第74話 強者のオーラ
じっと見つめられるだけで、皮膚がピリピリと痺れるような感覚がある。
「悠=ティグリス=ドレイク。お主だな? ……子爵を一騎打ちで討ち果たしたと聞いたが、それは誠か?」
「――その通りにございます。私が、悠=ティグリス=ドレイクです」
フラクシアに教わった通り、落ち着いたトーンで返答する。
だが、背中は冷や汗でぐしょぐしょだった。
地球での学生時代、千人の前で台本なしのあいさつを無茶振りされたことがあったが、あの時のプレッシャーなど、このじいさんの眼光に比べれば可愛いものだ。
心臓を直接鷲掴みにされ、握り潰されそうなほどの圧迫感がある。
ウィルダム王は悠を頭のてっぺんから爪先まで観察するように見つめると、フッと短く息を吐いた。
「よし。……汝と、二人だけで話がしたい。案内せよ」
◇◇◇
案内されたのは、子爵邸の食堂だった。
「この屋敷の中で、まともで綺麗だった場所はここしかありませんわ」とフラクシアが事前に言っていた通り、他の部屋に比べれば埃っぽさもなく、調度品も小綺麗に整えられている。
とはいえ、元がダミアンの屋敷だ。悪趣味な装飾が随所に見られ、悠は落ち着かなかった。
ましてや、対面にこの国の王様が座り、周囲には護衛の兵すらいない完全な二人きりの空間だ。
……何この空気。居心地が悪すぎて、逃げ出したい。
「自己紹介がまだだったな。改めて名乗ろう。私の名は、ウィルダム=ヴァン=アキレスだ」
「……では、改めまして。悠=ティグリス=ドレイクです」
悠は、あらかじめ用意しておいた、ドレイク町特産の茶葉で淹れた温かい緑茶を湯呑に注ぎ、王の前に置いた。
ドレイク町特有の緑茶だ。
そして自分も手元の湯呑を持ち上げ、ずずっとすする。
(あぁぁ……うまい。温かいお茶が染み渡る。少しだけ緊張がほぐれた気がする)
だが、思考はフル回転していた。
(ここで俺の命運も終わりかな……。いや、短くない!? 俺のこの世界での人生、まだちょっとしか経ってないんだよ!? ここで死んでたまるか。……やっぱり、いざという時のためにあのカードを切るべきか? 猪子爵の不正の証拠を……)
「陛下、実は――」
「良い」
悠が言葉を切り出そうとしたが、ウィルダム王が手で制した。
「いつも通りの口調で話せ。それにお主を罪に問うつもりはない。もちろん、子爵を倒したこともな」
「……え? 本当ですか? ありがとうございます!」
思わず素の口調に戻って頭を下げると、王は呆れたように眉を上げた。
「……お主、案外図太いのだな。王である私から『いつも通りにせよ』と言われて、本当に口調を崩した奴は、長い人生で初めてだぞ?」
「いや、よくわからないですね。俺、王様に会うのってあなたが初めてですから。比較対象がいないんですよ」
「それも……そう……なのか? ふ、ふはは! 確かにその通りだな! この国に王は私しかいないのだったな!」
王は声を上げて笑った。その笑い声には、先ほどまでの王の面影はなく、ただの気さくな老人のものだった。
「お茶、飲みます? 美味しいですよ。ドレイク町産の茶葉で作った『緑茶』って言うんですけど」
「ほう。では、いただこうか」
悠が湯呑を差し出すと、王は手を伸ばした。
「あ、湯呑が熱いので。こう、親指と人差し指でフチを持って、もう片方の手で底を支えるように持ってください」
「ふむ、こうか? ……おお、温かいな。どれ……ず、ずず……。……ふぅぅぅぅ……」
王は深く、本当に深いため息をついた。その表情は、芯から弛緩している。
「あぁぁ……温かくて旨いな。それに生き返るようじゃ。……いつもは毒味やらなんやらで、冷めきったものしか飲めなくてな。いやぁ、儂も本当はこういう堅苦しいのは大嫌いなんじゃ。肩は凝るし、腰は痛むし。……もう、このままでいいよね?」
「そんなに簡単に気を抜いていいんですか?」
悠が半眼で尋ねると、ウィルダムは湯呑を置き、いたずらっぽく目を細めた。
「だって、儂が連れてきた兵を全員お主にぶつけたところで、勝てないだろう? それに、その規格外の力を持つ当の本人が、こちらに敵意を持っていない。ならば、これ以上無駄な警戒をして疲れるだけ損というものだ」
その言葉に、俺は背筋が凍るのを感じた。
(……おいおい。このじいさん、まさかステータスが見えるのか? ステータス偽装を完璧にかけているはずなのに、それを見破るスキルでもあるのか?)
