第8話 草原の向こうに見えた、質素な暮らしの町
朝の柔らかな光が差し込む中、コンパスを手に四人は南西へと歩みを進めていた。
変わらず鬱蒼とした森が続き、枝葉をナイフで切りながら進む。木々の隙間からガサリと音がすることはあっても、それが敵意を持って近づいてくることは一度もない。
「相変わらず、平和ね」
茉莉が肩をすくめながら呟く。
「悠がいると、魔獣がみんな逃げていくんだもの。ある意味最強の護衛よね」
「そう言われると複雑なんだけど……」
悠は苦笑いを浮かべながら、それでも少しだけ誇らしいような、居心地の悪いような、なんとも言えない気持ちを抱えていた。
自分がただそこにいるだけで、世界の脅威が姿を消していく。それがどれほど異常なことなのか、悠自身、まだ実感が湧いていなかった。
◇◇◇
森を抜けると、視界が一気に開けた。
「わあ……!」
絢乃が思わず声を上げる。
目の前に広がっていたのは、悠たちの背丈をゆうに超えるほど高く伸びた草が、見渡す限り続く草原だった。風が吹くたびに、緑の穂先が波のようにうねり、さらさらと乾いた音を立てる。
太陽の光を浴びて金色に輝く草の海。その中を歩いていくと、草を見上げる形になり、まるで小人になったような錯覚を覚えた。
「気持ちいいけど……前が全然見えないわね」
茉莉が背伸びをしながら、草の隙間から遠くを窺おうとする。
そんな中、ふと草陰から、もぞもぞと何かが動く気配がした。
「……あ」
悠が足を止める。
草を掻き分けて姿を現したのは、地球で見たことのある牛にどこか似た、しかし角の形が奇妙に湾曲した大きな生き物だった。少し離れた場所には、馬に似た体躯を持つ動物の群れも見える。
「魔獣、じゃないよな……?」
「見た目は普通の動物っぽいわね。地球の牛に近い感じ」
茉莉が目を細めながら観察する。動物たちは悠たちの方をちらりと見るものの、特に警戒する様子もなく、のんびりと草を食んでいた。
「敵意はなさそうだし、このまま進んで大丈夫そうね」
絢乃の言葉に頷き、四人はそれ以上動物たちを刺激することなく、静かに草原を進んでいった。
◇◇◇
草原を抜けるのに、かなりの時間を要した。
太陽がだんだんと高く昇り、額に汗が滲み始めた頃──遠くに、小さな人影と、何棟かの粗末な建物が見えてきた。
「……あれ、集落かしら」
絢乃が目を凝らしながら呟く。
四人はそっと足を止め、近くの茂みに身を潜めた。
「いきなり出ていくのは危ないわ。まずは様子を見ましょう」
茉莉の提案に、全員が頷く。
四人は息を潜めながら、ゆっくりと集落へと近づいていく。
視界に入ってきたのは、粗末な布切れをまとっただけの人々の姿だった。継ぎ接ぎだらけの服を着た男と女たちが、鍬を手に畑を耕している。子供たちも、痩せた土地を這うようにして雑草を抜いていた。
「……」
絢乃が言葉を失う。
その表情には、単なる驚きだけでなく、痛ましさのようなものが滲んでいた。
しばらく様子を窺っていると、遠くから話し声が聞こえてきた。悠たちはさらに耳を澄ませる。
「……また今月も、大麦を三割も持っていかれるのか」
「仕方あるまい。俺たちは農奴だ。領主に納めなければ、住む場所すら奪われる」
その言葉に、四人は顔を見合わせた。
「農奴……」
茉莉が低く呟く。
「税として大麦を納めてる、ってことね。この世界、身分制度がかなりはっきりしてるみたい」
「なんか、想像してたよりずっとシビアな世界なんだな……」
悠の声から、いつもの軽やかさが少しだけ消えていた。
