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31.島根の叔父様、もみじや初宿泊の感想

「仮営業っていうけど、中々どうして本場の宿並みに出来ていると思うぞ」


 松村泰男は、囲炉裏の座卓で湯呑を手に取ると、ふうっと息をついた。

 浴衣姿に旅の疲れも見せず、むしろ迷宮内にいるとは思えないほどのんびりした顔だ。


 紅葉が微笑みながら返す。


「ありがとうございます。でも、まだまだですね。言い訳になってしまいますが、何分素人が見よう見まねで始めた宿ですから……足りてないところが沢山あると思います」


「掃除は行き届いてるし、布団もふかふか。 風呂も気持ちよかったし、食事の提供は屋台が出ると聞いていたから問題ないが、できれば宿で提供してくれた方が、個人的には良かったなと思うけどね。迷宮内にあることを考えればなあ、これ以上何を望むんだってことさ」

 

 掃除を誉められたことに反応したようで、近くで布巾を整えていたシルキーが少しだけ肩を揺らして照れたように一礼する。

 細やかな清掃と、細部まで整ったしつらえは、明らかに“人間の手”を超えた精密さがある。

 だが、だからといって無機質な感じがしない。この宿全体から癒されているような気さえする。


「こう……整ってるんだけど、肩肘張らなくていい雰囲気がここにはあるな」

「ちゃんとしてるけど、構えてない。あれはお前の空気だな、紅葉ちゃん」



 趣味であちこちの迷宮に通って二十年以上。

 自分のペースで深層にも浅層にも入り、時には部下を連れて訓練と称して遊び、

 そのため自身の身体を休める場所にはこだわってきた。


「ここは、あれこれ戦ってきたあとの心を、ちょっと現実に引き戻してくれる場所だな」


 泰男は湯呑を持ち直し、少し遠くを見るように目を細める。その表情には、迷宮の中で過ごした疲れを癒し、穏やかな気持ちが広がっているようだった。


「そう言ってもらえると、嬉しいです」


「不思議なもんだよな。普通なら、セーフティーゾーンなんてただの拠点でしかないのに、

 こうしてちゃんと“人の気配”があるってだけで、ずいぶん空気が違う。……



 部屋の奥から、部下のひとりが「また来たいですね」とぽつりと漏らす声が聞こえる。

 泰男は湯呑を置くと、少しだけ笑った。


「というわけでだ、来月また来るよ紅葉ちゃん。今度は“社長抜き”でもうちの子ら勝手に来るかもよ」


「大歓迎です。でも、叔父様もぜひまた」


「もちろん。趣味の迷宮に付き合ってくれる部下がいるうちは、まだまだ俺も潜るからな」


 紅葉はぺこりと頭を下げた。

 仮の営業。未完成の宿。でも、そこで交わされた会話は、誰にも気を遣わずにいられる本物の時間だった。

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