第76話 領地の奪還 ジークフリート視点
時は、少し前までさかのぼる。
「ジーク兄ちゃん、まだ? 敵の気配、全然しないんだけど」
馬の背に揺られながら、退屈そうに槍を振り回しているのはアレスだ。その表情には、戦いへの渇望と、退屈さが隠しきれずに滲み出ていた。
「まだだ、焦るなアレス。周囲の警戒を怠るなと言ったはずだぞ」
俺――ジークフリートは、愛馬の手綱を握り直しながら、アレスの気の緩みを軽く窘めた。
俺たちは今、主君である悠男爵様の指示を受け、奪われた男爵の町を奪還するため、軍を進めている最中だった。
目指すは、この地域の要衝であるアントラー町。敵の軍勢が集結しつつあるという情報が入っており、相応の激戦を覚悟しての行軍だったのだが――。
「……それにしても、静かすぎるな」
斥候からの報告によれば、街道には敵の影一つないという。いくらなんでも不自然だ。身構えながらアントラー町の入り口に差し掛かった時、血相を変えて走ってきた伝令の兵が、驚くべき事実をもたらした。
「ほ、報告します!アントラー町に集結しつつあった敵の男爵軍ですが……すでに壊滅しております!」
「何だと?誰が倒したのだ」
「はっ! ボアラント町から引き上げる途中だった猫伯爵ヒルダ様のご軍勢が、帰り道に『邪魔だ』とばかりに蹴散らしていかれたとのことです! 敵兵は武器も防具も放り出し、散り散りに逃げ去った模様で……」
俺とアレスは思わず顔を見合わせた。
猫伯爵。その恐るべき武名と苛烈さは聞き及んでいたが、まさか通り魔的に敵の主力軍勢を壊滅させて去っていくとは。
「……はは、相変わらず猫伯爵様は規格外だな。まあ、戦わずに済んだのは幸いか」
俺は苦笑交じりにため息をつき、愛馬の首を軽く叩いた。
かくして、俺たちは一滴の血も流すことなく、アントラー町の奪還を完了したのだった。
「さて……ここからどちらに行こうか」
町に足を踏み入れながら、俺は次の布石について考え始めていた。
◇◇◇
アントラー町の中心部に設置した簡易テント。
その中央には急ごしらえの木製机が置かれ、その上にはこの地域一帯を描いた詳細な地図が広げられていた。
この地図はスミレ男爵様から預かっている。
パタパタと風に揺れる天幕の音を聞きながら、俺は地図を凝視する。
現在、アントラー町の元々の兵たちは、悠様の指示によって「魔獣狩り」というドレイク流の厳しい訓練を施されている最中だった。
そのため、町内の見回りや防衛といった治安維持業務は、俺たちが連れてきたドレイク町の兵たちが担当している。
幸いなことに、この町の住民たちとは以前、農作物の共同収穫という大仕事を共に成し遂げた仲だ。
お互いに同じ釜の飯を食べ、汗を流した記憶があるため、ドレイク町の兵たちとの間に軋轢はなく、むしろ旧友のように温かく馴染んでくれていた。
「西にはイリア男爵の領地であるカルフェル町。南にはミナ男爵の領地であるヴィベル町か……」
俺は地図上の二つの点を指でなぞる。
すでに、攻め込んできた敵の男爵たちは護送中に暗殺されこの世を去っている。
彼らが生きていたときに聞いた情報通りなら、守備に割ける軍勢はほとんど残っていないはずだ。
「町を守るための最低限の兵すら残さず、すべての戦力を遠征に連れ出してくるとはな。何を考えているのやら……。これでは本拠地はもぬけの殻、どうぞ奪ってくださいと言っているようなものだぞ」
今は無き貴族たちの無策と愚行に、俺は呆れを通り越して深い吐息を漏らした。だが、敵が愚かであるならば、こちらとしては好都合でしかない。
「じゃあ、僕はこっちに行く!」
アレスが勢いよく身を乗り出し、地図の南側に位置する「ヴィベル町」をビシッと指さした。
「よし、じゃあアレスはヴィベル町を頼む。俺は西の――」
「お待ちください、ジーク様!」
