第96話 絢乃の養鶏場の引継ぎ
轟音とともに、足元の分厚いコンクリート床が激しく跳ね上がった。
防護ガラス越しに閃光が走り、実験室の内部が一瞬にして白煙に包まれる。強固なコンクリートの壁が、内側からの圧力でミシミシと軋みを上げ、わずかに外側へ膨らんだように見えた。
「うおっ!?」
思わず身構えて頭を抱えた俺に対し、茉莉はピクリとも眉を動かさず、濛々と立ち込める煙をじっと見つめていた。
「まあ……そう簡単にはいかないわよね」
口元ではそう呟いているものの、その瞳には悔しさのかけらもなく、むしろ「手強い相手を見つけた」と言わんばかりの獰猛なまでの探究心がギラギラと宿っていた。
換気ファンを作動させ、煙が引いた後に現場を確認しに向かう。
焦げた独特の甘い鉱物臭が漂う中、破損状況をチェックした。
「……点火室に入る前の、ガス供給パイプが根元から粉々に吹き飛んでるな。点火プラグが火花を散らす前に破裂したみたいだ」
「やはり気化する瞬間の体積膨張率が、こちらの想定を遥かに超えていたようね」
茉莉は吹き飛んだ金属破片をピンセットで拾い上げ、真剣な眼差しで観察する。
「配管の耐圧限界を超えた内圧だけでこれだけの破壊力……ふむ。最初から燃焼させるのではなく、この凄まじい気化膨張圧そのものを直接タービンに吹き付ける『気化膨張タービン』の試験から段階を踏むべきかしらね」
「そうか……?」
茉莉は駆けつけてきた研究班の魔導技師たちを呼び寄せ、すぐさま専門用語が飛び交う熱狂的な議論を始めてしまった。数式や力学の単語が矢継ぎ早に飛び交い、俺の理解の範疇を完全に超えていく。
俺にできるのは、部屋の空気をしっかり入れ替え、亜空間倉庫から取り出した『木製修理キット』の木槌で壊れた配管をコンコンと叩くことくらいだ。
トントンと軽く叩くだけで、粉々だった金属管がひとりでに元の美しい筒状へと復元されていく。相変わらず原理はさっぱり分からないが、直るのだから文句はない。
その後も夕暮れ時まで何度も圧力弁の調整や配管のバイパス工事を行い、試行錯誤を繰り返したが、さすがに初日のうちに安定した電力供給を達成することはできなかった。
(まあ、いきなりガスタービン発電なんて超ハイテクに挑むのは、少々飛ばしすぎな気もするけどな……)
だが、目を輝かせて夢中でメモを取る茉莉の横顔を見ていると、そんな野暮なツッコミは口が裂けても言えない。彼女のこの熱意を削ぐわけにはいかないのだ。
俺の役目は、彼女が必要とする機材を揃え、壊れた設備を直し、安全な実験環境を整え続けることだ。そうすれば、いずれ優秀な研究班が実用化へと漕ぎ着けてくれるだろう。
「茉莉、焦らず行こうぜ! 応援してる、愛してるぞ!」
作業に没頭していた茉莉へ明るく声をかけると、彼女は手元の羊皮紙から一切視線を外さないまま、スンとした無表情を装った。
だが、その白い肌の耳たぶから首筋にかけて、見る見るうちに林檎のような真っ赤に染め上がっていく。ペンを握る指先が微かに震えていた。
(……うん、可愛いな)
◇◇◇
茉莉たちが本日の実験データを集計・解析するフェーズに入ったため、俺はいったん現場を離れ、中庭の井戸端で手を洗っていた。
心地よい夕風が吹き抜け、火照った肌を冷ましてくれる。
「──悠君?」
背後から、鈴を転がすような優しい声が降ってきた。
だが、振り返った瞬間に俺の背筋は凍りついた。
そこに立っていた絢乃は、完璧な笑みを浮かべていた。口元は穏やかに微笑んでいる。しかし、その瞳の奥は一切笑っていなかった。底知れぬ静けさが漂っている。
「は、はいっ! 何でしょうか、絢乃さん!」
俺は咄嗟に直立不動の姿勢を取り、背筋をピンと伸ばした。
「なんかね、屋敷の空き地に立派な養鶏場と養豚場を建てて、動物たちをポンと置いてそのまま放置した人がいるって聞いたんだけど……本当かな?」
「ほ、放置というか……その、俺自身が詳しい育て方を知らなかったので、現場の手が空いている使用人たちにお願いしたというか、任せたというか……」
「飼育の仕方が分からない人に丸投げしてどうするの」
至極真っ当な正論が突き刺さる。ぐうの音も出ない。
「はい……申し訳ありませんでした。早く飼育を軌道に乗せて、みんなに新鮮な卵やお肉を安定して届けてあげたかったんです……」
小さくなって項垂れる俺を見て、絢乃はふぅと小さく息を吐き、困ったように眉尻を下げた。
「……もう。そういうことなら、最初に私に相談してくれればよかったのに」
「え? でも絢乃の実家で飼ってたのって、馬じゃなかったか?」
「実家の本邸ではね。でも、親戚筋には大きな農場や牧場を経営している家もたくさんあったのよ? 子供の頃からよく遊びに行って、鶏の餌やりも豚の健康管理も散々手伝わされてたんだから」
「そ、そうだったのか……」
絢乃も茉莉も、元の世界での家柄には色々と複雑な事情や秘密が多い。だから俺も無遠慮に詮索することは控えていたのだが、まさかそんな思わぬスキルを持っていたとは。
「そういうわけだから、養鶏場と養豚場のちゃんとした飼育マニュアルは私が作って、使用人たちに教えておくわ。……いい? 次に何か新しい生き物を飼う時は、必ず事前に私に言うこと。約束できる?」
「はい! 必ず言います! よろしくお願いします!」
元気よく返事をして頭を下げると、絢乃の瞳にようやく柔らかい光が戻った。
「さすが絢乃だ、頼りになりすぎる! 愛してるぞ!」
「なっ……もう、悠君ったら人前で……っ」
先ほどまでの厳しいお説教モードはどこへやら、絢乃は両手で赤くなった頬を包み込み、恥ずかしそうに視線を泳がせながら、嬉しそうにはにかむのだった。
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