第56話 技術者の不審死のうわさ
なぜ納めなくていいのか、ハンナが教えてくれる。
「いいか、悠。この地域一帯の領主である『猪子爵』の男のことを、私たちもお姉……猫伯爵様もヘドが出るほど嫌っているんだ。君たちが大人しく納税すれば、その税の一部が、あの子爵の懐に入るこことになる。そんなのは我慢ならん! 免税期間中は一銭も払わず、ドレイク町の力を蓄えることに専念しろ。これは猫伯爵様からの直々のメッセージでもあるんだ」
「ふむ……貴族の政治的嫌がらせですか。それなら喜んで免税の恩恵にあずかります」
悠は納得して頷いた。どうやら貴族社会もなかなかにドロドロしているらしい。
「あと、これもお飾りだが……」
クリスがもう一枚の書類を差し出す。そこには、鉄の『採掘権』『加工権』『流通権』という文字が並んでいた。
「鉄の権利ですか?」
悠が驚いて尋ねると、クリスは肩をすくめた。
「ええ。この周辺には鉄鉱石が採れる場所など存在しない。貴族に叙爵される際、セットで付いてくる形式的な権利のようなものです。持っていても意味は無いですが、一応公式な権利だから持っておきなさい」
悠と茉莉は、一瞬だけ視線を交わし、内心でほくそ笑んだ。
(この周辺に鉄が無い、ね……。川で砂鉄とか取れないだろうか?)
ドレイク町にとって、この「お飾りの権利」がどれほどの価値を持つか、ハンナたちには知る由もない。
「兵役についても、開拓地という特殊な環境を考慮し、当面の間は免除されます。まあ、開拓地にいること自体が、日々動物と戦う兵役のようなもですからね」
クリスはそう言ってハーブティーを口にした。
「それに、悠男爵。これだけは忠告しておきます。貴方たちの持っている『レンガ』や『青銅』、それに高度な『革製品』の加工技術は、あまり外部に見せびらかさないようにしなさい。王都や周辺の領主たちの間でも、技術者の暗殺や不審死が相次ぐなど、きな臭いうわさが立ち始めている。関わる人間は、厳重に保護しろ」
「分かりました。貴重な忠告、ありがとうございます」
悠は真剣な表情で頷いた。
実際、技術の流出や技術者の誘拐などのリスクは想定内だ。悠は、これからも変わらず『ドレイク寝殿(北東寝殿)』を作業場とし、技術者たちにはそこで寝食も共にしてもらっている。さらに警備を厳重にすることをすでに決めており、実行している。
また、ドレイク町の防衛力自体も以前とは比べ物にならない。
毎日、草原で狩りを繰り返しているおかげで、村人たちのステータスは劇的に向上している。
(みんなの作業効率は、以前の三倍近くになっている。つまり、実質的には三倍の領民がいるようなものだ。狩りの腕も上がっているし、少々の襲撃なら自前で跳ね返せるはずだが、油断大敵だ)
悠は頭の中でそんな計算をしていた。
「あ、そうだ。ヒルダ様からのお土産を預かっているんだった」
ハンナが思い出したように立ち上がり、持ってきた籠の中から、一匹の小さな動物を取り出した。
それは、ふわふわとした美しい毛並みを持つ、一匹の可愛らしい子猫だった。
「にゃあ」
愛らしく鳴く子猫を見て、絢乃の目がキラキラと輝いた。
元の世界では重度の猫アレルギーだった絢乃だが、この世界に転移した時にアレルギーは完全に消え去っている。
「わあ……! 可愛い……!」
絢乃は子猫を受け取り、自分の膝の上にのせた。
茉莉も「本当、可愛いわね」と隣に座り込み、二人でうっとりとした表情で猫の背中や顎の下を撫で始める。子猫は気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロとのどを鳴らしていた。
ルフも触りたそうに見ている。……混ぜてもらえたようだ。
俺も撫でたいです。
「……なお、ダンジョンについては猫伯爵の命で完全に封鎖されることになりました。その理由は我々にも明かされていません。それと――」
クリスが悠をじっと見つめる。
「新しく設立される『クリスタナ商人ギルド』のギルドマスターには、悠男爵、貴方が就任することに決まりました」
「ええっ、俺がですか? ……まあ、面白そうだし、いいですよ」
悠はあっさりと引き受けた。元々新しいことに挑戦するのは好きだからだ。