異世界に来て、これまで見てきたのは美しい自然と、自分たちだけの穏やかな時間だった。だが、この光景は、それとはまったく違う「現実」を突きつけてくる。
誰かが決めた理不尽の上に、当たり前のように積み重なっていく日々の暮らし。
◇◇◇
しばらく聞き耳を立てていると、農奴たちの会話の中に、新たな情報が混ざってきた。
「今度、町に行く用事があるんだが……」
「ああ、南西のアントラー町か。あそこなら、大麦さえあれば大抵のものは手に入るからな」
「南西のアントラー町……」
茉莉が地図を思い描くように視線を上げる。
「ここからさらに南西に、それなりの規模の町があるみたいね。情報を集めるなら、この集落より町の方が確実だと思うわ」
「賛成」
悠と絢乃、ルフも頷く。
ただ、このまま自分たちの服装で乗り込むのは、あまりに目立ちすぎる。
「私たちも、あの人たちみたいな恰好に着替えましょう」
絢乃の提案で、悠は亜空間倉庫から粗末な布を取り出し、身なりを汚していく。とくに絢乃と茉莉とルフは美人だから念入りに汚していく。魔女狩りなんて文化があるかもしれないからだ。
もう風呂に入りたい。
悠は下着の上に、粗末な布を羽織った。粗末な布を体に巻いて腰の部分をひもで結ぶだけのシンプルな服だ。似合わない格好に、思わず苦笑いが漏れる。それにチクチクして着心地が悪い。
「これでよし、と。……なんか、コスプレしてる気分だな。それにチクチクする」
「贅沢言わないの。目立たないことが最優先よ」
茉莉に窘められながら、四人は改めて南西を目指して歩き出した。
◇◇◇
集落を迂回するように進み、さらに歩き続けること数時間。
やがて視界の先に、木製の防壁と、その奥にひしめき合う建物の屋根が見えてきた。
「あれが、噂の町ね」
茉莉の声に緊張が滲む。
町の入り口には、簡素な門と、それを見張る門番らしき人物が立っていた。門の前には、荷物を担いだ人々の列ができている。
「……あれ」
悠が目を細める。
門番が、入ってくる人々一人ひとりから、何かを受け取っているのが見えた。
「関税、かしら」
絢乃が呟く。
四人は少し離れた場所からしばらく様子を窺い、聞き耳を立てた。
「通行税だ。大麦三桝、出しな」
「へい……」
農民らしき男が、袋から大麦を取り出し、番人に手渡している。
「大麦三桝……ふむ」
茉莉が素早く頭の中で計算する。
「悠、亜空間倉庫に大麦あったかしら?」
「たぶんあると思う」
悠が慌てて亜空間倉庫を漁ると、案の定、葛布の袋に入った大麦が見つかった。
「よかった、ちゃんとあった」
四人は列に並び、順番を待つ。
いよいよ自分たちの番が回ってきた時、悠の心臓が少しだけ早鐘を打った。これが、異世界で人と初めてまともに接する瞬間だ。
「……次」
番人の無愛想な声に、悠は緊張しながら一歩前に出る。
「えっと、これで足りますか」
差し出した大麦の袋を、番人がちらりと確認し、桝で三杯すくう。
「よし、これで問題ない。通っていいぞ」
あっけないほど簡単に、四人は町の門をくぐることができた。
目の前に広がったのは、雑多な喧騒と、様々な人々が行き交う、賑やかな町の光景だった。
「……ここからが本番ね」
茉莉が小さく呟き、四人はゆっくりと、町の中へと足を踏み入れていった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
PS
ポリエステルを着るって謎じゃない?
確かに汗を描いた後、すぐ乾くのは便利だよ。
でも俺汗かくの嫌いだから。速攻風呂入りたくなるから。
更にポリエステルの肌間も苦手なんだよな。
つまり、服を着なきゃいいってこと。
裸族推進教の信者より




