第62話 山の主との一騎打ち
(うわぁ……帰って風呂入りたい!)
しかし、そんな悠の内心の嘆きなど露知らず、背後の遠征軍たちは、悠の底知れない強さに驚愕し、大いに湧き立っていた。
「見たか……! あの巨大な魔獣の突進を、将領様は片手で受け止めちまったぞ!」
「なんという御力だ! やはり俺たちの将領様は本物の英雄だ!」
悠は血に濡れた盾を掲げ、振り返って遠征軍を睨みつけた。
「全員、何をしている! 俺の盾の後ろで震えているだけが、我が兵か! 武器を取れ! 地獄を蹂躙せよ!」
「「「うおおおおおおおおおーーーッ!!!」」」
悠の咆哮に呼応するように、遠征軍たちの士気は最高潮に達した。彼らは恐怖をかなぐり捨て、雄叫びを上げながら、一斉に魔獣の森へと進撃を開始した。
◇◇◇
進軍を開始した遠征軍は、最初こそ魔獣たちの変則的な攻撃や森の起伏に苦戦していた。しかし、元々動物の草原で鍛えた連携と、実戦の中でみるみる上昇していくレベルの、両方の相乗効果によって、数日も経つ頃には、襲いかかってくる魔獣たちを難なく倒せるようになっていた。
悠の規格外の能力に裏打ちされた安心感も手伝い、軍の行軍速度は予想を遥かに上回った。
「悠様、信じられません。目標としていた山まで、当初は一ヵ月はかかると見積もっていましたが……もう目の前です」
ジークが感嘆の声を漏らす。
彼らの眼前にそびえ立つ山――その山頂付近は、不思議と木々がまばらで、美しい開けた草地が広がっていた。そして、その山頂に到達した一行の目に、息を呑むような光景が飛び込んできた。
そこには、十数頭の馬の群れがいた。
だが、ただの馬ではない。その身体は夜のように黒く、首元から尻尾にかけて、まるで本物の炎のような赤い鬣が、風に揺られて激しく揺らめいているのだ。彼らが動くたびに、蹄から火の粉が舞い散る。
「馬の魔獣の群れか……! 悠様、俺があいつらを倒してきます!」
アレスが槍を構え、勇んで一歩前に出ようとする。
「待て、アレス。手を出すな」
悠がそれを手で制した。
「え? なんでですか?」
「……俺の馬にしたいんだ」
悠の目は、群れの中心に立つ、最も体躯が大きく、一際激しい炎の鬣を持つ一頭の馬に釘付けになっていた。あの馬に乗って駆け回りたい。その衝動が抑えられなかった。
悠がゆっくりと歩みを進めると、炎馬の群れがざわめき立つ。しかし、悠の視線を受けて、群れの長であろう巨大な炎馬が、静かに一歩前に出てきた。
炎馬の王は悠を真っ直ぐに見据え、前足で力強く地面を引っ掻いた。一騎打ちでやるつもりなのであろう。
「いいだろう。その意気やよし!」
悠は不敵に笑うと、身につけていた美しいプレートアーマーを脱ぎ始めた。せっかく職人たちが作ってくれたものだが、今は邪魔だ。さらにインナーも脱ぎ捨て、上裸になって相撲の構えをとる。相撲をやったことがないので、見様見真似だ。
悠が両手を地面につけた瞬間、炎馬の王が動いた。
その速度は文字通り電光石火。早すぎて炎の幻影を残しながら突進してくる。
ドォン!
激しい衝撃が悠の胸を襲った。しかし、悠はその突進を、両手で抱き着くようにして受け止めた。悠の足は、地面に根を張ったかのように微動だにしていない。
押し合いは不利と判断したか、炎馬は身をひるがえし、光のような速度で後ろ足で蹴ってくる。
ドガッ!
蹄が悠のみぞおちに入るが、悠にとっては痛くも痒くもない。
炎馬は一旦距離を取り、じっと悠の様子を伺いながら、次はお前が来いと待つ。
「じゃあ、遠慮なく行かせてもらうぞ」
悠は一瞬で間合いを詰め、炎馬の王が反応するよりも早くその眼前へ踏み込んだ。
そして、めちゃくちゃ手加減してビンタを顔に放った。
バァンッ!
重い音が響いた直後、炎馬の王の巨体は、草地を自らの体で削りながら吹き飛び、ピクリともしなくなった。
「やば! やりすぎた!」
悠は慌てて近づいていき、いざという時のために準備していた、一番良いポーション『至高級ポーション』を懐から取り出し口に流し込む。
すると、何事もなかったかのように起きだした。
炎馬は自分の身体を見回した後、目の前にいる悠をじっと見つめ、その大きな頭を悠の頬にすり寄せ、顔をなめてくる。
「わっ、くすぐったい! 汚いからやめてほしい!」
悠が嫌がりながらも笑っていると、炎馬はしばらくすると、足をまげて、背中に乗るように促してくる。
「乗ってもいいのか?」
遠慮なく乗せてもらう。
その瞬間、悠の視界が一気に開けた。
山頂から見下ろす景色は、信じられないほどの絶景だった。自分たちが進んできた深い森が広がり、その反対には、太陽の光を反射して青く輝く広大な海が一望できる。
「おし! お主の名前は、炎の帝で『炎帝』だ!」
まんざらでもなさそうに鳴いてくれる。……そういや性別どっちだろう。炎帝なら雄雌どっちでも問題ない……はず。
初めて馬に乗る感触に浸りながら、遠くを眺めていると、
「悠様」
不意に声をかけられ、悠は視線を下ろした。
そこには、ジークが膝をつき、恭しく頭を垂れていた。
よく見ると全員が膝をついる。
「我らは一生貴方に付いて行きます」
ジークが顔を上げ、その瞳に熱い信頼の光を宿して言った。遠征軍たちの表情にも、一切の迷いはなかった。彼らは義務や恐怖からではなく、悠という存在の圧倒的な強さと、その器の大きさに心から惹かれ、忠誠を誓っているのだ。
悠は彼らを見渡し、にこやかに言うのであった。
「ああ。付いてこい。きっと楽しいぞ」
◇◇◇
一方その頃。
ドレイク町から遠く離れた、豪華な執務室では。
「あひゃひゃひゃひゃ! 今頃、ドレイク町は病人であふれかえってることだろうな!」
猪子爵は醜悪な笑い声を上げながら、机の上に山盛りに盛られた肉と酒と果物をほおばる。
口の端から食べこぼしを散らしながら、猪子爵は部屋の隅で平伏している者たちを見下ろした。
それは、ドレイク町の様子を伝えた、「狩人の村」の村人たちだった。
彼らの服はボロボロで、身体は痩せ細り、しかし目には恨みがこもっていた。
「お前たちのおかげだ、感謝する。ありがたく受け取れ!」
猪子爵がそう言って放り投げたのは、大量の亜麻布だった。
1反で大麦100桝にもなる亜麻布を大量に渡す。
「ありがとうございます……!」
それらを奪い合うように取る。
亜麻布を決して離さぬようにしがみつきながら、彼らは涙を流して猪子爵に頭をこすりつける。
「私たちは貴方に一生ついていきます」
自らの恨みを代わりに果たしてくれるだろう猪子爵に、必死に忠誠を誓う村人たち。
片や、自らの意志で主を選び、その背を追って未知の荒野へと進む、ドレイク遠征軍の誇り高き誓い。
この世界の片隅で、別々の忠誠が行われていたのであった。
最後までお読みいただきありがとうございます。




