第81話 歯車を回す力
次の日。
私たちは、新しく手に入れたスキルの実戦検証とレベリングを兼ねて、森へと足を踏み入れていた。
ハンナたちが命がけで特訓している深部とは異なり、比較的おとなしい魔獣や野生動物が生息するエリアを選んだが、それでも油断は禁物だ。
「まーちゃん、前方右側の茂みに反応あり。数は……三つ」
絢乃が盾を構えながら、低く鋭い声で告げた。
私はすかさず『魔力感知』を展開する。体内の丹田から引き出した魔力を全身に巡らせることで、周囲のマナの乱れ――すなわち生物の気配が、霧の中に浮かび上がる光のように克明に理解できた。
「『鑑定』……ファングウルフが三匹ね。レベルは十前後。絢乃、そのまま正面で引きつけて。ルフは左側から回り込んで、逃げ道を塞ぎつつ牽制をお願い」
「承知しました!」
「任せて!」
茂みが激しく揺れ、鋭い牙を剥き出しにした灰色の狼――ファングウルフが唸り声を上げて飛び出してきた。
先頭の一匹が、凄まじい速度で絢乃の喉元をめがけて跳躍する。
だが、絢乃は微動だにしなかった。
「ふんっ!」
鋭い掛け声とともに、絢乃は盾を斜め上方へと突き出した。完璧なタイミングでのシールドバッシュ。
ゴンッ、と鈍い衝撃音が響き、狼は軌道を逸らされて地面へと叩きつけられる。
そこへ、すかさず絢乃がモーニングスターで、落下する狼の脳天めがけて叩きつけた。
自重と重力、そして慣性を利用した、容赦のない一撃。狼は悲鳴を上げる間もなく倒れる。
「後ろの二匹が来るわ!」
私の警告と同時に、残る二匹が左右に別れて絢乃を挟み撃ちにしようと動く。
しかし、その動きはすでにルフによって読まれていた。
「させません!」
ルフが手を前にかざすと、彼女の指先から、掌大の凝縮された熱風の塊が放たれた。
放たれた熱風は右側の狼の目の前で爆発し、熱と乾燥によって狼の視界と呼吸を奪う。狼はたまらず動きを止め、苦しげに悶えた。
私はその隙を見逃さない。
『魔力制御』によって足裏に魔力を集中させ、地面を強く蹴り出す。身体能力が爆発的に向上し、景色が後ろへと流れていく。
一瞬で悶える狼の懐へと潜り込み、逆手に握った短剣を、相手の喉元へ深く突き刺した。
ドサリ、と重い音を立てて狼が倒れ伏す。
「最後の一匹!」
絢乃が叫び、盾で狼の突進を受け止めて動きを封じる。
そこへルフが再び魔法を放ち、怯んだところを私の短剣が確実に急所を貫いた。
「ふぅ……。完璧な連携ね」
私は短剣についた血を振り払い、息を整えた。
絢乃も盾をアイテムボックスへ仕舞い、額の汗を拭う。
「まーちゃん、魔力制御を使った動き、すごく様になってたよ! まるでお手本みたいな踏み込みだった」
「ありがとう。これも丹田呼吸法で魔力の流れを掴めたおかげね。ルフの的確な魔法アシストも助かったわ」
「お役に立てて光栄です。お二人とも、本当にスキルの使い方がお上手で、私の方が勉強になります」
ルフが嬉しそうに微笑む。
私たちはその後も数時間のレベリングを行い、確かな手応えを感じてからヤマブキ寝殿造へと帰還した。
◇◇◇
森から戻った私たちは、心地よい疲労感を抱えたまま、敷地内にある大浴場へと直行した。
総木造りの贅沢な浴場には、なみなみと温かい湯が湛えられている。
湯船に肩まで浸かると、戦闘で緊張していた筋肉がじんわりとほぐれていくのが分かった。
「はぁ……極楽ね」
「本当に気持ちいい。森の中は緊張するから、このお湯が体に染みるよ……」
「ふふ、お二人とも、湯あたりしないように気をつけてくださいね」
