第68話 魔獣を狩れるようになってもらおう
「だいたい、グダグダとうるさいですね。戦場に間に合わなかった人は黙っていてください。あの状況において、俺は最小の被害で最大の功績を得るための最善手を選んだだけです。結果として、私の家族も、領民も、難民もみんな助かった。それで十分でしょう。その後のことは、その時に考えればいいんです。今できることを、今全力でやる。その積み重ねです」
言い切ると、店内の空気が完全に凍りついた。
ハンナたちは息を呑み、ジークとアレスも緊張の面持ちでこちらを見つめている。
(あ、やべ。さすがに伯爵様相手に言い過ぎたか……?)
内心で冷や汗を流しつつ、悠は最悪の事態に備え、いつでも『威圧』スキルを発動できるよう、意識を向ける。パッシブのオンオフは意識してもできるのだ。
「――あははは、あははははは!」
沈黙を切り裂いたのは、ヒルダ様の地響きのような爆笑だった。
彼女はテーブルを叩き、お腹を抱えて笑っている。
「いやあ、愉快だ! 私に向かってここまで生意気な口を叩いた奴は、後にも先にも君が初めてだよ! 気に入ったわ、悠!」
「は、はあ……。ありがとう……ございます?」
肩の力を抜く。どうやら怒ってはいないらしい。よかった。
「そこまで生意気な大口を叩いたんだ。もし私の可愛い妹たちに何かあったら、本当にタダじゃ置かないからね?」
「ええ、もちろんそのつもりです。ですから――」
悠は少し意地悪な笑みを浮かべ、間を置いてから宣言した。
「彼女たちには、いずれ襲い来るであろう敵の軍勢を、自分たちの力で撃退……いやさらに攻め入れるようになってもらいます。そのためには、結構過酷な訓練を課すことになりますので、覚悟しておいてくださいね? 手始めに魔獣を倒せるようになってもらうために、魔獣を倒してもらいます」
「なっ……悠、何を言っているんだ? バカじゃないのか? 魔獣より強くなるために、魔獣と戦わせるなんて……いや……しかし……理には適っている……のか……?」
「お姉ちゃん、納得しないでぇぇ! お願いだから止めて! 私、本当に死んじゃうからぁ!」
ハンナが涙目で猫伯爵様の軍服の袖にしがみつき、必死に哀願する。しかし、猫伯爵様は妹の頭を優しく撫でながら、やさしい笑顔を向けた。
「何を言うの、ハンナ。私だってね、動物を狩れるように、動物を狩ることから始めて強くなったのよ? 魔獣も同じことだわ。死なない程度に頑張りなさい」
ここにも死にゲー民がいた。
悠は昔の事を思い出す。初めて買った据置型ゲーム機で選んだゲームがごりっごりの「死にゲー」だったのだ。
当時はそれを知らず、グラフィックが良くなれば難易度が高くなるのは当然かと自然と受け入れ、クリアした。
その後最近になってそのゲームのクリア率が15%だと知って驚愕したものだ。
妻たち曰く悠のやってきたゲームはほぼすべて高難易度ゲーで占められているらしい。
(……武士の甲冑あるんじゃね? ……あった! 後で職人たちに渡すか)
「イヤァァァァァッ!!!」
絶叫と共に、ハンナは力なく床へと崩れ落ちた。
「もちろん、貴女たち三人もしっかり鍛えてもらいなさい」
ヒルダ様が視線を向けると、クリス、イリア、ミナの三人は「え、私たちも……?」と言わんばかりに、魂が抜けたような顔で放心していた。
「さて、それはそれとして」
俺は本題を切り出した。
「俺たちはこの後、敵に奪われた四人の男爵たちの街を奪還し、さらに攻めてきた男爵どもの街をそのまま占領しようと考えているのですが……というか占領していいんですよね? それに猫伯爵様はどうされるのですか?」
