第27話 野望の終焉
壊れた扉の向こうで、心配そうに見つめるエマの姿が奏の目に飛び込んできた。
「奏……」
「エマ、ちゃん」
予期していなかったエマとの再会に驚いた奏の手から剣が落ちる。
ガチャンと落とされた剣の音が木霊していると、エマは暗がりの奥で座り込む男の顔が目に入った。
瓦礫にもたれかかったジルの顔を目にすると、エマは驚愕する。
「っ! あんた──」
「居たぞ、そこの部屋だッ!」
凛とした女性の声がエマの後ろから聞こえると、鎧を揺らして走る音が近づいて来る。
エマが半身を逸らすと、切羽詰まった表情のリインが飛び出した。
「奏ちゃん、軽葉ちゃん!!」
「リインさん!」
到着した騎士団長は奏と軽葉の様子を一目にし、ホッと胸を撫で下ろす。
するとリインは信じられないものでも見たような顔で、少女たちの奥で腰を下ろした男の名前を呼ぶ。
「お前は、ジル・グリム!」
エマもリインも、ジルの姿を目撃して言葉を失っていた。
奏と軽葉が不思議に感じていると、リインの口からとんでもない事実が飛び出す。
「30年前、貴族や商人を何人も殺した未曾有の大事件の首謀者、『貴族殺し』のジル。まさか、生きていたなんて……」
彼の口から語られなかった出来事を聞かされ、捕らわれていた2人は仰天した。
衝撃の事実を知った者と、過去の大犯罪者の生存に驚愕する者たちで騒然としていると、リインの後ろから騎士団の一人が報告にやって来る。
「団長、人数の確認が取れました! そちらの2人を除いた子供達は全員保護しました」
「分かった、すぐに向かう。救護班を呼べ、少女2人が軽傷を負っている」
全てが終わった、その感覚が唐突に奏へ訪れる。
その瞬間に彼女の緊張の糸は途切れた。傷付き、締め付けられ、感情が何度も限界に達して溢れた奏の心は倒壊する。
覚束無い足取りで、エマの元へ歩み寄った。
「エマちゃん。私、私……」
心の傷が一気に開くと同時に、奏は号哭する。わけも分からなくなるほど、思考が煩雑になる。
「うわあぁぁぁぁぁぁん!!」
顔を真っ赤にして泣く少女をエマはそっと抱き締めた。
「大丈夫だよ、奏。もう心配いらないからね」
奏の髪を撫で、改めて強く抱擁するとエマはリインに2人を託す。
「団長、奏と軽葉をお願いします」
「良いのかい?」
「はい。2人のこと、頼みます」
「分かった、任せてくれ」
泣いて取り乱す奏と複雑な心境の軽葉を連れて、リインはその場から退室した。
木材の破片や本が散乱している部屋に、2人の魔術師だけが残される。
「初めまして、ジル・グリム」
そっと話しかけてきたエマに、ジルは疑問をぶつける。
「俺の顔を一目見ただけで、よく気が付いたな」
「貴方の事は十分に知っている。指名手配犯としても、本の中の人物としてもね」
「……」
「何故あなたが。貴族殺しとして世を震撼させたあなたが、こんな事をしたの」
長い沈黙が流れた。小さな溜め息をついて落胆すると、ジルは根負けして口を割る。
「『災厄の獣』の召喚術式。魔術師であるのなら、耳にしたことぐらいはあるだろう」
「それはッ! 失われた古代魔術の、最悪の召喚術式……」
「かつて人間を支配していた神と天使を人間界から追放し、大陸の1つを海に沈めた巨獣。そいつを地脈の魔力と術式で、半永久的に制御して召喚する術式さ」
ジルから飛び出た信じ難い魔術による計画は、エマでさえも戸惑いを無くせない。
「古代魔術の使い手だったって、本当だったのね」
「とは言っても所詮は独学。あの言語の全てを理解した訳じゃない」
「聞きたい。何でそれほどの知識と能力を持ちながら、何故大量殺人鬼になったの?」
彼女の問いかけにフッとジルは嘲るように声を漏らした。
「逆に問いたい。奴隷の身分で、敵国からは殺人鬼と恐れられ、故郷でさえ化け物と罵られた俺の言葉を、誰かが聞いたと思うか?」
滑稽で仕方がなかった。彼女の質問が馬鹿らしかったためではない。自ら語る過去の自分が、ジルにとってあまりにも情けなかったからだ。
しかし問いを与えたエマは、何も答えない。
「戦争が終わった所で、生活水準が上がった所で、何も変わらなかった。同じ人間相手に暴力を振るう鬼畜も、端から奴隷を蔑む民衆共にも、変革は起きなかった!」
何本もの涙の筋がジルの頬に現れる。一滴の雫が垂れると共に、義憤に身を焦がした亡者は拳を叩き下ろす。
「社会への復讐心に取り憑かれた俺は、ああするしか方法がなかった!」
嗚咽するジルは泣き喚こうとする声を押し殺しながら、自分の歳の半分にも満たない眼前の少女に問いかけ返す。
「俺が、間違っているのか? 生まれた環境を理由に、幸福を剥奪される人間が踏み躙られることが正義なのか?」
もはやエマがどんな答えを返すのかすら、ジルにはどうでも良かった。ジルは虚空を見つめると、そこに大衆でもいるかのように訴えかけ、号哭する。
「罪の無い弱者を蔑み、嘲笑し、虐げておいて、それでもお前らは己が善人だと、本気でほざいているのか!!」
悲哀に満ちた叫びは残響となって、瓦礫の中で籠る。その静寂が何度もジルにこの世の無情さを痛感される。
だがただ1人、彼の言葉をすくい上げる少女はいた。
「いいえ、あなたは間違っていない、何も。それが真実」
エマの言葉に最初はジルも耳を疑った。ジルは女神を前に祈りを上げるように、彼女を見上げながら胸の内を明かす。
「そうだろう、だからだ。だから俺は願った、切望した、渇望した。俺と同じ身の上だった者に、俺と同じ屈辱を味わった者に、同じ思いをこれ以上させないために……」
「あなたのそれは紛れもない正義。でもその正義を許さないのが世の中。人間の世界から、悪人が消えることは無い」
少女の目に映るのは蔑みでも嘲りでもなく、慈愛だった。
「けれどその思いは、ちゃんと後世に伝わっているわ」