俺がカルフェル町を指そうとした瞬間、凛とした、だがどこか不満げな少女の声が天幕に響き渡った。
声の主はリースだ。小柄で可愛らしい容姿とは裏腹に、彼女は俺やアレスと同様に、凶暴な魔獣を単独で撃破できる数少ない卓越した実力者の一人だった。
「ジーク様はいつも武勲を上げすぎです! ずるいです! 私たちにも活躍する機会をください!」
「そうだそうだ! ジーク様ばっかりずるいぞ!」
リースの抗議に便乗するように、彼女の後ろから四人の若者たちが声を上げる。その中から、一際姿勢の正しい少年が一歩前に出た。
グレイン=アインウッドだ。元貴族の家系だという彼は、このような野戦テントの中でも、優雅な礼儀作法を崩さない。
「その通りです、ジーク様。あなたは悠様から直々にパラディス村の統治を任されているお立場。このアントラー町の防衛体制を盤石にし、戦後復興に専念されるべきかと愚考いたします。外への進軍は、我々にお任せください」
「……一理あるな」
グレインの正論と、リースたちのやる気に満ちた視線に押され、俺は肩をすくめた。
「わかった。この町の防御をより強固にすることは、ひいては我らがドレイク町の安全にも繋がるからな。俺はここにとどまり、アントラー町の統治と防衛に専念しよう」
「よっしゃあ! 私の時代きたぁ! じゃあ私、こっち行く!」
リースが満面の笑みを浮かべ、西のカルフェル町を指さした。
「わかった。では、カルフェル町の奪還はリース、ミレット、フリスの三人で頼む」
「「「はい!」」」
三者三様の返事が返ってくる。リースは嬉しそうに拳を握り、ミレットはおずおずと、フリスは淡々と頷いた。
「そしてヴィベル町はアレス、グレイン、ローシュの三人で行ってくれ」
「「「了解です!」」」
アレスが元気よく答え、グレインが優雅に一礼し、ローシュが静かに微笑む。
「それぞれの町を奪還したら、同行する騎士様たちに一時的な行政と町の運営をお願いしてくれ。その方たちが、本来その町を守っている方たちだ。その後、伝令を飛ばしてくれ。返答が届いたら、そのまま敵の男爵たちの本領を攻め落としに行って構わない」
「しゃあ! そこを占領したら、その町は私のものってことでいいよね!? ね、ジーク様!?」
鼻息を荒くして詰め寄ってくるリースに、隣のミレットが慌ててその袖を引っ張った。
「り、リースちゃん、欲張るのはだ……だめだよぉ? 悠様に叱られちゃうよ」
「ふん。これだからお子様は野蛮で困ります」
グレインがフッと鼻で笑い、自らの胸元に手を当てて誇らしげに語る。
「私はただ占領するだけのような無粋な真似はいたしません。町を確実に支配下に置き、その地の特産品を用いて、悠様にふさわしい極上の品を納めてみせます!」
「「あんたの方が年下じゃん」」
リースとミレットが間髪入れずにジト目で突っ込むと、グレインは一瞬言葉に詰まり、頬を赤くしてそっぽを向いた。
「っ、年齢の話をしているのではありません! 精神的な品格の話です!」
「私たちはどうする? ローシュ」
騒ぎを余所に、フリスが隣のローシュに静かに尋ねる。ローシュは肩をすくめ、マイペースに答えた。
「敵を全員倒してから考えようよ、フリス」
「そうだね」
にぎやかに、というよりは勝手気ままに騒ぎ立てる連中を見つめながら、俺はこめかみを指で押さえて深い吐息をついた。
凶暴な魔獣や、死に物狂いの敵軍を相手にする方が、よっぽど楽に思える。
(……ハァ。こいつらをまとめる方が、戦うより何倍も難しいぞ。悠様、どうかこの哀れな俺に、彼らを御するためのご加護を……)
心の中で主君に祈りを捧げつつ、俺は若き(と言っても実年齢はみな年上の)戦士たちを戦場へと送り出すのだった。
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