「ヒルダでいいわよ。……そうね、貴方たちはその方針で良いわ。占領を許可します。私はこれから一度王都へ行き、王への報告を行うことになるわね。さすがに子爵が新参の男爵に敗北したとなれば、国が揺れる大事件よ。それに彼らが不当に男爵領へ攻め入った事実も、合わせて告発させてもらうわ」
ヒルダは冷ややかな笑みを浮かべ、さらに続けた。
「幸いなことに、今回の敵対男爵たちの実家や背後には、子爵級以上の貴族はついていないわ。だから遠慮なく、街を丸ごと支配してしまいなさい」
「それはありがたい。では、遠慮なく頂戴します」
これで領地占領の大義名分を得た。悠がほっと胸を撫で下ろした、その時。
再び『龍の寝床』の引き戸が激しく開き、今度はヒルダ伯爵様の部下とおぼしき伝令兵が、肩を激しく上下させながら飛び込んできた。
「ヒルダ様! 緊急事態にございます!」
「騒々しいわね。何事?」
「王都へ護送中であった……猪子爵が、何者かによって暗殺されました!」
「何ですって!?」
ヒルダが勢いよく立ち上がり、店内が騒然となる。
「護送ルートと警備は万全だったはずよ! それを破って暗殺したというの? ……ちっ、口を封じられたわね。あの馬鹿に余計なことを喋られる前に、消されたというわけか」
ヒルダは忌々しげに舌打ちすると、深くため息をつき、悠の方を見た。
「悠男爵。予定を変更するわ。猪子爵が治めていた子爵導『ボアラント』のボアラント町だけど……王都の裁定が下るまで、一時的にあなたが統治しなさい」
「え? 俺が、子爵の町をですか?」
「ええ。あの場所を無統治のまま放置すれば、周囲の賊に取られるわ。現在、この近くで最も武力と統率力を持っているのは貴方たちよ。王都から正式な代理が派遣されるか、あるいは爵位の沙汰が決まるまで、ボアラント町を抑えなさい。これは伯爵としての命令よ」
ヒルダ伯爵様の真剣な眼差しに、俺は選択肢がないことを悟った。
いきなりの領土拡大、それも子爵領の管理。大変すぎないか?
「……分かりました。一時的にお預かりします」
悠の返答に、ヒルダは満足そうに頷くのだった。
◇◇◇
一方その頃。とある執務室では。
天蓋付きの窓から差し込む薄暗い光の中、部屋の主である謎の男は、深い革張りのソファに腰掛け、両手で顔を覆っていた。ついさっき、子爵を倒した男爵がいると報告を受けたからだ。
「……やっと、そんなバカ者が現れたか」
男の口から、掠れた、しかし妙に熱を帯びた声が漏れ出た。
「どれだけ待ったことか……。この膠着した状況を打破し、新たな風を吹き込む存在を。そのために、わざわざ爵位を乱発させるため、貴族たちに男爵を叙勲する権利などという特権を与えたのだからな……」
ククク、と男は自嘲気味に笑う。
その指先は細かく震えていた。男は机の上の薬瓶から数粒の薬を取り出すと、震える手で口に放り込み、水で一気に流し込んだ。
「一度、会ってみることにしよう。そやつが、この絶望に満ちた人間族の『希望』となるのか……それとも、さらなる混沌を招く『絶望』の始まりとなるの……」
言いかけた男が、突如激しくせき込んだ。
「ゴホッ! ゲホッ、ゴホッ……!」
何度も肺を絞り出すような咳を繰り返した後、男は荒い息を吐きながら、ゆっくりと自分の手のひらを見つめた。
そこには、べっとりと、どす黒い赤血がにじんでいた。
「ふっ……どうやら、この私にはもう、あまり時間は残されていないようだな……」
男は自嘲の笑みを浮かべ、血の付いた手を白い布で拭い去ると、窓の外の遠い空を見つめ、静かに呟くのだった。
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