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異世界でも楽しんで生きていこう  作者: 弥人(ヤアド)
第一章 辺境での身分確保と安寧への道
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第55話 新たなる男爵

 夏の終わりを告げる柔らかな陽光が、ドレイク邸の白い石壁を穏やかに照らしていた。心地よい風が木々を揺らす中――突如として、門の外から割れんばかりの怒声が響き渡った。


「私の領民を返せぇぇぇぇ!」


 龍栖館の広場で作業の指示を出していた悠は、あまりの音量に肩を震わせた。

 門の方へ視線を向けると、そこには凄まじい剣幕でこちらへ突進してくる女性――ハンナの姿があった。その後ろからは、困り果てた表情のクリスが小走りで追いかけてきている。

 

 ハンナは悠の前にたどり着くなり、挨拶もそこそこに悠の胸倉を両手でガシッと掴み上げた。


「おい、悠! 一体どういうことだ! 説明しろ!」


 怒髪天を突くとはまさにこのことだろう。ハンナの瞳にはメラメラと怒りの炎が燃え盛っている。

 

 だが、掴まれた当の本人はといえば、全く動じていなかった。

 

 悠本人も忘れがちだがステータスが億を超えている。ハンナが全力で胸倉を掴み、前後に揺さぶろうとしているのだが、悠の体は大地に生える巨木のようにピクリとも動かない。


「あはは……ハンナ様、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」


 悠は喉元を締め上げられながらも、呑気に頬をかきながら笑った。


「あの、大丈夫ですよ? 受付の方から何も聞いていませんか? 今回の収穫は本当に予想以上でしてね。免税期間中ではありますけど、さすがにこれだけの作物が獲れたのに一銭も納めないのは心苦しいですし……。だから、税は規定通りにお支払いすることにしたんです。納めるべきものは、ちゃんと納めないとスッキリしませんからね!」


 そう言って、悠は満面の笑みを浮かべた。

 しかし、ハンナの額には青筋がピキピキと浮かび上がる。胸倉を掴む手の力が、さらに強くなった。


「そういう問題では……そういう問題ではないんだよぉぉぉ!」


 ハンナは顔を真っ赤にして叫び、悠の体を揺さぶろうと全身で力を込める。が、やはり悠は微動だにしない。

 埒が明かないと判断した悠は、宥めるように言う。


「まあまあ、何があったのかは分かりませんが、立ち話も何ですから、執務室にご案内しますよ。妻が淹れる美味しいお茶でも飲みながら、ゆっくりお話ししましょう」


 悠のどこまでもマイペースな態度に毒気を抜かれたのか、ハンナは「ふんっ!」と鼻を鳴らしてようやく手を離した。後ろで見ていたクリスが、深くため息を吐きながら肩をすくめている。


◇◇◇


 龍栖館の広々とした執務室。のちにドレイク商会の執務室になる。

 

 窓からは手入れされた庭園が見え、涼しい風がカーテンを揺らしている。ルフが淹れた香ばしいハーブティーの香りが部屋に満ちる中、ソファーに腰掛けたクリスが、ようやく重い口を開いた。


「……はぁ、本当に嵐のような場所ですね。悠、貴方たちの知らない『猫伯爵』との会談で、なにが決まったか、順を追って説明します」


 クリスはテーブルの上に、ずっしりと重みのある何通もの公式な羊皮紙の束を置いた。


「まず、最も重要な決定です。悠、ヒナゲシ、スミレ、ヤマブキ。貴方たち四人は、正式に『男爵』の爵位を授与されることになりました」


「えっ! 本当に……!?」


 悠は目を丸くした。まさか自分たちが貴族の仲間入りをするとは。

 

 頭の中には、きらびやかな王宮の玉座の間で、国王から肩に剣を当てられて誓いを立てるような、いかにもファンタジーな「叙爵式」の光景が浮かんでいた。しかし、クリスから手渡されたのは、ただ印章が押された数枚の書類だけだった。


「あの……クリス男爵様。叙爵式みたいな華やかなセレモニーは無いんですか?」


「あるわけないだろう」

 ハンナ男爵はあっさりと言った。


「男爵にはそんな儀式はないのです。この書類に署名した時点で正式な貴族です」


「うわぁ、なんか事務的でがっかりだなぁ……」


 悠が肩を落とすと、隣に座っていた茉莉、絢乃とルフがクスクスと笑った。

 

ともあれ、これで悠たちには正式なミドルネームが与えられた。


『悠=ティグリス=ドレイク』

『絢乃=ヒナゲシ=ドレイク』

『茉莉=スミレ=ドレイク』

『バールーフ=ヤマブキ=ドレイク』


 それぞれが自分の新しい名前に少し照れくさそうな表情を浮かべる中、クリスは次の書類を指し示した。


(ティグリスってなんだ。他の三人は呼ばれている名前がそのままミドルネームになったんだろうけど……まあカッコいいからいいか)


「そして、ドレイク村の周辺土地を含めた統治権が与えられました。これに伴い、ドレイク村は正式に『男爵街ドレイク=ドレイク町』へと昇格し、悠男爵、貴方がその領主となります。……これで、ハンナ男爵が怒っていた理由が分かったでしょう?」


 悠はポンと手を叩いた。

「あ、そうか! ドレイク村が独立したってことは、僕たちの納税先がハンナ男爵じゃなくなったってことですね」


「そうだ!」

 ハンナが再び身を乗り出し、テーブルを叩いた。


「お前たちに男爵になって喜ぶ顔を、ウキウキしながら想像して戻ってきたら、受付で『周辺の村がドレイク村と合併しました。さらに納税してくれるとのことです』なんて言われたんだぞ! 村からの税収が、一瞬にして無くなったんだ! この喪失感がわかるか!」


「あと、これを見てください」

 クリスが苦笑しながら、猫伯爵直筆の署名が入った別の羊皮紙を悠に見せた。


「猫伯爵ヒルダ様からの特権状だ。新興の男爵街ドレイクに対し、『三年間の一切の免税』を認める、とあります」


「えっ? でも俺たち、さっきも言った通り、十分な収穫があったので税金を払う気満々なんですけど……」


「駄目だ! 絶対に納税などするな!」

 ハンナが断固とした口調で遮るのだった。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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