第57話 押し付けられた厄災?
周辺の男爵たちの間で勃発した争いは、もはや「小競り合い」や「嫌がらせ」と呼ぶには生温い領域に達していた。
それは文字通りの、血で血を洗う戦争だった。
「さすがにこれはやりすぎだろう……」
龍栖館の執務室で、悠は机の上に広げられた周辺地図を見つめながら、深くため息を吐いた。
戦火は確実に広がっている。悠としては、すぐにでも自警団を率いて援軍を送りたいという思いがあった。しかし、それを阻む現実的な問題があった。
ドレイク町の領民たちは日頃の「レベリング」によって超人的な身体能力を身につけているものの、人間同士の殺し合い――つまり「対人戦闘」の経験が一切ないのだ。そんな状態の彼らを戦場に送り出したところで、実戦経験豊富な騎士や兵たちの足手まといになり、無駄に命を散らすだけなのは目に見えていた。
悩んだ末に、悠は直接的な参戦を避け、三つの側面から間接的な支援を行うことに決めた。
一つ目は「食糧支援」。戦時中では農作業などできるはずもなく、周辺領地は深刻な飢饉に陥りつつある。悠たちは戦の合間を縫って、こっそりと味方の領地へ食糧を届けるルートを確保した。
二つ目は「武器防具の支援」。ドレイク町で鋳造された、頑強な青銅製の武具を密かに提供し、防衛力を底上げする。
三つ目は「医療物資の支援と避難民の一時的な受け入れ」だ。
もちろん、これらは無償のボランティアとしてではない。
この支援の見返りとして、戦場から退いた「退役騎士」たちを軍事顧問としてドレイク町に招き入れるという条件を提示した。将来的に兵を率いる人材を育成し、自分たちの領土を自らの力で守れる防衛体制を早急に築き上げるためである。
そのためには、もう一つやらなければならないことがある。町の外郭防衛陣地である「総構」の建築を一日でも早く完成させることだ。
当初は悠がその建築をする予定だった。しかし、独立したばかりの男爵街の領主としての仕事に加え、新たに就任した「クリスタナ商人ギルド」の仕事、さらにはドレイク商会の人員選定、保護する職人の選別など、やるべき仕事は文字通り山積みだった。
「次の方、どうぞ……」
悠が力なく声をかけると、龍栖館の応接間の襖が開く。
そこには、悠に直接謁見し、裁可を仰ごうとするギルド関係者や職人たちがずらりと並んで大行列を作っている。さながらギルドの人気受付嬢のようだった。
次々と差し出される書類に目を通し、指示を飛ばし続けた。
だが、忙しいのは悠だけではなかった。彼の自慢の妻たちもまた、それぞれがドレイク町のために駆け回っていた。
絢乃は、次々と運び込まれてくる戦傷者や難民たちの治療指示を出しつつ、新しい薬草園の栽培計画の策定、さらには彼らを住まわせる住居の割り当て業務までを一手に引き受けていた。
茉莉は、総構の建築現場で現場監督として指示を出している。土地の「縄張り」に始まり、防衛の要となる門や櫓門の配置選定、堀の掘削指示、そして土を盛るだけの簡易的な城壁(土塁)の作成指揮など、その頭脳をフル活用して工事を牽引していた。
「土を盛るだけ」という簡易的な城壁とはいえ、その規模は膨大だ。
そしてルフは、町民たちで構成された自警団を率い、町の周囲の見回りと防犯に目を光らせていた。レベリングも忘れていない。
悠の腹心であるジークもまた、退役騎士たちから兵を率いる将としての戦術や心構えを学び、猛訓練に励んでいた。
これほど過酷な状況であるにもかかわらず、ドレイク町が崩壊せず、むしろ活気に満ちているのには理由があった。
日頃から草原で動物を狩り、ステータスを高めていた町民たちの体力は、すでに常人の域を遥かに超えていたのだ。今や、丸太を担いで笑顔で走る町民の姿すら日常の光景となっていた。
それだけの超人的なタフさがあるからこそ、いくら仕事漬けになっても、誰一人として音を上げる者はいなかった。それが悠たちの仕事を増やしているともいえるが……。
そんな嵐のような日常の最中、一人の門番が血相を変えて応接間に飛び込んできた。
「領主様! 町の門に、子爵だと名乗る人物が来ています!」
その報告を聞いた瞬間、悠は天を仰いだ。
(はい、面倒ごと確定!)