ルフが楽しそうに笑い、私たちはしばらく他愛のないお喋りを楽しみながら、汗と疲れを綺麗に洗い流した。
湯から上がり、薄手の浴衣に着替えて脱衣所の長椅子で涼んでいた時のことだ。
パタパタと、廊下を急ぎ足で走ってくる靴音が聞こえた。
ノックの音が響く。
「奥様方! 急ぎの報告がございます!」
扉の向こうから聞こえたのは、ドレイク領の女性伝令兵の声だった。息を切らせてはいるが、その声には強い興奮が混じっている。
「入っていいわ。どうしたの?」
私が許可を出すと、引き戸が開き、伝令兵が滑り込むように入室してその場に跪いた。
「報告いたします! ボアラント町に向かわれた将領様が……ウィルダム国王陛下より、正式に『子爵』の爵位を下賜されました!」
「えっ……!?」
絢乃が驚きのあまり立ち上がった。
伝令兵はさらに言葉を続ける。
「さらに、子爵導ボアラント改め、この地域一帯は『子爵導ブレイシア』と改名され、そのすべての統治権が将領様に与えられたとのことです! そして国王陛下より、武の誉れを示す『レイヴン』の名を賜り、将領様は今後『悠=レイヴリス=ドレイク子爵』となられます!」
「悠くんが……子爵……?」
絢乃が呆然と呟く。
私は濡れた髪をタオルで拭きながら、小さく、本当に力なく溜め息をついた。けれど、その口元には自然と苦笑が浮かんでいた。
「本当に……私の旦那は『歯車を回す』のが上手いわね」
悠は昔からそうだ。
本人はのんびりとした生活を送りたいなどと言いながら、その予測不能な行動で、周囲にいる人々の『運命の歯車』を容赦なく、準備を待たずに勢いよく回してしまう。
それなのに、悠本人の歯車だけは、てこでも動かないのだから、昔から近くで見守る側としては苦労が絶えなかった。
『他人の歯車は容赦なく回すのに、自分の歯車は動せない』
本当に、厄介極まりない特性だわ。
「今回は、どんな人の歯車を回したのかしら、悠は。またとんでもない大騒ぎを起こしていないといいのだけれど」
「うん……。でも、誰にも迷惑をかけてないといいよね」
絢乃が少し心配そうに眉を下げる。
すると、私たちの隣で報告を聞いていたルフが、誇らしげに目を輝かせて言った。
「さすがは私の旦那様です。まるで、あらゆる可能性の扉を開く『門にして鍵』のようですね」
ルフのその言葉に、私は思わず納得してしまった。
確かにその通りだわ。彼はこの世界の常識という門を開き、新しい時代の鍵を握る存在そのものだ。
子爵。そして『ブレイシア』という広大な領地。
これほどの地位と力を得てしまった以上、これからさらに多くの、そして大きな運命の歯車が回り始めるだろう。その先にある未来がどうなるかなど、誰にも予想はできない。
けれど、私の心の中に迷いはなかった。
「……これからもっと忙しくなるわね。でも、私たちのやるべきことは一つよ」
私は立ち上がり、二人の顔を見つめた。
「悠がどれだけ大きな歯車を回そうと、私たちはその足元を支え、何があっても私たちの愛する人たちだけは守り抜いて見せる。そうでしょう?」
私の言葉に、絢乃が力強く頷き、ルフも頼もしい笑みを浮かべた。
「うん! 悠くんが帰ってきたら、びっくりするくらい強くなった私たちを見せてあげようね!」
「はい! 旦那様の誇れる妻として、私も全力を尽くします!」
私たちは互いの手を重ね合わせ、それぞれの胸の中で、新しく始まる激動の時代への確かな覚悟を刻むのだった。
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