第59話 刺客の襲撃
夜の静寂が、ドレイク町を静かに包み込んでいた。
かつては荒涼とした荒野でしかなかったこの土地も、今や外敵を防ぐための防壁――「総構」の建設が急ピッチで進み、日々その姿を変えつつある。
その総構が完成し、真の安全が確保されるまでは、一日たりとも気を抜くことはできなかった。
「ふぅ……。よし、これでこの分の決済は終わり、と」
龍栖館の応接間。山積みにされた書類の最後の一枚にサインを終え、悠は大きく背伸びをした。
以前であれば、町に関わるすべての事務仕事が悠の元へ直接流れ込み、パンク寸前の日々を送っていたものだ。しかし、それも今は昔である。
戦火の真っ只中にあるアントラー町の本部から、急遽このドレイク町へと避難させる形で設立された『クリスタナ商人ギルド』のドレイク支部。
支部を新築する余裕などないため、現在は龍栖館の一部を間貸しする形で運営している。その事務スタッフや受付人員の選定を行ったことで、雑多な書類仕事の大部分は彼らが処理してくれるようになった。
また、悠たちが興した『ドレイク商会』についても、優秀な人員の人選がある程度完了し、現在は最終面接と重要書類の決裁以外の業務を任せられる体制が整っている。お金をたんまり払うので頑張ってほしいところだ。
ちなみに最終面接は茉莉がやっている。狭き門だが、ぜひとも挑戦してほしいところだ。
「本当に、みんな優秀で助かるよ……」
とはいえ、完全に仕事がゼロになったわけではない。
現在、ドレイク町には猪子爵に押し付けられた病人をはじめ、各地から流れてきた負傷者や難民を含めると、千人規模の人々が身を寄せている。
どうやらハンナ男爵と仲良くしている男爵たちがみな攻撃されているらしい。
彼らの衣食住の管理や、町の治安維持に関する書類は、減ったとはいえ毎日応接間の机を埋め尽くす。
門番たちに町へ入る人間の選別を行わせてはいるものの、それも完璧ではない。少しでも怪しい者や、他領からのスパイが紛れ込んでいると考え、衛兵を増やして夜間の見回りを大幅に強化している最中だった。
冷えたお茶を飲み干し、凝り固まった肩を回しながら、悠は窓の外に目を向けた。
夜風が心地よさそうに木々を揺らしている。少し頭を冷やそうと、悠は一人で夜の散策に出かけることにした。
◇◇◇
静まり返った通りを歩く。
新しく造成された住宅街には、白い壁に濃い茶色の木枠が格子状に組み合わさった美しい「ハーフティンバー様式」の家々が整然と立ち並んでいた。
夜の闇の中、月光を浴びて浮かび上がるその街並みは、まさに中世ファンタジーの光景そのものだ。
「結構、町らしくなってきたよなぁ。これよこれ、このハーフティンバーの街並みがないとファンタジー世界に来た気がしないって」
悠は満足げに頷きながらも、ふと苦笑いを漏らす。
「……まあ、俺たちが住んでる屋敷は、思いっきり和風なんだけどね」
家だけでなく服も和装である。いぶし銀色の着流しに同じ色の羽織にを着た格好だ。龍の刺繍が入っているのがとても気に入っている。
奇妙な目で見られるかと思ったら。あっさり受け入れられた。機械がないので、量産などはできない。つまり、一着一着オーダーメイドなのだ。
よって服が変ったら結構目立つかと思ったのだが、まあ作務衣とほぼ変わらないのもその一因かな。
そんな異色の組み合わせも、このドレイク町ならではの良さと前向きにとらえることにしよう。そう考えていた、次の瞬間だった。
――ゾクッ。
背筋を凍らせるような、強烈な悪寒が悠の身体を駆け抜けた。
直感が、警鐘を鳴らしていた。
悠は考えるより早く、地面を踏みしめて一歩前へ踏み出した。と同時に、上体をひねりながら背後を振り返る。
シュバッ!
鋭い風切り音とともに、冷たい刃が、つい先ほどまで悠の首があった空間を横一文字に切り裂いた。月光を反射してぎらりと光る鋭利な剣。
「チッ、運のいい奴め」
黒い外套に身を包み、フードの奥から冷酷な眼光を放つ男が、忌々しげに舌打ちをする。
(え? 俺、もしかして今、本気で暗殺されそうになった……?)
心臓がドクンと大きく跳ね上がるのを抑えながら、悠は努めて冷静な声を装って問いかけた。
「あの……俺に何か用ですか?」
「お前はやりすぎた。よってここで始末する。光栄に思え。すべては――『人族』のために!」
男はそう言い放つと、手にした剣を素早く鞘に収めた。そして両手を前に突き出し、右手を左手で支えるような独特の構えを取る。
「ファイヤーボール!」
男の叫びとともに、赤黒く燃え盛る炎の弾が、熱風を巻き起こしながら悠を目がけて飛んできた。
だが、弾道は見え見えだ。悠は、はらりと横へステップを踏んで炎の弾をかわす。
しかし、避けた炎の弾はそのまま後方の住宅に直撃した。ドォン!という爆発音とともに、美しい木枠の壁が激しく炎上し始める。
「ヤベッ! 新築の家が!」
「なっ……! 避けるだと!? ならばこれなら――ッ!」
男が再び炎を放とうと魔力を練り上げた、まさにその瞬間。
男の背後の闇から、音もなく滑り込む人影があった。
「そこまでよ」
低く、しかし凛とした声。
現れたのは茉莉だった。彼女は男が振り返る隙すら与えず、その懐へと踏み込む。
電光石火の如き踏み込みから放たれた鋭い掌打が、男の顎を綺麗に打ち抜いた。脳を揺らされた男の意識が一瞬で飛び、崩れ落ちそうになるところへ、茉莉は容赦のない回し蹴りを脇腹に叩き込む。
ドサリ、と力なく地面に頽れ、ピクリとも動かなくなる暗殺者。
「茉莉!」
「悠、大丈夫!? 怪我はない?」
「ああ、俺は平気だ。それよりあの火を消さないと!」
悠は燃え上がる住宅へと急いだ。幸いにも、この区画はまだ入居が始まっておらず、この建物自体は無人だった。
悠は周囲の住宅へ火が燃え移るのを防ぐため、燃えている建物の柱や梁を叩き壊して延焼ルートを遮断する。騒ぎを聞きつけてバケツを持った領民たちが次々と集まってきてくれたおかげで、火は瞬く間に消し止められた。
「後の処理は任せたぞ!」
「はい、領主様! お怪我はございませんか!?」
「大丈夫だ、心配してくれてありがとう!」
領民たちに後始末を任せ、悠は茉莉と合流した。茉莉はすでに暗殺者の両腕を厳重に縛り上げている。
「ドレイク寝殿に連れて行きましょう。裏で糸を引いている奴の情報を吐かせるわ」
「ああ、頼む」
悠が気絶した暗殺者を抱え、急ぎ足でドレイク寝殿へと向かった。
しかし、尋問のために男を椅子に縛り付け、水をかけて意識を取り戻させた、まさにその時のことだった。
うっすらと開いた男の瞳に、狂信的な光が宿る。
「すべては……人族の、『繁栄』のために……!」
男の口の端から、ドス黒い霧が漏れ出た。
「しまっ――! 茉莉、離れろ!」
「――!」
男はガハッと大量の血を吐き出し、そのままガクリと首を垂れた。
心音は完全に停止している。情報を聞き出すための唯一の手がかりは、文字通り一瞬で灰になってしまった。
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