第75話 ウィルダム王家の罪
「五十年前、この地には『イグゾムリア王国』という国が存在していた。当時、我々人間族は、魔法という理不尽な超常の力を独占し、圧倒的な力で他種族を見下し支配する『人族』の脅威に、常に怯えて暮らしていたのだ。少しでも彼らの機嫌を損ねれば、国ごと滅ぼされかねない。そんな暗黒の時代だった」
王は静かにお茶をすすり、遠い目をしながら続けた。
「その絶望の中で、イグゾムリア王国が極秘裏に開発していた技術があった。それが『ギルファス』『筒』『法無螺貝』からなる、三大技術だ。魔法を持たない我々が、人族の支配を打ち破り、対等な権利を勝ち取るための、まさに歴史上唯一の『絶対的な切り札』に見えた」
ウィルダム王の拳が、微かに震える。
「しかし、イグゾムリア王家は、どれほど年月が流れてもこの技術を軍事に投入しようとしなかった。牙を隠すように、研究室の奥深くに秘匿し続けたのだ。人族への恐怖に怯え、焦りを募らせる国内の有力者や軍部の心の中で、鬱積した不満はいつしか憤怒へと変わっていった」
『なぜあれほどの切り札を持ちながら、外へ打って出ようとしないのか!』
『弱腰のイグゾムリア王家のもとでは宝の持ち腐れだ! もたもたしていれば、いずれ人族に技術の存在を察知され、対抗手段を講じられるか、国ごとまとめて踏みにじられるだけだ!』
「そう叫び、焦燥に駆られた我々は、『弱腰な旧王家を倒して国を塗り替え、自分たちがこの三大技術を正しく運用して先頭に立つことこそが、人間族全体が人族と対等に渡り合うための唯一の道である』と固く信じるに至った。そして、皮肉にも人族の裏社会から密かに入手した強力な魔導具を用い、イグゾムリア王家に対するクーデターを決行したのだ」
王は自嘲的な笑みを浮かべた。
「激しい内乱の末、未完成の『筒』や『法無螺貝』をかき集めて必死に抵抗するイグゾムリア王家を、我々は流血の果てに討ち滅ぼした。全領土を掌握し、新たな人間族の主導国家『ウィルダム王国』を樹立したのだ。失われていた領土をすべて奪還し、三大技術の研究資料を接収した我々は、歓喜の渦に包まれた。これで人族と対等になれる、輝かしい新時代が来ると、誰もが確信した。……だが、その喜びは一瞬にして地獄の絶望へと変わった」
王の瞳に、深い後悔と恐怖が宿る。
「接収した三大技術を解析し、新兵器として改良を進めようとした矢先、保護し、厚遇していたはずの旧イグゾムリアの優秀な技術者たちが、次々と不審死を遂げる大事件が発生した。原因不明の突然死、不自然な事故、突発的な発狂……。暗殺者の影も、その魔の手も一切感知できないまま、三大技術の核心的なノウハウを知る人間が、一人残らず消え去ってしまったのだ」
「……暗殺、ですか?」
「そうだ。だが、それだけでは終わらなかった。我々は諦めず、自国の優秀な学者を集め、技術の再構築を急がせた。また、未完成の技術でも力でねじ伏せられるよう、強力な戦士や将校、技術者の育成に注力した。だが、そこに待っていたのは、さらなる残酷な『現実』だった」
王は一つ一つ、その悲劇を指折り数えるように語った。
「ギルファス気化の体積計算にあと一歩で辿り着きそうだった天才学者が、自室で突如心不全を起こして急死した。……『筒』の爆破事故を防ぐ画期的な改良に成功した一流の鍛冶師が、原因不明の高熱を出し、数日のうちに物言わぬ屍となった。……部隊をまとめ上げ、人族の軍勢に対抗し得るほどの武力とカリスマを持った英雄的な騎士団長が、演習中の不自然な落馬事故で命を落とした」
「……」
「『技術を解析し、真理に近づこうとする者』『人間を率いるほどの優秀な強者として育った者』――そのすべてが、ある一定の『領域』に達した瞬間、狂いもなく正確に命を摘み取られていくのだ。何十年にも及ぶ、この異常な連続不審死の歴史を経て、我々王家はついに戦慄すべき真実を理解した」
王は顔を覆い、絞り出すような声で言った。