◇◇◇
「さて、ここからは実務的な話をしましょう、クリス男爵」
それまで猫を撫でていた茉莉が、すっと立ち上がり、真剣なビジネスモードの表情へと切り替えた。その冷徹で知的な美しさに、悠は思わずドキリとする。
スミレ男爵とクリス男爵による、新生ドレイク町の今後を左右する会談が始まった。
長い議論の末、最終的に二つの重要な決定が下された。
一つ目は、『クリスタナ商人ギルドの本部を、ドレイク町ではなくアントラー町に置く』こと。
生産と加工はすべてドレイク町が行い、販売と流通はアントラー町が担うという分業体制である。
悠たちは爵位を得たばかりの新人男爵であり、他領の貴族や大商人とのコネクションが一切ない。そのため、周辺の男爵たちにすでに顔が利くハンナ男爵の町を表舞台に立たせ、そこから売りに出した方が、商売が円滑に進むという判断だった。
二つ目は、『ダンジョンの封鎖場所に常駐する騎士の費用を、ドレイク町が全額負担する』こと。
「これで、お互いに文句はありませんね?」
茉莉が美しい微笑みを浮かべると、ハンナは満足そうに何度も頷いた。
「ああ、素晴らしい提案だ! 本部がうちの町にあれば、ドレイク町で作られた商品が行き来する際に通行税が取れるし、アントラー町で売れることで売上税も入る。我が領の財政は大助かりだ!」
ハンナは鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌を良くしている。
だが、ハンナはまだ気づいていない。
ドレイク町が作る「製品」がアントラー町から売り出されれば、当然、それを羨む強欲な悪徳貴族や大商人たちの「標的」もすべて、販売元であるアントラー町へと向かうことになる。ドレイク町は、その影に隠れて安全に生産を続けることができるのだ。
途中でその「罠」に気づいたクリスが、慌てて「騎士の常駐費用をドレイク側が持つ」という条件をねじ込んできたのだった。
(さすがクリス男爵、途中で気づいたか。でも、それくらいの費用でドレイク町の安全が買えて、かつ外からの脅威をアントラー町に押し付けられるなら、安いものだよね)
悠は隣で平然と恐ろしい取引を成立させた茉莉を見て、(さすが茉莉。さらっとえげつない条件を突き通すそのスタイル……やっぱり好きだ。いや、愛してる!)と、心の中で熱い想いを爆発させていた。
さらに、この国には「職人ギルド」という概念がなく、流通を牛耳る「商人ギルド」しか存在しない。
つまり、世間は「誰が作ったか」ではなく、「誰が売っているか」しか見ないのだ。
職人をないがしろにし、流通の利権ばかりを重視する国の古い制度が、皮肉にも、悠たちの技術と職人を外部の脅威から守る「最強の防壁」として機能していたのだった。
◇◇◇
全ての話し合いが終わり、ハンナたちが帰路につくため、馬車の準備を整えていた時のこと。
見送りに表へ出た悠は、ふと思いついた疑問をハンナへと投げかけた。
「ハンナ男爵、一つ気になっていたんですが……ここからさらに北にある土地って、誰の領地なんですか?」
ハンナ男爵は馬車に足をかけようとしたところで動きを止め、振り返って怪訝そうな顔をした。
「北? あそこは誰の土地でもないぞ。国は少しでも領土を広げさせたいから、『手に入れた者の領地にしてよい』というルールにしている。……まあ、強力な動物やさらにその先の森には魔獣がうじゃうじゃいる地獄だからな。今まで誰も挑戦せず、むしろ人間の生存領域は年々狭まっているのが現実だがね」
ハンナはフッと自嘲気味に、乾いた笑顔を浮かべた。
厳しい大自然と魔獣の脅威にさらされた、絶望的な辺境の現実。
しかし、その言葉を聞いた悠の表情は、ハンナとは対照的だった。
まるで遠足前夜の子供のように瞳を輝かせ、満面の笑みを浮かべたのだ。
「ふむ……。じゃあ、海を取りに行こう」
一瞬の静寂の後。
「「はぁぁぁぁ!?」」
ハンナとクリスの、見事に息の合った驚愕の叫び声が、ドレイク町の青空へと響き渡り、屋敷の襖をガタガタと震わせるのだった。
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