第82話 久しぶりのドレイク町
何週間ぶりだろうか。
子爵領ボアラントに臨時の領主として派遣されてから、本当に色々なことがあった。
まさか国王様直々に出会い、そのまま正式に子爵に叙せられるなんて、出発したときの俺には想像すらできなかった。
それに伴って、俺が治めることになった領地も「子爵領ブレイシア」と改名された。
やっと「ボアラント」という名前を覚えてきたところだったのに、いきなりの名称変更だ。
なんだか座りが悪いというか、そんなかんじだ。
ちなみに、ボアラント町に関しては、有能なフラクシア=アシュフォードを早速男爵に叙任し、さらに俺が彼女に『朱恩』というミドルネームを与えた上で、領主として現地に残してきた。
結果として彼女のフルネームは「フラクシア=朱恩=アシュフォード」となった。
カタカナと漢字が混ざり合って、視覚的にひどくカオスなことになっている。
だが仕方ないだろう。
俺は日本語の感覚しか持ち合わせていないのだから、そこは勘弁してほしい。
いつかこの世界に大きな「学び舎」のようなものを作って、漢字を広く普及させるのも面白いかもしれないな、などと考えている。
そういえば、この世界に来てから学校のような体系的な教育施設を一度も見かけていないのが、前々から少し気になっていた。
技術の継承がどうなっているのか疑問だったが、それもおそらく、優秀な技術者が不自然に暗殺されたり囲い込まれたりしている、この世界の歪んだ闇が関係しているのだろう。
教育の普及と技術者の保護は、今後の大きな課題になりそうだ。今、龍栖館にある学び舎は保育園に近いものになっている。
そんなことを道中で考えつつ、ボアラント町を出発する際、猫伯爵ことヒルダ様へあらかじめ伝令を飛ばしておいた。
俺がこれからドレイク町に戻ること、そして子爵になったことのご挨拶のために伺いたいので、都合の良い日程を教えてほしい、と書き添えて。
愛馬である炎帝の背に揺られながら旅を続けるうちに、ようやく見慣れたドレイク町の景色が遠くに見えてきた。
その手前にあるアントラー町はほとんど人がおらず、まるでゴーストタウンのようになっていて、少し背筋が寒くなった。
きっとみんなドレイク町へ移住しているのだろう……と、自分に言い聞かせる。
本当に誰もいなくなっていたら、寂しくて泣いてしまうかもしれない。
しかし、ドレイク町が近づくにつれて、俺の目に信じられない光景が飛び込んできた。
なんと、ドレイク町からパラディス村の「奥様城」にかけて、強固で立派な城壁が延々と築かれているのだ。
さらに、その周囲の山の斜面が、見事な黄金色に彩られていた。
あれは……米を栽培するための棚田、だったか。
階段状に連なる水田が、柔らかな陽光を浴びて、黄金の稲穂で波打っている。
その光景は息を呑むほどに美しかった。
もちろん、我が家で待つ最愛の妻たちの方が、何倍も美しいのは言うまでもないが。
◇◇◇
「「「おかえりなさいませ! 悠子爵様!」」」
町の大きな櫓門をくぐった瞬間、鼓膜を震わせるほどの凄まじい大歓声が俺を迎えた。
通りの左右にひしめき合うように並んだ領民たちが、満面の笑みを浮かべ、一斉にクラッカーを鳴らした。
パンッ、パンッと小気味良い破裂音が響き渡り、色とりどりの紙吹雪と紙テープが舞って宙を彩る。
「ただいま! みんな、留守中もしっかり町を守ってくれてありがとう!」
俺は炎帝の背の上から、ちぎれんばかりに手を振り返し、満面の笑みで答えた。領民たちの温かい歓迎に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
一緒に遠征から帰ってきた兵たちには、ドレイク邸へ向かう前に、「まずは家族に無事な顔を見せてやってあげなさい」と伝えて、その場ですぐに解散させた。
みんな大切な家族がいる身だ、家族がいなくとも待ってくれた村人はいる。
一刻も早く無事を知らせ、抱きしめ合いたいだろう。
ゆっくりと炎帝を進めながら、活気あふれる町並みを観察する。以前と比べて明らかに変わったことが一つあった。
領民たちが買い物をするとき、銅貨がごく当たり前のように使われているのだ。
一方で、銀貨や金貨といった高額な貨幣はほとんど見当たらない。
まだ一般市場の末端まで流通していないようだが、それでも銅貨による小規模な経済がしっかりと回り始めているのは、素晴らしい進歩だ。
それともまだ流通すらしていないのだろうか?
それと、先ほど鳴らされたクラッカーの残り香。鼻腔をくすぐるそのツンとした独特の匂いに、俺はピンときた。
(これは……火薬の匂いだ)
子供の頃、オモチャの火薬銃で遊んだときのあの匂いにそっくりだ。
どうやら、俺の留守中に火薬の研究が進んだのだろう。
ようやくドレイク邸に到着し、相棒の炎帝を馬屋へ預けに行こうとしたとき、見慣れた立派な軍馬が繋がれているのが目に入った。
(あれ? この馬、確かヒルダ伯爵様の愛馬じゃなかったか?)
不思議に思いながらも、「龍の寝床」の扉を開けた。
「ふぅ、美味しかった……。──あら、おかえり。子爵の授与おめでとう。そして単刀直入に聞くわ」
扉を開けた途端、テーブルの上に山積みにされた大皿の料理をちょうど平らげ、上品に口元を拭っているヒルダ伯爵様の姿が目に飛び込んできた。
彼女は俺の顔を見るなり、席から立ち上がって鋭い眼光を向けてきた。
厨房の方を見ると、俺の帰還を待っていた妻たち──絢乃、茉莉、ルフが、苦笑いを浮かべながらこちらを見ている。
そして、ヒルダ伯爵様の対面の席には、何やら神妙な面持ちの四人の男爵たちが静かに並んで座っていた。
その体には鎧をまとっておらず、浴衣を羽織っている。
ヒルダ伯爵様は腕を組み、真剣な眼差しで俺を見据える。
「貴方は、私の陣営に付くのかしら? それとも国王様の陣営?」
「──ん?」
挨拶もそこそこに、いきなり何を言い出すんだ、この人は。
呆気に取られる俺をよそに、部屋の空気が一瞬にして張り詰める。
だが、すぐに納得した。
ヒルダ様も、この先に激動の戦乱が訪れることを予感しているのだろう。
……しかし国王陛下も、誰も彼もに自分の構想を明かしているわけではないはずだ。
俺が選ぶべき答えは、最初から決まっている。
「もちろん、ヒルダ伯爵様で」
俺は迷うことなく即答した。
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