第26話 大義と正義
──そして時間は過ぎ、現在に至る。
ジルの地下室の扉は破壊され、静かに泣く奏の姿がジルと軽葉の目に映っていた。
ジルは奏がこの場所へ入って来られたことから、何が起きていたのかを察する。
「あの子らを、殺したのか……」
「殺したのは──」
剣を構え、銀の刃を傾けて奏は力のままに振りかぶる。
「あなただッ!」
斬撃は伴わず、剣の側面を突進でジルに叩きつける。ジルは手元に魔法陣を展開し、正面から奏の剣を受け止める。
だが剣技のスキルによって剣圧の生じた奏の剣は、衝撃だけが突き抜けてジルを地下室の壁へと吹き飛ばした。
「ジルさん。私は絶対、あなたを許さない」
「ごはっ……」
復讐の鬼、修羅と化した奏に迷いはない。不殺を貫きながらも、手加減などは一切しなかった。
一瞬で弾かれたジルを軽葉は呆然と眺めていると、ふと我に返って声を上げる。
「奏ちゃんっ!」
「軽葉ちゃん! 今助けるからね」
奏は銀の刃で軽葉の拘束具と椅子を破壊すると、彼女の身の安全を第一に確認した。
「大丈夫? 酷いことされた!?」
「私は、その……」
煮え切らない様子の軽葉を不思議に感じていると、ひっくり返った棚の中からジルが起き上がる。
「答えろ……さっきの、質問を」
ジルは今にも奏を噛み殺しそうな形相を向ける。
「お前が、殺したのか?」
しかし憤怒を目に宿すジルに臆することなく、奏は毅然とした態度を貫いていた。
「他の子達は自決したよ」
「っ!」
ジルは事の真相を知ると言葉を失い、口を小さくパクパクさせながら目線を落としていった。
「あの子達は長いこと、あなたに隠れながら準備を整えて、計画を立てて、疲れ切った顔で死んだよ! 魔石を使って、自決の魔法を唱えて……」
「そんっ、な」
「あの子達から全て聞いたよ。結界のことも、拷問のことも、みんなの親を殺したことも!」
感情的になる奏とは対照的に、ジルは次第に表情が無くなっていった。
しばらくの沈黙の後、ジルは小さく言葉を呟く。
「そうか……私への恨みで、全てやり切ったのか」
ジルは本や魔法具に埋もれたまま、立ち上がろうとしなかった。
反撃の素振りがないジルに、奏はこの凶行に至った理由を尋ねる。
「なんで、こんな事を」
奏が問い詰めると、ジルは自身の夢の話を零した。
「平和な世界を作りたいんだ……」
次第にジルの声へ力が戻り始める。落ちていた1冊の本のページを破けるほど握り、切なげな顔を上げて奏に答えを返した。
「善人が、罪の無い者が、犠牲にならないために。悪人に、罰が下されるために。それ可能にする魔術を、発動させる為なんだ!」
「くっ……!」
自身を棚に上げた物言いに、奏は怒りがふつふつと湧いてきた。
「それであなたは子供達の命を踏み躙って、蔑ろにして。そんな事して良い理由には1つもならない」
涙をグッと堪え、頬の裏を噛み締めて怒りに震える。少女は義憤を抱いて罪人へと問いかけた。
「なんで、あの子たちだったの。なんであの子供達が結界の核だったの!?」
「……それは、死んでも言えないな」
「おかしい。全て、おかしい! 間違ってる、全部、最初から、こんなの」
彼女の涙は数滴、床の木材に落ちてシミになる。奏の脳裏には、目の前で死んだ子供達の顔が蘇っていた。
「あの子達は、みんな、幸せになるために生まれて来たのに」
感情を抑えられなくなった奏はその場に泣き崩れる。
悲しみに喘ぐ少女に見向きもせず、ジルは己の抱いた理想を再び口にする。
「俺は、大義を成し遂げる」
「そんなにっ」
「だが、私は──」
ここに来てようやきジルは奏の顔を見た。顔を上げたジルは情けない顔で瞳を潤ませる。
「あの子達が、笑って暮らせる世界に、してやりたかったんだ……!」
叶うことのなかった願いを言い放ったジルの唇は、小刻みに震えている。彼の願いとその信念そのものに、一切の邪念はないと見て取れた。
「……聞いたことはあるよ。大勢を助ける正義の下には、切り捨てられた人がいるのって」
「……ああ、そうだ」
