから暖かかった」
静かな涙を溢してアルマは姉に微笑みかける。
「ステラ、ずっと、アルマの大好きなお姉ちゃんだった」
「……全く、何回も姉を泣かせんじゃないわよ」
切なくて胸が苦しくなるような深い姉妹愛。あまりに一途で胸が詰まるような愛情を目の当たりにした私達もすっかり目元を腫らしていた。
「ステラ、ごめんなさい。私達ずっと貴方のこと……」
「気にすんな。ここまで妹を守ってくれてありがとう。それと、妹に素敵な名前をつけてくれたことも感謝してる」
「ステラさんがみんなと和解できてよかったです」
「軽葉には傷の手当から色々と助けられたな。ありがとう。アタシが教えた魔術はそこのお師匠さんに後でちゃんと学びな」
「はい、頑張ります! まあ私からしたら、ステラさんも立派な師匠ですけど」
すっかり冗談めかした話し方もするようになった軽葉は蠱惑的な笑みを浮かべていた。
「それと、奏!」
力強く私の名を叫ぶとステラは近付いてきて、右腕と両翼でグイッと体を引き寄せた。
「ありがとな、この娘のために怒ってくれて。友達になってやってくれて」
「そんなの当たり前」、と言いかけた時だった。周囲で展開されていた結界が、音を立てて空間に大きな亀裂を入れたのだ。亀裂が走ったと同時に、ステラの魔術に拘束されていた魔族達が微かに動いたのを私は見逃さなかった。
「け、結界が」
「そろそろ限界か。全く、アタシが10年以上ここで作り上げたってのにさぁ」
「十年って、そんな大術式は王都の守衛魔術規模じゃない」
「この黒翼は魔力を文字通り食うんだ。これだけの魔族がいたらそりゃあ崩れるよ」
「この後どうするの!?」
「計画はある。だがそのためには、アンタ達の助けがいる」
「もちろん協力するよ!」
真っ先に浮かんだ空中、エマの魔法、風圧剣などの逃走手段が頭を巡っていた中でステラから迷いのない指示が飛ばされる。
「最後の頼みだ!」
ステラは足元から魔族達を覆う新たな結界術式を展開する。ただ一本だけの退路を残して。
「アルマを、ここから連れて逃げてくれ」
その逃げ道をステラが通ることは出来ない。新たな結界は追っての魔族のみならず、彼女自身も囲うように生成されていたから。
「それってちょっと、貴方」
「アンタ達なら、信用出来る。だから代わりに頼んだぞ、妹を……」
「何言ってるの! 貴方1人で、魔人族全員を相手になんて」
「それはアンタ達が加勢しても同じこと! ここで戦って勝てるような連中じゃない」
「だったらどうやって──」
「アタシがここで、一族の血を絶やす。これだけが今の選択肢だ」
エマの言葉を遮って吐いたステラの瞳には不退転の決意が宿っていた。その決意が向かう先を私達は悟ってしまう。
「軽葉。アンタに教えた回復魔法があれば、三人がここからアルマ担いで逃げるだけの体力は回復出来るだろ?」
「あんまりですよ、そんな」
「すまないな」
こんな現実なんて認めたくないけれど、もうそれ以外の選択肢なんてなかった。
「これしかない。失敗すれば、全てが水の泡なんだ!」
どうにか活路を見い出せないか考えを巡らそうにも私の頭じゃ出てこない。
思考が止まりかけた寸前、ステラは私にただ一言。
「アタシの妹、任せたよ」
その言葉に負けてしまった。頭も力もない私はその愛に屈してしまった。
ここまで耐え忍んで、この時のために生きてきたステラの決意を無碍にすることなんて出来ない。流れかけの涙を堪えて、彼女の覚悟を引き継ぐ。
「アルマちゃんは、命に変えても護ります」
「ありがとな、奏」
アルマを抱きかかえてこの場から離れようとした。それに抵抗してアルマがもがこうとしたものの。
「……まって」
「ベロニカ・ウァサゴ」
エマの詠唱と共にアルマから力がダラんと抜ける。なんとか私が担いで無理矢理走れる程度までアルマの力は奪われた。
「アルマの魔力と力を奏たちに一瞬渡すだけ。すぐに元に戻るから」
「まって。まって、まって、まって。まって! まって!!」
私は振り返らなかった。いや、振り返れなかった。エマと軽葉の魔術補助を受けながら、ステラとの距離を離していく。二人とも血が滲むほど唇を噛み締めて、私と同じような表情を浮かべていた。
ようやく心を通わせた姉妹の仲を引き裂く残酷な所業だった。それでも最後の責務として私達は託されたアルマの命を最優先に駆ける。風の魔法と剣の風圧で結界から、遺跡から、森から抜けていく。
「ステラっ……」
抵抗も虚しく遠ざかってゆくステラに向かってアルマは手を伸ばす。落涙とともにアルマはステラを呼んだ。
「──おねえちゃんッ!!」
アルマの伸ばした手の先で、ステラは最期に振り返って微笑んだ。
「しあわせになりな、アルマ」
景色が光で塗り潰される直前、囁くように詠唱された魔術の名が私達の耳へ最後に届く。
「アルマ・サクリファイス――」
蒼空まで届く紅い閃光の彼岸花が、咲いた。遺跡に蓄積された魔力は回路を伝ってし、黒の両翼を起点として魔力爆発を起こす。白い光を帯びた爆発は世界から音を消し、視界を消し、結界ごと魔族を灼いて葬り去る。悲しみと憎しみを抱えて生きたその愛は途方もない衝撃を生み、巨大遺跡と化したバエルの最深部まで至る一撃となった。
そこにあった一つの人影を呑み込みながら、爆炎は古からの禍根を一つ、この世から消し去った。




