第97話 農奴制の廃止
翌日、龍栖館の謁見の間。
子爵としての執務の一環として、新しく領内に移住してきた領民たちの代表や、商人たちとの定期面談を行っていた時のことだ。
一通りの陳情を聞き終えようとしたところで、列の後方にいた初老の男が、不思議そうな面持ちで手を挙げた。日焼けした肌と節くれ立った指を見るに、長年土を耕してきた典型的な農民の出であることが窺える。
「あの……悠子爵様。恐れながら、一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「ん? ああ、何でも言ってくれ」
「はっ……我ら一族は先週、隣の領地からこちらのドレイク町へ逃れてまいった者たちなのですが……なぜ、役場の方々は我らを『農奴』として台帳に登録なさらないのでしょうか?」
男の素朴な疑問に、俺は思わず首を傾げた。
「農奴……? んん? そう言えば……」
遠い記憶が蘇る。この異世界に飛ばされてきた当初、俺が最初に持っていた身分も確か『農奴』だったはずだ。あの時は身分を偽装するのに必死で深く考えていなかったが……。
「……すまん。根本的なことを聞くようだが、そもそも『農奴』って何なんだ? 『平民』とは具体的にどう違うんだ?」
俺の問いかけに、謁見の間が一瞬にして静まり返り、次いでざわざわと小さなざわめきが広がった。領主である貴族が、そんな基礎的な身分制度を知らないはずがないと思われたのだろう。
質問した農民の男も目を丸くしながら、恐縮した様子で答えた。
「は、はあ……『農奴』とは、土地に縛られて農作業を営む者のことにございます。領主様から農地を与えられ、そこから動くことは許されず、代々畑を耕し続ける義務を負う身分です。一方で『平民』とは……町に住み、商売や職人仕事などを営む、自由な移動が許された者たちのことを指します」
「……んんん?」
俺は思わず眉間を押さえた。
「なんでわざわざ、そんな分け方をする必要があるんだ? 同じ領民の中で、ただ『農業』という職業を選んで働いているだけの話じゃないのか? 町の中に家を構えながら、近郊の畑に通って農業をやっている人たちだっているだろ?」
「それは……昔からの決まりでして……農奴は土地の付属物であり、勝手に職を変えたり、他の町へ移り住んだりすることは禁じられておりますので……」
「ああ……そうゆう事ね。つまり農具とセットで農奴がいるって感じか」
悠は納得すると同時に頭を抱える。
要するに、領主が都合よく食糧生産者を囲い込み、逃げ出さないように縛り付けるための前時代的な悪習というわけだ。身分という名の鎖で縛らなければ人が逃げていくような農業など、健全であるはずがない。
(ここらで一発、根本的なルールを整理しておいた方がいいな)
俺は座布団から立ち上がり、謁見の間に集まった者たちを見渡した。
護衛の兵士たちも、控えていた文官たちも、俺の次の言葉を待って静まり返る。
「──これより、我が子爵導ブレイシアにおける新たな法を決定する」
通る声で、はっきりと宣言した。
「本日この時をもって、領内における『農奴』という身分制度を完全に撤廃・廃止する。すべての領民を一律に自由な『平民』とし、住む場所も、就く職業も、本人の自由意志に任せるものとする。農業を続けたい者は誇りを持って続ければいいし、別の商売をやりたければギルドを通じて自由に挑戦するが良い」
広間を埋め尽くした領民たちから、息を呑む音が聞こえた。
次いで、それが現実の布告であると理解した瞬間、どよめきのような歓声が地鳴りのように響き渡った。
質問した農民の男は、信じられないものを見るように目を見張り、やがて床に額を擦り付けて涙を流していた。
この布告を出した直後、縛りを解かれた一部の農民たちが一時的に町へ移り住み、別の職を試そうとしたことで、農業人口がわずかに減少する場面もあった。
だが──結果として、それはほんの短い期間のことに過ぎなかった。
うちの領地では『農一・商二・流一の制』によって農民の税率が圧倒的に低く優遇されており、さらに生産ギルドが整備されたことで、作れば作るほど正当な対価と利益が農民自身の手元に残る仕組みになっている。
自由を手に入れた人々は、他所の領地のように強制されるまでもなく、自らの意志で誇りを持って畑へと戻り、さらには「ブレイシアなら自由な農民として豊かに暮らせる」という噂を聞きつけた他領からの移住者が殺到したことで、領内の農民の数は以前よりも大幅に増加することとなったのだ。
人間、誰かに強制されて嫌々やる仕事よりも、自分の意志で選んだ勝手知ったる仕事をやるのが一番成果が出る。
発展を続けるブレイシアの青々とした農地を眺めながら、俺はその当たり前の事実に深く納得するのだった。
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