第77話 スミレ(茉莉)男爵の暗躍 ジークフリート視点
数日後。アントラー町の仮設執務室で、俺は各地から届く報告書の整理に追われていた。
「カルフェル町の奪還、完了か……」
伝令越しに届いた報告は、拍子抜けするほどあっさりとしたものだった。
リースたちは、悠様から預けられた魔獣『ブラッドフレア』に跨って堂々と町へ乗り込んだらしい。その巨大で禍々しい姿を目にしたカルフェル町を占領していた敵軍たちは、一戦も交えることなく恐怖で戦意を喪失し、すぐさま白旗を掲げたという。
ミレットがしたためた几帳面な報告書には、戦後の混乱もない旨が詳細に綴られていたが、その片隅に、リースの筆跡で『もっと派手に戦いたかったのに!』と不満タラタラな感想が殴り書きされていた。
俺はそれを見て、思わず苦笑を浮かべる。
コンコン、と小気味よいノックの音が響いた。
「失礼します! ジークフリート様、ヴィベル町に向かったアレス様たちの報告書が届きました」
入室してきた伝令から受け取った書状を開く。そこには、グレインらしい几帳面で美しい文字が並んでいた。
『ジークフリート様、グレイン=アインウッドです。無事、ヴィベル町の奪還が成功いたしました。町には戦闘員がほとんどおらず、町民の話によれば、兵の残党はすでに逃げ散ったとのことです。現在は、ミナ男爵より事前に預かっていた兵に町の治安維持を任せ、我々も復興を手伝っております。他の町の占領につきましては、ジークフリート様の伝令が戻り次第、速やかに向かいます』
他の二人からも、同様に問題がない旨の短い報告が添えられていた。
「よし……。あとはこの内容を取りまとめて、ドレイク町のスミレ様へ送ってくれ」
伝令に指示を出し、書状を託す。
それと同時に、俺はアントラー町の復興に必要な資材の発注リストを作成し、さらにカルフェル町とヴィベル町で今後予想される復興資材の量を見積もって、先回りして発注の手配を進めた。
この戦後処理と並行して、領地内では新たな試みが行われていた。
ドレイク商会が発行した「銅貨」を用いた取引だ。これをアントラー町とドレイク町の間で試験的に導入したところ、予想以上に流通し、経済の活性化に一役買っている。
さらに、アントラー町には『クリスタナ商人ギルド』の本店が無事に開設された。
噂を聞きつけた商人が続々と登録しにやってきているが、ギルドの運営や商人たちの教育には、悠様が事前に選定し、ドレイク町で教育を施していた優秀な人員が派遣され、的確に対応していた。
(それにしても……)
俺はふと、現在ドレイク商会のトップ代理を務め、さらに不在の悠様に代わってクリスタナ商人ギルドのギルドマスター代理まで兼任しているスミレ男爵様のことを思った。
本来の副ギルドマスターであるハンナ男爵は、現在「魔獣の森」で訓練を受けさせられている。
(……まさかスミレ様、彼らを森へ送ったのは、自分が代理としてギルドの実権を完全に掌握し、意のままに動かすための策略だったのではなかろうか? あの聡明で恐ろしいお方なら、それくらいのことは平気でやりかねない……)
想像するだけで背筋に冷たいものが走る。
さらに最近、この地に『モウル商会』という新たな組織が立ち上がったという。
創設者の名前は聞き覚えのないものだったが、これも絶対にスミレ様の息がかかった商会に違いない。
そもそも、「商会」などという概念を理解し、この戦後のどさくさに紛れて立ち上げる者など、彼女の息がかかった者以外に存在するはずがないのだ。
「……よし、何も知らなかったことにしよう」
俺はそっと書類を閉じ、思考を放棄することにした。大人の対応というやつだ。
その日を境にドレイク領内では新たな商会が続々と立ち上がるようになり、街はかつてない活気に包まれることとなった。
商人ギルドがなかったカルフェル町とヴィベル町にも、即座にクリスタナ商人ギルドの支部が立ち上げられた。
結果として、今回の遠征では負傷者を一人も出すことなく、合計六つもの町を支配下に置くことに成功した。この圧倒的な戦果は、周辺の勢力に対する強力な牽制になるだろう。
奪還初日の夜、スミレ様からは『以後の運営と判断は、現地のあなたの裁量にすべて任せます』という、信頼とも丸投げとも取れる許可が届いていた。
そのため、俺は日々頭を抱えながら、試行錯誤の町運営を続けていたのだが――。
バタン! と、勢いよく執務室の扉が開け放たれた。
「ほ、報告です! ジークフリート様!」
肩を激しく上下させ、額に汗を浮かべた伝令が飛び込んできた。
「どうした、そんなに慌てて。何か敵の襲来でもあったか?」
「いえ、そうではありません! ボアラント町に向かった将領様が……ウィルダム国王陛下より、正式に『子爵』の爵位を下賜されました!」
「何……!?」
俺は思わず立ち上がった。
子爵。男爵のさらに上の爵位だ。
「さらに、子爵導ボアラント改め、この地域一帯は『子爵導ブレイシア』と改名され、そのすべての統治権が将領様に与えられたとのことです! そして国王陛下より、武の誉れを示す『レイヴン』の名を賜り、将領様は今後『悠=レイヴリス=ドレイク子爵』様となられます!」
「……なんということだ。それは、凄まじい大偉業ではないか!」
俺は驚愕のあまり、言葉を失った。
このウィルダム王国が建国されて以来、高位貴族が没落して減ることはあっても、新たに子爵以上の貴族が増えたことなど歴史上一度もない。
悠様は、この国の歴史と常識を根底から塗り替えてしまったのだ。
だが、その驚きと興奮が冷めやらぬうちに、俺の脳裏には胃の痛くなるような未来がよぎった。
(……待てよ。あの悠様が、正式に子爵の地位を手に入れたということは……)
これまで男爵という立場でありながら、数々の常識外れな大騒動を引き起こしてきた御方だ。
その上に強力な爵位と領地が加わり、さらに国王陛下直々にお墨付きを与えられたのだとしたら。
「……今後さらに、国を揺るがすような大きな厄介ごとが次々と降りかかってきますよ? 悠男爵……いいえ、悠子爵様」
俺は窓の外、悠様がいるであろうボアラント町の方向の空を見上げた。
その空は、どこまでも青く澄み渡っている。
「はぁ……。これは、ますますのんびりしている暇はなくなりましたね」
俺は深くため息をつきつつも、その口元にはどこか誇らしげな、そして覚悟を決めたような笑みを浮かべていた。
主君の歩む速度は、常人のそれをはるかに超越している。
ならば、俺たち臣下もまた、その背中に置いていかれないよう、より強く、より大きく成長し続けなければならない。
新しく『ブレイシア』と名を変えたこの広大な地を守り抜き、あの御方が思う存分羽目を外せるだけの頑丈な土台を築くこと。
それこそが、俺たちに課せられた新たな使命なのだ。
俺は落としたペンを拾い上げ、再び地図へと視線を落とした。
その瞳には、未来への確かな闘志が宿っていた。
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