夜の桂浜に行ったちや
今回は、最近の高知観光について、少しお話しようと思います。
高知の観光と言いますと、何と言っても桂浜の坂本龍馬像が有名でしょう。観光案内のパンフレットなどにも必ずと言っていいほど、龍王岬の写真とともに、青い空と太平洋をバックにした、緑青色の龍馬像が載っていますし、観光客のほぼ八割が訪れる場所だと断言してもいいはずです。
もちろん私も、桂浜には何度か行ったことがあります。その昔、私がまだ独身だった頃、友人たちとともに昼間にも何度か行きましたが、夜にも二度ほど訪れたことがあります。夜の桂浜というのは月の名所としても有名で、風流を好む高知県民は、仲秋の名月の日に浜で賑やかに「おきゃく」をしたりもするそうですし、夏場なら夕涼みに出る近所の人もいるかもしれません。夜の桂浜には、やはり日本酒がよく合いますね。月を愛でながら、きゅっと土佐鶴をあおるところを想像すると、それだけで酔いが回ってしまいそうな気がするほどです。ただ、残念なことにそれ以外の季節、つまり冬の夜などはあまり人気がなく、私と友人が訪れた晩も、月が出て足元もそこそこ明るかったのですが、駐車場は昼間の賑わいが嘘のように閑散としていました(当時は夜間なら駐車場にタダで入場できました。今はどうなっているんでしょう)。波の音がさらさらと心地よい晩で、誰もいない浜を歩くと、昼間とは違う景色を独り占めにしているような満足感がありました。冬だったので当然寒かったのですが、それでも浜へと続く石段を登ると、月に照らし出された夜の龍王岬が、暗い海を縁取るように凛としてそびえているのが見えました。ああ、もしかして、龍馬もこの景色を見ていたのだろうかと、あれこれ想像をめぐらせながら、夜の桂浜もいいものだなぁとしみじみ思ったものです。
龍馬像から続く坂道を右手に下っていくと水族館もあり、子供が生まれてからも、休日に何度か出かけたことがあるのですが、やはり昼間の桂浜は観光地としての色が濃く、あの何とも言えない艶やかさ、ひそやかさは、夜の桂浜でしか見られません。なので、夜の桂浜を堪能できるのは、高知県民の特権であると今では思っています。
ところで、最近この桂浜の龍馬像の左右に、中岡慎太郎と武市半平太の像を建てようという話が持ち上がっています。なんでも県が中心になって進めている計画らしいのですが、中岡、武市の、龍馬像とほぼ同じ大きさに造られたレプリカ像を、期間限定で(五月末まで)龍馬像の左右に並べようという話のようですね(五月以後は、龍馬像のレプリカも追加して高知駅前に置く計画らしいです)。しかし、これに対しては、賛否両論ありました。賛成派は「いいアイデアじゃ。観光の目玉になるかもしれん」と言い、反対派は「発想が安易すぎるし、違和感がある」と主張します。「桂浜は、龍馬ファンにとったら聖地じゃきに。そこに中岡、武市が並ぶがをファンが許すと思うちゅうがか?」と反対派が言うと、今度は「龍馬さんやったら、そんなこんまいこと(小さいことというような意)らあ気にしやぁせんちや」と賛成派が反論するといった按配らしく、今では場所をツイッターに移して喧々諤々やっていると聞きました。
まあ、私個人としては、やはり「桂浜には龍馬像」というのがずっと高知県民には定着していますし、そこに中岡、武市像を並べたからといって観光客が増えるとも思えません。それに、駅前に三人の像を置くのはいいかも知れませんが、桂浜の龍馬像のように大きいもの(台座を入れると、確か15メートルくらいあったと思います)を置くよりは、等身大の像のほうがずっといいように思えます。それでも、県としてはすでにレプリカの製作を業者に発注しているそうなので、おそらく今年のゴールデンウイークは、龍馬像の両脇に中岡、武市像が並ぶことになるのでしょうね。
皆様は、どう思われますか?
さて、高知で観光というと、もうひとつ、忘れてはいけない場所があります。それは、誰が何と言っても「はりまやばし」でしょう。皆様は、日本三大がっかり名所と呼ばれる観光地が高知にもあることをご存知でしょうか。このがっかり名所には諸説あるそうですが、「札幌の時計台」と「高知のはりまやばし」の二つは、外せない名所であるという話をよく聞きます。(たいてい三つ目には「首里城の守礼門」が上げられていたのですが、最近は首里城が立派に改修され、あまりがっかりされなくなったそうです)そしてこれは、高知県民にとっては由々しき問題、まことに残念でならない話なのですが、しかし、高知県民からみても、「がっかり名所と言われてもしかたないなぁ」と思えるようなところがありました。
私が子供だったころのはりまやばしは、道の両端に朱塗りの欄干があるのみでした。欄干にはかろうじて「はりまやばし」と書かれてはいるものの、川などどこにも見当たらず、しかもそこは、県内一二を争う大通り、交通量のとても激しい交差点で、橋の体裁などまったくない、歩道と車道をわけるガードレールか手すりと見まがうような存在でした。
だから、がっかり名所と言われてもしかたがない……と、誰もが思っていたことでしょう。
そしておまけに、そんな汚名を返上しようと数年前に「新はりまやばし」なるものが造られたのですが、これがまたなんとも残念な代物でした。もとからあったはりまやばしの欄干を別の場所に移し、そこにささやかな小川をこしらえ、形も太鼓橋と体裁は見事に「橋」としてつくろわれているのですが、いかんせん、規模は小さく、橋は短く、場所は狭くて駐車場もない。それまであった小さな公園を取り壊し苦肉の策で何とか仕上げたという感じのもので、「新はりまやばし」からは、児童公園にある遊具のような雰囲気が滲みだしていました。つまり、相変わらずがっかり名所であり、改修後も「守礼門」に倣うことはなく、いつまでたっても外してもらえないわけなのです。
ただ、高知県民には、こういう。一見マイナスと思えるポイントをも、自慢話にしてしまうところがあります。「はりまやばしは、がっかり名所として有名ながやき」と、酒の肴にしてしまうとでも言えばいいでしょうか。面白可笑しく話ができれば、まあ、少々のことには目を瞑るというのが、高知的気質であるかもしれません。なので、よく言えば話上手、悪く言えばホラ吹きな人も当然たくさんいて、うちの実家の父などはその代表と言ってもいいでしょう。たとえば、初めは「20センチほど」だった川で捕まえてきた鮎が、宴席で話を重ねるうちに「25センチ」になり、やがて酔いが回ってくると「30センチ」になり……と、たった一晩で鯉のごとき大魚に成長したりするんです(笑)。はりまやばしが唄の文句にも出てくる、かの「よさこい節」でも、「おらんくの池には、塩吹く魚が泳ぎよる」などという一節があるほどですから(「おらんくの池」というのは浦戸湾のことで、「塩吹く魚」はクジラのことですね)、もちろん、話を聞く方も心得ていて、たいていが「話が大きい」とわかって聞いているので、あまり問題はないようにも思えますが……(笑)。
そんなわけで、今日も高知の酒場のどこかでは、塩吹く魚を素手で捕まえたなどという話が、当たり前のようにされているかもしれません。なので皆様、高知の宴席では話は半分ほどに聞かれるのがよろしいかと存じます。