第44話 連れ出す手
生まれてくる場所を間違えた。持つべき体を間違えた。そんな思いはいつも少女の心の中にあった。
忌みの片翼を持ってしまったということは、大罪である。外の世界なんて知らない少女は抗うことさえ知らず、全てを受け入れていた。
人間の男と交わり半魔である自分を産んだ母が殺されたことも、飯も満足に食えない牢獄生活を強制されたことも、供物として捧げられる最期も、全て。
ただ嘆き、悲しみにくれているだけしか半魔としての彼女は出来なかった。
しかしある日、運命のいたずらが起きた。常に閉ざされていた牢獄の戸が開いていたのだ。檻の鍵だけでなく、地下と地上を繋ぐ扉もその時は開放されていた。
この場所から逃げられる、という発想が10数年の悲惨な人生の中で初めて彼女の中に芽生えた。
今までの苦痛と哀しみは何だったのか、なぜ自分はこんな扱いを受ける必要があるのか。その理不尽さにようやく理解が追いついた。
これまで受けた暴力や仕打ちの記憶は、アルマを立ち上がらせた。まだ続く果てしない空腹と生傷の痛みは、アルマに檻の戸を開けさせた。言い表し難いほどの悲哀は、アルマに地上繋がる階段へと導いた。
そしてこれまで食事を運んで来たり、時折短い会話を交わした赤髪の少女との思い出が、外への世界へとアルマを誘った。
生きたい、生き延びたい、この残酷な因果から抜け出して生きていきたい。長い間油を注がれたものが燃えるように、生への希望と激情が半魔の忌み子に宿ったのだ。
アルマはその言葉を当時知らなかったが、檻から飛び出して駆ける彼女の心はただ叫んでいた。
──しあわせになりたい、と。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「逃げ、る。逃げる、ワタシ。逃げなきゃ、いけない」
アルマは奔走していた。ちぎれるかと思うぐらいに足を動かし、魔の手から逃れようと地上を駆ける。
しかしアルマの思いとは真逆に、遺跡の周辺には彼女の村の魔族達が何人もいる。彼らはアルマの魔力をいち早く察知していた。
「おい、見つけたぞ。忌み子だ!」
「手足をもいでも良い。一斉にかかれッ」
それは刻み込まれた彼らへの恐怖、だけではなかった。
「いやだ。いやだ、いやだ。逃げる、ワタシ!」
失う恐怖。生まれて初めて得た、心許せる者達との別れに対する危惧。
「約束、した! 助かる。逃げなきゃ、助からなきゃ──」
遺跡の石道を駆けていたアルマの目の前が次の瞬間、内部から爆ぜるように崩れた。破壊された道の中から、砂埃を上げながらその中から3人の人間が現れる。
その中の一人が、アルマと目が合って喜びを見せた。
「──アルマちゃん!!」
奏の姿は潤んだアルマの瞳に、はっきりと映っていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「無事で良かった、怪我はない?」
私の問いかけに、アルマは溜めていた涙を流して首を縦に振る。
「だいじょうぶ、怪我ない」
泥汚れや擦り傷は当然のようにあったが、重傷を負っていないようでひとまずは良かった。
「ごめんねアルマちゃん。さっきは一緒にいてあげられなくて」
「平気。あなた、無事で良かった」
再会に思わず私達の頬は緩んだ。しかしそんな喜べるような状況では無い事は分かり切っていた。
「さて、この状況はどうする……?」
私達を円形に取り囲む魔族達。魔力の大きさも、肌で感じる彼らの気配も、今までの敵や魔獣とは比にならないものだった。
「相手は魔力も魔法も一級品の魔族。遺跡の中で行動不能にしたとはいえ、百人近くここにいるわ」
「そんな……」
「もう、打つ手がないわ」
魔術の達人エマ、回復と魔法補助の軽葉、純粋な高い身体能力を持つアルマ、吹き飛ばすだけの剣技を得意とする私。この4人が揃っても、到底太刀打ち出来る相手ではない。
彼らは集団であるだけでなく、個々の魔力も魔術の実力も高い。どう甘く見積っても私達に勝算はない。
ここに来て遂に万事休す、と諦めていたその時だった。
突然、空から紅蓮に染る光の鱗が降り注いだ。光は私達の周りに落ちてくると規則的な列を形成して積み重なり、結界となった。
「け、結界……!? なんでここに結界が」
結界の出現に仰天していた私達だったが、周りを見渡した時にその衝撃は更新される。
「魔族達の動きが、止まってる?」
世界の時計の針でも止まったのか、魔族一同は完全に静止していた。結界は私達を囲っていた、というよりも彼らだけを包んでいた。彼らだけが、世界から切り離されている。
この不可思議な現象に私達は混乱した。この状況の確認を優先して、動きが静止した魔族達や空から下ろされたように張られた結界に目が移る。
それが、私達に大きな隙を生んだ。
「──ッ! アルマちゃん後ろ!!」
と、叫んだ瞬間にはもう私が入り込める余地なんてなかった。
──狂気を孕んだ黒翼の女、異常な執念を抱く赤髪の魔族、ステラがそこにいた。アルマとステラの距離は腕ほども空いていないことが目測で分かる。
私達の誰もが彼女の動きに反応出来ず、呆気に取られていた。数秒遅れで到達する絶望と焦燥で身が焼かれそうになる。間に合わなかった、守れなかったという悲しみで落涙しそうになった。しかし……
ステラの手には、何も握られていなかった。アルマは無傷のまま、魔力や瞳孔にも変化は見られない。
当然だ。なぜならステラは、アルマを抱き締めていたからだ。優しい表情でアルマを包み込んだステラの横顔が、私の瞳に飛び込んで来た。