「自分たちはイグゾムリア王家を倒して独立したのではない。人族によって、『この規模の広さまでなら生かしておいてやる』という、目に見えない無形の檻の中に閉じ込められ、飼い殺されているだけなのだと。人族は、人間族が知恵を持つことも、力を持つことも、決して許さない。そして、かつて自分たちが起こしたクーデターすら、同胞の優秀なイグゾムリア王家や技術者を排除するために、人族の思惑通りに『都合よく踊らされた殺戮の道具』に過ぎなかったのだと」
王の肩が小さく震える。
「奪い返した広大な国土は、勝利の証などではない。自分たちが愚かさゆえに殺してしまった、同胞たちの無数の墓標なのだ。イグゾムリア王家は弱腰などではなかった。彼らは、この残酷な構造を知っていたからこそ、牙を隠し、水面下で技術を熟成させようとしていたのだ……。それを、我々は『弱腰だ』と罵り、功名心と焦りに任せて自ら希望を握り潰した。……中身は完全に空洞だ。形だけの国など、何の価値もない」
重い沈黙が食堂を支配した。
イグゾムリア王国を倒して国を興したウィルダム王国が背負う、絶望と自責の念。これこそが、彼らの「懺悔」の全貌だった。
悠は静かに湯呑を置き、王を見つめた。
「……人間族の希望よ。この国を、頼む」
ウィルダムは、一国の王としてのプライドをすべて捨て去ったかのように、悠に向かって深く頭を下げた。
「そう言われても、俺に何をしろと? 流石に国全土を守れるほどの力はありませんよ。それに、俺が人族をいくら倒したところで、過去に死んでいった人たちは報われないでしょう?」
「そうだ。お主が守る必要はない。……だからこそ、この国を『乱世』にする」
「乱世に?」
「国民にとっては、長く苦しい時代になるだろう。だが、このまま檻の中で飼い殺されていては、人間族としての生きる力すらも奪われてしまう。……そして、頼む。私を、このウィルダム=ヴァン=アキレスを倒してくれ」
王の目は、本気だった。
自分自身を討ち果たし、この偽りの平和を破壊してくれと、彼は懇願しているのだ。
悠はしばらく考え込んだ。
(国を救うとか、そんな大層な大義名分は俺にはない。だが――)
「……それをすることで、俺の願いが叶い続けるのなら……。いいでしょう、あなたを倒します。そして、人族と対等に渡り合えるよう、領民を俺が育て上げてみせます」
「……感謝する。頼んだぞ」
ウィルダム王の表情に、長い苦悩の呪縛から解放されたような、安堵の笑みが浮かんだ。
◇◇◇
その後、ボアラント町の中心にある大広間で、厳かに叙爵式が執り行われた。
広間には多くの悠の兵、および町の代表たちが集まり、固唾を呑んで壇上を見上げている。
壇上に立ったウィルダム王は、厳かな声で宣言した。
「悠=ティグリス=ドレイク。前に出よ」
悠は静かに歩み出て、王の前で片膝を突いて跪いた。
「お主は、その身に稀有なる武の才を秘め、この地に巣食う悪を討ち果たした。その功績を称え、ここに『レイヴン』の名を与える。よってこれより、お主は『悠=レイブリス=ドレイク』を名乗るがよい」
レイブリス。武の才を示す名。
悠はその名を受け入れるように、深く頭を垂れた。
「そして今日より、子爵導ボアラントは、子爵導『ブレイシア』と改名し、汝がこれを統治せよ」
王の宣言が響き渡った瞬間、広間は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
拍手の中、王は悠の肩に手を置き、バッジを授与するために顔を近づけた。
そして、周囲には聞こえないような極小の声で、悪戯っぽく耳打ちした。
「好きに暴れよ。お主を止める者は、もはやこの国にはおらんのだからな?」
顔を上げると、ウィルダム王は楽しそうに笑って見せた。
悠は心の中で、ほくそ笑む。
王様公認で暴れていいわけだ。
だったら――。
(……よし。なら、お言葉に甘えて、思いっきり羽目を外しちゃおうかね!)
新たな子爵、悠=レイブリス=ドレイクとしての物語が、ここから始まるのだった。
そして悠は忘れていた。緑茶に隠し味として『エリクサー』を入れていたことに。
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