しかし、すぐさま思考を切り替える。いや、もしかしたら強力な援軍である可能性も塵レベルで存在するかもしれない。
「分かった、すぐに行くから案内してくれ」
悠は羽ペンを置き、急ぎ足で町の門へと向かった。
◇◇◇
ドレイク町の門に到着した悠が目にしたのは、期待していた「颯爽たる援軍」とは程遠い、極めて不快な光景だった。
そこには、立派な軍馬の背に跨り、肥満体を揺らす一人の貴族がいた。
そしてその馬の後ろには、鎖で数珠繋ぎにされた大量の人間が引き連れられている。彼らは皆、骨と皮ばかりになっており、見るからに重い病を患っているようで、虚ろな目で地面を見つめている。ジャラジャラと冷たい鎖の音が、静かな門前に響いていた。
「私がダミアン=エイバー=アシュフォードだ! あの凶暴極まりない巨猪を討伐した業績を国王陛下に認められ、子爵位を授与された由緒正しき貴族であるぞ!」
肥満体の貴族――猪子爵は、脂ぎった顔を傲慢に歪め、馬の上から悠を見下ろした。
悠は冷ややかに思いつつも、顔には営業用の満面の笑みを貼り付けようと努力する。
しかしそんな器用さはなくひきつった笑みを向ける。
「おお、それは素晴らしい! あの凶暴な野生の猪を狩るほどの英傑にお会いできるとは光栄です。こんな辺境の町へようこそおいでくださいました。歓迎の宴を開きたいところですが、何分このような何もない場所ですので、十分なおもてなしもできず申し訳ありません」
悠の慇懃な態度に、ダミアンは満足そうに鼻を鳴らした。
「ほほう、貴様、身の程というやつをよく分かっているではないか。だがな! 我が愛しのハンナに色目を架けている不埒な男が貴様だというのは、全て調べがついているのだぞ!」
ダミアンは太い人差し指をビシッと悠に向けて突き出した。その勢いで、ダミアンの顔から脂ぎった汗が飛び散る。
(うわぁ、ばっちい! こっちに飛ばすな!)
悠は超人的な動体視力で飛来する汗の軌道を読み、平然と首を傾けてそれを避けた。
「だが、私は寛大だ。あの恐るべき巨猪を狩った英雄たる私の命令に、まさか逆らう愚か者はいないだろうからな。ハンナのことは諦めろ。その代わり、この寛大な私が、お礼としてこいつらを貴様にくれてやる」
ダミアンは鎖で繋がれた人々を鞭で指し示した。再び何か汚い液体が飛び散りそうになり、悠は内心で舌打ちする。
「開拓地とやらは何かと人手不足だろう? だから私がわざわざ、手ずから労働力となる人間を連れてきてやったのだ。感謝して受け取るが良い」
「それはご親切にありがとうございます。ところで……彼らは鎖に繋がれていますが、何か罪を犯した罪人なのですか?」
悠が尋ねると、ダミアンは「ひゃはは!」と下卑た笑い声を上げた。
「罪人? そうだ、こいつらは税を納めないという大罪を犯したのだ! 本来なら全員死罪に処するところだが、この優しい私が、貴様の町のために連れてきてやったのだ」
(税を納めない、ね……。どうせお前が無理な重税を課して、払えなくなった領民を強引に罪人に仕立て上げただけだろう)
悠はダミアンの着ている衣服を観察した。
金銀宝石の装飾はほとんどなく、一見すると地味だが、生地自体は国では最高級のものが使われているのだろう。これが「裕福な貴族」の精一杯の正装なのだろう。その歪んだ虚栄心が透けて見えるようだった。
「分かりました。じゃあ、彼らは全員、私が貰います!」
悠が淀みなく即答すると、ダミアンの脂ぎった顔が一瞬、不自然に歪んだ。
ダミアンの魂胆は透けて見えていた。これほど衰弱し、病気を持った大量の難民を押し付ければ、ドレイク町の食糧事情は一気に悪化し、疫病が蔓延して町ごと自滅するだろう――そう踏んだに違いない。
実に浅薄で、悪意に満ちた罠だった。
(まあ、俺たちにはそんな嫌がらせ、通用しないんだけどね。うちには絢乃がいるし、何より……)
「ふ、ふん! ならばそこに置いていく! 礼はいらんぞ、あひゃひゃひゃひゃ!」
ダミアンは勝ち誇ったような笑い声を残し、馬の首を返して慌ただしく去っていった。本当に、ただ病人を押し付けるためだけにやってきたらしい。
悠はその背中を見送りながら、心の中で冷ややかに呟いた。
(じゃあな、デブ。もう二度と来るなよ。……そして、そのまま自然にでも帰りな)
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