第60話 魔獣の森へ開拓宣言
その後。
龍栖館の会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
集まったのは、悠、絢乃、茉莉、ルフ、そしてジークフリートの五人だ。中央のテーブルには、ドレイク町とその北部に広がる広大な「魔獣の森」の地図が広げられている。
「……まさかあんな自害の仕方があるとはな」
悠が腕を組み、ぽつりと呟いた。
「自害の魔法のようなものがあらかじめ組み込まれていたのでしょう。個人の怨恨ではなく、組織的な暗殺部隊の類だと推測します」
ジークが悔しそうに拳を握りしめる。
「『すべては人族の繁栄のために』、か。私たちが北部の開拓地に街を作っているのが、どっかの誰かにとっては許せないことなんでしょうね」
茉莉が不敵な、しかしどこか冷たい笑みを浮かべた。
「神聖アルビオン帝国やその関係者が本格的に動いてきている証拠よ。さっきの刺客自体は、そこまで強くなかったわ。今のジークなら、難なくひねり潰せる程度。だけど、問題はこれから襲撃の規模も頻度も増すだろうってことね」
「防壁の建設を進めるだけでは、いずれジリ貧になりますね」
ルフが静かに、しかし確かな意志を込めて言った。
「町の外での防衛ライン、そして敵の接近をいち早く察知するための哨戒網が必要です」
悠は地図の北側、うっそうと茂る魔獣の森の先を指差した。そこには、海へと繋がる険しい地形と、その手前にそびえ立つ大きな山が描かれている。
「やっぱり、海に向かって森を切り開くしかないか。衛兵や騎士たちにも、動物だけじゃなく、魔獣を討伐できるほどの強さを身に着けてもらわないと、今後の大規模な人族の襲撃には耐えられないかもしれない。それに……」
悠は人差し指で山を叩いた。
「ちょうど海の手前に、見晴らしの良い大きな山がある。ここに強固な城を築けば、周囲からの接近が一望できるようになる。防衛の要所としては完璧だ。どう思う? 人員は希望者を募る感じにする」
茉莉が力強く頷いた。
「賛成よ。待っているだけじゃ何も始まらないわ。悠、貴方とジークが先頭に立って、優秀な技術者たちを守れるように、この山に城を作ってきなさい。ドレイク町の守りは私とルフで固めておくわ」
「自警団……いえ、新しく編成した衛兵たちも何人か同行させましょう。開拓地での安全確保は最優先です」
ルフが提案する。
すると、それまで静かに話を聞いていた絢乃が、少し心配そうに眉を下げて口を開いた。
「領民の皆さんから希望者を募って遠征するのは良いのだけれど……食料や物資の輸送はどうするの? 魔獣の森の奥は道もないし、人力で運ぶには限界があるよ?」
その問いに、悠は不敵な笑みを浮かべてみせた。
「それについては心配いらないよ。食料は現地で調達する。森の魔獣や動物を狩ればいい。それに、ついでに森にいる野生の馬や牛を捕まえて、搬送用に調教できないか試してみるつもりなんだ」
「調教? ……そんなすぐにできるものではないのだけれど」
絢乃が不思議そうに首をかしげる。
「ああ。俺のスキルを使ってね。もしうまくいけば、伝令兵には機動力のある馬を、重い木材や石材の輸送には力強い牛を使わせる。そんな兵站システムを確立させてみせるさ」
悠のゲーム知識とテイムのアイデアに、一同の顔に希望の光が宿る。こうして、ドレイク町始まって以来の大規模な「魔獣の森開拓遠征」が決定したのだった。
◇◇◇
翌朝。
朝陽がドレイク町の広場を黄金色に染め上げる中、数多くの領民が集まっていた。かつて病いにかかり、悠の豚汁で救われた元奴隷たちや、腕自慢の職人、衛兵たちがひしめき合っている。
壇上に立った悠は、集まった人々をぐるりと見渡した。その瞳には、一人の領主としての強い覚悟が宿っている。
「よく集まってくれた。悠=ティグリス=ドレイクだ!」
悠が声を上げると、ざわざわとしていた広場が一瞬で静まり返った。
「これより俺は、北に広がる魔獣の森を切り拓き、男爵街ドレイクの領土にする! そこに新たな城を築き、ドレイク町を脅かす外敵を叩き潰す! 命知らずで、俺と共に地獄を切り拓きたい奴は、付いてこい!」
悠が宣言し、一歩前に踏み出す。
ほんの少しの静寂の後――。
ドォォォォォン!!!