「でも私は、そんな事許せない。自分勝手かもしれないけど、それで良い。私は、子供を虐げる大人なんてっ、大っ嫌い」
歯を食いしばって怒る奏の訴えは、ジルの中に眠っていた何かを呼び起こした。
心の中に溜まっていた感情の封が解かれたように、ジルは少女に叫ぶ。
「私だって、そうだった! だが現実は甘くない、人間は聖人ばかりじゃない。人間が人間である限り、知恵を得た代償として悪人は永久に世で蔓延る」
ジルの意見は確かに真実だ。変えることの出来ないこの世の真理だ。しかし不条理な事実を、奏はただ受け入れるようなことはしなかった。
「だとしても、進んで人を傷付けることは絶対に違う」
「その過ちの連鎖を、俺で最後に断ち切る。それが俺の目指した世界への道だ」
「犠牲を出したら、意味が無い。血みどろで悲しい物語になる」
「歴史とはそういうものだ。いや、そういうものだった。その運命に、俺は抗う。最後には自分も、術式に吸収される手筈だったんだ」
ジルは行き場のない悔いとやるせなさを床にぶつけた。
理想の世界のために幻想を追いかけた男は、自らの存在さえ否定しながらも、野望を押し通そうと己を断定する。
「俺のような存在を、悲劇を生み出さないように世界を変えるのが俺の最後の責務だ。俺が最後の悪人だッ!」
「世界とか、善人とか、目の前にいた小さな命さえ大切に出来なかった人間が言えることじゃない!」
「……いくら俺だけが大切にしようと、周りが変わらなければ結果は同じなんだよ。大きな悪意に飲まれて、貪られるんだ」
世界に絶望し希望を諦めた亡者の元へ、奏は数歩だけ歩みを進め、埃と土で汚れた銀剣を握る。
「私は、この世界に魔法がある限り信じてる。こんなことをしなくても、あの子達が幸せに生きられた世界があったって」
ジルと奏の抱いた理想郷は、もう手に入らない。それでも尚、奏は希望への歩みを止めはしなかった。
「だから──」
刃先を地に傾け、両手で柄を掴み、少女はこの場所の因縁を打ち払う。
喉が裂けんばかりの絶叫を放ち、奏は全身全霊の力を剣に込める。
「こんな場所、飛んで無くなれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
少女の剣は振り上げられ、一直線に伸びる衝撃が天に向かって撃ち放たれた。
奏の渾身の剣圧は旋風を巻き起こし、部屋の中の3人を外側へ向かって押し出す。散らばった魔法具や道具は音を立てながら壊れた。
地下室の天井を突き破り、孤児院内を暴風で打ち壊し、屋根さえ押し上げて、空一面にかかった結界にまで到達する。
木の破片やバラバラになった家具を巻き上げ、つむじ風は打ち上げられた。
剣圧は質量を伴って結界へ衝突し、不安定になっていた魔力の隙間の中へと進む。
孤児院を覆っていた結界には綻びが生じ、遂には貫かれて崩壊する。倒壊した孤児院の上に、澄んだ青空が広がった。
「俺の魔術が、術式が。私の、孤児院が……」
破壊された部屋の天井から、瓦礫となった孤児院の残骸が顔を出している。
長きに渡って作り上げた執念の結晶を全て打ち砕かれ、ジルは力無く肩を落とした。
「か、奏ちゃ──」
「大丈夫。私が来る前に、エリーラちゃんが他の子供達を避難させたから」
軽葉を連れて奏が逃げようとした時だった。
本の山から抜け出したジルは這い上がり、執念に取り憑かれた目で奏を捉える。
「──を、無駄にはさせない。お前の魔力回路で、術式を……」
吹き飛ばされた際に怪我を負ったジルは、力を入れられぬまま瓦礫にもたれかかっていた。反撃どころか抵抗すら出来ない状態だ。
だが感情の波に揉まれ、精神的な限界の近かった奏は衝動的に剣を構えてしまう。
「ジルッ──」
銀刃を振り下ろそうとした瞬間だった。透き通った乙女の声が奏の耳に届いたのは。
「奏ッ!」
その乙女の声は奏の凶刃を止める。踏みとどまった奏は我に返り、声の方へと振り向いた。
振り向いた先にいたのは、再会を待ち望んでいた友達だった。
「……エマ、ちゃん?」
地下室の入口から差し込む光の中で、今にも泣きそうな顔をしているエマが立っていた。




