第92話 群雄割拠の戦国時代
「さらに四大侯爵家がことごとく反旗を翻し、それぞれが自らを『王』と称して独立を宣言したとのことです!」
呼吸を乱した伝令兵の叫び声が、会議室の冷ややかな空気を激しく振動させた。報告をもたらした兵士の額からは大粒の汗が垂れ落ち、床の絨毯に黒いシミを作っている。
「なんだと!? クソッ……! 早すぎるわ、準備がまだ整っていないというのに!」
ヒルダ伯爵は苛立ちを隠そうともせず、目の前の重厚な机を拳で激しく叩きつけた。ズドンという重い衝撃音が響き、並べられた書類が微かに揺れる。彼女の眉間には深い皺が刻まれ、その瞳には焦燥の色が濃く影を落としていた。
王国の権力構造が根底から崩れ去り、一気に群雄割拠の戦国時代へと突入したのだ。混乱は避けられない。
そこへ、さらに扉が激しく開かれ、別の伝令兵が滑り込むように入ってきた。ヒルダ直属の伝令兵だ。鎧の金属音を響かせながら、彼は片膝をつく。
「ヒルダ伯爵様! ご報告が!」
「いいわ、この場でしなさい。包み隠す必要などないわ」
ヒルダが短く促すと、伝令兵は急いで息を整えながら口を開いた。
「はっ! 牛侯爵家より使者が到着し、我らに対し速やかに旗下に入り、従属するよう求めてきております! また、犬伯爵家からは『こちらの動きに合わせる』との密書が届きました!」
「……チッ、牛の奴め、早くも己が王気取りか。よし、私たちは牛侯爵には絶対につかない! だが……このまま単独で立ち上がるための、大義名分はないものか……」
ヒルダは苦々しい表情で唇を噛み締め、爪を噛むように手元を凝視した。大貴族たちの野心が剥き出しになり、誰もが大義名分を欲している。一歩足を踏み外せば、全方位から「裏切者」として集団で叩き潰される危険があった。
「裏切者には……ならないんじゃないですか?」
緊迫した空気のなか、拍子抜けするほど呑気な声が響いた。
声の主はもちろん──悠だ。
俺はテーブルの端で、フォークとスプーンを器用に使いながら、ふんわりとしたショートケーキを口に運んでいた。
甘い生クリームの香りと、みずみずしいイチゴの酸味が口いっぱいに広がる。
隣を見ると、口元に白いクリームをちょんと付けたアイリスが、実に幸せそうな顔でケーキを頬張っており、その背後ではルフが微笑ましそうに控えていた。
「なに……? 悠、どういうことだ?」
ヒルダが鋭い視線を俺に向ける。
「そちらに、大義名分がいると思いますが……」
悠はアイリスを見る。
一瞬の静寂の後、ヒルダは即座に首を横に振った。
「だめだ。アイリス様を戦場に立たせるわけにはいかない。争いに巻き込むなど……」
「戦場に立たせる必要はなくないですか?」
俺は生クリームを呑み込み、呆れたように肩をすくめた。
「お飾りでいろという事か?」
「違いますよ。戦うだけが王の仕事ではないでしょう? なんなら政治が大半じゃないですか? 平和な時ならなおさらです」
「……だが、前線で剣を振るわぬ者に、激動の世の民や騎士がついてくると思うか?」
ヒルダの懸念も分からなくはない。このような戦乱の世においては武力や強さが尊ばれる風潮が強いのだ。
俺は腕を組み、うーんと唸りながら思考を巡らせた。
「うーん……なら『鑑定』を使えばいいんじゃないですか?」
「鑑定がどう求心力になるのだ?」
「鑑定で自分の強さや適性を正確に知れるって、かなり重要な気がするんです。兵士だって自分がどんなスキルに向いているか分かれば戦場で生き残りやすいですし……なんなら新しく『鑑定の儀』なんてものを作ったらどうです? 狩ってきた魔獣の名前や強さを公表して、民を正当に評価するとか」
(……あ、待てよ。これが上手く機能したら、前々から俺が夢見ていた『冒険者ギルド』が作れるようになるんじゃないか? 依頼を出して、魔獣を狩ってもらって、報酬を払う……。階級の仕組みはどうしようかな。無難にE級からS級にでもしとくか……。あ、でもこの世界のステータスには独自のレアリティ表現があるからな。レアリティと単純な強さは別物だろうし、ランク分けは慎重に考えないと……)
俺が脳内で一人冒険者ギルド構想に花を咲かせ、よしよしと頷いていると、ヒルダがこちらの意図を探るように目を細めた。
「……そうか。戦場で直接役に立つというより、その後の魔獣討伐や産業の活性化など、領国全体の管理の方で役に立つということか?」
「そうです。戦争なんてさっさと終わらせて、山や海の方に行って、新しいご飯を見つけたいですしね」
そうなのだ。
戦争なんていくらやったところで死者と荒廃しか生まない。勝利して土地を得たところで、復興に膨大な費用と時間がかかる。
それだったら、北の方に広がっている手つかずの広大な未開地へ行った方がよっぽど建設的だ。
あそこにはきっと、まだ見たこともない美味しい食材がたくさん眠っているはずなのだから。
ヒルダはしばらく目を閉じ、深く息を吐き出した。そして目を開いた時、そこには迷いの消えた意志の光が宿っていた。
「……分かったわ。なら、私たちが掲げる大義名分は『前王家の正統な血を引く者がここにいる』ということだ。そして現王権、および勝手に王を称する不義の侯爵家どもは民をないがしろにした。よってそれらを打ち破り、正当な王に就いてもらう……アイリス様、それでいいでしょうか? 貴女の存在を政に利用してしまう形になりますが……」
アイリスはフォークを止め、ケーキの上の大きなイチゴをパクリと口に含んだ。モグモグと可愛らしく頬を動かして呑み込むと、首をちょこんと傾げた。
「いいのではないですか? でも戦争や政治はよくわからないので、貴女たちに頼みます」
「任されました」
ヒルダは力強く頷くと──何を思ったか、すっと視線をスライドさせて俺をジロリと睨みつけてきた。
(……え? 俺も頼まれたの? えー……政治とか面倒くさそうなんだけど……まあ、いいか)
「……謹んで拝命します」
俺が半ば諦め顔で恭しく一礼すると、ヒルダは満足そうに口元を緩めた。
「悠、アイリス様を頼んだぞ」
言うや否や、ヒルダは風のように会議室を去り、己の領地へと戻っていった。相変わらず行動が早すぎる。
静かになった部屋で、アイリスが私の袖を小さな手でちょんちょんと引っ張った。
「じゃあ、私をお願いします」
「何をですか?」
「もっとおいしいものください」
真顔で即答するアイリスに俺が苦笑していると、後ろから足音が近づいてきた。
「それでしたら、私たちがお出ししますよ」
絢乃が優しく微笑みながら歩み出てきた。その後ろには莉莉の姿もある。彼女たちは「ここは私たちに任せなさい」と頼もしく胸を叩き、ウィンクしてみせた。お腹を空かせた元王女様の胃袋を掴むのは、どうやら妻たちの得意分野になりそうだ。
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