第72話 宗教を使った侵略行為
間もなくして、部屋に一人の男が入ってきた。
仕立ての良い、だがどこか宗教的な意匠が施された白い法衣を身にまとっている。薄ら笑いを浮かべたその顔は、傲慢そのものだった。
「原初至純教、ボアラント支部代表の――」
「名前はいい。用件を言え」
悠は男の言葉を途中で遮った。
名前を覚えるつもりはないし、何よりこいつの顔を見ていると、なぜか不愉快極まりない気分になる。
かつて戦った猪子爵と同類の、他者を見下すことに喜びを感じている人間の顔だ。
男は悠の態度に一瞬だけ不快そうに目を細めたが、すぐに鼻で笑った。
「ふん。人間のくせに生意気な。まあよい。新参の領主よ、よく聞きなさい。人族以外の忌むべき亜人どもは、この世界に存在しているだけで大いなる『罪』なのです。しかし、我々が崇める至高の存在、すなわち『人神様』に祈りを捧げ、一生涯お布施を支払い続けることで、その汚らわしい命を繋ぐことが許されるのです」
(……は? 何言ってんだこいつ?)
人神様? 人違いならぬ神違いにも程がある。亜人が生きているだけで罪とか、どこのバカ団体だ。こんな歪んだ教義を真顔で語る奴は、初めて見た。
男はさらに、傲慢な態度で言い放った。
「よって、領民どもには引き続き収穫税を三割納めさせるのです。そして、それを我が教会へ直接お納めなさい。そうすれば、我々の神聖な祈りによって、この地を祝福して差し上げましょう」
本当にやめてほしいです。貴方たちの邪な祈りを精霊様たちが住むかもしれない大地に捧げないでください。
精霊様は来る。多分来る。奥様城の中庭にも立派な精霊大木が生えたからだ。
「そういうの、間に合ってるんで。お引き取りください」
悠は遮るように、冷淡に告げた。
男は一瞬、自分の耳を疑うように硬直した。
「……聞き間違いか? もう一度言いなさい」
「納めないし、あんたたちはいらないから帰ってくれと言ったんだ」
「貴様! この神聖なる原初至純教に対し、そのような態度を取って無事で済むと思っているのか!?」
男の顔が怒りで真っ赤に染まる。
悠はふと、脳裏をよぎった疑念を確かめるため、少し鎌をかけてみることにした。
(さっき俺の事を『人間』って言ったもんな)
「そう言えば。俺は少し前に、ドレイク町で暗殺されかかってね。その時の実行犯が、死に際にこう言っていたんだ。『人族の繁栄のために』とね。その『人間』もお仲間? 『人間』違いだったらごめんね? その『人間』にもしつこく勧誘されたんだよね」
その瞬間、男の表情が凍りついた。そして顔を怒りで真っ赤にする。
「なっ……! 貴様が、あのお方を……! それに俺を『人間』などという、『亜人種』と一緒にするなぁぁぁ!」
(はい、ビンゴ。それに、ジークが言った通り人間と言われるのが相当嫌なんだな)
心の中でガッツポーズを決める。
暗殺未遂の背後にいたのは、やはりこの『原初至純教』という奴らだったわけだ。人族の繁栄を謳いながら、他種族を排斥し、他国や他領地に浸食する。
戦争の勝ち方は、なにも武力による衝突だけではない。
主に三つある。
一つ目は武力による制圧。
二つ目は経済による買収と支配。
三つ目は宗教による信仰心の塗り替え。
後強いて言えば技術力によるこれらすべての底上げだ。
このボアラント町という辺境の子爵領まで教会が浸食しているということは、かなり事態は深刻だ。普通なら中央の権力が届きにくい、地方でいて人の多い領地から順に勢力を拡大していくはずだ。
しかし、ここ、子爵導ボアラントは、人族の国境の間反対にある北東のさらに一番遠い場所にある。海輸がないのなら、こんな場所からは布教しない。つまりこの国は、思った以上に原初至純教に蝕まれているのかもしれない。
「ええい! これは聖戦だ!」
男が逆上し、両手を前に突き出して魔法の詠唱を始めようとした――その瞬間。
ドンッ! と、肉体が激しく壁に叩きつけられる鈍い音が響いた。
悠の傍らに控えていた女性兵の一人が、詠唱を開始した男の胸元に凄まじい前蹴りを叩き込み、部屋の外の廊下へと蹴り飛ばしたのだ。
さらに、兵は電光石火の速さで剣を抜き放ち、廊下に転がった男の両腕を容赦なく切り落とした。
「ぎゃあああああああっ!?」
廊下から男の絶叫が響き渡る。
あまりにも鮮やかで容赦のない一連の動作に、悠は一瞬唖然としてしまった。
兵は剣の血を払い、鞘に収めると、平然とした顔で悠に向き直って一礼した。
「将領様。今のは人族の魔法詠唱と判断したため、発動前に両腕を切り捨てました。また、執務室内の重要な書類が返り血で汚れてはならないと判断し、一度外へ蹴り出してから対処いたしました。すべては、スミレ男爵様の教えに従ったまでです」
「……お、おう。助かったよ」
茉莉の訓練、恐るべしだな。茉莉、兵たちにどんな教育を施したんだ。書類の汚れまで気にするとは、有能が過ぎる。……それに人族弱すぎないか? まあ宣教師だからこんなもんなのか?
