第6話 なんでも入ってる亜空間倉庫
「た、楽しい……けど、早すぎるわーー!」
絢乃は恐怖と興奮がない交ぜになった顔で、必死にゴムボートの縁にしがみついていた。
「ゴムボートが悲鳴を上げております……!」
ルフが冷や汗を流しながら、周囲に張った簡易的な結界聖法で飛沫を防ごうと必死に聖力を練っている。
「ちょ、悠! オール持たないで! あなたは何もしないで、ただ座ってなさい!!」
「わ、分かった!」
悠が慌ててオールを手放し、大人しく座り込む。それでも一度乗った勢いはそう簡単には収まらず、ゴムボートはまるでウォータースライダーのように川面を滑り続けた。
水しぶきと悲鳴と笑い声。
それはどこか、三人が幼い頃、プールで遊んだ時の記憶と重なるような、賑やかで温かい時間だった。
◇◇◇
やがて、川幅が徐々に広がっていく。
「あ……見て」
絢乃が声を上げた。
視界の先、木々の切れ目から、眩い光が差し込んでくる。
ゴムボートがゆっくりと減速しながら、その光の中へと滑り出た瞬間──四人は、揃って言葉を失った。
目の前に広がっていたのは、切り立った断崖に囲まれた、隠れ里のような入り江だった。
エメラルドグリーンに輝く海。太陽の光を受けて、水面がまるで宝石を散りばめたようにきらきらと反射している。真っ白な砂浜が弧を描くように広がり、遠くには色鮮やかな珊瑚のようなものまで透けて見えた。
「……綺麗」
絢乃が、ただそれだけを呟く。それ以上の言葉が、出てこなかった。
「これは……ちょっと、反則ね」
茉莉も呆然とした様子で、目の前の光景に見入っている。社長として世界中の絶景を見てきたはずの彼女ですら、言葉を失うほどの美しさだった。
「……うん」
悠は静かに目を細め、潮風を吸い込んだ。
塩気を含んだ風が、頬を優しく撫でていく。波の音、砂浜に反射する陽光、遠くで羽ばたく見たこともない鳥の影。
「こういうところに、住んでみたかったんだよな」
小さく、けれど確かな満足感を滲ませて、悠は呟いた。
ゴムボートは静かに砂浜へと乗り上げ、四人はゆっくりとそこへ降り立った。足の裏に伝わる、柔らかく温かい砂の感触。人の手が一切入っていない、まっさらな楽園だった。
◇◇◇
しばらく波打ち際で景色を堪能した後、悠たちは拠点を作る場所を探すことにした。
「砂浜のすぐ近くだと、潮の満ち引きで危ないかもね」
茉莉の提案で、少し内陸に入った、背の高い木々に囲まれた小高い場所が選ばれる。
「よし、じゃあ拠点、作るか」
悠はそう言うと、半透明な画面を操作する。
悠の手の中で、亜空間倉庫のタグがアイテムボックスの隣にあったため開くと、一覧がずらりと表示される。『装備』や『衣類』の羅列の中に、『建築』という項目があった。その中には『建物』という項目がありさらにその中には『住宅』という項目がある。……項目が多い! そしてその中には……
【拠点:ログハウス・ver3.2】
「え? なんでこれあるの? まあいいか」
悠がタップした瞬間、地面に渦を巻くような闇が出てきた。
闇が徐々に上に行くとその姿があらわになる。そこには──木造の、しかし妙にディテールの作り込まれたログハウスが、どんっと出現していた。
「……は?」
茉莉が呆然とした声を漏らす。
「な、なんで拠点が丸ごと出てくるのよ!?」
「いやこれ、とあるサバイバルゲームでこだわって作ったやつなんだよね。壁の丸太一本一本にまで装飾を埋め込んで不均一にしたり、暖炉の煙突の角度とか、めちゃくちゃ時間かけて作り込んだ思い出の一軒でさ」
「げ、ゲームの拠点が、なんで現実に……」
ルフが唖然とした様子で、その建物を隅から隅まで見つめている。
外観は素朴なログハウス風だが、窓枠の細工や玄関のデザインには、どこか几帳面なこだわりが滲んでいた。悠がゲームの中で、飽きるほど手を入れ続けた証拠なのだろう。
「悠くんらしいね」
絢乃だけが、くすりと微笑んでそう呟いた。
「不思議と、悠くんが作ったものって感じがするもの」
「……絢乃だけは分かってくれるんだな」
悠はしみじみとその言葉を噛みしめながら、出来上がった拠点を見上げた。
◇◇◇
拠点の前に敷いた敷物の上に、四人は腰を下ろした。
波の音が遠くから響き、傾き始めた太陽が海面をオレンジ色に染めていく。今日一日の疲れが、心地よい潮風にゆっくりと溶けていくようだった。
「……なあ」
悠がふと、思い出したように口を開いた。
「さっきのゴムボートも、今の拠点も。よくよく考えたら、なんで俺のアイテムボックスや亜空間倉庫に入ってたんだろうな」
絢乃と茉莉が顔を見合わせる。
「言われてみれば……」
茉莉が眉根を寄せ、真剣な顔つきになった。
「ラフティングボートに、ゲームの拠点。悠のスキルや能力とはまた別に、何か都合よく必要な物が出てくるっていうのも、確かにおかしいわね」
「俺も、心当たりが全然なくて」
三人の間に、わずかな沈黙が落ちる。
それまで黙って話を聞いていたルフが、静かに口を開いた。
「……もしかすると、悠様の亜空間倉庫そのものに、何らかの特殊な仕様が働いている可能性がございます。詳しく調べてみる価値はあるかと」
「うーん……」
悠は腕を組んで唸ったが、答えが出るはずもなく、やがて小さく肩をすくめた。
「まあ、いっか。今考えても分かんないし」
「相変わらずのんびりしてるわね、悠は」
茉莉が呆れたように笑い、絢乃もつられて微笑む。
「今日はもう休みましょう。続きはまた明日、考えれば良いもんね」
結論の出ないまま、その話題はひとまず落ち着いた。
だが、悠の頭の片隅には、小さな違和感がまだ小さく燻っていた。
◇◇◇
夜が更け、拠点の中で静かな寝息が聞こえ始めた頃。
悠だけが、ふと目を覚ました。
窓の外、真っ暗な海の遠く彼方──誰もいないはずの水平線の向こうに、ぽつり、ぽつりと、小さな光が瞬いているのが見えた。
「……あれ、なんだ?」
目を凝らしても、それが何なのかは分からない。
波の音だけが響く静寂の中、悠はしばらくその光を見つめ続けていた。
やがて瞼が重くなり、悠は再びゆっくりと眠りへと落ちていく。
その光の正体を確かめることもないまま──静かな夜は、更けていった。
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