「……いつから、気づいていたんですか?」
「会った瞬間じゃな。これでも、かつて神聖アルビオン帝国の軍勢と数え切れないほどの死線をくぐり抜けてきたのだぞ。戦場において、真に恐ろしい強者が放つ『気配』は、どれほど隠そうとも染み出してくるものだよ。老いぼれの勘を舐めてもらっては困る」
「そうですか……」
『老人は生き残りと思え』という言葉を思い出す。
バレているのなら、これ以上隠し立てする意味はない。
むしろ、この国のトップに自分の正体を明かしておいた方が、今後の交渉や領地経営で便宜を図ってもらいやすくなるはずだ。
「――閣下の見た通りです。俺は、人間族ではありません。……『人神族』です」
俺はそう言って、パッシブスキルの『威圧』を意図的にオンにした。
食堂の空気が物理的に重くなり、王が放っていたような、肌を刺すプレッシャーが室内に満ちる。
「ブフォッ!!!!」
王は、口に含んでいた緑茶を勢いよく吹き出した。
汚れないように素早く身をかわしつつ、俺は慌ててテーブルを拭くための布を差し出した。
「陛下、大丈夫ですか!?」
「げほっ、ごほっ! ……え? 人族じゃないのか……? ……いや、しかし今のプレッシャー、確かに人間でも人族でもない……。ということは、奴らの言っているあの神話は……」
王は濡れた髭を拭きながら、何やら深刻な表情で考え込み始めた。
(……あれ? 待てよ。ステータスが見えてたわけじゃないの? 単に「なんかめちゃくちゃ強い奴がいるぞ」っていう、長年の経験からくる勘だけで言ってたの? ……やらかした!!! 自分から正体カミングアウトしちゃったよ!)
「あ、あらかじめ言っておきますけど! 原初至純教が崇めてる『人神様』とは別物ですからね? あいつらとは一切関係ありませんから! あんな奴らと一緒にしないでください!」
悠が必死に弁明すると、王は真剣な目でこちらを見据えた。
「……詳しく聞かせてもらおうか」
「詳しくと言われても……。そもそも、原初至純教が人神様なんて存在を崇めているのを知ったのは、ついさっきなんです。このボアラント町の支部代表の……名前は聞いてないから分かりませんが、そいつが言っていたので知っただけで。……まあ、その代表は『人族の繁栄のために』とかほざきながら、口から黒い煙を吐き出して消えちゃいましたけど」
「やはり、人族を倒していたのだな。そしてその消え方は、奴らが窮地に陥った際に使う自害の魔法だ。詳しい原理も、それを防ぐ方法も、我が国では判明していない」
ウィルダム王は深くため息をつき、それから悠の顔をじっと見つめた。
「うむ。お主の言葉を信じよう。話してみれば、嘘をつけるような性格ではなさそうだしな。思ったことがすべて顔に出ているぞ。……だが、不思議な男だ。聡明であるはずなのに、詐欺師に引っかかりそうな危うさがある。しかし、その詐欺師を返り討ちにするどころか、歯牙にもかけない大胆さを持っている」
「信じていただきありがとうございます。……いや、でも、詐欺師に引っかかりそうってよく言われるんですよね。そういえば……詐欺師に引っかかったことは……ないですね」
「だろうな。お主のような化け物に近づこうとする命知らずな詐欺師など、この世にはおらんよ。……ふむ」
王はしばらく顎に手を当てて考え込んでいたが、やがて意を決したように言った。
「よし。お主に『子爵位』を授けよう。治める地は、ここボアラントだ」
「え? ……ダミアンの娘であるフラクシアさんではなく、俺ですか?」
「あの子には、人間を率いる才はない」
王はきっぱりと言い切った。その言葉には冷徹な事実としての重みがあった。
「だが、お主にはその才がある」
「人間を率いる才、ですか?」
「そうだ。よく考えてみよ。その辺の凡百の人間に『明日から千人の兵を率いてみせろ』と言って、できると思うか?」
「……急には無理ですね。パニックになると思います」
「そうだ。だが時折、そういう才を持って生まれてくる者がいるのだ。お主のように――『王の資質』を、な」
「……過分な評価をありがとうございます。でも、それならなおさら、王であるあなたにとって、俺は王位を脅かす危険分子として排除すべき存在なのではないですか?」
王の資質があると言われても、悠には全くピンとこない。むしろ、そんな危険な存在なら生かしておく理由がないのでは、という素直な疑問だった。
ウィルダム王は、悠のあまりのストレートさに虚を突かれたように目を丸くし、それから自嘲気味に笑った。
「……本当に、正直な奴だな。……お主の言う通りだ。普通の王であれば、お主を暗殺するか、全力で圧力をかけるだろう。……その疑問に答える前に、私の、いや、我が王家の『罪』を語らねばならんな」
王の表情が、一瞬にして深い闇に覆われたかのように暗くなった。
そうして、ウィルダム王の重苦しい「懺悔」が始まった。
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