「よし、とりあえずあの男の口を塞ぐために、猿轡を――」
悠が指示を出そうとした、その時。
「じ、人族の……繁栄のために……!」
両腕を失い、激痛に悶えながらも、男は狂信的な目でそう呟いた。
その瞬間、男の口から、どす黒い煙が爆発するように噴き出した。
「下がれ!」
警告と同時に、兵たちが素早く悠を守るように集まってくる。
煙が収まった時、そこには男の姿はなかった。ただ、衣服の燃えカスのような黒い塵だけが、廊下の床に散らばっていた。
「……またこれか」
悠はチッと舌打ちをした。
前に暗殺者を捕らえようとした時と同じだ。あの『人族の繁栄のために』という言葉自体が、『自害をする魔法』のトリガーになっているらしい。
証拠を残さないため、徹底している。これは宣教師じゃない、スパイだ。
「まあ、有益な情報は手に入った」
俺は手袋を外し、娘に向き直った。
「今起こったことを、少し脚色して町の人々に伝えろ。原初至純教の代表が、新領主である俺に対して『収穫税を三割納めろ』と要求し、それを拒否したところ、逆上して魔法で襲いかかってきた。だから防衛のために排除したと。そして、この町から原初至純教を追放・禁止する、とな」
娘は少し驚いた顔をしたが、すぐに納得したように頷いた。
「……つまり、彼らが自分たちの欲のために領民に重税を課そうとし、拒否されたら武力で解決しようとした、という事実を伝えるのですね? それなら領民たちも納得します。元々、彼らの強引なお布施の徴収には皆が困り果てていましたから」
「よし、それで頼む。それと、この件を伝令兵に指示して、すぐに絢乃たちにも報告させてくれ。宗教的な浸食がここまで進んでいるとなると、向こうの対策も急がせる必要がある」
「わかりました、すぐに手配します」
娘が領民に伝えるために部屋を出ていくとともに兵の一人も伝令兵に伝えに行く。
◇◇◇
「ふぅ……」
ようやく嵐が去ったような静けさが戻った執務室で、俺は大きく伸びをした。
まだ一日も経っていないというのに、この疲労感は何だろうか。泥まみれの町、異臭の漂う執務室、終わりの見えない書類整理、および狂信的な宗教関係者の襲撃。
「まったく、一時的な統治を任されただけでこれかよ……。早く王都からの沙汰が決まって、誰か別の人に引き継ぎたいもんだ」
悠が独り言をこぼしながら、兵が淹れてくれたお茶の二杯目を口に運ぼうとした、その時だった。
「ほ、報告ッ! 緊急報告がありますッ!」
廊下から、これまでにないほど引きつった、今にも裏返りそうな大声が響き渡った。
ドタバタと激しい足音が近づいてきたかと思うと、一人の伝令兵が、顔面を蒼白にし、冷や汗を滝のように流しながら執務室に滑り込んできた。その様子は、まるで世界の終わりでも見てきたかのようだった。
悠は湯呑を持ったまま、眉をひそめた。
「……今度は何だ? まさか原初至純教の大軍でも押し寄せてきたか? それとも男爵の軍勢か?」
「ち、違います! そんなものなら、まだ対処のしようがありました!」
伝令兵は激しく首を振り、酸素を求めるように何度も口をパクパクとさせた後、ついにその衝撃の事実を叫んだ。
「こ、国王陛下……ウィルダム=ヴァン=アキレス様その人が、近衛兵を率いて、この町に向かってきております! すでに街道の先に見えており、まもなく到着いたします!」
「……」
悠は持っていた湯呑を口元で止めたまま、思考が完全に停止した。
「……うん?」
「国王陛下です! この国の最高権力者であらせられる、ウィルダム陛下です!」
「いや、うん。それは分かった。国王陛下だな。うん」
悠はカップをそっと机の上に置いた。
「……はあぁぁぁ!?」
悠の叫び声が、臭い執務室の中に虚しく響き渡った。
(なんで!? なんで国王陛下がこんな辺境の、しかもついさっきまで猪子爵が治めていて、今は男爵の俺が一時統治しているだけのボアラント町なんかに来るんだよ!? ……いやだから来るのか。ってなんも知らせ来てないぃぃぃ)
猫伯爵ことヒルダ様が、猪子爵たちの暗殺と子爵と男爵が他領に戦争を吹っ掛けた件の報告するために王都へ向かったはずだ。
その報告を聞いた国王が、なぜか自らこんな場所へ足を運ぶ? いやそれにしては早すぎる。ヒルダ様が報告に行く前に来たと判断するべきだ。
そうなると、攻め入りに来た可能性もある。なら刺激しないように、礼で持って迎えるのが良いのか? この国の礼儀作法分かんねぇぞ!
「すぐに兵を整えろ! 最敬礼の準備だ! あと、さっきの娘と、母親たちにも知らせろ! とにかく不敬とみなされるようなことだけは避けるんだ!」
「は、はっ! ただちに!」
兵たちが、かつてないほど緊張した面持ちで、慌てて部屋を飛び出していった。
悠は残された書類の山を見つめ、再び深く頭を抱えた。
「勘弁してくれよ……。俺はただ、代理で領土を治めているだけなのに……もうちょっとゆっくり過ごしたい! 風呂に入りたい」
そんな悠のささやかな願いなど、濁流のように流れてくる運命の前に容易く押し流されていく。
なぜ国王陛下自らがここへやってくるのか。その真意も分からぬまま、悠は招かれざる偉大な来訪者を迎えるため、泥まみれの町へと急ぎ足で向かうのだった。
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