地響きと錯覚するほどの、凄まじい大歓声が広場から沸き起こった。領民たちが両手を突き上げ、顔を紅潮させて叫んでいる。
「うおおおおおおお!!!」
「領主様! 領主様!!」
「俺たちも行きます! どこまでも付いていきます!!」
あまりの熱狂ぶりに、悠は内心で驚きを隠せなかった。
後でジークから聞いた話だが、この世界の貴族というものは、領地が魔獣の森に侵食されようとも、自ら先頭に立って開拓に赴くことなどないらしい。徐々に迫り来る森と魔獣の脅威に、領民たちはただ絶望し、怯える日々を過ごすのが普通なのだ。
それを、領主自らが『行く』と宣言したのだ。彼らにとって、これほど心強く、希望に満ちた言葉はなかった。
「ふん、森に怯えて引きこもるような腑抜け共と、俺を一緒にするな」
そのことを知らない悠は、雰囲気で言葉を続け、フッと笑う。不思議と、怒鳴るような大声ではないのに、彼の声は広場中の人々の耳に明瞭に届いた。
「ドレイク家は武家貴族だ。政もやれば、戦いもする! この遠征で輝かしい武功を立てた者は、我がドレイク家の『家令』として取り立てる! みな、征くぞ!!」
「うおおおおおおおおおお!!!」
広場は熱狂の坩堝と化した。
◇◇◇
そうして遠征の準備を整えていると、ドレイク邸の庭に、目の下にひどいクマを作った職人たちがぞろぞろとやってきた。皆、睡眠不足でふらついているが、その表情には達成感と執念が満ち満ちている。
「悠様……どうか、これを持って行ってくだせえ……!」
革細工師の親方が、恭しく一つの木箱を差し出した。
蓋が開けられ、中から現れたものを見た瞬間、悠の目は釘付けになった。
「これは……プレートアーマー――いや甲冑か?」
それは、青銅の鈍い光沢と、頑強に鍛えられた革が融合した、極めて美しい甲冑だった。
デザインは、西洋の無骨で重苦しいプレートアーマーとは一線を画している。それを基礎としつつも、日本の「甲冑(鎧兜)」のように、体の節々に合わせて細かくパーツが分割されているのだ。これなら、防御力を保ちながらも劇的に動きやすい。
内側には、丁寧になめされた肌触りの良い革鎧が隙間なく仕込まれており、金属パーツの摩擦から体を保護するよう設計されている。ちなみに、顔を覆う「面頬」のようなパーツもある実戦的な兜だった。
何より、悠の感性に完全に突き刺さる龍をモチーフにしたこの美しい造形美。
(……絢乃や茉莉、ルフたちがアドバイスしたな、これ)
悠は妻たちの手助けに感謝しつつ、職人たちに向かって笑いかけた。
「ありがとう! これがあれば百人力…いや千人力だ!」
その瞬間、職人たちは「おおお……!」と歓声を上げ、特に革細工師の親方はその場に泣き崩れた。
「よかった……! 本当によかったぁぁぁ!」
「え、あ、いや、そこまで泣くほどのこと?」
困惑する悠に、傍らにいたジークが苦笑しながら耳打ちした。
「悠様、無理もありません。悠様が普段、『革の服はチクチクして痒いから着たくない』と仰って、亜麻布の着流しや作務衣ばかり着ておられたでしょう?」
「あー……うん、着てたね。着心地いいし」
「その結果、町の住人のほとんどが悠様を真似て、革製品の服を着なくなってしまったのです。革細工師たちは家具や鞄の製造で食い繋ぐ一方、どうにかして悠様に気に入っていただける『肌触りが良く、実用的で極上の革製品』を作ろうと、寝食を忘れて四苦八苦していたのですよ」
「あ……」
悠は冷や汗をかいた。自分の何気ない好みが、町の一大産業を潰しかけていたとは。
(なんか、本当に申し訳ないことをしたな……)
悠は心の中で深く反省した。
「よし……これからは、戦装束や、公式の場での礼服には、革製品を着るようにするよ。保証する」
そう約束すると、革細工師たちはさらに涙を流して喜んだ。
(普段着は……まあ、作務衣と着流しで勘弁してほしいけどね。ベルトとか、直接肌に触れない革製品なら大歓迎だし……うん)
◇◇◇
しかし、出発直前になって最大の難問にぶち当たった。
誰を遠征に連れて行くか、である。
なにせ、悠の開拓宣言に発奮した領民たちが、ほぼ全員「連れて行ってくれ!」と志願してきたのだ。
「全員で行ったら、ドレイク町の留守はどうするんだよ!」
悠のツッコミにより、徹底的な人選が行われた。
総構の建築を継続する専門職人たち、町の治安を守る必要最小限の衛兵、そして万が一の襲撃に備える防衛兵力を残し、それ以外の動員可能な志願者全員を連れて行くことでようやく決着がついた。それでも、数百人規模の大所帯である。
「さっさと現地に砦を築いて、常駐メンバー以外はすぐに連れて帰ってこよう」
新しい甲冑の感触を確かめながら、悠は軍勢の先頭に立った。
隣には、同じく引き締まった表情のジークがいる。
「悠様、いよいよ出発ですね」
「ああ。切り拓くぞ、俺たちの未来…もとい山の幸を」
一歩を踏み出しながら、悠はふと考えを巡らせる。
(あの山に作る城の名前……それに、あの山の名前自体も、何にしようかな? 日本風の名前をつけるのも面白いかもしれないな……)
そんな楽しい悩みを胸に抱きながら、悠=ティグリス=ドレイクは、魔獣の森の深部へと、力強く歩みを進めに行くのだった。
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